2017年北海道トランポ林道ツーリング9日目

 

 道の駅ウトナイ湖の朝

 

支笏湖ブルー 

 5時半に起床した。路上で寝袋にくるまっているスクーターの若者たちはまだ寝ている。若いと眠りが深いからね。ウトナイ湖を見にゆくと大きな鳥がいる。空はくもっているから湖水の色はよくなかった。

 ハイエースの隣りは湘南ナンバーのワンボックスカーだ。夫婦で旅をしている人たちだが、運転席にはヤカンがおいてあり、生活感が満載だった。車中泊をしているのは60代、70代、80代の人々で年齢層は高い。50代の私は若手だった。

 DRのギヤをローに入れて固定をしなおし、6時過ぎに出発した。朝食は苫小牧港のマルトマ食堂と決めているのでそこにむかう。距離は8キロほどでナビにまかせてすすむ。雨がポツポツと落ちていた。天気がよければバイクをおろして支笏湖周辺の林道を走ろうかと考えていたが、これでは無理だと思った。

 6時20分にマルトマ食堂の前の駐車場についた。この時間に駐車場には誘導の人がいてマルトマ食堂は満席だ。土曜日なので混んでいるのだろう。店内で4人家族の次に待つがすぐに席につくことができた。注文をしようとすると、ホッキカレーね、とお姉さんに言い当てられてしまう。うん、とうなずくがカレーをたべそうな客に見えたのだろうか。

 お店はまわっていない。次からつぎへとやってくる客をさばききれず、ひとりで接客をしているお姉さんはバタバタしているし、料理はひとつずつ作っているようでなかなかこなかった。

 

 マルトマ食堂のホッキカレー

 

 時間がかかってホッキカレーがやってきた。前にも食べたことがあるからボリュームがあるのはわかっていたが、あらためて見るとすごい量だ。ホッキがたくさん入っていて、それがコリコリで美味しい。辛くないカレー・ルーもちょうどよい感じだ。味噌汁がついて1000円なのはお値打ちで、ここでしか味わえないB級グルメだろう。しかしルーにくらべてご飯が多すぎる。でもこのくらい盛るのがこの店のウリなのだろう。昼ならば完食できたと思うが朝では無理で、残してしまった。カレーの味は平凡だが、大量のホッキとボリュームのインパクトで☆5点満点平均3点で3、2点。ここを目的にしてわざわざゆくほどでもないが、近くにゆけば必食だ。

 となりの家族連れはホッキカレーをひとつたのんで皆で分け、他にいろいろなメニューを注文していたから、人数がいればそれがよいと思う。料金をはらって外にでると10人ほどの人が行列をつくっている。いつの間にか店の外で待つようになったようだ。接客のお姉さんはパニクッていたが善良な人なので好感がもてた。要領がわるくて時間がかかるのもお店の味のうちだろう。

 食後は苫小牧市場を見てまわる。ここは海産物、野菜、果物の店と食堂があり、魚介類が安い。花咲ガニやホッキ、ツブ貝の値段が目についたが、ここで食材を買ってBBQをすれば大満足できるだろう。市場でみやげの富良野メロン1玉1260円とホッキしょう油2個で1154円を買った。

 支笏湖にむかう。晴れてきたので第一横断道や第二縦断林道を走ろうかと考えるが、雲が多くて空模様が微妙だし、今日はフェリーにのる日なので自重しておいた。

 

 ポロピナイから見る支笏湖

 

 支笏湖のモラップキャンプ場にいってみた。野営場の入口はゲートで閉ざされていおり、有料と書いてある。日帰り300円、1泊800円と。管理がうるさそうなので手前の無料駐車場に車をとめて湖畔を散策した。雲が切れて青空がひろがり湖の色も深い青でとてもきれいだ。支笏湖、ブルー、とツィートする。キャンプ場の中を歩くだけでも300円かかるとでている。トイレも閉まっているのでライダー・ハウスの樽前荘の前にある駐車場に移動した。

 樽前荘はたくさんのライダーでにぎわっていた。年齢層はひろく老いも若きもいる。私はこういうところは慣れていないので入りづらいが、とても楽しそうだった。

 支笏湖畔の国道をポロピナイにむけて走る。支笏湖のブルーが心にしみいる。釣人がいる。ルアーを投げている人が3人いるが鱒かチップを狙っているのだろう。私は湖の中で支笏湖がいちばん好きだ。

 支笏湖をでて国道453号線で札幌方向にすすむ。工事のために止められたが、作業員が示した看板には日本語だけでなく、英語、中国語、ハングルも表記されている。こんなのは初めて見たが必要なものだろう。そういえばレンタカーに、この車は外国の方が運転しています、と書かれたステッカーがはられているのも目にした。

 国道453号線は急カーブが連続し、しかもコーナーの路面をわざとデコボコにしてある。ここをトランポで走るとカーブでのデコボコに揺すられて、バイクがはげしく振動する。ただでさえGがかかっているというのに、更にデコボコなのだ。バックミラーで共振しているDRを見て不安になるほどだ。なぜこんな道路にするのだろうか。飛ばし屋の車かバイクがいるのかもしれないが、道路は乗用車だけが走るものではない。トランポでこうなのだから、大型トレーラーやダンプカーはもっとたいへんだと思う。ここが今回の旅でトランポに最悪の道で、速度を上げられないから後ろに4・5台の車がならんでしまい、狭い山道なので道をゆずることもままならず、山をおりてやっと後続の車を先にゆかせたのだった。

 バイクのエンジンから上が怖いほど揺れていたので固定を確認すると、ラチェット・ベルトなどにゆるみはない。ただこれで船にのせることに不安はなくなった。フェリーでこんなに振動することはないからである。

 混雑が予想される札幌はさけて、定山渓から道道1号線で朝里峠をこえて小樽にゆくつもりだった。しかし今の峠道で山が嫌になり、札幌経由でゆくことにする。国道453号線をすすみその先はスマホにまかせた。

 札幌は混むと思ったのだが、ナビの指示で主要道をさけて川沿いをゆくルートをすすむと、スムーズに市街地をぬけることができた。安いGSをみつけて給油をする。10、94K/Lとこの旅で最高の燃費をマークした。単価は123円とやはり都市部の札幌がいちばん安価だった。

 札幌ー小樽間は混雑している。小樽をすぎると車の流れはよくなった。目的地のニッカ余市工場についた。ここに来たのは1983年以来だ。もちろん前を通ったことはその後もあったが、工場を見学したことはなかった。少し前まで日経新聞の朝刊にサントリーの創始者、鳥井信治郎の小説が連載されていて、そこにニッカの創業者の竹鶴政孝もでてくるので興味をもったのだ。

 小説の作者は伊集院静だ。サントリーがウィスキーに進出したときに技術協力したのが英国帰りの竹鶴政孝だったのだ。ニッカ創業の前のことである。それでここをたずねたいと思ったのである。

 12時過ぎにニッカ余市工場のむかいにある町営の駐車場に車をとめた。工場に歩いてゆくとすぐ先に昼食に利用するつもりの柿崎商店も見えている。マルトマ食堂の大盛りカレーでまだ腹は減らないから工場見学にゆく。工場の受付はとても感じがよい。自由見学は随時OKとのことで気分よく場内にはいった。

 

 

 ニッカ余市工場

 

 30年前にも工場に来たが、おぼえているのはウィスキーの試飲をしたことだけだ。いっしょになったサイクリストふたりと意気投合して飲みすぎてしまい、このままバイクに乗るのは危険だと思って、併設のレストランで昼食をとって酔いをさました。そのときのホタテ・フライとサーモン・ソテーが美味しかった印象がのこっている。創始者の竹鶴や英国人の奥さんのことも紹介してあったのかもしれないが、まるで記憶にないのだった。

 竹鶴は英国と気候のよく似た冷涼な余市がウィスキーの製造の地として最適と判断し、ここに工場をたててウィスキー作りに打ち込み、会社を発展させた。日本のウィスキーの父であり、日本社会と余市に貢献した偉人だ。鳥井信治郎のサントリーも好きだが、工場を見学してニッカのファンにもなった。

 車なのでウィスキーの試飲はできず、ウーロン茶をもらって工場をでた。まだ腹は減らないが昼食をたべることにして柿崎商店に歩く。まず1階の店で売っている鮮魚などを見ると安くて種類が豊富だ。つづいて食堂にゆこうとすると行列ができていた。食事処は2階にあるのだが、店につづく階段に人がならんでいて1階までつづ゛いている。これは1時間待ちだろうか。そんなに待つのはご免なので柿崎商店は諦めることにした。

 札幌ナンバーの真っ赤なフェラーリのとまっている柿崎商店の前から町営駐車場に移動した。駐車料金は100円だ。スマホで周辺の店をチェックすると華勢という和食店が目についた。ここにゆこうとしてナビに案内させるもみつからない。そこで車で走りながら良さそうな店があれば入り、なければ気になっていたセイコマのカツ丼にしようと思っていると『食事処たいや』という店舗がある。海鮮丼の幟もたっているのでここを利用することにした。

 たいやは海鮮が主だが洋食や中華もある店だった。店内にはいりテーブル席に座ると後から客が4人、6人、8人とたてつづけにやってきたのですぐに注文する。あまり空腹ではないし、すぐにできるだろうと考えてランチ寿司1100円にした。

 

 ランチ寿司

 

 思ったとおりランチ寿司は5分でやってきた。値段を考えればお値打ちな内容でとくにイカが新鮮でコリコリだ。味噌汁と茶碗蒸しもついており、セルフのコーヒーもあった。料金は税込みで1188円だった。☆5点満点平均3点で3、4点。

 小樽フェリー・ターミナルにむかう。途中のセブンイレブンにゴミ箱があるのを確認しておいたので、そこでフェリー内での食料、サンドイッチやおにぎりなどを求めた。

 14時30分にフェリー・ターミナルについた。船の出港は17時で16時までにターミナルに来るようにと案内されている。このくらい時間に余裕のあるのがよい。車内の整理をして船内にもってゆく物を用意し、メモをつけて乗船時間をまった。

 来るときにいっしょだった黒のスポーツカーがいる。乗船が遅れたことに文句を言っていた強面の男性の車だ。ピカピカだからどこかで洗車をしてきたのだろう。バイクは少なかったが徐々に増えてくる。知っている人はいないかまわってみたが見当たらなかった。

 北海道ツーリングは終わってしまった。1週間はあっという間だ。しかし2年連続で北海道を走ることができたことは感謝しなければいけないと思う。

 16時に車の乗船が開始されて、16時20分に船倉にハイエースをとめた。DRの固定を再確認し、相棒に声をかけて船室にすすむ。寝台は来るときとおなじいちばん安い二段ベットのスペースだが、少数だけある上段だけで二段になっていない場所をおさえてあった。

 17時の定刻にフェリーは出港した。デッキに出ようとすると強風のため前と側面は閉鎖されていて、後部にしかゆけない。太陽はでていたが、船の陰になっていて夕日はよく見えず、写真をとることもできなかった。ここでブログを相互リンクしていただいている『晴走雨読U』のTAKAさんを見かけた。TAKAさんだと思ったが、離れたところを足早に歩いてゆかれたので声をかけられなかった。

 

 積丹半島の夕日

 

 18時10分くらいに夕日はしずんだ。積丹半島を見ながら18時30分までデッキですごして自室にひきあげた。風呂にゆくがビンゴ大会には参加しない。ビンゴ運はないし賞品も大したことはないからである。

 船上コンサートにはいった。今回は若い男性3人のSTAYというグループの歌だった。フォークや歌謡曲をレパートリーとする人たちだ。コンサートは楽しかったので1000円をカンパしておいた。

 寝台にもどって飲みだす。つまみはサンドイッチとおつまみチャーシューだ。気がつくくと右腕にアザがある。右足にもだ。酔って寝ていてぶつけたのだろうか。いつものように3杯の焼酎を飲むと眠ってしまっていた。だからいちばん安いベットで十分なのである。

 車の走行距離 174キロ

 

 

 

 

 

 

 

 

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