正法眼蔵 1 道元 増谷文雄全訳注 講談社学術文庫 2004年 1250円+税
『しょうぽうげんぞう』と読む。本書は日本曹洞宗の祖、越前の永平寺をひらいた道元の著した日本屈指の仏教書、思想書である。
正法、つまり釈迦がひらいた本来の正しい仏法を説いたもの。いかに悟りをひらくのか、また悟りにいたるまでの修行中の生活全般について、また世界や時間に対する仏の教えなどを弟子に示したもので、95の章によって構成される未完の大著である。
原文を読むことは不可能なので現代訳を読んでいった。それでも非常に難解である。仏教哲学書を仏教的な教養のない私が読むと、用語が難しいし、独特の思考法や世界観に慣れるのにも時間がかかった。通読しただけでは意味のわからない部分もおおく、精読を繰り返し、解説書と平行して読まなければ到底理解できないだろう。しかし、道元の語る真摯な思想、人となりは十二分につたわってきて、理解不足ながら、魅力的な書である。
本書は道元に接して48年という宗教学者が全訳注をなしたもので、まず開題としてそれぞれの章の内容を解説し、原文、現代語訳、注釈とならべられた親切な構成となっている。
1巻の内容は、悟りをひらいた直感の世界を書いたという『摩訶般若波羅蜜多心経』を解説したものからはじまり、いかに悟りを得るかを語る現成公案(げんじょうこうあん)、仏教的世界観を示す一顆明珠(いっかめょうじゅ)、そして大小便を清めることを説く洗浄、観念的な時間論である有時(うじ)、古来からつたわる正しい袈裟のあつかいかたを詳しく語る袈裟功徳など。
本書は全4冊である。そのうちの1巻だけを読んだのだが、約1ヵ月の時間がかかった。さきに進むつもりだが、1度に連続して読むのは私には無理である。
2巻 1250円+税
正法眼蔵は天下第一の難解の書であると言われる。訳してあるとはいえ、道元の書く漢文調の文体も難しいし、単語もじつに晦渋である。エピソードとして語られる古代インドや中国での聖人の話も、仏教的教養がなければなかなか理解できないものと、素養のない私は思う。もとより仏教の教養、知識、奥義をきわめつくし、実践して、仏祖となった道元の語る高みには、達することは無理なことである。これは読書人の私が知的好奇心で通読した感想なので、見当違いの解釈も多々あると思われる。学者ではないのでその点はご留意を。
『山水経』
第2巻は『山水経』からはじまる。これは1240年10月18日に衆にしめされたものである。なおこの全訳注本は、訳者の選により書かれた年代順にならべられている。
正法眼蔵には95巻があるが『経』のつくものはこの1巻のみである。
『山水経』の意味するところは、山水を経とする、山水こそ経でなければならぬ、ということである。
道元は、いまある山水は古仏のとくことばが実現されたものであり、法に即したものである、という。それゆえに経とする。
そして山や川のありようについて哲学的に語る。曰く、山は歩く、と。山が歩くとは考えられないが、物事を一面からのみつかむのではなく、多面的、観念的に理解せよ、と語っているようだが、非常に難解であって、道元の言わんとしていることをなんとなく感じる程度である。しかしこの辺のところを突き抜けることができなければ、とても凡夫の身心を解脱したとはいえないそうで、凡夫のなかの凡夫たる私には、とても突き抜けられぬ難題だった。
『仏祖』
1241年の1月3日に衆にしめされたものである。
仏祖にまみえて仏祖になる。道元は自らが仏祖であることをしめし、これまで伝えきたった57位の仏祖の名をあげ、我こそは仏祖正伝の法をつぐ仏祖であると言っている。
『嗣書』(ししょ)
1241年の3月7日に衆にしめされたものである。
道元は宋の如浄大和尚より仏祖となることを認められ『嗣書』を受け、正しくその系譜につらなる『法嗣』となった。『嗣法』するときにはかならず『嗣書』があたえられる。その説明をし、宋で眼にしてきた様々な『嗣書』の様式について語っている。
『法華転法華』(ほっけてんほっけ)
この書は弟子に与えられたものである。
まことに難解、哲学的な1巻である。法華転と転法華について語られている。
法華を転じ、あるいは法華に転ぜられるという、二元論について記述されているのだが、内容は単純なものではない。心が迷えば法華に転ぜられるという。法華が転ずるとは心迷うことである。一方、心悟れば法華を転ずともいう。
道元は、法華が我らを転ずる力をきわめつくすとき(迷いがきわまるとき)、我らは自己を転ずる力を実現するようになり、これを転法華という、と語る。これまでの法華を転ずるはたらきはやむことけっしてはないが、これが自然にはねかえって法華を転ずるというのである。
仏教的な世界の力学的な成り立ちを語っているのか。解脱にいたる心のありようを述べたものだろうか。
『心不可得』(しんふかとく)
1241年に衆にしめされたものである。
正法眼蔵には『心不可得』と題されたものが2巻ある。そのふたつを区別するためにひとつを『前心不可得』、他方を『後心不可得』とよぶ。
ここではまず『前』であるが、ここで語ろうとしていることは、仏教における心の問題である。仏教においては心の問題を大事としてあつかう。とともに、心はまことに捉えがたく、頼りないものだとする。それが心不可得であろう。
心不可得なりと、心得るのが諸仏であり、諸仏は常々それを最高の智慧として保持しているのだという。これはただひとえに心不可得なのであり、ひたすらそれにならうのがよいとされる。
また、ただ経典を研究している学者のようではダメで、正師にまみえて、正法を聴かねばその真質は理解できないのだとしている。したがって私が理解できないのもうなづけるというものだ。
いろいろと迷わず、ただ心は不可得なものと受けいれていく、ということを強調している。
『心不可得』(後)
1241年に衆にしめされたものである。
前につづいて思索をふかめ、加筆したものが後のようだ。内容はほとんど重なるが、説明がより詳しくなり、エピソードもふえている。
心不可得を明瞭に会得することは、諸仏にならなければ得られないのであり、諸祖にならなければ伝えられぬ、と前と同じように語る。
心をかりに不可得と名づける、そのような心があるのではない。ただ不可得というのだ。また、心は得られないというのでもなく、ただ不可得というのである。あるいは、心は得ることができるというのでもなく、ただ一途に不可得というのである、と説かれている。
全般に、ことばを自分流に解釈するのではなく、そのまま受け入れる、ということが強く説かれている。
どう考えても理解できない問題を、頭の片隅におき、ことあるこどに反芻して思考を重ねることを、禅のことばで拈弄(ねんろう)とよぶ、と訳者は語っている。それを続けているうちに、あるときストンとわかるときがくるというのだが、そのときが私にくるのか疑問である。いく度も味読して、読み来たり、読み去っているうちに理解は深まるというのだが。
『古鏡』
1241年9月9日に衆にしめされたものである。
これも難解な書である。
もろもろの仏祖が伝えてきたものは何か、それは仏心、あるいは智慧、または心印である。しかしそれらは抽象的な概念だ。より具象的いえば、それらは古鏡で象徴できる、といっている。古鏡はいつでも同じ証(さとり)をしめすから。古鏡は仏心、智慧、心印をいつでもだれが見ても同じようにうつす、の意か。または、仏の教えのたとえか、仏の法、仏教者の理想の心か。古鏡なのだから、古仏につながるとも思われる。
『看経』(かんきん)
1241年9月15日に衆にしめされたものである。
古鏡をしめしてわずか6日後のことである。
看経とは経を黙読ないし低声で読むことをいうが、ここではまず仏教者が経巻に対しては、全身全霊でぶつかっていくものであると説く。そして経巻とは何かを語り、看経ではただ読むのではなく何かを念ずるものであることを説き、最後に作法について語っている。
『仏性』(ぶっしょう)
1241年10月14日に衆にしめされたものである。
難解な1巻である。
一切衆生 悉有仏性(いっさいしゅうじょう しつうぶっしょう)。大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)の一節だが、よく耳にすることばである。この1句はすべての仏教者のはるか高きにある太陽で、結語ではなく出発点であり、永遠の課題である、と訳者は言う。
一切の衆生には、悉く仏性がある、と一般には理解されているのではなかろうか。しかし道元の説くのは、まったく違うことなのである。
悉有は仏性であり、悉有のひとつのありようを衆生と言う、とする。まさにその時にいたれば、衆生は内も外も仏性の悉有である、と説く。まことに難解で読めばよむほどわからなくなっていく。それでも読みすすんでいくと、
仏性にはかならず成仏がともなう、仏性というものは成仏以前に具わったものではなく、仏となってはじめて具わる、とある。我々衆生は死ねば仏性が得られるの意だろうか。
説明の合間に、仏性の誤った解釈を批判したり、『時節もし至れば、仏性現前す』、という仏のことばの解説をする。曰く、時節至れば、というのはすでにその時になっているのだ、という。待っていては決して現前しない、と。
仏性の道理を明確につかんだ先達はすくないとしている。修行の途中の者が知りうるところではないとも。何十年にもわたって修業した後に得られるものだとも。