8月16日 雨の宴

 

 雨の上士幌航空公園キャンプ場 木の下で雨粒をよけながら撤収

 

 5時40分に目覚めたが、当然のことながら宿酔だ。またシュラフに頭を落としてウツラウツラとするが、6時にトイレにいこうとして雨がふっていることに気づいた。傘をさしてテントをでるが雨は強くふっている。テントにもどろうとするとキャンプ場の管理人がきたので天気を聞いてみると、十勝地方は全域で一日中雨、とのこと。体の力がぬけてしまった。チェック・アウトの時間をたずねると、夕方までいてかまわないとのことだった。

 この雨ではリヤ・タイヤがモタードのDRで林道走行は無理だと思い、テントにはいってまた寝てしまう。しばらく眠って酔いをさまし、また傘をさしてキャンプ場内を散歩していると、DR650がいることに気がついた。これは昨日岩間温泉で会ったソロ爺さんだと思う。ヘルメットを被ったライダーはバイクに荷物をつみこんで、いまにも走りだそうとしている。急いで近づいて声をかけると、ソロ爺さんではなかった。よくよく話をしてみると、彼はDOT−NのメンバーのYoさんという方だった。

 Yoさんとももちろん初対面だ。出発間際のDRにまたがったYoさんとつかの間会話をする。Yoさんは、DR650に乗っている人はほんとうに少なくて、情報がほしくてDOT−Nのメンバーになった、とのことだが、最近はDOT−NのHPにアクセスしていないとのこと。
「僕は皆とちがって、ひとりで東北にいますから(イベントに参加できないんです)」とYoさん。
「5月に裏磐梯でツーリングがあって、山形まで行ったんですよ」と言うと、
「知らなかった」とのこと。

 YoさんのDRはリムとタイヤが組み換えられており、モタード仕様になっていた。リム・メーカーのHPからDR用のリムを発注し、自分でスポークをはずして組み上げたそうだ。タイヤで失敗した私とは大ちがいだ。そしてタイヤは前後とも端からはしまできれいに使いきっていて、すごいですね、と言うと、モタードにすれば誰でもこうなります、とのこと。そんなことはないと思うのだが控え目な方だ。そういえばソロ爺さんが多和平で、モタードのDRを見たと言っていたので聞いてみると、果たして多和平でもキャンプしたとのこと。きょう苫小牧からフェリーに乗るというYoさんは、手をあげると走り去っていった。

 帰宅してから気づいたのだが、YoさんはDOT−Nのカスタム・コーナーにDRのモタード化についてのレポートをよせていた。ディメンションを調整するためにリヤの車高を落としたり、スポークをかえたり、スタンドの長さを調節したりしていてすごい。メカにはうといのでこのコーナーは見ていなかったのだが、あらためてDOT−Nメンバーのレベルは高いのだなと思った。

 テントにもどって朝食のラーメンをつくって食す。ヨッシーは撤収を開始しており、ともさんもテントのなかで作業を開始しているようす。きょうはとりあえず帯広方向に走ってバンジー・コードを入手し、その先はそこで考えようと思う。夜は美流渡で永久ライダーの北野さん主催の宴、EOCがひらかれ、そこに私とともさんは参加するのだ。テントからでてきたともさんといっしよに食器を洗ったりしながら予定を話しあう。ともさんも帯広にむかうが、その後はまっすぐ美流渡へいく、とのことだった。

 ヨッシーは念のためにと持参した装備が不要で重いため、自宅に送ることにして、郵便局にでかけていった。堅実な選択だ。私なら面倒だからとそのまま走りつづけてしまうだろう。ヨッシーは雨のなか先に撤収し、礼儀正しく挨拶して知床にむけて走っていった。折り目正しくさわやかな印象をのこして。

「きょうは雨のEOCですかね」とともさんが言う。
「そうかもね」と私。「でも、高橋さんがタープを持っているんじゃないかな。タープがあれば、なんとかなると思うけど」
「雨は、嫌だな…‥」 

 ともさんは昨夜投入してくれた炭火台の始末などで、たいへんな手間がかかっていて申し訳なかった。私はテントを木の下に移動させ、雨をよけながらテントをぬぐって撤収する。10時くらいに出発しましょうかと話しあっていたのだが、私のほうが先に準備がととのったので、9時34分に一足早く出立させてもらった。  

 雨のなかカッパをきて、昨夜ガソリンをもとめて走った道を帯広にむけて南下していく。雨降りは嫌なものだが、晴天とちがって涼しくて気持ちよかったりもする。雨天のなかを一日中走りつづける覚悟をかためていくと、音更で雨はあがってしまった。ふりかえると上士幌の上空にだけ雲がかかり、南の空は雨雲がきれて太陽の光がさしこんでいる。十勝全域で終日降雨のはずが、上士幌からわずかな距離でやんでしまったのだ。これだから旅は停滞することなくすすんでいかなくてはいけないと思う。一日雨だと言われても、先にいけば太陽がでるかもしれないし、とびっきりのエピソードが待っているかもしれないのだから。

 音更には大型店が集積していたので、そのなかからホームセンター『ヤマキ』をえらんで、バンジー・コード2本と予備のガスカートリッジを966円で買ったのは、10時13分だった。さっそく新しいバンジー・コードで荷物を固定し、携帯とデジカメの電池を充電することにしてコードをつなぐ。充電はバッテリーから電気をとりだすので、雨だと漏電が気になってやりたくなかったのだ。

 南の空が晴れているので襟裳岬にいくことにした。襟裳岬は1983年以来いっていないので、今年は再訪したいと思っていた。帯広から海岸線の黄金道路にでて襟裳にまわり、海沿いにすすんで苫小牧の手前から内陸の美流渡にむかえば、300キロくらいだろうと踏んだ。夕方のEOCには十分に間にあうだろうと考えたのだった。

 帯広の市街地にはいり太平洋側の広尾をめざしてR236をいくと、建設中の高速道路が無料開放されていた。これを利用することにして帯広川西ICから高速にはいり、スピード・アップするが、この道路はどこまで完成しているのかわからない。行けるところまで使わせてもらおうと走っていくが、ここは風が強烈に吹いていた。

 高速道路は高架になっていて、一般道よりも高い位置にあるのだが、突風が吹き荒れていて、バイクを斜めにして耐えるほどだった。スピードは80キロが限界でこれ以上は恐くてだせない。元々風の強い土地なのだろう、風除けの壁が断続的に設置されている。この横を走ると風はなくなり、バイクは直立するが壁に引き寄せられ、壁が途切れると風に飛ばされて、センター・ライン方向にながされるということを繰り返し、ついにはダッフル・バックにさしておいた青旗がとんでいってしまい、無念なのだった。

 ここは対面通行の高速だが、わずか10キロほど先の幸福で行き止まりとなってしまった。高速をおりて国道にむかうと幸福駅の看板があり、観光客があつまっているのが見えて、立ち寄ろうかと駐車場までいったが、やめてしまった。1983年にもここに来たのだが、そのときは駅舎がポツンとあるだけで、観光客もほとんどいなかった。いまは大きな駐車場ができて観光バスがとまり、ライダーも何人もいるし、交通整理の係員までいる。売店もならんでいて、これでは私の嫌いな俗っぽい観光地になってしまっており、興醒めしたのだ。駐車場には入ったが、止まらずに走りぬけて国道にむかった。

 R236にもどって南下していく。国道をいく速度も高速とおなじ80キロである。国道は高速道のように高い位置を通らないから風がなく、信号はあるが、これなら一般道のほうが快適だ。そう言えばともさんとヨッシーは、この近くで牛トロ丼を食べようとしたが臨時休業で、じんぎすかん白樺に転進するも目前で売り切れてしまったと嘆いていたのを思い出す。飲みすぎで昨夜の会話の細部が判然とせず、少しずつ記憶をよみがえらせていくが、これが酔っぱらいのだらしないところでもある。ともさんはきょうの昼に牛トロ丼をどこかで食べると言っていたが、うまく見つけられただろうか。

 中札内の町にはいるとホクレンがあったので給油をした。22.1K/L。142円で1956円。狙っていたグリーン・フラッグを手に入れたが、落としてしまったブルー・フラッグが惜しまれる。このGSで襟裳岬までの所要時間をたずねると、2時間! とのこと。それでは襟裳岬から苫小牧まではと問うと、やはり2時間以上かかるでしょう、とのことだ。苫小牧から美流渡までも2時間はかかりそうだから、これではとてもではないが夕方までに美流渡につけそうにない。地図を見て検討した結果、襟裳はあきらめて引き返すことにした。まことに無念である。しかも暑い。日向では地図を見ていられず、日陰にはいって太陽の光を避けて、今後のことを考えたほどだった。

 11時43分にいまきたR236をもどりだした。できれば帯広方向には行きたくないのだが、襟裳岬から帯広にかけての地域には道路がなく、西へいけないので、不本意ながらおなじ道を引き返していく。しかしこのまま帯広をまた通っていくのはいかにも癪で、『紫竹ガーデン』の看板がでていた道道55線にはいってみることにした。念のために路肩にバイクをとめ、この道道がどこへぬけているのか地図を見ていると、対向車線を走ってきたタンデム・ライダーが私の横に近づいてきて止まった。なんだろうと思っていると、
「白樺にいこうとしとる?」と20代の彼に聞かれる。
 白樺はきのうともさんとヨッシーが行ったが、売り切れてしまっていたジンギスカン・レストランだ。
「いや、ちがうよ」と答えると、
「臨時休業やったんで、もし行くなら、教えてあげなと思って」
 タンデム・シートにいるのは可愛い女の子だ。微笑んでいる。私も笑顔になって、
「大丈夫、ありがとう」と言うと、ふたりはうなずいて去っていった。

 ふたりの親切に心があたたかくなって走りだす。しかしタンデムは多くなったものだ。老いも若きも仲良くふたり乗りをしている。1983年にはタンデムは1台もいなかったし、昨年も9月だったせいか見かけなかったが、やはり時代は変わったようだ。

 

 十勝平原 地平線が見える 道道55号線

 

 道道55号線を西へいく。すすむとすぐに洒落た建物の『じんぎすかん白樺』がある。たしかに入ってみたくなるような店構えだと思いつつ通過していくと、周囲は広大な畑がひろがりだした。これぞ十勝平野というような大陸的な景色が展開し、思わずバイクをとめて写真をとる。地平線の見える畑、胸のすくようなひろがりだ。国道沿いではこんなに雄大な風景は見られないだろう。道道にはいらないと出会えない光景なのでこの道はおすすめだ。

 『紫竹ガーデン』にもいってみたが、ここは有料でお花畑を見せる施設で、男ひとりではいるところではないし、好みでもないので通過する。また十勝の平原をもとめて道道55号線をすすんでいった。

 交通量はほとんどない。ライダーは皆無だった。走っていくと頭上に雲がわきだして、雨の匂いがしてくる。やがて路上に降雨の跡があらわれるが、水はながれきった状態なので、やんでから時間がたっていると判断し、カッパは着ずにすすむ。靴と膝下を前輪がまきあげる雨水でぬらしながらいくと、雨の痕跡はなくなり、乾いた路面となった。どうやら雲の切れ間の下を走っているようだ。この先の畑の作物は、ほんのわずかな距離のちがいで、恵みの雨がえられなかったのだ。作物自身は雨を渇望していただろうから、かわいそうだと思っていると、そんな同情心など不要だとばかりに雨粒がふりだして、徐々に強まってくる。暑さのせいで十勝の空の気分も相当複雑なようだ。

 美生から道道317号線にはいって国道38号線にむかう。雨のぱらつくなか芽室の町をぬけていくが、ここは帯広のベッドタウンなのかハイレベルな住宅や外車のある家が眼につく。住む人がいなくなった廃屋が雪でおしつぶされている物悲しい風景とはまったく別な、豊かな生活がここにあった。

 国道38号線にでると雨は強くなった。なんとか雨雲の下からのがれようと急いですすむと、降ったりやんだりを繰り返すが、完全にはやんでくれそうもない空の色だ。また昼時になったのでどこかで食事をとりたいと店を物色していくが、なかなか私の勘にうったえるレストランはあらわれなかった。

 国道の横にも畑はひろがっているが、道道のような広大な土地は見られない。国道のまわりには何かしら建物があつまって眺望をさまたげるのだろう。十勝清水の町にはいると、道路脇の丘の上に、ログハウス風のレストランがあった。カントリー・ライフと店の看板もでていて、ここにいってみることにする。国道から砂利道の坂を30メートルほどのぼると、丘の上の店の前にでる。車が5・6台とまっていたので、これは期待できそうだと思って店内にはいった。

 入店すると気持ちよくむかえてくれた。接客の女性にいちばん奥の席に案内されてメニューを見ると、おすすめの品が紹介されている。地元の十勝清水牛をつかったサイコロステーキがおすすめとのこと。200グラムの定食が1650円だ。まよわずこれを注文したが、周囲でもこの料理が一番人気だった。

 

 サイコロ・ステーキ定食

 

 客は途絶えることなく入ってくる。地元の客と観光客が半々のようだ。サイコロ・ステーキ以外のメニューも豊富で、となりに座った若い男女のグループは、じつに多彩な料理を注文していた。地図を見てメモをつけていると、待つほどのこともなくサイコロ・ステーキがはこばれてきた。思っていたよりも肉が大きい。たべてみると肉はやわらかくジューシーで美味しかった。素材の肉もよいがそれを生かすステーキ・ソースもうまい。つけあわせの野菜や味噌汁もよい味で、食べ終えると絶妙のタイミングで皿をさげ、コーヒーをもってきてくれる。接客も完璧でおすすめの店だ。

 気持ちよく食事をしてコーヒーを飲むが、窓の外では雨が本降りとなっていた。美味しい昼食をとりつつ斜めになって強くふる雨を見るのも複雑である。この先は日勝峠なので、いずれは雨具をつけずばなるまいと思っていたのだが、ここまで激しい降りだと滅入ってしまう。仕方がないのでいまはコーヒーを味わって、覚悟がかたまったら店をでようと思うのだった。

 気持ちの踏ん切りがついて席をたち、料金を払ったあとで、美味しいですね、と女性に言うと、ありがとうございます、と嬉しそうな笑顔がかえってきた。厨房では頑固そうな主人が腕をふるっている。気分よく店をでて強い雨の下にいき、カッパとブーツカバー、雨用のグローブで完全武装をした。砂利道を国道にくだっていくが、この道はオンロードでも走れると思う。もしダメだと感じたら、バイクは歩道にでもとめて歩いてもすぐである。

 国道274号線にはいって日勝峠をのぼっていく。高度をあげていくと霧がわきだして真っ白な世界になった。視界がきかないので前の車についてノロノロと走行する。気温は21℃と表示されていた。日勝峠をこえても状況はかわらず、雨は降ったりやんだり、照ったり曇ったりと不安定だ。深い樹林帯をぬけていき、TMに紹介されているチロロの巨石が気になるが、時間がないので立ち寄らずに走って、ずいぶん遠くに感じられた日高にようやくついた。

 道の駅、樹海ロード日高を横目で見つつ先へいく。降ったりやんだりで道はウェットである。たまにセンターラインが白線となるが、先行車をぬけずにノロノロとながれていった。石勝樹海ロードを西へすすむと昨年は見つけることのできなかった、食堂の樹海苑を確認した。場所は福山PAである。いつか樹海ラーメンも食べてみたいと思っているのだが、いまは寄っていられずにEOCの会場にいそぐ。走っているとEOCの集合時間は16時となっているような気がしてきた(そんなことはなかった)。ならばもっと急がなければいけないと焦るのだが、時間が迫ってくるといつもバタバタするのが私の悪い癖だ。ともさんは直接美流渡にいくと言っていたからもう着いているだろうし、ともさんが会ったロストさんは、昨夜は日高の沙流川キャンプ場に泊まると語っていたそうだから、とっくに到着しているだろう。高橋さんも早く現地入りする方だし、主催者の北野さんは誰よりも早く会場に入るようにしている方だから当然現着しているだろう。そう考えてみると、もう皆さんそろっているのかもしれない。

 気持ちははやっているのにペースはあがらず、夕張の入口、紅葉山についたのは15時30分だった。国道452号線にはいって夕張の先にある美流渡をめざすが、EOCで披露する料理の食材を手に入れなければならない。今回は炭火台は持参していないので、火をつかわない品をつくるつもりだ。走っていくとセイコマがあったので、きゅうり、人参、大根とアルカリイオンの水、のどごし生を購入する。まだ食材が足りず、スーパーはないかとすすんでいくとコープがあったので入店し、ミニトマト、大葉、みょうが、カツオのたたきを手に入れた。

 雨は強くふっている。ともさんと朝話しあったとおり雨のEOCになりそうだ。それも硬派なEOCらしくていいだろう。しかし雨がはげしくて走るのが辛い。時間を気にしていて気持ちが焦っているし、カッパ姿で雨粒をしたたらせてスーパーに出入りするのも、なんだかみじめに感じられてしまう。辛い、と意識するとよくないので、こんなときに必ずやる自己暗示をかけた。

 遊びにきていて、好きで雨のなかをバイクで走っているのに、辛いはずなどない、と。誰にたのまれたわけでもなく、自ら望んでここにいて、雨に打たれているのだから、と。

 自分を納得させて買ったものをパッキングして走りだす。するとスピード・メーターが動かなくなってしまった。立ちゴケの影響でメーターが破損していたのだが、ケーブルがぬけてしまったようだ。つけなおせば直りそうだが、いまは先を急ぐのでそのままとした。

 道道38号線にはいって夕張をめざすが思った以上に距離がある。夕張の町は奥が深い。道路脇には名産の夕張メロンを売る店がならび、観光客の車がとまっている。バイクが3台停車している店があり、なんだろうかとよく見ると快速旅團だった。ここも立ち寄りたいが、時間がないので未練をのこして通過する。旅團のとなりは夕張駅だが、その横にはおどろくほど巨大なホテルがたっていた。この町には不相応な規模だと思う。映画祭とスキー・シーズンには満室になるのかもしれないが、年間の稼働率を考えたら、税金で赤字を埋めればよいと考える政治家か役人でなければ決断できない、無謀な投資だ。この他にも石炭の歴史村や夕張メロン城、合宿者を呼ぼうとしている立派な野球場などが眼について、これが夕張を財政再建団体にせしめた箱物だろうかと思うと、ただ通過するだけの旅人の私も、胸苦しくなってくる。道路脇の少ない人家と、古い家並みを見ればなおさらだ。逆に言えばだから箱物を必死でつくったのだろうか。

 暗然とした気持ちで夕張の町を通過する。町はずれで分岐に迷い、DRをとめているとバイクが2台やってきた。CBR600とシェルパの2台だ。これはやまちゃんとともさんだと一目でわかった。やまちゃんは昨年も美流渡のEOCに参加しているので道も知っている。すかさず2台の後ろにつくが、ふたりも私のことがすぐにわかったようだ。

 狭い山道をいくルートとなった。しかも雨のほかに霧もでてきて視界がきかない。先頭のやまちゃんがさぐるようにすすみ、そのあとをついていく。地図では美流渡はすぐそこにあるはずなのにペースはあがらず、やけに遠く感じられた。 

 霧のふかい山道をかなり長い間走った気がしたが、じっさいには数十分のことだろうか。峠をこえて下りとなり、すすんでいくと雨はあがり霧も晴れてきた。雨がやむとホッとして、気持ちに余裕もうまれる。先頭のやまちゃんもハンドルから手をはなして、何度も両腕をひろげていた。気持ち良さそうに。

 16時30分にようやく美流渡温泉錦園に到着した。施設内にはいると奥まったところにバイクが集まっていて、会場はあそこだとすぐにわかる。3人でバイクをそこにとめ、先着の皆さんに挨拶にいった。

 

 EOCの開かれた美流渡錦園のキャンプサイト

 

 主催者の北野さん、高橋さんご夫妻、ロストさん、AOさん、宮田さん、赤影さん、スガヤさんご夫妻が先着されていた。皆さんあたりのやわらかな、フレンドリーな方々ばかりだ。高橋さんの大型タープが真中に張られていて,そのまわりに参加者の皆さんのテントが散らばっている。
「雨は降りませんでしたか?」と北野さんにたずねると、
「いいえ、ここはまったく」とのことだが、我々がつくとまるで雨雲を連れてきたかのようにパラパラと落ちてくる。本格的に降りだすと厄介なので、なにはともあれテントを設営してしまおうと思っていると、北野さんが、
「それより俺、オヤジのくせに、と言われたんですけど」と語りだす。若いライダーと飲んだときに言われたようだ。
 オヤジのくせに、と。
 オヤジのくせに、長い旅をしやがって。オヤジのくせに、充実したキャンプ旅をしやがって。オヤジのくせに、山なんか登りやがって。オヤジのくせに、自由自在に流れやがって、の意か。
 誰かが満ちたりていると、それが面白くなくて、ひどいことばを投げて相手を傷つけ、人の気持ちを台無しにして、溜飲を下げようとする悪質な人間はたまにいる。それがライダーだったのはショックだが、出会いがしらの事故みたいなものだろう。こんなくだらない人間はままいるものだ。しかし北野さんよほど頭にきたとみえて、オヤジのくせに、を以降連発することとなった。

 バイクから荷物をはこんでテントをたてようとすると、ロストさんが手伝ったくださった。恐縮していると、テントを張っちゃわないと、雨がふりますからね、と柔和な笑顔である。ロストさんはスズキのフリーウインドを購入されていたのでバイクも見せていただいたが、このDR650とおなじエンジンを積むデュアルパーパスを眼にしたのもはじめてのことだった。フリーウインドは稀少車のDR650よりも少ないだろう。
「どこで見つけたのですか?」とたずねると、
 どこにもないのでレッドバロンでさがしてもらった、とのこと。同型のエンジンのバイクを見られて私もうれしかった。

 また皆さん私のバイクの修理の経過を心配していてくださったとのこと。出発の直前までかかったオーバー・ホールの様子は、もしもバイクが直らずにEOCに参加できない場合の言い訳もかねて、HP上で『ミッションの変調』というレポートを随時更新していたのだ。それをチェックして予定通り北海道に来られるのか案じてくださっていたとのことで、誠にありがたかった。

 皆さんビールなどを飲みはじめている。雨がたまに落ちてくるが高橋さんのタープがあるので、大雨になったとしてもEOCは磐石だろう。それぞれの方は自分のペースで宴の用意をしている。自分で席をさだめて酒と肴を準備していく。誰が何を指示することもなく、談笑しながら、自然と酒宴がはじまっていくのがEOCの常で、よいところだろう。そして前回の裏磐梯のEOCでは肉あぶり係りの私が欠席し、ロストさんがその役をなさったとのことで、きょうは頼みますよ、と高橋さんから声がかかるが、きょうは火をつかわない料理をするつもりなんです、と炭火台のない私は答えたのだった。

「うわぁ、ネットの人たちがたくさんいますね」とやまちゃんが言う。たしかにPCの画面のなかだけで見ていた方と、じっさいにお会いするのは不思議な感覚をおぼえるものなのだが、馬齢をかさねている私は、すぐに慣れてしまった。 

 テントはととのったので料理にとりかかることにする。まず買ってきた野菜を洗いたい。水場は入口の建物にしかないので、野菜をもって歩いていった。水道をつかっていると錦園のご主人が、このあたりは22日間も雨がふっていなかった、と言う。この雨は待ちにまった恵みの雨のようだが、私としては誠に残念な天候だった。

 水洗いした野菜をもってタープの下にもどり、調理を開始した。トップケースを台にしてその上にペラペラのプラスチック製のまな板をしき、野菜をカットしていく。ともさんとやまちゃんは風呂にでかけた。ともさんはやはり風呂にはいってビールを飲まないと落ち着かないのだ。野菜を切っているとアブに腕を刺されたが、これはひどく腫れてなおるのに時間がかかった。美流渡はよいところだがアブが多いのが難である。蚊取り線香はすでにいくつもたかれていたが、私も自分のものをだして足元においた。

 まだ皆さん料理をはじめていないので、私が野菜をカットしている手元を見ている。何をつくるつもりなのかわからなかったと思う。大根はかつらむきしてスティック状に切り、きゅうりと人参も同様にする。高橋さんの奥さんのYukoさんが、旅にでてからきゅうりを食べてないよね、と高橋さんとうなずきあっていた。すべての野菜を鉛筆のようなスティック状にカットし、ざるに盛ってミニトマトを添えれば、一品完成! 野菜スティックである。ただ野菜を切っただけのものだが、さっぱりとしていて意外にツマミになるものだ。Yukoさんが味噌を添えてくださり、もろきゅうのように味噌をつけて食せば、さらに味がひきたつ。ロストさんがざるをのせるテーブルをだしてくださり、そこにおいて皆さんに食べていただいた。

 

 ロストさんのテーブルにのせた料理 カツオのたたきと野菜スティック 人物左は北野さん、右はロストさん、足だけは赤影さん テーブルの左手前にともさんの自家製コーヒー酎のビンも見える

 

 つづいて大葉にみょうが、ネギを細かくきざんでいく。薬味を山のようにつくったらコッヘルにうつし、まな板の上にカツオのたたきをそで切りにしてならべ、きざんだ薬味をその上にのせて、ポン酢をかければもう一品、カツオのたたきの完成だ。これは好評で瞬間蒸発してしまった。

 料理はおわったので高橋さんと風呂にいくことにした。錦苑の建物に温泉がある。湯は鉱泉をわかしたものらしいがよい湯だった。ただ湯船が小さくて、3人もはいればいっぱいになってしまうのと、風情がなくて実用本位なのがここの難であり、味だろうか。

 長く風呂につかっていると、また汗がとまらなくなってしまうので早々にあがる。席にもどって飲みだすが高橋さんご夫妻とは話があい、大いに盛り上がった。そのうちにシュウさんとIWAさんが到着され、快速旅團の團長さんが一瞬姿を見せて、すぐに仕事に帰られた。

 北野さんは利尻富士登山の激闘について語っていた。なんと13時間もかかったことや、水を4gを持参して3g消費した話をうかがうが、このときは単に長い距離を歩いたのだな思った。しかしじっさいには、とてつもなく険しい山行だったことを後になって知った。北野さんはその登山の疲れと暑さのせいでだいぶ疲労がたまっているようだ。また足の虫刺されがひどい。両足にのこる無数の虫食いのあとが、連続キャンプの歴戦の証だが、こんなに蚊に刺されたら、私なら熱をだしてしまいそうだった。

 AOさんには自身で掘られたという、砂金と白金を見せていただいた。小指の先ほどのビンにいれられた4・5粒の金が、4年分! の収穫なのだそうだ。白金は2粒で別のビンにはいっていたが、プラチナですか? とたずねると、白金です、とのことなので、白金族の化合物のようだ。しかし4年間川床を掘り、土砂をえりわけた成果がこれだけとは、まさに趣味の世界だ。AOさんのHPで砂金掘りのレポートを読ませていただいていたが、もっとたくさん獲れるものと思っていた。

 また北野さんのレポートに登場する混浴ライダーの宮田さん、明るい性格のIWAさん、実直なシュウさん、ロマンチストの赤影さんと会話をさせていただいた。赤影さんは気さくな方で、昨夜もここで北野さんとキャンプしたとのこと。ロストさんと潮岬で越年キャンプをする仲間だそうで、真冬の年越しキャンプをする筋金入りのキャンパーだ。赤影さんには苦労話と将来の夢についてうかがったが、それが叶うことを祈念しております。

 酒宴はだんだんと盛り上がっていった。そのうち北野さんの人物紹介がはじまる。一人ひとりを紹介し、本人も一言挨拶をしていく。スガヤさんご夫妻は北野さんの2002年の北海道レポートに登場された方だとか。それを聞いてピンと来た。和琴で北野さんと再会したご主人がよろこんで、母さん永久ライダーがいたよ!、とおっしゃった方だ。スガヤさんのご自宅は私の勤務先にちかい。私もたまにご近所を歩いているので、そのうちバッタリお会いするかもしれませんね、と話しあった。

 高橋さんご夫妻は野菜の天ぷらを揚げだした。Yukoさんのキャンプでの得意料理とうかがっていたが、じっさいにキャンプ場で揚げたての天ぷらをいただけるのはおどろきで、美味しくいただかせていただいた。Yukoさんは税理士をめざして勉強されているとのこと。すでに多数の科目に合格されているので、あと一息なのだそうだ。勉強がんばってください。

 Yukoさんが税理士になったら、僕は仕事をやめる、と高橋さんは冗談を言いながらスパゲティー・ミートソースをつくりはじめた。タカの爪をオリーブオイルでじっくりと加熱し、これは辛いからひとり2.5本が限度なんです、とおっしゃる。それなら限界までいれなくともよいのでは? と申し上げるが、規定通りにつくらないと気がすまないらしい。天ぷら同様にできたそばから大量にふるまっておられたが、これもたいへん美味しかった。私ものこっていた野菜スティックを皆さんにとってもらい、山の携行食のビスケットやさきいかなどをとりだした。時に強い雨がふるがタープのおかげで快適な宴となった。

 

 雨のなかタープの下で宴会

 

 いよいよ酒がすすんできた。参加の皆さんは席をはなれ、入り乱れて歓談している。となりではともさんとシュウさんが肉をあぶりつつ語りあっていた。私が立ちゴケしてクラッチ・レバーの先端が折れた話をすると、ロストさんも小樽に到着したフェリーから走りだそうとしてバイクをたおし、クラッチ・レバーを根元から折ってしまったとのこと。どう対処されたのですか? と聞くと、そのままレッドバロンに直行し、使用できるレバーを調べてもらって、在庫品で交換してもらい、事なきを得たとのこと。レッドバロンでバイクを買うと心強い面もあるようだ。

 私は酒のツマミに、旭岳の下でパンクしたこと、修理できずにレッカー移動したこと、タイヤが代用品のオンロード・タイヤになっていること、立ちゴケしたこと、キル・スイッチが切れているのに気づかずにJAFを呼んだ話などを披露した。するとともさんとやまちゃんが、こんなにトラブルがあるとまた何かあるかもしれませんよ、とおどかすのだ。しかもそう言われてみると、何かがおこりそうな気になってくるから、今回は気持ちの弱くなっている私だった。

 雨がまた強くふりだした。北野さん、ともさん、やまちゃんは明日、上富良野の道楽館にとまる。明日も全道的に雨とのことで、高橋さんも泊まっちゃおうかな、と言いだし、やまちやんに電話をかけてもらおうとしていた。ローホーさんもどう? と誘われ、キャンプ派の私は心が揺れたが、道楽館に一度泊まってみたかったのと、一日中雨のなかを走ってさらに雨天のキャンプをするのも気が重く、その話にのることにした。

 やまちゃんに道楽館に電話をしてもらったが、急な宿泊要請は無事OKとなった。ところでやまちゃんは道楽館の主のソットーさんに宿泊者名を聞かれ、高橋さんご夫妻と、えーと、えーと、ローホーさんです、と言ったそうだ。するとソットーさん、あっそう、HP見たことある、わかった、と答えたとのこと。

 酒はさらにすすむがそろそろ休まれる方もでてきた。明日早立ちされてフェリーにのるロストさん、スガヤさんご夫妻、そしてともさんも。ともさんはなんだか元気がない気がしたが、奥様からすばらしい朗報がよせられて、宴会どころではなかったようだ。そしてYukoさんも休まれた。北野さんは最近撃沈していないと言いつのっていたが、やがて地面に横たわり、お休みに。その姿を皆がカメラにおさめていた。北野さんはしばらく眠っていたが、やがて眼を覚まして自分でテントにはいられたので、今回は強制収用はなかった。

 その後も酒を飲んでかなり酩酊していったが、私とある方がある問題について論争になった。いろいろな立場によって考えのちがう、微妙なことについてである。30分ほど白熱した議論をしてしまい、場が白けてしまって、他の方に迷惑をかけてしまった。こんなつまらない話はやめましょうよ、とやまちゃんにさとされて会話を打ち切った。

 時計を見ると1時をすぎていたのでテントにはいって眠ってしまった。

 

                                                            271キロ