2007 奥飛騨ツーリング 春まだ浅き深山の旅 2日目

                   そしてクライマックスはラストに待っていた

 

 町道高嶺線 泥道の林道

 

 5月4日、5時4分に眼がさめた。もう夜は完全に明けている。シュラフのなかはあたたかいが、外気が冷え込んでいるのを感じる。息をすると喉がヒリヒリするほど空気が張りつめているのだ。寝袋から手をだしてみると物凄く寒く、寝袋の表面も冷え切っている。気温は体感的に5℃以下の、2・3℃と感じられた。これならば用意した新聞紙をマットの下に敷けばよかったと思うが、後の祭りだった。

 起きだしてトイレにいくと、すでに活動を開始しているキャンパーも多かった。ファミリーもたくさんいて子供たちもいるが、この冷え込みのなかでも皆平然としている。近くに雪の残っている、高地のここに野営にくるくらいだから筋金入りのキャンパーばかりなのだろう。服装もほとんどの人がダウンを着用している。洋服は冬仕様だから、シュラフなどの装備も充実しているのだろうと推察された。

 テントにもどっていつものキャンプの朝食、インスタントラーメンをつくる。火を使うとテントのなかの温度が劇的に上昇し、ラーメンを食べればさらに体があたたかくなった。食後は休むことなく撤収を開始する。食器を洗いにいって帰ってくると、じゃばさんがテントからでてきたので挨拶をする。じゃばさんは今日、友人と合流して温泉めぐりをして帰るのだそうだ。

 引きつづきパッキングをつづける。シュラフとマットをたたみ、テントをつぶす。じゃばさんは悠然とコーヒーを飲んでいる。今回は1泊なので荷物が少なく撤収もはやくすんだ。じゃばさんに、それではメールを送ります、と挨拶をしてキャンプ・サイトを後にする。バイクに荷を積んで走りだしたのは6時38分で、相変わらずせっかちだなと自分で自身に苦笑したのだった。

 平湯大滝を見てから飛騨高山にいこうと思っていたのに、忘れて高山に行きかけてしまった。帰りに寄ればいいかとも考えたが、同じルートをとるとはかぎらないので、Uターンをしてキャンプ場のすぐ先にある大滝にむかう。時間が早くてまだ駐車場がひらいていないので、チェーンのはってある入口にバイクをとめて500メートルの道を歩いていった。数年前に渓流釣りに来たときには、一帯はただのジャリの駐車場で、いまのように公園も整備されていなかった。その数年前の記憶をさぐりつつ川沿いの急坂をのぼってたいくが、かなりの斜度で足にきてしまう。それもそのはず左手はスキー場のゲレンデで、中級者クラスのバーンとなっていいるのだ。このゲレンデ部分をのぼりきると道はなだらかになり、前方に瀑布とでも呼べそうな平湯大滝が見えてくる。64メートルの落差だそうで大きい。思っていた以上に立派な滝なので、失礼ながらおどろいてしまった。

 

 早朝の平湯大滝 まだ雪がのこる

 

 滝の下の展望所には除雪された雪がのこっていた。時刻はまだ6時50分で、山陰のここは日が差し込まず寒い。やはり喉がヒリヒリするほどだ。振り返って滝を背にして歩きだせば、山から太陽がのぼってきたところで、もう少したてばここも日向となって気温もあがるものと思われた。バイクのもとにもどって、前回も悩んだ末に見にいかなかった大ネズコの木を見物にいくかどうか考えるが、700メートルも歩くとのことなので、今回もたずねるのはやめてしまった。

 あらためて飛騨高山にむけて走りだすと、平湯トンネルの入口の気温表示は9℃となっていて、凍結注意の看板がでている。じっさいに非常に寒いので、トンネル内の凍結の危険もありそうで慎重に通過した。

 トンネルをぬけた先のR158は気持ちのよい快走路だった。センターラインが白線なので先行車を追い越しては飛ばしていく。バイクの調子は非常によい。ツーリングの直前に修理したクラッチは完調で、エンジンもパワフルだ。アクセルを大きく開閉して思う存分DRを走らせるが、乗り換えずに修理をしてほんとうによかったと思うのだった(興味のある方は『クラッチの修理』をどうぞ)。

 R158の横には小八賀川がながれているが、ここも魚の釣れそうなすばらしい渓相をしている。しかし釣れそうだがまるでダメというのはよくあることで、数年前に釣行にきたときが正にそのとおりになってしまい、この地域の北をながれる高原川水系で竿をふったのだがまったく釣れず、しかも雷雨となったので魚釣りはやめにして、観光に切りかえたのだった。そのときに神岡や古川、高山をまわっていて土地勘がのこっていた。

 

 荒川住宅

 

 前を走る車に追いついては抜き去って疾走していくが、ユニークな住宅が国道脇にあったのでバイクをとめた。屋根をわら葺ではなくしてしまっているが、相当に古いこの地域独特の住居で、荒川住宅、と案内がでている。公開されているようだがまだ7時20分なので誰もいず、写真だけとって走りだした。

 荒川住宅をでるとすぐに高山にさしかかった。後でたずねようと思っている千光寺の案内板がでていることを確認し、高山の中心部にむかう。途中には木曽福島につづく国道361号線の木曽街道があり、帰路はこのルートをとろうと考えた。

 国道をすすむとすぐに高山市街にいたり、観光の中心地である鍛冶屋橋にでた。時間が早いのでまだ観光客はあまりいないが、鍛冶屋橋をわたる手前では、宮川朝市がひらかれていてここだけにぎわっている。バイクを停止させて朝市をながめるが、すぐ脇が交番で、お巡りさんが3人いてこちらを見ているから、写真をとりたいのを我慢してまた走りだした。

 

 飛騨高山の街並み

  

 国分寺通りをそのまますすみ、すぐ先でUターンして、また鍛冶屋橋を渡りかえし、交番からはなれたところにバイクをとめて、左右にある古い街並みの写真をとる。そのうちの1本の通りを走りぬけて、北側にある弥生橋にでた。数年前にきたときにはここにある『やよいそば』でラーメンを食べたのだが、しょっぱくて口にあわなかったことを思い出す。飛騨高山のラーメンは元々塩辛く、これでも昔にくらべればだいぶよくなっているそうだ。その点平湯にある宝ラーメンはマイルドな味つけで、県外者の舌にもあうのである。

 

 弥生橋から宮川朝市をのぞむ

 

 弥生橋をわたると北にむかい高山をでていく。高山で見たいところはなく、写真をとることだけが目的だったのだ。高山から去っていくが、バイクの私は革ジャンを着ていても寒いというのに、観光客のなかには半袖の男がいたりして、調子がくるうのだった。

 国道41号線にはいって古川にむかう。途中にまた千光寺の案内がでているのを確認して、すぐに古川の町にはいった。古川も以前にきたときに町を歩きまわり、観光名所はすべて見ていたので、小川のながれる白壁土蔵街で写真をとることだけが目的だ。ツーリング・ライダーや観光客は名所から離れたところにある公共無料駐車場に車やバイクをとめて歩いているが、私はバイクを直接土蔵街に乗りつけて、画像を数枚撮影してすぐに立ち去った。古川にも古い街並みがのこっているし、数年前のNHK連続テレビ小説『さくら』の舞台にもなっているので(私は見たことはないのだが)、じっくりと歩けば風情のあるところである。

 

 古川観光の中心地、白壁土蔵街

 

 つづいて目指すのは国道360号線にある天生峠(あもうとうげ)である。天生峠をこえていけば白川郷なのだが、白川郷はついでにいってもよいかと思うくらいで、天生峠が目的地なのだ。ここは明治の幻想小説家、泉鏡花の書いた小説『高野聖』の舞台になったところである。『高野聖』は山中で迷った若い僧が、魔性の女の家に宿をもとめ、危ういことになるが、なんとか難をのがれるという怪異譚である。その物語の地をたずねたいと思ったのだ。TMには『切り通しの峠に雰囲気のある標柱がたつ』と書いてあり、天生峠について鏡花の世界をしのんだら、ついでに白川郷まで足をのばし、また写真だけとってすぐに出発して、帰路は北にある牛首林道を走ろうかと考えて国道360号線の分岐にさしかかると、『天生峠は通行止め』となっていて、『白川郷にはいけません』と案内がでている。これはどうしたものかとバイクをとめて、『天生〜白川間通行止め』の看板を確認して地図を見た。バイクにまたがったまま暫し思案したが、元々白川郷に行く気はなく、天生峠にだけ執着していたので、近くまでいけば『高野聖』の雰囲気は味わえるだろうと考えて、行けるところまですすんでみることにした。

 地図を見ているとかけたままにしておいたエンジンがストールした。そのまま検討をつづけて結論をだし、いざ出発しようとしてキックをすると、かからない。2・3回キックをしてもウンともスンとも言わないので、これは久々にビッグシングルの機嫌をそこねたようだと覚悟し、気合をいれてキックをはじめた。10回、20回とキックをするがエンジンはかかりそうな気配もない。キル・スイッチやチョーク、ライト・スイッチを確認しつつキック・ペダルを蹴りおろすが、やがて疲れてしまい、一度バイクからおりてあがった息をととのえてからまたキックを再開した。

 試しにガソリン・コックをリザーブにしてキックをしてみるとかかりそうになる。ガスがキャブにいかない状態のほうがよいようだ。しかしかなりカブってしまったようで、かかりかけてはストールする。それを何回かくりかえしていると、ようやくエンジンは息を吹き返したが、かかってしまえば何事もなかったかのようにアイドリングをつづけるから、いったい何がどうしたの? という感じだ。ガソリン・コックをオンにもどすがそのままエンジンはまわっている。私は数十回のキックでヘトヘトだ。しかしこれは天生峠にはむかってはいけないという暗示だろうか、という気がしてきた。高野聖の舞台になったようなところだから、行けば災いがおこるのだろうかと。だが今行かねばつぎはいつになるのかわからないので、弱気の虫を投げ捨てて走りだした。

 R360の狭い山道をのぼっていく。国道とはいえ主要道ではないので整備も行き届かず、周囲にある民家も素朴で、じつに山深いところである。今でさえこうなのだから明治時代はどうだったのか、秘境のような土地だったのではあるまいか。小説では若い僧が天生峠の旧道に迷い込んでいく設定なので、その奥山の様子はいかばかりかと想像された。

 途中に『なかんじょ川』というキャンプ場があり、そこだけ観光客でにぎわっていた。その先は人家も稀になるが、祭りの最中で集落の男たちが幟をたてているのを見た。珍しいのでゆっくり見物しながら通過したが、通行止めにむけて走る私も村人には物珍しいようで、逆に見られてもいた。

 天生集落をすぎると道は山肌を這いのぼる急坂となり、カーブも深くなっていくが、集落のはずれ、峠まであと7・8キロの地点で通行止めとなってしまった。閉ざされた道路の案内には、冬期通行止め、と書かれている。田植えをしている村人がいたので聞いてみると、5月いっぱいが冬期なのだそうだ。6月から通行できるようになるとのことなので、ここはやはり雪深い地、深山なのだった。

 9時に天生の通行止め地点から引き返した。また夏になったら再訪して峠にたってみたいものである。しかしここまで『高野聖』に関する案内は皆無だった。文庫の解説には、天生峠というのは鏡花の聞き違えではないか、と書いてあるせいだろうか。小説では飛騨から信州松本にぬけていく峠ということだから、まったくちがうということでもないし、小説の世界が現実にぴったりとあてはまると考えるのは学者の石頭であって、『高野聖』の夢幻のようなロマンの世界には、天生峠という名と土地がふさわしいと思うのだが。

 

 天生集落の通行止め地点

 

 山をのぼっていたときには気温は12℃、13℃だったのだが、下りはじめると日差しが強くなってあたたかくなってきた。肌寒さのなくなった道を快適に古川にもどっていく。R411にはいるとリッター116円という安売り看板をだしているGSを目敏くみつけ、すかさず飛びこんで給油をした。燃費は23.3K/L。116円で1143円。安い買い物ができて上機嫌である。この周辺はガスが安かった。山のなかなのに珍しいところである。

 走りだすと体感していたとおりに気温は上昇していく。16℃をこえて、ついには20℃となる。こうなると着込んでいるので暑いくらいであった。R41で高山にもどっていくが、案内板にしたがって県道89号線に左折して千光寺にむかう。千光寺はこの旅で最大の目的地である。ここは江戸時代の僧、円空の彫った円空仏が展示されているのだ。この円空仏を見ることがいちばんの楽しみだった。

 県道89号線にはいって7キロほどすすむと千光寺はあった。入口には早くも円空仏のレプリカがならべられていて期待がたかまる。入口から山道をのぼっていくが、山全体が神域になっているようで奥が深い。山中には修行の場が散りばめられてもいるようだ。入口から山上の駐車場まで2キロほどだろうか、登りつめると広場がありここにバイクをとめた。日差しが強くなって暑いので、トレーナーを脱いだのは10時だった。

 

 千光寺の円空仏寺宝館

 

 さっそく円空仏寺宝館にいく。入館料は500円である。入口をはいると正面に立木仁王像(立木に彫った仁王像)があり、これだけが撮影可でほかはダメとのこと。仁王像の写真をとらせていただいて、円空仏の展示スペースにすすんでいった。すぐに写真でしか見たことのなかった彫刻がならんでいる。円空独特の、この地方の人の顔をもった素朴な仏たちがたっている。木を見て、直感にしたがって一気に彫り上げたと思える姿で、顔や体形のゆがみ、表情の揺れに味がある。深みをつけるために彫り込まれた台座や背景などが、作品の印象を強めていた。

  

 立木仁王像 これは立木に彫られて風雨にさらされていたせいか、円空の味わいが出ていない。

 

 想像していたよりも実物は小さかった。そして円空はナタだけで生涯に12万体の仏像を彫ったという。1日に何体も彫り上げたわけだが、仏にはナタ目も荒々しいあらぶる仏像と、おだやかな表情の像の2種類がある。深々と彫り込んで陰影をつけ、はげしさをあらわした作品の方が人気があるのだが、極端に表情を省略して、わざと平板に仕上げてある静かなお顔の観音像にも魅力があった。

 素朴で生真面目だが、深い情念と諦念を感じる。ただ作品はもっとたくさんあると思っていたので、ここにある63体だけでは物足りなく、もっと見たいのが本音であった。周辺の円空仏の現存地図があったが、個人所有のものが多数あり、やはり人の心を魅了するので昔から自分のものにしたいと考えた人たちがいたのだと思われた。私も縁があってお金の余裕があれば、是非とも所有したいと思うから。無宗教の私は仏像としてではなく、美術品として手元に置きたいのであるが、それは金額を考えれば無理なことだろう。

 館内は温度調節がされていて寒いくらいだったが、外にでればまた暑いのである。強い日差しの下を円空仏寺宝館の先にある本堂を見にいく。本堂はじつに素朴で古い建物だった。志納金で中が見られるとのことだが、円空仏の見学にすでに志納しているので、かさねて納めたくなく、本堂は外からながめるだけで失礼した。

 バイクのもとにもどったのは10時40分だった。そろそろ昼時だがここまで来たからには飛騨牛がたべたい。ガイドブックであらかじめ当たりをつけておいたのは、飛騨高山の国分寺通り近く、朝Uターンしたあたりにある『寿々や』(すずや)という郷土料理店で、ここがいちばん安く飛騨牛を供するようだ。場所の見当もついているのでさっそく高山にむかうことにした。

 千光寺から県道をもどってR41にはいり、高山市街にむかう。また鍛冶屋橋に舞いもどり、駅方向に国分寺通りをすすむ。すぐに『寿々や』はあるはずだと左の路地をのぞいていくと、ほどなく店をみつけた。店の裏が駐車場になっているので、そこにバイクをとめたのは10時55分だった。あとから車がくるかもしれないので、3台ある駐車スペースのすべてが使える位置にDRをおく。しかし高山は徒歩で散策する人が多くて、この後に車はやってこなかった。

 

 高山の郷土料理店 寿々や

 

 『寿々や』の開店は11時からとガイドブックにでている。しかし図々しく10時58分に引き戸をあけてみると、いらっしゃいませ、と店内に案内された。当然ながら私がいちばんの客である。誰もいないので4人掛けのテーブルについて、ほう葉味噌飛騨牛ステーキ定食1890円を注文する。お茶を土瓶でたっぷりとだしてくれるのがうれしい。それを飲みつつ待っていると、11時になるのを待ちかねていたのか次々と客がはいってきた。

 『寿々や』はガイドブックにのっているだけに人気だ。この値段で飛騨牛のステーキがたべられるところはなかなかないし、店も古民家を移築した民芸調の凝ったものだから客足が途絶えないのだろう。しかしあまり客がたくさん来るので、4人掛けのテーブルにひとりで座っているのは悪くなり、自分からふたり掛けの席にうつると、仲居さんがニッコリとしていた。

 

 ほう葉味噌飛騨牛ステーキ

 

 他の客もほとんど私とおなじ料理をたのんでいた。やはり皆飛騨牛が目的なのだ。さていよいよほう葉味噌ステーキがでてきた。眼の前におかれた第一印象は、肉はこれだけ? 少ないな、というものだった。肉の量は100グラムほどだろうか。しかしじっさいに食べてみると、中年の私には適量だった。ステーキは火にかけてあるのだが、味噌の焦げる香ばしい匂いがしたら、肉と野菜と味噌をまぜてお召し上がりください、とのこと。ぐちゃぐちゃにまぜるのがよいようだ。ほどなく肉から焼けて、たべてみるとやわらかい。味噌も甘ったるくなくて美味しくご飯がすすむ。ご飯は1度お替りができるのでお願いしたが、満腹となった。しかし17才になる息子なら3人前はたべるかな。ここは大人むきで味もよいが、つぎはもう少しお金をだして、ほかの店もためしてみようと思った。

 11時30分にやはりいちばんで店をでた。店内はほぼ満席である。接客もよいので、この客の数が店の価値を如実に語っていた。国分寺通りをまた鍛冶屋橋にもどっていく。観光客でごったがえす高山の街をぬけ、朝やってきた平湯方向に針路をとり、R361の木曽街道にはいる。このルートで木曽福島にむかうが、この先の塩屋ー見座間が通行止めとでている。関西ナンバーのセダンに乗る60くらいのお父さんが看板の下で地図を見ていたので、私もバイクをとめた。
「どうなんでしょう?」とお父さんが言うので、
「迂回路があるようですが」
と答えていると対向車がやってきて、お父さんがその車をとめてたずねた。すると、ぬけられる、とのこと。それを聞いてお父さんより先に走りだした。

 道は狭い山道となった。杉の生い茂った暗い森をぬけていく舗装林道だ。工事の看板やゲートはあるが通行するのに問題はない。やがて美女峠をこえると美女高原となり、一帯はキャンプ場などのリゾートらしく人々でにぎわっていた。

 美女高原の先も狭い山道なので、先行車をぬいては自分のペースで走っていく。こんな道路ではバイクよりも速い乗り物はないから、どんどん車を追い越していった。朝日村にはいると地元の人が国道脇にあつまって、駐在さんも横にたっているのが眼につく。なんだろうと思って近づくと、お祭りをやっていたのでバイクをとめて見物させてもらった。

 

 村の辻にとまる山車

 

 白山神社の祭礼だった。村の辻には山車が1台とまり、子供たちがのっているがお囃子はおわったところのようで休憩をしている。そして神社には大人の男たちが集まり、これから始まる神事にそなえていた。そろいの浴衣の男たちのほかに、羽織袴の男たちがいて、その正装した男たちが神前に拝礼にいくと、若者の扮した赤鬼が乱入する筋書きのようだ。羽織袴の男たちは錫杖をついて歩く所作の確認をし、赤鬼の若者は走りこむタイミングや動作を先輩にきいている。鬼はもちろん追い払わられるのだろうが、そこまで見物せずに出発した。ここよりも規模は小さかったが、天生の手前でやっていた祭礼も、こことおなじ白山神社の神事だと思われた。

 

 神社に集まった人たち

 

 12時に祭礼の村を後にした。21℃、23℃゜、20℃と気温表示がでている。また先行車を追いついては抜いて飛ばしていくと、見覚えのあるダム湖にでた。ここはきのう野麦峠へとまがっていった県道39号線との分岐点、高根乗鞍湖だ。ここから先は昨日も走った道である。このR361を南下して長峰峠をこえると、車やバイクがとまって写真をとっていた。私の背後の風景を撮影しているのだが、後ろに何があるのかは見なくともわかっている。私もきのうバイクをとめてシャッターを切った、雄大な御岳山があるのだ。きのうは雨の御岳山だったから、晴れている今日のほうが美しい画像がとれそうだが、おなじ場所でまたカメラを構えるのは癪なのでとまらなかった。

 前方から新車のW650がやってきた。ヘルメットもブルゾンも新品のようで、乗っているのは中年ライダーだ。バイクを知らない人のために書くと、W650は昔あったW1というバイクのデザインを踏襲した、クラシカルなスタイルのバイクだ。私もDRの修理をせずにW650に乗り換えようかと考えたのだが、新車のW650に乗っていると、なんだか帰ってきたライダーのように見られそうで嫌だなと思ったのだ。W650は人気でじつにたくさん走っている。たぶんツーリングしているバイクの中でいちばん多かったのではなかろうか。そして数が走っているだけにやはり軽く見えてしまう。オーナーにもいろいろな人がいて、高山にいたW650はシート後部にあるKAWASAKIの文字を消していて、ほんとうはトライアンフにでも乗りたいのに、金が足りなくてW650にしたのだろうと感じられた。軽く見えるし、妙なオーナーもいて、W650も好きではなくなってしまった。

 

 開田高原から御岳山をのぞむ

 

 開田高原から県道20号線にはいって御岳山にある清滝にむかう。きのうは時間の関係であきらめたのだが、やはり修行の場である神聖な滝が見たくてたずねることにしたのだ。このルートからは円錐形ではない御岳山が見えて、これはこれで力強く美しいので写真をとった。

 県道20号線は狭いがバイクには走りやすい快走路である。気持ちよく飛ばしていくが、分岐が多くてわかりづらい。道なりにすすめば正解なのだが、地図を見て確認することが2度、3度。そのたびにこれまで追い越した車にぬきかえされて、また追いつくということを繰り返した。御岳山への分岐はわかりやすい黒沢の交差点で、ここから県道256号線にはいって御岳山スキー場方向にすすんでいった。 

 御岳湖畔を走りぬけて松嶋から御岳にのぼりだすと、信仰の山、御岳、が実感される。道路脇に石碑が立ちならんでいて、霊場の雰囲気がたかまるのだ。その霊峰をのぼっていくと13時40分に清滝の下の駐車場についた。バイクからおりて仰ぎ見てみると、急斜面の山の先に、滝と神社、幟が見える。そこは厳粛な、張りつめた空気のみなぎる霊場、修行の場であった。

 

 清滝不動尊より清滝をのぞむ

 

 滝にむけて山道の階段をのぼっていく。清滝の手前には修行用の建物があり、中には白装束が干されていた。外には草履もある。これらをまとって滝に打たれるのだ。幟のたちならぶ下をすすんで清滝の下にたち、仰ぎ見てみた。いわく言いがたき神聖な気分である。私は無宗教だが、この神々しい場に敬意をはらい、一礼して滝のもとから立ち去った。

 

 清滝を仰ぎ見る

 

 清滝から走りだして御岳山に別れをつげた。帰ってから朝日新聞で読んだのだが、この一帯の大滝村はバブル期のスキー場などへの過剰投資で財政破綻の寸前までいき、再建中なのだそうだ。あまりに借入金が過大だったので、周辺の自治体に救済のための合併もことわられ、やむなく自力でたてなおしている最中とのことだが、そうとわかっていれば何かで金をつかったのに、私は一銭の現金も落としてこなかった。しかし御岳山という財産があるのだから、大滝村の将来は明るいだろう。大滝村、名前もよいではないか。

 御岳山を背にして山をくだっていくと正面に南アルプスが見ゆ。雪のない山々の彼方に白銀の峰がのぞめた。山道をくだって木曽福島につき、渋滞している国道19号線にはいる。22℃と表示されている木曽福島をずっとすりぬけで通過し、また権兵衛トンネルをぬけていく。トンネル内の温度は外とおなじ22℃で、きのう考えた理屈とはちがうことになっていた。

 R361で伊那をぬけていく。高遠でR152に接続して、きのう行くことができなかった林道の町道高嶺線にむかう。清滝といい、このぬかるんだ林道といい、行きたいところには必ず寄っていくから、私も相当執念深いのだろう。R152の杖突街道を北上し、板山から右折して町道にはいり、小豆坂トンネルの手前から町道高嶺線に進入したのは15時40分だった。林道はここのはずだが、ちがうかもしれないと思えるほど細い道である。その狭いジャリ道をトンネルの上へと急登していく。すすむと分岐が2ヶ所ありどちらにいくのか迷うが、山にのぼっていくルートをえらんだのは正しかった。

 

 町道高嶺線 泥道の急坂 

 

 はじめはジャリ道だがやがて泥の道となった。泥の急坂の林道というのはなかなかお目にかかれないもので、しかも所々ぬかるんでいるので緊張する。ヌタヌタはスピードを落として慎重にぬけていくが、だんだん慣れてスピード・アップしていく。速度を落とさずにヌタ場にはいると、フロント・タイヤがニュルニュルすべってハンドルはきかないが、体重移動と路面キックで通過していく。この林道は長くて17キロもある。前半の10キロほどにヌタ場があり、後半はないのだが、ヌタヌタもラストというところでクライマックスがまっていた。

 ヌタヌタに慣れて無造作に進入すると、またフロント・タイヤがニュルニュルとすべってゆるいカーブの外へ外へとながれていく。アクセルをオフにしてハンドルをきるが、バイクは言うことを聞かずにアウトにすべりつづける。体重移動と路面キックを駆使するも、進行方向を制御できず、バイクは道を飛びだしそうになってしまった。たまらずにフロント・ブレーキをかけると、フロント・タイヤが、ニュルン! とすべり、コケてしまった。コケたといってもスピードは落ちていたからほとんど立ちゴケと同様で、しかも下はヌタヌタなのでバイクのダメージもないようだ。私はバイクから飛びのいて路肩にころげたが大したことはなかった。

 

 痛恨!

 

 やってしまった。立ちゴケ同然とはいえ、走行中にころんだのは12年ぶりくらいである。何はともあれかかったままのエンジンを切り、バイクを引きおこそうとハンドルとキャリアをつかんで力を入れるが、バイクはまったく動かない。何度かやってみるがバイクはおきないのだった。しかも全力でもがいていると、腰からポキンと音がしてびっくりしてしまう。腰を痛めたらそれこそたいへんである。動けなくなってしまう。あわてたがバイクがおこせないので、立て続けに力をつくすもどうにもならないのだった。

 考えてみると昨年北海道で立ちゴケしたときもひとりでバイクをおこせず、助けてもらったのだ。しかしZ750GPなどをなんども引きおこしてきた私である。軽量のDRをおこせないはずはないと思うのだが、ダメなのだった。

 時間は夕刻になってきている。この時刻になってこの林道を通る人もいないと思うが、誰かやってきてくれないだろうかと考える。しかし待っていても来るかどうかわからないし、どちらかと言えば来ない確立のほうが高いので、自分でなんとかするほかない。とりあえず荷物をすべておろしてバイクを軽くし、再度挑戦することにしたが、落ち着くために写真をとった。そしてやおら全力でバイクをおこしにかかる。やはり左手はハンドル、右手はキャリアをつかみ、腰を入れて力むがバイクは動かない。ヌタヌタの上をズルズルすべるだけである。ヌタヌタのなかで膝をつき、Gパンはドロドロだ。腰をかばっていると、背中と右胸を痛めてしまった。

 こんなはずはないのである。昔のナナハン免許合格者である私は、タンクに砂をつめてわざと重量を増したCB750KやCB750F−Uなどを引きおこしてきたのだ。そのときのことを思い出すともなく思っていると、両手でハンドルの下側を持ち、バイクを引きおこせば、簡単にやれる、と言っていたインストラクターのことばを思い出した。レインボー・モーター・スクールのインストラクターの言である。さっそくやってみると、あっけないくらい容易に、力も要らずにバイクをおこせたのだった。

 バイクをヌタヌタの先に移動して、はずした荷物をとりつけていく。Gパンやグローブがドロドロになっているのが不快だが、バイクをおこせた安堵感のほうが大きい。よくよく考えてみると、大型バイクはエンジン幅がひろく、ころんでもクランクケースが地面にぶつかって、真横になってしまうことはない。斜めに倒れている状態なので、重量車でも引きおこすことが可能なのだ。一方オフロード・バイクはエンジン幅が狭くて、倒れればまったくの横になってしまうから、おこすのにコツがいるのだろう。しかしレインボー・モーター・スクールでナナハン免許講習をうけたのは20年以上も前のことなのだ。あのときのインストラクターのことばが20年をへて役にたつとは。何かを学ぶということは、こういう恩恵をもたらすということだろうか。

 しかし山のなかでこんなことをしていて、私は若いなと思ってしまった。いつもなら昔からおなじようなことをしていて進歩がないと感じるのだが、よい年をしているのに林道でころんで、泥だらけになっているなんて、若いじゃないか、と思ってしまったのは間抜けなのか。しかし右胸が痛い。

 幸いエンジンはすぐにかかったので早々に走りだす。しかしチェンジ・ペダルがおかしい。ペダルの動きがかたくなっていて、なかなかチェンジできず、ついにはシフト・アップできなくなり、ローでずっと走ることになってしまう。これでは走りづらくてしかたがないので、無理やりギヤをセカンドにいれて、セカンドだけで走行する。昨年この林道を走っていて、あと5キロほどで舗装路にでられることがわかっていたので、そこまで行ってから修理をしようと考えてすすんでいった。

 

 レンチで曲がったペダルを修正

 

 舗装路にでたところでチェンジ・ペダルを点検すると、曲がってしまってエンジンと接触していた。これでは動きがかたいはずである。メガネレンチを取り出してチェンジ・ペダルにかませて曲げもどし、正しい位置に修正した。この先はきのう登ってきた金沢林道をくだろうと思っていたのだが、転倒から引きおこし、背中と右胸の痛み、チェンジ・ペダルの修理で気力が失せてしまい、国道の杖突峠をいくルートに変更した。

 16時40分に林道出口を出発し、杖突峠をこえて茅野にはいった。中央道や甲州街道の大混雑が予想されるので、R299の麦草峠をこえて、上信越道方向から帰京するルートを選択したが、まず夕食をとっておこうと考える。暗くなってから空腹をかかえてレストランをさがすのはみじめなので、明るいうちにお腹をいっぱいにしておこうと思ったのである。満腹になっていれば、真暗な山道をひとりで行くことも辛くはない。茅野から山にのぼっていくと幸楽苑があったので、すかさず入店した。

 有名店の凝ったラーメンもよいが幸楽苑の304円のラーメンも価値があると思う。値段を考えたらこれ以上のものはないのではなかろうか。半熟卵ののった玉子チャーシュー丼とぎょうざ、それにラーメンのセット、713円のお値打ち品を注文する。泥だらけになってしまった手をあらってサッパリし、食事を終えたのは17時47分だった。 

 山越えにはいる。このルートは昨年DR650のオーナークラブの宿泊所になった、ペンション・スノーベルの横をぬけていき、2127メートルの麦草峠をこえて佐久穂にくだる山岳路である。なんとか陽のあるうちに麦草峠を通過したいと思い、車の少なくなった国道299号線、メルヘン街道をハイペースでのぼっていく。車に追いつくと、速度差があるので強引にぬいていった。暮れてくるので焦りもつのる。陽のあるうちにできるだけすすんでおこうと先をいそいでいった。

 山をのぼっていくにつれて冷えてきた。標高が高いだけに頂上付近は冷え込んでいる。太陽がしずまぬうちに麦草峠をこえて、暗くなっていく山道をくだっていく。凍結注意の看板が多く、ライトに光る路面が氷っているように見え、ギクリとするが、この時期に凍結しているはずもない。下りのほうがカーブがゆるやかなのでスピードがだせる。大小様々な別荘がたちならぶなかを駆けくだっていった。

 山をくだっていくと少しずつ気温は上昇しあたたかくなっていった。山岳路をくだりきったR141との合流点の温度は17℃である。ここは18時55分に着いたので、茅野から約1時間で山越えしてきたことになる。これまでこの区間の通過時間を計ったことはないが、たぶん今までのレコードだろう。 

 この先はR141を北上して佐久へいき、R254へ右折してまた山越えし、下仁田、藤岡とぬけていくつもりだったのだが、1時間全力で山道を走ってくると疲れてしまい、また峠越えをすることが億劫になってしまった。有料道路は決してつかわない主義の私なのだが、疲労と右胸の痛みに負けて、上信越道に吸い寄せられてしまう。金は惜しいのだが、高速で山道をエスケープすることにした。

 佐久を通過して佐久ICにむかう。ICはR254の分岐点から7キロ先とのことで、R254を7キロいったならば、峠のなかばまで行けてしまうなと思うが高速にむかう。高速にあがる前に佐久平で給油をした。24.8K/L。129円で1552円。佐久平にきたのは何年ぶりだろうか。10年ぶりくらいであったか。以前にきたときには鉄道の駅とスキー場があるだけで他に何もなかったのに、いまはスーパーやレストランが集積し、見ちがえるほどにぎやかになっている。その変貌ぶりに眼をみはって高速にはいった。

 上信越道にのるとすぐに八風山トンネルで、ここは対面通行の渋滞の名所だったはずが、いつのまにか上下2車線ずつの道路に拡幅されていた。車はスムーズにながれているが、どうやらR254からは北に大きくはずれて、軽井沢方向にまわりこんで無駄に走らされているような感じだ。これならばやはりケチのポリシーを貫いて、国道をいけばよかったと、後悔しつつ前進する。山のなかはトンネルばかりで軽井沢、横川とぬけていく。ずっと110キロから120キロで走行するが、エンジン、ミッションとも好調だ。スピードはもっと出せたが無理はしなかった。ただスピード・メーターとタコ・メーターの針が、キュキューン、キューン、と跳ね上がるのが不快だ。これはなんなのだろうか。針のダンスはしばらくするとおさまったのだが。

 機関絶好調のDRで高速走行を楽しむが、遠回りをしているようだし、吉井の先は渋滞35キロとでているので、下仁田で高速をおりることにした。高速をつかったのは44キロなので5・600円かなと思って料金所へいくと、なんと1100円だった。いくらトンネルばかりの区間とはいえ、44キロに1100円は高すぎるだろう。やはり高速などつかうのではなかったと思いつつ、渋滞するR254をすりぬけていく。高速が渋滞しているので一般道も混んでいる。ただし甲州街道ほどではないから、こちらのルートを選択して正解だった。いまごろ八王子あたりの混雑はいかばかりか。

 車の群れをかきわけて自宅にむかった。

                                                    550キロ 合計930キロ 

                                                  2007.06.24 

 

 桜と白銀の峰 木曽街道 朝日村

  

 

 

 

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