9月8日(月) 四万十の川風と足摺岬の黒潮 

 

 天満宮キャンプ場の朝 テントの右が四万十の川原

 

 5時40分に起床した。霧が深くて天候はわからないが良さそうな感じだ。昨夜デイリーヤマグチで買ってきたサッポロ塩ラーメンの朝食をとり、携帯のバッテリーがなくなったので、バイクから電気をとって充電するシステムをセットすることにした。

 この川を汚す者許すまじ、と看板がたっている。昨夜は暗くて気づかなかったのだが、草地のサイトのすぐ横が四万十川の川原で、浅い流れが見えている。川に入って魚を狙っているサギもいた。ここはサイトからすぐ川にでて楽しむことができるキャンプ場なのだ。

 サイクリストもすでに起きていて、出発の準備や今日のコースの検討、そして旅の記録をつけたりしているようだ。25才くらいの彼は都内の方だった。彼の自転車を見てみると、サイクリング車でもなければMTBでもなく、通勤通学に使うような実用車なので驚いてしまう。よくこんな自転車で来たなと思うが、彼はサイクリングの経験や知識はまったくないそうで、ふだん使っている自転車に自作のバックを取り付けて荷物を積んで来たそうだ。バランスを考えないで荷をのせているので走りにくいし、1日に50キロしかすすめないそうだが、さもありなんという装備だった。ギヤもないのかと思ったら、なんとか内装ギヤがついていて3段変速なのだそうだが、これではサイクリング車の3分の1しか走れないし、3倍疲れるだろうと思われた。

 私も昔はサイクリストで、今も2台のサイクリング車を所有しており、たまに散歩のようなサイクリングをしていると言うと、彼も自分の散歩コースを説明する。その一部が私と重なっていて楽しい会話をさせてもらった。彼は先週の火曜日にフェリーで徳島についたのだそうだ。それから1週間かけてここまでやってきたのだから、やはり時間は通常の3倍はかかっている。

 彼にこれからどこにいくのかとたずねると、西にすすんだところにあるカヌーに乗ることができる施設ー西土佐のカヌー館だったかーーでカヌー体験をすることが旅の目的なので、そこにむかうとのこと。そこまで60キロくらいあるから、彼の1日の走行限界を超えていて、今日中にそこに着けるかどうかもわからないから、カヌーは明日乗るつもりだが、カヌー体験をすれば旅の目的は果たされるので、その後は東京に帰るとのこと。しかし帰ると簡単に言っても、また1週間かけて徳島まで走らなければならないのだ。

 私も予定を聞かれて、これから足摺岬をまわって愛媛にいき、今日か明日には佐田岬から九州の大分県にわたり、阿蘇をぬけて鹿児島の最南端の佐多岬に立ち、その後は北上して霧島や熊本、福岡に寄り、さらに山陰を見て帰る予定だと説明すると、眼を丸くしていた。バイクって1日でどのくらい走れるものなんですか、と聞くので、1日に400〜500キロは楽に移動できて、高速を使えば1000キロ以上走れると答えると絶句していた。−−だからと言ってバイクのほうが上ということではない。その人にとってどちらが好きなのかということのほうが重要で、優劣はないのだ。

 彼は先に出発していった。気をつけて、と手を振って見送り、充電システムをバッテリーにつないでインバーターのスイッチを入れると通電しない。どこか接触が悪いのだろうかと思って確認してみるが、どこもおかしくなくて、ヒューズを点検すると切れていた。バッテリー端子につないだコードをはずし、ヒューズを交換して、コードを端子に取り付けようとすると、パチッ、と火花がでてまたヒューズが切れてしまった。どうした?、なぜだろうと思い、もうひとつあった予備のヒューズにしてみたが、これも通電の瞬間に切れてしまうのだ。

 ヒューズはなくなってしまったし、原因もわからないから、充電システムはバッテリー端子からはずしたままにして出発することにした。ところで管理棟の前には料金箱がおかれていた。1泊300円と表示されていて、管理人が不在の時はここに利用料を入れてくれとある。考えすぎだと思うが、お金を入れた後で管理人が来て、料金を請求された場合、使用料は箱に入れたと言っても、箱の中の金は誰が入れたものかわからないから、ほうとうに払ったのかと疑われるような気がして、利用料金は出発の間際に支払うつもりでいた。準備がととのったところで百円玉2枚と五十円玉2枚を箱に入金し、7時50分に出立したが、HPでレポートを公開していなかったら料金は払わなかっただろうと思われた。

 県道41号線で国道56号線にむかう。太陽がでて暑くなるが、国道56号線に入ると霧がでていて涼しくなった。気温は23℃、25℃と表示されている。南の四万十市(旧中村市)をめざすが、すすんでいくと霧が晴れてまた暑くなった。お遍路さんがひとり、また先でひとり歩いている。65才くらいの男性と60才くらいの女性だ。四国は深い山と海があり、お遍路さんが歩いていて、風情があって人情も厚いよい土地だと思う。気分よく走るが相棒のDRの存在も私をなごませる。私と同様に年をとり、疲れたバイクがよく馴染んでいるからだ。

 ヒューズをどこかで入手しなければと考える。ヘッドランプの電球も切れてしまったから、今日の課題はヒューズと電球の調達だ。そしてヒューズの切れた原因を考えるが、ツーリングにでて走り詰めに走っているから、バッテリーが過充電になっているのだろうかと思う。つまりいつもよりも電気量が多くなっていてヒューズが切れたのかと。しかしそれは説得力のある仮説ではない。ほかの電装品に異常はないのだし、第一充電しすぎてヒューズが切れたと言う話は聞いたことがないからだ。そうだとすれば充電システムのほうに問題があるものと疑われるが、いろいろと考えて走っていると、ごく単純なことに気がついた。それはバッテリーに充電システムをつなぐのに、+と−が決まっていたような気がしてきたのだ。そして今朝システムを接続した際に、いつもと+と−を逆にしたように思える。これが原因ではなかろうか。ヒューズを手に入れたら+と−を入れ替えて取り付けてみようと思うが、なんだかこれで問題が解決するような気がして、もしもそうなったら笑ってしまうなと思ったりした。

 国道56号線は佐賀町で海岸線にでた。左手に海がひろがって、とても開放的で気分がよいが、暑い。この陽気では4枚も持ってきた長袖シャツは不要だから、着た後で捨てられるように古いものを持参したこともあり、早々に廃棄してしまうことにした。

 海沿いをすすむと『ホエール・ウオッチング』の看板がたくさんある。地図には鯨のよく見られるポイントでニタリクジラが生息しているとある。シーズンは3月から10月だそうだ。ここは私の地図では大方町となっているが黒潮町と表示されているから地名が変わったようだ。走っていくと鯨の大きな像が道路脇にあり、写真をとりたいと思ったのだが、恥ずかしくてやめてしまい、後悔してしまった。記念撮影をするのに恥ずかしがったり、億劫に思ったりしていては旅は楽しめない。もっと自分のしたいようにしなければいけないと思うのだった。

 四万十市の入口にあったスリーエフに入り、水2リットルと徳島製粉の袋ラーメン、金ちゃんラーメンを262円で購入し、長袖シャツを2枚捨てさせてもらった。駐車場で地図を見ようとするが、日差しが強烈で日なたにいることが苦痛だし、地図も白く飛んでしまってよく見えない。地図は大まかに頭に入れておくが、この辺りの弁当屋はおにぎりの看板をよくだしているのが眼につく。昨夜のたけざきのおにぎりも美味しかったが、この付近はおにぎりが好まれる地域のようだ。

 四万十市では沈下橋を見たいと思っていた。どこの沈下橋でもよいのだが、勝島の沈下橋と岩間の沈下橋の場所を調べてあり、四万十川沿いをいく国道441号線に入ろうとして、間違えて国道439号線にすすんでしまった。5キロほどで気がついてUターンしたが、国道439号線は通称ヨサクと呼ばれ、その酷道ぶりが有名で、わざわざ走りに来る人がいることを思い出した。この付近はふつうの道だったから、この先の山間部が酷道になるのだと思われるが、私は酷道よりもひどい林道が好みだから、ヨサクは走るまでもない。四万十の町に引き返して国道441号線に入り直したが、ヨサクは昨日、剣山林道から海岸線にむかって走った、狭くてガードレールもない、道の中央にコケのはえていた国道と同じようなものではないだろうか。

 トンボ公園の案内がでている。地図のコメントには、園内で70種のトンボを観察でき、1000種の標本があるとでているから立ち寄りたいが、九州の果てまでいく予定だから先を急ぐ。すぐに佐田の沈下橋の案内がでていて、どこの橋でもよいと考えていたからここにいくことにし、看板にしたがって畑を横切り、四万十川の川原にむかう。すぐに四万十川のほとりにつき、名物のウナギや川エビ料理の店の横をいくと、広い四万十川にかかる佐田の沈下橋にでた。

 

 四万十川 佐田の沈下橋

 

 広い川原である。河口に近いからこんなにも広いのだろう。川は川原全体をおおっているのではなく、真中あたりに浅い流れとなっている。そこに細くて長い、欄干のない独特の形状をした沈下橋がかかっているのだ。橋の左右には四万十の流れと玉石の川原がひろがっている。広い川にかかる沈下橋。気持ちよくひらけた空間。開放的で明るく、これぞ四万十という眺めだった。

 バイクで沈下橋に乗り入れて写真をとるが川の匂いがよい。昨日の小松川から剣山林道の入口にかけて流れていた勝浦川と同じく、自然と生命の豊かな川の香り、化学物質や生活排水のない、鮎がたくさんいる匂いがする。そして四万十にはそこに川海苔の香りも混じっているのだ。橋の下を見てみると、川のなかの玉石には川海苔がたくさんついている。そして川原にあるのは玉石ばかりで、土砂もゴミもない。これは当り前のようだが、滅多にないことだ。少なくとも私はこんなにきれいな川を見たことがない。ゴミはともかく、土砂もないということは、川の全流域で開発行為がなされていないことになる。何か工事があればそこから土砂が下流に流出して、川原のどこかにたまるものなのだ。四万十は自然のままの川だ。最後の清流と言われるのがよくわかる。その四万十の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、広い川原をながめていると、とても気分がはずんで、川に飛び込みたい気分になった。

 広い、と何度書いただろうか。とにかく広い川原と四万十の流れが心地よい。自転車や車で観光にきた人たちが沈下橋を歩いている。私はバイクの特権で橋の上にDRをとめて、四万十の上流と下流の広々とした眺めと、川の匂いに魅入られてすごした。やがて対岸から軽が橋をわたってきた。橋は一部広くなっているところがあるから、そこで軽をやりすごして対岸にいき、橋の入口にバイクをとめて写真をとっていると、また地元の車がきた。すぐにバイクを移動するが地元の方は柔和である。微笑して待っていてくれる。四国はよいところだと思うが、これが都内ならどうだろう。きっとものすごい勢いでクラクションを鳴らされると思う。私がドライバーだとしても、頭にきて相手をにらみつけて警笛を鳴らすことだろう。

 佐田の沈下橋で四万十川に満足して先にすすむことにした。昼時ならば四万十名物のウナギや川魚などを食べてみたかったが、まだ早い。昼食は先でとることにするが、四万十料理は高いので、ここで食べずに済んでよかったかもしれないと思ったりもした。

 四万十の町にもどり国道56号線に入ると、カー用品店のイエローハットがあった。ここにヒューズがあるはずだと思ってバイクを駐車場に乗り入れた。ヒューズを買えばここで充電システムを付け直すことになるから、作業しやすいように、駐車している車から離れた日陰にDRをとめる。ここは人目につかないから、洗濯してまだ乾いていないTシャツとパンツを干しておいた。

 

 イエローハットにてヒューズを交換

 

 10A(アンペア)のヒューズはすぐにみつかった。しかし2個で757円もする。ヒューズがそんなに高いわけがないから、どうしてなのかとよく見ると、通電効率がよくなるように純金メッキをした製品なのだそうだ。ヒューズ2個に757円もだす価値観は持っていない質実剛健な私は、ごくふつうのものを2個で157円にて購入し、さっそく駐車場で作業を開始した。荷物をすべておろしてシートをはずし、バッテリー端子につないだコードの+と−を入れ替えてヒューズを交換すると、思ったとおりシステムは正常に作動した。やはり単純な取り付けミスだったのだ。さっそく携帯の充電を開始したが、洗濯物は強い日差しのおかげでほとんど乾いてしまっている。それだけ暑いわけで、日陰で作業をしたのに汗がしとどであった。

 10時45分にイエローハットを出発した。国道321号線で四万十川に沿って南下していく。また川のよい匂いがする。それを鼻から胸いっぱいに吸い込んで、この川風に吹かれなければいけないなと思う。年に一度は放浪にでて、この四万十の川風のようなものに触れて魂が浄化されないと、生きている意味がないと。しかし川のよい匂いがするのは通常川の上流部なのだ。それがこんなに海に近い河口部で、この香りがたちこめているのは稀有なことだ。だから四万十は最後の清流と呼ばれ、楽園のようなところだとたたえられるのだろう。

 ところで高知はガスが高い。179円から180円台の表示がつづいていて、徳島よりも一段と高いのだ。そして走っている車はノロノロ運転が多いのに、信号は守らない。信号が赤になって、0.5秒くらいたっても通過していくから、ほかの土地とリズムがちがう。したがってまわりの車をたえず観察し、事故の起きないように身構えて走行した。

 足摺岬に南下していく。ここにもお遍路さんが歩いている。その姿を何度も見ていると、お遍路さんもいいかもしれないと思えてくる。将来私もやってみようかと。バイクや車でまわるのは邪道だと思うが、歩き遍路はきついから、昔とった杵柄でサイクリング遍路だろうか。九州で絵を見たいと思っている高島野十郎という画家も、四国霊場の巡礼をしたと読んだことがあったと思い出したりした。ところでここまでお遍路さんは皆おなじ方向へ、時計回りに歩いていたが、ひとり逆にすすんでくる人がいる。逆回り遍路だ。へそ曲りだね。

 土佐清水の町に入ると足摺海鮮市場という店の大きな看板が眼についた。黒潮工房というレストランが併設されているが、ここはガイドブックに載っていた店舗で、地図に情報を記入してきていた。時間はまだ11時と早いが、下調べをした手間を無駄にしたくないので、ここで昼食をとることにした。

 店内に入ると鮮魚を売っていてその奥にレストランがある。お薦めはカツオのたたき定食1150円とサバのぶっかけ丼1000円とメニューにある。土佐清水はカツオのほかにサバも自慢の品らしい。土佐だからカツオのたたきを食べるべきなのだろうが、サバにしたい気分なのでサバのぶっかけ丼を注文した。

 

 サバのぶっかけ丼

 

 レストランは窓を大きくとってあり、席から清水港と海が見えていた。店内はエアコンが効いていて涼しいのだが、窓の外は炎暑の陽気だ。強い日差しで景色が白っぽく退色した港をながめていると、待つほどもなくサバ丼が運ばれてきた。家内にメールを送るときに、料理の画像を添付すると格段に反応がよいので、サバ丼のメールを送信する。現在地足摺岬、サバ丼で昼食中、と。すると思ったとおりすぐに返信がきた。美味しそうだね、と。そして息子は普通免許をとるために運転試験場に出かけたとのこと。これでまたひとつ子育ての段階が終わったと思いつつ食事をはじめた。

 サバ丼はサバのお茶漬け丼なのだが、半分は刺身丼として食べ、残りを茶漬けにすれば、ふたつの味を一度に楽しめる趣向になっている。さっそくサバの刺身を食べてみるとじつに美味しい。サバ特有の臭みがまったくなく、脂ののったトロトロの刺身で、こんなに美味しいサバははじめてだ。土佐清水が自慢の品として推すわけである。半分はサバ丼で残りは茶漬けにするが、刺身丼のほうがはるかに美味しいから、個人的にはサバ丼8に茶漬け2にすべきだと思う。またサバだけでなく味噌汁も美味しかったから、この店はおすすめである。

 店をでて鮮魚コーナーをのぞくと名物のカツオのたたきがある。薬味やタレがついたセットだが、カツオ半身で5800円と考えられないほど高く、私のカツオのたたきの価値観をこえているから買わない。四国みやげの好適品なので残念だが見送った。

 県道343号線で足摺岬にむかう。この道は足摺スカイラインという名がついているが、景色はひらけていなくて、木々の生い茂った緑のトンネルのような道だ。カーブの連続する森のなかの道をハイペースで走っていくが、コーナーではいつもよりもバイクを倒し込んでいるから、乗れているなと思う。それは林道を走ったからだ。どうしてなのかはわからないが、ダートを走行すると乗れてくるのだ。スキーで急斜面を滑ると、ふつうのゲレンデもうまく滑走できるようになるのとよく似ているから、林道はバイクの急斜面のようなところなのだろう。

 

 足摺岬

 

 12時に足摺岬の入口についた。やはり日差しが強くてものすごく暑い。ジャケットを脱いで展望台に歩くがすぐに汗だくである。一帯は遊歩道が整備されていて、展望台から灯台へとまわることができるようになっていた。灯台にむかうと、頭上は木々でおおいつくされていて、植物の生命力が爆発したような様相を呈しているが、植生も亜熱帯のような、ジャングルのような感じだから、それだけここは温暖な地なのだろう。遊歩道をいくと危険なところには道から出ないようにロープが張ってある。それを見てここは自殺の名所であることを思い出すが、風景はすばらしい。荒々しい男性的な断崖と磯がつづいている。そこに白い灯台と海が映えて、沖には黒潮が流れているのだ。

 灯台には若い外人の男女が5・6人いて、ドイツ語のようでそうではない言葉で話し合っていた。岬にいたのは彼らだけで、遊歩道で会った人を合計しても10人ほどだから空いている。暑さが厳しいから岬まで歩く人は少ないのだろう。ところで帰りのジャングルでは地元の年配のご夫婦とすれちがったが、とてもフレンドリーだった。笑顔がよくて、京風の土地の言葉がやさしく、四国の人は飾らずにあたたかい印象だ。また四国はよいところだと思ったのだった。

 汗みずくとなって駐車場にもどるが、あまりにも不快なのでトイレにいって顔と手を石けんで洗った。またすぐに汗が吹き出てくるのはわかっているのだが、そうせずにはいられない。出発の準備をしているとすぐ横に札所があることに気がついた。地図を見てみると38番札所の金剛福寺だ。お遍路さんが出たり入ったりしているが、ママチャリに乗った20くらいの男の子のお遍路さんがやってきて、すぐ横の軽バンに乗っていた65くらいの男性お遍路さんと話をはじめた。軽バンに人が乗っているのはわかっていたが、お遍路さんとはわからなかった。軽バン氏は、速いな、と言っている。朝、窪川を出てもうここまで来たか、と。こちらは車でゆっくりまわっているけど、行く先でかならず追いつかれるな、と。男の子は元気一杯に笑っていたし、軽バン氏も屈託がなさそうだからお遍路さんのイメージが変わった。

 ところで観光バスでやってくるお遍路さんもいた。団体のお遍路さんで、バスを降りて一団となって寺に入り、また全員で出てきて寺の前で記念撮影し、バスで去っていく。こういうバス仕立ての遍路は遍路と呼べるのだろうか。たとえすべての札所をまわるとしても、バスの運転手とガイドにつれていってもらうのは、遍路ではなくて観光ではなかろうか。ママチャリの男の子も軽バンの男性も深刻さはなくて遊び半分にも感じられるがーー人の内面はうかがい知れないものだがーーそれでもひとりで巡礼することとは、まるで別のものだと思うのだ。

 暑いのでジャケットとグローブはつけられず、腕時計もはずして出発した。海沿いをいく県道27号線で土佐清水にもどり、国道321号線で西にいくが、Tシャツの上にザックを背負っていると首がこすれて痛くなる。むきだしの腕も日差しでピリピリしだしたので長袖シャツを着ることにした。ジャケットは暑くて身につけることはできないが、シャツ一枚なら我慢できるから、以降このスタイルが多くなった。長袖シャツを着ていれば虫などがぶつかってきたときの備えになるから、Tシャツだけよりもはるかに安全で安心だった。

 海岸線をいく国道321号線は絶景が連続するようになる。叶崎付近はとくに美しく、思わずバイクをとめて写真をとったりした。宿毛に入ると31℃と表示されていて相変わらず暑い。31℃、30℃の気温表示がつづく炎天の道を走り、道の駅みしょうで休憩にする。冷たい缶コーヒーで一服するがここは魚がものすごく安く売られていた。鯛が1匹680円、カマスが5匹で100円!、キビナゴが1パック200円という具合で、すぐにキャンプ場に着くのなら絶対に買ったのだが、時間はまだ早く、これから日差しの下をまだ何時間も走るから諦めた。またここの地元の人は声が大きい。年配の男性客が会話をしていたが、はじめは喧嘩をしているのかと思ったほどで、言葉もこれまでの京風のやわらかいものから変わったようだ。 

 海岸線の国道56号線を北へいく。ここにもお遍路さんの姿がある。ママチャリの若い男性2人組、それに若い女性もひとりで歩いていて、自動販売機で冷たい飲み物を買おうとしていた。ひとりで歩いているお遍路さんは何事か願いか悩み事があって巡礼をしているように見える。足摺岬で立ち話をしていたママチャリの青年と軽バンの男性も屈託がないように見えたが、霊場をまわる人は胸に何かを秘めているのではなかろうか。

 広い空には入道雲が立ち上がっているが、山にはもう栗がなっていて、落ちた実をひろう人がいた。また四国では古い車が眼につく。いすずフローリアンを久しぶりに見たが、117クーペを彷彿とさせる4ドアセダンは今になってみるとやけにカッコイイ。そのほかにも40年前のコロナ・マークUGSSや30年前の初代パルサーも大事にされていた。

 これから行こうとしているのは愛媛県内子町にある大江健三郎の生家である。しかし時間が遅くなってきているから、そこまで行けないかもしれず、その場合は明日訪ねるにしても、なるべく近くに野営地をもとめたい。それは内子のとなりの大洲だろうか、それとも内子よりも山奥のオートキャンプ場か。

 

 宇和島の闘牛

 

 宇和島に入ると道路わきに闘牛がいた。あっと思ったが急には止まれずに通過して、Uターンしてもどり写真をとらせてもらう。前にバイクをとめると、モウッ!、とうなるので焦るが、その一声だけで後は大人しい。何枚か構図を変えてシャッターを切っているとパトカーが通りかかり、おまわりさんが闘牛の写真を撮影している私を見ていた。

 闘牛と別れて先にいくとヤマダ電機があった。ヘッドランプの電球があるだろうと思って店内に入り、ヘッドランプを見せて在庫をたずねると、ないとのこと。電球は小型のクリプトンミニチュア球という特殊なもので、通常店舗には置いていないそうだ。それはこの店だけのことなのか、それとも四国全体でのことなのかと聞くと、四国中で、とのこと。しかたがないからランプを買うことにして、1980円の小型ランタンをよほど求めようかと思ったが、帰京して電球を入手すれば今のヘッドランプが使えるわけで、それでもランタンがあれば便利だと思うが、荷物を絞り込む私としてはヘッドランプがあればランタンはツーリングに携行しないから、いちばん安い懐中電灯を312円で購入した。単1電池を2個使用する、赤いプラスチック製のトラディッショナルな奴である。

 ところでこのクリプトンミニチュア球は都内のビックカメラにも在庫がなくて、店員に知識もなかったが、山用品専門店の好日山荘には在庫が常備されていた。しかもより明るくなる電球まであり、それを2個もとめて619円だった。クリプトンミニチュア球は手で直接触れると切れやすいとコージツで教えてもらったので、ご参考まで。

 ヤマダ電機をでて宇和島の町に入っていくと、宇和島城に惹かれるが時間がないから立ち寄らない。しかし、178円の看板をだしているGSにはすかさず入店した。23.56K/Lと燃費はよくなり2412円。しかし走りだすとすぐに176円の店があり、ショックを受けてしまった。

 宇和島道路の案内がでている。私の地図は古くてこの道路はのっていないから、昨日も利用した淡路SAでもらった高速道路地図をひらくも記載されていない。大洲には四国横断自動車道が通っているから、それに宇和島道路が接続しているなら、ETCの夕方の割引がきくこともあり利用しない手はない。詳細がわからないので地元の軽トラのお父さんに聞いてみた。すると宇和島道路はまだ短い距離しかできていないし、四国横断道には連絡していないとのこと。四国横断道はこの先の西予宇和まで開通しているが、西予宇和ー大洲間は10キロ足らずしかないから、高速をつかうまでもないこともわかった。

 お父さんにお礼を言って走りだすが、よく見るとお父さんは大江健三郎に似ている。四角くて顎の張った顔はこの地方の男性の特色だろうか。しかし案内標識は道路が完成してから設置してもらいたい。お役所仕事がすぎると思うが、人のことを考えないからこんなことをするのだろう。

 遅くなってきたので、今日は内子にある大江健三郎の生家をたずねるのは無理だと思う。昨日頑張りすぎたから今日は余裕をもって早目にキャンプ場に入ることにして、野営地を検討する。大洲には家族旅行村のオートキャンプ場があり、地図には小規模ながら充実した施設、とコメントがある。ここが今夜の第一候補で、ここがダメなら内子の先にすすみ、広田村にある大キャンプ場だという、長曽池オートキャンプ場にいくことにした。周辺にはこのふたつのキャンプ場しか見当たらないのである。しかし長曽池オートキャンプ場まではまだかなりの距離があるから、できれば大洲に泊まりたい。家族旅行村は公共施設だから、料金もこちらのほうが安いと思われるので。

 大洲の町に入ったのは17時すぎだった。大洲は山のなかにある上品な城下町だ。キャンプ場は川沿いにあると地図にでているから、その方向にいくと案内があり、細い山道をのぼっていく。川沿いのあるとばかり思っていたが、移転したのだろうか。着いたのは山の上の眺望のきく場所だった。

 キャンプ場に入っていくと入口にバンガローが建ち、大型オンロード・バイクが2台とまっている。その先の管理棟の前にバイクをとめると管理人さんがでてきた。キャンプするの?、それともバンガロー?、と聞くので、キャンプです、と答えると、ここはオートキャンプ場だから、バイク1台の人でも2100円かかるがいいかな、と言う。2100円は高いが、これから別のキャンプ場をもとめて走りまわるのは億劫なので、ここに泊まることにした。

 管理人さんは、高いからバイクの人には悪くて、高いけどいいかなと必ず聞くことにしている、と語っていた。62・3の気さくな方だ。自分で経営しているなら値引きもするが、市でやっているからそうもいかない、とも言うから、利用者でいろいろと文句を言う人もいるのだろう。私はケチだが、金にはきれいに、を心がけている。2100円を気持ちよく払ったのは17時53分とキャンプ場に入るにはちょうどよい時刻だった。

 

 大洲 家族旅行村のオートキャンプ場

 

 今夜の宿泊客は入口のバンガローのふたりのライダーと、奥のバンガローに泊まる大学生10人ほどで、キャンプは私だけである。どこでもよいから好きな場所でキャンプしてくれとのことで、炊事場の横のサイトに決めた。さっそくテントを張るが蚊が寄ってくる。蚊を避けながらテントを設営し、荷物を入れると、管理人さんに教えてもらった眼下に見える入浴施設、『臥龍の湯』に汗をながしにいく。キャンプ場にはシャワーもあるそうだが、温泉のほうがずっとよいし、メモも明るいところでゆっくりとつけられるから入浴施設のほうが望ましいのである。

 山をバイクでおりていくと5分ほどで臥龍の湯についた。料金は680円と高いが、体を洗って湯のなかで手足をのばし、洗濯禁止になっていなかったので、脱衣所でTシャツとパンツを洗わせてもらい、ロビーでテレビの音を聞きながらメモをつけた。天気予報では今日も明日も全国的に晴れると言っている。日本上空には雲はまったくなくて、晴れが極まっている感じである。このようすならばあと3日は晴れつづくのではなかろうか。その後はいつものように日本の西、九州から天候はくずれるのではないのか。ならば九州を走り終えて、本州にもどるころに天気が悪化しても、逃げ切りとなって雨には降られないツーリングになるのではなかろうかと、自分に都合のよいことを考えたりした。

 メモをつけ終えたのは19時50分だった。臥龍の湯をでて、老舗らしい風格のある酒屋で、さつま白波とのどごし生を1650円でもとめた。酒屋の女将さんは商店街のスタンプをレシートとともに差し出してくれる。もらってもしかたがないと思ったが、これも記念かとOZUの大ちゃんスタンプを20枚受けとった。

 酒と洗濯物をハンドルにぶら提げてキャンプ場にもどっていく。今夜は蕎麦を茹でるつもりだが、ツーリング3日目にしてはじめての自炊の夜である。サイトにつくとまず洗濯物を干す。ここ何年も続けて行っていた北海道では、汗をかかないからTシャツや下着は2日間着た後に取り替えることにしていて、洗濯はしなかった。四国・九州もそのつもりでいたのだが、こう汗をかいてはそうもいかず、嫌いな洗濯をしているのである。

 風呂に入ると蚊が寄ってこないのはいつものことだ。ビールを飲みつつ蕎麦を茹で、薬味のネギをきざんでいく。テントは私だけだから、キャンプ・サイトとすべての炊事場、近くのトイレまで私の貸し切りだ。そう考えれば2100円は安いかと考えてみたが、やはり高い。ここはひとつひとつのサイトが区切られていて、それぞれにコンセントが設置されているオートキャンプ・サイトだからこの値段なのだろう。家族で車で来るのならばよいのかもしれないが、私はもう利用しないと思う。

 

 今夜の夕食

 

 蕎麦を食べつつ持参の缶詰もあけていく。ラジオをつけて暗いなかでひとり、懐中電灯の明かりで食事をしているのは、傍目からはわびしく見えるかもしれないが、私としては最高の気分である。大好きな野営の気ままな夜なのだ。もとより大勢で大騒ぎをすることや、女のいる店で酒を飲むことが好きなわけではないし、美食や賭け事に執着するタイプでもない。静かに本を読むか、文章を書いて時間を過ごしたい人間なのである。それはこの長い文章の、このような襞まで読んでくれているあなたとて同じではなかろうか。だから野営の夜の私の気分があなたにはわかってもらえると思う。

 月は半月。昨夜、真暗な山道を天満宮キャンプ場にむかっているときに一瞬だけ見た月も半月だった。そして星の数もすごい。ときおり空を仰ぎ見て、月と星をながめる。野営の夜の月と星。かたわらにはバイクが静かに休んでいる。私のまわりには誰もいない。懐中電灯のほかに明かりもないのだ。闇のなかのひとりの時間を楽しんでいると、家内からメールが来た。メモを終えて酒を飲んでいる、と返信すると、老眼でメモはきついね、とキツイ返事がかえってきた。

 テントに入って焼酎の水割りに切り替える。私の相手をするのはラジオの南海放送、松山の放送局の番組である。ラジオのパーソナリティーは松山の坊ちゃん球場で巨人戦がおこなわれたことを話している。巨人が大好きなようだ。私はアンチ巨人なので反感をもつが、巨人戦は滅多に見られない、と語っている。たしかに東京は遠く、あまりにも遠く、四国で開催されるゲームは年に1・2試合なのだろう。しかしサッカーファンの私は、愛媛には愛媛FCというJ2のチームがあるのだから、それをもっと話題にすればいいのにと思ってしまった。そういえば徳島県にもJ2の徳島FCがあるが、街にはフラッグもポスターも、ステッカーさえもなかった。両チームとも弱いから人気が出ないのかもしれないが、ちょっと寂しい。

 奥のバンガローでは大学生が騒いでいるが、思ったほどではない。若者は10人くらいいるが、声をあげているのは3・4人で、ほかの者は黙って聞いているようだ。ラジオと大学生の声を聞いているうちに眠ってしまった。

                                                           322.5キロ