電車がホームにはいってきた。チョコレート色をした二両編成のディーゼル車で、乗客は数えるほどしかのっていない。改札をとおして見たかぎりでは電車のドアは開かなかった。電車は客が自分のおりる扉だけボタンを押してあけるタイプのものだ。誰も下車しなかったので僕はベンチにすわりこんでしまった。しかし駅員はもどってくると改札にたち客を待っている。僕が気づかぬうちに乗客がおりたようだった。

 海岸でテントのまえに横になり、入日を見つめる自分に僕は完全に酔っていた。ほんの少しまえに溺れかけたこともわすれて、こんなに絵になる構図はないなと考え、セルフタイマーで記念撮影までしたのだ。ところがその後で雨が降りだしたのだった。漁師をみるとすわったままで網の手入れをつづけている。その姿には雨など意に介さないという野性味があふれていて、僕はたかがこれしきの雨で動揺した自分を恥じ、ふたたび海に視線をてんじたのだった。

 改札からでてきたのは白髪頭で顔のしわの深い、六十過ぎの貧相な男だった。着古した白と青の縦縞のシャツに作業ズボンをはき、ビニールのサンダルをつっかけている。手には折り詰めを提げていた。駅員はたったひとりの客をおくりだすと、これ以上仕事をつづけることはたとえわずかでも我慢がならないというようすで、乱暴に改札をとじると、右の部屋にひっこんでしまった。

 雨の海岸でふたたび僕は自分に酔っていた。ひとり旅で日本海の砂浜にテントをはり、雨に打たれながら落日をみつめる自分に。旅情が胸にせまり、自己陶酔のあまり溜め息までついた。しかし雨はふりやまず、髪から滴がおちはじめ、ついに耐えられなくなった。漁師をみるといつの間にか姿を消してしまっている。僕は急に興醒めしてテントのなかに逃げこんだのだった。

 旅の空の下にいる僕はいつもの僕ではない。僕はふだんの生活も、学校も、過去のこともすべてを東京に置き去りにしてきていて、完全に自由で、開放されていて、まるで人がちがったように溌剌としている。ここには両親も、学校も、世間も大学入試もない。圧迫感やコンプレックス、敵意の対象になるものが存在せず、僕の心はかぎりなく穏やかで、沈むことなく高揚しつづけている。僕を知る者がひとりもいない世界にいると、何のこだわりもなく振る舞うことができるのだ。僕はなにもかもひとりで好きなように決めて、やりたいように行動し、完全に自足している。いつもは人を警戒して、心を閉ざしているというのに。いまは誰とでも自然に、親しく話すことができるのだ。旅にでている僕はそこぬけに明るく朗らかになっている。あの娘のことを考えて、胸を痛めることもない。あの切れ長の瞳と、ナチュラルにウェーブした肩までの髪…‥。

 僕が完全に自足していたのは、缶詰と白米だけの夕食がすむまでだった。食事が終わるとほかになにもすることがない。海岸にいるのは僕だけで雨は降りつづけている。キャンプ用のローソクの灯の下でコーヒーをいれ、ラジオをつけてみたのだが雑音がひどくて聞くことはできなかった。シュラフにもぐりこみ、小さな光のしたで読みかけの小説をひらいてもみたのだが、テントをたたく雨の音が耳についてその世界にはいっていくこともできない。僕は人恋しくなり、この町の中心部まで行ってみようと思い立ったのだった。

 駅につくまでのあいだに会ったのは中年の女の人だけだった。その人はもんぺをはいて手ぬぐいを姉さんかぶりにし、手製の手押し車に野菜をのせてはこんでいた。ちらっと僕のことを見たのだがすぐに眼をそらして歩みさった。外にいたのはその人だけで、ほかには軽トラックが二台走っていたきりだった。

 改札からでてきた男は外の雨を眼にすると、ちぇっ、降ってやがるな、と呟き僕を見た。僕は時刻表や路線図をながめるふりをして、観光客といったそぶりをした。両親は僕と兄を比較するのだった。兄は出来がよくて一流大学にかよっているのだが、僕は兄が卒業した高校にはいることもできなかった。もっと努力すれば合格できたのに、そうしなかったのが不本意だ、と父と母はいう。でもそれで一番辛いのはほかでもない僕のはずで、不本意なのも僕なのだ。僕は僕なりに精一杯やったのだった。それなのに母などはただ世間体のためだけに、よい学校にはいれなかった僕に不満を言う。
「お兄さんがA校なのだから、弟さんもそうなんでしょう? と聞かれて返事できなかったわ」

 僕は家にいると常に父母からの水圧に耐えているし、劣等感にもなやまされる。卑屈にもなってしまうし、反発だってふくれあがるのだった。

 

  

 

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