森林書 辻原登 文藝春秋 1994年 2330円+税

 おすすめできない書。 

 芥川賞作家の作者名と印象的なタイトルでこの本を手にとった。いつものように出だしをよむ。凝った書き出しである。すかさず読むことにしたが、騙された。

 読み出すとすぐにストーリーは混乱し、筋がわからなくなる。前後を行ったり来たりして意味をとらなければならない。不快である。しかしはじまりはつまずくが、だんだんと良くなるものも多いので我慢して読んだ。

 しばらくするとストーリーは流れだすが、書いている作者だけが展開のわかっている、読者にはわかりづらい、ひとりよがりな作品だ。登場人物の特異性を際だたせようとして、会話をさせ、主人公はショックをうけているが、読んでいるほうは効果が感じられずに白けたり、説明、エピソードが大したことがなかったり、意味がよくわからなかったりする。そしてなにより内容が面白くなくて、惰性で読む始末。

 仕掛けと工夫はたくさんある。作者の言いたいことも詰まっている。しかしほとんどうまくいっていない。熟成不足である。そして前にも書いたが作者だけわかっていて、読者には伝わらない作風で、これでは作者の本はもう読みたくなくなってしまう。

 時にひきつけられるエピソード、スピード感のある展開もあり、眼をひかれるがそれはすくない。

 ところでタイトルの森林書とは、本書のなかにでてくる新興宗教の教義が書かれているという本の名である。これが唐突に脈絡もなく登場し、大事にもされず、テーマでもない。作者には何かの意図があったのだろうが、読んだ者としては、まったくなんの意味があったのか不明である。

 ラストはだらだらとつづく印象。もっとスパッと終わったほうが締まると思う。

 この程度の完成度の本を読まされては、ほかの作品に手を出す気にはなれない。作者だけでなくこの本を出版した出版社の姿勢も疑う。芥川賞作家なら、どんなものでも出せばよいと思っているのだろうか。それだけ人気のある作家なのだろうか。

 追記。浅学にして知らなかったのだが、森林書とはヒンドゥ教の教義がかかれた書であった。内容は人里はなれた場所で密かに伝えられるという、祭典の神秘的な意義と哲学的な思想だそうだ。作者の深い意図はあったのだろうが、効果は感じられなかった。

 

 

トップ・ページへ          文学の旅・トップ             BACK