8月18日 嵐の黄金道路

 

 道楽館の朝 出発前の風景

 

 6時30分に起床した。ふとんで寝るのが心地よい。ぐっすりと眠り酒ものこらなかった。私は2段ベッドの下に寝たのだが、上はえぼらぁ〜さんだった。夜中にえぼらぁ〜さんが起きだす音に気づいて時計を見ると3時30分だった。絶景ハンターは、夜明け前から絶景のただなかにいる、と語っていたが正にそのとおりだった。

 2階の寝室から1階の食堂におりると高橋さんご夫妻はもう起きられていた。ソットーさんとヘルパーさんは朝食の用意をしている。冷たい水をいただいてDRのメーター・ケーブルをさしこみにいく。昨夜来の強い雨でDRについた林道の泥はすっかりながされていた。 

 屋内にもどると北野さん、やまちゃん、同宿者の皆さんが次々におきてくる。高橋さんはノートPCをネット接続し、道内の天気予報を見ていた。それによると稚内と襟裳岬だけ雲がないそうで、私は2日前に行けなかった襟裳岬経由開陽台行き、と即座にきょうの予定を決めた。効率の悪い旅をしているなと思っていたから、残り少ない北海道での日々を、思いきり走りたいと考えてそうしたのだが、皆さんはまたそんなに欲張って大丈夫かと、心配してくれていたらしい。

 やまちゃんは、開陽台ではなく百人浜でキャンプしてください、と何度も言う。百人浜は出るという噂だからそんなことを言っているのだ。それを見て来いっていうの? 嫌だよ、と断わった。北野さん、ともさん、くっしーさんは連泊。やまちゃんは新冠までのわずかな移動になり、高橋さんご夫妻は稚内にむかわれるとのことだった。

 

 道楽館の朝食

 

 7時30分に朝食がはじまった。メニューは梅粥と何種類もの漬物である。梅粥は酸っぱかったのだが3杯もいただいてしまった。これで7400円は安いと思う。人気があるわけである。しかしソットーさんはまだ酔っていて、料金を払うときの金のやりとりがぎこちない。上体がユラユラしているし、表情にも酒が濃くのこっている。宿の主人のキャラクターとしては面白い人だが、このペースで飲みつづけたら5年以内に病気になり、10年後の生存は不明なのではないかと感じてしまった。大酒を飲むのは夏の忙しいときだけとの話も聞くが、体をこわしたら悲しむ人がたくさんいると思うので、ソットーさんのご自愛をのぞむ。

 いちばんに代金をはらい準備を開始した。雨なので皆さんの動きはにぶい。社長さんやXJR氏とどんどん用意をすすめるが、そのうち記念撮影大会となった。皆さんのカメラで何度も集合写真をとる。私のカメラのシャッターは社長さんに押していただいた。一晩いっしょに泊まっただけなのに、ほんとうに親しくなれるのが道楽館のような宿の魅力だろう。昔のユース・ホステルのように感じられた。

 社長さんやXJR氏、大阪のカップルライダーのほうが私よりも荷物が少ないので、先にいくかと思ったら、出ない。やがてパッキングのおわった私がいちばんでの出立となった。きょうは長距離を走るので急ぐことにする。皆さんに挨拶をして走りだそうとすると、感じやすいともさんが別れが辛そうな顔をしている。そんな顔をするなよ、またすぐに会えるし、ネットのBBSやブログでも話せるのだから、と口にはださずに眼で言って、ともさんに手をあげた。皆さんに見送られて走りだす。道楽館をでたのは8時55分だった。

 メーター・ケーブルは道楽館でバイクを切り返していたら、またしてもぬけてしまった。国道にでたところでまたさしこんでいく。雨はふっていない。北の方角、稚内方向は晴れているが、頭上からこれからむかう南へは、分厚い雲がつみかさなっている。襟裳岬では雲が切れて晴れてくれればよいのだが、と願いつつすすんでいった。

 泥濁りの激流となった空知川を見て17キロ走行し、富良野を通過しようとしていると、またメーター・ケーブルがぬけてしまった。とまって直そうとしていると道楽館でいっしょだったXJR氏にぬかれる。たがいに手をあげて会釈をかわした。ケーブルをいれようとするが、これから何度もおなじことを繰り返すのかと思うとバカらしくなりやめてしまった。

 メーターはそのままにして走りだす。雨は強まったり弱くなったりするが、山部をすぎて山岳地帯にはいるとはげしくなった。たたきつけるような土砂降りにたえてすすむと占冠にいたり、道の駅があったので休憩をかねてトイレにいくことにする。道の駅のむかいのGSではXJR氏が給油をしていて、たがいにうなずきあった。

 道の駅の軒先では20代のタンデム・ライダーが雨宿りをしていたが、彼らは走る気持ちをなくしているようだ。たしかにこの豪雨のなかを走行するのは正直言って辛い。タンデム・ライダーの横にはいろうとするとハーレーのサイドカーに先を越されたので、建物をまわりこんであいている軒先をみつけてDRをとめた。道の駅にはいると、やはり走る気力をなくしたライダーが3人いて話し込んでいる。トイレにいってすぐに外にでたが、入ってきたXJR氏とすれちがった。

 土砂降りの雨で路上には大量の水がながれ、大きな水たまりもできていた。肌寒いのでシャツの上にフリースを着込んだが、元々革ジャンもつけているので初冬のような服装だ。車でやってきた人たちが軒先をつたって道の駅を出入りするので、私の横をたえず人がとおっている。時間は10時25分だった。

 止まっていてもはじまらないのでまた強い雨の下にもどって走りだす。国道237号線を南下していくと日高にいたり、沙流川も泥色の暴れ川となってのたうちまわっていた。はげしい雨のつづく国道237号線をさらにすすむが、山から土砂が流出している現場に遭遇した。土砂の量は多くはない。路上に1センチほどの量だが、片側通行にして土砂をかたずけている。北海道では、道路に異常があったらお知らせください、といたるところに看板がでているが、こんなときのためなのだと知った。通りがかったドライバーが通報すれば処置も早くなり、皆が助かるというものだが、北海道の自然はやはりきびしい。

 平取までくだっていくと南の雲がうすくなり、雨が弱まった。ホッとして走っていくとサイクリングの大集団がいる。7・8台のグループが距離をおいていくつも走っていて、全部で100人はいただろうか。大学のサイクリング部のようだが、なかに上半身裸の若者が3・4人いて若いなと思う。自転車をこいでいると汗をかくので、カッパを着ても着なくとも、びしょ濡れになってしまうから裸でいるのだろうが、危険防止のためにも何か着てもらいたいと、チャリダーOBの私は思うのだった。

 二風谷のアイヌ文化博物館までいくと雨はあがり、気温も上昇してきた。博物館の駐車場で休憩しながらフリースをぬぐ。時間は11時30分だ。博物館には入らなかったが、わら葺やユニークな形の屋根の建物が魅力的で、写真をとってから走りだした。

 

 二風谷アイヌ文化博物館

 

 雨はまたすぐに降りだすが弱い。土砂降りだとさすがに走るのが辛いが、ふつうの降雨ならば歓迎したいような気持ちで、弱い降りならばもはやツーリングが楽しめるほどだ。だから雨降りだからといってくすぶっていてはもったいないと、貧乏性の私は思うのだった。荒天でも走りだしてしまえば晴れるかもしれないし、得がたい経験ができるかもしれない。止まっていては何も起きないが、すすめば展開がかわるのだ。

 12時5分に海岸線の国道235号線にぶつかり、左折して襟裳岬にむかう。気温は23℃と表示されている。そろそろ昼食をとりたいのでまた店を物色していくが、この地域にレストランはすくない。たまにあるとそば屋ばかりなのでそばが名物のようだ。美味しそうな、客のはいっている店もあって気になったが、せっかく海岸線を走っているのだから海産物が食べたくて、通過していった。 

 すすんでいくと判官館森林公園キャンプ場がある。ここも泊まってみたい野営場だが、今回は日程があわず残念ながら利用できない。キャンプ場には不思議な縁のようなものがあるようだ。行きたいところには泊まれず、考えてもみなかったところに幕営するとそこが気に入ったりして、2度・3度と使うことになり縁がふかくなる。きょう判官館に縁はないのだ。キャンプ場との縁はその日の夕刻に生じる。夕方どこに泊まろうかと考えたときに。きょうは開陽台でキャンプをするつもりだが、果たして開陽台に縁はあるのだろうか。

 

 雨の海岸線をいく 

 

 雨はやんで路面もかわき、これで雨降りも終わったかと思わせてまた、雨粒は落ちてくる。右に見える海も青くなったり、泥色に変わったりといそがしい。やがて静内の町にはいり左右を見てすすむと『寿司の網元』という店にひかれたので、ここで昼食をとることにした。信号の前にある目立つ立地の店だった。

 網元は大きくて清潔な店だ。店舗の隅々にまで眼が行き届いている構えをしている。もしかしたら静内で、静内だけでなくこの周辺でいちばん大きな寿司店かもしれない。店内にはいるとカウンターがあり、若い板さんが威勢よくむかえてくれた。カウンターには板さんの友人がひとりすわり、板さんの母親らしき女将がメニューとおしぼりをもってきてくれる。冷蔵ケースには丁寧に仕事をされたネタがならび、板さんは迷うことなく正確に、包丁をうごかして仕込みをしていた。
「きょうはよいウニがありますよ」と板さんが言う。
「ウニと言うとウニ丼かな」と答えると、
「ウニ丼のきょうの時価は3700円です」とのこと。メニューにはウニが一箱ついたウニ丼の写真がでている。
「ウチのウニ丼は評判がよくて、テレビでも取材されたんです」
 3700円のウニ丼をたべてみるのも話のタネにはなると思う。しかしウニだけ、というのは嫌である。いろいろなネタをたのしめるところが寿司屋のよいところなのだから。考えていると、
「アナゴのよいものもあります。江戸前のアナゴです」と板さん。
「その江戸前からきたから、アナゴはいいよ」と答え、2625円のミニウニ丼のついた握りのセットをたのんだ。女将がお茶をいれてくれて、
「雨でバイクはたいへんですね」と言う。
「ああ、いや、好きでやってますから、たいへんでもなんでもないんですよ。遊びですから」
 と私は答えた。これは雨でたいへんですね、と言われるたびに口にする決まり文句だ。じっさいにそのとおりなので、相手ももっともだという顔をするのである。

 カウンターにすわっている板さんの友人が小声で言う。
「でもさぁ、昼飯に3700円て、高くない?」
「そんなことないよ。東京でたべたら1万円はするよ」
「そうかもしれないけどさ、一食だよ、一食。それが3700円だぜ」
 板さんはしばらく黙って私の注文した寿司をにぎっていたが、
「東京から、ウチの料理をたべるためだけに、飛行機でくるお客さんもいるんだよ」と答えていた。

 

 

 料理がでてきた。きれいな寿司で、店の格式と趣味のよさがつたわってくる。食べてみるとじつに美味しい。
「その白身の魚は北海道特産のマツカワです」と板さん。
「ああ、これが」と白身の寿司を見て、「カレイでしたっけ?」と聞くと、
「そうです」 板さんは笑うと、「お味をみてください」
 マツカワははじめてである。口にいれてみると淡白で上品な味だった。板さんは、9月になると天皇陛下が植樹祭にいらっしゃるので、国道でもガードレールの交換や植栽の手入れがすすめられていて、工事が多いですから、お気をつけください、と言う。

 また、陛下が数年前にいらっしゃったときには、軽自動車の男が陛下のお車に近づこうとして、それを阻止しようとした白バイと衝突したことがあった。そのことがあるので道警はピリピリして取締りをしているそうだ。板さんの知人は内地からナンバー付きのセルシオを買って帰ってきたそうだが、国道をはしっているといつの間にか白バイ20台にとりかこまれていたとか。なんでも前の所有者が危険人物だったそうだ。国道には『テロ警戒中』という看板がたくさんでているなと思っていたが、そういうことなのかと思い至った。

 板さんは一生懸命話してくれた。25才くらいの青年がおじさんを相手にするのだから無理もある。しかし真摯な若者は大好きなので、清々しい気持ちで会話をした。板さんもう少し年をとって経験を積んだら、さぞかし幅のある、よい親方になりそうだった。

 完璧な接客の女将に料金をはらい、板さんに威勢よくおくられて網元をでた。また来たい店だ。13時15分に走りだしたが、この先はたしかに工事が多くなった。車道と歩道の境にたまった土やほこりを除去したり、道路のノリ面の草を刈ったりしている。天皇陛下がいらっしゃるとなると、どこでも神経細やかに整備をするものである。

 

大荒れの海

 

 雨は小康をたもっているが時に強くふる。しかし辛いほどではなく、雨のなか精力的にツーリングをしていく。三石を通過したがここは予想外に大きな町だ。海は荒れている。泡立つ白波がつぎつぎに岸におしよせて、くだけていた。うねりもはげしく、強い上下動の波のうごめきが、海面をおおいつくしている。底荒れして昆布が引きちぎられるのか、昆布の匂いがたちこめていた。

 

 土砂降りの雨 コンビニに避難

 

 浦河は三石よりもさらに大きな街で、ここがこの地域の中心だ。先にいくと雨は強まりまた土砂降りとなった。午前中に占冠であったようなきびしい豪雨だ。セイコマがあったので雨をさけて店内にはいり、焼酎とアルカリイオンの水、ネギを1450円で買って雨足がおとろえるのを待つが、弱まらない。あきらめて14時15分に辛い雨の下にもどった。

 この先はしんどい走行になった。強い雨はおさまったのだが、霧がでて視界がきかず、ペースがあがらないのだ。目的地の襟裳岬は遠く、なかなかたどりつけない。霧の海岸線をすすみ、なんとかえりも町にはいると雨はあがった。霧でよくわからないのだが、海の横からはなれて丘の上のようなところを走っていると、『海産物直売店えりも』という店がある。セールス中で20%引きと張り紙がしてあり、カニをおくりたいと思っていたので立ち寄った。

 店員にカニはあるかとたずねると、毛ガニの格安品があるとのこと。正規物とおなじ大きさで味もいっしょなのだが、足が1本欠けているので、1パイ900円だと言う。これは破格である。しかし人に贈るものなので完全品、1パイ2700円のカニを20%引きで3バイ発送した。送料込みで7380円であった。しかし破格品を買う客に見えたのだろうか。なんだか複雑な心境である。

 店をでて携帯をみると着信がある。誰だろうかと思ったらDOT−Nのゆーじさんからだ。DRのオーバー・ホールをしたときに、パーツ・リストを貸していただいた方である。ゆーじさんも私と同型のRSを所有されていて、そのバイクは現在、オーバー・ホール中なのだ。さっそく電話をすると、今は千歳にいて、カモちんさん、まあさん、仕事人さんの4人でオフ会をやるとのこと。残念ながら私は参加できないが、皆さんによろしく伝えてくださいと言って電話をきった。 

 

 霧の襟裳岬

 

 ゆーじさんはオーバー・ホールしたばかりの私のRSが、ちゃんと動いているのか心配してくれていた。なんだか今回は皆に心配ばかりしてもらっている旅だ。国道から道道34号線にはいって南下すると、15時40分に霧の襟裳岬に到着した。濃霧で視界はきかず真っ白な世界である。それでも岬の突端を見ようと歩きだすが、展望台から霧にけぶる海がなんとか見えるくらいなので、これではすすんでも無駄とあきらめて、駐車場にもどった。

 駐車場の横にある売店からは、森進一の襟裳岬と、女性演歌歌手の歌う別の襟裳岬の歌がガンガンとかかっていた。その合い間にウニ、ツブ、ホッキが焼けたと宣伝するのでうるさくてたまらない。旅情もなにもあったものではなく、白けてしまった。襟裳岬は1983年以来だが、あのときには売店も『風の館』という博物館もなかった。歌のとおりに何もないほうがよいと思うのは、私だけだろうか。

 駐車場には首都圏ナンバーのバイクが5台とまっていた。彼らは20代のグループで、これからどうするのか相談している。彼らはカッパは着ていたがブーツカバーはつけていなくて、靴がぬれそぼっていた。若い彼らよりも先に出発する。雨は落ちてこないが霧は深いままだ。道道34号線を北上していくと百人浜がある。やまちゃんが私にキャンプしてくれと言っていた、百人浜キャンプ場の看板もでていた。ここは昔の場所から移動しているので、もう出ないと言われているが、泊まるのはためらわれるところである。もっとも私には霊感はないのだが。

 

 嵐の黄金道路 霧で視界は30メートル この先にはトンネルがある わかるだろうか

 

 国道336号線にはいって黄金道路を北上していく。海は大荒れにあれ、猛り狂ったような波が岸におしよせ、くだけて霧状になり、ほんとうの霧とまじりあってむせかえるようだった。山霧と海霧がもつれあって、霧の濃度もいちだんと高まってくる。視界は30メートルほどで探るようにすすんでいくが、交通量はほとんどなくなってしまった。ヘルメットのスクリーンが霧でくもるのが始末に悪い。スクリーンを開けたり、閉めたり、拭いたりしながらいくが、誠に走りづらかった。そしてこんな荒天のなかでも海にはいって昆布をとっている人がいる。底荒れで流された昆布を拾っているのだ。国道脇には集めた昆布の山ができており、それをトラックの荷台に積んでいる人もいて、荒れた海にはいっている人はひとりやふたりではなく、彼らにとっては海が荒れた今が稼ぎ時なのだろう。

 広尾には14時40分についた。信号待ちをしていると霧笛が鳴っているが、感慨深い響きである。広尾の街をすぎて5キロいくとリザーブとなった。すぐ先にホクレンがあったので給油をする。142円で2311円。ここで地図を見て、開陽台にはとても行き着けないので、『浦幌森林公園』でキャンプしようと決めた。しかしまだ直接キャンプ場にいこうと考えたわけではない。昆布刈石の林道を走ってからむかおうと思っていた。この林道も昨年走破しようとしたのだが、台風の影響で通行止めになっていて走行することができなかったのだ。

 ところで黄金道路を走っているときから気になっていることがあった。写真をとるためにバイクをとめると、エンジンからごくわずかだが焦げくさい匂いがしたのである。匂いはすぐに消えてしまったのだが、そんなことが2度あり、エンジン・オイルの残量が気になっていた。始動の際に大量の白煙を吐くことがあると前にも書いたが、オイルを食っているだろうと思っていたので、点検することにする。バイクを直立させてオイル窓をのぞくと、オイルがない! Lowレベルにオイルが届いていないのだ。減っているだろうとは感じていたが、まさかここまでなくなっていようとは思いもよらなかった。たいへんな事態だが、幸いなことにここはGSである。さっそく店員にオイルをくれと言うと、GSのくせにおいてないと答える。絶句してしまったが、すぐ近くにJAの工場があるからそこへ行ってくれと教えられて、移動した。そこは車の修理や車検整備をするところで、北海道のJAはなんでもそろっているのだなと感心してしまった。

 5時をすぎて1日の仕事を終えようとしている工場にはいり、オイルがほしいと言うと、1gから売ってくれるとのこと。はいるオイルはせいぜい0.5gくらいだろうと思うので、1gでは余ってしまうなと感じたが、1gたのんで入れてもらうことにした。工場の人は、オイルを食っているなら多めにいれておいたほうがよい、と言う。それもそうですね、と応じ、オイル窓を見ながらオイルをいれてもらうと、1gすべてのみこんでもハイ・レベルをこえない。工場の人も、なんだ全部入っちゃうよ、と言っていた。DRのオイル量は2gなので、オイルは1gしか残っていなかったことになる。オイルの不足に気づいてよかった。このまま走りつづけていたらエンジンを壊してしまったところだ。もっともその前には匂いはさらに強まり、必ず気づいたとは思うが。

 オイルを1gいれてもらって725円だった。メカニックの皆さんにお礼を言って工場をでるが、DRをバックで道にだそうとするとバランスをくずし、倒しそうになってしまう。しかしここは全力でこらえて立て直したが、冷や汗がドッとでてしまった。

 時刻は17時30分になっていた。ついさっきキャンプすると決めた浦幌まで58キロあると表示されている。これでは昆布刈石林道はもとより、浦幌までいくのも無理だと思い、近くのキャンプ場に変更しようとガイドブックをひろげると、ホロカヤントー砂浜キャンプ場と晩成温泉キャンプ場が眼についた。晩成温泉キャンプ場は料金は1000円と割高だが、その名のとおり温泉の横にあるので、こんなによい立地はなく、ここに泊まることとした。距離はあと16キロで、紆余曲折のつづいたキャンプ地との縁も、これで定まったのだった。

 ワコーズの高級オイルとホクレンのオイルをなじませるために、3000回転、60キロでゆっくりとDRをすすめる。エンジン音や振動、ギヤのはいり具合やアクセルのつきなど、相棒の調子をおしはかりつつ、徐々に速度をあげていった。

 国道336号線をいくとJAマートがあり、食料を買いたいと思っていたので立ち寄った。今夜は北海道最後の夜なのでジンギスカンが食べたいのだが、ここも500グラムのパックからしかなくて、とてもたべきれない。どうしたものかと迷っていると店員がやってきて、ひとりで食べきれる鳥手羽ぎょうざはいかが、と言う。好みじゃないな、と答えると、ほんもののシシャモは? とすすめる。輸入物ではなく、ここで獲れたシシャモで、鵡川で売っているものもこの辺りでとれたものなのだそうだ。

 500円のシシャモを買うと、レタスをサービスすると言われたのだが、とても食べられないのでと断って、晩成温泉にむかう。霧はまた濃くなってくる。真っ白な世界でまわりが見えず、景色も変わらないので、進んでいるのかいないのか、わからなくなってしまう。乳白色の、閉じこめられたような空間を、ひとりでどこまでもどこまでも行くと、別の世界に迷い込んでしまいそうだった。

 やがて晩成温泉の看板があらわれて、国道336号線から道道861号線に折れて海岸にむかう。霧のなか牧場の横をすすむとようやく晩成温泉に到着した。温泉施設のとなりに芝生のキャンプ場がひろがり、テントがひとつだけたっている。すぐそこが海のようで波の音が大きいがなにも見えない。さっそく晩成温泉にいってキャンプの手続きをするが、料金は1000円ではなく、600円だった。手早くテントを設営しようとしていると、温泉からでてきた若いライダーに、キャンプですか? と声をかけられた。彼らは3人のグループでツーリングをしているそうだが、今夜の野営はあきらめて、むかいの宿泊施設に泊まるとのこと。そこは格安で利用できるようだ。

 

 霧の晩成温泉キャンプ場

 

 テントの設営にかかると蚊がたくさんよってきた。サンダル履きでテントをたてたのだが、わずか5分ほどの間に、靴下の上から何ヶ所もさされてしまう。ここの蚊は強力だ。あなどれない。

 蚊取り線香をつけてテントのなかにおき、温泉にいく。料金500円でゆっくりと湯につかるが、考えてみれば温泉でのんびりしたのは、この旅ではじめてのことだ。またしても先へ先へと駆りたてられるようなツーリングをしてしまっているが、これくらいやらないと走った気がしないのも事実で、つくづく貧乏性だなと思ってしまった。晩成温泉では18時30分から19時30分までゆったりとすごしたが、このキャンプ場と縁が深まっていくのを感じた。

 風呂からあがり、ここは圏外なので受付で公衆電話はあるかとたずねると、むかいの宿泊施設にあるとのこと。しかし特別に受付の電話をつかわせてくださり、家内に圏外のキャンプ場にいると連絡することができた。

 

 国産シシャモとそば、ビールの夕食

 

 ビールのロング缶、400円を買ってテントにもどる。キャンプ場には男ふたりのキャンパーがいて、バーベキュー・ハウスで食事をしていた。このバーベキュー・ハウスは建坪20坪はありそうな大きなもので、明かりがついていて虫もはいってこないので、私もいれさせてもらう。ビールを飲みつつうどんをゆでようとすると、包装袋のなかに雨水がしみこんでダメになっている。うどんは捨ててそばにかえた。国産のシシャモは脂がすくなくて、きめ細やかな感じだった。シシャモをかじりつつビールをあおり、そばを食す。非常食のモチも焼いてみたが、量が多くなりすぎてしまった。

 食器をあらってテントにもどり、ヘッドランプの光のなかでメモをつけていく。雨が、ポツポツ、トットットッ、とテントをたたきだす。波の音が大きい。周囲は深い霧のなかだ。雨のなかひとりでキャンプをしていてもたのしい。やはり野営が私にはいちばんあっている。こんなことが愉快でならないのだ。これを読んでいるあなたはどう思いますか? ここまでこの長い文章につきあってくれて、こんなところにまで眼を通しているあなたも、きっとひとりのキャンプが好きでならないのでは? 狭いテントのなかの、雨と霧の夜のキャンプが。

 旅にでてからずっとはいていて、きょうの雨のしみこんだGパンは、いかにも蚊の寄ってきそうな匂いがしていた。革ジャンはよれよれになり、ジッパーの動きも渋くなっている。テントの床、エアーマットの下には雨の滴がこぼれ、シュラフは湿っぽい。意識してみればテントのなかの荷物は一日中雨にたたかれて、泥がはねているのだ。荷物は焚き火の匂いがする。しかしそんなことは気にならないし、不快でもない。これが好きなのだ。

 焼酎を飲みながらラジオと波の音を聞いていると、早い時間に眠ってしまった。私はまったく自足していた。これが至福の時だ。こんなことが、一年でいちばん楽しいひとときなのだ。ここは日常を遠く離れた、放浪の彼岸だから。

 

  

                                                         

 

                                                           402キロ