2011年 北海道ツーリング 5日目 雲よりも速く走る作戦

 

 旭川のホテルの駐輪場

 

 5時30分に起床した。テレビをつけて天気予報を見ると、曇りのち雨の地域が多い。今日いきたいと思っているのは積丹の神威岬で、札幌、小樽は午前は晴れで午後から雨とのこと。午前中が晴天ならその間に神威岬まで走り、雨が降りだす前にもどってきて、旭川の更に北までいってしまえばよいのではないかと考えた。それはつまり雲よりも速く走る作戦だ。

 高速をつかって一気に小樽までゆき、積丹半島を一周してまた高速道でもどってくるという金のかかるプラン。効率的だと思ったのだが、後日考えてみるとそこまでしなくてもよかったと思う。しかし神威岬にたつ神にはどうしても会いたかったのである。

 6時20分にホテルをでた。朝食がついていないと早立ちができてよいが、ホテル泊とは思えない時間の出発で、貧乏性丸出しである。気温は18℃と表示されている。今日もヒートテックを着込んでいて、準備をしていると暑かったが、走りだせばちょうどよいのだった。

 旭川の空には赤とんぼが飛んでいる。朝食をとりたいので高速には入らずに国道をゆく。高速道の食事はまずくて高いから、安くてそこそこの牛丼家にしたいと思っていると贔屓にしているすき家があり、ここで朝飯とした。鮭朝食400円である。考えてみると昨夜の飲み代は高かった。ホテル代を入れると大きな金額になる。飲んでいるときは楽しくてしかたがないのだが、翌日になってつかった金を計算すると後悔する。そんな自分が寂しかったりもする。飲んでしまった金を惜しむなんて、小さい人間だぜ。

 深川から道央道に入った。すぐにGSのあるSAがあったが、ガスはまだあるしスタンドもいくらでもあるだろうと思い通過する。前方には雲がひろがってきた。ねずみ色をした性悪な雨雲だ。後方は気持ちよく晴れているのが、予報どおりとはいえ不安感をさそった。たまに雨がパラパラと落ちてくるが、雲よりも速く走る作戦なので、そのたびにアクセルをあけて黒雲の下を駆け抜けていった。

 黒くて意地悪そうな雲の下を走りぬけると、白くておだやかな顔をした雲があらわれた。こうなると雨粒が落ちてきても不安は感じなくなる。その代わりに風が強くなった。吹流しが真横になり風速5メートルと表示されている。突風が吹くとバイクをとばされるので80キロしかだせず、走行車線の左端を走っていった。

 風とたたかっているとガスの残量が気になってきた。深川からGSがないのである。本州の感覚では50キロごとにスタンドはあるものだと思うが、北海道はそうではない。GSがあるのは札幌の先、札樽道の金山PAと表示されている。深川からだと100キロ近くになるのではなかろうか。そこまで燃料はもつと思うが不安を感じつつ南下していった。

 札幌の手前でリザーブになった。これまでの経験ではあと35キロは走ることができ、またガス欠になってしまったとしても、タンクの中にはわずかなガソリンがのこっていて、車体を揺らすとそのガスがキャブに流れ込んで、10キロほど走行できることもわかっていた。

 大都会の札幌に入ってゆく。交通量は一気に増えてたくさんの車にかこまれて走る。首都高のような札幌市街でガス欠になるのは避けたかったが、それは免れることができた。

 小樽までが遠い。風はやんだがガスをもたせるために80キロのエコ走行をつづけてゆく。リザーブになってからの距離が30キロをこえた。ハラハラドキドキのたどりである。なんとか金山PAに着きたいと思っていると、直前でガス欠となった。ギヤをニュートラルに入れて惰性でPAにすべりこむ。リザーブからの走行距離は37.6キロになっていた。

 よかったと思ったが、金山PAにはスタンドがない。どうして? 私が標識を見まちがえたのか。そんなことはないはずだ。PAは工事中で一部が閉鎖されているから、GSは休業中なのではなかろうか。それなのに案内看板だけが残ったままになっていたのではないか。

 いずれにしてもスタンドはないのだ。困った、どうしよう。しかしタンクの中にはまだわずかな燃料が残っているはずで、これまでは10キロ以上走行できたのだ。それをためしてみるほかない。もしくはJAFに電話をしてガスを持ってきてもらうかだ。

 気持ちを落ち着かせるためにトイレにいき、メモをつける。しばらくたってからキック始動をこころみるつもりだが、そうすることが怖かったりもする。エンジンはかかると思うがやってみないとわからない。バイクを揺すってみる。ガスがのこっていればチャポン、チャポンという音がするはずだが、それが聞こえたような気がした。

 覚悟をかためてキックする。するとエンジンはあっさりとかかってくれた。いちばん近くのICから高速を出ることにして走りだす。ガス欠で止まってしまったらJAFを呼ぶしかないから、会員カードの所在を確認しておいた。

 本線にでると銭函ICまで2キロと表示されている。これならいけると思う。ジリジリする思いですすむと銭函ICの手前500メートルは上り坂だ。ここでガス欠になるなよと念じつつ坂をのぼりきり、高速をでることができた。

 高速道路上で立ち往生することは免れることができた。よかった、ホッとした。この先はガスがなくなったらスタンドまでバイクを押していけばいいのだ。それでもできれば走ってGSに着きたいと思って小樽方向にすすむと、スタンドがあり、給油をすることができた。リザーブから43.2キロ。金山PAから6キロの地点だった。21.3K/L。136円。北海道では給油は早目が鉄則である。

 小樽は観光客でにぎわっていた。釧路も網走も、旭川さえも寂れていたから、これは今回はじめて見る光景だ。北海道は札幌と小樽だけが人気があって、金も集まっているのだろう。

 小樽、余市、古平とすすんでいくと、また雲がわいてきた。国道から道道913号線に入って積丹岬にむかう。上空を気にしながら走っていると雨がパラパラと落ちてきた。また雲よりも速く走ってのがれようとするが、降雨は強まってしまう。カッパを着るほかないと思っているとトンネルがあらわれた。トンネルで雨をしのいで先にゆくが雨降りはつづく。しかしこの区間はトンネルが連続しているので、4・5本のトンネルをぬけていると雨はあがってくれた。 

 

 積丹岬

 

 積丹岬の駐車場についた。今日の海は積丹ブルーと呼ばれるあざやかな色ではない。それでも透きとおったうつくしい海を眼にすることができた。

 神威岬にむかうとまたしても雨が降りだした。スピード・アップして雨雲から逃げようとするが、できない。空は明るいからしばらく待てば止むと思い、道路脇にあった公衆トイレで雨宿りをすることにした。

 5分ほど待つと雨足は弱まった。この間を突いて神威岬にいってしまうことにする。神威岬では駐車場から岬の先端までかなりの距離を歩くことになるから、カッパをつけたくないのだ。しかし走りだすと降雨は強まってしまう。革ジャンと皮手袋が濡れていくが、岬まで残りわずかなのでそのまま走っていった。

 岬の入口につくと突風がふきだした。信じられないくらいの強風でバイクを流されるから速度をおとす。そしてついに神威岬の駐車場に到着した。バイクをとめようとして左足をつくと、左からの烈風をうけて右側に倒されそうになった。右足をついて必死に耐えたが、もうダメかと思った。

 強風が途切れたときに素早くサイド・スタンドでバイクをとめたが、突風がふくとバイクが起き上がろうとして、倒れそうだ。大荷物を積んだバイクがである。風がふくたびにハンドルをおさえなければならないから、岬見物どころではない。横風を受けているからバイクの向きを変えてみたが、疾風はあちこちの方向から吹き荒れるので、おなじことだった。

 バイクから離れられないから岬を見ることもできない。しかたがないから帰ろうかと思う。しかしバイクで走りだそうとしてサイド・スタンドをあげ、片足でバイクを保持すると、また暴風にたおされそうになる。これでは走りだすことも不可能だ。

 

 トイレの陰で風をさける

 

 どうしようかと考えた。この状況からどうやって脱出したらよいのか。まわりを見ると岬への遊歩道の入口にトイレがたっている。その裏に行けば風を避けられるかもしれない。とにかくそこに移動することにしたがバイクを押していくしかない。DRを引いて歩いても大風に吹き倒されそうになるから、細心の注意と渾身の力を振り絞ってバイクをはこんだ。

 トイレの裏は思ったとおり風をよけることができた。ようやくバイクを止めることができたのだ。こんなに緊張したことは久しぶりで思わず脱力してしまう。しばらくすわりこんで息と気持ちをととのえてから岬に歩きだす。強風はそのままだが歩くのは問題ない。岬にむかって坂道をのぼってゆく。岬の先の海中にたつ神に会いたくてここまでやってきた。しかし岬の先端部は突風のために通行禁止になっていた。

 

 突風の吹き荒れる神威岬 海中にたつ神の岩

 

 この風では遊歩道から転落する危険があるからこの措置は妥当だろう。しかし神の岩を見たくて高速を飛ばしてきた私としては心底落胆した。それでも神の岩を眼にしたいから、岬の先が見えるところまで丘をのぼることにした。

 同じことを考える人がいて7・8人で遊歩道の先にある展望台に歩いてゆく。展望スペースに着くと神の岩が見える。1983年にはじめてここに来たときには岬の周囲には何もなく、何キロも草原だけが広がっていて、一帯はアイヌの聖地であると立ち入り禁止となっていた。神威岬は何キロも手前から遠望するほかなかったのである。草原の先に岬が見え、さらにその先の海中に神の岩がたっていて、神の岩は荘厳で、その姿に打たれて動けなくなってしまうほど神秘的で神々しかった。

 神の岩は今もおなじ姿でたっている。しかし岬には道路や駐車場がつくられ、立ち入り禁止だった聖地は無残に踏みしだかれて、観光バスがひっきりなしにやってくるようになり、すっかり俗化してしまった。それが残念でならないが、知床のように立ち入り禁止になるよりはよかったのだろうか。どちらがよいのかなんとも言えないが、いずれにしても神に会えてよかった。

 写真をとろうとするが強風で体をあおられるからシャッターが押せない。風がおさまった瞬間を待つのだが烈風はやまず、しかたがないから上体を揺らしながら撮影した。突風は駐車場の下の海から吹き上げてきて、私の立っている丘の尾根をこえ、反対側の海にぬけてゆく。暴風は草をなぎたおして地面におしつけている。その嵐のような風の強さを見ていると走りだすのが怖くなった。

 駐車場にもどったがこれからのコースで悩んでしまった。計画では積丹半島を一周するつもりだったが、風の強い方向にいくのは気がすすまない。神恵内からトーマル峠をこえて古平にもどるつもりだが、トーマル峠の風もいかばかりかと案じられるのだった。

 とりあえずいつ雨に降られてもよいように雨具をつけた。すると65才くらいの男性に、ひどい天気だね、と声をかけられた。まったくです、バイクを駐車場にとめると風に倒されそうになるので、ここにおいているほどです、と歩道にDRをとめている訳を話す。その方はキャンピングカーで北海道に1ヵ月滞在されているとのこと。1ヵ月!、と驚いた声をだすと、定年するといいよ、とおっしゃっていた。

 キャンピングカー氏は岩内から来たそうだが、車でも背の高いキャンピングカーは風にあおられて怖いとのこと。私のバイクを見て、このバイクは重心が高いもんね、と核心を見抜いておられた。私は岬は通行止めになっていること、今日の海の色は積丹ブルーではないことをお伝えした。

 エンジンを始動して突風の中にすすみでる。不安だったが走っていれば強風を受け流すことができた。神恵内方向に行くのはやめようかと思ったのだが、キャンピングカー氏がそちらから来たとのことなので気が変わった。ダメなら引き返せばよいのだ。予定通り積丹半島を一周し、1983年以来になるトーマル峠をたずねようと思う。

 私がはじめて積丹半島に来たのは1981年のことだ。そのときは自転車で、2度目の1983年はバイクでやってきた。当時の積丹半島は先端部に道路がなくて、半島を一周することはできなかった。だから今回は是非とも一周したいと思っていた。そして自転車とバイクでこえたトーマル峠を再訪したいと考えていた。

 

 怒涛逆巻く海 かすかに神の岩が見える

 

 神恵内方向にすすんでいくと風は強いが神威岬ほどではない。岬だけがとびぬけて風が強かったようだ。海は大荒れで海面が猛々しくうねり、沸騰しているかのようだ。その先に神威岬と神の岩が見えていた。

 積丹半島の南側はトンネルばかりがつづく。風景を楽しむことはできないからこのルートを走ることはもうないだろう。神恵内では1981年に利用したキャンプ場をさがしてみた。自転車4台でトーマル峠をこえてきた私たちは、海岸にでたところにあった野営場に宿泊した。集落で安いジンギスカンを買って食べたのだが、それがとてつもなく美味しかった。そのときのキャンプ場を見てみたいのだがわからない。ジンギスカンを買った集落も海岸も道路も、ようすが変わってしまっている。それはそうだ30年もたっているのだから。

 

 スノー・シェッドでおおわれたトーマル峠

 

 昔の野営地をさがすのは諦めてトーマル峠にのぼってゆく。ここは1981年は舗装される直前のきれいに整備されたダートで、1983年はできたばかりのアスファルトの道路になっていた。2011年の山道をすすむとスノー・シェッドがあらわれた。それを見て冬はたいへんなのだろうなと思っていると、履道という名のスノー・シェッドがトンネルのように連続しだした。履道の中に追い越し車線までつくられていて、トーマル峠はほぼ履道でおおわれているのだった。これなら冬の悪天候でも安心だが、風景はまったく見えない。しかし途方もなく金をかけたものだ。30年で砂利道をこんな道路にしてしまうなんて、日本はすごい国だと思う。

 景色を見られなかったことを不満に思って峠を下ってゆくと展望広場があつた。そこには『当丸峠』と書かれた看板があるが、柱が腐っていて倒れてしまっているから、ここをたずねる人は少ないのだろう。山をおりてゆくとスノー・シェッドはなくなり、昔の樹林帯をいく峠道の面影がのこっていた。

 余市の柿崎商店にむかう。ここは安くてボリュームがあると大人気の海鮮レストランだ。まだ利用したことがなかったから是非ためしてみたいと思っていた。12時40分に店についたが2Fの店舗につづく階段には、海鮮丼などは売り切れとでている。人気のメニューは早い時間になくなってしまうとの情報を得ていたがその通りだった。

 店に入ると食券を買うのだが何にするのか迷う。ホッケ定食550円が人気だそうだが、ホッケは刺身にルイベと連日食べているから避けたい。カニの鉄砲汁780円がお得との評判なので、これとイクラ丼680円をえらんだ。

 

 鉄砲汁とイクラ丼

 

 店内は混んでいる。席はすべて埋まっているのでサラリーマンのふたりが座っているテーブル席に相席させてもらったが、私の前にもひとりやってきた。料理ができると呼ばれるシステムで、10分ほどで注文の品はできあがった。

 鉄砲汁のボリュームがすごい。こんなにカニの入っている鉄砲汁は見たことがない。さっそく食べてみると味は素朴で、花巻港の大八商店のほうが数段上だ。しかしこの値段なら文句はなしである。

 カニフォークとハサミがついているが、カニの身離れが悪く、手で食べることになったからベタベタになってしまう。鉄砲汁を平らげてからイクラ丼にかかる。こちらも味は平凡だから、ここは新鮮な材料を手をかけずに安価に提供する店だ。

 イクラ丼を食べているとライダーが店に入ってきた。若い人だなと思っているとその方は隣りのテーブルにつく。ライダー同士だから会釈でもしようかと考えてその男性を見ると、なんと! DR650オーナーズ・クラブのさんごうさんじゃないですか。びっくりだ。さんごうさんもこの偶然におどろいている。さんごうさんは関西の方で、今年は岐阜のひるがの高原でいっしょにキャンプをしているし、2005年、2006年、2007年と北海道ツーリング中にすれちがっている。と言っても、さんごうさんはDR650ではなかったので私は気づかず、さんごうさんだけがわかっていたのだが。それでも今回もどこかで会えると思っていたのだが、こんな形で邂逅するとは思いもよらなかった。

 

 さんごうさん

 

 さんごうさんはイクラ丼とホッケ定食をダブルでたのんでいた。その健啖家ぶりが気持ちいい。さんごうさんは柿崎商店の常連とのこと。ウニ丼を食べるのを楽しみにしているそうだが、今回は台風のせいか入庫がないそうだ。

 さんごうさんは今夜のフェリーで帰られるとのこと。夜までの間に札幌にいって、水曜どうでしょう、のグッズを買ってくるのだそうだ。水曜どうでしょう、は北海道を旅するライダーに人気がある。マニアも多いようだし、ミッキー君も好きだそうだ。

 さんごうさんとは台風の苦労話、これまでの旅のコース、ビジネス・ホテル情報を交換した。そして私はこれから道北と十勝岳周辺の林道を走るつもりだと話すと、この台風で林道はムリなのではないか、危険ではないのか、やめたほうがよいのではと忠告をうけた。

 

 さんごうさんのDR ビックタンク付き

 

 さんごうさんと話し込んでいたら14時20分となった。これから旭川の先までいくつもりなのでさんごうさんと別れて店をでる。店舗の前にさんごうさんのバイクがとまっているがものすごい量の荷物だ。そして、一生どうでしょう、というステッカーが貼ってあり、それを見て微笑してしまった。

 小樽から高速にのって旭川をめざす。旭川まで130キロとでているが、これからむかうのはその更に北の美深だ。朝走ってきた道をもどってゆくが、やっていることはまるで耐久レースだ。北海道ツーリングは耐久レースのようだと言ったのはmacさんだった。北海道ではあそこに行きたい、ここもたずねたいと欲がでて、走りっぱなしになってしまうから、耐久レースをしているようになる、だからバイクも完璧に整備しておかなければならないのだ、と言っていたっけ。

 小樽と札幌では虹を見た。新潟でも眼にしているから、今回は虹にめぐまれている。それだけ雨が降ったということだが。ところで私は自分のことを晴れ男だと思っていたが今回は雨降りがおおい。それでも高速をつかって長距離移動を繰り返し、晴れ間をさがして走っているから、無理矢理晴れ男なのかもしれないと思ったりした。

 耐久レースをつづけてゆく。道央道を90キロで巡航する。風は弱まって2メートルから3メートル。気温は18℃、19℃と表示されている。砂川SAでは早目の給油をおこなう。23.3K/Lと燃費はよい。148円。

 砂川SAには都内ナンバーのホンダDN−01がとまっていた。乗っていたのは70くらいのご夫婦で、バイクには『不良中年』のステッカーが貼ってある。しかし失礼ながら年齢からすると不良老人ではないかと思ってしまった。おふたりは北海道に着いたばかりなのか軽装だった。私は革ジャン、ヒートテックの上にカッパだから、おふたりは寒いのではないかと思われた。

 微笑と会釈をのこしてタンデムの不良老人が去った後で私も出発する。100キロで走ったらDN−01に追いつくのではないかと思ったが、影さえもなかった。高速は退屈なので前方に見えている雲がどれくらい離れているか確認してみた。結果は30キロで意外に近いことがわかる。これなら雲よりも速く走る作戦は有効だろう。

 旭川を通過して道央道の終点の士別剣淵ICにいたった。美深にあるキャンプ場の美深アイランドにむかっているが思ったよりも遠い。まだ名寄にもつかないが美深はその先だ。柿崎商店をでるときには18時には到着できるのではないかと簡単に考えたのだが、とんでもなかった。

 日は暮れた。暗い国道をたどりようやく美深の町に入った。スーパーのラルズに行ったが刺身も惣菜も売切れてしまっている。しかたがないから水だけ買ってセイコマに移動した。時刻は18時42分で焦ってしまう。セイコマでサンドイッチとキムチ、カップめんを買い足した。

 19時過ぎにようやく美深アイランドに到着した。キャンプするなら受付をせよと書いてあるから温泉にいって手続きをしようとするが、職員は面倒くさがってやろうとしない。明日の朝キャンプ場でやってくれと言うのを、早朝出発してしまうかもしれない、金を払わなくてよいのかと、何度も言うとようやく受付をした。その手続きは私がノートに住所・指名を記入し、係員は金を受け取って領収書をだすだけである。領収書に何かを書くわけでもない。ただこれだけの手間を惜しんでいるのだから、昔の役人を相手にしているようだった。以前ここを利用したときも温泉で受付をしたが、そのときはとてもよい対応で、翌年の正月には年賀状まで届いて感心したが、変わればかわるものである。しかし1泊200円は安い。

 温泉にレストランが併設されているのでここで夕食をとろうかと思う。しかし2日連続でビジネス・ホテルに泊まって飲み歩いているからやめておいた。テントをたてるためにサイトに行くとどこがフリー・サイトなのか暗くてよくわからない。XR250のライダーがいたので聞いてみると、芝生のあるところならどこでも設営可能とのことで、街灯の下、炊事場の近くにテントをたてた。

 

 美深の夕食

 

 冷麦を茹でるが今回から導入したEPIの小型コンロの火力が弱く、なかなか湯が沸騰しない。いつまでたっても冷麦が茹で上がらないので、気の短い私はできあがるまえに食べだしてしまった。ほかにビールとサンドイッチ、キムチの夕食。

 食事をしていて気がついたのだが、まわりにテント設営禁止と書かれている。芝生のあるところならどこでもよいのではないのかと思うが、炊事場のまわりは共有スペースなのかもしれない。すぐ近くにいるXR氏は何も言わないのだが。風呂が21時までなのでとりあえず温泉にいくことにした。

 手早く入浴した。料金は400円だ。キャンプ場のチェック・アウトの時間をさっきの職員にたずねると12時とのこと。それならば早朝に近くの林道を走って、昼前にここを出立することも可能だと思う。

 テントにもどり設営場所の確認をすると、やはり炊事場の近くは設営禁止で、テントを移動する。XR氏もここが設営禁止とは知らないのではないかと思われた。

 テントに入って焼酎の水割りを飲みつつメモをつけていると、ミッキー君からメールがきた。今日は釧路、摩周湖とまわったそうで、明日は知床にいくとのこと。さんごうさんからもメールがくる。フェリーの出航を待っているようだ。さんごうさんとメールのやりとりをしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。

                                        617.6キロ