2011GW 反・自粛岩手イーハトーブ・ツーリング1日目

 

 盛岡市街の横断幕

 

 GWの3日間にツーリングに出られることになった。どこに行こうかと考えるまでもなく東北にしたい。世の中震災と原発事故の影響で自粛ムードだが、それではお金はまわらないし、東北のためにもならない。私にできることなど高がしれているが、こんな時こそ東北に出かけてお金を使うことにした。

 

 季節をさかのぼっていく旅の始まり

 朝5時45分に出発した。このところバイクの手入れができなかったので汚れと油切れが眼につく。人の手が入っていないとすぐに荒れた感じになるのは古いバイクの常だから、もっと気をかけなければならないなと思った。

 岩手県までETC1000円で行くために埼玉県の羽生ICを目指す。ETC1000円は6月にもなくなってしまうようだから、利用できるのも最後かもしれない。ETC1000円は安く遠くにいけて助かったのだが、これだけ財政赤字が積みあがり、加えて震災の復興費用を考えれば廃止もやむをえないだろう。そうなったら深夜50パーセント割り引きを使って高速を走ろうと思う。

 羽生ICから東北道に入ったがここからが長い。向かうのは花巻南ICだ。昨年の東北ツーリングの帰路では、一関から埼玉県の加須まで走るのに5・6時間かかったと記憶する。今回は一関の先までいくから遠いのはわかっていて、覚悟を固めて北上していった。

 昨年の東北ツーリングでは八戸から海岸線を南下して、久慈、宮古、陸前高田と走り、遠野の北にある荒川高原に行きたかったが、雨のために断念して帰宅した。今回はその荒川高原に是非いきたいと思っていて、昨年走りぬけた震災で津波の被害を受けた三陸の町や海も一目見たいと思うのだが、じっさいに行くのかはまだ決めていなかった。

 100キロから110キロで巡航していく。関東は桜が散って夏日もあるが、東北はまるでちがう気候だということはわかっている。昨年の東北ツーリングでは都内が猛暑日なのに岩手は12℃しかなかったのだ。だから今回はキャンプは無理と判断して盛岡のビジネス・ホテルに泊まることにしていたし、服装もヒートテックの下着にフリース、革ジャン、オーバーパンツもはいて防寒していた。

 那須高原で休憩と給油をした。走っていると防寒具でちょうどよいのだが、バイクを降りると日差しが強くて暖かい。車の人はシャツ1枚で歩いているほどだ。バイクは少ないが車は自粛ムードも解消かと思えるほど走っている。少ないバイクは大型車、外車ばかりでとくにハーレーが多い。オフロード・バイクは私だけだった。

 那須高原をでると仙台180キロ、盛岡360キロと表示されていて脱力してしまう。やはり岩手は遠い。北上していくと13℃、12℃と気温は下がり肌寒くなってくる。そして宮城に入ると一段と外気温は低下した。

 那須から仙台の先まで断続的に混雑していた。10キロ、15キロという長さの渋滞がつづく。ワンボックスカーに物資を満載したボランティアの車が走っている。普通車に荷物を詰め込んでいる人もいる。そして懐かしのCB750Kにぬかれた。オレンジのDBだ。CBはリヤ・シートにボストンバックをしばりつけていて、昔はこのスタイルでツーリングしたなと思い出したりした。

 

 東北道泉PAのボランティア・センター

 

 泉PAで休んだ。ここにはボランティア・センターがあり、案内の方がボランティアにやってきた人とノートを見ながら、どこに行ったらよいのか話し合っている。どんな仕事があるのか興味があったが、ボランティアはできないからのぞくのは憚られた。

 岩手に近づくと桜が眼につきだした。宮城はもう散っているが岩手はまだ咲いているのだ。桜を見ると心がはずんでくる。今年は震災の自粛ムードで桜を見る気がしなかったし、花見もしなかった。だから桜が心に響いた。

 北上するにつれて桜は満開になっていく。白モクレンもあざやかに咲いている。花は美しいがさすがに疲れてきた。高速走行にも倦んで速度と集中力が落ちてくる。まだか?、まだなのか?、と思って走っていたが、自分のおりるICが盛岡ではなく、その手前の花巻南だと思い出してなんだか得した気分になった。忘れていたほうがどうかしているが、そのくらい疲れていた。

 12時50分に花巻南ICに到着した。花巻と言えば宮沢賢治である。宮沢賢治記念館やイギリス海岸、羅須地人協会を見たいと思っていた。その後、遠野を経由して盛岡に入るつもりで、明日は荒川高原に行きたいと思っていたのだが、明日は曇りのち雨の予報である。雨降りでは荒川高原の風景を楽しむことはできないから、今日たずねることにし、花巻も晴れていないと条件の悪くなるイギリス海岸と羅須地人協会にしぼることにした。

 花巻の町をゆくと花巻神社があった。桜が満開なのに誘われて立ち寄ったが、誰もいなくて静かで落ち着くところだった。花巻神社から走りだそうとすると、リヤ・タイヤに釘のようなものが刺さっていることに気づく。手で抜こうとしたができない。プライヤーで引きぬこうかと思ったが、すぐにパンクしそうもないし、旅先が気が急いているからそのままにして走りだした。

 賢治がイギリスのドーバー海峡のようだと感じてその名をつけたイギリス海岸にむかう。そろそろ昼食もとりたいが、全国チェーンのレストランしかなくて、ここまで来たら地元にお店にしたいから通過していく。イギリス海岸の場所がわからないからGSで給油をして聞いた。するとGSの方はイギリス海岸はおすすめできないと言う。どうしてなのかと思ったら、イギリス海岸は夏の渇水期にだけ川床からあらわれるもので、他の季節には見ることができないそうだ。とくに今は雪解け水で増水しているから、行くだけ無駄ということになる。しかも30くらいのその方はいまだにイギリス海岸を眼にしたことがないそうで、よほど酷い日照りにならないと見ることはできないそうだ。

 

 イギリス海岸の見えない北上川

 

 それでもイギリス海岸にむかった。国道に案内はない。コナカの交差点を東に折れると洒落た建物のたつイギリス海岸公園がある。この公園のむかいの川沿いがイギリス海岸だが、GSの方の言ったとおり雪解け水で増水していてまったく見えない。しかしここがそうだと北上川の流れを見やり、その姿をしのんだ。

 14時近くになってしまったので、羅須地人協会は後日にまわすことにして遠野と荒川高原に行くことにした。遠野への国道をすすめばレストランがあるだろうと思ったが、山また山となってその雰囲気はない。花巻から遠野まで55キロもあるから、遠野での昼食では遅くなりすぎる。ツーリングの初日で気が張っているから空腹でもなく、一食くらい抜いてもよいのだが、駐車場の隅にベンチの置いてあるコンビニがあったので弁当を買うことにした。旅先でコンビに弁当というのは残念だが仕方がない。昼食はフランクのり弁430円だった。

 銀河鉄道の夜のモチーフになったとされる眼鏡橋があったが、誰も見ていないし、案内もないから通過してしまった。明日も遠野に来るつもりがあったから、その時に見ればよいと考えたが、そうならなかったから止まればよかったと後悔することになった。

 遠野の入口にある続石という巨石が見たいので、眼鏡橋のようにならないよう地図で確認してすすんだ。続石の近くには日本十大民家という南部曲り屋の千葉家もある。こちらにも寄っていこうかと考えていたら、手前に続石があるはずなのに千葉家に先に到着した。

 

 南部曲り屋の千葉家 日本十大民家

 

 続石は見落としてしまったようだが千葉家は大きい。日本十大民家と言われるだけあって眼を見張る規模だ。茅葺の大屋根の建物が連なり、外観も歴史が積み重なってたいへんな迫力だ。しかしこれだけの屋敷をかまえることができる産業や商品がこの山の中にあったのだろうか。建物を見学すればそれがわかるのだろうが、入場料の250円と時間が惜しいので入らなかった。

 引き返すと続石の入口はすぐにみつかった。目立たない駐車場がそうなのだ。ここから山道を360メートル登ったところに続石はあるとのことだが、熊がいるから鳴り物を持参せよと遠野市の案内がでている。熊鈴の用意などしていないから、口笛を吹いたり手をたたいたりして歩いていった。

 誰もいない登山道である。風が強く、ゴォッと吹き、ザザーッと木々がざわめく。なんだか宮沢賢治の童話の世界に入ったようだが、何事もおこらないとわかっていても不安になった。

 

 続石

 

 山道をバテながら登ってゆくと続石が見えてきた。大きい。ふたつの大石の上に平たい巨石がのっていて鳥居のような姿をしている。三つの大岩が積み重なっているから続石と呼ばれるのだろう。近くには木にひっかかっているように見える、泣石という巨石もある。この付近は大岩の産地のようだ。

 続石は鳥居のように石のあいだをくぐりぬけることができる。地震で巨石がゆるんでいないよなと少々不安に思いながら、続石の中を歩いてみた。もちろんこれほどの巨岩が揺らぐことはなく、これまでも、そしてこれからも、ずっと続石はここにありつづけるのだろう。

 遠野にむかう。この地方は山の中でも盆地のようになっていて、空がひろがり気持ちがよい。山はおだやかな丸みをもっていて、北斜面にはまだ雪がのこり、空気はひんやりとしている。気温は13℃、12℃と表示されていた。花巻では桜は満開だったが遠野ではまだ蕾だ。それだけ標高が高いのである。

 遠野の市街地についた。明日も来るつもりなので国道のメインストリートを端からはしまで走り、ジンギスカンの有名店を2件チェックしておいた。その後で遠野めぐりに出発する。遠野の見所は遠野駅の近くではなく、その北の農村地帯に点在するから、町から村にむかってゆくと、まず『キツネの関所』があった。ここは国道脇にあるが目立たないし人気もないようで、誰もいない。昔ここでキツネが酔っ払いを化かしたと言う。全国的によくある話だが、飲兵衛が自分で酔いつぶれただけではなかろうかと、酒飲みの私は考えたりした。酔って記憶がないことがよくあるので。

 

 カッパ淵

 

 カッパ淵にいく。常堅寺という寺の裏の小川にカッパ淵はあるが、こんなに浅いの、と思うほどの淵だ。砂地の底まで30センチほどしかないから、これは淵ではなくて淀みだろう。ここにいたカッパが馬を淵に引き込もうとしたと伝わるが、昔の淵は深かったのだろうか。そうではないように見えるのだが。

 つづいてデンデラ野にむかう。昔この地方では老人が60になると集落のはずれに捨てたそうだ。そこがデンデラ野だ。口減らしのためだが厳しい現実である。昔の人は60をすぎると生産性がなく、生きる価値もないと冷徹に結論をだしたのだろう。そうしなければならない暮らしだったのだろう。それでもデンデラ野の老人は昼は周辺の畑仕事を手伝い、わずかな食物を得て、老人同士で寄り添い、静かに死を待ったそうだ。

 

 山口デンデラ野

 

 山口デンデラ野は畑のように平坦なところだ。以前、漫画家の水木しげるがデンデラ野をたずねるテレビ番組を見たが、そのデンデラ野は大石がごろごろしていて、畑地にならない荒地だった。口減らしに老人を捨てるような貧しい集落で畑になりそうな土地をデンデラ野にするわけがないから、これは観光用の作り物かと感じてしまった。デンデラ野は集落ごとにあったそうだから、時間があれば水木しげるのたずねたデンデラ野も行ってみたいが、それはまた次回にすることにする。デンデラ野には車の男性がひとりだけやってきた。こういうところは人気がないのだろう。

 遠野を見下ろす展望台や飢饉の碑なども見たかったが、明日も来るつもりなので荒川高原にむかうことにした。盛岡のホテルには18時から19時にチェックインする予定としてある。それを守らなければならないということはないが、そろそろ先を急がなければならない時刻だった。

 

 荒川高原は冬期通行止め

 

 遠野ふるさと村を通過して荒川高原にむかっていく。しかし県道から折れて、山を登っていくとすぐに通行止めになってしまった。なんと荒川高原は冬期通行止めだった。雪で通りぬけができないと書いてある。そういえば岐阜の天生峠でも同じことがあった。雪深い地では6月から夏期なのだ。それを忘れていた。しかし行けるところまで上ってみるかと考える。ツーリング・マップルに『広々とした高原』と書いてあり、野宿ライダーの寺崎勉が著書で何度も取り上げているから、どうしても行きたかったところなのだ。

 しかし、止めておいた。時刻は15時10分で、これから無理に通行止めの道に入ることもないと思う。また来ればいいのだ。岐阜の天生峠も何年か後に訪ねてその地に立ったのだし、それを理由にしてまたここにやってこれるではないか。

 盛岡にむかう。県道160号線で大洞牧場をぬけてゆく。ここは荒川高原の代わりになるかと思ったが、高原らしい風景の広がるところではなかった。花巻方向に山を下って国道396号線に入り、盛岡方向に北上する。山の中に点在する家は貧しいたたずまいである。農家か牧場が多いが金がまわっていない印象で、経済格差を感じる。盛岡か仙台にでたほうがビジネス・チャンスをつかめると思うが、住んでいる人からすれば大きなお世話だろう。

 2001年の北海道ツーリングの帰路に苦しい野宿をした石鳥谷の道の駅をたずねたいとおもっていた。そこに寄ってから盛岡に行こうと考えていたが、雨が今にも降りそうになり、ついにはパラパラと落ちてきたので盛岡に直行した。幸い雨はすぐに止んでくれた。

 19時前に盛岡駅前にある『R&Bホテル盛岡駅前』についた。ここはワシントンホテルの廉価版チェーンだ。料金は1泊朝食つきで4500円。バイクは一晩500円で屋根の下に止めることができた。泊まるところが決まっている旅は余裕をもって走ることができる。いつものキャンプ旅の、今夜はどこに野営することになるのだろうかという不安な気持ちを抱えてさまようのもよいものなのだが、ホテルもよいと思う。とくに寒い時期はホテルに限るだろう。

 アンダー・ウェアとオーバー・パンツを脱いで身軽になり、盛岡の街に夕食にでた。『網玄』という店が盛岡一の居酒屋だと聞き込んでいた。ほかにガイドブックに載っていた店もチェックしておいたのだが、まず『網玄』に行くことにした。

 盛岡の街は駅前が中心地ではない。北上川をわたって少し歩いたところに繁華街がある。節電のために明かりを落とした暗い街を、飲み屋の赤提灯を目印にしてすすんでいく。『うし亭』と『ゆ家』というガイドブックに載っていた店があった。とくに魚料理の『ゆ家』に惹かれるが、あくまで『網玄』を目指した。

 桜が満開の盛岡城跡の岩手公園にでた。網玄はみつからないが、ホルモン焼きのよさそうな店がある。ここにしようかと思うが、あらためて地図を見てまたさがしてみた。すると『網玄』をみつけることができたがお店はやっていない。休みだ。残念だと思っていると、たまたまご主人が通りかかった。店は火事をだしてしまって休業中とのこと。わざわざ来てもらったのに申し訳ない。この先に支店があるのでそちらをご利用ください、と盛岡一の居酒屋の主人らしい物腰である。そこで紹介された『味勢』に入ることにした。

 

 

味勢の料理

 

 カウンターの花板さんの前に腰を下ろし、まずビールを注文した。刺身をおまかせでみつくろってもらい、焼鳥は1本100円とのことで3本お願いした。板さんは刺身をちょこっと作ったと言うがたっぷりとでてきた。すばらしいネタと鮮度だがこれは高いなと思う。2000円か2500円か。刺身では白身のどんこが気に入ったが、これは宮古であがったものだそうだ。「やっと宮古の魚が入ってくるようになったんですよ」と板さんの言葉も弾んでいたが、宮古の魚を食べることができて私も嬉しかった。

 ビールを飲み干して岩手の地酒にする。今回の旅では岩手の酒しか飲むつもりはなく、メニューから『わしの尾』、『南部美人』をえらんだ。花板さんと会話しながら酒と魚を楽しみ、よい気分でお会計をした。5000円から6000円かなと思ったらなんと3800円と安い。びっくりしてあの刺し盛りはいくらなのかとたずねると、1000円とのこと。ものすごくお得なお店だ。大満足して味勢をでた。

 ホテルにもどってゆくがもう一軒飲みたい気分だ。まだ〆の主食をたべていないから駅前の店を物色してみると、じゃじゃ麺と冷麺の有名店のぴょんぴょん舎がある。冷麺は食べたことがあるからじゃじゃ麺をためしてみることにした。

 

 じゃじゃ麺

 

 入ったのは盛岡じゃじゃ麺のHot JaJaという店だ。じゃじゃ麺の中と冷酒の竜泉八重桜をたのむ。するとじゃじゃ麺にはスープがつきものとのことで、じゃじゃ麺の残りに玉子を落としてつくるスープ、チータンタンも注文した。

 じゃじゃ麺はうどんに肉味噌とショウガとネギをからめて食べるもので、サッパリとしていて美味しい。とくに飲んだ後は汁がなくて腹がふくれないのがよいと思う。麺を2・3本のこしてそこに玉子を割り入れ、店員に皿をわたしてチータンタンを作ってもらう。このスープも飲んだ後の胃にやさしい玉子スープだった。

                                                              650.1キロ

 

 

 

 

 

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