駅の入口まで歩くとなかをのぞいた。しかしここにも誰もいなくて、蛍光灯の白々とした明かりがせまい待合室を照らしているだけだった。そこは十畳ほどの広さで正面には改札があり、右には二台のベンチがあって、左には切符の自動販売機と公衆電話がある。ほかにはなにもなくて、売店も観光用のポスターもない。眼につくのは時刻表と路線図だけで、天井はすすけ、床にうってあるコンクリートも所々はげている。改札の右には窓口があってその奥には部屋があるのだが、ここにも白いカーテンがひかれていた。

 海の上に浮かんで旅がまだ十日以上つづくことを考えると嬉しくてならなかった。これから訪ねる未知の岬や峠、湖や半島に思いをはせると胸が高鳴ってしかたがない。そこに家族や学校のことがまぎれこみそうになると、大急ぎで頭のなかから追い払うのだった。

 海面をただようことに飽きると仰向けから立ち泳ぎにかえて浜を見た。心なしか遠くなったように感じる。家族連れは帰り支度をはじめていて、漁師はすわったままだ。太陽をみるといつの間にか薄雲がかかり、西から雲の帯がながれてきている。僕は手で大きく水をかくと、岸にもどりだした。

 しかしそれは容易いことではなかった。沖にでるときには気づかなかったのだが、潮は引いていた。引き潮だからあれほど楽に泳げたのだと今になってわかる。いい気になって浮かんでいるうちに、流されていたことも知った。胃から胸にかけて、つめたい嫌な気持ちがあがってくる。僕はわざと大きく息をはくと、手足に力をこめて泳ぎだした。

 改札の右にある部屋から駅員がでてきた。若い職員で大学生の兄とかわらない年にみえる。鉄道会社の制服を着ているのだが、しわのよったネクタイと手入れが悪くて疵だらけになった革靴、白いソックスが眼につく。駅員はTシャツに半ズボン、スニーカー姿の僕が電車に乗ろうとしていないことを見極めると、ホームにでていった。時刻表を見ると電車が来るのだとわかる。ほかにすることもない僕は電車でもみていこうと思った。

 いくら泳いでもなかなか進まないように感じられて僕は焦った。じっさい潮の引きは強く、前進しているのか後戻りしているのかわからない。慌てると全力でもがいてしまいそうになったのだが、それでは体力が尽きてしまってかえって危険だと思い、80パーセントの力で泳ぐのだ、と自分に言い聞かせた。

 家族連れは荷物をまとめて歩きだし、見えなくなってしまい、漁師は下をむいたままだったが、僕は三分の一ももどれていなかった。助けを呼ぼうかとも考えた。しかし叫んでも声はとどくまいと思われた。無駄なことをして海水を飲んだりしたら、それこそたいへんだと自制した。僕は気づかぬうちに全力で、夢中になって泳いでいた。声にならない悲鳴を漏らしていた。パニック状態だった。

 何度も水を飲み、腕がしびれて頭を海面にだすことが苦しくてならなくなったころ、ようやく足が海底の砂にふれた。爪先立ちになってあるき、なおも潮にひかれて海中に没しながら、体をはこんで砂浜にたおれこむと、ひりひりと痛む喉と、重くしびれた腕と、呼吸と心の震えをしずめるのに何十分もかかってしまった。

 僕は海岸でキャンプをすることにした。泳ぐことで疲れてしまい、重い荷物をつんだ自転車のペダルを踏む気持ちは失せてしまったのだ。自転車にはキャンプ道具一式のほかに米や缶詰、二リッターの水など合計三十キロの荷が、五個のバッグにわけて装着してある。もちろんふつうの自転車ではなくて、長距離サイクリング専用のスポーツ車だ。僕は砂浜に安物のテントをたてると、その前で肩肘をついて横になり、雲がながれていく空と、夕刻をむかえて青色の諧調を変化させ、黒くしずんでいく海を、飽かずにながめていた。

 

 

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