8月22日(金) 角島大橋・金子みすゞ記念館・萩

 6時20分に起床した。晴れてよい天気だが車内が暑い。汗びっしょりだ。夏のPキャンではエンジンを切っても熱が冷めず、エンジン・ルームの熱気が車内にこもってしまう。時として暑くてならないことがある。かといって窓をあけたまま眠るのは無用心だし蚊に刺されるのはもっと嫌だ。ある程度は仕方のないことなのだが対策を考えようと思う。車用の網戸、バグネットとか扇風機だ。

 エアコンをいれて一息ついた。農産物の直売所には農家の人があつまって開店の準備をしている。きくがわでは道の駅をつくって町をPRしようとか、通行人の便宜をはかろうというのではなく、ひたすら産直販売が第一のようだ。何も買わない我々は邪魔になるので移動する。なにしろ駅は狭いから気をつかう。ちかくのセブン・イレブンで朝食にした。

 私は山賊むすびをひとつ、家内はふつうのおにぎりをふたつ、それにお茶を買って650円である。山賊むすびとはこの地方独特のおにぎりのようで、四種類の具のはいった大きなものだ。車内で湯をわかして即席味噌汁もくわえた。セブン・イレブンのレシートにはサンフレッチェ広島と水戸ホーリーホックのゲームの宣伝がはいっていた。8月30日(土)18時30分から広島ビッグアーチと。山口県の人も広島ファンが多いのだろうか。

 7時30分に出発した。内陸の菊川町からR191の海岸線にむかう。県道をすすむが分岐がおおくてわかりづらい。迷走気味である。地図をみるとクスノキの大木があるという『くすの森』にひかれた。行こうとするが道をまちがえてR191にでてしまう。しかも考えていた地点よりも大幅に手前だ。だいぶ無駄にはしってしまった。国道を北上すると『くすの森』の看板がでている。しかしまた県道にもどるのが面倒で通過してしまった。日本最大樹のひとつとガイドにあったので心残りだが、いつとは知れぬつぎの機会とすることにした。

 さびれた国道を北上していく。Pキャンのできそうな漁港や公園は見あたらない。昨夜この道をPキャン適地をもとめてはしったとしたら、かなり心細かったに違いない。道の駅にして正解だった。進んでいくとサイクリストがいた(自転車の旅人のこと。今は死語になっていて、最近ではチャリダーと軽薄に呼ぶ。しかしこの言葉は使いたくない)。ソロでキャンピング車にサイド・バッグをフル装備している。25くらいの青年で日本一周中のような風情だった。サイクリストは昔はたくさんいたが今は少なくなった。今回の旅で見かけたのも彼ひとりであった。

 

 角島大橋 走行中の橋

 山口県の日本海側の西端にある角島入口に到着した。角島と本州をむすぶ優美な『角島大橋』を見てみたかったのだ。橋なんてどうでもよいと言っていた家内も、じっさいに目にすると色めきたつ橋の造形だ。展望公園にのぼるとよく見える。浅い、入り江のような海、日本海とは思えない南国の青色をした浅瀬に、真白い橋がゆるやかに上下してかけられている。橋のデザインは全体に丸みをおびていてやわらかい。左手には大型リゾートホテルがたち、客がプライベート・ビーチのようになっている浜辺を散策している。波打ち際にはイルカのような大型の魚がうちあげられていた。橋も海も浜もまぶしいくらいに美しい。ここは日本の渚百選に選ばれている。

 橋なんてと言っていた家内が運転したいと言いだした。橋を渡りたい、と。家内の運転ではしりだす。橋は途中からのぼりになって対岸の島にいたる。美しい橋も車ではしればふつうの橋とかわらない。遠くからながめるのが一番だ。橋をわたりきると島にも展望公園があり、行ってみたのだが逆光でよろしくない。海の色の青さが台無しだ。橋を訪ねたときの最高の景色は、大橋をいったりきたりして求めればえられるだろう。

 角島では橋のほかに見たいものはなかった。しかしこのまま通過するのももったいないので、辺境の島の風情を味わうために灯台をたずねることにする。誰もいない道をいく。人がいない島だ。灯台に近づいてみると路肩に有刺鉄線がはりめぐらせてあり、駐車禁止の看板が嫌になるほどならんでいる。混雑することもあるのだろうがいまは誰もいない。看板がよけいに目立つ。駐車禁止の看板の列の先には魚介採取禁止の看板があらわれた。これまたうんざりするほどある。

 灯台で景色をみたいと思っていたのだが、こんなにうるさく看板を見せられては、角島の排他性をみせつけられた気分になり、こちらもこの島が嫌いになってくる。しかも灯台の駐車場は有料とある。看板に気分を害された上に、観光客がひとりもいない駐車場に金をはらってまで車をとめたくない。ここには有刺鉄線でかこまれた海と灯台があるだけなのだから。

 セレナをみると駐車場係りの老人が腰を浮かせたが、こんなところに一銭たりとも落としたくない。このまま島を出ることにする。魚介採取禁止の看板には、つりができるのは島内六ヶ所だけ、と書いてありあきれた。こんな話は聞いたことがない。つり人の自由を制限することが法律上可能だと思っているのだろうか。島の海は自分たちだけのものだと考えているようだ。橋のなかった昔から海のものは自分たちだけで独占してきたから、橋で本州とつながって余所者が来るようになったら、自分たちの権利が盗まれたとでも感じているのだろうか。余所者の税金で橋をかけてもらったというのに。ここは自分たちだけの理屈で生活している異端の地のようだ。看板には続きがある。つりをする場合のつり方の指定と、つり餌の配合比率まで指定しているのだ。ここは自分たちで法律もつくってしまう地だ。日本ではない。

 角島にいたのは15分ほどだろうか。自然、風景とよいものがあるのだが島民の品性がすべてを台無しにしている。島を我が物顔で通過していった本州の人間もいたのかもしれないが、この対応はひどい。ただ通過しただけでもこんなに気分が悪くなるのだ。これでは島の発展もないだろう。久々に気分をわるくして観光地を去る。角島には二度とこない。

 次の目的地の仙崎にむかう。日本海沿いのR191を東進する。なにもない田舎の国道だ。長門市街をぬけて仙崎の『金子みすゞ記念館』についたのは10時だった。海岸沿いの臨時駐車場にセレナをとめたが、記念館まで300メートルの距離がある。細い路地にはいって仙崎の商店街にむかうのでわかりづらい。広い駐車場は無料だった。

 

 金子みすゞ記念館 記念館の並び 仙崎の町並み 郵便局にはられた詩

 非常に暑い。陽光が白熱している。光がつよすぎて風景が白く退色しているのだ。350円×2人 の料金をはらい入場する。入館に際して記帳すると、首都圏からですか、と係員がつぶやいた。たしかに一番遠来の客であった。

 みすゞ記念館はみすゞのつとめていた書店を再現したもので、金子文英堂と看板がでている。なかにはみすゞの生涯が展示されていた。明治・大正時代を地方都市に生きて、童謡詩人の活動をしたみすゞ。女学校をでて結婚し、一女をなして、詩をつくっては投稿した。一部の作品は注目された。しかし詩作を夫に反対され、家庭生活も破綻して離婚、子供を夫にとられることになり、自殺してしまう。

 昭和5年、26才だった。辛い生涯だ。みすゞの詩は明るく、きざむテンポもよく流れていくのに、彼女の人生は私たちからみると悲しい。そして展示は無名だったみすゞが再発見され、注目されていく過程にうつる。金子みすゞは歴史に残るべくしてのこったのだろう。偶然に見えるみすゞの再発見も必然であろう。みすゞを再発見した人が注目しなくとも、ほかの誰かがみつけたはずだ。以前から岩波文庫の詩集に数編のみすゞの詩が掲載されていたと記憶しているので。(記憶です。まちがっていたらメール等でご指摘ください。訂正します。)

 正直いってみすゞの詩は好きではない。童謡詩人なので作風が単純で平明だからだ。ここを訪ねたのも家内の希望である。しかし閉鎖的な時代と土地で、真摯に生きようとしたみすゞの生き様を知ってしまうと、好きではないからといって敬遠することができない人物になりそうだ。家内は詩集を何冊も買い求めていた。

 仙崎駅から町の中央をとおって記念館へいく道は『みすゞ通り』と呼ばれている。軒のひくい昔ながらの町並みがつづく。商店や民家にはみすゞの詩が木札などに書いてかけてある。有名な詩がたくさんある。立ちどまって読んで歩けば旅の抒情もたかまるだろう。

 11時30分に仙崎をでた。北にひろがる名勝地の青海島を見たいところだが時間がない。これまたつぎの機会として萩にむかう。萩までの距離はみじかく1時間ほどの行程である。はしっていくと長崎ちゃんめんの看板がでていて、ここで昼食にしようとするがみつからない。萩市内を通過してしまいそうになったので、たまたまあったガストにはいった。ランチセットをたのんでふたりで1165円と安い。萩まできてガストでもないだろうという話しもあるが、そのとき食べたいものを食すればよいのだ。

 萩ではまず町外れにあった萩焼会館にいってみた。焼き物を見るのは好きである。しかし好みのものは見あたらない。みやげにみかんケーキを大小3個2730円で買って会館をでた。松陰神社にむかう。高校の修学旅行以来だ。空いていて神社の駐車場にとめることができた。萩も暑い。松下村塾、松陰旧宅などを見るがさすがに傷みがすすんだ印象だった。

 

 高杉晋作生誕地や木戸孝允旧宅のある地域 焼き物店 鍵曲

  つづいて萩城跡へ。市の駐車場は有料なのでとなりのみやげ店の無料駐車場にセレナをとめた。210円×2人 の料金をはらって萩城跡にはいる。入場券は旧厚狭毛利家萩屋敷長屋共通入場券となっている。しかし暑くてすこし歩いただけで汗だくだ。日差しはつよく、とても徒歩ですすめそうにない。城跡を訪ねるのはやめてしまう。萩市街にもどって自転車で観光しようかとも考えたが、この炎天下ではそれも嫌なので車で移動することにした。

 エアコンを強力にきかせつつ萩市街をいく。萩では焼き物が見たいと家内がいうのでガイドブックにのっていた『雅萩堂』にはいった。ここは作家物を中心としているだけあって、芸術的な、センスのよい品がならんでいる。凝ったデザインのカップ・アンド・ソーサー、一客5千円と、いかにも萩焼という白い肌のぐい呑みにひきつけられて、カップのほうが気に入ったのだが五千円は高いので、ぐい呑みを2100円で買った。 

 

 萩焼のぐい呑み

 つづいて萩焼の店をのぞいていく。2軒、3軒と。車でながしていくと市民球場のちかくに市営の無料駐車場があり、大型バスなどが多数出入りしている。ここから高杉晋作の生誕地や木戸孝允旧宅などがちかく、ガイドに先導された観光客がおおぜい歩いていて、われわれも車をとめた。

 日差しがやわらいできたので自転車を借りることにして、球場入口にあるお好み焼き屋の『ひろちゃん』でお世話になる。1時間250円とのことで名前を聞いただけで貸してくれた。自転車二台で鍵曲(かいまがり)にいく。鍵曲は城内に侵入した敵をまよわせるために道が鍵の手にまがり、左右を高い塀でかこんで見通しをわるくした町並みである。舗装されていないところもあって昔のままの風景だ。萩の観光は自転車でするイメージがある。高校生のときにそうしたからだが、自転車でまわるのがちょうどよい萩だった。

 萩駅方向も自転車で探索し、途中の焼き物店を見てあるく。家内が何点か買い求めていた。店主が自分の好みの焼き物をならべた店がたくさんある。店主と感性があえばたのしい買い物ができるだろう。そして萩にもオニヤンマがたくさんいる。焼き物も史跡もオニヤンマも見飽きない萩だった。

 17時40分にひろちゃんにもどった。1時間40分借りたのだが料金は1時間分だけでよいと言う。250円×2台で500円だ。ここではじめに訪ねた雅萩堂にもどる。家内が先ほど目にしたコースターをどうしても買いたいと言うので。これを買って萩観光は終了した。

 きょうは早めに風呂にはいることにした。ガイドブックによると公共の宿泊施設『ウェルハートピア萩』で入浴できるとでている。さっそくいってみると17時で終了したとのこと。まことに公共施設らしい欲のない運営だ。しかし、シーサイド・ホテル、萩本陣ホテルで立ち寄り湯ができることを教えてもらった。ここでそれらの場所まで聞いておけばよかったのだ。しかし別のホテルが萩本陣ホテルだと思い込んでしまい、礼を述べただけで外にでてしまった。

 萩本陣ホテルだと思っていたホテルにいくと別のホテルだった。記憶ちがい、思い込みである。ならば海沿いにいけばシーサイド・ホテルがあるだろうと思っていってみるが見あたらない。しからば目についたホテルにきけばどこでも入れてくれるだろうと安易に考えて尋ねてみるが、萩は大観光地だけあって風呂だけの客は受け入れていない。3軒のホテルにきいて断られてしまい、ここにいたってついに萩本陣ホテルの場所をたずねた。はじめからそうすればよかったのだ。萩本陣ホテルは東萩、松陰神社の先の山の上だった。聞けばすぐにわかる。1時間も迷走してしまい、家内のご機嫌も斜めになってしまった。

 急坂をのぼってホテルにいくと、さらにその上に『萩本陣妙徳温泉』があった。立派な建物と施設で本格的な温泉である。料金はひとり千円とたかい。しかし萩で温泉なので妥当か。法被姿の下足番にチケットをわたして温泉につかった。

 19時30分に萩本陣ホテルをたつ。明日は津和野をみて帰郷する予定である。津和野までかなりの距離があるので夜のうちに近づいておきたい。萩から津和野へは山間の県道をいくのが直線的だ。しかし分岐のおおい県道を夜走るのは神経をつかって嫌なので、海沿いの国道191号線を田万川町までいって津和野へ南下するルートをとることにした。

 一本道の国道をすすむ。夕食をとりたい時間となったが店がない。暗い、日本海沿いの道である。海産物をあつかう食堂があるだろうという予想ははずれてしまった。萩のはずれの大井でようやく見つけたのはコンビニのローソンだった。弁当とお茶などを1638円で購入し、駐車場で食べてはしりだす。車の旅は夜の移動ができるから距離がかせげる。バイクだとテントの設営などがあるため、暗くなると動きたくなくなるからこうはいかない。もっともバイクはその不自由さをおぎなってあまりある魅力もある。興味のある方はバイク・ツーリングもご覧ください。

 21時に田万川町の道の駅『ゆとりパークたまがわ』に到着した。ここから南下すれば津和野で道の駅もある。行ってしまおうかとも考えたが、疲れてきたのでここでP泊と決めた。

 ルームランプをつけて運転席からセカンド・シートにうつりPキャンの準備をしていると、いつの間にか正面にパトカーがとまりこちらを注視していた。ナンバーを確認したり、我々を観察したりしているようだ。家内は助手席にいたがセカンド・シートにいた私と話をしていたので気づかない。職務質問を受けるくらいならこちらから出向いてやろうと、家内に知らせて腰を浮かせると、家内はおどろいて振り返り、警官たちと目をあわせた。家内を見たパトカーの警官は、はじかれたように移動をはじめる。どうやら我々は不審者リストからはずれたらしい。もともとルームランプをつけていて、外から丸見えだったからあやしいところなど一点もないのだ。パトカーはとなりにとまっているスモークをはったキャラバンを観察しだした。

 パトカーは去っていった。家内はセカンド・シートにうつってカーテンを閉じ着替えをはじめ、私は運転席にもどって焼酎を一杯やりだす。周囲には仮眠をとるトラックが10台ほど、Pキャンの車も5台ほどいた。そのトラックのあいだを若い女が歩いている。明らかに場違いな服装、ミニスカートにタンクトップ姿だ。トラックに同乗している女性だろうと思ったが、そうではなかった。遊びたいのか、金がほしいのか自分をアピールしている。しかしトラックの人たちは寝入っているのか反応がない。そもそも運転席に人影はないのだ。

 そのうち女は私に気づいた。運転席にすわっていたのは私だけなのだ。女性はセレナの前のベンチに移動し、足を組み替えたり、ためいきをついたりする。カーテンで見えないが後ろに家内が乗っているんですけど。家内に言うとカーテンの隙間からのぞいておどろいている。さきほどのパトカーはこれを警戒していたのだろうか。家内の顔をみて年齢を推測し、間違いなく夫婦だと感じて去ったのだろうか。

 女はあきらめて去っていった。道の駅ではじめての出来事だった。

  

 

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