燃えあがる緑の木 大江健三郎 新潮社 大江健三郎小説10より 1997年 価格不明

 作者の長い作家生活の集大成ともいうべき渾身の大長編小説である。

 ノーベル賞の受賞の直前から書かれていた三部作からなる長編小説で、内容といい、テーマの深さといい、またボリュームといい、作者の代表作といえるだろう。

 作者がこれまでに取り組んできたテーマや、過去の作品も織り込まれているので、作者の作品を読んできた人には親しみを感じさせる肌触りである。作者が長年にわたって、折々の作品のなかで考えてきたことに、この作品は結末をつけようしていると感じるので(この時点での結論である)、どう答えを出すのか、興味深く読みすすんだ。

 『魂のことがしたい』と考えた青年が『救い主』と呼ばれるようになり、『燃えあがる緑の木教団』という新興宗教団体を作っていく過程を、救い主といっしょに教団をたちあげた両性具有の人物が語っていく構成となっている。『燃えあがる緑の木』はイェーツの詩からきているが、木の半分だけが燃えあがり、炎につつまれている姿をしているものだ。物語の語り手を男でもなく、女でもない、両性具有者にしたことには作者の深い意図があるのだろうが、その内容は明確にはわからない。

 神を信じない者、信仰をもたない者が、いかに救いや癒しというものをとらえるのか。それをテーマにしたと、作者のインタビューか文章を以前に読んだ。この作品は信仰をもてない作者が、救いや癒し、または死を、形而上学的にことばや思考によって示そうと模索した意欲作である。

 このテーマで作品をものにするには、それが作者にとって切実な問題だとしても、たいへんな力量と経験が必要とされるだろう。真正面からこの問題に取り組んで、読書人たちを納得させる深さをだすことは、ほかの作家ではできないのではなかろうか。作者のパーソナリティー故にこのテーマの作品が成立しえていると感じる読後感である。

 救いや癒しや死を形而上学的に探求するために、作者らしく多くの文学作品やほかのジャンルの書物が用いられる。イェーツの詩、ダンテの神曲、ドフトエフスキーのカラマーゾフの兄弟、アウグスチヌスの告白など。ほかにワーグナーの楽曲なども脇をかためる。これらの書物から考察が重ねられていくが、眼についた言葉は以下のようなものである。

 一瞬よりはいくらか長く
 日やほかのすべての星を動かす愛
 愛と死がとけあっている
 死に到る手続きの数学的記述
 知的に勉強してそれに近づこうとする、それはダメ
 癒される者たちの記録

 これらの言葉を読んで興味をひかれた方はすぐにこの本を手にとるべきで、逆に何も感じなかったのなら作者の本は読まぬがよいだろう。また一方で、どうしてこんな章の名前をつけたのだろうかと、がっかりするようなものもある。

 正直いって神はあるんですか
 絞首台の諧謔
 担い、背負い、救い出す

 など。作者に意図があるのかもしれないが、あまりにも散漫な印象を受けてしまった。

 本作は前述のとおり、第1部『救い主が殴られるまで』、第二部『揺れ動く(バシレーション)』、第3部『大いなる日』の三部構成となっている。非常に長い助走距離をとり、背景説明や神や救いについての考察を繰り返し、第3部後半のクライマックスにつなげていくが、そこまでの過程は文学作品についての会話や考察が主で、内容は深く、文章も複雑で凝縮度が高いから、読む速度はあがらない。『集中』−−作中で燃えあがる緑の木教団は日常的に集中するーーして読まないと意味のとれない難解な文章、哲学的な思考も多いから読みごたえがある反面、読者は限定されるだろう。

 そしていつもの大江作品とおなじく主人公は純粋で、自分に自信がなくて、ナイーブなあまり無様に自分をさらけだしてしまう。それでも魂のことをしたいと前進していくのは愚直で、ドンキホーテ的であるが、嘘のないまっすぐな性格故に悲しくもある生き様である。私はこのあたりに作者のパーソナリティーを重ねてしまうが、正しい読み方ではないのだろう。

 物語の舞台になるのは作者の故郷、これまでの作者の作品に何度も登場している四国の山のなかの村である。その土地と、そこに伝わる神話をいつものように絡めて、作者自身と家族や友人も登場させて、物語は少しずつ傾きを強くしていく。

 燃えあがる緑の木教団は急に大きくなっていくので、周囲と摩擦がおこる。反体制的な態度も見せるので社会にたたかれたりもする。攻撃や危害を加えられて、防衛のために武闘訓練までしていく。このあたりはオウム真理教を連想させるが、作者の作品らしく、オウムなど比較にならない高尚でアカデミックな教団である。

 作品には反体制的な考えが打ち出されている。これは作者のいつもの考え方と態度であるが、まったく同意できないし、共感もできない。しかしそれはそれとして、純粋に文学作品として読んだ。

 神や救いなどの、非常にあつかいづらく、難しい問題に挑戦しているので、明確な結論はでない。それでもこの作品は成功していると思う。それらを考察することがこの作品の目的であるからだ。また、この作品以上に魂のことを言葉でとらえようとした小説はないのではなかろうか。このような深遠なテーマに挑んで大長編を書き上げるというのは、愚直で、ドンキホーテ的であるが、やはりノーベル文学賞を受賞するにふさわしい大作家であるのだろう。

 物語は再生を示唆して終わる。それははじめのころから線がひかれている。読書人なら必ず読むべき本。

 

 

 

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