白骨温泉・ツーリング・エッセイ風


飛騨の紅葉


 大学時代の友人たちとおこなう、恒例の現地集合ツーリングが企画された。参加するのは大阪のI氏、新潟のH氏、愛知のN氏、静岡のM氏、それに私。集合場所は全員のほぼ中間点、長野県乗鞍の白骨温泉である。宿泊場所を決めて現地集合し、酒をのみ、翌日は昼までいっしょに走って別れるという他愛もない集まりなのだが、おなじ時間を共有してきた友達と語り合うのは、ほかでは得られない喜びで、かけがえのない一日である。ツーリング中はひとりでいても、グループでも、現在から過去へ,またその逆へと思い出がよみがえるのだった。


 10月24日

 朝、雨音で目覚めた。早い時間に出発するつもりだったのだが、強い降りのため、ふてくされてまた寝てしまう。起床したのは7時30分だった。テレビの天気予報をみると、天候は回復にむかっており午後から晴れる、といっている。日本海側はすでに晴れているらしい。妻が車で行ったほうがよいと言うのだが、バイクでいかないと何をいわれるかわからない。雨もまた良し、と覚悟をきめてオートバイをひきだした。

 バイクはスズキDR650RSという珍車である。5年乗っているが自分の以外におなじモデルを見たことがない。カワサキの天涯やホンダ・ドミネーター、またはDR・BIGならごく稀に目にするのだが、DR650はいない。アフリカ・ツインやテネレも考えてみたのだが、車高がありすぎて林道であつかえないと判断し、500や650のオフローダーを探しまわったのだが見つけられず、ようやく手にいれたのがDR650だった。

 DRはビッグ・シングルなのにキック・オンリーの硬派のバイクである。デコンプを操作してシリンダー内の圧縮をぬき、キックするのだが、慣れないとエンジンはかけられない。慣れていても機嫌をそこねると、キック100発などということになる。次の年のモデルからセルがついたので、手こずっているのは私だけではないことがわかる。下手なバイク屋だとエンジンをかけられないので、スズキ直系のショップに車検などを頼んでいるほどだ。しかしそれもこれもあるが気に入っている。一般道や高速道をおもに走り、林道はゆっくりすすむ私には、一番あっているバイクだ。

 ツーリングを一週間後にひかえた日に、乗鞍岳に初冠雪があったと報道された。不安になって宿泊場所の幹事である大阪のI氏に電話をすると、山頂に30センチの積雪があるが、とりあえず大丈夫なんじゃないの、と実にいい加減な返事がかえってきた。宿に問い合わせてみると、雪は乗鞍岳の山頂にのみあり、長野県も岐阜県側も一般道はまったく心配ない、とのことだったがこの雨である。気にしながらの出発となった。

 往路は関越道から上信越道にはいり、上田ICでおりて国道を諏訪にぬけていき、復路は中央道でいっきにもどるつもりでいた。しかし雨である。山は雪かもしれないし、知らない道を地図をみながら走るのは億劫で、往復を逆にして中央道でゆくこととした。

 革ジャン、Gパンのうえにカッパをつけたが、下着はあるだけ着込んだ。何枚も。バイクに乗るまえに汗ばむほどだ。靴もブーツカバーはやめて海釣り用のマリンブーツをはき、グローブも真冬の釣り用にする。バイク用のものは晴れたときにそなえて、バッグに押しこんでおいた。

 中央道をめざして走る。雨は激しいが寒さは感じない。どこも濡れてこないので快適とはいかないまでも、バイクの感触を楽しむ余裕はあった。しかしどうもDRがしっくりこない。ツーリングは久しぶりで、ふだんもほとんど乗っていないため、交差点を曲がるのもうまくいかない。こんなはずではないのだが、たしかめるように運転することもしばしだった。

 横田基地をみながらすすみ八王子IC手前のガソリン・スタンドにはいった。ハイオクを満タンにする。料金をはらい店内のソファで煙草をすっていると、店員が話しかけてきた。どこにいくんですか、と。乗鞍ですよ、と答えると、きょうあたりは雪が降ってるんじゃないですか、ともっともなことを言いだす。不安に思っていたことを指摘されたので、乗鞍スカイラインは30センチの積雪で閉鎖されているけど、一般道は大丈夫だよ、と強くおうじた私だった。

 バー・エンドが緩んでいたためドライバーをかり、締めこんでから高速にあがった。チェーン調整と各部の注油、Fタイヤの交換はしてきたのだが、増し締めはしなかった。たまにあることなので気にしない。雨なのに行楽の車が多いことにおどろきながら本線に合流した。

 DR650を買ったときに、ほんとうに欲しかったのはBMW R100GSだった。シルクロードに乗っていてパワー不足に嫌気がさしたころ、バイク屋に出物があったのである。見た瞬間に買う気になったのだが、中古とはいえ100万円の代金をすぐに用意できる身分ではない。当時所有していた2台のバイクを処分し、さらに金策をして手にいれようと決めた。   

 R100GSを見つけたのは11月だった。人気のないバイクだし、冬にむかう時期に売れることもあるまいと踏んで、手持ちの2台は個人売買で売ることにした。すこしでも高く売ろうという算段である。バイク誌に写真を同封した手紙をおくり、掲載されるまでに2・3ヶ月はかかる。早ければ翌年の1月、おそくとも2月までに売れれば、需要期の春直前に入手できると読んだ。

 バイク誌に載ったのは2月だった。それまで定期的にバイク屋にかよい、R100GSがあることを確認していた。2年落ちで走行距離は5千キロ。クラウザーのサイドバッグとオプションのオイルクーラーのついた極上車だった。R100GSはアフリカ・ツインやテネレほど車高はたかくないし、乗ったかんじもコンパクト。ステイタスもたかいので、はやく自分のものにしたいとジリジリしながら日をおくっていた。店員とは会話しなかった。いつもR100GSだけに会いにいき、短時間でかえった。

 雑誌に掲載されるとバイクはその日のうちに売れた。金策も予想外にうまくゆき、考えたとおりにことが運んだ。しかしR100GSはなくなっていた。不人気車で売れるはずがないと思い込んでいたのだが、どこかの誰かにさらわれてしまったのだ。今となれば間のぬけは話だ。自分のものになると独り決めにしてしまい、少しでも高くバイクを売ろうとして時間をかけた挙句、ほしかったバイクはタッチの差で逃してしまったのだから。作った金を握ったまま、バイク屋で立ちつくしてしまった.

 春になろうとする季節にバイクが1台もなくなってしまって焦ってしまった。R100GSの出物がもう一台あるはずもなく、ようやく探し当てたのがDR650だった。しかし今となってはDRでよかったと思う。R100GSはたまにいるがDRは1台もいないし、車重も断然かるくて155キロだ。私の腕ではR100GSで林道にはいるのはためらわれるが、DRなら荒れた道も走ってみようという気になるのだった。

 
 
 雨の中央道はつらかった。なにより寒いし混んでもいる。スピードをあげると寒気がますので、走行車線の車の列にくわわり、体を硬直させて、神奈川から山梨にぬける山岳地帯をはしった。雨は横殴りである。路面には水が流れているし、休日でおかしな運転をするサンデー・ドライバーはいるしで神経をつかった。ときおり追い越し車線を150キロ以上のスピードで吹っ飛んでいくフルカウルのバイクがいるが、私も昔はできたが今はできない。気をつけろよーーと後姿を見送り、ひたすら耐えて走るのみだった。

 ZX10に乗りはじめたころ、VF1000RとCBR400の3台でおなじ道を走ったことがある。ZX10はアクセルをあけると瞬時に200キロをオーバーし、風景の輪郭が溶けてにじみ、飛び去っていく世界をはじめて見た。そのまえに乗っていたZ750GPは、180キロをこえるとヨーイングが発生して緊張がたかまったし、さらに速度をあげるには長い距離が必要だった。ZX10は安定性がよく、フルカウルのおかげで風圧もおさえられていた。DRの100キロ走行のほうがZX10の180キロよりも苦しいとおもう。あのときから10年の月日がたち、バイクの性能はさらに高まったのだろうが、ZX10のようなバイクはもう欲しいとは思わなくなってしまった。

 甲府手前の境川PAについたのは12時だった。八王子から1時間半がすぎている。ZX10のときは甲府が近くかんじられたが、いまは遠い。体は冷えきり震えがとまらない。ホットコーヒーを飲んでもあたたまらず、PAの中のベンチにすわりこんで、煙草をすうとようやく人心地がついた。

 雨はやんだかと見せかけてまた弱く降りはじめる。雲は薄くなってきた。PAにツーリング中のバイクが増えてくる。ライダーはだれもが厳しい顔をしていた。DRのとなりに湘南ナンバーのハーレーがとまっていた。FX系だが車名はわからない。ライダーはカッパを脱いでいる。私は完全に晴れあがっても脱がないつもりだった。

 寒いですね、とハーレー氏と話し合う。30くらいですこし年下の感じ。バイクは新車だ。
 「でも、雨はあがりそうですから、これなら良かったですよ」
 ハーレー氏はそう言うと左手をあげて出発した。見送った私は走りだすのに勇気が必要だった。しばらく空を見つめ、腹に力をいれるとDRをキックした。

 渓流釣りに来る須玉ICをすぎた。標高は500メートルとでている。道は急速に高度を増していき、寒気も厳しくなった。体感的にはここがいちばん寒かった。山梨・長野県境は1100メートルもある。空気はするどく張り詰めて、呼吸をするたびに喉や肺が冷え、頭痛までしてくる始末だ。手足もしびれたが、諏訪にむかって下りはじめると、大気はすこしずつ弛んでいった。

 塩尻手前のみどり湖PAで昼食をとった。ここのラーメンが『信州のラーメン百選』にはいっていることを知っていたので、一度試してみたかったのだ。しかし期待に反して平凡な味だった。百のラーメンを選ぶのに、高速道路上の一軒をいれればいろどりが添えられるとでも考えたのだろう。混雑した店でたったまま食べ、すぐにDRにまたがった。

 松本ICはすぐである。13時30分に高速をおりた。中央道は勝沼まで混んでいるが、そのさきは交通量が極端に落ちてしまう。長野道にはいると車もまばらで、マイペースの走行ができた。高速でぬいた車は多かったが、バイクは1台だけ。練馬ナンバーのセローで、オフロード・バイクはその1台しかいなかった。

 セローは80キロにかける速度で巡航していたが、250クラスのオフロード・バイクの高速走行の辛さは、身に染みて知っている。KDXやシルクロードに乗っていたからだが、体とバイクに余裕をもってはしるのは、90キロが限度だ。走行車線を左によって走るのだが、スレスレにぬいていく車は多いし、オンロードの250に乗った女の子にもぬかれ放題でストレスがたまる。それが嫌で650に乗っているのだが、DRで高速走行中にオフロード・バイクをぬくとよくあることがある。 

 晴れていて寒くなければ120キロで走るのだが、2スト最新のオフローダーに追いついてぬきにかかると、スピードをあげて並走されることが多い。ミラーにうつるDRは250クラスに見えるらしく、オンロードにおいていかれるのはともかく、おなじオフにやられるのは我慢がならないらしい。しかしDRが先行し、650のデカールが相手に見えるようになるとアクセルをもどす。ぬかれる理由がわかれば対抗するのをやめるのである。このあたりがライダー心理というものだろうか。

 

 雨は完全にあがったが、カッパを脱ぐことは考慮の外だった。山道にかかるので気温がさがるのはわかりきっている。格好など気にしていられない。快適に走るためなら、外観にかまわなくなってしまったこの頃だ。

 上高地につづく道は大混雑していた。紅葉のハイシーズンのためだが、バスが多く、ノロノロと我が物顔ではしっている。マナーの悪さもめずらしいほどで、ほかの車やバイクへの気づかいは感じられず、数をたのみに傲岸不遜な運転だ。強引に何台かぬいて先にすすむが、バスは無限に山をのぼっていて、じきに諦めてしまった。

 バスのあとについて峠をのぼっていく。以前に来たときと川のようすが変わっている。自然の河原がコンクリートで護岸され、周囲の木も伐採されていて、憂鬱になった。

 ツーリング中のバイクがたくさんとまっている桂湖をすぎた。道はせまくなる。冷えこんでもきた。気温13度の標示がある。水がながれるトンネルをぬけ、荒れたヘアピンをバスにつづいてヨロヨロとまがる。沢渡のバス停をすぎた。上高地にはいるにはここの駐車場に車やバイクをとめて、バスかタクシーに乗り換えなければならない。駐車料金はバイクでも非常に高かったと記憶する。一昨年のツーリングではここにバイクをおいて、大正池や河童橋を散策したのだった。

 宿泊地の白骨温泉入口を確認して先にすすむ。上高地と岐阜への分岐はすぐで、飛騨にむかう道をいくのは私だけになってしまった。やがて安房トンネル。新しくできたこのトンネルをぬけてみたかった。

 前後に車のいないトンネルを走りぬける。距離は4600メートルで料金は600円。自動支払機にハイウェイカードを差しこんで、奥飛騨に足をふみいれた。気温はいちだんと冷えこんだように感じられた。

 トンネルの出口に休憩所があったので寄ることにした。駐車場にはいっていくと、高速のPAであったハーレー氏がいる。よく会いますね、と言葉をかわすと会話がはずんだ。彼は新平湯のペンションで石川県の友人と落ち合うそうで、私たちと同じようなことをしていた。

 神奈川と石川の中間だからここにしたのですか、と尋ねると、じつは宿がよいのです、とのこと。ペンションだが恋人同士や女性のグループはすくなく、家族づれが主で、古い農家を改造した建物の雰囲気もよく、しかも料金もリーズナブル。夕食にでる飛騨牛のステーキも美味いのだそうだ。
 宿の名前をおしえてくれませんか、と身をのりだすと、ペンションのカードを財布からとりだして、どうぞ、差し上げます、という。有難く頂戴した。

 彼はハーレー乗りらしく、上から下まで黒革のいでたちだった。ジャンバーの袖やグローブ、ブーツには銀の鋲がたくさんついている。財布も黒革の鋲つきで、銀のチェーンがついていて、ジャケットにつながれていた。同様のウエスト・ポーチに煙草入れ、ジッポのライター。ここまで徹底すれば圧巻である。私なんて雨具を着たままで、靴もマリンブーツとはいっても所詮は長靴。手袋も釣り用の代用品なのだから。

 ハーレー氏が走り去ったあとで地図を確認し、けっきょく追いかけるかたちでR471をいく。この国道沿いに渓流釣りで名高い高原川がながれていて、一度みておきたかった。しかし川よりも山の景観がすばらしい。紅葉のピークにはまだ早いが、山林は黄と赤に染まっている。日本中によくある杉の植林された山は、杉の部分だけ不自然に緑色をたもっていて、紅葉の趣をそいでしまうが、ここに杉の姿はない。目にうつる山々がおなじバランスで紅葉し、峰々が連なっている。太陽が傾きかけているので、北側の斜面だけに陽があたり、紅葉の山が輝いているように見え、ほかは暗く沈んでいるのだが、夕刻の気配が濃くなった深山の色調は、格別だった。


 


 奥飛騨にはいると急に鄙びてしまった。川沿いに軒の低い旅館や民家がならんでいる。古い建物がおおい。素泊まり4000円、入浴歓迎500円、と腰のひくい看板が目につく。山間の集落をいくつも通り過ぎ、浅い瀬と急流のつづく高原川を見てはしり、16時にUターンして宿にむかった。

 安房トンネルをふたたびぬけて白骨温泉に着いたのは16時50分だった。大阪のI氏からとどいた手紙には、17時必着となっていたので定刻である。駐車場には新潟ナンバーのH氏のTDM850と、沼津ナンバーのM氏のテネレがとまっていた。となりにDRをすべりこませて、めったにお目にかかれないバイクが3台並ぶことになった。

 H氏はドカも持っているのだが、今日の天気ではTDMか、もしくは車だろうとおもっていた。しかし四輪でくるのは覚悟がいる。はたしてTDMであった。M氏は最近音信がなく、風の便りでテネレを買ったときいた。結婚したとも聞いていた。

 荷物をおろしていると、バタバタと足音がして、いやー、どうもどうも、とI氏が駆けてきた。コッパンにセーターである。車か? と尋ねると、ご明察、と頭をわざとらしくかいている。上目遣いで、視線が泳いでいた。
「しかたないな」と言うと、I氏の新車のイプサムを見にいった。いい車だな、とほめたが、しかしバイクは寒かったよ、と皮肉をつけくわえるのは忘れなかった。

 この集まりにはバイクで参加するという不文律がある。たとえ雨でも単車で集合するのだ。翌日はそろってツーリングをするのだし、もともとバイクの仲間なのだから。私は自分で言うのもなんだが、人を非難しがちな男ではない。酷いことは口にしないし、しつこくもない。I氏に事情があるのはわかっているし、大学時代には色違いのZ750GPに乗っていた仲でもある。私が赤でI氏が黒。皮肉もたいがいにしたが、先着していたH氏とM氏は容赦がなかった。強烈なことばのストレート・パンチやアッパー・カットをあびせるが、もちろん冗談である。しかし酒の席のつまみにされるのは、避けられないことだった。

 部屋に案内されてくつろいでいると、愛知のN氏も初期型のナナハン刀で登場した。再生産している1100刀や400刀、250刀は珍しくもないが、初期型は少なくなった。N氏の刀は発売時のアップ・ハンを本来のものに変え、キャブはGSXR750Rのもので、エア・フィルターはなし。エンジンは自身の手でフルオーバーホールされている。外観は悪いが中身の濃いバイクである。スズキ党のN氏はGSX750E4、GR650、GSXR750R、刀と乗り継いでいるが、身につけている革ジャンと革パンツは大学時代からのもので、よく着られるな、と太ってしまった私たちは感嘆したのだった。

 白くにごった湯なので白骨温泉という名がついたという。渓流に面した露天風呂にみんなでつかる。話し合うのはそれぞれの宿までのたどり、雨のことである。私とM氏、N氏は雨にふられたが、新潟からきたH氏は大丈夫だったそうだ。
「晴れても、カッパを脱げなかったよ」と私が言うと、
M氏は雨具を持っていないという。
「濡れてきてのか?」と尋ねると、そうだ、と顔色も変えない。
「寒かったろう」と問うと、
「下着までは、濡れなかった」と答えて顎まで湯につかった。
「バイクが買えて、なぜカッパが買えないんだ」と言うと、
「人間、そんなものだろう」との返事。
そんなものか? 
 車できたI氏はずっと黙っていた。 

 湯を白く着色していると問題になる遥か前のことであった。

 部屋にもどると夕食の準備ができていた。ビールをぬいて乾杯する。話題は当然バイクだった。I氏は現在単車を所有しておらず、ツーリングにあわせて購入する予定だった。しかし迷ってしまって果たせなかった顛末を述べたてる。私たちは無責任なことを言うばかりだ。
「大型免許があるんだから、400以上のヤツを狙ったんサ。でも、予算もあるし、雑誌をみると迷うしで」
「何をさがしたんだ?」
「CB500Tが、いいんじゃないかと」
「なんだそれ、CB550Fじゃないのか」
「いや、4気筒のじゃなく、ツインのT」
「そんなの残っているわけないだろう」
「たまにあるんだよ」
「CB500Tより、GT550のほうが珍しいぞ」とスズキ党のN氏が言う。
「Z750Tという手もある」
「それはメジャーすぎる」とI氏。
「CB350F」
「それならCJ360だ」
「XT500は?」
「ハスラー400だ」
「オフは嫌だ」
「エアラはどう? もう何十年も見ていない」
「GL500。それもCXになる前の、メーター・バイザーがついてたヤツ」
「Z550LTD」
「GX500。カフェ・レーサーみたいでカッコよかった」
「その先代のTX500は?」
 DRがそのうち仲間にはいってしまいそうだ。
 I氏がつぶやく。
「昔のってた、ホークUもいいな」
「ヨンフォアのほうが絶対いい」
「Z400だ」
「RD350」
「RDなら、400のデイトナがカッコよかった。グレーのヤツだ」
「GS400」
 年が知れる。

 M氏がいすゞウィザードを新車で買ったと言いだす。一同おどろく。カッパも持ってないくせに。そのまえはリンカーンに乗っていたと言うので、さらに驚く。もちろん中古だが、半年のって50万損して乗り換えたそうだ。私は新車で買った4ドアセダンに8年も乗っている。N氏はもちろんエスクードだ。

 新婚のH氏の話題になる。I氏が先日電話したとき、ひどく不機嫌でぶっきら棒だったが、タイミングが悪かったか? と尋ねている。H氏はむきになって否定するが、12も年のはなれた嫁さんをもらえば、我を失うよ、と私が言うと、M氏がうちのカミさんはもっと下だ、とつぶやいて、みんな黙り込んだ。なんてことをするんだ。私なんてひとつしか違わない。

 バイクの故障談義になった。我々よりも上の年代の人たちは、昔はよくバイクが壊れたと言うが、私たちはパンクかネジの緩みがせいぜいだ。ここでもM氏が口をひらいた。
「大学のときに乗っていたZU」
「中古で買った、5万キロ走ってたヤツだ」
「エンジンが突然ストップしてさ、いろいろいじったけど直らなくて、2気筒で帰ってきたことがある」
「2気筒で?」
「そう、バラバラバラバラと走ってさ、バイク屋に見せたら、カーボンがバルブに付着しているって、バルブを擦り合わせたら直ったけど、あれはびっくりしたなぁ」
「そういえば」と私が話題をつないだ。
「このあいだ、釣りに行ってパンク修理を手伝ったんだ」
「釣りしててか?」
「そう」
 山奥で渓流釣りに興じた8月のことだった。日暮れ直前の魚がいちばん釣れる時間を、あるポイントですごそうと、谷底の河原から山肌をはいのぼり、林道にでてみるとバイクが2台とまっていた。ホンダとカワサキの250のオフロード・バイクだった。ライダーは25くらいのコンビだったが、カワサキの後輪がパンクしているのが一目でわかった。
 釣りの最中にパンク修理の手伝いはしたくなかった。最高の時間はすぐそこまで迫っていて、日が暮れたらおしまいである。横を通りすぎようとしたが、ちらりとライダーを見ると目が合った。すると、
「いやぁ、パンクしちゃいました」と屈託なく話しかけられた。そのほがらかな語り口に引き込まれて、
「パンク修理道具は持ってます?」と聞くと、
 持っています、と答えるので、
「リム・プロテクターやビート・クリームも?」とかさねて尋ねてしまった。
 相手は首をかしげると、
「パンク修理したことがあるんですか?」と逆に聞いてきた。
「んーー、ある」と返事をすると、
「よかった、僕たちやったことないんですよ」となってしまった。
 話をしてみると、チェーン調整にも自信がないと言う。修理道具は携帯していたが、ツーリングの入門書をひらいて、パンク修理の方法を読んでいるところだった。
 竿やら手網やら魚籠を地面におきながら、私は言った。まず、割りピンをぬいてボルトを緩める。
「後輪を浮かせるのが最初、と書いてあります」とカワサキ君。
「ボルトを緩めるのが先だ」と私。「浮かせてからでは、緩められないぞ」
 カワサキ君、苦労して割りピンをぬき、レンチでボルトを緩めようとする。「どっち回しですか?」
「『の』の字の反対」
「え?」
「ひらがなの、『の』」 指で字を書きながら言う。
 カワサキ君、やってみるが緩まない。レンチを連結して力のかぎりをつくすもダメ。私を見上げるので交替し、レンチに足をのせて一気に緩めてやった。
 エンジンの下に石をいれて後輪をあげ、チェーン・アジャスターをはずしたが、今度はシャフトがどうしてもぬけない。手で押しだそうとするが動かない。またしても私が足をつかい、シャフトをぬいた。
 チェーンがはずれて、ようやく後輪を地面におくことができた。
「自転車のパンク修理はしたことある?」と聞くと、ある、と言う。この先は同じだから、と私は失礼した。リム・プロテクターがないと、タイヤ・レバーでリムが傷だらけになるけど、ないからしょうがないよ、ビート・クリームがないから、タイヤのビートをいれるときに苦労するかもしれないけど、水で濡らせばなんとかなると思うよ、と言いながら、

「なんだよ」とN氏が大声をだした。
「最後まで手伝ってやれよ、かわいそうだろう」
「釣りの時間がなくなりそうだったんだ」
「冷たいヤツだな」
「そうか? 情にほだされて、足をつかったんだけどな」
「それで釣れたのか?」とM氏。
「いや、あのときはダメだった」
「それみろ」とN氏。
「DRに乗っていると言ったのか?」とH氏が聞く。いや、言わなかった、と答えると、
「きっと、カブにでも乗っている、田舎のおっさんだと思われたぞ」とうれしそうに笑いだした。

「さいきんアスカを見ない」と突然I氏が言う。いすゞのアスカである。
そあいえば、と一同うなずくが、何でアスカがでてくるんだ?
 I氏はあの車、この車と話題をつなぎ、諳んじているそれぞれの排気量やホイール・ベース、サスペンションシステムを並べたてる。ミリ単位で数字を記憶しているのには驚かされるが、この話もこの仲間でしかできないのだろう。ほかでしたら変人だ。

 たのんだビール10本とお銚子10本は空になった。I氏がバックから地酒を2本とワインを1本とりだす。
「気が利くねーー」
「待ってました」と声がかかると、
「車だと、たくさん荷物が積めるからさ」と急に卑屈になった。
 時間を忘れてすごし、酒宴は深夜までつづいた。

 

 

 

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