8月23日 津和野 そして1000キロ連続走行の帰宅

 6時15分に目覚めた。トラックはそのままだったがキャラバンやライトバンはいなくなっている。彼らはPキャンではなく仕事中の仮眠だったようだ。昨夜は不穏な雰囲気だった道の駅も朝日のしたではのどかな風情である。女がすわったベンチの横をとおってトイレにいき、カップめんの朝食をとり7時30分に出発した。

 津和野までは30キロのたどりである。愛着をかんじるまでになった山口県をでて島根県にはいった。8時すぎには津和野にいたり、北の入口にある太鼓谷稲成の看板をみてたちよることにする。日本五大稲荷のひとつで稲成と書くのはここだけとのこと。朱塗りの大きな神社のような稲成で、参道にはおびただしい数の鳥居がならび、朱色のトンネルとなっている。『太鼓谷』という名前がいたく気にいった。

  駐車場にならぶ幟 太鼓谷稲成 下は鳥居の林立 トンネル

 太鼓谷稲成をでて津和野の町の入口にあった駐車場に車をとめた。駐車場のすぐ前、津和野大橋からつづく殿山通りが津和野のメイン・ストリートである。まず津和野のシンボルである掘割におよぐ鯉をみにいく。色とりどりの大きな鯉がたくさん泳いでいる。飢饉にそなえてはじまった風習とのことだが鯉は町中に無数にいた。

 

 鷺舞のモニュメント 掘割の鯉 津和野の町並み

 大橋の横には鷺舞のモニュメントがあった。記念写真のスポットとなっている。むかいには太鼓谷稲成の参道入口があり、鳥居のトンネルがはじまっていた。ここから山の上の稲成まで歩くのはたいへんだ。私は歩きたくない。

 殿山通りを津和野駅方向にあるいていく。白壁と格子窓の藩校跡や武家屋敷がのこっている。ゆっくりとすすんでいくが今日も暑い。まだ朝早いのだがたまらない日差しだ。日陰をえらんでいった。

 葛飾北斎美術館があり家内がみたいというが開館は10時30分である。現在は8時40分でそんなに待てないし、もともと時間の余裕はない。津和野駅近くまで歩いて来た道をもどることにする。帰りはたくさんある女性好みの店をめぐっていった。次からつぎへと。家内はまたパワー全開である。家内はいろいろと買っていたが私は手ぬぐいを一本。茶色のめずらしいデザインで、浴衣を着るときや祭りのときに重宝しそうで840円だった。

 家内のショッピングはとまらない。私は足が疲れてしまったし飽きたので喫茶店にはいる。メモの整理をしたり帰りのルートを検討したり。アイスコーヒー、480円を飲んでいると店内にこの旅最後のオニヤンマがはいってきた。その勇姿、大きさにあらためて見入る。トンボの王様だ。王様は店内を旋回している。外にでられないのだ。私は王様の行く末に関して気をもむが、店の人は慣れているのか放置したままである。名残り惜しいが王様とわかれて店をでた。

 津和野は森鴎外の生誕地で墓もある。また安野光雅の出身地でもあり美術館もあった。鴎外は作品に興味はあるが墓や旧宅にはない。安野は長野県の安曇野と世田谷にも美術館があり、安曇野をたずねたことがあった。

 津和野をさり帰路につくことにする。なにしろ今日息子が帰ってくるのだ。夕食にはもう間に合わないが、なるべく早く帰らなければならない。10時に駐車場にもどり取り急ぎ出発した。県道226号線で山越えして柿木村にいく。南下して中国自動車道にぶつかり六日市ICより流入する。11時10分だった。まず広島をめざす。大阪へ390キロとでていたと思う。

 自宅までの距離はおよそ1000キロである。単純な計算では100キロ+? の速度で10時間でいくつもりだった。12時にでれば22時につくという大雑把な計画である。休憩も食事の時間もほとんどかけずに走りどうしでこの予定なのに、家内は大きなSAには立ち寄って、その土地の名産やみやげをみたりしていきたいと言う。それでは時間がおくれていくばかりだし、中学生の子供はひとりでも大丈夫だろうが、夜にひとりにしておくのは心配である。家内はそのことがわかっていないような、わからないふりをしているような感じだった。

 広島県をぬけて岡山県にはいる。帰路は中国道をいく。13時に岡山県の大佐SAで昼食をとった。私は鳥の竜田揚げ丼ときしめんの満腹セット、家内はハンバーグ定食でふたりで1710円。給油もする。9.22K/L、101円で4348円。

 ここから運転を家内にかわった。直後に家内の携帯にメールがはいる。子供の行事関係者だろうか? いま岡山ですなんてとても言えない。家内は運転中なのでメールはしばらく見ないことにする。岡山をでて兵庫にはいり大佐SAから188キロ走行して西宮名塩SAについた。15時30分である。大阪が遠い。メールを確認すると行事関係者ではなかった。

 休憩をとり私に運転をかわって15時40分に出発した。このころになると家内も1000キロ連続走行して帰京するということがどういうことか理解し、みやげが見たいなどとは言わなくなっていた。

 中国道はほとんど車が走っていなかった。兵庫県にはいると増えるがそれでも少ない。中国道はトンネル内はセンターラインが黄色線になっているし、60キロ制限がおおくて走りづらい。カーブの曲線などは東名・名神と大差ないのに規制しすぎだ。事故が多いと表示されているが交通量の絶対数を考えれば東名などより少ないに決まっている。速度を落として走らせておけば事故は減るという理屈の、警察の怠慢行為だ。この無意味な規制による時間的・経済的損失ははかりしれない。だから中国道は通行量が少ないのだ。私もこれからは山陽道をつかう。中国道は走らない。

 ようやく大阪を通過した。名神道である。次のターゲットは名古屋だ。京都・滋賀・岐阜を通りすぎて愛知にいたり、名古屋も通過して東名にはいる。こうなると車は速い。風にぶつかって走行するバイクではこうはいかない。疲れてしまって連続走行はできないのだ。

 18時に愛知県の上郷SAにはいった。途中一ノ宮で渋滞していたが5分のロスですんだ。子供の携帯に何度も電話するがかからない。電源を切っているようだ。自宅にもかけるがつながらない。予定では最寄り駅に15時に到着することになっているのだが、遅れているのかもしれない。よくあることなので。行事関係者に確認の電話をしたいができない。いま名古屋ですとは言えないから。

 ここで夕食とした。私はラーメン、餃子、ライスのセット。家内は天ごのみというたこ焼きとお好み焼きを融合したような料理をえらんだ。給油もする。13.31K/Lとすごい燃費。101円。3352円だ。SAもGSも混んでいた。

 上郷SAを19時に出発した。運転は家内にかわる。愛知をぬけて静岡へ。子供の携帯にようやくつながった。15時の予定が遅れて今しがた解散したところだと言う。遅くなりそうなのでひとりで適当にやるように告げて電話をきった。連絡がついてホッとした。

 東名は海沿いのルートから箱根の山にはいっていく。御殿場の足柄SAで休憩したがまたすぐに出発した。運転は私にかわる。箱根の山をハイペースでくだっていく。横浜で20キロ渋滞と表示されていたが、近づくにつれてとどこおる距離はみじかくなり、横浜IC付近でノロノロ走行になったが停止することなく通過して、足柄SAから45分で東京ICに到着した。料金は18050円。高いと思うが11時に島根県を出発したことを考えるとそれだけの価値はあるとも感じる。しかしもっと安くしてほしいのも事実だ。

 もう自宅に着いたようなものだと思ったらこの先が大渋滞だった。迂闊にも避けることなく巻き込まれて環八でもまれることになる。いくらでも迂回できるのに。やはり疲れていたようだ。判断力が落ちている。夜遅く帰宅したが子供はすでに眠っていた。喜ぶ犬と子供の寝顔を確認してから、大量の荷物をご近所の迷惑にならないようにセレナからおろしす。明日は仕事だ。疲れは職場で仕事をしながらとることにした。

 ハードな旅は終わった。

                          総走行距離 2510.6K

 

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