2006.8.5 オーバー・ホール後の試運転 木曽まで日帰りツーリング
これより木曽路の看板
『ミッションの変調』の修理に長らく入院していた我がDR、北海道ツーリングに出発する8日前に、ようやくエンジン、ミッション、キャブのオーバー・ホールが終わった。とはいえ、馬齢を重ねて疑り深くなっている私は、ある程度の距離を走ってみなければ、長距離ハード・ランディングの連続する北海道ツーリングに安心していけないと感じ、シェイク・ダウンで500キロ以上走ってみることにした。
目的地は木曽福島のそば屋とした。長らくお気に入りだった店なのだが、2年前にいったときに味が落ちたと感じていたのだ。しかしそのとき私は禁煙しようと苦しんでいたときで、タバコを我慢するためにわざとキツイ葉巻をすったりしていて、味覚が落ちていたかもしれないと思い、それを今回たしかめに行こうと思ったしだいである。(タバコをやめたい人は『禁煙セラピー』をどうぞ。私はこの本でタバコをやめられました。)
群馬・長野県境の十石峠
長野県の木曽福島にいくには中央高速を使うのがふつうだろうが、ケチな私にその気はなかった。奥多摩をぬけていくのも近くて嫌である。そこでまた、釣りのホームグラウンドの群馬県上野村から長野へとぬけた。久しぶりに十石峠についてみると立派な展望台ができていた。登ってみると、
群馬方向の山々
こんな景色がみえた。よい天気である。
十石峠をくだり、佐久にでて、麦草峠にのぼっていく。この間はサイクリングの若者たちがたくさんいた。ロードレーサーでスポーツをしている。また自転車がはやってきたのだろうか、それともここが自転車競技練習のメッカなのか。
気持ちのよい高原をのぼっていくと麦草峠についた。青空と雲が眼にしみる。
麦草峠
麦草峠をくだっていくと別荘地帯、またペンションのたちならぶお洒落な土地である。こういうところは私には似合わない。足早に通過してしまおうと思っていると、トラブル発生だ。
クラッチワイヤーが切れたのだ。クラッチ・レバーの手ごたえがなくなった瞬間、これはメカニックの組み立てミスだと思った。いくらプロとはいえ、どこか組みまちがうのが当り前だと思ったのだ。しかしさにあらず、金属疲労によるワイヤーの切断だった。じつにDRを手にいれて13年目にしてはじめてワイヤーが切れたのである。
ところでクラッチワイヤーが切れても走る方法があるのをご存知か。知識として知っていれば、何かのときに役立つかもしれないので書くと、エンジンをかけたバイクを押して走りだし、ころあいを見てバイクに飛び乗って、ギヤをセカンドに放り込んでアクセルをあければよいのだ。これでバイクは走りだす。以降クラッチなしで変速し、信号が赤になったらニュートラルにして停止して、青になったらまたバイクを押して走る。これを繰り返せばいくらでも走れるのだ。私はZ750GPでこれを2度やったことあり。
クラッチワイヤー交換中
今回はそんなことは不要。なぜなら予備のクラッチワイヤーを常に持参しているからである。DRを手にいれた13年前にクラッチ、アクセル、デコンプのワイヤーを注文しておいたのがついに役にたったのだ。木陰でワイヤーの交換作業をする。しかし車載工具だけなのでなかなか効率よくいかない。北海道ツーリングには工具を足さなければと思うのだった。
木曽の旧街道 昔ながらの面影が残る
その後順調に走行して木曽福島の件の店に着いた。さっそく蕎麦を注文すると、でてきた蕎麦はぶつぶつに切れている。蕎麦粉の純度がたかいのかもしれないが、箸でつかむのも難儀するほど。しかもやはり味は落ちていて、もうここには来ないなと感じてしまった。
巴淵
その後は木曽義仲のゆかりの地をたどる。義仲館や巴御前が鍛錬をしたという伝説の巴淵にたちより、540キロ走行して試運転は終了した。プロのメカニックはすごいものである。素人の私の危惧など吹き飛ばしてしまった。