怪帝 ナポレオンV世  鹿島茂  講談社  2004年  2800円 

 ナポレオンのことは誰でも知っているが、ナポレオンV世となると知識のない人のほうが多いのではないだろうか。学校の世界史の授業でもフランス革命とナポレオンについては詳しく講義するが、第一次世界大戦にはさまれたナポレオンV世の時代と業績に触れることはない。しかもナポレオンV世という名がどこか嘘くさく、胡散臭くもあるから、これまで私自身も近づくことはなかった。
 フランスの政体は第一帝政、第二帝政、または第二共和制などと細かく切り替わってわかりずらく、革命もフランス革命のほかに2月革命、7月革命とつづいて何がどうなっているのかわからなくなってしまう。共和制と帝政が革命やクー・デタによって何度も入れ替わるのだから始末が悪い。
 フランス人はフランス革命で王政を打倒して、共和制に移行し満足したのではなかったのか、と単純に考えてしまうが、これはまさに単純な思考で、革命のあとの恐怖政治もあれば、革命の進展もブルジョワ革命から大衆革命まですすんでいく過程がある。その間に社会・経済は大混乱して市民は経済的に苦しめられた。民衆が秩序と生活の安定を求めて、強権的な皇帝をのぞむ時代も、織り込まれたのである。
 この革命や共和制の混乱をしずめて、フランス社会を安定させ、経済を近代化してイギリスに追いつく産業革命をなしとげ、パリを中世の不潔な都市から花のパリへと改造したのが、ほかならぬナポレオンV世である。その数々の業績と思想の先見性を読むと『怪帝』と呼ばれる理由が知れる。
 第二帝政全史、と副題のつく本書はナポレオンV世の業績をつぶさに追った歴史書である。著者は同時代のフランスの歴史書を多数出版しているので、この分野の泰斗のようだが、詳細・経歴は不明である。
 ナポレオンが帝位にあったのが第一帝政、ナポレオンV世が皇帝となった時代が第二帝政である。またナポレオンには息子がいてローマ王と呼ばれたが、体が弱くて若くして死んだ。この人物がU世で、本書の主人公、ナポレオンの甥がV世というわけである。
 さてナポレオンV世であるが、彼は『貧困の根絶』という著書のある開明的な君主だった。すなわち、民衆生活を向上させるために社会の改革をめざした政治家だった。
 そのために世界ではじめて労働者住宅を建設し、民衆のために公衆浴場も作った。ごみだらけの細い路地がつながる貧民街があったパリの街に、大通りをとおしてその地下には下水道を掘り、非衛生だった街を大改造して、公園も整備した。
 また金融を改革して鉄道網を全国にはりめぐらせ、関税を撤廃して産業、商業を発展させた。ストライキ、団結権を世界ではじめて認めて『労働運動の父』とも呼ばれ、出版の自由も許可した。
 すばらしい業績がある一方で、好色でスキャンダルが絶えず、最終的には普仏戦争でドイツにとらわれて捕虜となり、失脚するという悲しいほど間抜けな結末をとげる。
 ドンキ・ホーテのような人物だ。
 本書はこれらの内容以外にも、政局での暗闘や諸外国との外交政策、はたまた当時の高級娼婦のエピソードなどもおりまぜて詳しく語っていく。内容は非常に興味深く、記述も適度にこなれていて学者臭くない。教養書としても読めるので、楽しめると思う。ただし詳細に書き込まれているので読むのに時間はかかるだろう。私も一ヶ月以上楽しむことができた。
 フランスの歴史に興味がなくとも、読めば内容にひきこまれていく作品だと思う。

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