8月14日 旭岳登頂、そしてまたトラブル!
西神楽キャンプ場の朝
5時30分に起床した。天候はくもりである。キャンプでは明るくなると眼が覚めるものだが、今朝は曇天なので起きるのがおくれたようだ。このキャンプ場はトイレのドアをあけると音楽がながれるようになっている。昼も夜も早朝も、おなじ音量なのだが防犯のためなのだろう。まだ寝ている人に遠慮しつつトイレにいき、ラーメンをたべて撤収を開始する。登山を想定して、山でつかう道具をザックにあつめて荷作りするので手間どった。となりのひげ面氏もおきてきたので挨拶をかわす。明るいところで眼を見ると、思ったとおりナイーブな人のようだ。長期滞在の話も聞いてみたいが、これからの登山のことを考えると気が急いて、けっきょく会話をしなかった。ひげ面氏はガスコンロで食パンを焼き、朝食をはじめた。パンというのも手間のかからないよい手だと思う。荷物をまとめてDRに積み込み、ひげ面氏に会釈をおくって出発した。
走りだすと霧雨がふりだして、嘘だろう、と呟く。しかしそのまま走りつづけると、細雨はやんでしまった。きのう水を買ったセブンイレブンにはいり、サンドイッチとおにぎりを556円でもとめたのは7時13分だった。
道道212号線で旭岳にむかうが、走っていると肌寒い。Tシャツの上に革ジャンを着ているのだが、薄ら寒く、シャツをもう1枚かさねたいが、気温は思ったよりも高く、24℃と表示されていた。道道212号線はまっすぐな道である。直線に飽きるほど山にむかってのびていくので、道路の先をみつめ、はるか前方にある風景の変化する地点に到達するのをまつ。たまにカラスが路上にいるが、車にはねられた虫をついばんでいるのである。死んだ昆虫も無駄にはならないことを知った。
また巨大なロックフィル・ダムを見て山をのぼり、二股にでて、三度旭岳ロープーウェイへの道にはいった。深い森の峠道となるが焦げ臭いような匂いがする。この香りはこの後も何度か森で出会ったので、特定の木か草の匂いのようだ。しかし何だか、木々や草、虫や動物たちの、焦げるよう命の営みのように感じられた。
7時55分にロープーウェイ駅についた。いちばん上の駐車場にはいろうとすると、バイクは一段下の駐車場にとめてくれとのこと。不満だが指示にしたがってUターンする。駐車場のアスファルトはやわらかいので、硬い石の部分をえらんでサイドスタンドをのせた。ザックのなかに水2gと昼食、非常食のビスケットやチョコレート、カッパにブーツカバー、長袖シャツにフリース、地図などをいれるとかなりの重量になった。着ていた革ジャンはどうせ盗む者もいるまいと、透明のビニール袋にいれてシートにしばりつけておく。準備をしていると小さな子供を3人つれた同年くらいの父親が通りかかり、
「おお、DR650ですか、素晴らしいですね」と言う。
「いやぁ、そうでもないですよ」と答えるが、素晴らしいのは彼のほうだ。登山者のファッション・リーダーのような洒落たスタイルで決めている。彼だけでなく子供たちと奥さんも。これはかなり金がかかっているなと思ったが、所得も高いのかな、と下世話なことを考えてしまった。
用意をととのえてザックを肩にするとやはり重い。たしかめるように歩をはこび、足や肩、腰のようすをみる。8時5分にロープーウェイの往復チケットを2800円で購入した。ここはJAFの割り引きがあるのだが、会員証の提示ではなく、割り引きチケットが必要で、それを持参していないので残念ながら割り引きは受けられなかった。まことに無念である。
チケット売り場の横には入山届けのノートがおいてあり、入山届けをだしたことのない私は、ノートに記入してみた。住所、氏名、連絡先、そして登山予定を旭岳往復と書く。もっと先までいく計画だが面倒なのでそうしておいた。入山届けは下山時に、下山、と記入するようになっていて、これで確認ができるのだなと知った。
8時15分のロープーウェイに乗った。子供づれの彼もいっしょだ。101人乗りという大型ロープーウェイに8割ほどの乗車率である。そのなかでも彼のスタイルは目立っていたが、ほかの山登りの人たちの身につけているものも格好がよい。新素材のトレッキング・タイツをはいた人がたくさんいるし、速乾性のシャツやパンツ、高機能なザック、高価そうな靴が眼につく。とくにトレッキング・タイツははじめて見たが、私の登山はニッカボッカにニッカホースでのぼる時代でとまっているから驚いてしまった。私のスタイルはといえば、靴底がビムラムソールなのでバイク用のワークブーツをそのまま履き、Gパンはやめてトレパンにしただけである。新素材の山シャツは1枚しかなく、これは昨日のパンク修理で汗だくになってしまったので、きょうのシャツは普通の物だ。小奇麗な登山者の前では着るのもなんだか恥ずかしくなるような代物だった。
ロープーウェイは急角度で山をのぼっていく。眼下に見えるのは原始の森である。その樹林に鹿がいて乗客がどよめいていた。乗務員によると熊が見られることもあるそうだ。ロープーウェイでは山の解説をながしていたが、それによると大雪山という山はないそうで、この周辺にある山々を総称して大雪山とよぶとのこと。これも知らなかったことである。
姿見駅から見あげる旭岳 地獄谷から噴煙があがっている
7分で山上駅の姿見駅に到着した。売店をのぞき、展望台からこれからのぼる旭岳をあおぎみて、8時25分にのぼりはじめる。すぐに階段状の道となり、いきなりキツイ。運動不足、準備不足を反省しつつ、マイペースでゆっくりといく。これは山登りでのいつもの作戦だ。体力の6・7割をつかって、苦しくならないように、決して辛くならぬよう、ゆっくりと歩くのだ。ゆっくり、休まず、歩きつづけるのがいちばん楽で、且つ速いのだが、体力が落ちていて、足の運びをいちだんと落とさなければならない。情けないが、どんどん抜かれるばかりだった。
姿見の池までは300メートルなのだが、早くも足にきてしまった。先が思いやられるが、休まず、ゆっくりいく戦法なので、観光客でにぎわう姿見の池も横目で見ただけで通過する。姿見の池の脇には建物があり、トイレがあるようだ。旭岳にはのぼらない周遊コースもあって、その1.7キロをたのしむ人もおおい。旭岳に登頂するのはロープーウェイにのって来た人間の半分ほどだろうか。早い時間なのでこの比率だが、これからは周遊コースの観光客のほうが多くなるだろうと思われた。
姿見の池をすぎるとコブシ大の石がゴロゴロする道となった。熊よけの鈴を用意してきたので、ここでザックにぶらさげてみたが、熊よりも人のほうが千倍も万倍もいる状況である。それに森林限界をこえて食料的に豊かではないこの地に、羆も出没すまいと思われたが、熊鈴をつけた人はかなりいたので、はずさずにそのまま鈴をならして歩くことにした。
登山道からふりかえって見える景色 森林限界から樹林帯へつづく
ふりかえって下界を見おろすと原始の森林帯がひろがり、雪渓もいくつも散らばっていて、絶景である。周囲の景色もすばらしく、足元には高山植物の花も咲いているのだが、のぼるのに苦しくて余裕がなく、見つめるのは爪先ばかりになってしまう。ただ一歩、また一歩と足を踏みだしていくのみだった。じつは登山にそなえてわずかな準備はしたのだ。私のオフィスは10Fにあるのだが、毎朝7Fでエレベーターをおりて、3階だけ階段を歩いた。ただし、恥ずかしながら1週間だけである。
わずかばかりの運動では用意になりもうせず、もっと体をつくっておけばよかったと、後悔を噛みしめつつ足をはこぶ。9時15分、のぼりはじめて50分後に霧の6合目についた。私をぬいていった人たちが休んでいるが、私はゆっくり歩くが休憩しない方針なので通過する。登山やサイクリングなど、一日中自分の体をつかって遊ぶときには、自らの体力をマネージメントすることが大切だ。いきなり全力でのぼるとすぐに体力は尽きてしまい、終日苦しい思いをすることになってしまう。半日がすぎて、体力の6割がのこるようにすれば、苦しくなく、辛くもない、たのしい一日をすごすことができるのだ。
6合目をすぎると気温がさがったのだろう、坂はきつくなったが汗をかかなくなった。足のはこびをさらに落としていくと、休んでいた人たちが私をぬいていく。急坂なので直線的にのぼらず、蛇行するようにすすんで斜度をゆるめるルートをとり、足踏みするような歩度でのぼっていった。山登りでずっとぬかれっぱなしというのもはじめてのことだったが、ここでようやく1人ぬいた。中年の女性だったが、のぼりでぬいたのはこの人だけだった。
ふと腕時計がきついことに気づく。そんなはずはないのでどうしたのだろうかと腕を見てみると、ひどくむくんでいる。腕も手の平もむくんでいて、とくに手はパンパンになり、強くにぎることもできない状態だ。高度の影響だろうが、もっと高い富士山にのぼったときにもこんなことはなかったので、びっくりする。しかしあのときは20代のことだったから、いまの私とは比較できないのだが。どうすることもできないので、腕時計ははずしてポケットにいれておいた。
一定の負荷を体にかけつづけていると、頭がスカーッとしてくる。心も清々する。これはランナーズ・ハイとよばれる、脳内快楽物質が分泌されている状態だ。このクライミング・ハイと登頂の達成感が山登りの魅力だろうか。いや、ふだん見ることのできない景観や、自然とのふれあいなどのたのしみもあるだろう。
9時35分に7合目についた。ここではじめて休憩をする。のぼりはじめて1時間10分だ。水を飲み、岩に腰をおろして休み、5分後には歩きだす。けっきょく山頂までに休息したのはこの5分だけだった。
またゆっくりとした歩みですすみだす。速い人はたくさんいるが、そんな人間はかならず休むものだ。ガンガンと飛ばしていっても、5分休み、つぎは10分すわって、ついには30分動けなくなってしまう。そこを亀のような歩みの私がぬくはずなのだが、どうしたわけか追いつかず、逆においていかれている。こんなはずではないのだが。
年配の人でも鍛えている者は速い。ものすごい速度でのぼり、下りはストックをつかって飛ぶようにおりてくる。しかし無言で走るように山をいく姿は、どこか修行僧じみている。修験者か、もしくは千日回向の行者のようだが、彼らもランナーズ・ハイを味わっているのだろう。また子供も速い。小学生の低学年でもすばしこくのぼっていく。身が軽く疲れを知らないのだろう、追いかける親がたいへんだ。
子供を3人つれたファッション・リーダーには2回ぬかれて、彼らが休んでいるところを2度ぬいた。彼はいちばん小さな子供を背負ってのぼっていたからすごい。しかしほかの子供たちがもうのぼるのは嫌だと言ったのだろう。気がつくと姿を見なくなっていた。彼は歩いていた子供たちに、山頂まで1時間半でいけると言ったではないか、と抗議されていたから、登頂を断念したのだろう。
10時に8合目につく。この先は間隔がつまってくるが、このころから右の踵が痛みだした。靴ひもをガッチリとしめていなかったので、踵が靴のなかでこすれたのだ。そのうち左の踵も痛みだしたので、遅まきながら靴ひもをしめなおすとおさまったが、下山後に見てみると、踵には両足とも水ぶくれができてしまっていた。
トンボの大群が空をおおいだした。どうしてこんな高所にいるのかわからないが、ものすごい数のトンボが頭上で群舞している。小動物のフンもあって、まわりの人はイタチのものだと言っていたが、ほんとうだろうか。
9合目の金庫岩と登山道
10時20分に9合目の金庫岩を通過する。ずっとおなじような、コブシ大の石がゴロゴロしている急坂がつづく。ひたすらゆっくりと歩く。辛くならないように加減して、5・6分の力で足踏みするようにすすんでいった。
旭岳山頂
9合目からは坂がきびしくなるがこの先は短い。10時35分についに山頂に到着した。頂上までの標準時間は2時間とのことだが、2時間10分かかった。この種の山の標準時間は一般的に余裕をもって設定されており、これまでかならず時間内に歩いてきたので、今回はじめてオーバーし、いささかショックである。のぼりでぬかれどおしなのもはじめての経験だった。ほとんど運動していなかったとはいえ、これは年なのだろうかと落胆してしまった。
しかし登頂の達成感のほうが大きい。ここが北海道の最高峰なのだ。この旅のいちばんの目標だった旭岳山頂にたったのだ。まわりの風景は到着当初は霧で見えなかったのだが、やがて風にながされて、これまで眼にしたことのない景色がひろがった。森林限界をはるかにこえているので木は1本もない。寒冷地ゆえだろう草もすくなく、岩山の上をうすく緑がおおっただけの、荒涼とした土地がつづいている。ギザギザの山の稜線がクッキリと見え、のぼってきたのとは反対側の間宮岳方向には盆地がのぞめ、岩とうすい緑と雪渓だけの、生命の希薄な地だ。そのなかに1本の白い線のような登山道がつづいているのは、これからむかう間宮岳、そして黒岳へとつづくたどりなのだった。
山頂から間宮岳方向を見る 白い線状の登山道がわかるだろうか
これは上の写真の左側 中岳温泉方向
そしてこれは反対側 のぼってきたロープーウェイ方向を見おろす いくつもの池と雪渓がある
霧はながされて山々がすみわたって見え、しばらくするとまたやってきて何も見えなくしてしまう。のぼってきた登山道を見おろせば、地獄谷の活火山帯は姿見駅から山頂までつづいていて、そこは荒々しい岩石がつみかさなっており、山が裂けたような地獄の風情なのだった。
山頂からの写真をとり昼食とした。手ごろな石にすわって食事をとっていると急激に冷えてくる。Tシャツの上に長袖シャツをはおった。頂上にいるのは中高年ばかりだった。これも最近の風潮だが、ハイカーもライダーも高齢化がすすんでいる。ハイカーとライダーがちがうのは、ハイカーに女性が多いことだ。ライダーの男女比は昔からほとんど変わっていないが、ハイカーの女性は近年劇的にふえた。登山者に中高年の女性は増加したが、若い人は私の前で食事をしている大学生らしき男女3人だけで、こちらは衝撃的に減少し、こんなに少ないのもさみしいものだ。山登りに夢中になるような健全な若者がふえることを望んでやまない。もちろんバイク・ツーリング好きの若人や、文学好きの青年もだ。
ここから間宮岳、中岳温泉をとおり、夫婦池にくだる周遊コースをいく計画だ。白い線のように見える登山道をたどるのだ。その方向にすすむのは、黒岳への縦走コースをいく人のほうが多いようだが、そもそもこの先にすすむ者はすくない。ほとんどの人間はここから引き返してロープーウェイ駅にもどるのだ。先にいくのは20人にひとりくらいの割合だろうか。したがって先にいく者は上級者のように見受けられる。縦走用の大型ザックを背負い、本格的な靴をはいている人ばかりで、ハイカー風の者はいないのだ。そこへ踏みこんでいくのはなんだか場違いのような、面映いようなものを感じつつ、10時57分には山頂を出発し、ほとんど人のいない間宮岳への登山道にはいっていった。
まず頂上からくだっていく。やはりコブシ大の石がゴロゴロとしている坂をいくが、ここをおりきって、眼の前にある間宮岳にまたのぼるのだ。間宮岳からはまたくだって、中岳への分岐までのぼり、またくだりと繰り返すのだが、旭岳山頂からくだりはじめて500メートルもいかないうちに、足がガクガクとして体を支えきれなくなり、余力がのこっていないことを知った。5・6分の力で、夕方まで歩いても体力が尽きないように足をつかったはずなのに、疲労がつみかさなって足があがらなくなっている。足だけでなく、全身の疲労感も考えていた以上だった。山頂で休んで肉体は回復したと思っていたのだが、以前のように元どおりにはならないのだと悟った。
認めたくはないが、自分が思っている体と、じっさいの肉体にギャップがあるようだ。下り坂で立ち止まり、先に見える間宮岳や左手の中岳までの登り下りの距離をはかり、体の重さを実感し、決断した。もう足はいっぱい、いっぱいで先にいくのは無理だ、と。運動不足のこの体ですすむと、相当辛いことになりそうだし、下手をすると足が動かなくなることもありうる。予定は断念して撤退することにした。
こんなこともはじめてのことだと思いつつ、たったいまくだってきた坂をのぼっていく。馬鹿みたいだと思いつつ足をすすめると、私の前で昼食をとっていた大学生の3人がおりてきて、こんにちは、と挨拶をされた。いきかけて、すぐにもどるところを見られて恥ずかしく、モゴモゴと挨拶をかえしてすれちがうが、彼らは私のことなど見ていなかったようだ。
11時7分にふたたび山頂にもどり、ここでも私のことなど誰もおぼえていないと思うが、やはり恥ずかしいので、足早にロープーウェイ駅への下りの道に、身を隠すようにしてはいった。急坂をくだっていくが、下りはくだりてキツイ。傾斜が強いので踵に重心をおいて歩くのだが、この姿勢をたもつのが辛い。ここまで酷使してきた太腿をつかって後傾した体勢をささえるのだが、こんなことを意識したのもはじめてのことだ。これまでくだりは、どんなに急でも、何も考えることなく、足にまかせて歩いてきたのだった。
急坂のくだり 右は地獄谷の噴煙
太腿に力をいれて体のバランスをたもちながらくだっていくが、かなり足にきている。先にすすまなくてほんとうによかったと思う。太腿に力をこめていないと、腰からくずれそうなのに、その太腿が痙攣するのをだましダマシテなんとか足をはこび、11時15分には9合目の金庫岩までもどった。
金庫岩をすぎると坂の斜度がおち、踵に重心をおかなくともよくなって、だいぶ楽になった。体のどこかに力をこめたりせず、自然に歩くことの安楽さを感じつつ、ホッとしてすすむ。下りもキツイがのぼりとちがって人をぬくことができた。こうなると徐々にペースをつかんで歩いていく。1人、2人、5人と追いぬいていった。軽快に足をはこんでいると、虫がジージーと鳴いていることに気づく。この岩ばかりの高所にいるのは何の虫だろうかと思っていると、ごく近くで声がするのでさがしてみた。すると蝉だった。高山性のハルゼミのようだが、この高地でどうやって生活しているのか、冬にはマイナス何10℃にもなるこの地で、どうやって子孫をのこしていくのか不思議だ。地獄谷の火山帯近くの氷らない土中で越冬するのだろうか。そうだとしても食料になる植物はあるのだろうか。
蝉がいるのがわかるだろうか
どんどんと下っていくがトイレにいきたくなってしまった。それも手軽なほうではなく、手間を多く要するほうである。我慢して歩くがだんだんと辛くなってくる。姿見の池までいけばトイレがあると思うのだが、ついには危険な状態となり、立ち止まって耐えることも2度・3度。なんとか姿見の池まで500メートルのところまで来たが、どうにもならなくなってしまい、まことに遺憾ながら、立ち入り禁止の、登山道横の高山植物帯にはいり、潅木のかげて障害を除去した。幸い霧がでていたし、前後に人はいなかったので、誰にも見られなかった。高山植物の上を歩いて登山道にもどったときにはハイカーがいたが、彼らも何の言わなかった。どうしてそんなことをしているのか聞かなくともわかるものなので、武士の情けをかけてくれたのだろう。緊張しきっていた体を弛緩させながら歩いていくと、姿見の池にはトイレはなくて、さらに300メートル先のロープーウェイ駅までいかねばならないことがわかった。そこまで障害にもちこたえられたかどうかあやしいので、誠にまことに遺憾ながら、登山道をはずれておいてよかったと思うのだった。
12時30分にロープーウェイで下山した。バイクのもとにもどり荷物をつみかえていると、エイプに乗った若いライダーに、山頂の天気はどうですか? と聞かれた。晴れてますよ、と答えると、彼は山を仰ぎ見て、ガスがでていますが、と言う。山頂はあの雲の上だから、大丈夫、行けば晴れてますよ、と説明した。彼は、そうですか、とは言ったがどうしようかと考えている様子。ところで『ツーリングGOGO』というバイク雑誌に、エイブに乗って旅をする、『僕どこライダー』という人がいる。通りすがりの人間に、僕どこへいけばいいですか?、とたずねて旅をする企画なのだが、彼はその僕どこライダーにそっくりだ。バイクは同じだし、荷物のつみかたもマネをしたとしか思えない。そこで、
「僕どこライダーに似てますね」と言うと、
「あっちがマネしたんです。僕のほうが古くからエイブに乗っているし、それにあっちは原付だけど、僕のはちがう」と大層なご立腹だった。
ここでこの旅のために準備した装置をつかい、携帯の充電を開始した。これはバイクのバッテリーから電気をとり、インバーターで家庭用電圧に変圧して(DC→AC)、利用するという簡単なものだ。車で旅するPキャンでは、このインバーターをつかってシガー・ライターから電気をとりだして使用しているので、それを応用したのである。使う部品は、バッテリーから電気をとるコードにシガー・ライターのソケットがついたものをカー・ショップで買っただけで、インバーターは車でつかっているものをそのまま利用した。充電は走行していれば何の問題もなかったので、長期間ツーリングではまことに重宝した。
僕どこライダーに(だから本人はちがうと言っているでしょう!)会釈して走りだす。今回の旅の第1の目的だった旭岳登頂は果たしたので、つぎの目標、泊まってみたいと思っていたキャンプ場、オホーツク沿いにある『ウスタイベ千畳岩キャンプ場』にいくことにした。ここからかなりの距離があるが、夕方までにはつけるだろうと考え、13時10分に出発した。
山をくだって旭川にはいるとまた暑くなった。眠くもなってくる。居眠り運転にならないように立ち上がってみたり、太腿をたたいたりしながら道道90号線をいき、国道40号線にぶつかると、きのうお世話になった『ワークス』とは反対方向に、右折していくと眠気は消えた。ところで北海道はまだトラックやバスのディーゼル排気規制をしていないようで、バスなどが黒煙をモクモクと吐いて走っている。首都圏も以前はこうだったと思い出したが、ひさしぶりに見ると気分のよいものではなかった。
旭川は暑かったが、市街をでて塩狩峠にのぼっていくと気温はさがってきた。都市は気温が高いし、混んでもいて、やはり近づきたくない。JAFのサービス氏に旭山動物園をすすめられたが、やはり行く気にはなれなかった。
和寒にはいると国道脇に廃屋があり、北海道に住む人が少なくなっているという現実が見えて、物悲しい気分になった。道道を走ると廃屋はたくさんあるのだが、国道沿いにあるのはめずらしい。道北にはいったからだろう。
羊と雲の丘 雲が美しい
士別にはいると『羊と雲の丘』の看板がでていたので、休憩をかねて寄っていくことにした。『羊と雲の丘』は士別の町からすぐである。『世界のめん羊館』も併設されていて羊を見ることができるようだが、飼育小屋にはよらずに、丘の上の売店兼レストランに直行した。時間があえばジンギスカンを食べたいところなのだが、残念ながらまだ腹はすいていない。缶コーヒーを買って風景をながめ、会社に電話をしたり、メモをつけたり、DR650オーナークラブ、友の会、DOT−Nの掲示板に旭岳山頂の画像を投稿したりして時をすごした。
15時30分に『羊と雲の丘』を出発したが、ここはやはりジンギスカンを食べにいくのがいちばんのようだ。携帯の充電は終わったのでデジカメの電池の充電に切りかえて走りだす。士別の町をでていくと空が大きくなっていった。上空に浮かぶ雲も大きい。北上していくと左右は畑が多くなり、そばの白い花もひろがっている。牧場も眼につきだして、北海道に来ていることをあらためて実感した。
建設中の名寄バイパスにはいってペースをあげた。ここは距離の短い無料の高速道路で、気温は26℃と表示されている。バイパスをでて美深の町にはいるとホクレンがあったので給油をした。燃費は23.4K/L。144円で2393円。スタンプを押してもらったのは16時23分だった。
美深の町をでてさらに北上する。気温は28℃とでている。函岳にむかう林道の案内板があったはずだが、現在工事中で通行止めのせいかとりはずしてあるようで、見つけることはできなかった。この先に昨年泊まった『森林公園びぶかアイランド』と『天塩川温泉キャンプ場』があり、どちらも気に入っているのだが、きょうは通過する。これからむかうオホーツク沿いの枝幸町にある『ウスタイベ千畳岩キャンプ場』は、亜璃西社のだしている『北海道キャンプ場ガイド』でベスト10にはいっている野営場だ。このベスト10は、もちろん設備の充実した、人気のある、軽薄で料金の高い、一般受けするキャンプ場のベストではない。ガイドブックの写真を見てみると、『ウスタイベ千畳岩キャンプ場』は岬にある芝生の広場という印象だが、設備は最小限で、且つ空いているキャンプ場が好みなので、岬の広々とした芝生の写真に想像力を刺激されて、是非とも行ってみたいと思ってしまったのだ。周辺で釣りもできるということなので、魚を釣って肴にするのもオツではないかと考えた。
交通量は少なくなりまわりの車のペースは速くなった。80キロで走行しているとドンドンぬかれる。車は100キロ以上の速度で走っていた。ミラーで後方を確認しながら巡航し、車が追いついてくると左により、ぬいてもらうようにする。だそうと思えばスピードはでるのだが、DRは80キロのクルージングが心地よいのだ。
すすんでいくと道路がぬれている。雨が降った直後のようだ。見上げると雲の切れ間の下を走っているようだが、進行方向は晴れている。靴はぬれるがカッパを着るのは面倒なのでそのままねばっていく。白樺林のなかをいき、天塩川温泉をすぎて、咲来から道道220号線にはいって東方の枝幸にむかうが、この山越えしてオホーツク海にいくルートの上空は、雨具を着用せざるをえないほど暗澹たる色をしている。雨粒も落ちてきたので、ついに諦めてレイン・ウェアをつけた。
カッパを着ると雨があがったりするものだと考えて走りだすと、逆にはげしくなった。土砂降りの雨である。これなら雨具をつけた甲斐もあったというものだが、今年の北海道ツーリングは毎日レイン・ウェアを着用している。自然のことでどうしようもないのだが、残念だった。
横着をして雨用のグローブをつけずに素手で走っていたのだが、ふと左手を見ると指先が真っ赤になっていた。これは知らないうちに怪我をしてしまったのだろうかと思い、指を動かしてみるが、どこも痛くない。赤い血のような液体は触るとネバネバしている。バイクをとめてよくよく見てみたが、グミのような木の実でもぶつかったようだ。しかし頭上に木が生えているところなどなかったし、そもそも何かが指にあたった感触さえなかったのだ。木の実がふってきて指にあたったりするだろうか。これは何かの暗示ではないかと考えると、気味が悪くなってくる。はげしい雨で路上にできた水たまりで、指先と不安な気持ちを洗いながし、またバイクにまたがった。
道道12号線にはいってオホーツクにむかうが、川があるとスピードをゆるめ、釣りができないか見ていった。しかし小さな流ればかりなので釣りにはならず、またこの道にはケモマナイ林道が接続しているので、それを見つけようともしたが、林道は無数にあるのでどれなのかわからなかった。
道道12号線を走りきり、オホーツク沿いの国道238号線が見えてきた。国道にはT字でぶつかるが、右にはホクレンのスタンドがあり、信号は赤である。減速して停止線の直前でギヤをニュートラルにいれ、バイクをとめて左足をつこうとした。が、足がうごかない! ブーツカバーがステップにひっかかって左足がとれないのだ。左足をつくつもりで、止めたバイクを左にかたむけていたので、どうすることもできずに、そのまま立ちゴケしてしまった。足をバイクの下敷きにされるのは嫌なので、渾身の力で足をステップからはぎとり、その足で地面をけってバイクから飛びのく。DRに足をはさまれるのは免れたが、勢いあまって道路の縁石で左胸を強打し、息がつまるほど痛かった。
なんと立ちゴケしてしまった
しばし痛みで動けない。ひっくりかえった私とバイクの横を車が走りぬけていく。信号が青になったのだ。雨はふりつづけていて、かなりみじめな状態だ。しかも夕刻をむかえて暗くもなってきた。起きあがってバイクを見るとスクリーンが割れ、クラッチ・レバーが折れている! クラッチ・レバーがないとバイクを動かすことが難しくなってしまうので、ああっ、とパニック気味にレバーを確認した。すると幸いなことに先端部が欠けただけなので走行に支障はない。出発前にまよった末レバーを買わなかったことを思い出してゾッとする。やはり予備のレバーは必要なのだ。ほかにはメーターが損傷してカウルからとびだしている。左のウインカー・レンズも割れていた。
指先が赤く染まったのはこの暗示だったのだろうか。動くと左胸がいたみ、肋骨にひびがはいったヒヤリとした感覚がある。ひびならば治療のしようもなく、放っておくほかない。痛みは無視して、荷物をおろさないとバイクはおこせないのですべての荷をはずした。そしてバイクを引きおこそうとするが、道路の端が低くなっていておこせない。タイヤのあるほうが高いのだ。全力でもがいてもDRは動かず、どうしようかと思っていると、ホクレンの方がふたり助けに来てくれた。ありがたい。3人でDRを引きおこす。雨のなか手伝ったくださったホクレンの方は、GSの屋根のしたに移動して、事後処理をしたらと言ってくださったが、大丈夫です、ありがとうございます、と頭をさげた。
バイクを引きおこせなかったのもはじめてのことだ。道路に傾斜があるとはいえ、これまた年をとったせいかなといささかショックである。午前中の登山でも標準時間を生まれてはじめて、10分とはいえオーバーしたことを思い出し、予定を変更して撤退してきた体力の衰えも意識して、立ちゴケも年齢のせいかと気弱になってしまった。これまで当り前のようにできたことができなくなってしまったのだろうかと。数年前に野球をやめたのも、定位置の内野の守備で、するどい打球にたいする反応がおくれるようになったからだ。コンマ数秒反応がおくれると、打球はたちまち目前に殺到し、捕球するのがむずかしくなった。スポーツの反射神経で年齢的なおとろえを感じてはいたが、それ以外ではなにもなかったのだが。
今回のツーリングは流れが悪いようだ。この立ちゴケもこれまで一度もなかったような無様なものだが、毎日何かしらトラブルがおこる。おろした荷を積みなおしていると、前からプラスチックのツメが劣化していたヒューズ・ボックスのフタがはずれていることに気づく。ヒューズ・ボックスはカウリングのなかにあって眼につきにくいのだ。ツメはかなり危ない状態だが、とりあえず元通りにとりつけておく。幸いエンジンはすぐにかかったので、意気消沈しつつも国道238号線にはいってキャンプ場にむかった。
キャンプ場まではもうすぐだった。走っていくと立ち寄り湯のできるホテル、枝幸温泉ニュー幸林が見えてくる。念のために地図を見ようとしてバイクをとめると、パタリッ、とエンジンがストールした。あれ? と思い、こんなこともこれまでなかったのにと考えてキックをするが、エンジンがかからない。何度キックしても、始動しなくなってしまった。
どうしてしまったのかと、あわててバイクを見ると、ヒューズ・ボックスのフタがなくなっていることに気づく。立ちゴケした地点から走ってくるあいだに落としてしまったのだ。ボックスのなかにヒューズは5アンペアが1ヶ、10Aが2ヶついているのだが、5Aの横に空間があいているのに眼がいった。ヒューズ・ボックスのなかを注意して見たことはなかったのだが、この空間があいているのはおかしいのではないかと感じ、予備のヒューズをさしこもうとした。しかしつかない。暗くなってきているので、ただでさえ見えづらいカウリングの中にあるヒューズ・ボックスはますますよく見えず、手さぐりでやっているのだが、いっこうにつきそうな手ごたえもない。5Aと10Aを交互にセットしようとするがダメである。記憶の底をさぐってみると、この空間には5Aと10Aとは色のちがう、3Aのヒューズがついていたような気がしてくる。3Aなのでサイズがあわず差し込めないし、この3Aのヒューズがないためにエンジンがかからなくなってしまったのではないかと考えた。
もう陽が暮れる時間である。雨もふっている。泊まるのはキャンプ場のつもりだが、このトラブルでどうなってしまうのか、果たして再スタートできるのだろうかと、ますますあわててしまった。立ちゴケした地点からここまで3キロほどあっただろうか。歩いてさがせばヒューズ・ボックスのフタと3Aのヒューズが見つかるのではないかと考えて、雨のなか傘をさして歩きだす。しかし200メートルほどすすんでやめた。3キロ歩いてもヒューズが見つかるとはかぎらないし、すでに車が踏んで壊れているかもしれない。その間にも時間はどんどんすぎて夜になってしまうから、今回は早目にJAFに救援要請をすることにした。幸いここは圏外ではない。電話をするとすぐにJAFにつながった。
JAFの担当者にヒューズを紛失してエンジンがかからなくなった旨をつたえると、ヒューズを各種用意して来てくれることになった。場所はオホーツク海沿いの枝幸町、国道238号線上、枝幸温泉ホテル、ニュー幸林の前である。40分ほどで来てくれるとのことだった。
電話をきり、これからどうなるのだろうかと思いつつ傘をさしてバイクのもとにもどっていく。もう夕刻のこの時間にやっているバイク屋は、この道北にはないだろう。しかもきょうは8月14日、お盆なのだ。ほとんどのバイク屋は休業しているはずである。またヒューズがなくなったこともエンジンがかからない原因だと思われたが、他方フタがなくなったのでそこから雨水がはいり、リークしてしまったのかとも考えられた。もしもそうならヒューズ・ボックスを分解して乾かし、組みなおせばエンジンはかかるはずだが、この強い雨の下でそんなことはできそうもないし、いろいろと考えていると気持ちもしずんでいくのだった。
DRのもとにかえってもう一度キックしてみるが、やはりエンジンはかからない。かかりそうな気配もない。この状況はプラグに電気がいっていないとしか思えない反応である。やはりかからないかと思ったが、いまさらながらヒューズ・ボックスに雨がはいらないようにガムテープを張ろうとすると、「!」、キル・スイッチが切れていることに気づいた。キル・スイッチをオンにしてキックすれば、エンジンは一発で始動する。キル・スイッチが切れていてはいくらキックをしてもかからないはずで、まったく電気がきていないような症状のはずだった。
エンジンは何事もなかったかのようにアイドリングをつづけている。どうやらバイクをとめて地図をだそうとしたときに、キル・スイッチに触れてしまったようだ。つかの間脱力したが、すぐにJAFに電話をかけて救援をキャンセルした。
「自分で点検したら、なんとかエンジンがかかりましたので」
キル・スイッチが切れていたとは恥ずかしくて言えない。
「そうですか、ウチの者にも点検させなくてよろしいですか?」 JAFの方は親切に聞いてくれる。
「大丈夫です」
と答えたものの、まだヒューズの脱落があるので内心不安だったが、キャンプの準備をいそぐことにした。ホテルニュー幸林の前から走りだしてすぐ先にあるキャンプ場を見にいく。国道から岬に折れるとすぐにキャンプ場はあったが、芝生のサイトは大混雑していてイメージとちがう。人気がなくて空いていると思っていたのに反して、芝生のサイトにはテントを張るのがむずかしいほどキャンパーが押しかけていた。そのとなりには広い駐車場があり、中央分離帯のような緑地を設置しているので、ここにバイクを横づけにして、オートキャンプ感覚でテントをたてられることを確認し、先に風呂に行くことにした。
18時40分にニュー幸林に舞いもどり500円の料金で入浴する。バタバタと失態がつづいたが、雨もあがり、ようやく好転のきざしが見えてきた。ニュー幸林の風呂はよい湯だった。サウナなどの施設もととのっているが、食事の支度やテントの設営がまだなのでゆっくりできず、19時20分には風呂からあがった。
風呂あがりに脱衣所ですずんでいると地元の老人に、風呂は混んでいるのか? と聞かれた。そうでもないですよ、と答えたが、いつもは人もまばらなのだそうで、それなら大混雑になるのかな、と言ったが、その先老人の発することばは訛りがつよくなり、まったくわからなくなってしまった。しかたがないので適当に相槌をうち、曖昧に笑っておいたが、なんだか英語のわからない海外旅行の観光客になった気分である。
ニュー幸林をでて、風呂あがりで暑いので、ヘルメットのシールドをあけて走っていくと、左目に虫が飛びこんできた。小さな羽虫のようだ。またトラブルかよ! と思いつつ、初手から立ち寄るつもりだったセイコマにはいり、トイレの洗面台で虫を除去したが、まだ眼がゴロゴロする。しかし何度も流水で眼をあらってそれでよしとした。
夕食は北海道らしくジンギスカンにしたいのだが、2パック単位、500グラムからしか売っていないので、とても食べきれないから、不本意ながら牛カルビとし、ビールと缶酎ハイ、アルカリイオンの水を1165円で買った。セイコマにはないだろうと思ったが、目薬はないですか、と問うとやはりおいてなかった。
キャンプ場にいって駐車場の入口にテントをたてた。荷物をはこびこんで炊事棟に行きそばをゆでる。焼き肉にはうどんのほうがあっているが、うどんのゆで時間は8分、そばは4分なので早くできるそばをえらんだのだ。そばをゆでながら家内に電話をした。
「きょうは無事だったの?」と聞かれ、
じつは、と立ちゴケしてしまったこと、キル・スイッチが切れているのに気づかずJAFに救援要請をしたこと、また旭岳ではぬかれどおしで、標準時間をはじめてオーバーし、さらに体が思うようにならなくて、計画を変更して撤退したことなどを話すと、
「あなたもバイクも、年取っちゃったんじゃないの?」と、自分でも気にしていたことをズバリと言われ、うろたえてしまった。
「そんなに毎日何かあるんじゃねぇ」と家内。
そんなことないよ、と言いかえせない私だった。しかもそばをゆでているガスボンベの残量がなくなり、消えそうな火になってしまい、なかなか煮えず、仕上がりももうひとつのそばになってしまった。やはり流れが悪い。首都圏では高圧電線を船が切断してしまい、大規模な停電となって、電車のダイヤも乱れていると聞いて電話を切った。
流水でそばをしめてテントにもどり、牛カルビをあぶりつつ食事をはじめる。ヘッドランプの光のなかでビールを飲み、肉をつまみ、そばをすすりこむが、やはり焼き肉とそばはあわない。牛肉が200グラムでそばが200グラムなのも多すぎた。
食事を終えるとテントにもぐりこんでメモをつけるが、きょうも書くことがたくさんある。1時間ほど文字を書きつけた。しかしこの時期に『ウスタイベ千畳岩キャンプ場』もわざわざ来るところではなかった。広い芝生はテントと車に埋めつくされているし、すぐ横ではまだ花火をやっている親子がいる。迷惑にならなければいいのだがさにあらず、大量の煙をまきちらしているのに平気でいるし、そのまた後の22時45分になってサッカーをはじめる父子もいる。煙にむせた子供が花火が終わるまで避難していったのにも気づかず花火をつづける親子も馬鹿だが、サッカーの父子も大馬鹿だ。何も言うつもりはなかったが、その父子にむかって歩いていくと彼らはサッカーをやめた。その横を通りぬけて、テントにもどった。
テントのなかにいるとカモメの声と波の音がひびく。冷えてきた。フリースをはおって眼をつむった。
271.5キロ