9月1日 いつも場所へ

 

 苫小牧にむかうフェリー

 

 フェリーは定刻の20時に苫小牧に到着すると放送があった。すでに荷物はまとめてあったので、ザックを背に船室をでて、甲板から苫小牧の街の灯をながめる。ターミナルや工場、ビルなどが遠望されて、今年も北海道にやってくることができたのだなと思った。

 ロビーにうつって下船のときを待つが、立っているのは嫌である。ソファを見ると丸テーブルをはさんで2個の椅子がむかいあっている一方があいていたので、そこにかけていたライダーらしき青年に会釈をして腰をおろした。
「バイクですか?」と彼は話しかけてくる。ええ、と応じると、彼は都内から来たセロー乗りで北海道ははじめてとのこと。
「それは楽しみですね」と言うと、どこかよいところはありますか? ときく。彼は北海道を一周するプランをたてていたが、林道走行は考えていないとのこと。キャンプはせずに宿泊はすべて宿にするとのことで荷は軽い、そしてタイヤはミシュランのT63というモトクロスタイヤを装着しているというから、北海道を代表する長距離林道の、パンケニコロベツ林道、ペンケニコロベツ林道、秘奥の滝めぐり、ヌプントムラウシ林道を紹介しておいた。彼のツーリング・マップル(通称TM)をひろげて、ここはWGPのラリーコースにもなるところで、一筆書きで周回すれば100キロ以上の林道走行ができますよ、しかもフラットでとても走りやすい、と説明して。彼は、WGPのコースになるんですか、それは是非とも走ってみたいです、と地図にマーキングをしながら答えた。彼はこれから高速を利用して札幌の友人宅にむかうそうだ。私はキャンプをする、と言うと彼は驚いていた。

 フェリーは苫小牧港に接岸したが、途中まではたいへんな揺れようだった。今朝起きたときには激しく揺れていたので、いつからそうだったのかわからないが、まっすぐに歩けないような状態で、足をはこぼうとしても左右によろけてしまうほど。私は船がすすんでさえいればどんなに揺れても船酔いはしないのだが、これでは船に弱い人は辛いだろうなと思った。デッキにでて写真をとろうとしても立っていられないような状態で、階段をおりるときも手すりにしがみつかないと、転落してしまうほどだった。

 そして船酔いしないはずの私が、本を読んだり文字を書いたりすると、気持ちが悪くなってしまう。横になっていればなんともないのだが、起きて座っているだけでも気分が悪くなってしまうのだ。その揺れも14時過ぎにはおさまったので今はなんともないのだが、これまで乗ってきたフェリーの中でずば抜けた揺れようだった。船はすすんでいるから、前後か上下に揺れるのだが、それに左右のひねりが加わって、じつに複雑な揺れかたをする。船体がねじれてギシギシと音をたてるのも嫌だった。

 バイクの下船案内がでたのでセロー氏と別れて船倉におりていく。出発の準備をととのえてキックをするとエンジンはかからない。一回ではかからのがふつうだが、ニュートラル・ランプが消えてしまった。これは変であり、嫌な感じだ。キックを踏みおろすとニュートラル・ランプは点灯するが、エンジンがかからないとまた消えてしまう。キック3発でエンジンは始動してニュートラル・ランプはついたが、今度はタコメーターが動かない。アクセルをあおるとタコメーターは復活し、何度かブリッピングをしていると通常の動作をするようになったが、どうも挙動が不安定で心許なかった。

 じつは昨日自宅を出るときにも始動性がわるく、チョークを引いたり戻したりしてエンジンをかけたのだが、キックをくりかえしてガスを吸い込んだのか、エンジンがかかると猛烈な白煙を吐いた。始動性もよくないのだが、オイル上がりのように白煙をだすのも、ツーリング中にオイルが減ってしまうから困った症状である。昨年の北海道ツーリングでは途中でオイルを買って補給したので、今年は対策を考えておいた。

 フェリーのなかで、大丈夫かよ、とつぶやいて相棒のようすをうかがっていると、大半のライダーは下船してしまい、残っているのは私ともう1台だけになってしまった。フェリーの甲板員が何をしているのだ、という顔をしてこちらを見ているので、硬いペダルを踏み込んでギヤをローにいれ、北の大地に上陸したのは20時15分ころだった。

 5キロほど走って信号待ちをしているとエンジン・ストールしてしまう。路肩にバイクをよせてキックをするとすぐに再始動したが、どうにも調子がわるい。しかし1990年型のバイクだから、多少の難点はいたしかたなく、老体にあわせていかなければならないのは承知の上だったが、これらのトラブルはバイクのせいではなく、私の単純ミスであることを後になって知るのである。

 昨年も利用した岩見沢市の栗沢ふるさとの森キャンプ場にむかう。国道36号線にはいると岩見沢まで75キロと表示されていた。国道をいくがいきなり北海道になじんでいる自分に気づく。何の気負いも興奮もなく、自然体で北海道の交通のながれにとけこんでいるのだ。今年で4年連続の北海道だから当然か。今年の北海道は暖かいようで、9月のナイトランでも予想していたように寒くはなかった。

 ツルハドラッグ沼ノ端店にはいり、水2リットルを98円で買い、ウトナイ湖畔の原野をいく国道234号線を北上していく。今夜の北海道のドライバーはペースが遅いようだ。いつもは抜かれどおしになるのに、今日は私が前を行く車に追いついては追い越していく。私はいつものとおり80キロで走行しているから、まわりの速度が遅いのだ。100キロ以上で飛ばす人が多いのに今夜はどうしてしまったのか。今宵は北海道らしからぬ大人しいドライバーがそろっているようだ。

 セイコマで今夜の酒のつまみを買っていこうかと考えるが、これからむかう栗沢ふるさとの森キャンプ場の入口がわかりづらくて、それが気になってバイクをとめる気になれない。ここは昨年に続いて3回目の利用なのだが、行きかたがむずかしいので神経質になってしまう。去年は詳細な地図を用意したのだが、今年はネット上でいくら調べてもキャンプ場がしめされず、現地に行けばわかるだろうと詳細図はあきらめたのだが、やはり着いてみなければ不安なのだった。

 75キロは遠いものである。夜道をひとりだし、キャンプ場の入口がわからないから尚更だ。しかし走っていると土の匂いがする。牧場の酸っぱいような香りもただよってくる。これらは北海道にだけある匂いだ。そして低くてみすぼらしい家並みやウトナイ湖の湿原と原野の姿も北海道独特のもので、暗くて見通しはきかないが北海道に来たのだなと思うのだった。

 栗山、栗丘とすすみ、栗沢につく。栗沢中学校の先を右に入っていくのだが、現地につけばわかるはずだと思っていたのに、暗くてどの建物が栗沢中だかわからずに通りすぎてしまう。しかし通過してしまったことにはすぐに気がついて、Uターンして入っていく道を慎重に見定めていく。はじめにあった道路は『ルック栗沢温泉入口』の看板があるから、これは1本北の通りである。この次のはずだと入ってみると正解で、すぐに右手の山にのぼっていく進入路をみつけた。この先の冒険ランドの一角に小さな無料キャンプ場があるのである。 

 細い道を山上にむけてすすんでいく。農家の軒先をとおり林のなかにはいっていくと、21時40分に谷筋にあるひっそりとしたキャンプ場に到着した。苫小牧から1時間25分の道のりだった。人気のない野営場だし、9月にはいっているから、もしかしたら誰もいないかもしれず、無人だったら少々怖いなと考えていたが、キャンプ場には若いカップルのキャンパーが1組だけいて、食事の最中だった。

 女性は微笑んでいるが、男性は夜になって急にバイクがあらわれておどろいているようだ。ふたりに一声かけようかと思ったが、私よりも20は年下のようだし、離れたところにテントを張れば会話をすることもあるまいと、バイクのライトで草地を照らしーーエンジンは切ったーーその明かりのなかにテントをたてはじめる。荷物をおろしてテントを設営するのに10分とかからない。テントのなかにマットとシュラフをひろげていると男性がやってきて声をかけられた。
「こんばんは、ビールでも飲みませんか?」
「焼き肉もありますから」と気をつかってくれる。
 私は会話をせずにすませようと考えていたからいささか慌てて、
「いやいや、おふたりの邪魔をするつもりはありませんから」と辞退した。
 彼は、
「ここは初めてなんですが、いつもこんなに空いているんですか?」と聞いてくる。
「そうなんですよ。なにしろ場所がわかりづらいし、何の設備もないキャンプ場ですからね」と答える私は首都圏の人間で、彼の車は札幌ナンバーなのだ。
「本にはテント6張りのキャンプ場と書いてあったんですが、来てみると誰もいなくて、ここにテントを張っていいのかな、なんて話してたんですよ」と彼は言う。
「ここは人気がないですからね。私も、もしかしたら誰もいないんじゃないかと思っていたんですが、いてくれて助かりました。ひとりだと怖いですからね」と私が答えると彼は笑っていた。そして私の人となりがわかると彼も安心して彼女のもとにもどっていった。

 テントにはいりシュラフの上に腹ばいになってメモをつけていく。時間は10時25分。ここは携帯は圏外だ。ヘッドランプの光のなかで文字を書いていくが、視力が落ちたのかとても見づらい。昨年は気にならなかったから嫌なことに気づいてしまった。

 ラジオをつけて焼酎をのみながらメモをつけていく。ふたりは楽しそうに食事をつづけている。私がラジオの音をだしているのがよいようだ。テントのなかで静まりかえっていたら、それは気をつかうだろう。メモはすぐに終わり、ラジオに耳をかたむけつつ酒をのむ。ふたりはやがてテントのなかにはいったが、やはり楽しそうに会話をつづけている。ふたりでいると楽しくてならないようだ。そんな時期ってあるよね、と思いつつ酒を口にはこぶ。ふたりは話しあいつつじゃれあっているような感じだが、やがて急に静かになったので、はじまったのかな、と思ったが、すぐに私も眠ってしまったから年をとったものだ。若かったら興奮してとても眠れなかったと思うから。これでは眼も悪くなろうというものである。

                                                               72キロ