9月5日(水) 富良野に遊び十勝川に敗北す

 

 栗沢町ふるさとの森キャンプ場の朝

 

 4時40分に起床した。快晴である。寒さは思ったほどではなかったが、夢見が悪かった。水流の音が響くなかで眠りについたのだが、その流れのなかからゴーストが立ち上がり、テントごと小川に引きずり込まれる夢を見たのだ。これも眠る前に水流の音に気をとられていたから、そのままの夢で、私は単純なんだなと思う。しかし昨夜はその続きがあった。

 場面は職場に移る。仕事が終わり、電車で帰宅する途中で携帯が鳴った。社からの一斉緊急連絡で、ドアの閉まりかけた電車に、次長が飛び乗ろうとして失敗し、電車とホームのあいだに挟まれて、轢死したと言うのだ。

 次長は何人もいるからどの人なのかわからない。私はその下の課長だ。しかし駆け込み乗車は私もよくやるから他人事とは思えない。最近も危ない目にあった気がするが、とにかく急いで社にもどった。

 同僚たちも次々に会社にもどってくるが、次長が死んだ、ということだけしかわからず、混乱していて、誰に話しかけても答えがかえってこない。誰が亡くなったのかわからないままだ。あの人か? いや、あそこにいる。それではこの人なのか? いや、この人もいる。よくよく見ると、次長すべてがその場にそろっていた。

 これはどうしたことなのか困惑してしまった。しかしそのうち思いあたった。死んだのは次長ではなく、課長ではないのか、と。次長と課長を間違えるというのはいかにもありそうなことだ。

 急いで周囲を見た。課長でこの場にいない者を確認する。しかしやはりそろっているのだった。これはどうしたことなのか。誰かが死んだのはまちがいがない。誰なのか。そのときふと思った。
 もしかしたら死んだのは私ではないのか?
 私は皆とここに座っているつもりだが、ほんとうは死んでいて、誰にも見えていなくて、存在を感じられていないのではないのか。だから私が話しかけても誰も答えないのではないか。そう言えば電車に乗ったときの記憶がない、…‥恐い目に会った気がする!

 恐怖心がピークに達し、飛び起きてしまった。しかしまだ暗いのでまた眠り、またしても誰かが死ぬ夢を見てしまった。その夢をひきずりながらテントからでて、活動を開始するが、夫婦もサイクリストも起きてくるようすはない。テントから荷物を運び出してパッキングし、朝食のラーメンを作るために炊事場で水をくんでみると、昨夜は暗くて気づかなかったが、水は白濁している。しばらくすると澄むのだが、かなりの量の薬品が入っているようだ。これでは生水は飲むなと書いてあるはずである。沸かせば大丈夫だろうと思い、沸騰させてから塩ラーメンを作り朝食とした。

 トイレにいって記憶にのこるほど快調にすませ、歯をみがき、顔もあらって、爽快な気分で6時20分に出発した。昨日走ってきたR234を岩見沢にもどり、国道12号線に右折して、またすぐに道道917号線に入って桂沢湖にむかう。道はすぐに登り坂となり、朝早くから仕事にむかうたくさんのトラックにはさまれて山をのぼっていった。

 夕張メロン城が気になっていたが行くのはやめた。夕張メロンをみやげに送ることが目的で、メロン城が見たいわけでも、炭鉱の歴史に触れたいわけでもなく、この時間にでかけてもメロン城が開くまで待たなければならないからである。この先にもみやげは何かあるだろうと思い、夕張メロンは断念することにした。

 桂沢湖には7時20分についた。気温は15.7℃と低い。昨日の宿泊予定地に桂沢湖国設野営場が入っていたのだが、寒さを考えて避けたのは正解だった。その桂沢湖から国道452号線に入って富良野に下っていく。国道に入ると車のペースが速くなった。とくに大型トラックが飛ばしていて100キロ以上の速度で走行している。山道だが雪国のためかRの大きな高速コーナーがつづく。カーブの曲がり具合がわかっているのか、大型トラックは減速もせずにコーナーに突っ込んでいく。こちらはとてもそんな走りはできないから道をゆずるが、峠道でトラックに抜かれたのは初めてのことだった。

 大型トラックが100キロ以上のスピードでコーナーに進入すると、車体はフルロールし、転倒するのではないかと感じられ、後ろで見ていて恐いほどである。大型トラックはアクセル・オンのままコーナリングして、カーブの出口が見えるとさらにアクセルを踏み込む。直線では120キロほどだしていて、ドライバーの能力としても、トラックの性能としても、100パーセントの力で走っている感じだが、何かあれば避けられないと思う。そうまでして急ぐ必要があるのだろうかと疑問に思うが、トラックはどの車も同じような走りをしていた。

 危険走行をつづけるトラックについていくのはやめて、次々に道をゆずり、5台の乗用車グループの最後尾について山を下っていく。やがて渓流があらわれたので走りながら観察すると、よい渓相である。とあるところに入渓点を見つけ、ウェーダー(釣り用バカ長)はつけずに、竿とエサだけもって釣ってみることにした。

 

 銀ピカの虹鱒25センチ

 

藪を歩いて川にでる。いかにも釣れそうなポイントがあったので、0.6号の太い仕掛けにブドウ虫をつけて流してみた。しかし反応はない。ここもダメなのかと思いつつ下流に移動していくと、早瀬が岩にぶつかっているポイントで当たりがあった。反射的に山女の当たりをとるスピードであわせると、速すぎてすっぽぬけてしまう。これは山女ではないと思い、もう一度仕掛けを流れにのせ、今度は当たりがあっても十分に食い込ませてからあわせると、かかった! しかも大きい。魚は下流に走ろうとするが、果たせないと知ると一転して上流にむかう。ラインが太いので強引に寄せると、銀ピカの虹鱒だった。25センチほどの幅広の魚体だ。さっそく写真をとる。この魚をキープしても、夕方に食べるころには痛んでしまうだろうからリリースした。

 つづいて段になって落ち込んでいるポイントからもきた。これまた銀ピカのレインボーで、すごくきれいな魚でよく太っている。サイズはやはり25センチで、この魚も写真をとって流れにかえした。その後は小さな淵をさぐっていて根がかりしてしまい、仕掛けを切ってしまった。予備はバイクに置いてきてしまったので、2匹のレインボーに満足して竿をおさめることにした。

 道路では相変わらずトラックが疾走していた。路肩を歩いていると、猛スピードで横をいくトラックの速度と振動が恐いほどだ。釣りをしていた時間はわずか20分ほどだったが大満足して走りだす。するとすぐ先に『熊出没注意』の看板がでていてゾッとしてしまった。

 この先にも良さそうな川があったが、熊が気になって釣りをする気持ちにはなれない。一気に山を下って富良野の町に入ると、道路脇にゴミ収集箱があったので、焼酎のペットボトルとラーメンの袋を捨てさせてもらう。栗沢町のキャンプ場はゴミ持ち帰りなので荷台にしばりつけてきたのだ。

 9時に富良野駅についた。富良野ではテレビ・ドラマの『北の国から』の舞台となった麓郷を見にいきたいと思っていた。なにしろドラマのはじめからリアルタイムで見てきたファンなのだから。駅前で道を確認して道道をいくと、市街地はすぐに尽きて、田園地帯をまっすぐに走る道となった。思ったよりも距離があるし、また良い川が流れていたりもする。釣れそうな渓流に眼を惹かれるが、早く北の国からの地に行きたいので通過し、9時25分に麓郷の森についた。

 観光バスが2台とまっている。つづいて2台やってきた。乗っているのは年配の方々だが、北の国からを見たことがあるのだろうかと思う。パック旅行で連れてこられただけではないのか、と。私が大学生のときに始まったこのドラマは、都会を捨てて田舎暮らしをするという後ろむきの内容から、当時の大人たちには人気がなかった。景気の良かった時代である。頑張ればもっと豊かになれると信じられたころで、都会で仕事に打ち込むのが当り前で、負け犬の物語に大人たちは冷淡だったのだ。それは当然だと今では思う。すべてを捨てて、競争のない田舎に逃避したいという気持ちはわかるが、そんなことはできるはずもなく、眼前の仕事をこなし、家族を養い守らなければならないのが大人の責務なのだから。しかし『北の国から』は時代の先見性があったと思う。豊かさを追い求める時代は終わり、不況の長い現在では、田舎暮らしに憧れる人も多いし、当時ドラマが気に入らなかった人も、長いあいだに魅力にとりつかれて、訪ねてくるようになったのかもしれない。

 

 麓郷にて

 

 気温が低い。革ジャンを着ているとちょうどよいくらいで、シャツ1枚の観光客は寒がっている。森を歩いていくと真新しい山小屋があった。何代目かの山小屋だそうで、観光客が群がって写真をとっている。少し離れて、山小屋全体が入る位置に三脚をたてて私も記念撮影をした。
「ここでの休憩時間は15分です」とバスガイドが言っている。なんとびっくり、たったの15分とは! 神威岬の30分もあまりに短かったが、パック旅行はそんな時間しかかけないようだ。

 山小屋のまわりにはログハウスが2件あって、レストランとみやげもの店になっていた。観光客は山小屋をバックに写真をとると、小奇麗なログハウスをのぞいてバスにもどっていく。私は森の奥に保存されているという、初期の山小屋を見にいった。ドラマでは燃えてしまったはずの小屋や、いちばんはじめの小屋も残されていて、ドラマのシーンがよみがえる。18年前にスズキのGSX400Fで富良野に来たときも『北の国から』は放映されていた。しかしライダーやサイクリストのなかで麓郷に行ったという者はごく少数で、『北の国から』がこんなに長くつづいて人気がでるとは思いもよらなかった。私は18年前にラベンダーを見に富良野に来て、たまたま会ったライダーにドラマの地に山小屋があると教えられはしたが、訪ねることはしなかった(興味のある方は『1983年の北海道ツーリング』をどうぞ)。

 はじまりの山小屋の前でしばしたたずみ、駐車場にもどった。風が強くなり気温はさらに下がる。つづいて現在の五郎の家、石の家を見にいくが、こちらは撮影準備中とのことで公開されておらず、残念ながら見学できない。立ち去り難く周囲を歩いていると、メロンを売っている店があることに気づいた。夕張で送れなかったメロンである。北海道みやげとしては最適だと思っていたのだ。近づくと売店のおばさんの売込みがすごい。大声をあげて、
「食べてみて」と試供品をくれる。メロンは美味しい。ちょうどひとり旅のおばあちゃんが発送の手続きを終えたところで、バイクの男の子がメロンをひとつ送るか考えているところだった。ここに来た記念にメロンを送ろうかと考えていると、おばさんの売り込みに熱がはいる。頑張る人、元気な人は大好きなので買う気になり、
「送料はいくらかな?」と聞くと、
「そう、送料はちょっと高い。でも、それだけの価値はあるし、どうしても高いと思うなら、車に積んで帰ればいい。帰ったころ、ちょうど食べごろになっているから」
 とまくしたててくる。そんなに送料は高いのかと思うが、
「バイクだから持っていけないよ」と言うと、おばさん送料を言うが、メロン1個ほどの値段で大したことはない。北海道から自宅や実家に送って3日後には着くというのだから、妥当な料金だろう。どれを送ろうかと考えていると、おばさん誤解したらしく、
「送料なんて、家に帰ってその分頑張って仕事をして、稼げばいいんだから、安いもんだよ。お兄さん、旅費を考えれば安い。すぐに稼げちゃうよ」
 送料を聞いて買うのをやめてしまう人が多いようだ。
 それじゃあ、送ってもらおうかな、と言うと、どれにする? とおばさん。4個入りの5千円のをふたつ、と言うと、途端に態度が変わり丁重になった。言葉遣いも丁寧になる。ついでにおばさんがやっている隣りのみやげもの店のクッキー1000円もいっしょに送ってもらうことにした。

 メロンをひとつ送ろうとしていた男の子はいつの間にかいなくなってしまった。私の前のおばあちゃんはメロン1個と1000円のジャガイモを送っていたから、やはり不景気だ。
「来年、メロンができたら案内状を送ります」というおばさんの声に送られて石の家を後にした。貧乏ケチケチツーリングで最高の出費だが、自分が楽しんだ分、人にも何か送らなければと思っていた。とくに家族には。ところで翌年からおばさんの言葉通りメロンの案内状が届くようになった。おばさん個人の店なのかと思っていたら、『農事法人 緑豊農場』という法人がやっていて、以後毎年メロンを送ってもらうようになった。赤肉のメロンは価格が安く、美味しくて、品質もよい。送った先の方も喜んでくれて、毎年楽しみにしてくれているので、私としてもとてもよい出会いだった。

 富良野の町にもどっていく途中で、来るときにも気になった渓流が眼につく。やはり良い川だ。しかし今日は十勝川の源流部で釣りをするつもりなので通過した。国道38号線を南下していく。あまり先に行くと狩勝峠にかかり、安価な食事がとれなくなるので、山部のJAに入り、親子丼とサンマの竜田揚げを求め、JR山部駅前にあった無人の公園のベンチで食した。

 11時だった。日差しは強くなり、食べていると暑いので革ジャンを脱いだ。親子丼をかきこみ、サンマの竜田揚げをバリバリとかじる。水道があったのでガブガブと水を飲み、ポリタンクもいっぱいにした。R38を走る車の人と眼があうが気にならないから、完全な旅人になっているのを感じる。空腹が満たされて幸せな気分になった。

 公園の横に東大演習林の案内がでていた。先日テレビのドキュメンタリー番組で、ここが紹介されているのをたまたま見たのだが、同じ種類の木ばかりを植林するのではなく、さまざまな木が自然に生えて育つのを待ち、少しずつ伐採する、自然林が保たれる林業法の実験の紹介をしていた。昼食のためにたまたま入った公園の奥に、演習林がある偶然が楽しい。嬉しい気分なのだが、その気持ちのままで職場に電話をして業務内容の確認をした。いろいろと話をして電話を切ると、やはり旅人にはなりきれていない自分に気づく。同僚と会話をすれば頭の中は仕事のことでいっぱいになってしまうのだ。9日間だけの旅人、休暇中だけのかりそめの放浪者だから仕方がない。浮世からは逃れられないのだ。

 11時30分に出発した。十勝ダムキャンプ場にいって荷をおろし、空荷のバイクで釣りに行こうと急ぐ。なにしろ十勝川では50センチ級のスーパー・レインボーがかかるというのだから胸がおどる。大きい魚は食べづらいからリリースして、塩焼きにちょうどよい20−25センチくらいの型を2匹キープし、今宵酒を飲もうと考える。しかし十勝の山のなかは寒いだろうなとも思うのだ。冷え込むと辛いので。そして今日で旅も5日目、半分が過ぎてしまったと何度も考える。人生のハイライト、この楽しいツーリングも半分が終わってしまったのだ、と。

 国道は登り坂となった。前後に車はいなくなり80キロで走行する。気温は徐々に下がっていき、やがてBMWK100LTが追いついてきた。10年位前のモデルでサイドバックとテールボックスを装備している。中国地方のナンバーで、ライダーは私と同年代だ。荷物からして宿に泊まるスマートなツーリングのようだ。BMWは直線は100キロから120キロ、コーナーは私よりも遅いがパワーに物を言わせて先行していった。

 樹海峠をくだって狩勝峠にのぼっていく。BMWは前方にチラチラと見えていたがやがて視界から消えた。標高があがっていくと急激に寒くなる。やがて狩勝峠。644メートルと標高はそれほどでもないが、冷え込んでいて震えがくるほどだ。BMW氏がとまって写真をとっていたので、私もバイクを駐車場にいれたが、眼下に見える風景はそれほどでもないから、すぐに国道にもどる。峠には半ズボンのカブの若者もいたが、見ている私のほうが寒くなるほどで、北海道に短パンは無謀だよ。

 狩勝峠を下っていくとすぐに新得、十勝岳やトムラウシの入口だ。山岳地に入るので給油をした。22.38K/L。96円で1492円。店員に岩松ダムまでの距離をたずねると、
「さあ、どれくらいだか…‥、2時間くらいですよ」という返事がかえってきた。
「?」である。
「途中でジャリ道になるんです。けっこうかかります」
 国民宿舎の東大雪荘のあるトムラウシ温泉と間違えているのだ。釣りをしない人に小さなダムのことを聞いてもわからないのだろう。

 道道75号線に入り屈足で道道718号線に左折して北上する。牧草地のあいだの直線を走っていく。『トムラ登山学校』という施設があり土地柄だなと感心した。すぐに岩松ダムにつく。ここと上流にある十勝ダムのあいだで釣りをしようと考えていたが、道路と川の落差が大きく、崖になっていて、とてもではないがおりていけない。川を見ながら走っていると十勝ダムキャンプ場についてしまった。

 とりあえずキャンプ場の下見をしておこうと、ダムの下にあるサイトにいってみる。ここは北海道電力が運営し、無料で開放しているキャンプ場だと知って、東京電力は何故こうしないのかと思う。北海道電力よりも事業規模が大きく、はるかに利益があがっているし、山間部にいくらでも土地を持っているのだから、消費者に還元すべきではないのか、と。

 サイトは芝生の張られた清潔なものだった。トイレと水道の必要最低限の設備があるだけだが、私としてはこれで十分だ。なにしろ最近流行りの施設がいろいろあってキャンパーの多いキャンプ場は、キャンプ場ではないと思っているくらいなのだから。ただし昼でも日陰になっていて肌寒いから、夜はさらに冷え込むことが確実で、それが恐い。また携帯は圏外だった。

 泊まるところの目途はついたから、本命の釣りだ。大物釣り、スーパー・レインボーである。予定を変更して十勝ダムの上でやることにして走りだす。時間がもったいないから荷物はおろさない。ときおり川に下りていくジャリ道があるが、荷を満載したDRで入っていく気になれずに通過する。橋がかかっているところがあり、ここでやろうかと思ったが、もっと楽に川におりられるところがあるかもしれないと考えて走り続けると、トムラウシの集落にでてしまった。小学校があり、子供達が道路脇で写生をしている。この先は源流部となり、熊と会う危険性が高まるので、トムラウシのはずれでUターンし、さっきの橋にもどることにした。

 

 十勝川で大物釣り

 

 14時に橋について川を見るが、ここでやるほかないようだ。路肩で釣り支度をととのえて橋から川に下りていく。熊が恐いので熊鈴は当然つけているし、ホイッスルも鋭く吹きながら藪のなかを歩く。熊は匂いに敏感で、風上の匂いをかぎながら、風上にだけ移動する用心深い習性があるため、タバコをふかし、さらに蚊取り線香までつけて腰に提げておいた。

 川にでると熊の痕跡はないか河原を注視する。鹿の足跡はあるが熊のものはない。いささかホッとする。鹿のほかに釣り人の新しい足跡もひとり分あった。鹿のものはごく新しく今日のもの。それもあまり時間はたっていない。釣人は今朝か昨日のものと見たが、足跡の新旧は輪郭の崩れ具合で判断するのである。

 川は水が少ないように感じられたが、釣りをするのに問題はなかった。日は高く革ジャンにセーターを着ていると暑いが、日陰に入ると寒いほどだ。大物にそなえて0.6号のハリスにキヂーーみみずーーをつけて川をさぐりだす。が、まったく当たりがでない。まわりの森に注意しながら、熊の出現におびえつつ釣りのぼっていくと、落差のある流れで小さな当たりがでた。ここでかかるとすれば虹鱒かエゾ岩魚のオショロコマだろうと考えていたので、食い込ませてからあわせると、オショロコマのチビがかかった。5センチのチビだ。

 その後も釣りのぼっていくが熊が気になって落ち着かないし、釣りに集中できない。唯一の人工物は橋だけで、まわりは原生林が広がっていて心細くなってしまうほどだ。ガイドブックには、一帯は熊の有数の棲息地で、単独釣行は厳につつしみたい、と書かれていて、それは前から何度も読んでいたのだが、今にも森から黒い影があらわれそうで、絶えず周囲を見てしまう。大型の折りたたみナイフをポケットに入れてはいるが、そんなものでは気持ちは支えられず、また橋が見えなくなるところまで、恐くてすすめなかった。

 これでは釣りをしていても楽しくないので竿をたたむことにした。釣りをした時間は30分足らずで、いちばん楽しみにしていた十勝川での大物釣りはあっけなく終わってしまった。まさかこんな結果になろうとは。不完全燃焼の中途半端な気持ちでDRの元にもどり、釣り支度を解く。八甲田で濡れてしまい、まだ湿っていたGパンをわざとはいたのだが、このまま乾かしてしまおうと考えてそのままとした。

 十勝ダムまでもどってこれからのことを考えることにした。そのダムについて、ダム下のキャンプ場を見るとホンダXL250のライダーがひとりいて、彼はサイトを歩いてキャンプ地を見定めているようだ。十勝川での釣りはもうしないから、朝晩は相当に冷えそうなここでキャンプはしたくないし、それならば先にすすみたい。ガイドブックを開くと本別町にある静山キャンプ場が眼にとまる。時間と距離、無料の料金と標高を考慮した。本別町は内陸にあるので朝の冷え込みは気懸かりだが、キャンプ場の裏には本別川が流れていて、山女や虹鱒が釣れると書いてある。300円のバンガローもあるそうなので、300円ならば借りてもよいかと考えて、ここに行くことにした。

 

 十勝ダムのある東大雪湖

 

 山をくだり屈足で道道133号線にはいる。ここで職場に電話をするといちばん要領の悪い同僚がでた。業務がうまくいっていないことはわかっているので、その上で特によくないこと、私が判断しなければならないような問題がおきていないか知りたいのだが、その判断能力がなくてラチがあかない。何かあるような口振りなのだが、それは保身のための擬態で、自分でもわからないで喋っているようだ。どうにもならないので別の人間に折り返すように言って切ってしまうが、休暇で楽しんでいるところなのに、仕事のことで苛々させるなよ、と怒りつつ走りだした。

 道道133号線はグネグネとまがっていく。鹿追で国道274号線と合流して、すぐにまた別れる。音更に入っていくが、道道は狭いし見通しが悪いのでスピードがだせない。しばらく行くと高校があり女子高生がバス停にたくさんいた。通りかかると全員で立ち上がり、手を振ってピースサインをだし、キャーキャー言いだす。道道にライダーが来るのは珍しいのか、それともただ騒ぎたいのかーー後者だろうーーヘルメットとゴーグルで顔が見えないし年もわからないからだろうが、こんなに女の子に騒がれたのは後にも先にもこのときだけだから、北海道に来てほんとうによかった。

 音更川をわたる地点で道を間違えてしまい、帯広方向にいってしまう。勘で道をえらんでルートを修正するが、正しい道なのかわからずものすごく不安だ。しかしうまくもどることができたようだ。職場のことも気にかかる。要領の悪い同僚が何か問題があったようなことを言っていたからだが、道が国道241号線であることを確認すると、また職場に電話をした。するとまた要領の悪い同僚がでて、しばらく誰かにたずねているようすがした後で、
「特に何もありません」だって。なんなんだよ、と思い電話をガチャ切りした。

 R241を北上して池田町にぬける道道31号線に入った。ようやく本別町に近づいてきたが、時刻は17時で暮れるまでに時間がなくて気が急く。スピードをあげるが、なんだか毎日おなじ夕方のドタバタになってしまう。

 池田町までの25キロを25分で走った。時速60キロということになるが、狭くて見通しが悪く、起伏のある道だからかなり飛ばした。コーナーでは減速するので直線はアクセルをワイド・オープンする。暮れてくる時間となりまたしても余裕をなくしていた。欲をだして走りまわり、当然の結果として時刻が遅くなって、気持ちのゆとりをなくしてしまう。いつもの悪い癖だ。もっとゆったりと旅をするべきだと思うのだが、できない。どうしてもこうなってしまうのだ。

 北海道らしく、ひらけた、おおらかな田園風景があったし、サイロがたち、牛が放牧されている牧場もあった。写真をとりたいと思ったが、時間が気になってしまい、またしても通過してしまった。この先にも同じようなところはいくらでもあるだろうと考えたのだが、過ぎてみるとなかった。画像をのこしたいと思った光景も、よくに見もせず、片目でながめただけで走りぬけたのだ。旅は強欲なくらいに精力的にいきたいのが私の主義で、貧乏性のなせる業だが、これは後になって失敗したと後悔した。心にのこる景色は写真にとっておくべきだった。

 池田町で国道242号線に入って北上した。本別まであと23キロ。やはり余裕をなくして飛ばしていく。国道は交通量が多く思うように走れないのがもどかしい。大型トラックが抜けずに苛々する。荷物を満載したカブ君を手をあげながら抜いたが、ミラーを見るとカブ君は手を振っていた。

 ついに本別町に入った。町の中心部にいたると、『義経の里 本別公園』の看板がでている。その標識にしたがって道道658号線に右折して、踏切をわたり、山をのぼっていくと、キャンプ場はすぐだった。静山キャンプ場は本別公園の一画にある。道道の左に芝生のサイトがひろがり、その奥には本別川が流れ、山林につづいている。右手は駐車場で清潔なトイレもあった。

 キャンプ場についたのは18時前だった。到着してみれば時間はまだあり、これならばもっとゆっくりすればよかったと、後悔、反省するのもいつものことか。バイクは駐車場にとめることになっているが、まずサイトに近い歩道に乗り上げて荷をおろし、キャンプ場に運び込む。空模様が怪しかったので、大きな木の繁りの下に野営地を定めた。

 荷物をおろすと何よりもまず本別川を見にいった。流れは細くて浅いが、暮色が濃くてよく見えない。明日あらためて見ることにして荷物のもとにもどった。ところで本別川のほとりには犬小屋のような小さな建物がならんでいた。少し高床式になっていて、3人用の三角テントのような形とサイズで鍵がかかっている。木造で古びて痛み、ペンキもはげおちていて、はじめは物置なのかと思ったが、少したってから気がついた。これが300円のバンガローなのだ、と。

 このバンガローはひどかった。たしかにテントは張らずにすむが、中で座るのも苦しい大きさだし、明かり取りの窓もないから、入口の戸を閉めたら中は真っ暗になってしまう。本別町の役人が考えたのだろうか。それとも大工が知識もなく、キャンプ場のバンガローはこんなものだと思って作ったのか。いずれにしてもキャンプやバンガローに対する知識不足もはなはだしく、お話にならないレベルの低さだ。本別町では野外活動だなどと言って、ここに子供を寝かせたりしたのだろうか。

 キャンプ場自体は広くて清潔で、必要最低限のものだけがある好ましいものだった。空いていて、広い敷地にテントは5張りしかなく、ゆったりとした密度で散らばっている。キャンパーはテントの中にいるのか、外にでている人はいなかった。

 テントを張り、今夜はラーメン雑炊はやめて米だけを炊くことにした。その間にエアー・ベットのポンプを踏むのはもう日課である。これまで翌日の天候の心配などしなかったが、天気のサイクルが切り替わろうとしているようで、明日からの空模様と、それからタイヤが心配だ。リヤ・タイヤは毎日チェックしていたのだが、もう山がなくなりそうで、帰りの距離を考えると交換しなければならないが、DRのタイヤ・サイズは特殊なので、都内のショップでもまず在庫はないのだ。それを北海道で首尾よくみつけることができるのか不安だった。

 飯炊きは失敗してしまった。水の量が多すぎたので途中で捨てて調整したのだが、逆に芯がのこってしまった。水を足して炊きなおすのも面倒なのでそのまま食べることにする。日は暮れた。テントの前で椅子にすわり、サンマの蒲焼き缶詰を火にかけて、ヘッドランプの光の中でつましい夕食をとる。芯のある米はまずいし、また多く炊きすぎてしまった。それでも満腹するまで食べ、残りは明日の朝食にすることにした。ここはゴミは持ち帰りで捨てることはできないし、第一もったいないからである。

 食後は隣接する温泉旅館の山渓閣へ入浴にいく。この旅館は名前は立派だが、建物は古い木造の二階屋で、かなり痛んでいる。見たことがないくらい老朽化している旅館だが、それでも2階の窓には5・6人の浴衣姿の宿泊客が見えて、壁に一泊二食で5500円と書いてあるから、それなりに客はいるのかと感心するようなところだった。

 旅館の入口に、入浴料金は大人400円、子供200円、21時まで、と書かれた紙が貼ってあった。ガラスの格子戸を引いて中に入ると、靴脱ぎをあがった先に昔のタバコ屋のような受付があり、白いカーテンがかかっている。声をかけると75くらいのひどく腰の低い経営者がでてきた。風呂に入りたいと告げると、低姿勢で料金を受け取り、風呂の場所を説明する。私の眼を決して見ない人だった。

 ブカブカする廊下を歩いて風呂にいくと、浴室もひどい状況だった。水道管を埋めてあるコンクリートの壁に、赤錆が浮き出ているのだ。壁のなかの水道管が錆びて、それが壁の表面に染み出てしまっている。洗い場に等間隔にならぶ蛇口の上には、縦に赤錆の線が走り、それをつないでいる横の水道管の錆びも壁にでている。浴室の壁が縦横の錆び模様になっていて、しかもコンクリートの下部はくずれており、ギザギザだ。漏水も多いようで脱衣所からして湿っぽい。そして風呂全体がアンモニア臭かった。温泉の成分のようだが、こんなに臭い温泉も初めてだった。

 先客がひとりいたがすぐに出たのでここも私の貸切となった。体を洗って広さだけはある湯船につかる。山渓閣は後継者がいないから設備の更新をしないのだろうか、それとも利益がでていないからできないのか、と考えた。昨夜の栗沢温泉もそうだったが、好景気のときはそこそこ流行っていたと思う。バブルのころは休日に空いている温泉をさがすことがたいへんなくらいだったのだから。それが不景気になってホテルや旅館が選別されるようになると、最初に敬遠されてしまう宿なのだと思う。もう少しお金をかけて、工夫をすればかなり違ってくると思うが、それは大きなお世話だろう。

 風呂の帰りに受付で単3電池を2本買った。主人は慌ててしまって、ボール箱に入った商品をなかなか取り出せない。盛んに恐縮しているのを背に旅館をでたが、電池は2本で140円だった(山渓閣は2008年現在営業していないようです)。

 ヘッドランプの電池をかえたら見ちがえるほど明るくなった。それでもトイレの中のほうが明るいので、トイレで今日のメモをつける。しかし途中で入ってきた人に驚かれてしまい、そして、バイクの人はたいへんだね、と言われてしまった。その方はレガシーでPキャンをしている旅行者だった。

 トイレではほかの人の迷惑になるのでテントでメモをつけることにする。歩いていくと、さっき国道で抜いたカブ君が到着したところだった。カブ君はこの時間になっても急ぐ素振りはまったくなく、このくらいゆったりと旅をしなければならないと思うのだが、私にはできないことはわかっている。

 いつものようにエアー・ベットの上に腹ばいになって、焼酎を飲みつつヘッドランプの明かりでメモをつけていく。ラジオはまた音がでるようになった。昨夜のキャンプ場は谷間にあったから電波状態が悪かっただけのようだ。

 自宅に電話すると、家内は今日も母を見舞ってくれたとのこと。昨日、もしももう一度来てくれるなら、同室の人たちに配るお菓子を買ってきてくれと頼まれて、それを持参したそうだ。同室の人たちにはもらいっぱなしで心苦しいとのこと。家内が帰るときに入れ違いで父が来たそうだ。私はメロンを送ったと言った。家内の実家にも、と。

 寒さ対策は万全を期した。ジャージの下にスキー用のタイツをはき、シャツとセーターの上には釣り用のカッパを着込む。風呂上りで体が冷えていくのにしたがって着ていき、毛布にくるまってシュラフに入った。北海道は革ジャンと毛布が必需品だと思ったが、タイツは保険のつもりで、じっさいに使うことになろうとは考えていなかった。しかし持参していて助かった。

 今日はライダー、サイクリストとも多かった。次々とピースサインをかわしたが、サイクリストには必ず手を振った。昔、私がサイクリストだったときにそうしてもらったことがすごく嬉しかったからである。しかし同じような旅人という仲間意識があるから自然と手があがる。ヘルメットとゴーグルで顔を見えず、年がわからないことも都合がよい。分別臭い気持ちを捨てて、若者にもどったような気分になれるのが、心地よかったりもするのである。

                                            361.3キロ  17724円