国語辞書事件簿 石山茂利夫 草思社 2004年 1800円+税

 新聞記者だった著者が国語辞典の歴史上の問題点を、新聞記事のネタのように追求してまとめた書。研究書ではない。

 内容は乏しく読む価値は認められない。また稀にみる悪文である。

 まず、いろは順が一般的だった明治時代に、新しい学制にあわせて、辞書もあいうえお順となった歴史の話。次はある辞書が掲載を予定していた語群を、誤って載せなかったのではないかという、著者の推察。掲載ミスをしたはずだと著者は断じているが、そうと決めつけるにたる論理的説得力に乏しいと感じた。著者はこれは誰も気づかなかったスクープだと言うのだか、如何か。そしてこの本の最大のテーマである、ある辞書が先行書を引き写して書かれている、という問題である。

 この疑惑に本書は大部をさいているわけだが、著者はこの辞書を先行書と比較、調査して、ノリとハサミでつくったものと断じている。これは参考書を切り貼りして一冊をでっちあげたという意である。自分で研究したもので書いていないということである。

 たしかにそういうこともあるのだろうが、だからどうしたの、とも言いたくなる。著者はその書を編纂した著名な国語学者を批判しているが、すでに故人である。三・四冊の先行書を切り貼りして文章を作ったのかもしれないし、文語体を口語体にしただけの部分もあるのかもしれないが、それでもまったくおなじではないし、参考書とちがっていれは著者の創作であるとするのが一般的であろう。三つの本を参考にして、ひとつのものをまとめるのも特別な能力が必要だ。国語学者としての良心を問うとしても、鬼の首をとったように故人を弾劾するのは如何なものかと思う。

 何よりもこの本を読んでいて気になるのは非常な悪文であるということ。言葉に対する感性も洗練されていない。小説家ではないし、研究者でもなく、新聞記者だったので仕方がないのかもしれないが、文化部に所属していたとの経歴をみるとおどろいてしまう。そのへん、ひょいと気づいた、いいことばかし、など書き言葉のなかに江戸の話し言葉がまざってしまっている。

 文体も混乱している。前文で断定したことを、直後に否定したり、主語がなくて意味の取れない文章が多い。説明不足もおおくて、著者だけがわかっている、読者の視点で書かれていない、ひとりよがりの文章である。これは出版社の責任でもある。編集者は原稿を読まなかったのだろうか。

 また感情の起伏がそのまま文章にあらわれている。文章はおさえた一定の筆致で、冷静に書かねばならないものだ。新聞記者であったのなら自明の理だと思うが、この本では作者の気持ちの揺れがストレートにでている。ある推察を思いつくと、そうだと思い込む。自分ではそうと断じて確認作業をする。しかし思い違いで落胆する。それではこうだろうかと考え、また思いこむ。毎回おなじパターンで躁鬱病につきあわされているようだった。

 

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