7月29日(金) 念仏トンネルをぬけて神に会う

 モンキー君は宗谷岬へ、VT君はフェリーに乗るために苫小牧に去った。RZ君は札幌に二泊もしているのに市内を見ていないという。私は2年前に観光していたのだが、彼につきあってポプラ並木や時計台、旧北海道庁などをまわり、そのあとで彼と別れた。RZ君は岡山のほうの人だったと記憶するが定かではない。

 ひとりになって積丹半島にむかう。ここも2年前に自転車ではしったルートだが、そのときはただひたすら走っただけで、どこも見ていない。今回はじっくりと観光したいと思っていた。

 まずむかったのは余市のニッカ・ウィスキー工場だ。レンガ造りの歴史の重みを感じさせる建物で、受付で申し込めば順次案内をしてくれる。私はバスできた団体といっしょになった。中年男女の観光客のあとを革ジャン、ブーツの私がついて歩く。おたがいにちょっとやりづらかった。工場見学がおわるとウィスキーやワインの試飲コーナーがある。いけるくちの私はさっそくウィスキーをもらった。

 団体さんたちは時間が決まっていて、ガイドにうながされて早々に出ていった。残ったのは私と前からいたサイクリストのふたり。さっそく三人でいっしょになって飲む。二年前はここをサイクリングしたのだから話はあう。そうでなくともおなじ旅行者というだけで、すぐに友達なのだ。三人で盛りあがる。つまみは有料で売っていて、揚げジャガやイカなどを買い、ウィスキー、ワイン、ウィスキー、またウィスキーとやってしまった。

 ふと気づくとけっこう酔ってしまった。これはまずいと正気にかえり、ふたりに別れを告げて外にでた。しかしこのままバイクに乗るのはいかにも危険だ。はっきりとそう自覚できるほど酔っている。ちょうど工場内にレストランがあったので、昼食をとっていくことにした。頼んだのは北海道らしいサーモンのバター・ソテーを主品としたグリルだ。食べているとしっしょに飲んだサイクリストが、ふらふらと歩いて出ていくのが見えた。

 食事をおえたが酔いはまだのこっていた。しかし慎重にはしることにして出発する。すぐに先にでたサイクリストに追いつく。彼らは休んでいて賢明だった。手をふって先に行く。積丹半島の奥にはいっていくと急速にさびれてきた。景色も奇岩が海にたっていて目をうばわれる。酔いはすこしずつ消えていった。

 神威岬にむかっていたが、国道ではなく海岸ちかくをはしる道道を行くことにした。あるいはこの道しかなかったのかもしれない。コーナーがつづく狭い道を飛ばしていくと、ツーリング・ライダーがふたり、ならんで歩いている。何もないところだ。ヤマハXJ750Eが1台だけコーナーの出口にとまり、ふたりはバイクの進行方向とは逆のほうに進んでいた。ふたりの年は離れている。ひとりは私とおなじくらいだが、もうひとりは40過ぎのおじさんだ。ピースサインをだすと若いほうだけ答えてくれた。すれちがったあともミラーでふたりを見ていたら、道のしたの草地におりていくので、ぴんときた。

 GSXをUターンさせた。ふたりがおりていった地点までもどると、思ったとおり道のしたにはカワサキZ400LTDが落ちていて、ふたりはバイクを起こしたところだった。私も歩いていってふたりを手伝う。三人なので楽々と坂をこえ、Z400LTDは草をあちこちにつけた姿で路上にもどった。ふたりなら苦労したはずだ。

 落ちたのは40過ぎのおじさんのほうだった。
「どうして落ちたのですか?」と私は聞いた。おじさんは作業着の上下を着た人だったが、何も答えない。無視である。押し黙ってバイクについた草をとっている。
 XJ750氏におなじことを聞くと、
「コーナーの手前で、突っかかるように迫ってきたので、こっちも気合をいれてカーブを曲がったら、ミラーから消えていた」とのこと。
 北海道でナナハンにあったのはこれがはじめてで、年齢からみて限定解除をしたのはまちがいなく、非常にうらやましかった。Zのエンジンもかかったので、それじゃ、とふたりと別れたが、Z氏はありがとうの一言も口にしない。失態が気恥ずかしかったのかもしれないが、まことに失礼、非常識な人間だった。 

 積丹岬は通過して神威岬の入り口についた。観光客はほとんどいない。とまっている車も2・3台だ。駐車場にバイクをとめて歩きだすが岬は見えない。前方には巨大な岩山があり、道はそちらにむかっている。こっちでいいのかと心配になった。

 岩山にちかづくとちいさなトンネルがありこのさきに行くようだ。トンネルのなかは真っ暗だ。しかも手掘りで気味がわるい。前後に人もいなくて私ひとり、不気味なのをこらえてトンネルのなかにはいっていく。まったく光がないので手探りですすむ。10メートルほどいくと右に直角に曲がった。また10メートルほどすすむと今度は左に直角に曲がる。ようやく光が見えてほっとした。トンネルをぬけると夏の日差しがかえってきた。トンネルのなかは無音だったのだが、風の音もかえってきて、海も見えて景色は長閑で、異空間から帰ってきたかのようだ。このトンネルは『念仏トンネル』という名前だが、たしかに念仏を唱えたくなるような闇の濃さだった。(現在は危険防止のため封鎖されているようです)

 神威岬はまだ見えない。丘状になった草原のなかの遊歩道を10分ほど登りつめると、視界の先に神がたっていた。まさに神だった。岬の先の海中にたつ神々しい岩。たちつくして神を見つめた。視線をはずせなくなってしまったのだ。これまで美術品に心をうばわれたことはあったが、自然物にたいしてこんな気持ちになったことはない。神に魅入られてしまった。神にすこしずつちかづいていく。観光客は数人しかいない。皆動きをとめて神を見ている。岬のはるか手前で遊歩道は途切れていた。神の岩を遠望する。神に、これ以上ちかづいてはいけないのだと思う。これ以上接近すると、神秘性が、神の神聖が、失われてしまう。

 

 分かりにくいが神威岬。当時はここまでしか近づけなかった。海中にたつのが神である。

 敬虔な気持ちで駐車場にもどっていく。念仏トンネルも一度通ってしまえば恐くもない。すばやく通過してGSXのもとに帰ると、発売されたばかりのカワサキGPZ750Fがいた。地元ナンバーで乗っていたのは30過ぎの人だ。GPZはグレーとブルーのツートン、憧れのモデルだった。カワサキ初のカウリングのデザインも独特でカッコいい。男性は非常に乗りやすくてパワーもあると言った。当時カワサキの部品供給はほかの三社よりもきわだって遅かった。よくバイク誌にもとりあげられていて、北海道ではさぞかしと聞いてみると、まったくそんなことはない、とのこと。部品はすぐに入荷するそうで、カワサキも変わってきたようだった。

 当時神威岬のさきで道は途切れていた。川白と神威岬間に道路はなく、積丹半島は一周することができない。古平町までもどり山越えで西積丹にいく。2年前は舗装直前の、整地された深い砂利道だった峠道はすっかり舗装されていた。どのくらいの砂利の深さだったかというと、自転車の私を追い抜いていったスズキGSX750Eはタイヤを半分砂利に埋めてはしっていたほどだ。その苦労もいまはもうしなくてすむ。一気に当丸峠をこえて神恵内にくだり、今夜は島牧YHに泊まることにした。

 島牧YHは家庭的なあたたかい雰囲気だった。人気の観光ルートからはずれていたが、熱烈なファンがおおい。夏の休暇がとれると首都圏からまっすぐにここに来て、ずっと連泊し、ヘルパーの手伝いをして帰るOLが何人もいるという。開陽台とおなじで、ここはホステラーの聖地なのかもしれない。どんなにアットホームでも、私は連泊はできない質なのだが。

 ユースにはおなじくらいの年の多様な人が泊まっていた。それが魅力だったわけだが、ここでは東大のつぎにはいるのが難しい国立K大の生物学科の男性と同室になり話をした。彼は釧路湿原に単独ではいり、天然記念物に指定されているカエルやサンショウウオを捕獲してきたと言う。私がおどろいていると興味をもったと思ったらしく、ホルマリン漬けにしてあるという、カエルやサンショウウオをバッグからだそうとする。それをとめて、そんなことをしてよいのか? と問うと、平気だ、と答える。

 彼は自分の理屈だけで生きていて、批判されるとは思ってもみなかったようだ。私が詰問調になっているのにも気づかない。そして自分勝手なことを言うのだ。彼は以下のようなことを主張した。

「天然記念物を採捕してはならないが、売買は禁止されていない。事実植物はおおっぴらに売り買いされている。盗掘した人間が商売しているのだ。禁止物を持っているからといって、盗ったものか買ったものなのかは区別はつかない。したがって万が一問題になったとしても、買ったと主張すれば誰も自分を罰することはできない」

 彼はこの理屈に私が同調すると思っていたようだ。笑いながら喋った。頭のよい人にこの型の人間は多い。自分勝手なのだ。目が何度もあって、私の反応にようやく気づくと彼の顔も固くなる。頑なに。
 それは犯罪で、泥棒だ、と私が言うと、
「生物学のエリートである自分が、研究用に少々の生物をとることは、許されてしかるべきだ。これは、当たり前のことだ」
 と言い放ち、会話は打ち切りとなった。当時でも自然保護は声高に叫ばれていた。生物の減少は深刻な問題だった。彼は犯罪者だ。根室で私のテントを盗んで逃げた、盗人とおなじだ。彼は子供のようにそっぽを向いて押し黙ってしまった。

 反吐がでそうになった私は、横になっていて私たちの会話に加わらなかった、やはり同室の男性と話しだした。彼はXL250Sに乗っている北海道浪人だった。彼は9月いっぱいまで北海道にいて、10月になると都内のアパートに帰り、土方のバイトを翌年の5月までして金をつくり、6月になるとまた北海道にくるという生活を何年もしていると言う。ふだんはキャンプ場にいるが、たまにユースに泊まりたくなるとここに来るそうだ。これまた異色の人物で会話が弾んだ。

 夜のミーティングは楽しかったし、家庭的なヘルパー、ホステラーたちで居心地がよかったが、K大生のことがひっかかって面白くない気分をひきずる夜になった。

                                 走行距離  305.9キロ

 

 

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