彌太郎さんの話 山田太一 新潮社 2002年 1600円+税

 あざといほどに上手い人情小説。

 山田太一のドラマが好きで気がつけば必ず見ることにしている。じつはテレビ・ドラマはほとんど見ないから、山田太一は特別な存在だ。人間の弱さや人生の辛さがピリリと効いていて、水準が高くて失敗がない。山田太一原作のドラマは見てきたのだが、小説や戯曲を読んだことがなかったのではじめて試してみたのがこの作品である。

 書き出しはよくない。『途方もない話だし、証拠もない。つくり話として読んでいただく方が書きやすい』。凝ったつもりかもしれないが、大風呂敷を広げておいて、結局大したことがないのではないか、と感じてしまう。しかし稀代のストリー・テラーは、そんな不安をすぐに吹き飛ばし、読者を作品世界に一気に引き込んでしまうのである。

 物語はこんな設定は有り得ないという人生を送った男が、自分の半生を語る内容になっている。時代は戦前戦後で舞台は浅草、場末の食堂や飲み屋で雰囲気がよい。食べているのはいつも上カツ丼で、酒は燗した日本酒である。そこで考えられないような人生が、小出しに、読者の興味をそそるようにして少しずつ語られていく。

 こんな奇想天外のストーリーをよく考えついたと感じるし、それに付随するエピソードも真実味があり、その発想と飛躍力に感心する。テレビドラマの脚本家らしく、心理描写や背景描写はごく少なくて、ストーリーと会話で物語を展開していく。ストーリーに起伏があり、きわどいことや眼を背けたくなるもの、眼も当てられないことも織り込んで変化をつけている。純文学はストーリーに起伏がないものだが、そうではない山田太一の作品は次々にハプニングがおこって、テレビ的で派手であるが、それが面白い。

 難は作者が自分でこんなことはないだろうと感じているところで、言い訳をするように、会話で弁解じみた発言を登場人物にさせることである。読者もすべて納得して作品を読むものではないが、作者に弱気になられてしまうと興醒めしてしまう。多少理屈に無理があっても、作品中では押し切ってくれたほうが読後感はよい。それだけ作者は繊細で誠実なのだろうが。

 ラストは考えもしなかったものとなっている。ストリー・テラーだが線を引かないから、伏線の技法は好まないようだ。こう終わるのか、と意外な結末に感心したが、誠に人生の機微をつかんだ、あざといほどに上手い小説である。

 

 

 

 

 

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