黄金の時刻の滴り 辻邦生 講談社 1993年 2136円+税
作家志望の若者が文豪をたずねて、創作の秘訣や文豪の本質に触れていく連作短編小説集である。
作品の冒頭に登場する大作家の作品の一部が掲げられ、その大家の物語がはじまるのだとわかる。短編の内容もそれによって示唆されているのだ。
とりあげられる作家は、トーマス・マン、ヘミングウェイ、サマセット・モーム、カフカ、エミリ・ディキンスン、スタンダール、ゲーテ、チェーホフ、リルケ、ウルフ、トルストイ、漱石。キラ星のような大作家がならんでいて期待が高まるが、それを裏切らない仕上がりである。
作者の分身と思える若者が文豪に会って、創作の根源的なもの、文豪を創作に駆り立てるもの、を聞くことが基本形だが、それぞれの大家らしいエピソードをからめて、文学的な面に傾きすぎることなく、物語性を大事にしてあるので、小説としての水準も高い。
文豪たちは反道徳的なことが創作の源泉であったり、胸の中に詰まっている熱塊を毎日吐き出さざるを得ず、それを書き続けてひとつの小説としたり、自由をもとめて家族を捨てたり、恋愛に触れ続けたり、人生に絶望して自殺したりする。
大作家たちのトリをつとめるのは漱石である。三四郎やこころ、を彷彿とさせるエピソードが織り込まれている。
いずれの短編もそれぞれの文豪の特徴を巧みに物語にしてあり、ラストは胸が冷えるものが多い。文学ファンにはおすすめの書である。