9月7日 史上最悪のツーリング 台風のなか幽霊まで…‥

 

 

 キャンプ場の朝 

 5時に眼がさめて5時15分に起床した。雨はまだふっていないが霧がでている。冷えこんでいて気温は10℃くらいな感じだった。ラジオをつけると台風はまだ島根県沖にいるらしい。しかし雨がふることは確実とのこと。風雨が強まるそうなので、和琴にいそぐことにして準備をはじめた。

 定番のラーメンを煮て、昨夜買ったネギを小出刃できざみこんで食べた。インスタントラーメンもネギをいれるだけで一味ちがうものである。キャンプ場にはライダーが多いが、ミニバンで長いあいだ旅をしている感じの50から60くらいの男性が4・5人いた。旅慣れた彼らは生活感いっぱいで、車と木をむすんだロープに洗濯物を干し、その横で朝食をとったり、ミニバンを横付けにした東屋を別室代わりにしたりしている。彼らは旅が日常になっている、長期間旅行者特有の雰囲気をまとっていた。車ならば台風もなんともないだろう。車内で大雨が去るまで停滞していればよいのだから。楽だろうと思うが、うらやましくはない。私もミニバンはあるが、バイクのほうが好きだから、DRで来たのであるから。

 となりにテントをたてていた新潟ナンバーの大型スクーター、フォルツァのつぎに、6時40分に出発する。スクーターの青年はテントからでてくる気配はなかった。昨夜買物にいった美深の町にはいると、先にでたフォルツァをぬいた。ミラーにうつったフォルツァはオホーツク方向に転進していく。私も本来ならばおなじ方向にあるピヤシリ林道、奥珊瑠林道などを走行する予定だったのだが、いまは叶わず南下していく。セイコマがあったのでゴミを捨てさせてもらい、アルカリイオン水と焼酎2リットルを買ったのは6時58分だった。

 通行料無料の名寄バイパスがあり、この10キロを利用した。ここは昨年も通行したのだが、あっという間に終わってしまう自動車専用道路だ。気温は13℃と表示されている。7時20分にバイパスをでてR40にもどると、雨が、ふりだしてしまった。覚悟はしていたのだが、午前中はもってくれるのではないかと思っていたので、少々ショックである。しかしこうなったらどうしようもないのでカッパをつけることにした。

 国道わきにバイクをとめて雨具をきる。バッグからカッパをとりだしたとき、湿っている感じがしてたしかめたのだが、気のせいだった。しかしこれが今後のことを暗示していたようだ。ブーツカバーをつけてグローブも雨用のものにかえる。もしかしたら雨はやむかもしれないと、自分に都合のよいことを考えるが、車のワイパーはとまらず、憂鬱な気分になった。

 R40は昨年もとおっていたのでつかいたくなかった。名寄からR239で東の下川へいき、そこから道道を南下して岩尾内湖をみていこうと考えていたが、雨のため中止する。山のなかを走行するのはやめてこのままR40をたどり、一刻もはやく和琴にいくことにした。

 このときはまだ、和琴に避難、と気楽に考えていた。昼食は足寄の大阪屋食堂でジンギスカンをたべて、夜は和琴ですごそうと。台風が大したことがなければ、キャンプもできるかもしれないと、安易に思ったりもしていた。

 雨のなかを走るのは嫌なものなので気分はもりあがらない。しかし雨天走行にも慣れてくると気持ちも落ち着いてきた。すこし寒いだけでほかに支障があるわけでもないので、雨もまたよし、と昔から雨のアウトドアで呟く口癖をいってみたりする。どこも濡れてこないので耐えられないことはない。のんびりと走り、和琴にいけばよいのだと腹をかためた。 

 

 

 新調してきたヘルメット きのうの宗谷岬にて この日は画像が少ないので

 坦々と走行するがヘルメットをかえてきてほんとうによかったと思う。フルフェイス型なので顔はぬれないし視界は良好だ。ゴーグルのときは雨が顔にあたって寒かったし、時に強い降りだと痛かったりもして、視野もせまく走行に難儀したものだった。下士別で気温は14.5℃となっている。その先の士別では大きな西條デパートがあってびっくりしてしまった。西條デパートは稚内だけにある小さな百貨店だと思い込んでいたので、ほかにこんなに大規模に店舗があろうとは、失礼ながら思いもよらなかった。

 和寒をぬけて塩狩峠の登りにかかると雨がはげしくなった。たたきつけるように強くふる。塩狩峠をこえると『夢ロード・塩狩パーク』というトイレと東屋のある休憩施設があったので、ただ雨のなかを走りつづけるのはおもしろくなく、変化をつけようと、寒さ対策をすることにした。

 バイクからダッフルバッグをはずして東屋にはこびこみ、荷物と雨具の防水を確認してみた。たしかめるまでもなく万全だ。ここでカッパを一度ぬいでGパンの上にオーバー・パンツをはき、防寒対策をする。これまでは少しだけ下半身が寒かったのだが、これで層雲峡をぬけていっても寒気を感じることはないだろう。雨具のすそやチャックの締まり具合を点検していると、会社から電話がはいった。業務を託してきた先輩からで、私にしかわからないことを聞かれたのだ。時間は8時30分で都内は30℃とのこと。一方旭川の北、塩狩峠は13℃と言うと先輩はおどろいていた。

 昨夜キャンプ場でいっしょだったスクーターの青年が前を通りすぎていく。上衣は雨対応のジャケットだが、下はGパンにスニーカーではしっている。昨夜彼は、雨がふりだしたら旭川のホテルに避難すると言っていたので、そうするのだろうと後ろ姿を見送ったが、雨にぬれての走行はさぞかし辛かろうと、他人事のように思った。

 土砂降りの塩狩峠をくだっていく。雨具の下につけたオーバー・パンツはよい感じで暖かく、これで不満はなくなった。雨もまたよし、とまた口癖もでる。旭川の街にはいっていくと寺が格段に大きく立派になった。北海道の郡部の寺社はみすぼらしいものが散見され、地域に力がないのだろうかと感じられるが、都市部になると見ちがえるほど壮麗になって、ただ通過するだけの旅人の私もホッとする。地域の活力をしめす寺社は手入れが行き届いてほしいと願うからだ。

 雨のなかでも働いている人はおおい。道路工事の人たち、ゴミの収集、田の稲を見まわる農民、そして遊んでいる私。看板にしたがいR39にはいり層雲峡にすすんでいく。旭川は大都市だが都会に興味はないので、一気に通過する。雨は土砂降りではなくなったがなお強く降りつづけていた。

 坦々と走行するが首が冷たくなってきた。ヘルメットと雨具の襟のあいだから雨水がはいってしまうようだ。しかし大したことはなかろうとすすんでいく。たまにバイクとすれちがうが、こんなに強い雨のなかを走るライダーは私とおなじく、装備をかためているなと思う。そうでなければこの雨のなかを走ったりしないだろう、と。しかし妙なことに、手首もすこし水がしみているようなのだ。

 上川では日本一うまいラーメンと看板をだしている店があった。相互リンクをしていただいている永久ライダー、北野氏のHPにも登場するが、美味しくはないとのこと。そんな感じだなと思いつつ店のまえを通過し、移動をつづけるが眠くなってしまった。休憩もとらずに走りつづけるのもよくなかろうと、ホクレンで給油をして休むことにする。21.53K/L。130円で1680円。

 料金をはらい、缶コーヒーを買ってソファにすわったのは10時5分だった。GSの女性に台風のことをたずねると、直撃コースに乗っている、とのこと。きょうと明日は雨、とのことだった。きょうはともかく明日も雨降りではこまるなと思いつつトイレにいく。カッパをぬいでみると、なんと水がしみこんで革ジャンの胸がぬれているではないか。これはまずい。さっきから冷たかった首と手首をみてみると、こちらの浸水はさらにひどい。しかし部分的なものだろうと考えた。このときもっと事態をふかく分析すべきだったが、何か手をうつことはできなかっただろう。GSを出発するときに、フラッグはありますか? とたずねると、もうなくなってしまったとのこと。ハタがなければ利用しなかったホクレンだ。以降、フラッグあります、と看板をだしている店しかはいらなくなった。

 山をのぼり層雲峡にはいっていく。何年振りの層雲峡だろうか。1981年に自転車できたとき以来だと思いいたった。流星の滝、銀河の滝、大函と観光名所があり寄り道もしていきたいのだが、雨はまた土砂降りである。とても止まってなどいられずに走りつづけた。カッパの浸水はすすんでいて、どうやら全身で水がしみていると気づく。ようやくカッパはダメなのだと悟った。どこかで買い替えなければならないが、この先に店があるとしたら上士幌だろうかと考えた。

 ふつうの雨ならカッパももちこたえたかもしれない。事実上川までは大してしみてこなかったのだ。しかし台風の大雨で用をなさなくなってしまった。テントやシュラフ、ヘルメットなど、2001年の北海道ツーリングで痛い目にあった部分は補強してきたのだが、雨具は大丈夫だったので神経をつかわなかった。しかし考えてみればこのカッパは7・8年は使用していて、交換すべき時期だったと思われ、やはり私の油断だった。

 土砂降りの山岳路をカッパの浸水になやまされつつすすんでいく。やがて大雪湖にでたが、まわりの車はR39をそのまま石北峠、北見方向にいく。R237へ折れたのは2001年のときとおなじく私ひとりだった。湖ぞいの道をはしり森林帯にはいる。4年前にもみた森のたたずまいをながめつつ走行した。

 山深いところだ。しかし2001年にここを走ったときも土砂降りだった。私の三国峠は大雨と決まっているような感じだが、状況は今回のほうがきびしい。前回カッパは万全だったが、いまは防水機能がなくなって足まで水がきている。雨具のしたにはオーバー・パンツをはき、その下にGパンをつけているのだ。そこを肌まで雨水がきている。辛い状態になってしまった。

 樹海のなかを走行していく。鹿とびだし注意の看板があり、前後に車はない単独走行なのでライトをつけてすすむが、集中していられない。80キロから90キロで漫然と走りつづけてしまい、たまに注意をとりもどす状態だ。鹿にとびだされたらよけられなかっただろうが、幸い鹿とは会わなかった。鹿もこの土砂降りではどこかで雨を避けていたのだろう。

 坦々と80キロで走りつづける。水のしみこみも坦々とすすむ。三国トンネルをこえると三国峠PAがあり観光客がやすんでいる。私も休憩したいが、バスや自家用車の人たちのなかへひとりでいけば、ずぶ濡れの私はみじめなのではいらなかった。

 

 

 土砂降りの三国峠 しかもピンボケ

 土砂降りの雨はふりつづく。路上をながれる水の量が降水量を如実に物語っている。樹海をくだっていくと、眼下に雑誌などによく登場する、赤い高架橋がみえた。写真をとろうと、トンネルの入口のひさしの下にバイクをとめて歩いていく。雨にけむった橋をみて全身をたたく雨滴を意識した。カメラがぬれないように懐にいれ、休むこともままならずに先へすすんでいった。

 川をわたったさきに無料の温泉があることで有名な、岩間温泉への分岐があったはずだが、気づかずに通過した。このときは70キロさきにある上士幌までたえてすすみ、カッパを買い替えることだけを考えていた。上士幌までいきさえすれば、この辛い状況は終わるのだと思い込んでいた。

 足の浸水はだんだんとひろがっていた。もちろん上半身もだ。ひたすら耐えて80キロの一定速度ではしるが、あまりにも辛いので、近くのホテルにでも泊まろうかという考えが頭をよぎる。カッパの買い替えなどあとまわしにして、台風が去るまで避難してしかるべき事態だ、と。一方でまだ時間は午前中なのだから、とにかく上士幌までたえていこうとも考えていた。

 近年人気がでてきた、糠平湖のタウシュベツ・アーチ橋にいく林道がある。私もたずねる予定だが、いまはとてもではないが林道をはしっている場合ではない。糠平湖畔をすすみ、ホテルが建ちならぶ一画をぬけていくが、糠平ホテルが気になる。250のオフロード・バイクが1台とまっていたので、私も雨天走行はやめてこのホテルにはいり、温泉につかってビールでも飲みたいと考えたのだった。

 上士幌までの距離が1キロごとに表示されていた。あと60キロ、もう50キロかとたえていく。途中にある旅館が強力な引力を発揮している。私に、泊まっていけ、こんなに辛いずぶ濡れの雨天走行はやめてしまって楽になれ、と言うのだ。これは台風なのだ、尋常な雨ではない、無理をせず楽になれ、と。

 上士幌までの距離があと5キロに近づいたとき、これまでの土砂降りをはるかにしのぐ強烈な雨となった。猛烈な量の大きな雨粒がふりそそぐ。思わず息をとめるほどの雨の勢いだ。雨が路面につきあたり、水しぶきがあがって落ちてくる雨とまじりあい、むせかえるようにけむって、視界が極端にわるくなる。雨粒が体や路上にあたっている様は、正に炸裂している感じで、全身に炸裂弾の連打をあびているようだ。前方を走っていたダンプカーの群れも速度を極端におとし、止まりそうなスピードでノロノロとすすんでいる。私も車であったならダンプカーの後についていっただろうが、バイクで、きかないカッパをきて雨にたたかれているので、ダンプをぬいて先へいった。

 猛烈な雨のなかを手さぐり状態ですすみ、ようやく上士幌にはいった。やっとついたのだと安堵しながらすすむと航空公園の看板があり、ここにあるキャンプ場でキャンプは無理だろうかと考える。露天は無茶だろうが、東屋でもあればそこにテントをはって台風をやりすごせるかもしれない、と。それよりなによりも、この町のホテルに泊まるべきではないのかとも考えた。和琴にこだわっている場合ではない。屈斜路湖まではまだ距離があるし、ホテルに避難してしかるべき、強烈な雨とぬれねずみなのだから。

 いろいろと考え、迷いつつ上士幌の町をいく。とにかくカッパがほしいのでホームセンターかバイク店、スーパーはないかとR273をいくが、何もない。そうこうするうちに町はずれについてしまい、これはいけない、もどらなければとR241にはいってひきかえそうとすると、この足寄にいく道は上士幌にはもどらずに東へいく。もどろうかと思うが、いま通ってきた上士幌の町にはホームセンターなどはないのかもしれない。すくなくとも町のメイン・ストリートには、何もなかったのだ。

 上士幌にさえつけば状況はよくなると思い込んでいたので、落胆は大きかった。辛いことはすべて終わると考えていたので。成り行きで足寄にむかってしまっているが、そこへいくほかないとも思った。ビバークしないなら、すすむほかない。上士幌にカッパはないのだから足寄にいくほかないではないか。足寄までは28キロと表示されている。一方国道ぞいの安宿が、私のような旅人がとびこむのを見込んで看板をだしていた。
『素泊まりOK、きょう泊まれます』
 ここに避難しようかとも考えるが、またしても時間はまだ早く、足寄にいけば、あの町ならばカッパはあるはずだと、迷いつつすすむのだった。

 強い雨はふつうの降りになったが、水の浸入はいよいよきびしくなってきた。下半身はすでに肌までぬれていたのだが、上半身も肌まで水がきてしまった。首からデジカメをさげているので、ちょうどあった道の駅、足寄湖にとびこんだ。トイレにいってカッパを脱いでみるが、上半身は、革ジャン、セーター、シャツ、下着とぬれてしまって全身びしょ濡れである。デジカメや携帯、財布などをビニール袋にいれて防水対策をすることしかできない。あとはもう、足寄にむかうほかないのだ。

 雨のなか走りだす。足寄の町の手前にはドライブインをかねた宿があり、心ひかれるがとにかく町にはいっていく。すると町の入口にワールドホームというホームセンターがありとびこんだ。びしょ濡れの姿で女性店員にカッパ売り場をたずね、案内してもらう。ここで完全防水と宣伝文句のはいった屋外作業用の雨具を4179円で購入した。時間は12時44分だった。

 店の入口で新しいカッパに着替えた。革ジャンもオーバー・パンツもぬれているので、古い雨具を脱ぐのも、新しいカッパをつけるのも手こずった。古いカッパは店に捨ててもらう。カッパを新しくしたら気分も落ち着いてきた。これ以上濡れることはないのだ。とにかく足寄まできたのだから、朝からの予定通り評判の大阪屋食堂でジンギスカンをたべようとはしりだす。しかしぬれた革ジャンはきつい。乾かすのに時間がかかりそうだし、水をすって重い上に、肌触りは最悪で、扱いにこまった。

 一時は足寄にいくことさえも無理ではないのかと感じた。大阪屋食堂もダメだ、と。しかしなんとかここまで来ることができたのだ。あとは昨年はみつけることができなかった、大阪屋食堂をさがすだけだと注意しながらすすんでいくと、国道が信号を右にまがっていく地点を直進したところ、道の駅あしょろ銀河ホール21のむかいに店はあった。去年は反対方向からきたので眼にはいらなかったのだ。

 また雨がつよくなった。台風接近中の土砂降りの荒天だが、こんな日にも大阪屋食堂は営業していて暖簾がでている。よかった、地獄に仏、とバイクを店の裏の駐車場にすべりこませた。大阪屋食堂はライダーハウスもやっているので、ライダーたちが避難しているらしく、バイクが7・8台とまっている。駐車場には若いカップルのライダーがいて、私に会釈をして店にはいっていく。そのとき店の勝手口からおばさんが顔をだして、
「ひどい雨だねぇ」と言った。
「もっとバイクをつめればいいのに」とつづけているので、どうやらライダーハウスに泊まりにきたと思われたようだ。私はここに宿泊する気持ちはまったくなく、食事をしたら走りだすつもりなので、バイクはつめずに店にいく。ライダーハウスにいるのは若者ばかりだから、そのなかへ入っても場違いだし、話もあわず、気まずくなるのに決まっている。もとより若者に気をつかうつもりもない。私は自分のしたいように振る舞いたいのだ。ならばどんなにひどい雨でも走りつづけて、台風のなかでもキャンプしたほうが気楽というものだ。

 店にはいると、ひどい雨だよ、とまたおばさんが言っていた。2階がライダーハウスなのか靴がたくさん乱雑にぬいであり、4・5人の若いライダーが階段から顔をだして私をみたが、すぐにひっこんだ。新入りがきたと、カップルがご注進におよんだようだ。びしょ濡れのヘルメットをぬいでご主人に、ジンギスカンをお願いしたいのですが、とたのむと、コンロのおいてあるテーブルを無言でしめす。イスには座布団が敷いてあったが、カッパでぬれてしまうのではずして腰をおろした。ご主人は冷凍庫から肉をとりだして鉄鍋にならべている。
「これがよく、雑誌などにでている評判の料理ですよね」とたずねると、やはり無言でうなずいていた。

 店には小あがりがあり、大阪屋食堂の名前のはいったTシャツをきた青年がテレビをみていた。天気予報をやっていたのでこれからの天候をきくと、予想コースの南をとおった場合は直撃、とのこと。私がライダーハウスに泊まりたいと言いださないのでおばさんが聞いてきた。
「きょうはどこまで行くんだい?」
「屈斜路湖まで、行こうと思っています」
「屈斜路湖、あと、どれくらいだろう」
 テレビをみていた青年が、
「100キロ、いや、110キロくらいかな」
 その距離ならばあと2時間くらいだろうか。いずれにしてもかなり近づいた。

 

 

 大阪屋食堂のジンギスカン

 料理はすぐにでてきた。鉄鍋に肉と野菜をならべて特製味噌をかけるだけなので。それをコンロにかけ、好みでニンニクをいれて食べろと、無口なご主人は最小限のことばとしぐさで説明する。じつは私はジンギスカンは苦手なのだ。独特のにおいがどうしても気になってしまうので。しかしここの料理は有名なのでどうしても試してみたかった。今回の旅にはいくつかの目的がある。きのう到達した函岳山頂や和琴半島湖畔キャンプ場、十勝岳周辺の長距離林道群、然別峡の鹿の湯、そしてここのジンギスカンと和琴のヒメマスのちゃんちゃん焼き。ぜひとも味わってみたいと思っていた。

 焼きあがった肉がにおいがあるのではないかと身構えつつ、口にいれてみた。かすかなにおいはあるがほとんど気にならない。そんなことよりも、熱々でじつに美味しい。肉も野菜も。特製味噌の味もよいしニンニクがよくあう。思わずどんぶりのご飯といっしょに一気にかきこんでしまった。やはり評判なだけはある。食べる価値のある一品、790円だった。
 お金をはらいながらおばさんに、
「美味しいですね」と言うと、
「やらかいでしょう」と答える。
 じつはジンギスカンは苦手で、ほんとうは食べないのだが、これはいけますね、と言うと、
「肉がちがうし、味噌もちがう」とのこと。
「はじめて食べたの?」と聞かれてうなずくと、
「いまは往き? それとも帰り?」と問う。
「往きです」と答えると、それじゃあ、また帰りによってください、ライダーハウスもやっていますから来てください、これからもずっとやります、来年も、ずっと、店もライダーハウスも、とおっしゃる。
 帰りに来られたらまたきます、と言って店をでようとすると、小降りになったようだね、よかったね、と背中に声をかけられた。また食事にはくるがライダーハウスには泊まらない。ライダーハウスは金のない若者が宿泊する場所で、よい年をした男がいくところではない。どんなに安くとも、無料であっても、若者ばかりの空間に、彼らとおなじ視線にはなりえない私はいたくない。せっかく遊びにきているのだから、誰にも気をつかわずに、自分の流儀をとおしたいではないか。台風でほんとうに困ればホテルにはいればよいだけだ。

 大阪屋食堂のまえの道の駅には東屋があり、ライダーがふたり雨宿りをしていた。弱くなった雨のなかを13時20分に阿寒湖にむけてはしりだす。これで台風はそれていってくれればよいがと考えたが、甘かった。

 山岳路をすすむと、また雨は勢いをとりもどしてはげしくなった。しかも一度ぬれてしまった服は、カッパだけかえてもどうなるものでもない。そとからの浸水はなくなったが、一度しみこんだ水は内部へどんどん入りこむようで、衣類にまんべんなく水分がまわり、水びたし状態はさらにすすむ。どうにも具合がわるいので、道路わきにあった休憩施設、トイレのある駐車場にバイクをとめた。

 雨はまた土砂降りである。休憩所のトイレのまえには新型の日産キャラバンが1台と、大型トレーラーが1台とまっていた。トレーラーの運転手は豪雨のなか荷物にかけてあるロープを締めなおしている。彼もずぶ濡れだ。これもたいへんな仕事だなと思いつつトイレに歩くと、キャラバンの人なのか、65くらいの男性が、トイレの軒下にヨークシャー・テリアをつれてたっていた。小柄なにこやかな男性で、小型の毛足のながい犬を横にしたがえて、ちんまりとたっている。これまた不思議な光景だが、休んでいるのだろうと考え、会釈をかわしてトイレにはいった。

 トイレのなかで洋服を点検すると、革ジャンから下着にいたるまでじっとりと濡れてしまっている。一度ぬれてしまったら乾くことはないのだ。ただ寒くならないことだけが救いだった。台風の熱帯性の雨なので冷えないようだ。ぬれた服はどうすることもできず、このまま行くことにしたが、このさきの山岳路で気温が下がらないことを祈るのみだった。

 トイレの外にでるとキャラバン氏はまだ立っていた。キャラバンは関西ナンバーだ。私もすぐに走りだしたくはないので、軒下にたってキャラバン氏と話しあう。キャラバン氏は愛犬と車で寝泊りしながら1ヵ月も北海道にいるそうだ。しかも今年だけではなく、5年連続で北海道に来ているという。私が『放浪』ということばを使うのが恥ずかしくなるほどの漂泊ぶりだ。キャラバンは新車で手入れが行き届き、フロント・ガラス越しに見える車内もきれいに片づけられていて、長期間旅行者特有の乱雑さ、生活臭はまったく感じられず、几帳面な人なのだなと思った。

 私も去年はミニバンできたのですが、今年はバイクにしたんですよ、と言うと、車もいいけど、バイクはバイクのよさがあるよね、と答える。よくよく話をきいてみると、15年以上まえにホンダのCBX400カスタムで、1ヵ月北海道をはしったことがあるそうだ。これは筋金いりの北海道病、北海道好きだ。会話がはずむ。しかしこのくらいの年の人とは話があってしまって、若い人とはダメなのであった。

「しかし、1ヵ月もいられるなんて羨ましいですよ。私は1週間がやっとで、それ以上休んだら、会社のデスクがなくなってしまいますよ」と言うと、
「定年したからできるんだよ。それに家にいても、(金が)かかるのはいっしょやからね」
 独り者なのだろうか、と考えたが聞かなかった。たしかに家にいても生活費はかかる。生きていくには金がいる。おなじ金をつかうなら、好きな旅にでているほうがよいのに決まっている。

 小さなヨークシャー・テリアはじっとしている。この雨なので、もう走る気がなくなってしまって、トイレもあるから、ここに泊まろうかと考えている、とキャラバン氏。車ならそれができますよね、それがいいんじゃないですか、と私。私は屈斜路湖までいきますが、と。キャラバン氏は、ここに泊まっても、米を炊いて缶詰をあければ食事はできるし、この子の缶もある、走らなくてすめばよいのだが、と言う。

 トレーラーがでていった。キャラバン氏は顔色をくもらせたが、今年は電車の写真をとってまわっている、と語りだした。ローカル線をまわって、すくない本数の電車を撮影するために時間待ちをし、さまざまな電車をデジカメでうつして、もう3000枚以上の画像をPCに保存しているそうだ。なんだか私も引退したら、この人のようになってしまいそうだった。車かバイクで夏のあいだ北海道を放浪…‥。しかし、家内がそんなことをゆるしてくれるだろうか。たいへんな貢物が必要になるかもしれない。
「ところで」とキャラバン氏が言う。「あなたがここに来たときに、車は何台とまってました?」
「え? それは、キャラバンと、いまでていったトレーラーの2台ですけど、それが、どうかしましたか」
「じつはさっき、トレーラーの向こう側に赤い車がきて、女の人がトイレにはいったんだが、いつまでたってもでてこないし、車も、いつのまにかなくなってしまって…‥」
「…‥!」
 雨はずっと土砂降りだった。昼間だがふつうの日ではない気配がある。私には霊感はないが、キャラバン氏にはあるのかもしれない。私は幽霊をみたことはないが、いると信じている。この周辺はカーブのつづく山岳路だ。いろいろな事故があったのはまちがいないだろう。
「それは、恐い話ですね」
「そうでしょう? だからさっきから気にしてるんだが、どうもね。気がつかんうちに、でていくなんて、ないよねぇ」
「ありませんよ。トイレだって出入り口はここだけですし、いまだに出て来ないんでしょう? それに、車もでていけば、気づかないはずありません。ここに泊まるのは、やめたほうがいいんじゃありませんか」
「そうかもしれまへん。もうちょっと休んだら、どうするか、考えますわ」

 雨は小振りとなったのでキャラバン氏に別れをつげて走りだした。しかしまたすぐに土砂降りになる。大雨のなか全身ずぶ濡れではしるこの状況は、人生で最悪のツーリングだ。バイクにのりはじめてこんなにひどい目にあったことがあるだろうかと、自問自答するがどう考えてもない。和琴に泊まるという目的がなかったら、とおに走るのはやめてどこかで停滞していたはずだと思ったが、考えてみれば私はそんなタイプではないのだ。貧乏性で落ち着いていられない私は、和琴がなくとも、きっと何かほかに目的をみつけて、そこにむかっていたはずなのだった。

 そして状況はさらに悪くなった。足寄峠をこえて阿寒湖にくだっていくと、前後の車はすくなくなり、山岳路の分岐点には建設省の(道庁か?)道路パトロールカーがとまり、降雨量が通行止めの規定値にたっするのを待っている状態だ。いそいで行かないと道が通れなくなってしまう。

 阿寒横断道路をいく。山田深夜の小説『千マイルブルース』にでてくる『ニポポ人形』が売っていたら手にいれたいのだが、強い雨のなかで阿寒湖にバイクをとめる気になれない。そしてここから永山峠をこえて弟子屈にくだる道は、きょうのなかでも最悪の状態だった。豪雨だけでなく、強風がふきだしたのだ。雲が厚くなったのか急速に暗くもなってくる。風が音をたててふくと、路上をながれる水がさざなみだつ。山の下から突風がふくと、路面の雨水が逆流して坂道をのぼってくる。暗くなったのにトンネルがおおくあり、なかにはいると視界がきかなくて危険だ。トンネルを手探りですすみ、強風にあおられるカーブをトロトロとまがっていく。冷えこむことが恐かったが、それだけはなかった。

 弟子屈にくだっていくと吹雪よけの施設だろうか、道路わきにひさしのついた、透明のアクリル板でできているような壁が何十メートルも設置されていた。バイクをここにとめ、雨をよけながら、弟子屈から和琴にいく道がわからないので地図をみる。アクリル板が雨と風をふせいではいるが、細かい水しぶきが舞っているし、疲れもあってか集中力がつづかず、地図をみてもよくわからないのだった。

 冷静なときならば、地図をみてもわからないというのは尋常ではないと思うのだが、このときは異常とも感じずに走りだし、やっとの思いで弟子屈にたどりついた。ここまでくれば和琴まではあとすこしである。道の駅『摩周温泉』があったので立ち寄って、観光案内の方に和琴への道をきいた。親切に教えてくれたが、私が思っていた方向とはまるでちがっていたので、たずねてよかった。

 和琴にいくまえに買物をすることにした。なによりもまず傘がほしい。そして明日も台風がのこったとしても困らないように非常食もいる。そばはあるのだがそればかりでは飽きてしまう。2001年にツーリングにきたときに利用した、コープがこの先にあるはずなのでそこへむかう。するとコープはフクハラにかわっていたが、欲しかったものは手に入れることができた。15時47分だった。

 いよいよ和琴にむかう。弟子屈の町では、歩道橋の下にバイクをとめ、雨宿りをしながら途方に暮れているライダーがいた。彼とはピースサインを交わしたが、あのあとどうしたのだろうか。

 和琴までは15キロほどの道のりだった。ついに入口について半島にはいっていくと湖心荘があり、このさきかとすすむとキャンプ料金などがはってある湖畔にでた。受付はどこだろうかと周囲をみていると、うしろから車がきて、どうしたの? と声をかけられた。この方がオーナーだった。70をこえたくらいの方だ。
「泊まりたいのですが」と言うと、
「キャンプするの?」ときかれた。
 いや、バンガローを借りたいのですが、と答えると、奥で受付をするから、とオーナーはキャンプ場の奥へ車ですすんでいった。

 キャンプも考えたのだが、全身びしょ濡れでテントですごすのは無謀だとおもった。きょうはバンガローに泊まって服を乾かし、台風が去るのをまって、体勢をたてなおしてから、また大好きなキャンプを再開しようと考えたのだ。これはキャンプにこだわっている者としては苦渋の選択だった。敗北したような気分だが、判断はまちがっていなかったと思う。しかし湖畔にはテントがひとつたっていて、首都圏ナンバーの250オフロード・バイクが横にとまり、なかには人がいるようす。服さえ濡れていなければ私もキャンプをするのだが、無念だった。

 奥にある和琴レストハウスにいくとオーナーが待っていてくれて、ひとりでバンガローとなると高くなってしまうけど、いいかな、と言う。もちろんそのつもりだが、おいくらですか? ときくと、ふだんは4500円なんだが、台風で雨だし、ひとりでそんなに負担できないから、サービスして3000円なんだが、とのこと。それは大サービスでありがたい。これで落ち着くことができる。それでお願いします、とたのんだ。そしてこの旅にでるまえに、永久ライダーの北野氏にすすめられたヒメマスのチャンチャン焼きを賞味したく、
「食事はできますか?」とたずねると、
「18時すぎに、湖心荘にとまっている人たちが食べるから、その時間に、ヒメマスのフライ定食なら」とおっしゃるので、
「ヒメマスのチャンチャン焼きをお願いしたいのですが」と言うと、
「そっちかぁ」と答えるが、「でも、どうしてそれを知っているの?」と聞く。
「じつは、福島の自衛隊さんの紹介で」と北野氏の紹介であることをつたえると、
「なんだ、そうなんだ、了解」とおっしゃるオーナーだった。

 18時10分に湖心荘にいくことになり、キーをうけとってバンガローにむかった。バンガローはログハウス風の新しいものだ。さっそく荷物をおろすが、建物のなかに濡れたものをいれるのは憚られるので、ひさしの下にならべ、とりあえずぬれた洋服をぬいで着替えることにする。乾いたものを身につけるとホッとした。和琴レストハウスには乾燥機があったので、さっそくセーター、シャツ、Gパン、オーバーパンツを投入する。15分100円の料金で乾燥を開始だ。

 

 

  和琴半島湖畔キャンプ場のバンガロー

 乾燥が終わるまでのあいだ、弟子屈で買ってきた傘をさして周辺を散策した。バンガローは7・8棟あるが人がはいっているのは半分ほど。ひとりなのは私だけで、バイクのグループが一棟、ファミリーとカップルが一棟ずつだ。そして前述のようにテントはひとつだけ。テントの横には雨水がよけて流れるように溝が掘ってあり、そこを強くふった雨がとおり、にごった水は湖畔の砂浜にしみこんで、消えていた。

 濡れたものは15分ではとても乾かず連続乾燥をする。バンガローの周辺を歩いていると、半島の奥からいかにも風呂上りというという感じの男性がやってきた。露天風呂があるのだと思って見にいくと、、レストハウスにオーナーの息子さんがつめていて、露天風呂のことをきくと、すぐ先にあり、湯気があがっているから行けばわかります、とのこと。歩いていくと池のような露天風呂があり、誰もはいっていない。湯に手をいれてみるとぬるかった。しかし野趣あふれる風呂なので、今晩か明日の朝にでもはいってみようと考えた。

 

 

 和琴レストハウス前の砂浜 左前方が和琴半島 

 それにしても和琴はよいところだ。キャンプ場のまえの湖畔も美しいが、露天風呂も、そのさきの探勝路のある半島も、周囲の景色ともどもすばらしい。探勝路もすこしだけ歩いてみたのだがすぐに引き返した。わずかしか散歩していないのに、強い雨で着替えたばかりの服もびしょ濡れになってしまったから。

 乾燥は45分かけても乾ききらないので妥協した。乾燥機にいれることのできない革ジャンは、ダンガリーシャツの上にひろげて水分をすわせる。バンガローにはコンセントがあったので携帯とデジカメを充電してメモをつけた。18時に家内から電話がはいり、予定通り和琴半島湖畔キャンプ場のバンガローに落ち着いているが、一日中台風の豪雨のなかを走り、カッパもダメになって全身びしょ濡れになってしまい、まいったよ、と伝えた。すると、アウトドアってそんなものでしょう? それが醍醐味なんでしょう? と切りかえされて、ことばにつまる私だった。たしかにその通り。辛くとも、苦しくても、好きでやっていることなのだから、雨もまたよし、のはずだ。

 18時10分に湖心荘にいく。食堂にはチップ(ヒメマス)のチャンチャン焼きの準備がされていた。鉄鍋に野菜がもられ、その上にチップの半身がのせてある。チップは紅鮭が地殻変動によって海にくだれなくなり、湖に取り残されたものなので、身は紅鮭とおなじくあざやかな色だ。しかし半身はチップとしては大きい。

 

 

 チップのチャンチャン焼定食

 オーナーがきて自らチャンチャン焼きをつくってくださる。大きな切り身なので、養殖ですか? と失礼なことを聞いてしまったが、これは天然物で、オーナーが釣ってくるのだそうだ。

「それにしても大きいですね」と言うと、
「わかりますか」とオーナー。
「ええ、半身でこの大きさだと、頭と尾をいれれば、かるく尺をこえますね」
 オーナーはうなずくと、
「この魚は36センチありました」
「それは凄い」と思わず言うと、
「チップはふつう22・3センチです。これがいかによい魚か、わかる人はすくないです。わかってくれる人に食べてもらえて、嬉しい」と言ってくださった。

 チャンチャン焼きにはチップの刺身がサービスでついていた。特別なことで北野氏のおかげである。また大型の切り身をえらんでいただいたのもそうだろう。ビールをたのんで刺身を味わう。天然物はもちろんのこと、チップの刺身自体はじめてなのだが、サーモンを淡白に、上品にした感じである。天然物なのでコリコリとしていた。

 オーナーにチップ釣りのことをきいてみた。どのように釣るのですか、と。するといまは水深15メートルくらいのタナを狙うとのこと。10℃くらいの水温のタナがポイントなので、季節によってチップのいる深さは変わるそうだ。おなじ時期でも日によって水温は変化するので、たとえば6月は通常水深5メートルがタナだが、日によっては2メートルのときもあるそうだ。釣法はリール竿のトローリング釣り。毛ばりをトローリングするので専門用語では『ハーリング』と呼ばれる。リール竿から糸をだして毛ばりをタナの水深にいれ、船を動かしてタナのなかを移動し、毛ばりにチップがかかるのをまつのだ。タナと船をうごかす速度、もちろんポイントにノウハウがあるのだろう。

 ボートと道具をかりて、タナをあわせれば釣れますか? とたずねると、そんなにたやすいことではない、とのこと。自然相手なのだから、と。それはそうだろう。いくら自然あふれる北海道とはいえ、ぱっと来て釣りで結果がでるほど甘くはないことは、2001年のツーリング中に渓流釣りをしてわかっている。オーナーとはその後も毛ばり釣りの話などをさせていただいたが、釣りに関することなら喜んで相手をしてくださった。

 チップの刺身は格別だったが、熱々のチャンチャン焼きもすばらしく美味しい。これは野菜とほぐしたチップの身を鉄板で焼いた料理なのだが、問答無用の味で、北野氏の推薦にまちがいはなく、一気に食べてしまった。

 もともと定食だけでもたっぷりの量がある上に、サービスの刺身とビールまで飲んだので腹いっぱいとなった。私の奥では宿泊客の2組の夫婦が夕食をとっていた。一方は札幌から、他方は東京からと話が聞こえてくる。東京からの人は毎年9月になるとここへ来ると言う。いいところなので、と。こんなによいところはないのではないでしょうか、と。道内からの人は初めてだそうだが、ほんとうによいところ、と同意していた。彼らの会話を聞くともなく耳にしていた私も、深くうなずいたのだった。

 チャンチャン焼定食は1200円、ビールが600円、そして入浴料400円をはらうと、
「いま若い人が5人風呂にはいっているから、でてきてからゆっくりはいるといい。ここで休んでいきなさい」
とオーナーはロビーの休憩所をしめす。そして話題はチップのことに。じつに美味しかったです、と言うと、刺身の保存には神経をつかっている、とのことだった。冷凍保存するのだが、刺身をつつむのに真空パックを使用するそうで、ラップを利用しても、味、うま味、風味ともおなじだが、コリコリとした食感だけは、真空パックにしないとのこらないとのこと。じつに深くこだわっていらっしゃったが、天然のヒメマスはそれだけ貴重な魚である。

 5人の若者がでたので温泉につかった。きょうはどうなることかと思い悩んで走ったのだ。こんなに辛いツーリングをしたのもはじめてだったが、最後はじつに心ゆたかにしめくくることができた。じっくりとあたたまって風呂からあがりバンガローにもどる。ラジオをつけ、弟子屈のスーパーで買ってきたタコの刺身をつまみにして焼酎をのみ、革ジャンの具合をみながらひとりの夜をすごす。長い1日はおわった。

                   401.7K これまた台風のなか走りすぎだ。

 

 

 

  

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