8月15日 そんなことして何が楽しいの?

 

 ウスタイベ千畳岩キャンプ場の朝

 

 4時40分に缶がカラカラと鳴る音で眼がさめた。なんの音かと思ったら、ゴミ集積所の缶を選別している地元の人がいる。このキャンプ場は無料の上にゴミまで捨てられるのだ。地元の人はゴミのボランティアらしかったが、受けた印象から資源ゴミを拾って金にしたいのかと邪推した。音の元を確認してまた眠り、5時30分に起床した。

 テントの前でラーメンをつくって食べていると、ポメラニアンをつれた初老の女が私の3メートル先で立ち止まり、犬に用を足させだした。こちらは食事中である。信じられない神経だ。にらみつけるが女は決してこちらを見ようとしない。しかし立ち去りもしないのだ。犬は縁石にむけて足をあげているので、緑地にはいってきたら一喝してやろうと構えていると、女も犬もそこまで踏み込んではこない。やがてキャンピングカーにもどっていったが、まったく無神経、自分勝手な人間だった。

 撤収作業をしていると、地元の55くらいの男性が自転車にのってやってきた。男は警備員のユニフォームを着ていて、
 どこから来たの? 家族はいるの? 子供はいくつ? そのバイクはいくらくらいするの? と警察官の身上調査めいたことを聞いてくる。従兄が警官で自分もなりたかったがダメだったとも言う。適当に相手をするが、余所者がめずらしく、何を考えているのかわからなくて、自分のなりたかった警官気取りで、無遠慮にいろいろと聞いてまわり、奴らはこんなことを言っていたと、地元の仲間に自慢、吹聴するような人間と見た。人品が芳しくない。警官気取りは最後にこう言った。
「こんなことして、何が楽しいの?」
 説明しても理解する感受性はもっていないと見たが、きちんと答えておいた。
「毎日東京のビルのなかで仕事をしていると、年に1度くらい、北海道の大自然のなかをバイクで走って、ふだんとまったくちがう生活をすることが、たまらなく楽しいんですよ」
「ふ〜ん」と警官気取りは生返事をしたが、やはり感受性はもちあわせていないようで、そのまま次の聞き取り対象者をもとめて走り去り、30メートル先でまた別の人間に話しかけていた。

 ウスタイベの印象がまた悪くなり、このキャンプ場とは縁がないようだと思う。ここは無料のキャンプ場だけあって高価なキャンピングカーはすくない。ふつうは少数派の自作キャンパーのほうが多く、Pキャンの人もいる。芝生のサイトは車の乗り入れが可なのだが、自動車とテントで割りこむ余地はないほど混みあっている。キャンパーは懐かしのホンダCB750Kから大型トレーラーまでいて実に多彩だ。大型トレーラーは荷台のアルミパネルをひらいていて、そこで人が寝ていた。北海道の人はやることが豪快だ。大型トレーラーでキャンプをしているのは、はじめて見た。

 立ちゴケで割れたスクリーンをガムテープで固定して7時5分に出発した。リヤ・タイヤがオンロード・タイヤでも、おだやかな林道ならばはいれると思っていたのだが、ヒューズに不安をかかえていては、山奥にはいけないなと感じていた。これからの旅をどのように組み立てていこうかと迷いつつ、きのう走ってきた国道238号線を南にもどっていくと、昨夕エンジンがかからなくなってしまった地点から100メートルほど手前の路肩に、ヒューズ・ボックスのフタが落ちているのを見つけた。DRのものに似ているが、まさかちがうだろうと思いつつ拾ってみると、これがそうだった。車にはねとばされたのか、ずいぶんと遠くまできていたものだ。DRのものと確認してフタの裏の配線図を見てみると、ヒューズは元々3個となっている。脱落などなかったのだ。

 我ながら間のぬけた話だと思った。元よりなかったヒューズをなくしたと思い込み、JAFに救援要請をしたのだから。しょうがないなと自分に呆れつつ、フタをボックスにとりつけ、もう落ちないようにガムテープで固定しておいた。

 薄曇りのオホーツク沿いの国道を快走していくが、電装系に不安がないとわかれば林道にはいりたい。ちょうどこの先に去年も走っておだやかだとわかっているフーレップ林道がある。リヤ・タイヤのグリップをたしかめるためにも行ってみることにした。

 気温は21℃と表示されていた。南下をつづけていくと雨がパラパラと落ちてくるが、弱い降りなのでそのまま走行していくと、やんでしまう。7時40分にフーレップ川沿いの林道入口について国道からはいっていくが、熊がこの付近に出没したと看板がでている。しかし少し前のことだし、でた熊はいつまでもおなじところにいるわけもないから、どこかへ去ってしまっただろうとタカをくくってすすむ。早くも林道と熊の情報にも慣れてきたのだった。

 

 フーレップ林道

 

 しばらく舗装路がつづくがすぐに砂利道になる。フーレップ林道は昨年走った印象のとおりおだやかな林道だった。ストレートが多くて見通しもよい。たまに深ジャリの登りがあるとタイヤのグリップを心配したが、多少すべるものの問題はなかった。ただフーレップ林道をぬけた先の、加須美峠と美深町間が工事で通行止めのせいか、草刈りをしていなくて、雑草が路上にはみだしていて走りづらいのが難だった。

 17キロのジャリダートを走りきり8時17分に道道120号線にでた。これならば旅のプランを変更することなく、昨年台風の影響で走行できなかった、パンケニコロベツ林道、ヌプントムラウシ林道、屈斜路湖畔林道、虹別林道、昆布刈石林道などを走破することができると考えつつ南下していく。層雲峡方向にむかうことにするが、国道は味気ないので道道をつないでいくことにした。

 ほとんど交通量のない高原の森林帯をいく快走路を南下していく。白樺の木がおおい。ここにはきのうの旭川の暑さはなく、さわやかな気温とあざやかな緑のなかをすすんでいった。道道49号線にはいって松山峠にむかうと『松山湿原』の案内があり、興味をひかれるが徒歩30分とのこと。そんなに歩くのは嫌なので立ち寄るのはやめてしまったが、ここの入口にも熊出没中の看板がでていた。しかし考えてみれば熊はどこにいてもおかしくはないのだから、姿を見ても事故がおきていないなら騒ぎだてすべきではないのかもしれない。熊よけの鈴などをつければ遭遇は避けられるだろうし、めったに事故は発生しないのだから。林道と熊の存在に慣れて、そんなふうにまで感じるようになっていた。

 松山峠をこえると道道60号線にはいって南進をつづけた。国道をきらって道道をジグザクにつないでいくルートをむすんでいく。あいかわらず交通量はほとんどなく、自分のペースで好きなように走れる。バイクもセローが1台きただけでほかにはまったくいなかった。

 快走していくがバイクの不調も発生した。80キロの一定速度で走っていると、ガス欠になったかのようにはげしくノッキングするのだ。キャブはエンジンとともにオーバー・ホールしたばかりなのだが、はじめはセッティング・ミスだろうかと考えた。アクセルをあけていって、スピード・アップしているときには症状はでないのだが、アクセル開度を一定にたもつとノッキングがおこる。ビック・シングルは気難しいものだが、やがて北海道のガスの品質に疑問を感じた。ためしにハイオクを入れてみればよかったと、帰ってきてから思いいたったが、この症状は帰京してからほとんどない。気にならないくらい小さな傾向となっている。

 道道60号線を南下していくと奥幌内本流林道の入口があった。案内板がたっていてこの先に『神門の滝』という名所があり、手つかずの自然があります、とのこと。神門の滝とはまた命名の妙を感じさせ、どんな滝なのだろうかと想像力を刺激される。タイヤを換える前はこの林道からピヤシリ林道をつないで走行する予定だったのだが、でだしから急坂のジャリダートで荷物を満載したモタード仕様では不安であり、進入しなかった。このすぐ先にある奥珊瑠林道も同様である。おだやかだとわかっていない林道にはいるのは今回見送った。

 林道走行のかわりに川があると釣りができないかとのぞいていった。あるのは小さな沢ばかりだが、たまによさそうな流れもある。しかしそんなところは熊笹をかきわけて森をぬけ、川岸まで歩かねばならないような場所で、草やぶをおよいでいくのは熊が恐いのでやめておいた。

 引きつづき川を物色しながら走っていくと、下川の手前にひらけた河原があり、パジェロの人が釣りをはじめようとしているのが見えたので、私もいってみた。

 

  

「釣れますか?」と聞くと、地元の人間ではないからわからない、とのこと。室蘭ナンバーの方だった。
 先にはいっていた彼の邪魔にならないように、少しだけやってみたいと話し、彼の了解をえた。彼は川下でやるとのことなので、私はバイクとパジェロのとまっている眼の前でやってみることにした。 

 暑くなってきた。彼は渓流釣りのスタイルをバッチリ決めて川下に歩いていく。川虫をとってエサにして釣りはじめたが相当な腕だ。剣道ではないが、竿をもった構えを見ただけで技量がわかるのである。私は靴をぬらさないですむ範囲でやってみるが、水深は浅く、魚がかくれるような沈み石もないし、太陽の光が川の全面にあたっていて期待できないと思ったが、そのとおりだった。当たりはあるのだがハリにかからない。魚が小さいのだ。たぶん山女の稚魚だろうが、ハリにかからないようなチビは釣っても仕方がないので、わざと大きなハリをつかっている。ハリがかりするようなサイズの魚はいないので30分ほどで切り上げたが、下流の彼も私と同様だった。

 10時に走りだして先にいくが、もう釣りのできそうな川はなかった。下川町で道道101号線にはいって南下をつづけ、岩尾内ダムにいたる。ダムはコンクリート製の巨大なもので、湖は荒涼としており、独特の寂寥感があった。

 

 岩尾内ダムの上で。独特の寂寥感がある。タンクバックにつながるコードが充電用。割れたスクリーンにはガムテープ。

 

 ダム湖をすぎて道道101号線で南下をつづけるが、ここもほとんど車は走っておらず、道路脇には住む人のいなくなった廃屋が雪でおしつぶされていて、物悲しい風情である。これは国道だけ走っていては眼にできない、北海道の郡部の現実だ。

 気温はさらにあがってきた。愛別町いたってついに国道39号線にはいる。層雲峡につづく大雪国道である。とたんに道路は渋滞気味なほどに混みだして、ツーリング・ライダーもひっきりなしにやってくる。手をあげて挨拶するのがわずらわしいほどに。皆さん国道ばかり走っていないで道道にはいれば別の北海道が見えると思うのだが、大きなお世話だろう。

 そろそろ昼時なので街道筋の食堂を物色していった。今回食事はすべて出たとこ勝負でいくつもりだ。いろいろな店の情報があるのはわかっているし、下調べした人気のレストランをめざして旅をするのも楽しいだろうが、逆にその情報に行動をしばられてしまうこともある。ツーリングの自由を制限されるのが嫌なので、適当な店舗にとびこんでいくことにしたのだが、これはこれでスリリングでおもしろかった。

 国道39号線を東にいくと上川町にはいり、『日本一うまいラーメン』と看板をだしているドライブインがあるが、当然はいらない。上川はラーメンの町なのだそうだが、この店があるから上川中のラーメン屋が胡散臭く感じられてしまうほどだ。洒落と宣伝のつもりの看板なのだろうが、好きになれない。層雲峡の観光地にはいる前に食事をする店を見つけたいと思っていると、民芸調の建物のレストランがあり、幟が何本もたっていてやる気が感じられるし、なにより車が何台もとまっていて、ここだと勘をはたらかせてはいったのは『ぽけっと』という店で、上川のホクレンのむかいだった。

 店にはいると気持ちよくむかえてくれる。そして店内は混んでいた。メニューを見ると民芸調の建物とはちがって、ごく普通の食堂である。いちばん高価な料理は1000円だ。北海道らしい海産物や、山のなかなので深山の名物などを考えて店にはいったのでイメージがわかず、店の人に何がおすすめなのか聞いてみた。するとご飯物なら『ぽけっと定食・1000円』がおすすめとのこと。店の名のついたその料理を注文した。

 

 ぽけっと定食

 

 ぽけっとは建物に民芸茶屋と書いてあるのだが、じっさいは大衆食堂なので、商売の路線をかえたか、もしくは経営者がかわったようだ。しかし地元の人でにぎわっていたから期待できると思ったし、接客も非常によい。そしてでてきたぽけっと定食は焼き魚と刺身の定食で、刺身は新鮮だし、味つけは家庭的なあたたかいもので美味しかった。

 高校野球を見つつ食事をおえ、ぽけっとを出てむかいのホクレンにはいった。給油できるところで早目にガスをいれておこうと思ったのである。22.3K/L。142円で1752円。ホクレンにはタンクとシートをはずしてバイクの修理をしているBMWのライダーがいた。暑いなか陽射しをあびて作業している姿が、私のタイヤ・トラブルと重なって、放っておけない気持ちになる。私は林さんに親切にしてもらったが、BMW氏はひとりで修理をしていて、だれかに声をかけてもらったのだろうか。一声かけてもらうことがどんなに救いになることか。そこでBMW氏のところに歩いていって、
「直りそうですか?」と声をかけた。
 下をむいていたBMW氏は眼をあげて、
「いや、ダメですわ」と言って表情をゆるめ、「諦めました。バッテリーもあがってしまったし」
 私よりもちょっと下の40くらいの人だ。白髪で精悍なナイス・ミドル。バイクはBMWの最新鋭のオフロード、HP2エンデューロ、レーシーで高価なモデルだ。林道を走ってきた埃がタイヤと車体についている。トラブルがなければ楽しい休暇がつづいただろうに。いやトラブルもすぎてしまえばよい思い出か。
「それならJAFに電話をしてみてはいかがです? 修理工場にはこんでもらえますよ」と言うと、
「BMWの救援システムに入会してますんで、そこへ電話します」とのこと。それならば私にできることはない。それじゃあ気をつけて、とBMW氏に会釈して別れた。このことを後日、EOCでBMWオーナーの高橋さんに言うと、レッドバロンなどが下請けとなって、救援システム網がつくられているそうだ。

 層雲峡にむかう。ここは昨年も走った道だが、そのときは台風の豪雨のなかの走行で、しかもカッパの防水機能がなくなってしまい、びしょ濡れになって、風景を見るどころではなかった。すすんでいくと左手に切りたった岩山の崖がつづく。層雲峡名物の柱状節理とよばれる断崖だが、気になるのは左ではなく右をながれる石狩川のほうだ。いかにも魚の釣れそうなダイナミックな渓相をしているが、釣りをしている人いない。ちょうど履道の横を川がながれている場所があったので、バイクをとめてようすを見にいってみた。国道をいく車が多く、しかも速度をあげて走っているので、道路を横断するのに苦労する。そして川に近づいてみると、釣りをするには歩道から2メートルほど下の森にとびおりて、熊笹のしげる草地を20メートルほどやぶこぎをしなければならない。これでは道路からおりるときに足をくじきかねないので、この旅のいろいろなトラブルを思い出して自粛しておいた。

 さきにすすむと流星の滝・銀河の滝があり見物したかったが、通過してしまい長いトンネルにはいってしまう。引き返すつもりだったがトンネルが非常に長いので、もどるのが億劫になりやめてしまった。トンネルをぬけると大函があったのでこちらを見学することにする。滝は1981年に自転車できたときに見たことがあったのだが、大函は眼にしたことがない。いってみるとたいへんな岩屋、大岩の峡谷である。しばし展望所からながめいった。

 台風だった昨年とはまさに天国と地獄だなとと思いつつすすむと、大雪ダムにいたり、国道274号線にはいって糠平湖方向に南下する。このルートはこれまで2度走って2回とも大雨だったのだが、今回は大丈夫のようだと思っていると、パラパラと雨がおちてきた。雨具をつけずにねばってもよいことはなかったので、早々にカッパをつけることにする。

 路肩でレイン・ウェアをつけていると真紅のサイドカーが私をぬいていった。レーシング・サイドカーのようなすごいモデルだ。雨具をきて走りだすが、この周辺には銀泉台と大雪高原温泉という大雪山をながめられる名所がある。その先にきのう登頂した旭岳があるのだ。どちらかに行こうと考えていたが、大雪山は旭岳側から見ていたので、反対側からながめることもあるまいと、寄るのはやめてしまった。

 雨はすぐにやんでしまった。空も晴れてくる。あがってくれればカッパをぬぐ手間など少しも苦にならないと、負け惜しみを言いつつ、三国峠PAに立ち寄って雨具をとった。ここには先ほどの真紅のサイドカーがいたが関西ナンバーのクラウザーである。オーナーはそれらしい雰囲気の人物で、泥臭い私とはまったく接点のないタイプだ。珍しいのでサイドカーをバックに記念撮影をしている観光客もいた。

 大雪山は見送ったが、前からいってみたいと考えていた岩間温泉にはつかっていくつもりだ。岩間温泉は音更川本流林道を11キロいき、川が林道を横ぎってながれている先にある秘湯である。その野趣あふれる湯にはいってみたいと思っていた。

 

 音更川本流林道 はじめはおだやかな道である

 

 国道をいくと林道の入口はすぐに見つかった。さっそく進入すると浮きジャリダートである。熊の出没が恐いので盛大にクラクションを鳴らしながらゆっくりと走っていると、背後にブルーのバイクが追いついていたのに気づいた。後ろから迫ってきたということは相当な速度差があるわけで、即座に道をゆずると、ブルーのバイクは左手をあげて先へいき、驚くべきスピードで遠ざかっていく。リヤのモトクロス・タイヤが強引にジャリをつかみ、まきあげて疾走していくのが眼にのこる。ブルーなのでヤマハだろうかと思った。

 ブルーのバイクとはたいへんなスピード差があって、腕の差は歴然としていたが、私は荷を満載していたが彼は軽装で、彼はモトクロス・タイヤだが私はモタードだと思ってはみたが、それらを差し引いてもとてもかなわない。私は自分のペースですすんでいく。彼が突っ走っていったので、少なくとも熊の心配はいらなくなったと安堵しつつ。

 この林道は11キロと短いのだが、後半に急坂がある。かなりの斜度なので慎重にのぼっていくと、よもやの失速をし、痛恨のエンストをしてしまった。大事にいきすぎたのだ。こういうところはもっとアクセルをワイルド・オープンして、強引に突破してしまったほうがよかった。急坂のジャリダートでキックをするが足場が悪くて緊張する。幸いエンジンはすぐにかかったが、今度はオンロード・タイヤで発進できるのかと危ぶんでしまう。しかしやってみるとなんということもなく走りだせた。もうエンストしないようにアクセルを開け気味にして走ると、タイヤがスライドしたり、はねたりするが、かまわずすすんでいくと駐車場にでた。林道の入口から20分の行程で、時間は14時20分だった。

 駐車場にはワゴンRが1台とまっていた。荒れた林道をエンストしながらやってきたというのに、こんな車でも来られるのかと思うと白けた気分になる。ワゴンRにのっている人に聞くと、この先の沢をわたり、200メートルほど歩くと岩間温泉とのこと。そして、
「いまさっきバイクが川をわたっていったから、あなたも行けるのでは?」と言う。
「あれは空荷でしょう」と答えると、
「そうでもなかったよ」と言う。車しかのらない人は、バイクの荷物がどれほど操縦に影響するのかわかっていないのだ。

 ワゴンRの人は、自分の車では無理だが、普通車でも川をわたっていく、と言うのだが、渓流釣りに長く親しんで沢を見慣れている私としては、どうあってもバイクではわたれないし、車もジープでなければ進入できないと思うのだが、地元の人は考えられないことをするものなので、あるいはそうなのかもしれない。または今はたまたま水位が高く、減水しているときには普通車でもいけるのかもしれないとも考えた。

 

 ソロ爺さんのDRと 岩間温泉の駐車場

 

 バイクでの渡河は無理だと判断したので、歩いていく支度をはじめた。カメラにタオル、それに熊よけの鈴を用意していると、上流からバイクの音が近づいてきて、ザバァッ、とあざやかに川をわたって、ブルーのバイクがやってきた。私をぬいていった彼はもう風呂にはいって引き返してきたのだ。まさに眼が覚めるような渡河だったが、タイヤが水をまきあげて、靴がびしょ濡れになっている。バイク同士なので眼があって会釈すると彼はとまり、私は、
「温泉まで200メートルくらいですか?」と聞いた。すると、
「いや、500メートルはあるんじゃないかな」とのこと。
「だれかいますか?」とたずねると、
「キャンプの人がいます。こんな熊のでる山のなかで、よくやるよね」
 ふと彼のバイクを見るとDRである。
「DRですか」と言うと、
「そう、DR650です」と答える。DR650はめったにいないのだ。びっくりして、
「私もそうなんですけど、あのう、クラブがあるんですが」と言うと、
「私もはいっています」と彼は言うのだった。よくよく話をしてみると彼はソロ爺さんと名乗っている方で、DOT−Nの掲示板に書きこまれた名前と文章を私も見ていたのだった。同じ時期に北海道ツーリングをすることはわかっていたのだが、こんなところでお会いするとは思いもよらず、偶然に驚いていると、ソロ爺さんは多和平でもDR650を見たと言う。モタード仕様のDR650だったそうだ。ソロ爺さんは私より年上の方だったが、ここでしばらく立ち話をしてわかれた。

 靴と靴下をぬいで沢をわたっていくが、水が強烈に冷たい。これは雪渓がとけこんでいる水だ。しかも底石がすべりやすく、危うくころびそうになってしまった。水深は思ったよりもあって膝下くらいであり、この深さの川をバイクでわたるのは、かなりの技量が必要だろう。また普通車ならマフラーは水没すると思うが、大丈夫なのだろうか。

 川をわたって靴をはき、熊鈴をならして山をのぼっていく。道は荒れていて、やはりジープでなければ走れそうもないと思う。周囲は原生林だがかなりの人が出入りしているようで、熊の心配はいらないようだ。やがて道は森をぬけ、川沿いにでて、対岸の河原に露天風呂の湯船があるのが見えた。川には丸木橋がかけてあり、これをわたっていくのだ。キャンプをしている人のジープが1台とまり、人がいる。橋をわたって湯にいくとワゴンRの人がひとりで湯につかっていた。

 

 岩間温泉

 

 さっそく私も湯につかる。ワゴンRの人にいろいろと話しかけると、わずらわしいと思われたのか、元々社交的ではないのか、彼は上流にあるもうひとつの湯船にうつってしまった。地元の人間である彼は、この秘湯につかっても高揚しているわけではないので、観光客の私の浮かれた調子につきあいきれなかったのかもしれない。湯はちょうどよい温度である。ひとりでは十分に広い湯にどっしりとつかってみるが、温泉にはいることが目的なので、1分もたたずに満足し、あがってしまう。我ながらせっかちすぎていけないなと思うのだが、どうにも性分は変えられないのだった。

 服を着ているとバイクの青年がひとりやってきて、山道をくだっていくとカップルとすれちがった。秘湯とはいえここは人気のスポットだ。また冷たい沢をわたって駐車場にもどると、ホンダのオフロード・バイク、XL250が2台やってきた。手をあげて挨拶をかわすが、若者かと思っていたのにヘルメットをとったふたりは55くらいの初老の男性で、髪が真っ白だ。ふたりは最高の笑顔で私にうなずいてきたが、最近ベテラン・ライダーがふえたものだ。私の若かったころにはほとんどいなかったというのに、時代はかわった。

 11時30分に駐車場を出発した。帰りはジャリダートにも慣れて別人のようにスピード・アップしていく。エンストしてしまった急坂は、4WDなどが力まかせにのぼっていてデコボコだが、下りなら問題ない。堅実且つ迅速に走行していく。途中で地図を見ているホンダ・バハの青年がいたので止まって声をかけた。
「温泉はこの先まっすぐ、5キロほどですよ」
「そうですか、ありがとうございます。迷ってしまって、困ってました」
 迷うところなどないはずなのだが。15時54分に国道にもどった。

 つづいて糠平湖畔にあるタウシュベツ橋を見にいくために、糠平三股林道にはいった。この林道は道幅はひろいがデコボコの穴だらけの道だ。穴をよけていかないと、ドカン、ドカン、と衝撃をうけてしまうのだが、穴は道路一面にびっしりとあいていて、避けていくにはスピードを落とさなければならない。はじめはノロノロと穴をよけていったのだが、やがて面倒になり、穴にかまわず、ドカン、ドカンと走っていった。4キロの林道をいくと16時15分にタウシュベツ橋の入口についたが、バイクをとめるとダッフルバッグが衝撃で落ちかかっており、マフラーに接触して穴があいてしまっている。あわてて直したが、バンジー・コードも古くなっているようで交換が必要のようだった。

 

 タウシュベツ橋

   

 タウシュベツ橋は人気があって駐車場には車が5台ほどとまっていた。軽装の観光客がいて華やいだ雰囲気である。林道から湖畔にむかう、頭上を樹木の枝葉におおわれた薄暗い小道をいく。ここは環境保護のために車、バイクの進入は禁止である。200メートルほど歩くと森をぬけて湖にでて、そこにタウシュベツ橋はたっていた。

 一見すると小さくて狭い橋である。この石の橋を鉄道がはしっていたのだろうかと、危ぶむような外観だ。橋自体の老朽化もすすんでいて、崩れてしまいそうに見える。石橋はタウシュベツ川にかかっているが、水量のおおいときには水没してしまうそうだから、湖ができる前に使われていたのだろう。美しいのでもなく、懐かしくもないが、不思議な魅力のある遺構だ。人が手でつくったものだから人間臭さが造形にあらわれているのだろう。

 タウシュベツ橋とわかれてまた200メートルの小道をもどっていくが、この道は軌道跡なのだと気がついた。あらためてここを列車がはしっていたのだと思ってながめてみれば、狭い軌道である。今となっては頭上や周囲に木々が生い茂り、倒木もあって、ここを列車がとおっていたとは俄かに信じられないような変貌ぶりで、軌道はしずかに山にもどりつつあった。糠平三股林道はタウシュベツ橋の入口で通行止めとなっていたので、来た道を国道273号線へと引き返していく。林道は穴ぼこだらけだがフラットなので、大型のオンロード・バイクもはいってきていた。 

 国道をすすんで糠平にいく。売店やホテルのあつまっているところにバイクをとめ、DOT−Nの掲示板に『岩間温泉でソロ爺さんと遭遇』と書き込み、会社にも電話をいれた。この時点で今夜の宿は『鹿の湯』のある国設然別峡野営場と決め、家内にも圏外のキャンプ場で泊まるとメールをおくり、周辺の店にはいって酒と肴を手に入れようとするが、観光みやげの菓子とカップめん、缶詰くらいしかなくて、ビールだけを273円でもとめて然別峡にむけて走りだした。

 狭くて薄暗い樹林帯をいく道道85号線を車の後についていく。自動車がストレートで頑張るのでぬけずにいくと、山田温泉から然別峡峰越林道にはいるところを通りすぎ、然別湖までいってしまう。これはおかしいと地図を見て、山田温泉まで6キロもどるが、残念ながら林道は通行止めだった。

 しかたなく然別湖にもどり、白樺峠をこえて先へいき、道道1088号線とぶつかった地点、然別峡への南からの入口までいって考えた。このまま然別峡にいくのか、それとも明日走る予定の林道に近い、国民宿舎の東大雪荘の奥にあるトムラウシ自然休養林キャンプ場にむかうのか、もしくは町にあって便利な上士幌航空公園キャンプ場に泊まるのかと。明日はパンケニコロベツ林道をのぼり、ヌプントムラウシ林道にはいって、ヌプントムラウシ温泉につかるつもりだ。トムラウシや然別峡のほうがそれらの林道に近いが、ゴミを捨てたいし、バンジー・コードも買いかえたい。そこで上士幌航空公園キャンプ場にいくことに決めた。

 18時に走りだしたが、この周辺は昨年もとおっているので道も景色もよくわかっている。この先に展開する雄大な風景に期待してすすんでいった。道道から国道274号線のまっすぐな道にはいると、待ち望んでいた光景が左右にひろがりだした。ここは木の列で区切られた広大な畑と牧草地が連続するところで、左はさまざまな農作物と山なみと空、右は畑や牧草地と空のコントラストがつづいていく。作物の種類によって緑の濃淡と密度はかわり、山と空の色も時間とともに変化するので、飽きることがない。太陽の位置が低くなって光の角度がかわり、平原は哀愁をおびはじめる。夕陽の、赤がかった黄色に大地はそまって、日常生活では意識もせずにとおりすぎている夕刻が、身にしみていとしく感じられる。牧場からは酸っぱいような匂いが、畑からは土の香りがただよってきていた。この匂いも北海道でしか接することのできないものだろう。

 上士幌航空公園にいくにはまっすぐな国道をすすみ、道道337号線にはいるのだが、何を目印に左折したらよいのか忘れてしまった。しかしそこへいけばわかるだろうと予感して走っていく。80キロで走行していると後方から大型オンロード・バイクが2台やってきて、私の後ろについた。前にでる気はないらしい。3台で夕暮れのなかを走っていった。

 TMに紹介されているレストラン、『カフェ・ブーオ』の看板があるのを確認し、道道へ左折するのはこの先だと思う。左折点には『ナイタイ高原はこちら』という新しい案内板がでていて、迷うことなくまがることができた。後続の2台も航空公園でキャンプするものと思ったが、彼らは道道には入らずに国道をそのままいってしまった。

 道道337号線もまっすぐな道である。飽きるほどまっすぐな道路の起伏をなぞっていくと、不自然にゆっくりと走る黒いセダンがいた。男がふたりで乗っているので警戒して速度をゆるめると、脇道にそれていく。セダンは思ったとおり覆面パトカーだったが、薄暗い林の陰に車体をすべりこませていた。

 道道337号線はまっすぐに北へいき、右に直角にターンして、またまっすぐに東へむかう。やがて航空公園である。昨年連泊したこのキャンプ場の駐車場にすべりこみ、バイクのエンジンを切ったのは18時30分ころだった。ここは今年から有料になったと聞いていた。受付を見ると老人がふたりいて、今しもひとりのライダーが手続きをしようとしている。その後ろ姿は見覚えのあるもので、バイクはシェルパだ。一目でだれなのかわかった。相互リンクしている、ともさんだ。
「ともさん!」と声をかけると、
「ローホーさん?」とともさんが私を見る。しかし逆光でよく見えないようだ。それでもすぐにともさんはつづけた。
「そのバイク、白いDR650、北海道中さがしたって、ローホーさんの1台しかないから、すぐわかりましたよ」
 偶然の出会いを喜びつつ受付をした。料金はひとり500円である。ともさんはここははじめてなので、リヤカーに荷物をつんで設営場所にいくことをおしえ、ふたりで場所をえらんでテントをたてた。ともさんは昨晩宿でいっしょだったライダーとここで待ち合わせをしているとのこと。そしてここに来れば、明日開催されるEOCのメンバーに会えるだろうと思ってきたとのことだ。そしてやはりEOCに参加されるロストさんに偶然会って、航空公園キャンプ場にいくのはむずかしいと言われたことなどを語った。キャンプ場はやはりわからなくて、犬の散歩の人に聞いてきたそうだ。(私も昨年はじめてここに来たときには、なかなかキャンプ場が見つからなくて苦労した。悪意のある人間にふりまわされもした。興味のある方は2005年のレポートをどうぞ。)

 私は、大雪山の旭岳の手前でパンクし、修理しようとしたが手のほどこしようがなくて、たまたま通りかかった親切なスクーターの林さんに助けてもらい、レッカー移動したこと。それでリヤ・タイヤが代用品の250オンロードのフロント・タイヤとなり、俄かモタードになっていること。立ちゴケしたこと。その直後にエンジンがかからなくなってしまい、ヒューズをなくしたと思い込んでJAFを呼んだが、キル・スイッチが切れていただけだったことなどを話すと、
「いきなり波乱万丈じゃないですか」とおどろいていた。「ツーレポがいまから楽しみですね」とつづけるが、ツーレポのネタになるようなことには会いたくないのが本音である。 

 ふたりともテントはすぐにたった。荷物をおさめて風呂にいくことにしたが、ともさんはすでに入浴済みとのこと。ともさんは風呂にはいってからでないと、落ち着いてキャンプできない人であることを思い出した。そしてともさんは、持参の炭火台を投入しますから、肉をあぶって宴会をしましょう、と張り切っている。相談の結果、いっしょに食材を買いにいき、私は風呂に、ともさんは同宿者のライダーをキャンプ場でまつことになった。

 バイク2台でセイコマにいく。するとここにともさんの待ち人、昨夜同宿だったホンダFTRにのるヨッシーがいた。ヨッシーは大学4年生とのこと。こんなに若い人と話すことはないなと戸惑いつつ、セイコマにはいるがジンギスカンがない。生協にうつってジンギスカンと野菜、エビなどを買い、ふたりと別れて風呂にいく。ヨッシーはテントをたててから風呂にくることになった。

 風呂は町役場のとなりにある上士幌温泉ふれあいプラザだ。料金は380円と安いが石けんとシャンプーはなく、それぞれ100円で購入して入浴した。ここは広くて清潔な、気持ちのよい温泉である。サウナもあるのでそこで汗をながしていると、地元の人がやってきて話をはじめた。
「先輩、さっきの話はどう思うのかな」と42才だという男が、60才の先輩に問いかけた。
「おめえの考えは、まったく甘い」と先輩は答えている。何を話しているのかと思って聞いていると、給料を下げられた42才の男が憤って、会社を辞めると言っているのを、先輩がさとしているのだった。
「給料が減ったと言ったって、年収で410万もくれるところはないぞ」
「月給30万が、いきなり15万になった人もいるくらいだし…‥」
「会社はもう、正社員はいらないと言っている。採用するのはパートだけだ」
「トラックの運転手やって、そんなにもらえないぞ」
「辞めるなんて、甘い!」
 身につまされる話だ。私もバブル崩壊後の年収はずっと同じようなものなのだ。景気は回復してきたとはいえ、それは首都圏や名古屋圏などの都市部だけで、北海道はまだまだきびしいのだろう。しかしあまり人を安くつかうと、そんな会社、経営者は好況に転じたときにしっぺ返しをされるのも事実だ。人をないがしろに扱えば、従業員は会社を見捨てるものだし、代わりの人間を集めようとしても、評判を落としたところには、なかなかよりつかないものだ。
 先輩は話しながらとなりにいた私を何度も見た。私は素知らぬ顔をしていたが、たまに眼があえば先輩に全身で同意していたので。先輩は話すほどにやわらかな表情になり、最後は微笑していた。後輩はいきりたっていたが、しだいに口数が少なくなって、ついには沈みこんでしまった。

 サウナにはいっていたら汗が止まらなくなってしまった。ロビーのソファにすわって汗をぬぐいつつきょうのメモをつける。20時くらいまでつけただろうか、ヨッシーはまだやってこない。温泉をでてキャンプ場にもどる前にセイコマにより、さつま白波とのどごし生を1663円で買ったのは20時24分で、明日の長距離林道走行のためにガスをいれておこうと思ったら、GSは閉店していた。

 ここが北海道の田舎だということを忘れていた。ガスはいつでも給油できるものと、ふだんの生活感覚になり、油断していたのだ。もっともこのときでもまだ認識が甘かったのだが。この時点でトリップ・メーターは202キロをしめしていた。DRは380キロで予備タンになり、その先さらに100キロ走れるので、明日の長距離林道走行は十分に可能である。しかし、である。念のためにガスが満タンになっているのにこしたことはない。ともさんが待っていると思ったが、帯広方向にいけばすぐにGSはあるだろうから、給油していこうと走りだした。

 国道241号線と274号線の重複路線を南下していく。周囲は真っ暗で何ヶ所かGSはあったのだがすべて閉まっていた。10キロだけ行ってみようと思ったのだが、やっているGSがなくて踏ん切りがつかず、彼方に見えるオレンジの外灯まで行ってみようと考えてすすむと、この街路灯までとてつもなく距離があり、けっきょく16キロ先の中士幌までいって、走っても無駄だと思い知った。帯広の近くまでいかなければ深夜営業のGSはなさそうで、むなしく引き返したのだった。

 待っているともさんに悪いことをしたと思いつつ飛ばしていく。キャンプ場につくとトリップ・メーターは236キロになっていて、時間は9時をすぎていた。テントではともさんがひとりで炭をおこし、野菜を切って、食事の用意までしてくれて、ビールを飲みながら待っている。遅くなって申し訳ないと詫びて、さっそく乾杯した。ビールが美味い。喉にしみる。とてつもなく、うまかった。ヨッシーは風呂にいっているとのことだが、このヨッシーという名前は、ともさんがHPに紹介されるかもしれないから、どうしてもキャンパー・ネームが必要だと説いて、急に考えたものなのだそうだ。それを聞いて笑ってしまった。そのヨッシーはともさんとふたりで飲み、炭火でジンギスカンをあぶって食べていると帰ってきた。

 私の職場にもヨッシーと同じくらいの新卒の後輩はいるが、年がはなれているのでほとんど話したことはない。むこうにしても私が煙たいのだろう、近寄ってもこないのだ。したがって若い人と会話をすることはほとんどないので、どうしたものかと思っていたが、ヨッシーは礼儀正しい気持ちのよい若者で、ともさんが連れてくることはある人物だった。

 3人でいろいろと話をすると、ヨッシーは超一流大学の学生であることが判明し、びっくりしてしまった。しかも現役で受かったというのだからほんとうに頭がよいし、自分にもきびしくて努力する人なのだろう。また家庭もしっかりしているのだろう。私は若い人や後輩に、先輩ぶって何かを語ることはしない人間だ。したがってこれから人生がはじまろうとしているヨッシーにも、年上らしいことは何も言わなかったが、北海道ツーリングに関しては、国道ではなく道道を走ったほうがよいとアドバイスをした。そのほうがほんとうの北海道が見えるから、と。またFTRに乗っているのだから林道にはいってみることもすすめた。ゆっくり走れば大丈夫だし、きっと世界がひろがるから、と。

 会話はもりあがり、酒がすすむ。それにしても酒とジンギスカンが美味い。飲んでも食べても、ハッと打たれるほどの美味しさだ。これは飲んでいる相手と、この場所が最高だからだろう。

 ヨッシーは12時くらいにテントにはいったので、ここからはともさんと差しで飲む時間となった。私はさつま白波、ともさんはコーヒー酎をグイグイとのみながら語っていく。会話は弾みにはずみ、止まらなくなり、愉快でならなかった。時間を忘れてすごした。

 明日はEOCだが、その前にともさんはタウシュベツ橋を見にいくと言う。私はパンケニコロベツ林道からヌプントムラウシ林道にいくつもりだと、たがいの予定を話しあい、1時30分ころにテントにはいった。

 

 

 

                                                        430.5キロ