7月23日(土) 襟裳岬、黄金道路、帯広へ 

 

ポロピナイ・キャンプ場の朝

 早朝に目が覚めた。キャンプ場はまだ寝静まっている。このまま出発すればキャンプ料は無料だとおもい、そそくさと準備をして走りだした。

 きょうは晴れていて気持ちのよい日だ。北海道一周の旅にもどるため海岸線にいこうとおもうが、きのうとおなじ道を苫小牧にもどるのは癪である。千歳よりの道道にはいり、苫小牧の先にでるようにルートをとった。しかし途中から砂利道となる。走りにくいことはないが、舗装路のように80キロから100キロで走行するわけにはいかず、ペースダウンした。

 

 砂利道はめずらしいのでまた写真をとった。しかしこんどはほこりだらけである。バイクは泥のうえにほこりにもまみれ、私は全身ほこりをかぶり革ジャンもヘルメットも薄茶色になってしまう。Gパンなどたたくとほこりがたつが、どうすることもできないのでそのままにした。

 ようやく舗装路にでてペースを上げたのはよいが、排気音がおかしくなってしまった。ビチビチという音が混じっている。聞きなれた音でぴんときた。バイクをとめて点検してみると、予想通りマフラーをとめているボルトが一本脱落していて、排気漏れをおこしている。出発前に集合管からノーマルにもどしたときに、締め込みが甘かったかと思いほかのボルトの増し締めをする。しかし出発から1000キロ以上、しかも砂利道も走っているから、北海道では予想外のトラブルが起こるのだともおもった。

 ボルトを一本買って締め込めば排気漏れはおさまる。バイク屋はないかと進んでいくと、小さくて古い自転車屋があった。人が住まなくなったら即廃屋になりそうな建物である。自転車のなかに1台だけカブが混ざっていた。さっそく中にはいってボルトがほしい旨を初老の主人につたえると、
「あんな大きなバイクの部品はない」と言って見ようともしない。
「部品じゃないんですよ。10ミリのボルトがあればいいんです。長さはこんなもので」と指でしめすが、
「だめだ、だめだ」と話もろくにきかずに奥にひっこんでしまった。
 何たる頑迷さ。たかがボルト一本のことなのに。乱雑な店のなかに、いくらでも転がっていそうなのに。唖然としてしまった。

 北海道のバイク事情に不安をもった。ただでさえ当時は部品の入荷が内地よりも大幅に遅いといわれていた。とくにカワサキは。予備のアクセル、クラッチワイヤー、フロント・ブレーキレバーとクラッチ・レバーは持参していたが、このさきボルトが買えずに、ビチビチときたない音で旅を続けるのは、格好をつけたがっていた大学生のころの私には、抵抗があった。

 朝食はどこかで300円のうどんを食べたと記録されている。昼は400円の弁当だ。キャンプに備えて180円のママレモンも買い、ガスをいれたついでに、泥だらけになったバイクを洗車した。洗車代は200円である。バイクがきれいになると気持ちもさっぱりとした。

 ビチビチと排気漏れしながら海岸線にもどり、235号線を南下して襟裳岬に到着した。ここは一大景勝地だ。駐車場にバイクをとめて草原状になった岬へ歩いていく。写真を見ると岬のさきに岩礁帯がつづいていて男性的な景色だが、印象はのこっていない。ただ長い距離をあるいた記憶がある。写真をとり、景観に満足して駐車場にもどっていくと、GSXのとなりにCBX400Fがとまっていて、岬に歩きかけたライダーが、方向を転じてCBXにもどっていくのが見えた。

 岬に行かないのか? と不審におもったが、おなじツーリングライダーの気安さで挨拶し、さっそく話しこむ。CBX君は関西出身の人で、現在は都内に住んでいる、役者志望の男だった。劇団に所属していてふだんはバイトをしているという。役者志望の人は貧乏だというイメージがあるが、CBXに乗っていて、北海道ツーリングに来るのは優雅だなと感じた。年はいっしょだった。

 彼の住所は私の家からも近かった。いろいろと話していくと、彼は今朝苫小牧にフェリーで着いたそうだが、
「さっそくいっしょに走れる人がみつかって、良かった」と言う。
 ? そんなことは私は一言も言っていないのだが。違和感をおぼえたが旅に道連れもよかろうといっしょに走りだす。襟裳岬のさきは黄金道路だ。砂利道がのこっていた記憶がある。私が先行してCBXがついてきた。百人浜、フンベの滝などにたちよって話していると、CBX君は帯広のユースに予約をいれていると言う。きょうもキャンプしようと思っていたのだが、ユースもよかろうといっしょに泊まることにした。しかしCBX君走るのが遅い。車のながれは90キロなのだが、走行していると遅れていってしまう。70キロくらいで走っている。まっすぐの道なのだからアクセルを開けさえすればよいのだが、できないようだ。なんのためにCBXに乗っているのだと思うが、車にぬかれつづけて走るのは怖くていやなので、先行して待つことを繰り返した。

 海岸線から内陸にはいり、当時すでに廃線となっていた幸福駅にたちよって夕刻に帯広についた。ユースは駅のすぐ近くだった。大きな鉄筋のビルで、こんなに規模の大きなユースはあまり見たことがない。帯広はさすがに大きな町で、ユースからワンブロックさきに大型のバイクショップもあった。そこで中古のボルトを300円で締めこんでもらい、めでたく排気漏れもおさまった。しかし中古のボルト一本で300円というのは高かった。内地の感覚としては、100円か、もしくは無料でしょう。

 ユースにはいると同年代の男女がたくさんいて、一気に盛りあがった。ツーリング・ライダーも大勢いたし、サイクリストたちや(自転車の旅人のこと。チャリダーという最近の呼び名は下品で嫌いだ)バックパッカー、女の子たちも旅先の気安さで、すぐに打ち解けあえる。それがユースの楽しみでもあったのだが、CBX君は人の輪に入ってこれないようだった。旅慣れていないのか、性格のためか。私は自分のペースで楽しくミーティングに参加して、風呂にもつかってさっぱりとし、ふとんで熟睡した。YHの宿泊代は二食付きで2900円だった。

                               走行距離 366.4キロ

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