9月2日 深ジャリの林道で苦闘

 

 栗沢ふるさとの森キャンプ場の朝 

 

 5時に起床した。天候は晴れである。私のキャンプの朝食の定番、インスタントラーメンを食し撤収を開始する。若いふたりは眠っていて起きてくるようすはない。6時30分には用意がととのって、ふたりを起こさないようにバイクを押して出発し、キャンプ場から50メートルほどはなれたところでエンジンをかけて走りだした。

 国道234号線にでて北上していく。今日は名寄から林道を走りながら稚内方向にむかい、どこかでキャンプをする予定だ。林道走行がメインで、できれば釣りもしたい。名寄までは移動するだけなので、なるべく早く行こうと気持ちにせかされていった。

 

 岩見沢のSL

 

 岩見沢までは8キロなのですぐである。市街地で国道12号線に右折していくと、SLがおいてあったので記念撮影をした。SLは2台あり大切に保存されていた。国道12号線はやがて直線となり、日本一長い直線道路29.2キロ、と看板がでている。道はたしかにまっすぐだが、いつものことながら北海道の交通マナーは悪い。右左折するときにはまずブレーキを踏み、交差点の直前でウインカーをだす、もしくはださずに曲がるのは見慣れているからおどろかないが、片側2車線の道路で、追い越し車線の車が右折のウインカーをだして信号で停止しようとすると、その後ろを走る車が走行車線をいく私に幅寄せするようによってきて、センターラインをまたいで私の車線に越境し、右折車をよけて信号待ちをするのはひどいだろう。突然幅寄せをされたので喧嘩を売られたのかと思ったが、そのドライバーは何事もなかったような顔をしているから、逆にこちらがおどろいてしまった。

 赤信号ですりぬけて車列の先頭にたつと、バイクを先に行かせまいと、全力で加速するドライバーがいるのは北海道ツーリングの基礎知識だが、この大人気ないドライバーがいるのも北海道だけだ。バイクに先行されるのがそんなに気に触るのだろうか。北海道の人はバイクを車よりも下に見ている風潮があり、目下のものに前を走られることが我慢ならないようだ。

 そして前方の信号が赤なのでアクセルをゆるめると、後続の軽の若い女性は黄線をまたいで私をぬき、信号手前にあるセイコマに飛び込んでいくが、横顔がヤケクソのような表情をしていてどうかしている。朝のほんのわずかな時間に遭遇したこれらの粗暴なドライバーたちに北海道を感じてしまったが、自分勝手でやった者勝ちのような民度の低さは、なんとかならないものだろうか。

 29.2キロの直線の終わりには、直線終わり、の看板がでていた。その先にある道の駅『ライスランドふかがわ』に8時について休憩をする。道の駅にはゴミ箱はなく、併設されているセブンイレブンにはあったのでゴミを捨てさせてもらおうとすると、ちょうどお店の人がでてきて気持ちよく引き取ってくれた。何も買うつもりはなかったりだが、親身な対応に何かしら購入しないと気が済まなくなり、『こだわりの柿ピー』を189円でもとめる。ここのセブンイレブンはめったにないほど応対がフレンドリーだった。オーナーの方針なのだろうが、こういう店は客も気持ちよく買物をするから、売り上げも伸びるだろうと思う。ところでこの無理に買った柿ピーに、この後でずいぶんと助けてもらうことになるのだ。

 石狩川にそって山をのぼり、トンネルをぬけて峠をくだると旭川の街にはいった。旭川は大都会だが、北海道の都市らしくトンボがたくさんいる。街の西の入口の空には無数のトンボが群れていた。

 そろそろ給油のタイミングとなった。去年まではフラッグとスタンプがほしくてホクレンにこだわってガスを入れていたのだが、ホクレンの店員にはとんでもなく無礼な人間がいるから、今年は価格優先で決めることにしていた。旭川の街をGSを物色しながらすすんでいくと赤と黄色の派手なGSがあり、この色使いの店舗は目立つから前から気になっていて、しかも131円と周辺ではとびぬけた安値を提示しているので入店した。

 このGSはモダ石油という店だった。セルフの店なので機械を操作しようとすると、会員でないと1リットル・10円増しの141円になるから、会員でない方は店員に声をかけてくれとある。10円増しとは納得がいかないので、インターホンで店員をよぶと、100円をはらってカード会員になれば、会員価格の131円でガスがいれられると言う。100円だして131円のガスを買うよりも、2・3円高くとも他の店にしたほうが得なので、それはお得とは言えないね、と店員に言うと、10リッター入れれば元が取れます、と答える。それはこの店だけの話で、100円だして131円にするよりも、2・3円高くとも他のGSで入れたほうがよほど安いでしょう、と指摘すると、モダ石油は道内に36店舗あるので、今日だけでなく何回か利用してもらえばお得のはずです、とのこと。36店舗もあるのなら、このツーリング中にあと2・3回は利用するかもしれず、それならば100円払って会員になっても算盤があうと判断して、カード会員になったから、やはり私はお金にシビアだ。いや、これが当り前の感覚だと思うが、今これを読んでいるあなたもそう思うでしょう? 22.31K/L。131円で1600円。道内のモダ石油の所在地図とドライブ・パンフレットをもらって走りだしたのは9時12分だった。

 国道12号線から国道40号線とつないで旭川の街をぬけていく。昨年パンク修理でお世話になったバイク・ショップのワークスがあるがまだ店はしまっている。ワークスの前をとおりぬけて旭川の街をでていった。

 塩狩峠をのぼっていくと冷えてくる。寒いほどだが峠をこえてくだっていくと、気温はあがっていった。和寒にはいると田んぼや畑がひろがって空が大きくなる。米が実ってよい色になり、重たげに穂をたれている。その色と姿を見ると幸福な気持ちになるのは日本人のDNAのせいだろうか。和寒の町には雪でつぶれかけた廃屋があったはずだが、なくなっていたから取り壊されたのだろう。

 10時に士別に着いた。昨年立ち寄った『羊と雲の丘』で羊料理の昼食をとりたいと考えていたが、昼飯にはまだ早い。食事はもっと先でしようと士別を通過して名寄にいく。名寄は西條デパートのある大きな町だ。この町の東にある『名寄サンピラー・スキー場』からピヤシリ越林道がのびているので、標識にしたがってスキー場にむかった。

 

 名寄サンピラー・スキー場のジャンプ台

 

 名寄の市街地から丘陵地帯にはいり、山にのぼっていく。スキー場の手前にはジャンプ台があって選手が練習中だった。ジャンプをしているところは見たことがなかったので、バイクをとめてしばし見物し、写真をとってから走りだす。スキー場はそのすぐ先で、スキー場のはずれで道は砂利道となり、ここがピヤシリ越林道のはじまりで、林道にはいったのは10時45分だった。

 ピヤシリ越林道は深ジャリの走りづらい林道だった。浮きジャリと深ジャリがつづくのだが、ハンドルをとられてひどく走りにくい。そもそも深ジャリの林道には本州ではなかなかお目にかかれないものだ。土の道ではバイクはふつうに走ることができるが、深ジャリだとまっすぐ走るだけでハンドルをとられる。絶えずす前後のタイヤがズルズルとすべっているような状態となるのである。ハンドルをふられるので力ずくでおさえこんでいくのだが、腕と肩に力がはいってしまい、すぐにパンパンになってしまった。深ジャリに悩まされて、よほどこの林道を放棄してUターンしようかと思いつつすすんでいく。たまたまジャリを入れたばかりなのか、それともいつもこうなのか。ジャリさえなければ勾配もカーブも大したことのない林道なのだが、深ジャリにハンドルをとられつづけるのを押さえつけていくのみだった。

 出発前に燃費をよくするために、タイヤの空気圧を高めてきたのも操作性を悪くしたのかもしれない。それよりなにより重いキャンプ道具などをフル装備して林道に入ったのがそもそものまちがいだったかもしれないが、考えてみれば函岳の道北スーパー林道もパンケニコロベツ林道もフル装備で走行してなんともなかったのだから、やはりこの深ジャリが元凶なのだ。

 林道は途中に簡易舗装をしてあるところがあり、そこにでるとホッとする。しかしまたすぐに深ジャリになってしまい、急坂の深ジャリの悪路をハンドルをとられながらいくと2007年版のTMが落ちていた。すかさず拾ったが、私の使っている2005年版は雨でかなり痛んでいたからこれはラッキーだった。ちなみに内容に変化はほとんどなかった。

 

 ピヤシリ山への登山口  右・ピヤシリ山頂 直進・ピヤシリ越林道から奥幌内本流林道につづく

 

 TMを拾いあげたのはピヤシリ山の登山口のすぐ手前で、その登山口についたのは11時10分である。8キロの道に25分もかかった計算だ。登山口には登山者の車が7・8台デポしてあった。山頂までここから2キロの行程だが、頂上からは名寄の町などが見おろせて、すばらしい眺望がえられるとのことで、私もここにバイクをとめて歩いてみるつもりだった。しかし8キロの深ジャリ走行でそんな気力はなくなってしまい、とても山歩きをする気持ちになれない。ペットボトルの水をがぶ飲みして考えることは、Uターンするのか、それともこの先まだ10キロあるーーと思ったのだが、じっさいには20キロ以上あったーー奥幌内本流林道にすすむのか、ということだった。

 深ジャリをこれ以上行くのは嫌だし、かといって来た道をもどりたくもなくて、かなりナーバスになってしまう。暑くて喉はカラカラだし腕はパンパンだ。また水をがぶ飲みする。よほど引き返そうかと思ったが、ここまできてこの林道を投げ出したくないし、過去の経験から、どんなにひどい悪路でも走っていると慣れるものだと思う。2001年にカムイワッカの滝まで林道を往復したのだが、そのときはたまたま道路の整備が終わったばかりで、林道上にはジャリが均一に敷きつめられた状態だった。この浮きジャリダートは走りづらく、ハンドルはとられっぱなしで、往きは2度フロントからコケそうになるのを辛くもこらえて、ずっと2速で走ったのだが、帰りは慣れてギヤも3速となり、別人のようにスピード・アップしてフロントがすべることもなく走りきったのだ。あのときは今以上に過積載だったので、Uターンせずに先にすすむことにした。

 

 ピヤシリ越林道のハイライト 名寄の町などを見おらす展望地点

 

 ピヤシリ山の登山口の先にいくと展望がひらけて、すばらしい景色がひろがった。TMの林道紹介にでているピヤシリ越林道の写真はこの付近のものと思われる。ピヤシリ山の山頂付近にでたので、眼下に名寄の町や周囲の山なみが見わたせるのである。ジャリの少ないところにバイクをとめて写真をとるが、また走りだすとこれまで以上の深ジャリとなり、さらに走りづらくハンドルはふられっぱなしだ。この悪路にはとても慣れることができず、ハンドルをとられて道路から路肩にとびだすことが2度、3度。深ジャリのなかに車がつけた轍をいくのだが、Uの字になった轍をハンドルをとられつつすすむと、轍からとびだしてしまうことがあり、勢いあまって路肩までいってしまうのだ。たまたま路肩が広くなっているところだったから助かったが、走っていてこれはコケる、そのうちコケる、きっとコケる、といつ転倒してもおかしくないと、観念しつつバイクを操作していた。

 とにかく無我夢中、必死で走っていると、いきなりバイクにぬかれた。排気音が聞こえたと思ったら、そのバイクは私の右を走りぬけていて、すごいスピードである。バイクはヤマハのTDR250、オンロード・タイヤのついたセミ・オフロード・タイプで、TDRは右から私をぬくと、左の轍にフロントがすべるのもおかまいなしにもどって、つぎの右カーブでは、リヤ・タイヤがズバーッとながれるのもかまわずにアクセルをあけつづけ、ジャリをはねとばして加速し、すぐに私の視界から消えてしまった。

 それを見て肩の力がぬけた。これまでハンドルがふられるのを気にしすぎて、力ずくでおさえて走っていたのだが、TDRの走りを見て神経質になりすぎている自分に気がついたのだ。TDRはフロントは暴れっぱなし、リヤもはげしくスライドしていたが、じつに安定していた。私はハンドルのブレを気にしすぎて、力を入れすぎ、逆に走りづらくしてしまっていたのだ。肩と腕の力をぬいてみると、当然フロント・タイヤはあばれだし、ハンドルも左右にふれだす。しかし一定の範囲内でハンドルがふられるままにしておけば、それなりに安定している。ハンドルがぶれたり、タイヤがすべったりするのが当り前だと思えば、心に余裕がうまれ、走りもスムーズになる。無理のないところではハンドルをあばれさせながらこれまでよりも大幅にスピード・アップし、ギヤも一速高くなって、逆にカーブは十分に減速してコケる気がしないように安定させて走っていく。こうなると深ジャリも気にならなくなったが、それでもここはこれまでで最悪の林道だった。

 コケる気はしなくなったが深ジャリの下りは怖い。エンジン・ブレーキをかけながら慎重にいく。TDRにぬかれた直後、2・3分後だろうか、深ジャリのコーナーをゆっくりとぬけると、50メートルほど前方に鹿がたっていた。メスの大きな個体で、口をモグモグと動かして草をたべていて、逃げようとしない。ホーンを鳴らしても反応しないのだ。どうも鹿は鈍いようで、馬鹿という漢字があるのもうなずけるというのが、林道で何度も鹿に会ってきた私の実感である。このときも3秒ほどクラクションを鳴らしつづけ、接近しても鹿は動かず、口をモグモグしつづけ、どかないつもりなのか? と思った刹那に林にジャンプして消えた。TDRが通過したばかりだというのに路上にでてきたのだから、鹿は耳もよくなくてぬけているのだろう。

 

 神門の滝にいく枝道林道

 

 山をくだっていくと深ジャリはなくなり、ふつうの林道となった。こうなると本来の林道走行となり、走りをたのしむことができる。一気にスピード・アップしていく。すすんでいくと神門の滝の入口がある。昨年この滝の名を見て命名の妙を感じ、是非とも見たいと思っていたので、たまたまやってきた旭川ナンバーのフレンディーの後について、滝への林道をくだっていく。この林道は荒れていて、轍が雨にながされて深くなっており、フレンディーはかなり車体をかたむけて、ライン取りに神経をつかっていたが、バイクならばなんということもない道だった。

 

 

 神門の滝

 

 12時に神門の滝を見おろす駐車場についた。フレンディーにのっていたのは50過ぎの夫婦で、彼らは眼下に見える滝までいって釣りをするそうで、私も駐車場から滝の写真をとったあとでいってみた。滝までは駐車場から遊歩道を300メートルほど下っていく。私ひとりだったら熊が気になっていかなかったと思うが、先にふたりいるとなれば不安なしに歩くことができる。近づくと滝は思ったよりも大きい。落差のある、立派で豪快な滝だったが、神門の滝という名がどこからくるのかは感じることはできなかった。いずれにせよ昨年から眼にしたいと思っていた滝に接することができて、宿題をひとつ終えたような気分になった。

 ところでピヤシリ山頂への分岐から12.3キロで林道終点の幌内越峠だと思っていたのだが、分岐からの距離が20キロをこえても終点につかないのはおかしいと感じていた。神門の滝から4.8キロ走ってようやく林道出口の幌内越峠に到着したが、よくよくTMを見てみると、ピヤシリ越林道だけでも21.5キロあり、その先に奥幌内本流林道の8.5キロが接続しているので、ちょうど30キロの林道となるのだった。 

 林道出口の道道60号線の舗装路にバイクをとめて脱力したのは12時20分だった。林道上にいるときはバイクをとめるときにも、スタンドがジャリにもぐってバイクが倒れるのではないかと気をつかっていて、休んでいてもどこか緊張しているから、アスファルトの道にでると弛緩してしまうのだ。しかしこの林道はもう来ないぞと思う。深ジャリでヘトヘトだった。

 この後は南にある奥珊瑠林道にいく予定だった。しかし時刻は12時20分となっていて昼食をとりたいし、深ジャリで心が折れてしまっていて、31キロもの林道につづいて入る気力が萎えてしまった。とにかく食事にしようと思うが、ここは道道60号線上の山のなかで周辺には何もない。店があるのはオホーツク沿いの雄武町だろうから、そこへむかうことにしたが、TMを見てみると道道60号線から道道49号線とつないでいくと、上幌内越峠から北隆線林道がオホーツクにむけてのびており、走りやすいジャリダート13.5キロとコメントされている。深ジャリで心が折れてしまったので、走りやすい林道で林道リハビリが必要だと思い、この北隆線林道を通ってオホーツクにぬけることにしたから、私は懲りていないのだった。

 

 北隆線林道 フラットダートでスピードがのる

 

 27℃と表示されていて汗のにじむ暑さのなかをいく。上幌内越峠から性懲りもなく荷物満載のバイクで北隆線林道にはいった。このまま舗装路をつないでいっても面白くないと思ってしまうから、私も根っからのオフロード好きだ。しかし北隆線林道も浮きジャリの道だった。ピヤシリ越林道ほどではないがバンドルをとられる。それでもすすんでいくとジャリは少なくなった。ジャリさえなければこっちのもので、スピード・アップして林のなかを駆けぬけていくと、『神社跡』という看板があり、つづいて『集落』、最後には『墓』という表示があらわれるが、いずれも何もなく、ただ空地があるばかりで、ここは北隆鉱山の跡のようだ。捨てられた集落でさみしいところだから、昼間だからよかったが、夕方ならば恐いような雰囲気だった。

 集落跡をすぎると北海道らしいストレート・ダートとなった。走りやすいジャリダートで、ここぞとばかりに砂煙をまきあげて時速60キロでガンガンと走る。スピードはもっといくらでもだせたが、動物でも飛び出してきて転倒するとひどいことになるので、自粛しておいた。それにしてもバックミラーにうつる土埃がすごい。パリ・ダカール・ラリーを疾走するマシーンのようでじつに爽快だ。北海道はこうでなくてはと、ミラーを見て悦に入る私だった。

 13時05分に牧場の前で林道は終わり、たまたまいた牛たちと記念撮影をする。やけにトンビが飛んでいる畑をぬけてオホーツク海沿いの国道238号線にでると、ここにはカモメがたくさん舞っていた。R238にでたのは雄武の北だった。雄武の町に南下して店をさがそうかと思ったが、北にいっても何かあるだろうと安易に考えて北上していった。

 海沿いにでると気温は劇的にさがり涼しくなった。山のなかは27℃だったのに、いきなり21℃と表示されている。そして海の色がすばらしい。透きとおるような淡いブルーで、南国の海のような色彩だ。それだけ空が美しく晴れているということなのだろうがーー海の色は空が反映されたものだからーー北のオホーツクのイメージが変わる、透明感のある青のグラデーションだった。

 R238を北上していくが、レストランはなくて、コンビニは2件あったがゴミ箱がない。自分で売ったもののゴミも引き取らないような店は決して入らないようにしているので、利用しない。何かないかと思いつつ走るがなにもなくて、けっきょく道の駅『マリーンアイランド岡島』についたときには14時をまわっていた。

 

 漁師の店のホタテ丼

 

 さすがに腹が空いた。やはり北海道では道をもどることになっても、町で食事をしなければこうなるという典型だ。バイクからおりてさっそくレストランのメニューを見るが、惹かれるものがない。道の駅に隣接して漁師のプレハブの店があり、ここにはホタテ丼700円、カニの鉄砲汁500円、ふたつセットで1000円の張り紙がある。これにすることにして漁師のお父さんに料理をたのみ、店内は狭くて食事はできないので、外のテントの張ってあるベンチで待つが、風が吹くと寒いほどで、さすがにここはオホーツクだ。そして出てきたホタテ丼は予想していたホタテの刺身丼ではなくて、正油ベースで甘辛く炒めたホタテ丼なので落胆した。鉄砲汁はタラバが豪快にはいっているのだが、惜しいかなこれはぬるいのだ。どちらももう一工夫ほしいが、道の駅に出入りする人の前で、タラバの足をハサミで切りつつ食べるのは愉快だった。

 次の目的地のケモマナイ林道にむかう。この林道は一昨年にも進入をこころみたのだが、通行止めにぶつかって走ることができなかった道だ。今回は相互リンクしていただいている『じゃばさん』に情報をいただいているので、是非とも走破したいと思っていた。しかし寒い。ついさっきの内陸部は暑くて汗をかいていたというのに、ここオホーツク沿いは冷えていて、頭がジンジンと痛くなるほどだ。これまでヘルメットについている暑気よけの通風孔をあけて頭を冷やしていたのだが、たまらずに穴をふさいで風がはいってこないようにした。

 14時45分に国道238号線の問牧のケモマナイ林道入口につき、左折して林道にむかう。はいってみると記憶とちがう道つきだ。じゃばさんの情報では、国道から2キロほどすすむと分岐があり、ケモマナイ林道の看板がたっているので、この道へ左折するとのことだが、1キロほどで左へいく林道があり、ケモマナイ林道の看板はないが、とりあえずここに入ってみた。すると山にのぼっていくはずなのにすぐに海が見えて、これはちがうなと思うが、基点まで◎キロと案内がでていてどこかへ通じているようなので、走りやすいこのジャリダートをそのままいってみることにした。

 ウズラのような鳥の多い林道だった。おだやかな山をいくルートで簡易舗装まじりである。すすんでいくと8キロほどで舗装路にでたが、ここに三笠山林道の看板があり、展望台のある三笠山の南にでたのだった。この三笠山林道をもどろうかと思ったが、『熊出没で危険』の看板がでているので今さらながら慎重になりーー熊出没中は多いが、熊出没で危険という看板は見たことがなかったーーオホーツク沿いの国道238号線にでて問牧にむかい、ふたたび林道にはいった。

 

 ケモマナイ林道 植林された広場の横をいく

 

 問牧から林道にはいっていくと三笠山林道のつぎにも左にいく林道があり、その先の3本目の左にいく林道にケモマナイ林道の看板がたっていた。じゃばさんの情報どおり国道から2キロほどだった。ここだと左にはいっていくと、記憶とおなじく『魚を育てるための森』との趣旨の植林された広場があり、森林のなかをすすんでいく。やがて左にいく道があるが、一昨年とおなじく直進すると路面は荒れ、一昨年と同様にすぐ先でロープで道は閉ざされていた。

 一昨年はここで諦めてしまったのだが、これは手前にあった左へいくルートにすすむのだと思い、もどろうとするとニュートラル・ランプが点滅している。こんなことは初めてで、フェリーで始動したときのニュートラル・ランプとタコメーターの異常を思い出し、じつに嫌な感じである。それでもUターンして走りだそうとすると、タコメーターの針が突然、キューン、キュキューン、と跳ね上がりだすではないか。2・3千回転のはずが6・7千回転までふきあがり、これまた誠に嫌な感じだ。電気系統のトラブルだろうかとアクセルをあおると、タコメーターの針は墜落してゼロをしめし、動かなくなってしまったがエンジンはまわっている。落下したタコメーターの針を見て、しばし呆然としてしまうが、止まっていてもどうしようもないのですすむと、カーブの手前で熊よけのホーンを鳴らそうとしても、クラクションの音もでなくなってしまった。

 通りすぎた分岐までもどって考えた。タコメーターは作動せず、ホーンも鳴らないがエンジンは異常なくまわっている。ケモマナイ林道は全長22キロ。あと20キロは残っているが、このまま林道走行をつづけようかと。そう思った瞬間、またタコメーターの針がキュキューンと6千回転に跳ね上がり、アイドリングをしているだけなのに、針はダンスをするように勝手に上下するので心をかきみだされる。なんだかDRに、行くな、と言われているような気がして、とりあえず問牧の国道にもどって修理をすることにした。

 じつはバイクのバッテリーには携帯やデジカメのバッテリーを充電するための『充電システム』を接続してあった。バッテリーにシガーライターの端子のついたコードをつなぎ、これにインバターを接続して、充電器を使用するのである。これが問題の元凶となっていて、取りはずせばトラブルは解決するのではないかと考えた。

 

 国道脇で修理中

 

 バイクに積んである荷をおろしてシートをはずし、バッテリーを見てみると、何ということはない単なるバッテリー端子の緩みだった。ボルトがゆるんで電気が通じなくなっていただけだ。レンチでボルトを締めれば修理は完了した。しかし電気がなくなるとタコメーターの針が落下してゼロを示したり、ダンスをするものだと知ったのは有意義だっただろうか(これを読んでいるあなたも、こんなことは知らなかったでしょう?)。

 問題は解決したのでまたケモマナイ林道にむかおうかと思ったのだが、2回行こうとして2度ともダメだったのは何か因縁があるのではないかと感じ、今回はチャレンジするのはやめておいて、いつか来る次のときまで待つことにした。

 時間は17時をすぎているので、どこかで釣りをしてのんびりキャンプをしようと考える。もしも魚がかかったら、刺身か塩焼き、もしくは煮魚にして酒の肴にするつもりだが、どの料理になるのかは釣れた魚によって決まる。黒ソイやメバルならば刺身で、ホッケなら開きにして塩焼き、カレイなら煮魚だろう。明日には礼文にわたるので、いつもならなるべく稚内に近づいて、明日の朝一番のフェリーにのろうと欲張るのだが、先をいそぐのはやめて、ゆったりとすごすように自分に強いた。努力しないと先へ先へとすすんでしまうのだから、相当なせっかちの貧乏性なのだ。

 海釣りをしたいから、今夜の宿泊地はクッチャロ湖かさるふつ公園キャンプ場かと考えながらすすんでいくと、風車があった。家内が風車好きなので、バイクをとめて携帯で撮影し、メールで送ろうとしたがうまくとれない。逆光だし、風車のブレードの速度にシャッター・スピードがついていけないのだ。何回かためしてみたがこれは無理だと諦めて、携帯をしまおうとしていると、大型スクーターと250オンロードのふたりのライダーに追い越されたので手をふり、その後で走りだした。 

 2台のバイクと数台の車は先にいってしまい、私の前後にはだれも走っていなかった。前方にたつ風車を見ながらすすんでいくのは北海道ツーリングらしい瞬間だ。左は何もない原野で、右にはオホーツクの海、そして国道の先には風車が回転している。その風車に近づいて、もうすぐ真下かというときに、前方にいた車の群れが次々にブレーキを踏み、急停車したのが見えた。風車に見とれていたから、車間距離があいていてよかった。さもなくば追突したかもしれない。しかし何事だろうかと思っていると、停止した車の陰から、真黒い四つ足の動物がはいでてきたではないか。しかも、そいつは大きい!

 熊か? と思う。こんなところに? と。いや、江差の北の日本海沿いの町で釣りをしたときに、熊は国道から海岸まででてくると聞いたことがあるから、ありえないことではない。黒い奴は足を引きずっているから怪我でもしたのだろうか? 車にはねられたのか? 奴は首をふりながら歩いている。かなり痛そうだ。怪我をした熊はどうあつかえばよいのか? 手負いの熊は危険だと言うではないか。

 黒い奴からは100メートルほど離れていたのだが徐々に近づいていく。すると熊ではなく人であることがわかった。ヒグマではなくてライダーなのだ。真黒いヘルメットに黒い上下の服を着ていたから、全身黒で熊に見えたのだ。彼はついさっき手をふりあったライダーなのだった。

 彼は這ったまま道路を横切るとガードレールの下にたおれこみ、あおむけになって苦痛に体をふりしぼっている。とまっている車の先には彼の250オンロードが横倒しになり、相棒のスクーター君が走ってきてバイクをおこし、路肩にとめた。車の人も散らばっている荷物をひろったり、怪我人の救護をはじめたりしている。事故をおこしたライダーは痛みに顔をゆがめながらも、右手でおがむような仕草をして、謝意をあらわしていた。その彼のヘルメットには頭頂部から顎にかけて斜めに大きなひっかき傷がついていて、ヘルメットが路面に打ちつけられたことがわかる。私もおなじライダーだからとまって何かを手伝うべきなのだが、情けないことに私は怪我や血には弱くて、それらが直視できないほど恐くて、とまったとしても何もできない。友人と看護の人もいるので彼の怪我の軽からんことを祈りつつ、通過させてもらった。しかし風車に見とれたのだろうか、それとも動物でも飛び出したのか。たぶん前者だろう。

 無事故、無転倒、無検挙と、ツーリングの基本の言葉を噛みしめる。動悸がおさまらないうちにクッチャロ湖についた。ここは夕陽が美しいとのことだが、湖なので海釣りができないから通過する。今日は淡水魚よりも、刺身にできるような海の魚を釣りたいのだ。

 海沿いにでるとベニヤ原生花園の看板がでていたので、ここで釣りができるかもしれないと考えていってみた。しかしここは駐車場から海まで距離があり、道具をもって歩くのは嫌なので、写真をとってすぐに立ち去る。原生花園という名の原野がひろがっていたが、格別眼につく花もなかった。

 また海沿いの国道を北上していくと、19℃、20℃、19℃と気温が表示されている。すすんでいくと案内板があったので、国道から海に折れて浜猿払漁港についたのは18時だった。だれもいない漁港にバイクを乗り入れて、堤防の先端にとめた。ここは小さな漁港だ。数艘の漁船がもやってあり、港の近くには魚の加工場や集落があるが、だれもいない。物音ひとつせず、人は家のなかにいるのだろうが気配は感じられなかった。首都圏の港に釣り人がいないということは考えられないが、ここではそんな非生産的な遊びをする者はいなくて、海で働く人の朝は早いから、地元の人たちにとってはもう夜の時間となるのだろう。

 

 浜猿払漁港で釣りをする

 

 だれもいないのは気楽で都合がよいので、ここで釣りをすることにした。トップケースにいれてあるパックロッドをとりだしてリールをつける。ロッドは小さく収納できるもので、渓流のルアー釣り用のものである。山女や岩魚をねらう竿で、専門用語で言うとウルトラ・ライト・クラスという最軽量の華奢なものだ。これで20〜30センチの黒ソイやアイナメ、カレイやカジカが釣れればよいなと思っていた。

 昔、千葉の飯岡沖でやったアイナメの船釣り用の仕掛けをセットする。この仕掛けは凝っていくつも自作したのだが、波に揺られると船酔いする性質なので沖釣りはやめてしまい、大量にあまっているものだ。この仕掛けに天然風味の人工エサをつける。これは練物状だが常温でも10日ほどもつという、私の使い方に最適のエサだ。

 港でいちばん潮通しのよいポイントに投げてみる。なにしろ5グラムくらいのルアーを投げるための竿だから、オモリをつけて強振できない。すぐそこへ投げて魚信をまつ。北海道の道北、それもオホーツクの海ならば魚影が濃くて、黒ソイでもホッケでもカレイでも、エサさえいれれば何かしらかかるものだと思っていた。

 風が強くて寒かった。油断していると釣りの仕掛けなど吹き飛ばされてしまうほどに。この港には釣り道具のゴミがまったく落ちていないから、こんな無駄な遊びをする人間はいないのだろう。魚信はまるでないので、仕掛けを上げて岸壁の直下の海底をたたいていく。メバルやアイナメのいるポイントだ。足下の海底をさぐっていくが当たりはまったくなく、仕掛けをひとつ失った。18時にはじめたが、これはダメだと観念したのは18時30分だった。渓流釣りでは、いくら北海道といえども、パッと来てすぐに結果がでないことはわかっていた。しかし海ならば何かしらかかると思っていたのだが甘かったようだ。ただ猿払のオホーツクの海に竿をだせたことには満足して道具をしまった。

 今夜は魚なしである。それもよかろう。釣れたら刺身を食い、釣れぬなら食わぬまでである。すぐ先にある道の駅『さるふつ公園』に併設されている『さるふつ公園キャンプ場』にむかう。道の駅にはすぐについて、キャンプ場もとなりにあるのでわかったが、受付はサイクリング・センターとのことだがすでに閉まっている。その場合は隣接する『さるふつ温泉』で受付をしてくれとあるのでさっそくいってみた。

 温泉施設にはいると券売機があり、ここにキャンプ場料金200円のチケットが売られていた。これを購入して受付の職員に、
「キャンプはこの券をもっていればいいんですか?」と聞くと、無言である。
 私は人と話すときには相手の眼を見る。このときも受付の職員と面とむかいあっていたが返事がなく、何これ? 反応悪い、と思っていると、
「そうじゃなくて、キャンプの人は別の手続きがあるんです」と答えがかえってきたが、なんだか態度が親身じゃないし、横柄に感じられる。ただ反応が鈍くてそう見えるのかもしれないが、一連のことで反射的にカチンときて、
「じゃあ、どうするの?」と強く問うと、ノートをとりだしてこれに書いてくれと言いそうなのだが、なんだか面白くなさそうな表情である。そうなるとこちらもますます頭に血がのぼり、相手の鈍いペースにはさせず、東京モードのスイッチがカチリとはいり、係員をさえぎって、ここに書くのね?、こことここだね?、とこちらのペースでどんどん話をすすめて必要事項を記入して、職員の頭越しに、ポン、ポン、ポン、ポーン、と都内速度で手続きを済ませてしまった。キャンプ客を見下しているような気配を感じたので大人気ないことをしてしまったが、バイクやキャンパーをあなどる人間はままいるものだ。係員は単に不器用なだけなのかもしれないが、都会人にスイッチをいれさせるのに十分な対応の悪さだった。

 

 さるふつ公園キャンプ場

 

 スッキリしない気分でテントをたてにいく。せっかく遊びにきているのだから気持ちよくすごしたいのだが、面白くない対応をされたら遠慮をしないのは当然だ。バイクでキャンプ場にはいっていくが強風が吹き荒れていた。海からの風がまともに吹きつけてくるのだ。したがってふたつだけたっているテントはふたつの障害物、ステージとトイレの裏に設営されている。チャリダーがステージ裏で、ライダーがトイレの後ろのベストポジションを占めていた。

 広いキャンプ場なので本来なら人の近くにしたくないのだが、ものすごい風なのでライダーのとなり、トイレの裏にテントを張らせてもらった。しかしテントをたてようとすると、風で鯉のぼりのようになびいてしまってやりづらい。風上にたってテントを風下にながしてひろげ、足で踏んでおいてペグを打ち、固定した。ペグさえ打てばあとは簡単で、すぐにテントはたちあがり荷物を運び込む。ライダーは不在でチャリダーはふたりいたが、なぜかテントは1人用の物がひとつだけたっていた。

 温泉にいく。350円のチケットを券売機で買って件の係員にわたす。話をしてまた不快になるのは嫌なので、職員をロボットのようにみなして意識しないようにした。そんなことを考えていたからだろうか、印象にのこっていない温泉をあがって350円のビールを買って飲んでいると、若者がキャンプの受付をしているが、係員はにこやかに対応していて私のときとは大違いである。どうやら職員は自分のペースでやりたいようだ。それを私が上から物を言ったから不機嫌になったようだが、こちらは客である。しかし風呂にはいってビールも買った私はようやく客と認識されたようで、温泉をでるときに、ありがとうございます、と背中に声をかけられたのだった。

 テントにもどって夕食の用意をする。今夜の食事はスパゲティー・コーンクリームソースである。とはいってもスパゲティーとキューピーのスパゲティー・ソースをいっしょに茹でるだけという簡単なものだ。持参したスパゲティー・ソースが場所をとるし重いので、今後の林道走行のためにも、重い順に食材を消化していくことにしたのである。

 炊事場に水をくみにいくとチャリダーの青年といっしょになった。彼は22・3だろうか、日本一周中なのだそうだ。首都圏の自宅をでて北上し、宗谷岬をまわって南下しはじめたところとのこと。彼の自転車は昔ながらのランドナー・スタイルで、はやりのマウンテン・バイク型ではない。荷物は少なくて、自転車にとりつけられているバックはフロント・バックとリヤのサイド・バック2個の合計3個である。これはいかにも少ないが、それもそのはず彼はテントもシュラフも持っていなくて、自炊もせずに外食とのこと。珍しいタイプのチャリダーだった。
「バイクはいいですよね」と真黒に日焼けした彼が言う。ペダルをこぐことに倦んでいる気配がある。
「私も昔、大学生のときに自転車で北海道に来て、自分の足でこぐ自転車が嫌になってバイクにしたんですよ」と答えた。「でも、その自転車はまだ持っていて、たまに走ったりもしているんですけどね、自転車もいいですよね」とつづけると彼は微笑んでいたが、その彼には青春のかがやきがまぶしいほどひかっていた。そのころは気づかなかったが、貴重な、すぐになくなってしまう若さだ。私がそうだったのはもう四半世紀も前のことになってしまった。彼といっしょにいるチャリダーはたまたまここでいっしょになったそうで、こちらは自炊派とのこと。しかしこれでふたりでテントがひとつということに合点がいった。

 

 スパゲティーとソースをいっしょに茹でる

 

 チャリダー氏と別れてテントにもどる。しかし寒い。風が強くて冷え込んでいる。気温は12・3℃といったところだろうか。コッヘルを火にかけてスパゲティー200グラムとスパゲティー・ソースを茹でるが、風が強いので火力が安定せず、なかなか仕上がらない。その間にこだわりの柿ピーをつまみつつ焼酎を飲み、今日のメモをつけていく。スパゲティーが茹であがるとコーンクリームソースをかけて食べてみたが、ソースは甘ったるくて子供向けの味つけだ。大人の男の私としては不満だが、そもそもコーンクリームソースなどをえらんだことがまちがいだったようだ。

 いずれにしても腹は満たされて、食器をあらうためにテントの外にでてみると、日本一周チャリダーはポンチョをかぶって芝生の上で横になっている。彼は北海道の寒さを考慮していなかったようで薄着だった。大丈夫かなと思ったが、どうすることもできないし、慣れてもいるのだろうと考えてテントにもどる。風の音を聞きつつ杯をかさねていく夜だった。

                                                           398.4キロ