2007 奥飛騨ツーリング 春まだ浅き深山の旅・1日目

 そしてクライマックスはラストに待っていた

 2日目はこちら

 

 飛騨古川 白壁土蔵街

 

 ゴールデン・ウイークにツーリングにでかけたい。息子は部活の合宿にいく予定なので、私も家内に言ってみた。
「俺も合宿にいきたいんだけど」
「あなたのは合宿じゃないでしょう?」
「合宿なんだよ」
「だれといくのよ」
「ひとりで」
「どこへ?」
「山へ」
「それは合宿じゅなくて、ツーリングでしょう!」
「…‥」
「しょうがないわねえ」

 なんとか許可をとりつけて、5月3日の朝に出発した。行先は奥飛騨である。キャンプ地は平湯キャンプ場のつもりだが、いつものように成り行きまかせで、どこに泊まることになるのか自分でもわからない。その場その時のひらめきでさまよい、夕方になったら野営地をもとめるという、いつもの旅のスタイルだ。いくつかの目的地はあったが、それらにあまりとらわれることなく、気ままに放浪しようと考えていた。

 7時前に自宅をでた。ほんとうはもっと早く出発するつもりだったのだが、昨夜飲みすぎてしまい、二日酔いで起きられずにこの時間となったのだが、まだ頭がボーッとしている。いまだ陶然として酔いがさめやらず、測定したら酒気帯びになるのではないかと考えて走る、だらしのない私だ。当然胃はムカムカして朝食はとれず、水ばかりをガブガブと飲んで出てきたのだった。

 有料道路である高速道路は決して使わないことを旨としている私は、奥飛騨にむかうのに国道20号線、甲州街道を利用することにしていた。都内西武の八王子にむかっていくが、ゴールデン・ウイークの渋滞を甘くみていたようだ。八王子の手前から、バイクでさえも身動きができないほどの大渋滞につかまってしまう。すぐに裏道にはいって大混雑ポイントをかわしていくが、八王子ICまではげしい渋滞だった。車で幹線道路をまともにきたら、どのくらいの時間がかかったのかわからない。2時間くらいだろうか? これだけでも嫌になってしまうほどの大渋滞だった。

 八王子市街にはいってながれだした国道20号線をいくが、市街からすぐ先の多摩御陵の手前からまたはげしい渋滞だ。なんとかすりぬけていくが、この渋滞は高尾山口までだろうかと考えてすすんでいく。新緑のこの時期に高尾山周辺は人気があるのだろうと思ったのだが、高尾山をすぎても混雑は終わらない。またそろそろ朝食をとろうかとも考えるが、まだ胃がスッキリしないので、大月あたりで食べればよかろうと考えて、八王子・高尾にたくさんあったレストランの前を通過していった。

 高尾をすぎても渋滞は途切れない。これではどこまで混雑しているのかわからない状態で、国道20号線のルートをえらんだのは完全な失敗だった。いつも利用する上信越ルート、R254をいけばここまでの渋滞はなかったはずだから。しかし八王子でこれでは、伊豆も千葉も行楽地はたいへんなことになっているはずで、帰路はよくよく考えなければならないと思いつつ大垂水峠をいくが、こんなに混んでいる大垂水峠もはじめてか。いや、遠い昔に反対方向から来て、何度か大渋滞だったことを思い出した。ここは走り屋には有名な峠で、私も若かりしころには3日とあけずに通ったものである。あの頃のコーナーの感触をたしかめたいと思っていたのだが、とてもそんな状況ではなく、ただただ車の横をすりぬけていくばかりだった。先日でかけた箱根付近の渋滞どころではない、1年で最高の大渋滞であった。

 ハーレーFLHが大型サイドバッグが邪魔になってすりぬけができず、車といっしょに渋滞の列にならんでいた。ハーレーは押しだしはきくがすりぬけができないことが難点だ。車と車のあいだにはさまっているハーレーを見て、ご苦労さん、と思いつつ数台のバイクとすりぬけをつづけていく。19℃、18℃と表示されている大垂水峠をくだっていくが、この渋滞はどこまでつづいているのだろうかと苛々する。あまりにも混雑がひどくてもう帰りたくなってしまった。バイクの私がこう思っていたのだから、車の人たちはどれほど気持ちを波立たせていたことか。心中察するにあまりある、救いのない渋滞だった。

 相模湖町にはいって、宿場町のように昔の町並みがのこっているところにでると、NHKがロケをやっていた。旧街道を女の子が歩いて旅をする企画のようだ。中山道編をNHK・BSでチラリと見たことがある。いまは甲州街道編にはいっているようだ。旅人役の女の子がカメラマンや音声さんたちと歩いていたので、追い越すときに顔を見てみると、芸能人とは思えない普通の女の子である。私は芸能人オンチ、テレビ無知なのでまったく知らない娘だったが、もしかしたら有名人なのかもしれないと考えて通過した(帰宅してから調べてみると、旅人は勅使川原郁恵という、スケートのショートトラックのオリンピック選手だった。いずれにしても私は知らなかったのだが、有名な人のようだ)。

 気温は20℃をこえた。延々とすりぬけをつづけていくと、相模湖ICをすぎてようやく渋滞は終わった。いったい何キロの渋滞だったのだろうか。八王子の5・6キロ手前から相模湖ICまで大渋滞なのである。帰宅してから新聞を見てみると、中央道は八王子を中心に35キロの混雑だったとのこと。とにかく人出が多くなって、景気がよくなっていることだけはわかった。

 流れだした甲州街道をいっしょにいくのはスズキ・ジェベルである。バイクを知らない人のために書くと250CCのオフロード・バイクである。ジェベルは気になっているモデルなので、出だしや加速力がどんなものなのか後ろについて観察するが、よく走るバイクだと思う。しばらくジェベルとランデブーとなった。

 大月の町にいたりそろそろ朝食をとりたいと思う。希望は牛丼屋の朝食、和食がたべたい。店をもとめて大月の町をぬけていくが、コンビニはあるが牛丼店も他のレストラン・チェーンもない。コンビニの店先でおにぎりや弁当をたべるのは嫌である。車ならば車内にすわって食事ができるが、バイクでは人に見られながら路上でたべることになり、それは私の行動規範からはずれているのだ。私はお金に細かいが、作法にもこだわるのである。コンビニには立ち寄らずに大月の町をでていった。

 日差しと紫外線が強くなり、暑くなってきた甲州街道をいくが、腹が減ったのに店はなく、もうこだわりもどうでもよくなって、コンビニでもよいから食事をしたいと思うと、それもなくなってしまうから皮肉なものである。空腹をかかえて笹子トンネルに高度をあげていく。左手をながれるのはきれいな渓流の笹子川で、4・5人の釣り人が川にはいっていた。気温は20℃と表示されておりやがて笹子トンネルである。トンネルにはいるとひんやりと涼しい。気温は16℃で一気に4℃も低下し、日差しもなくなるから寒いほどだ。トンネルをぬけても20℃はないようで、別の気候の国にはいったようだった。

 勝沼、甲府と朝食をとるか迷いつつすすむ。外食チェーンはたくさんあるのだが、伊那で名物のソースカツ丼を昼食にたべるつもりなので、いまここで食事をしてしまったら、それが昼飯になってしまうのでためらっていたのだ。伊那はまだ先でつきそうになく、しかもその前に林道を2本走っていくつもりなので、到着するのは14時くらいになりそうだ。それまで我慢すべきか、それともたべてしまうか。いま食事をするとしても甲府まできてチェーン店では嫌だし、なにか地元の物にしたいと考えつつ、渋滞している甲府市街をすりぬけていった。

 甲府の街を走っていると周囲を山にかこまれているのが見え、ここが盆地であることがよくわかる。街のすぐそこに山があるのが新鮮に感じられるが、地元の人は慣れていてなんとも思わないのかもしれない。私が高層ビルの群れを毎日見てもなんとも感じないように。しかし季節によって山の姿が変化していくのを見られるのは、うらやましいことだった。

 甲府市街をすりぬけていく私にしたがってくるのはヤマハR−1だ。レーサーのようなすごいマシーンで、前傾のポジションがきついから私は乗りたいとも思わないが、好きな人にはたまらないのだろう。甲府の牛丼店やラーメン屋の誘惑をふりきって韮崎にはいると、甲斐駒ケ岳が釜無川の先に雄大な姿をあらわした。冠雪した白い頂上部がかがやいていて、思わずバイクをとめるとR−1はそのまま先へ去っていった。

 

 冠雪した甲斐駒ケ岳

 

 甲斐駒ケ岳の写真をとり、ついでに休憩をしてツーリング・マップル、通称TMを見ると、すぐ先にある『大衆食堂なかよし』のすり鉢ラーメンが美味い、と書いてある。ゴマ入り味噌味なのだそうだ。その先のレストランの情報もチェックして出発する。なおも伊那のソースカツ丼に執着しつつ走行するが、空腹のあまり集中力が散漫になってきた。これでは危ないし、せっかくのツーリングが楽しくないと思っていると『なかよし』がある。駐車場に車が3台とまっていて客も2組はいっていたので、ここで食事をとることにした。

 11時40分に店にはいった。さっそく名物のすり鉢ラーメン、700円を注文する。地図を見たりメモをつけたりしていると、すぐにラーメンはでてきた。たべなくてもなんとなく味のわかるラーメンで、12時には店を出た。

 

 

 とにかく腹は満たされてまたR20を北上していく。小渕沢をぬけて茅野にはいり、昨年の秋にDR650のオーナー・クラブ、D0T−Nの林道オフ会で走行した金沢林道にむかう。ここは入口がわかりづらいのだが、金鶏の湯の入口の信号を左折して、R20に平行して富士見方向に1キロほどもどってから、畑のなかを山にむかっていくと林道はある。おなじような道が何本もあるのでみつけるのに手間取ってしまった。

 金沢林道はフラットで走りやすい林道である。道は狭いが乾いていて、ヌタ場はないし、深ジャリもない。途中の展望のひらけたところでオフローダーがふたり写真をとっていたので、私もバイクをとめて茅野の町を見下ろす眺望をカメラにおさめた。

 

 金沢林道

 

 彼らよりも先に出発する。林道をのぼっていくと信玄の金鉱跡があり、案内板がでていて興味をひかれたが立ち寄らずに通過した。昨年のオフ会の時には飛ばしていたので、景色を見ることもなく、ましてや案内板に気づくこともなかったが、今回は9キロの道をゆっくりと走ったので眼にとまったのだ。さらに山をのぼっていくと、親子4人のマウンテンバイクが道いっぱいにひろがってやってきた。歩くような速度まで減速して彼らとすれちがうが、路肩によった小学校3・4年生の男の子が、パタリ、とコケてしまう。私がころばせたわけではないがドキリとする。しかし親がついているのだから、道いっぱいにひろがって来ないでほしいものだ。

 金沢林道の出口には13時20分に到着した。そこは十字路になっていて、交差した道路は舗装路で、まっすぐいくのはジャリ道である。芝平峠にくだるこのジャリ道のルートを選択し、やや荒れた林道をくだっていく。芝平峠からは町道高嶺線にはいって、このぬかるみの多かった林道をくだろうと思っていたのだが、ルートを見失い、県道211号線の芝平高遠線にはいって舗装路になってしまう。もどるのも面倒なので町道高嶺線はあきらめて、そのまま山をおりることにした。

 狭い舗装林道をくだっていくと『放犬・発砲注意』の看板がでている。ここは山深いところだ。左には山室川がながれ、源流域だった沢がくだるにつれて大きくなり、ついには素晴らしい渓流になっていく。ここはいかにも魚の釣れそうな渓相をしていたが、釣り人はひとりしかいなかったから魚影は薄いのかもしれない。また途中には道祖神があったり、桜がさいていたりして、道草をくいながら美和湖にくだっていった。

 

 県道横の道祖神

 

 R152の美和湖にでると、すぐそこに道の駅『南アルプスむら長谷』が見えて、昨年のDOT−Nのオフ会で焼きたてパンの昼食をとったことを思い出す。きょうはその反対方向、北にむけて針路をとる。高遠をかすめてソースカツ丼をたべるはずだった伊那にむかった。

 R152からR361とつないで伊那の町を通過していく。ソースカツ丼はいつかまた来るその日までおあずけだ。ところで伊那にはローメンというもうひとつの名物もある。蒸した焼きそばのようなものだそうだが、3回たべると美味しさがわかるのだそうだ。私ははじめから美味しくて、何度もたべたくなるものが好みなので癖のありそうなローメンは敬遠した。通過していく伊那で給油をする。燃費は不明。ガスはひどくたかくて141円、16.5Lで2326円であった。

 はじめて走る権兵衛トンネルにむかう。トンネルができる前は塩尻までいってから、国道19号線を木曽福島に南下していたので、ずいぶんと便利になったものである。思い返してみると、12年ほど前に御岳山の北にある濁河温泉にいったときには、権兵衛峠は通行止めで走ることができなかったのだ。やむなく伊那から塩尻まで高速で移動し、濁河温泉にいそいだのを思い出す。あれは峠がまだ開通していなかったのか、それとも復旧工事のための通行止めだったのか。いずれにせよあのときすでにDRに乗っていたのだが、翌日の林道で転倒してしまったことも思い出した。怪我はなかったのだが、左足をバイクに挟まれてたおれ、その足を引き抜いた感触がよみがえる。あれ以来転倒はしていないのだか、コケるのは嫌なものである。

 権兵衛トンネルにさしかかる。一般国道で無料なのがなによりうれしい。トンネルの入口で初走行の記念に写真をとったが、そんなことをしているのは私ひとりだった。トンネルにはいるとまた寒い。気温は一気に低下して、表示をみると笹子トンネルとおなじく16℃となっている。笹子トンネルの手前よりも外気温は上昇していたから、トンネルの外とは6・7℃はちがうものと思われた。そしてトンネルをぬけて木曽にはいると、また別の国に来たかのように温度は低く、元の伊那のようではないのだった。

 国道19号線にはいって木曽福島方向にむかう。予定では御岳山にある滝の修行場である清滝を見て、野麦峠の南にある月夜沢林道を走破し、飛騨の平湯でキャンプをするつもりだった。しかし清滝と月夜沢林道の両方にいっている時間はもうない。そこで滝をあきらめて林道を選択し、R19からR361にはいって北上していく。開田高原にのぼっていくと肌寒くなり、たまらずに革ジャンの下にトレーナーを着込んだのは15時だった。

 R361から右折して、小さな集落をぬけて月夜沢林道の入口にむかうと、林道は通行止め、と看板がでている。しかたなく月夜沢林道をあきらめて、北にある野麦峠をこえていくことにするが、終日晴れのはずなのに雨がポツポツと落ちてきた。空は晴れているので、狭い地域だけの天気雨だろうと考えてカッパはつけずにいく。国道にもどっていくとまた道祖神があったので写真をとり、すぐに走りだして雨をふりきろうとした。

 

 月夜沢林道は土砂崩落のため通行止め

 

 R361の木曽街道にもどって飛ばしていく。しかし空は暗くなり降雨も強まってしまったで、ついに観念して雨具をつけた。グローブも雨用のものにかえたがブーツカバーはつけない。そこまではげしい雨降りにはならないだろうという判断だった。

 気温は低下して13℃とでている。雨は強くはないが一定の量が落ちてきて、ヘルメットにボツボツと音をたてている。すぐにカッパをつけていても寒いほどの温度となった。低温のなかを長峰峠むかってのぼっていくと、御岳山の迫力のある姿があらわれた。富士山のような美しい円錐形で、雨で山すそは霞んで見えず、山頂部だけが宙に浮いているように望めて、白い雪をまとった様は神々しいほどだ。思わずバイクをとめてカメラをとりだした。

 

 御岳山 走行中は宙に浮いているように見えたが、山すそまでうつっている。しかし写真では雪の白色がくすんでしまった。

 

 信仰の山であることがうなずける美しさだと思いつつ、御岳山の写真をとって走りだす。気温はさらに低下してついには10℃となった。ついさっきまで25℃くらいあったのだから、いきなり15℃も下がったわけでたまらなく寒く感じられる。高根乗鞍湖から県道39号線にはいって野麦峠にむかうと、さらに寒くなっていくのだった。

 つづら折の山道を飛ばしていくと、キャンプ道具を満載しているハーレーに追いついた。ストリップのFLHのようだ。ハーレー氏はフートボードに両足をなげだしてゆっくりと走っている。寒いのにノンビリ走行するというのは私にはできない芸当で(寒くなくともだが)、一気にハーレーをぬいて先にいった。ハーレーは飛ばしたくてもできないのかもしれないと思いいたったが、その点DRは峠道は得意である。コーナーは軽快に駆けぬけていくし、650CCの排気量で小気味良く加速する。林道も走れるし、私は使わないが高速走行も楽なのだから、こんなによいバイクはないと思うのだが、人気がないのが解せないところだ。ほんとうに自分に必要なものを、名をすてて実をとることのできる質実剛健なライダーが、少ないからであろう。

 山道をガンガンと飛ばしていくと、どんどん寒くなり周囲には雪が多くなる。路上にはないが山肌に残っているのだ。こうなると天然の冷蔵庫のなかにいるようで、その冷気のなか16時45分に1672メートルの野麦峠に到着した。峠には女工哀史の像がたっていたのでその前にバイクをとめて写真をとったが、病気になって自宅に背負われて帰っていく女工はすぐに死ぬ運命なのだから、見ていてもあまり気持ちのよいものでもないし、なにより寒い。峠には『野麦峠お助け小屋』という不穏な名前の避難小屋もあって、ここでの長居は無用だという気がしてくる。真冬ではないからそんなに危険なこともないのだが、夕刻がせまっているし、先はまだ長く、雪がたくさんあって寒いことで心の余裕がなくなっていた。早々にバイクをスタートさせるがみぞれが降りだして、さらにあわててしまう。まさか白いものが降ってこようとは思いもよらず、積もったりしたら厄介なのでスピードアップして山からくだっていくが、もちろん凍結、スリップには十分気をつけていった。

 しかしバイクの駆動力があれば野麦峠の通過もあっという間である。みぞれも雪にならなければなんということもなく、すぐに雨になってしまったが、バイクも車もなく、道も整備されていなかった時代にここを越えるのはたいへんなことだったであろう。そしてこんなに山深いところでは、いろいろな伝説や民話も生まれたことだろう。

 上高地の山、穂高や槍ヶ岳などが見ゆ。こちらもかがやくような白い雪をまとい、神々しいほどにまばゆい峰々のつらなりである。御岳山のように単独で屹立する山もよいが、いくつもの山がたちならんでいるのもまたちがった美しさがあるものであった。山をくだっていくと気温はあがっていき、雨もやんだ。県道26号線にはいって奈川あたりにつくと、桜まつりの最中だった。桜まつりは5/3〜5/6とポスターがはってある。高地なので桜が咲くのがおそいのだと、あらためて周囲の山をながめてみれば、桜の木が点々とあり、ピンクの霞むような花の群れが見えて心がなごむ。シーズンのはじめに桜を眼にすると心がおどり、山地のおそい花を見ればおだやかな気持ちになるのは、日本人として自然な心のなりゆきだろう。

 梓湖をぬけて国道158号線にはいったのは17時30分だった。有料道路はつかわないことにしている私は、上高地と平湯をむすぶ安房トンネルは利用せず、無料の旧道をいくつもりだった。山道を30分も走ればタダで飛騨に入れるのだからそうするつもりだったのだが、この時刻である。時間を買うために不本意ながら有料トンネルを通ることにした。

 R158を上高地にむけてのぼっていく。この道路は松本と上高地、平湯をむすぶ観光道路だ。たくさんバスがはしっていてその後にしたがって山道をすすむ。すぐに上高地にはいる人たちが、自家用車をとめてバスに乗り換える沢渡にいたる。ゴールデン・ウイーク中だが上高地はまだ冬山とおなじであるせいか、観光客の車は思ったほどとまっていなかった。

 渓流沿いのトンネルの多いR158をすすむ。気温はまたさがってきてついには10℃を切り、上高地の入口の釜トンネル前は9℃になった。寒いとは思っていたがじっさいに9℃の表示を見ると、さらに寒気がこたえるのは私が単純だからだろうか。

 釜トンネル前を通過すればすぐに安房トンネルである。時間があれば旧道の峠道をいき、温泉代を浮かせるつもりだったのだが、まだ冬期閉鎖中であった。安房トンネルにはいると中はあたたかい。気温は15℃とでている。直前で9℃だったのだからあたたかいはずである。しかし考えてみるとトンネルの中はどこも15℃、16℃と温度は一定なのだ。太陽光の影響をうけない地中の温度はいつでもこのくらいなのだろう。だから日中の20℃以上のときにトンネルにはいると寒く感じられ、夕方になって気温が下がってからトンネルに進入するとあたたかく思えるのだと気がついた。

 そんなことを考えつつ4キロのトンネルを一瞬でぬけて飛騨にはいった。トンネルの出口には料金の自動収受装置があり、ここで金を払うのにバイクの常で手間取った。バイクをとめてグローブをとり、財布をだして千円札をぬき、金を機械にいれて釣り銭をもらい、振り返ると車が4・5台ならんでいた。

 

 安房トンネルの上に北アルプスの峰々が見ゆ

 

 急いでゲートをぬけてすぐ先にある休憩コーナーで一息いれた。トンネルの料金所の上には北アルプスの山々が見えて、また打たれるほどに美しくて写真をとったが、この雪山を撮影するのはむずかしく、このときにかぎらないのだが白色が飛んでしまい、帰って画像を確認してガッカリしてしまった。絞りなどを調節すればよいらしいが、それはこれからの課題である。

 宿泊するつもりだった『平湯キャンプ場』はもうすぐそこである。予約はしていないが、周辺に雪の残るこの時期に、いっぱいで泊まれないということもあるまいが、じっさいにたしかめるまでは不安だ。キャンプ場に近づいてみるとかなりの数のキャンパーとテントにおどろくが、野営するのに問題はなかった。

 ここは思っていた以上に広いキャンプ場だった。管理棟の周辺だけがキャンプ場だと思っていたのだが、道路をはさんだ向かい側にもオートキャンプ・サイトとフリー・サイトがあり、こちらのほうが断然広いのだ。受付で説明をきくと、バイク・車乗り入れ可のオートキャンプ・サイトと、乗り入れ不可のフリー・サイトのどこでも好きなところに幕営してよいとのこと。焚き火もOKとのことで、そのおおらかな運営に好感をもった。大人1泊600円とバイクが300円、そして近くにある温泉施設の『ひらゆの森』が通常500円のところを400円で利用できる割り引きがあり、合計1300円で今夜の宿をえた。

 キャンプ場の説明をうけていると、同年輩のカワサキのオフローダーがやってきて、彼は何度もここを利用しているので説明不要とのことで先にでていった。私もカワサキ氏におくれて管理棟をでて、道路をわたり広大なキャンプ・サイトにむかう。はじめは林間のオートキャンプ・サイトにテントを張ろうと思ったのだが、こちらは車のファミリーが多いし、歩いていく温泉施設の『ひらゆの森』が遠くなってしまうので、ライダーの集まっているフリー・サイトに幕営することにした。カワサキ氏もここにむかっていたので後についていく形になる。駐車スペースにはバイクがたくさんとまっていて、ホンダCX500ターボという珍車から懐かしのホンダCB400Fなどもあり、そのなかにアフリカ・ツインが1台いて眼をひかれる。シルバーをベースにしたカラーリングに注意をひかれたのだが、しばしそのバイクを見て、その奥にDRをとめた。

 

 平湯キャンプ場に集まったバイクたち 右がフリー・サイトで左がオートキャンプ・サイト

 

 フリー・サイトはライダー・サイトと化していたが、混んでいてテントをたてるスペースがなく、カワサキ氏のとなりに設営したが、とくに挨拶も会話もしなかった。話しかければバイクでキャンプという共通の趣味をもつ中年同士、気があうのはわかっていたが、ひとりなのも気楽でよいので。後ろには男ふたり、女ひとりのグループがいて、彼らはふたつのテントの間にタープを立てて、本格的なキャンプを楽しんでいる。ディレクターズ・チェアにすわりワインをあけて飲んでいた。

 テントをたてていると、カワサキ氏の先のテントのライダーが枯れ枝を切っているのが眼につく。その枝を切っている道具が特殊で、ひも状のノコギリをつかっているのだ。マメなことをする人がいるものだなと思いつつテントを3・4分で設営し、荷物をはこびこんでマットとシュラフをひろげ、夜の冷え込みにそなえてマットの下に敷く新聞紙も用意して、今夜の寝床をしつらえた。

 

 

 ライダー・サイトと化していたフリー・サイト

 

 枝を切っていたライダーは赤を大胆につかったモトクロス・ジャージを着ているが、このジャージにひっかかるものを感じる。それよりなにより彼の顔が、どこかで見たことのある人なのだ。彼は携帯で話をしだしていて、今夜のキャンプの予定とテントの位置について語っているから、友人とこれから合流するのだと察せられた。彼のことをどこかで見たことのある人物だと思うのだが、どこの誰なのか思い出せないまま夕食の準備にとりかかった。

 雨がパラパラと落ちてきた。強まりそうもないが、すでにテントを張っているからいくら降られても平気だ。帽子をかぶって雨粒をよけつつ水をくんできて火にかける。今夜の夕食はいつものそばやうどんではなくパスタだ。しかもお洒落なスパゲティー・ペペロンチーノである。湯がわくと持参のパスタを投入し、茹であがるのを待つあいだに焼酎の水割りをやりだす。これがたまらない一瞬だ。やはり持参の柿ピーをつまみつつ、コッヘルにつくった酒を、テントの横で火にかけたバスタを見つつ飲む。雨に打たれていることさえアウトドアらしくて心地よい。思いたって携帯をチェックすると義理の母より着信があり、家内に電話をかけると用事はすんでいて、ついでに平湯キャンプ場に無事ついてくつろいでいることを話して電話をきった。

 パスタが茹だったか食べてたしかめ、湯を切った。パスタを食器代わりのフライパンに移し、インスタントのペペロンチーノ・ソースをかける。私は野営仲間のmacさんのように手間はかけない。パスタをかきまぜてソースとなじませればスパゲティー・ペペロンチーノの完成である。料理の名前はお洒落だが、パスタは格安品を持参したから200グラムで46円くらいで、SBのペペロンチーノ・ソースは154円だったから、今夜は200円のディナーである。スパゲティーは1人前100グラムが標準だが、私はいつも200グラムたべてしまう。ちなみにそばもうどんの一食200グラムだ。焼酎の水割りをやりながらペペロンチーノを食せばじつに美味い。一気に完食してしまい、お腹もいっぱいになった。

 

 手早く格安ディナー

 

 じつは温泉街にある『奥飛騨宝ラーメン』にいって、ラーメンにビールの夕食にしようかとも考えたのだが、キャンプの夜に外食はらしくないので見送った。この店は友人の『B級グルメ研究家』におしえてもらい、数年前に渓流釣りに来たときに利用したのだが、味がよくて気に入っている。そのときに『ひらゆの森』にもはいっていてこの温泉も好みだった。友人の『B級グルメ研究家』は長野、新潟、岐阜、富山限定のB級グルメハンターで、これまでもいろいろな実績をのこしている。2002年の『Pキャン、金沢・越前・郡上八幡の旅』でも話題を提供してくれたのだ。

 ところでペペロンチーノをたべていて、どこかで会ったことがあると思っていた彼が、あの人ではないのか、という考えがまとまっていた。なによりも顔と、特徴的なジャージ、ひも状のノコギリ(良く切れSAW君、と名づけられている)、そして彼は一度も近づいていないが駐車場にとまっているアフリカ・ツイン。これらを結びつけるとある人物になるのだが、さらに確証をえるために、コッヘルを洗いにいくときに彼のテントの横をとおり、装備を確認すると、切った枝を燃やす焚き火台の『どこでも焚き火君』があるではないか。これで彼は私が何年も前からHPを読ませてもらっている『じゃばさん』だとわかった。しかしweb上の画像を見て私が想像していた『じゃばさん』のイメージと、じっさいの人物とには当然ながら差異があり、これらを結びつけて結論をだすのには、記憶と想像力の飛躍が必要だった。

 しかしご本人だと知ると『じゃばさん』に話しかけたい。なにしろ私の北海道ツーリングの林道、秘湯情報はほとんどじゃばさんのHPで得たものなのだ。パンケニコロベツ林道もペンケニコロベツ林道も、物満内林道に函岳も、岩間温泉もすべてじゃばさんに教えてもらったようなものなのだ。しかしインターネットがむずかしいものであるのも事実で、話しかけられて喜ぶ人もいればそうでない方もいて、どうしようかと迷ってしまった。HPはネットの中だけの仮構の世界で、それを現実の場にもち込まれるのは嫌だ、という人はけっこういるのだ。

 話しかけたいがためらわれて結論がでず、とりあえず楽しみにしていた『ひらゆの森』の温泉につかってよく考えることにした。手ぬぐいをぶら提げて、帰りは真暗になってしまうだろうからヘッドランプも用意していく。『ひらゆの森』はキャンプ場から安房トンネル方向に歩いて5・6分である。ゆったりと足をはこんでいくが、温泉の駐車場の植栽にテントを張っているスクーターの人がいてびっくりしてしまう。たくさん人が歩いている駐車場のすぐ横に幕営するなんて、いくらタダでも私にはできない。しかもここでの車中泊は禁止と看板まで出ているというのに、すごい神経だ。念のために書くと私はお金に細かいが、金にきたなくはないのである。

 大小12の露天風呂のある『ひらゆの森』にはいり、ぬるめの湯につかる。私は熱い温泉は苦手で、このくらいの温度のほうがずっと入っていられていて好みなのだ。12の露天風呂に順番につかっていくが、以前にきたときと風呂のレイアウトが逆である。日によって男湯と女湯をいれかえるからだろう。湯にしずんで周囲の森をながめていると、60すぎのふたり組みがやってきて、
「なんだ、風呂が12もあるなんて言ったって、みんな同じじゃないか」と言う。「おんなじ露天が12あるだけだ」
「それにここは暗いな」と相棒がこたえる。
「足元がよく見えないから、小指を石にぶつけて、爪をやっちまった。じいさんにはきびしいところだ」
「昼間ならいいんだろうけどな」
 年をとって眼が悪くなるとこうなると知った。しかしお父さん小指を痛めながらも湯につかり、また別の露天に入るためにすぐに移動していった。湯につけておけば怪我もすぐによくなるだろう。

 ひらゆの森はたくさんの人でにぎわっていた。白濁した湯がよいし、広い露天風呂の開放感がたまらないからだろう。湯に体をなじませて考えることは、じゃばさんに話しかけるかどうかである。じつを言えば私も自分のHPを読んでくれている方とお会いすることは想定していない。じっさいに顔をあわせることはないと思っているから、金に細かくてみみっちい話や、狭量で好き嫌いのはげしいことなどを本音で書いているのだ。そうでなければ内面をさらけだせないではないか。したがってHPを読んでくれている方とお会いするのは、うれしい反面、恥ずかしくもあるのだ。私は自身をさらしているのに、HPを読んでくれている方の内面はわからないわけで、みんな本質的なところは同じなのだとは思うのだけれど、自分だけ服をきないでいるような感覚をおぼえてしまう。それでも声をかけてもらえば私はうれしいですが。 

 いろいろと考えた結果、じゃばさんに話しかけようと決めた。こんな偶然はもうないだろうし、じゃばさんのHPからにじむ人柄を考えれば、話しかけても嫌がられないだろうと感じたからだ。もしも迷惑そうだったらすぐに引き下がればよいと思いつつ、そう結論をだした。

 サウナに2度はいって汗をしぼり、満足して温泉をでた。風呂のあとに、宝ラーメンを食す、という考えもあったのだが、もうすぐ閉店の時間だし、なによりお腹がいっぱいだ。休憩室にいって第3のビール500mlを300円で買い、飲みつつメモをつけることにした。休憩所もにぎわっている。飛騨牛乳が人気で、風呂上りは腰に手をあてて冷たい牛乳、だろうか。横になって寝入っている人もいるなかで、きょうのメモをつけ終えてひらゆの森をでた。

 

 ひらゆの森

 

 キャンプ場にもどってみるとじゃばさんの姿はなく、テントに明かりもなかった。これはすでにお休みか、とガッカリしつつ自分のテントにもどり、サバ缶を火にかけてまた焼酎を飲もうとしていると、じゃばさんが友達とふたりでもどってきた。さてはさっき携帯で話していた友人がやってきてこれから宴会かと思い、これでは話しかけることはできないなと感じていると、その友は席をはずした。いまはじゃばさんひとりだけ。相手の方はすぐに帰ってくるだろうから、話しかけるなら今しかない思い、サバ缶の火をとめてじゃばさんのところへ歩いていった。
「あの、失礼ですが、じゃばさんですか?」と声をかけると、
「そうですけど、あなたは誰ですか?」とじゃばさんはすごく驚いている。見ず知らずの人間に突然声をかけられたのだから当然だ。そこで私は数年前からじゃばさんのHPを読ませていただいている者で、北海道の林道や秘湯の情報を参考にさせていただき、じっさいにパンケニコロベツ林道やペンケニコロベツ林道、函岳や宗谷林道、岩間温泉にもでかけたのです、と説明した。そして私もHPをもっていて、そのときのツーレポものせています、と。じゃばさんの表情はだんだんゆるんでいった。そして、
「どこで(私と)わかりました?」と聞く。
「これです」と『どこでも焚き火君』を指差す。「でも、たくさんの人に声をかけられるのではないですか?」と言うと、
「そんなことはなく、はじめてです」とのことだった。

 さきほどいっしょにいた方は友人の友達でもう会話は終わったとのこと。じゃばさんは声はかけられないが、メールはたくさんもらうのだそうだ。反響が大きかったという、私もじゃばさんのレポートを読んで出かけた宗谷林道について話をする。じゃばさんのレポートには泥だらけになったアフリカ・ツインがうつっていたが、あのときはタイヤが泥に半分ほど埋まってしまったとのこと。そしてじゃばさんのHPにはメール・アドレスが貼ってあり、リンクフリーだがメールをくれとしてあるが、とおっしゃる。もちろん私もそれを知っていたのだが、リンクをさせてください、といきなりメールを送るのはかなりの思い切りが必要で、敷居が高く感じられ、ためらっていました、と答えた。ならばメールをくださいとじゃばさんがおっしゃってくれたので、帰ったら送ります、と答えたのだった。

 『どこでも焚き火君』にいれられた木の枝が断続的に炎をあげる。よく燃えますね、と言うと、じゃばさんは野営の秘密兵器、どこでも焚き火君、ハイパーターボ君、良く切れsaw君などの話をしてくれた(詳しくは『じゃばさんのHP』でどうぞ)。そして昨年は北海道ツーリングに出かけなかったのですね、と聞くと、いきました、とのこと。でもレポートがUPされてないですよね、と言うと、いつもとおなじようなツーリングだったのでレポートは書かなかった、とのこと。それは残念なので、是非書いてください、とお願いしたが、10ヶ月も前のことで、どうしたものか、とのことだった。あまり長居をすると迷惑かもしれないので、ほどよきところで、ではメールを送ります、と言って失礼した。これをご縁にじゃばさんと相互リンクしていただいたので、思い切って声をかけてほんとうによかった。

 テントにもどってサバ缶で焼酎をやる。ふだんは決して食べない安物のサバ缶だが、やけに美味しく感じられるからキャンプの夜は愉快である。火にかけた熱々のサバをつまみつつ酒をぐっとあおる。中年男のひとりのキャンプだが、これがまたたまらなく楽しいのだ。

 サバ缶をたいらげて冷えてきたのでテントのなかに入った。ラジオをつけてみたが山のなかで受信状況がわるく、まともな音がでない。ラジオを調整しつつシュラフのうえで胡座をかいて飲んでいたが、寒くなったので下半身を寝袋にいれて横になればホカホカとあたたかく、ものすごく気持ちがよい。しかし冷え込みは尋常ならざる状況で、だいぶ酔ったころ、革ジャンを着たままでシュラフにはいり、ジッパーをキチンとしめてから眼をつぶった。

                                                    走行距離 380K

 

  

 

 

 

 

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