8月17日 はじめて会ったけど、大好きだ

 

 美流渡錦園に集まった参加者の車両

 

 6時40分に眼がさめた。当然のごとく二日酔いだ。気がつくとテントの床の上に、マットもシュラフもしかずにそのまま横になっていた。昨夜議論を打ち切って、そのままテントにころがりこんで眠ってしまったことを思い出す。重い頭をかかえてテントからでて皆さんに挨拶をする。昨夜の激論を思いおこして気持ちが沈むが、皆さん大人なので何も言わない(後でやまちゃんに言われた)。私もそれには触れずに活動を開始した。

 スガヤさんの奥様とYukoさんが昨夜の野菜スティックののこりで味噌汁をつくってくださっていた。それをいただくと疲れた胃にしみる。またおふたりは皆さんの食器まで洗っておいてくださった。

 ロストさんは早い時間に小樽にむかわれたとのこと。すぐに赤影さんも出立していく。砂利道でニンジャのアクセルをラフにあけ、テールスライドしながら走り去った。

 天候は霧でいまにも雨がふりだしそうな気配だ。きょうは走ってみたいと考えていた林道にいくつもりなので、できれば降ってほしくない。むかうのはパンケニコロベツ林道とヌプントムラウシ林道で、道はおだやからしいが、リヤ・タイヤのことがあるので雨では不安だ。しかしヌプントムラウシ温泉にはぜひつかってみたいので、行くことにした。

 早く出発しようと準備をはじめるが、北野さん、ともさん、やまちゃんは直接道楽館にむかうとのこと。それでは時間が余ってしまってもったいないと思うが、雨で戦意喪失気味だし、道楽館で洗濯もするそうだ。荷物をまとめていると北野さんが、山岡屋のラーメンの話をしだした。私は山岡屋のファンということになっている。IWAさんやシュウさん、AOさんも集まっているところにいって、もうファンではなくなったことを話したが、北野さんはこのツーリング中に山岡屋を利用し、パンチの効いたラーメンにひどくもたれてしまったそうだ。

 私は気になっていた樹海ラーメンのことを聞いてみた。するとやまちゃんが、北海道でいちばん味がよいと思ってるんですよ、と言う。AOさんは、あれは山菜入りラーメンだな、とも。ただしおばちゃんがものすごい勢いでトークしてくるから、食べられないんですよ、とやまちゃんが言う。どんなことを? とたずねると、近くにレストランができて客が減って困っているとか、豚丼なんかがはやったからラーメンをたべる人がいなくなったとか、そんな愚痴ばっかです、とのこと。愚痴の相槌を打つのがいそがしくて、ラーメンをたべられないのだそうだ。それを聞きながら食事をするのは嫌だな、と言うと、でも美味いっすよ、と強調するやまちゃんだった。 

 高橋さんはゴミを焼いていた。ここは去年はゴミを捨てられたそうだが、今年はわからないとのことで、なるべくゴミが少なくなるようにしていただいているのだ。タープなどの装備の投入から、天ぷらとスパゲティの調理と、それらに使用した鍋などの後始末、さらにゴミの処理まで気をくばっていただいて申し訳なかった。高橋さんの撤収作業はまだまだのこっていたが、先に出発させていただいた。ためしにともさんに、
「ヌプントムラウシ温泉にいこう」と声をかけると、
「俺は旭川ラーメン村にいきます」とのこと。

 昨夜激論した方に、意見の相違はあったがこれからもよろしく、と言うと彼もにっこりと笑っていた。やまちゃんに道楽館の場所をきくと、上富良野の深山峠、トリックアート美術館が目印、とのこと。皆さんに挨拶し、夕方の6時には道楽館につくように言われて走りだした。

 メーターは朝ケーブルをさしこんで動くようにしておいたのだが、出発のときにハンドルを大きく切りかえすとぬけてしまった。ケーブルをさしこんでボルトで固定すればよいのだが、カウリングのなかの狭い場所で指がはいらず、かといってカウリングを分解するのも面倒でそのままにしたのだ。雨がふっていたのでカッパとブーツカバーでかためていった。

 きのうともさんとやまちゃんの3台できた道を夕張にもどっていくが、昨日と違って霧が濃くなくて視界はきく。ずいぶんと距離があるように思えた峠には意外に早くついて、夕張の町にくだると雨はあがり、空も晴れてきた。こうなると気持ちに余裕もうまれ、バイクを路肩にとめて、メーター・ケーブルをさしこみボルトで固定しようとするが、どうしてもつけられず、諦めてケーブルをさしこんだだけで出発した。

 それでもメーターはキチンと作動した。記録魔、メモ魔の私はメーターが動いてくれてうれしい。それに林道を走行するときには、入口からの距離を見ながら残りの長さを計算して走るので、メーターが動かないと困るのだ。これから行くパンケニコロベツ林道は30キロもあるから、どのくらい走行したのかもわからずに走るのは嫌である。またメーターが作動しないといつリザーブになるのかわからず、はなはだ不便なのだ。

 雨はやんだが先の天候はわからないので雨具はつけたままでいく。紅葉山にもどり、やはりきのう来た国道を日高にむけて走っていくが、雨は降ったりやんだりをくりかえす。朝食は味噌汁だけだったので腹がすいてしまった。福山PAの樹海苑が営業していたらラーメンをたべていこうと思う。おばちゃんのマシンガン・トークに攻められるのは嫌だが、前からためしてみたかったのだ。福山PAにつくと9時50分で、まだ開店していないかもしれないと心配したが、店には暖簾がかかっていた。 

 店の前は砂利の駐車場である。サイドスタンドは石の上にたてないとバイクがたおれてしまう。バイクをとめて適当な石をさがしていると、
「石をやろうか?」と言っておばちゃんが店からでてきた。右手にコブシ大の石をもっている。
 ちょうどよい石があったので、大丈夫、と答えてバイクをとめた。ヘルメットをとっていると、
「リピーター?」とおばちゃん。
「はじめてです。友達に教えてもらって来ました」と言うと、
「それは嬉しいね。友達同士で教えてくれることもあるんだ」と笑う。
「でも、TMにのっているから、客は来るでしょう?」と聞くと、
「いや、こんな山奥でわかりづらいから、なかなか来ないのよ」となにやら愚痴がはじまりそうな気配。

 店内にはいると客はいなかった。メニューをみて、
「樹海ラーメンをおねがいします。それが美味しいと聞いてきたので」と注文する。おばちゃんは嬉しそうにつくりだしたが、ヘルメットをとった私の顔で年齢がわかったせいか、それ以降は話しかけてこなかった。やまちゃんはじっさいの年よりも若く見えるし親しみやすいから、おばちゃんも声をかけやすいのだろう。一方私はやまちゃんよりも大分年上だから貫禄があって? 気さくに話せないのだろうと思う。決して私の顔が恐いからではありません。

 

 樹海ラーメン

 

 メモをつけていると樹海ラーメンがでてきた。さっそく食べてみると味はふつうである。山菜入りのタンメンという感じのラーメンで、AOさんの、あれは山菜入りラーメンだな、という表現が適切だ。しかしすごいボリュームで、標準の大盛りラーメンの1.5倍くらいの量だろうか。腹ペコライダーや若い人にはよいかもしれないが、私には多すぎた。なんとか完食するとサービスでスイカとトマトをだしてくれて、嬉しいやら苦しいやら。料金は700円だ。

 樹海苑をでて日高をすぎ、きのうは寄ることのできなかったチロロの巨石を見るために、千呂露川沿いの山道にはいる。チロロの巨石はTMに紹介されているのを見て知ったのだが、日本有数の巨石とのこと。TMには広場のようなところに巨石がある写真がのっているだけで説明がない。どうして公園のようなところにポツンと巨石があるのか不思議で、想像力と好奇心を刺激されてしまい、どうしてもこの眼で見たくなったのだ。

 

 チロロの巨石

 

 山をのぼっていくとアメリカン・バイクの青年とすれちがったが、彼も巨石を見てきたのだろう。チロロの巨石は国道から6.5キロ地点の道路脇に、無造作に鎮座していた。眼にはいった瞬間は、そんなに大きく感じられない。しかしバイクからおりて近づくとやはり巨大だった。この石は札幌で学校経営をしていた人物が日高山中から運びだしたものだそうだ。

 この巨石を山奥からはこびだすのに、いったいどれだけの人足を雇い、どれほどの日数をかけたのだろうか。費用もいまのお金で何億も、もしかしたら何十億もかかったのかもしれない。山のなかから掘りだすと簡単に言っても、巨石は沢にあったそうだから、そこから山道まではこぶためだけに、道をつくらなければならなかったのではなかろうか。そして本人は一時のつもりでここに巨石をおいたのだろうか、と想像してしまった。いつかまた運搬を開始して、札幌の自身が経営する学園にすえるつもりで。しかしいつしか情熱も冷めてしまい、そのまま放置されてしまったのだろうか。

 帰ってから調べてみると、橋の重量規制にふれて先にすすめなくなってしまったとのことだ。巨石の重さは200dあるとのこと。長さは6メートルだ。ここまで運ぶのにかかった費用は500万円だそうだが、いまのお金にしていくらなのかはわからない。巨石をはこばせたのは栗林元次郎という人物だ。この人は農業のリーダーを養成するための学園を創設した方で、この学校は設立当初の昭和5年からつい最近まで、授業料も無料だったという。学園の財産を運用した資金をつかって、無償で教育活動をしていたのだ。高邁な思想からつくられたこの学園は現存する。八紘学園、北海道農業専門学校という学校で、さすがに現在の授業料は無料ではなくなったが、北海道開拓のころの、先達の理想主義的な精神が色濃くのこっていることを知った。しかし栗林元次郎という人はすごい人物だ。徒手空拳で人々をかきくどいて資金や土地を提供してもらい、八紘学園を設立してしまうし、趣味の鉱石収集ではこんな巨石を山からはこびだしてしまう。北の大地にはこんな気宇壮大な夢を実現してしまう偉人がいたのだ。

 11時にチロロの巨石に別れをつげた。山をくだって国道にもどると気温は23℃と表示されている。また降ったりやんだりするなかをすすんでいくが、この程度なら十分にキャンプができる。道楽館に泊まると決めたことを後悔し、キャンセルしようかと思ったが、いまさら断っては道楽館にも北野さんたちにも迷惑だし、なにより一度口にだしたことをたがえるのは信条に反するので、予定の変更など元より考えられないことであった。 

 きのうも越えた日勝峠をまた通過した。行ったりきたりしていてなんだか効率的ではない。旅に効率など持ち込むものではないとも思うが、根っから貧乏性でせっかちな私は、やはり時間が惜しく感じられた。日勝峠の気温は26℃である。きょうも雨と霧で視界はきかない。白い世界をすすんでいくだけで走行も単調に感じられて、眠くなってしまった。

 十勝清水にくだりホクレンがないのでエネオスで給油をする。23.3K/L。142円で2184円。時間は12時27分だった。GSの先から国道274号線にはいり、すぐに道道718号線に左折して北上していく。雨は弱くふりつづけている。きのうときょうの降雨で林道がぬかるんでいないか不安だが、パンケニコロベツ林道は走りやすいとTMに書いてあるので、なんとかなるだろうと考えてすすんでいった。

 

 パンケニコロベツ林道 

 

 12時55分に屈足のパンケニコロベツ林道の入口についた。すかさず林道に進入し、29キロの長距離林道走行を開始する。はじめは路面状況を見ながら慎重に、恐るおそるすすんでいく。軽トラが1台走ったあとがあるが、草刈りをしていないので交通量は少ないようだ。林道はおおむねフラットで走りやすいが、一部にぬかるみと深ジャリがある。ぬかるみを通過するのは緊張する。アクセルを開け気味にして強引に通ってしまう。リヤ・タイヤのことがあるので、止まってしまうことは絶対に避けようと思っていた。また深ジャリはグリップの心配はしなくてすむのだが、ハンドルをとられて走りにくい。ふられるハンドルをおさえつけて走行した。

 オドメーターを見ながら距離と時間をはかっていく。10キロを走るのに要する時間は20分だ。つまり時速30キロで走行していることになり、パンケニコロベツ林道終点の奥十勝峠までは1時間ということになる。横をながれるパンケニコロ川や、左右の森林のなかをながめながら山をのぼっていった。

 工事で道を補修したところがあると決まってジャリがいれてあり、深ジャリ、浮きジャリとなっていた。ここはWGPのラリー・コースになるので整備をしているのだろうが、伸びた草木が林道上にまで葉や枝をさしかけているので、道よりも草刈りをしたほうがよい状態だった。また、リヤ・タイヤの問題があったから、これはすすめないという路面があらわれたら引き返すつもりだったが、そんなことにはならずにすんだ。

 20キロを走行して40分がすぎると、林道走行の振動でさしこんだだけのメーター・ケーブルがぬけてしまい、またメーターが動かなくなってしまった。止まって処置をするのは面倒だし、10キロは20分とわかっているので、20分後に奥十勝峠につくだろうと考えて、そのまま走行した。

 ここから道は荒れてきた。坂が急になって一部ガレている。やがて森のなかからでて、視界がひろがり熊笹と高原性の樹林のつづく、頂上特有の植生帯にはいった。峠はちかいと感じてアクセルを開け、スピード・アップしていくと、路上に熊のフンがあった。しかし2.3日はたっている古いものだし、サイズも小さいので、メスか子供のものだろうと考える。熊のフンを眼にしても動じなくなってしまっている私は、そのまま坦々と走行し、13時55分、林道入口からちょうど1時間で奥十勝峠についた。

 

 奥十勝峠にて

 

 峠はT字路になっているのだが、右手のペンケニコロベツ林道につづく道にライダーがふたりいた。ホンダのXR250とXLR250のふたり組で、年は私とおなじくらいである。こんな山奥で、同年代のライダーに会うとは思ってもいなかったので、すごく嬉しい。それは彼らも同じようだ。しかも荷物を見ればおたがいキャンプ・ツーリングなのが一目でわかって、親しみがわく。いやあ、どうも、と挨拶をかわしてさっそく話をしだした。彼らも首都圏からだったが、きょう苫小牧から都会に帰るそうで、
「僕の北海道ツーリングは、きょうで終わっちゃうんですよ」とヒゲ面の彼が言う。「また1年たたないと、来られないんです。そのためにまた、1年間仕事をしなければならない」
 年に一度の北海道ツーリングを楽しみにして働いているのは、私もまったくおなじだ。北海道に来ている社会人ライダーのすべてがそうだろう。彼らは昨夜、国民宿舎の東大雪荘の奥にある、トムラウシ自然休養林野営場でキャンプしたそうだ。前出の亜璃西社のキャンプ場ガイドには、外灯がつかないことがある、とコメントされているので、
「電気はついてましたか?」とたずねると、
「ついてましたよ」と笑顔である。彼らもガイドブックのコメントがわかっているようだ。
「東大雪荘の露天風呂が最高でしたよ」とヒゲのない彼が言う。
「あそこは露天風呂がふたつあるし、沢が見えていいですよね」と答えると、ふたりもうなずいていた。
「ここは晴れていることもあるし、霧でなにも見えないときもあって、毎年ちがいますね」
 周囲をながめながらヒゲ面氏が言う。たがいに周辺の林道やキャンプ場、施設や秘湯のことがわかっているので、どんどん会話がはずむ。この地域の話題でこんなに話のあう人にあったのははじめてのことだった。

 彼らはパンケニコロベツ林道とペンケニコロベツ林道のどちらを下るのか相談をはじめ、パンケの方が面白いとえらんでいた。私もパンケの方が険しいと思う。彼らはこれまでヌプントムラウシ温泉につかっていたとのこと。私はこれからむかうので、
「林道はぬかるんでましたか?」と聞いた。
「大丈夫、ほこりがたたなくて丁度よいくらいです。フラットで、まったく問題ありません」とのこと。

 ふたりともよい笑顔だった。たぶん私もおなじだったろう。ふたりともバイクとオフロード走行が好きでならないようだ。それも私とおなじだ。会話をつづけながらカメラをとりだすと、
「さーさー、撮りましょう」と言ってシャッターをおしてくれる。そしてDRを見て、
「荷物、積んでますねー」
 泥でよごれた車体をながめ、
「いい感じで、よごれてますね」と言う。
 曙橋からここまでに5台のバイクとすれちがいました、と彼らは言う。きょうはバイクが多いから危ないですよ、と。また、この先で草刈り作業もしています、と教えてくれた。その彼らの姿を写真に撮らせていただいたのが上の画像である。彼らに手をあげて出発するが、はじめて会ったのに私は彼らが大好きだった。それは彼らもおなじようだった。

 奥十勝峠からは急な下り坂となっている。昨年はここを台風の通過直後に走って、道はガレガレに荒れていたが、今年はそれほどでもない。それでも急坂をおりきるまではそれなりにガレていて、そこを荷物を満載したバイクで慎重にくだっていった。急坂をおりてしまえばおだやかな林道になる。すすんでいくと、この山奥でひとりで草刈り作業をしている人がいてびっくりするが、その先では大がかりに除草作業をしていた。

 オフロード・バイクの青年とすれちがった。たしかに雨の林道を走るライダーがほかにもいる。奥十勝峠から道道718号線にでるまでの17キロの林道を快走し、道道にでて、道道の舗装路を少しだけくだり、曙橋からヌプントムラウシ林道の入口についたのは14時40分だった。

 林道入口にバイクをとめて時間と距離を計算する。ヌプントムラウシ林道を往復するだけで1時間はかかりそうで、その上温泉にはつかるし、ここから上富良野まで100キロ以上はありそうだ。道楽館には18時必着とのことだが、少しくらいなら遅れてもよかろうと思う。いまヌプントムラウシ温泉にいかねば、つぎはいつになるのかわからないのだ。道楽館には18時に着かないかもしれないとは思ったが、行くことに決めた。

 曙橋にはキタキツネが2匹うろついていた。観光客にエサをねだっているようだ。バカな人間が食べものをあたえてしまうのだろうが、物欲しげなキツネを見ていると、車にはねられなければよいのだがと考えてしまった。

 アップダウンはあるがおだやかな林道をのぼっていく。路面はしっとりと濡れているがぬかるんではいない。人気のあるルートなので車が何台も走っていて、カーブでは十分に注意して13キロの林道をすすんでいった。

 

 ヌプントムラウシ温泉の丸木橋 キャンプをしている人たちと後方の建物はトイレである 温泉はこの後ろ

 

 15時15分、約30分でヌプントムラウシ温泉に到着した。立派なトイレがあり、キャンプをしている人が3組もいて、バイクも2台とまっている。そのうちの1台は荷物を満載したニンジャで、たしかにゆっくり走れば来られるだろうが、大型オンロード・バイクでここまでやってきたのは、やはり天晴れだった。またキャンパーは岩間温泉にもいたが、こんな山奥で熊の不安はないのだろうか。通りすがりの私のほうが心配になってしまった。

 温泉は川をわたった先にあるので、靴をぬいで靴下であるいていく。川を歩いてわたるものと思ったのだが、丸木橋がかけてあるので、素足になって川をわたらずにすんだ。岩間温泉にも同じような丸木橋がかけてあったが、その岩間温泉は山のむこう側、北東にある。距離も直線で15キロほどしか離れていないから、大雪山のおなじようなところをグルグルとまわっていることになるのだ。

  

 ヌプントムラウシ温泉

 

 脱衣所の先に温泉があり、60くらいの夫婦と25くらいの若者がふたりはいっていた。さっそく私も仲間にいれてもらう。湯加減はちょうどよかったが、若者が突然、あちっ! と言って場所をかえた。どうしたのかと思ったら、湯船には源泉と沢の水が直接ながれこんでいて、絶えず手でかきまわしていないと、熱い湯が一部に滞留してしまうとのこと。源泉のバルブが上、沢の水は下なので、上が熱くなるとお父さんが教えてくれた。若者が場所をうつってしばらくたつと私の腕に熱湯が触れ、
「あちちっ!」と今度は私が叫んだが、いい加減にかきまわしているとこうなってしまうのだ。

 時間がないのでまたしても2・3分で風呂からあがり、皆さんの了解をとって写真をとらせてもらう。顔がうつってしまいますからむこうを見ていてください、とお願いしたのだが、皆さん陽気でカメラにむけてポーズを決めてくれた。

 

 雨のヌプントムラウシ林道 バイクがいい感じで汚れている?

 

 バイクのもとにかえってまたカッパとブーツカバーを装着する。準備をととのえて出発したのは15時40分で、また30分かけて林道を走り、曙橋に16時10分にもどった。ここではずれていたメーター・ケーブルを差し込もうとしていると、さっきのキタキツネがよってくる。大声をだして手を振りまわしても恐がらず、さらに近づいてくるのでDRをスタートさせた。キツネをこんなふうにしてしまう人間がいることが悲しい。

 すこし走って路肩にバイクをとめ、ふたたびケーブルをつけようとするが、太陽がかげりだしてカウリングのなかが暗くなってよく見えず、ええいっ、とじれて諦めてしまった。DRを発進させたがここから上富良野まで高速移動の開始だ。ここならば奥十勝峠であったふたりのオフローダーが昨夜泊まった、トムラウシ自然休養林野営場か、先日いくのをやめた国設然別峡野営場が近いのだが、そんなことは思ってみてもしかたがない。しかし効率が悪いなとまた感じてしまった。

 ほとんど交通量のない道道718号線を快走していく。トムラウシ集落をぬけ、東大雪湖の横を疾走していった。ついさっき走ったパンケニコロベツ林道の入口まであっという間に駆けくだるが、ここまでに追いついてぬいた車は2台だけで、貸し切りのすばらしい高原道路である。屈足からは道道75号線にはいって新得にむかう。17時に新得の国道38号線との交差点にいたり、ここでメールをチェックすると母から来ている。家内の母と偶然に会ったという内容で、思わず微笑した。会社へも電話をかけたのだが、電波状態が悪くてすぐに切れてしまうので、ここでの連絡は諦めた。

 富良野まで87キロとでているから、上富良野の道楽館まで距離はまだ100キロほどのこっていて、思っていたよりも遠い。これはどう考えても遅刻で、18時30分くらいになりそうだが、できるだけ急ごうと走りだす。十勝国道のR38を山にむかってすすむとサホロ・リゾートがあり、そこをすぎると時速100キロのコーナリングがつづく狩勝峠だ。気温は27.8℃、視界不良と案内がでていたが、のぼってみれば霧もなく問題はなかった。

 一気に峠を通過していく。先行する車は強引にぬいていった。南富良野をすぎ、山部までくだると平地になる。ホクレンがあったので給油をした。ブルーフラッグをふたたび手に入れ、スタンプ台も2枚目となるが、ガスを入れていると苦労してぬいた大型トレーラーが先にいくので、またすぐに走りだした。メーター故障のため燃費はここから不明である。142円で1268円。

 だんだんと家が多くなり、国道の左右に富良野の町がひろがりだした。市街地にいたりもう少しだと思っていると、深山峠まで16キロとある。またまた思った以上に距離がのこっていて、一瞬脱力したが、すぐにアクセルをにぎりなおした。

 前をいく車の群れに追いついては乱暴にぬいていく。ふだんではやらない粗暴な運転だ。トリックアート美術館の案内がずっとでているのが心強い。しかしこの道は、旭岳にのぼる前に通った道だ。またおなじルートをなぞっている自分に気づいて、やはり効率の悪い旅をしているなと思うが、今回はトラブルばかりで、効率などと言えるようになって、逆によかったと思い至ったのだった。

 18時40分に深山峠のトリックアート美術館につくが、道楽館がどこにあるのかわからない。美術館の先の右に折れる道に、ペンション『羊の詩』の看板がある。たしかこの近くのはずだとその道にはいると、すぐに道楽館はあった。砂利のしいてある敷地にはいり、テラスの前のバイクをとめるスペースにDRをいれる。バイクは7・8台。車も3台ほどとまっていた。

 ようやく着いたとホッとしてヘルメットをとっていると、ともさんが出迎えにきてくれた。ありがたい。しかしともさん、いつもと顔つきがちがう。どうやら酔っているようだ。すでにビールを6杯も飲んでいるそうで、どうりで雰囲気がちがうはずだ。まるでヨッパライダーのやまちゃんのようだが、とももさんは荷物をもってくれて部屋まで案内してくれた。

 北野さん、高橋さんご夫妻、やまちゃんにも遅参をわびた。皆さん遅れていた私を、きっと何かあったんだと心配してくれていたとのこと。雨の林道をオンロードのリヤ・タイヤで走り、崖から落ちたのではないか、とか、何かしらトラブルに見舞われたのではないか、と。ただの貧乏性で、欲張って走り回っていただけなので、皆さんに心配をしていただいて誠に申し訳なかった。

 食事はいま始まろうとしてしたところだった。もしかしたら私のことを待っていてくれたのかもしれない。宿の主のソットーさんはよく気のきく接客のプロで、遅れてきた私を自然に、しかも気をつかわせずに迎えてくれた。そのソットーさんの提案で、食事は外のテラスですることになって宿泊者全員で室内から移動する。我々EOC組と同数ほどの宿泊者の方がいて、ふたつのテーブルにわかれて席についた。

 道楽館ではハートランドのビールなどを1杯500円で飲める。客がサーバーからビールをそそぎ、横にある料金箱にお金をいれるシステムである。すぐに1杯目を飲み干して、2杯目をもらったが、ソットーさんもすでに酒を飲んでいる。料理の支度をしながら何かをロックでやっていた。

 テーブルはバイク置き場のすぐ横だった。いちばん端に泥だらけのDRがとまっていて、きょうの林道走行を彷彿とさせる。奥十勝峠で会ったオフローダーは、いい感じでよごれてますね、という感性だったが、ここに泥だらけのバイクは1台しかいない。走ってきたパンケニコロベツ林道やヌプントムラウシ温泉の話をしてテーブルについたのだが、我々のグループにひとりの見知らぬ青年がまざっているが、彼は自然になじんでいる。アロハを着てちょっと恐そうな顔をしているが、眼はやさしい。
「この方は?」とやまちゃんに聞くと、
「えぼらぁ〜さんです」とのこと。
「えぼらぁ〜さんて、北野さんのHPのBBSに投稿していた、ランエボで北海道をまわったレポートを書いた人ですか?」と聞くと、
「そうです」とのこと。
 私は北野さんのBBSからえぼらぁ〜さんのHPにとんで、北海道ドライブ・レポートを読み、エネルギッシュな旅をする人だなと感銘を受けていたのだ。そこでレポートにもあった、この近くにあるという、
「あの青い池には行ったのですか?」と聞くと、
「まだです。明日の朝にいくつもりです」
「朝ってまた、夜明け前の早朝に?」
 えぼらぁ〜さんは夜明け前から絶景をもとめて活動を開始する、絶景ハンターなのだ。えぼらぁ〜さんは私が詳細にドライブ・レポートを読んでいることを知って微笑み、
「そうです。4時前にはでます」と答えた。これをご縁にえぼらぁ〜さんと相互リンクをしていただいた。

 

 道楽館のテラスで夕食

 

 料理がテラスに運ばれてきた。ポテトサラダ、きゅうりの梅肉あえ、ナスの素揚げの煮浸し、豚肉の冷製サラダ風、いかめしなど。道楽館自慢のダッジオーブン料理だが、どれも余計な手間をかけていない、素材の味を生かした、シンプルだが、つくるのはむずかしい料理だ。

 北野さんはオヤジギャグを連発して飲んでいる。高橋さんも追随しようとするが、意外にも才能を発揮しだしたのはえぼらぁ〜さんである。北野さんとオヤジギャグのかけあいをはじめて笑いをとり、ついには北野さんを凌駕してしまった。ヤンヤの喝采である。すっかり打ち解けたえぼらぁ〜さんは、車でひとり旅をしていると人と話したくて、写真のシャッターを押してくれと頼まれたいのに、誰もたのんでくれない、とこぼしだす。俺しかいなくても、だれもたのまないんですよ、と。そこで私が年上の図々しさで、
「それはえぼらぁ〜さんの顔が恐いからですよ」と言ってしまう。「よく見れば眼がやさしいのがわかるけど、パッと見は恐そう」
 うん、うんと同席の皆さんもうなずいていた?

 しだいに酒がすすみ、ソットーさんも席について飲みだして、ほかの宿泊者の方と入り乱れてきた。私は都内からいらっしゃった55くらいの方と話しだす。ことばの丁寧な方で、バイクを見ると皆さんの旅の軌跡が想像されます、とおっしゃるが、『軌跡』ということばに注意をひかれる。この単語は北野さんのHPのタイトルにつかわれているが、ふだんの会話ではあまり使用しないものだ。この方もバイクが大好きなのはすぐにわかったが、さみしがり屋のようだ。ソロなのだが、ずっとひとりきりなのは寂しいので、こういう宿に泊まっては他のライダーと話すことが楽しみなのだとか。商売をされていて、従業員を何人も(何十人かも)つかっているそうなので社長さんだ。社長さんはホンダの大型バイクに乗り、道内4日の予定なのに、北海道を一周しようと気負っていた。

 社長さんとは北海道の運転マナーの悪さで意気投合した。北海道のドライバーは右左折するときにまずブレーキを踏んで、交差点の直前でウインカーをだしてまがったり、または方向指示器をまったくださずに右左折するときがあり、びっくりしてしまう。また信号待ちですりぬけて車列の先頭にたつと、ならんだドライバーが全速力でとばして、バイクを先にいかせまいとすることがよくある。これは道が空いていて巡航速度の高い北海道だけの現象だが、社長さんはそんな車と張りあって、ブッチギッタとのこと。そしてその先にあった道の駅にはいってバイクをとめようとしたら、荷物でバイクの重量が増えていることを忘れて不用意に足をつき、あっという間に立ちゴケしてしまったそうだ(今回は立ちゴケの話題がじつに豊富だ)。バイクにはサイドボックスが装着されているので、車体はボックスを支点にひっくりかえり、タイヤが宙をむいてしまい、自分だけではどうしても起こせなくなってしまった。困っていると隣にはいってきたドライバーが助けてくれたそうだが、それはさっき張りあった自動車の人だったそうで、あなたはいい人だったんですね、とお礼を言ったのだとか。また社長さんは今回は大きなバイクで来たのだが、次回はカブ90でのんびり走りたいとも漏らしていた。カブ90ならあの方も乗っていますよ、と北野さんをしめすと、社長さんは北野さんの顔をじっと見ていた。

 北野さんと高橋さんには、美流渡でゴミは捨てられましたか、と気になっていたことをお聞きした。すると果たしてダメだったとのこと。ゴミはすべて高橋さんが引き受けてくださり、苦労して捨ててきていただいたそうだ。誠に恐縮である。生ゴミはコンビニに少しずつ、何件にもわけて捨て、空き缶は富良野にゴミを捨てる小屋があり、そこに出そうとすると『専用袋使用』とあり、そこに捨ててあった専用袋をひらいて、中の缶をつぶし、我々の飲んだ空き缶もつぶして袋につめてくださったとのこと。誠にお手数をおかけしました。

 その高橋さんはいつのまにかいなくなってしまった。どうしたのかなと思いつつ3杯目のハートランド・ビールを飲む。ソットーさんも焼酎らしき酒をロックで、ハイピッチでやっている。北野さん、ともさん、やまちゃんは隣のテーブルで盛り上がっていた。やがて雨がふりだして、宿のなかで飲みなおすことになった。雨でDRについた泥がながれていくが、きれいになって嬉しいような、残念のような、複雑な心境である。いい感じで汚れているほうが、私もオフロード・バイクらしいと思うので。

 屋内にうつるとソットーさんがいちばんに撃沈してしまった。宿の主人なのにこんな飲み方をする人ははじめてでびっくりしてしまう。ソットーさんは胡座をかいているのだが、頭が床につくほど前傾し、またもどるということを繰り返す。このままでは後ろにひっくり返って頭をぶつけてしまうかもしれないので、となりの千葉のブラックバードの方、くっしーさんとソットーさんを横倒しにして寝かせた。これでもう倒れなくてすみますね、とくっしーさんと話していると、ヘルパーの女性がやってきてソットーさんを私室のベッドにはこぶことになり、私も足をもたせてもらうという、珍しい体験をさせてもらった。女性が頭で私が左足、くっしーさんが右足と、3人でソットーさんを強制収用する。なんだか撃沈した北野さんをはこんでいるようで、さすがに永久ライダーの常宿だけのことはあった。

 くっしーさんは青森まで自走し、キャンセル待ちでフェリーに乗ってきたのだと言う。まじっすか? キャンセル待ちなんてできるの? と聞くと、青森までいく人間は逆に少なくて、バイクならば必ず乗れるのだそうだ。念のために書くと、車はまったくダメとのこと。いつになったら乗船できるのかわからない状態だとか。しかしこれで大洗港で会ったZRX君が渡道できたことはわかった。

 くっしーさんの愛車、旧型フェアレディーZの話をうかがう。いまの前の型のZでコンディションが悪く、夏の暑い時間にボンネットをあけてコンデンサーなどに触れると、バシュッとくずれてしまうことがあるのだとか。昔の憧れの車とのことだが、半端に古い車って壊れやすいんですよね、と1990年型のDRに乗る私はしみじみとつぶやいたのだった。くっしーさんともこれをご縁に相互リンクをしていただいた。

 高橋さんは休まれたとのこと。お疲れのようでほとんど飲まずに寝室にいかれた。奥様のYukoさんはつきあってくださったが、私は樹海ラーメンの話をした。おばちゃんは、はじめは話しかけてきたけどすぐに黙ってしまってそれきりだったよ、とやまちゃんに言うと、おかしいな、と答える。年がちがうからだよ、と言おうとすると、それで美味しかったの? とYukoさん。うーん、ふつう、と答えると、俺が北海道でいちばん味がいいって言ってるじゃないですか! と怒るやまちゃんだった。(後日談。やまちゃんのおすすめは樹海ラーメンではなく正油ラーメンとのこと。興味のある方はチャレンジしてみてください。私は…‥)

 

  屋内にもどって飲み直す 宴会の酒とメロン

 

 北野さんはグランブルー、ともさんはコーヒー酎、私はさつま白波をそれぞれ飲んでいた。北野さんはきょうの撤収に3時間もかかったのだとか。3時間ですよ、3時間、とつきあったやまちゃんが言う。よっぽど先に行っちゃおうかと思いましたよ、と。それでもつきあうのがやまちゃんのいいところだ。北野さんはタバコを1本すっては荷物をすこしまとめだすが、すぐに手をとめて、またタバコに火をつけて休んでしまうのだとか。そしてまとめた荷はやまちゃんに渡して、これバイクにはこんで、とたのむのだそうだ。それからバイクをこっちに持ってきて、バイクの頭はこっちにむけてね、とも。なんで俺がそんなことまでしなきゃならないんですか、と抗議すると、
「だって、暑いんだもん」だって。
 3時間かけてようやく撤収して走りだすと、北野さんはやまちゃんの顔を見て大笑いしていたと言うから、やまちゃんといっしょに走れて、よほど嬉しかったようだ。

 北野さんは永久ライダーであることを隠していたが、ついに同宿者に見破られた。やはり北野さんのHPは人気で、読んでいるライダーは多いのだ。その後は永久ライダーの話をせがまれていたが、社長さんも北野さんのHPを見ているそうで、これにはびっくりしてしまった。
「ご本人にお会いできて光栄です」と社長さんは何度も繰り返していたがかなり酔っている。しばらく社長さんは北野さんと会話をしていたが、ついには酩酊し、グラスを取り落として撃沈してしまった。

 ともさんはナーバスになっていた。雨のキャンプはもう嫌だ、雨天のツーリングも嫌だ、と言っている。明日も雨みたいだけどどうするの? と聞くと、電車で観光します、との返事。まじっすか? だって明日も雨なんですよ、と言うともさんだった。そして、雨が降るとシュラフが湿っぽくなるじゃないですか、と訴える。まあ雨だと、シュラフだけでなくて、テントのなかすべてが湿っぽくなるよね、でもそれがアウトドアじゃないの、と答えると、ローホーさんは文章は細やかに書くのに、じっさいのアウトドアでは無頓着なんですね、俺はシュラフが湿っぽいのはダメなんだ、だって。Yukoさんが、それは慣れよ、と言うが、キャンプもバイクも嫌だ、と答えるともさんだった。

 飲んでいるとソットーさんが寝室からフラフラとでてきてトイレにいった。しかし出てこない。やまちゃんが様子を見にいくと中で眠っている。しばらくするとトイレからでてきて、社長さんの撃沈している近くにすわり、舟をこいで寝てしまった。これはものすごいヨッパライダーだ。危険なほどのレベルの。

 皆さん自分のペースで楽しまれていて、自身のタイミングで寝室に引きあげていく。社長さんとソットーさんは深く寝ている。いつまでも飲みつづけてしまう我々は、1時過ぎまでやっていたが、すべてのアルコールがなくなったのでお開きとした。酒があれば朝まで飲んでいたかもしれない自分が、恐い。

 

 

                                                              390キロ