9月7日(日) お接待の心

 

 剣山スーパー林道近くの 大釜の滝の前にて

 

 5時40分に起床した。昨夜は暑くて汗がとまらず不快だったが、それでもいつの間にか発汗はとまり、21時くらいには寝たと思う。しかし爆音を響かせた原付スクーターが1台通ったときと、2時30分に車のアイドリング音が耳についたときに眼が覚めてしまった。原付スクーターは通過していっただけだが、車のアイドリングはずっと続くのでとなりの駐車場を見てみると、ワゴン車がとまり男がひとりで乗っている。ダッシュボードの上のカーナビにテレビがうつっていて、画面がチラチラするのが見え、盗っ人か? と思ってバイクを見るが、街灯の下にとめてあるDRに異常はない。少年も群れていないし、男も車をおりてくる気配はないから、なんでもないようだ。気をゆるめるとまた眠ってしまった。

 昨夜は暑くてならなかったというのに、朝になると涼しくて寒いくらいだ。朝食のインスタントラーメンを作っていると犬の散歩の人が来たので、焦って食べれば暑くなる。キャンプ場に泊まっているのは私だけで、犬の散歩の人が多くなってくると、早くここから出たくなるのが人情だ。撤収を開始すると、キャンプ場の前の芝生とステージに人が集まりだして、なんだろうと思っているとラジオ体操がはじまった。老人ばかりが集っているのだが、いよいよ健全な町である。私だけが場違いな存在なので、急いで荷作りをしてバイクに積み込めば、またしても汗だくになってしまった。

 ところでバイクに荷物を積んでいると次々に声をかけられた。おじさんふたりにおばさんひとりである。どこから来たの? 四国をまわるの? ここで寝たの? という感じで、興味本位でもなければ、馴れ馴れしくもなく、好意的である。旅人に声をかけるのはお遍路さんをあたたかく迎える気持ち、お接待の心なのかなと感じられた。ここで寝るのはぬくくていいよね、とおばさんが言うが、ぬくくて、という言葉が耳慣れなくて聞き取れず、何度も聞きかえしてしまったが、徳島の言葉は京風で、やわらかい響きだと思う。四国は旅人にやさしい土地である。北海道よりも好意的だ。北海道ではキャンプをしていると言うと馬鹿にする人もいるが、お遍路の歴史のある四国は、野営や放浪に違和感を持たない土地のようだ。そしてここは治安が悪いなどということはなく、剣道が盛んで、朝からラジオ体操をしている、心のあたたかい町だった。

 暑くて汗がとまらなくて、ジャケットを着られず、グローブもつけずにTシャツ姿で7時に出発した。四国は旅しやすい土地だが暑いのが玉に瑕である。県道14号線で東にむかう。ローソンがあったのでゴミを捨てさせてもらい、明日の朝食の袋ラーメンを買おうとすると置いていない。カップめんしかないから何も買うことができなくて、心ならずもゴミだけを処分させてもらった。ところでローソンの店舗の色が本州とちがう。他のコンビニ・チェーン店も地味な色彩となっているから、これは四国の人の好みにあわせたのだろう。

 北島町をぬけていくがここは徳島市のベッドタウンのようで、住宅と店が建ちならんでいる。人も車も多くて、やはり本州との経済格差などないなと思いつつ、国道11号線に入って徳島に南下していく。やがて大きな川にでた。吉野川である。吉野川は気持ちがよいくらいに大きい。関東の川とくらべると、荒川放水路より広く、多摩川より小さいと言えばよいだろうか。吉野川をわたった先が徳島市で、気温は思ったよりも高くなくて26℃だった。

 国道をすすんで徳島駅にいく。20年前に来たときには、駅前の郷土料理店でアメゴ寿司(関西の山女。同種だがわずかな差異がある)を食べ、阿波踊りを見たので、駅前に行ってみたかったのだが、着いてみるとこんなところだっただろうかと記憶にない状態で、しばし周囲をながめ、写真をとってまた走りだした。

 徳島のシンボルの眉山にのぼり、評判の眺望を楽しみたいと思っていたが、ロープーウェイは朝早くてまだ営業していない。これではどうしようもないと眉山を諦めて、徳島を去ろうとすると、眉山パークウェイの案内がでている。バイクで行けるのだと知りパークウェイで山頂にむかった。

 

 眉山パークウェイにならぶ蜜蜂の巣箱

 

 パークウェイはコーナーの連続する山道である。グングンと高度をあげていくと、道の横の林の中にいくつもの木箱がならんでいて、蜜蜂を飼っているのだとわかる。しかし箱の大きさが不揃いで、手作り風だからプロの仕事ではなく、素人の趣味であることが見てとれた。徳島には蜜蜂を飼う文化があるようだ。徳島の男の好みなのか。蜜蜂の箱は30〜40もあった。

 

 眉山から海をのぞむ

 

 7時50分に眉山の山頂についた。さっそく風景をながめるが、残念ながら靄がかかり、霞んでしまっていて眺望はきかない。晴れていれば淡路島から紀伊半島まで見えるとのことなのだが、白くガスのかかった海しか見えなかった。それでも眼下には徳島の街がひろがり、眼を北に転じれは吉野川が流れている。海のほうがダイナミックな風景だが、吉野川と山の景色も地味だが悪くなかった。

  

 眉山から吉野川方向の景色

 

 太陽がでて気温があがってきた。眉山の山頂は公園になっている。そこを周囲をながめながら散策するが、バイクで走って汗が引いたところなので、またかかないようにゆっくりと歩く。暑いからといってTシャツだけで走行していると、虫などがぶつかってきて危険なので、ここでジャケットとグローブをつけ、国土地理院が日本一低い山と認定したという、弁天山にむかうことにした。

 弁天山は徳島の南にある。0円マップでは紹介されているが地図にはのっていない。ところで持参の地図はツーリングマップル(TM)ではない。2003年の山口・広島の旅に利用したユニオンマップの『マップラス 車の旅 ロードマップ』である。この地図は観光情報が書き込まれているのが特徴で、TMの元祖のような地図だ。2003年のころまでTMはサイズが小さくて見づらいし、情報もたいしたことはないと思っていたから、もっぱらユニオンマップを愛用していた。現在はTMのほうがすぐれているし、ユニオンマップはキャンプ場情報が少ないという欠点があるから、TMの購入も考えたのだが、ユニオンマップがあるのに新しい地図を買うのがもったいなくてそうしなかった。ただし、九州の地図は持っていなかったからTMと0円マッブを購入した。 

 国道438号線を南下して、県道209号線と分岐する直前でバイクをとめて地図を見ていると、横に路線バスがとまった。ワンマンの徳島バスである。なんだろうと思っていると、運転席横の乗降口が開き、若い運転手さんが、
「道、教えましょか?」と言う。
 こんなことは初めてでびっくりしてしまった。25・6の運転手さんは笑顔だ。回送中なのか客は乗っていない。
「いや、大丈夫です。ありがとう」と答えると徳島バスは走り去ったが、感動してしまった。路線バスがわざわざとまって道を教えてくれるということが、他の土地であるだろうか。いや、決してないだろう。これもお接待の心なのかと思うが、徳島が、いや四国が大好きになった。四国に来てよかったと思う。それにしても徳島弁の響きはやわらかくてやさしい。
「道、教えましょか?」

 0円マップは大雑把なのでわかりにくい。ユニオンマップで弁天山の位置を確認して、県道209号線を南下し、二股に分岐するのを県道210号線に入るとすぐに弁天山である。国土地理院が認定している日本一低い山ということで興味をもっていったのだが、ちょっと大きな築山くらいな感じで、じっさいに見てみるとこんなものかという印象であり、わざわざ立ち寄るほどのものではなかった。

 

 日本一低い山 弁天山

 

 四国で最大の目的地、日本一長い林道の剣山林道にむかう。県道210号線を南下して国道559号線に入り小松島にいたる。県道16号線で勝浦川に沿って山にむかうが、勝浦川はよい匂いのする川でトンボがたくさんいる。心地よい川の匂いは自然の清流に特有の香りで、釣人が鮎が釣れる匂いと呼ぶものだ。自然の有機物やオゾンなどが渾然一体となって織りなす、生命の満ち溢れた香りとでも言おうか。鮎釣りの人もたくさん来ているからよい鮎がかかるのだろう。川の構えからして大鮎がかかりそうだし、魚も美味しそうだと思っているとGSがあったので給油をした。19.43K/Lと高速走行の影響で燃費は悪く、単価は162円と安い。徳島はガスの安い土地だ。

 GSの主人に、釣人がたくさんいますね、よい川ですね、と言うと、大きな鮎がでるとのことだが、釣人は最近になって急に増えたと言うから意外だった。ということは近年になって養殖魚の放流量を増やしたのだろうか。海に近いから天然魚の溯上も多そうだし、川の規模からして魚影は濃そうだと思うのだが。なにより鮎の釣れる匂いがするから、最近まで釣人が少なかったというのが信じられない気持ちだった。

 ところで剣山スーパー林道は一部通行止めになっていると聞いていた。それをGSの主人にたずねると、大丈夫なんじゃないかな、バイクなら行けるのでは?、とのことであった。また山の上は涼しいとも聞いて走りだす。気温表示は28℃で、そんな話題がでるほど暑かった。

 県道16号線をいくがここは一昔前の日本のようなところだった。麦藁帽に白い長袖シャツ、綿の長ズボン姿の男が多いが、そのスタイルで背中にびっしょりと汗をかいて自転車に乗っている男性をぬいた。今汗で背中を濡らして自転車をこいでいる大人の男がいるだろうか。私は何十年も見ていない。そして畑では焚き火をしている。首都圏では焚き火はダイオキシンがでるからと禁止されているから、焚き火の匂いを久しぶりにかいだ。また集落を流れる小川の掃除を住民が総出でやっている。共同作業がのこっているのだ。

 県道16号線は山道となった。横を流れる勝浦川も清流から渓流に変わり、流がせばまって大岩が連なり、速度を増した川となっている。釣人は河口部からここまで全川にわたって入っているが、首都圏にくらべれは密度は少ない。しかし上流部の岩魚やアメゴがいるようなところでも鮎釣りをしているから、やはり鮎の放流をしているようだ。

 剣山林道直前の月ヶ谷温泉は25℃だった。ここにはキャンプ場があり、京都の林さんのお店に立ち寄らなければ、昨日はこのあたりまで行けるだろうと考えていた地点である。月ヶ谷温泉の先から県道16号線をはずれ、いよいよ林道に入っていく。この道の横を流れるのは勝浦川の支流で、沢と呼ぶような流れだが、大岩が配された渓相はすばらしく、竿を持っていたらまちがいなくここで釣りをしたと思う。誰も竿をだしていないから魚は少ないのかもしれないが。しかし今回は釣竿を持参していないのだ。はじめての四国・九州ツーリングで行きたいところがたくさんあるから、釣りをする余裕などないと思ってそうしたのだが、それは正解で、この先釣りをしている暇などない旅となるのだった。

 

 剣山スーパー林道起点 魚屋橋

 

 9時25分に剣山スーパー林道の起点、ここに来た誰もが写真をとる、大きな木の案内がでている魚屋橋についた。私も記念撮影をしたがここも暑い。日差しが強くて日陰にいないと暑くてたまらず、汗がじわじわとでてくる。ここに林道の通行止めの案内がでていたが、その地図は雨に濡れているのと、強烈な太陽光があたっているので見づらくて、行ってダメなら引き返せばよいだけだと思い、この地図を見ることは諦めてしまった。

 魚屋橋の先はすぐにダートになるものと思っていたが舗装路がつづく。落石がころがり、木の枝が散らばった手入れのよくない舗装林道だが、ジャリ道ではないから楽々とすすむ。9キロほど舗装路でその先がダートとなった。ジャリ道になっても林道はフラットで走りやすい。なんだこんなに楽な道なのか大したことないな、と思っていると路面は一変する。急坂となり、手の平よりも大きな石がゴロゴロする道となった。ガレてもきたので一気にスピード・ダウンしてゆっくりとすすんでいく。荒れた林道でも楽しめる速度で、ゆっくり、ゆっくりといく。しかし坂がキツイ。深いコーナーも多くギヤもローまで落ちるが、荷物を満載していても、ゆっくり走れば問題なしだ。ジャリも一部に入っているが深ジャリではないことが救いだった。剣山林道は北海道のパンケニコロベツ林道やペンケニコロベツ林道よりもはるかに険しい。首都圏では埼玉県秩父の中津川林道よりも数段荒れていた。

 

 剣山林道 フラットなところでパチリ

 

 旭松峠には10時20分についた。ここは北へいく南山林道との分岐なのだが、XL250のライダーがいて地図をひろげていた。XL氏と会釈をかわして彼の前を通過しようとすると、彼が大声をだしたのでバイクをとめた。どうしたのかと思ったら、私と彼は同ナンバーなのだ。四国のこんな山奥で地元の人とあうのは奇遇だが、人口が多いから全国どこにでかけても必ずいるナンバーでもある。ところでXL氏は空荷だった。どうしてなのかとたずねると長期出張中とのことだった。

 XL氏と別れてすすんでいくと、前方からホンダSL230がものすごいスピードでやってきた。SLも空荷だったが、疾走するSLに触発されて私もペースをあげる。ガレや石にも慣れてきていたが、道もフラットになっていた。

 10時40分に車が7・8台とまっている場所にでた。軽も1台駐車しているが、ここは雲早山(くもそうやま)登山口で、すぐ先で舗装路にでるから、車はこちらから来たのだろう。この舗装路にでたところを南にいかねばならないのを間違えて、北の『岳人の森』方向にいってしまい、小さな滝の前で写真をとって引き返す。剣山林道のつづきの区間に入ろうとすると、その入口でゲートが閉まり、通行止めとなっていた。

 

 ゲートが閉められた通行止め地点

 

 ゲートが封鎖されていたのはフォガスの森まで7キロ地点で、スーパー林道はこの先2ヶ所で土砂崩れのため通行止めとなっていると表示されている。その案内を見てみると、剣山林道の最終部分、山の家から高の瀬峡までの20キロは走れるようなので、ここから舗装路を下って林道の通行止め区間の先にむかい、走れる部分だけ林道を走行することにした。

 

 通行止め案内 林道の南の道をいく

 

 国道193号線を南に下っていく。横を流れる釜ヶ谷川がすばらしい渓相で眼をうばわれて走るが、その先では河川工事をやっていて、美しかった渓谷はくずれ、石ころだらけになっている。台風がやってきて大水がでたら、この石が下流に押し出されて、淵や滝を埋めてしまうだろう。そうなればこの川は何十年も死んでしまうだろうと考えていると、大釜の滝という大きな滝にでたので、滝の将来が悲観されて辛い気持ちになった。大釜の滝は落差が20メートルもある見事な滝で、水量も豊富で格も高い。滝壺も深いから、ここに大蛇が住むという伝説があったのもうなずける。日本の滝100選にもえらばれているそうだから、私の予想がはずれてくれればよいのだが。

 

 大釜の滝

 

 大釜の滝の先には大轟の滝があると案内がでていたが、ここには立ち寄らずに県道295号線に入って西にむかう。この県道は深い森の中をいく細い舗装林道で、途中に温泉が1件あるだけでほかには何もない。山また山の世界で、四国は山の国だとあらためて思うが、観光地として人気のある大歩危、小歩危や祖谷渓よりも、剣山林道やこの付近のほうがはるかに山深く、好ましいと私は思う。これぞ秘境だと思うが、こんな山奥にも川成という集落があって、人が住んでいるから驚いてしまう。ここから町にでようとするとどこにむかうのだろうか、どのくらいの時間がかかるのだろうかと考えてしまった。

 川成の先から北の山の中を走る剣山林道にのぼっていくと、落石と木の枝の散らばる舗装林道となり、ひとりでは心細くなるほどの深山となるが、こんなところにも畑をたがやしている老夫婦がいてびっくりしてしまう。山の中で突然小さな畑があらわれるのだが、家はないから軽トラで通ってきているようだ。75くらいと見えるおふたりは、軽トラの荷台に仲良くならんで腰かけて、昼食のおにぎりを食べていた。川成から来たのだろうか。そのおふたりを見て勝手に想像してしまった。おふたりはずっとこの地で暮らしてきたのだろう。山のなかで力をあわせて、昔のように男は力仕事、女は家事と、男女の役割分担がなされた生活をしてきたのだろう。ほとんど自給自活のような暮らしなのではなかろうか。こんな人を私は個人的には知らないが、地方にはたくさんおられるのだろう。そんなことを考えてしまったが、これは都市生活者の思い上がりだろうか。

 

 スーパー林道に出た 左下からやって来た

  

 12時5分にスーパー林道にでた。山の家まで4.2キロ、フォガスの森まで34.9キロの地点で、山の家にむかう左方向だけでなく、通行止めの右方向にも行けるようになっていて、右にすすんでみようかと考えていると、MTBのふたりのサイクリストが右からやってきた。そのサイクリストに、「右に行けますか?」とたずねると、ふたりはわざわざ止まってくれて状況を教えてくれた。それによると崩落して通行止めになっている2ヶ所のうち、1ヵ所はバイクで通れるが、もう1ヵ所は重機で道をふさいでいてわずかな余地しかないから、通行するのは難しいだろうとのことだった。そこは自転車を押してなんとか通れるほどなので、モトクロス用の軽いバイクならともかく、DRは大きくてゴツイし、荷物を積んでいるから、ダメなんじゃないの、とのこと。それを聞いて危険をおかすまでもないから右に行くのはやめたが、一方のサイクリストがDRのタイヤを見て、いずれにしてもこのタイヤじゃ無理だよ、と言う。タイヤはミシュラン・シラックというオンロード寄りのものだ。するともうひとりが、ゆっくりなら大丈夫だよ、と反論する。以前に大雨のため、たった今私が走ってきた県道295号線が通行止めになったときに、フルカウルのバイクが林道を走っているのを見たことがあるから、と。そうなのだ。ダートはオン寄りのタイヤでも、オンロード・バイクでも、ゆっくり走ればなんとかなるし、なんということもないのである。

 ところでおふたりは、女の子のMTBは見なかったか、と聞く。いや見なかったが、と答えると、いっしょに来た女の子が30分先に出て、すぐに追いつくものと思ったのにそうならないのだそうだ。おふたりは私と同じくらいの40代なかばで、女性は若いとのことだから、追いつかないのだろう。しかしサイクリストも高齢化している。彼らはまた走りだしたので礼を述べて見送った。

 MTBのふたりが去ってから地図を見て走りだす。山の家までは登りなので、ふたりはあまりすすんでいないから、すぐに追いついて手をあげて先へいく。ミラーに映った彼らも手を振っていたが、バイクとのスピード差に苦笑いを浮かべているのがわかる。だからと言って、バイクのほうがよいと思ってはいないことは、わかっていた。

 林道はフラットで走りやすく、すぐに山の家についた。ここは広い駐車場があり、うどんの看板がでていて空腹を感じるが、もっと美味しいものが食べたいから止まらない。サイクリストたちが言っていた女の子のMTBは見あたらず、小さな男の子がいて手を振るので、それにこたえて通過した。

 

 地盤の弱い林道部分

 

 山の家のすぐ先の剣山トンネルをぬけると下りとなる。これから15キロほど下りがつづくが、かなりの急坂があるし、ガレてもいて、剣山林道のなかでも荒れた区間だ。ガードレールのないジャリ道で山深い地をすすむ。山また山の土地で何もなく、正に秘境、大自然のただなかだ。崖崩れをおこしている軟弱な山肌の下を通ったり、土砂崩れでガードレールが何百メートルも下の谷底まで流されている横を走りぬけたりする。土砂崩れをおこした山肌の、荒々しい泥の茶色の中に、ガードレールのひしゃげた白がのたうっているのは、自然の力を見せつけられる光景で、言葉をなくす。崖崩れをおこしているところや足場の悪いガレ場では、とまって写真をとる気になれず、通過してしまった。したがって画像が残っているのは足場のよいところばかりとなっている。しかしこれほど大規模に崩壊している、もろい地盤の林道もはじめてだった。

 山の家をでてから車にもバイクにも、誰とも会わずにひとりで走りつづけていると、唐突に舗装路にでた。スーパー林道は終わったのだ。通行止めのためにフォガスの森の前後の41.9キロを走行することができず、全長88キロのうちの46キロを走っていないが、それでもこれだけ走行すれば林道はもうお腹いっぱいで、食傷気味だった。全線を走破するのは次の機会にとっておくことにするが、88キロを走りきるのにどのくらいの時間がかかるのだろうか。いずれにしても四国最大の目的地を通過して、長い林道走行で気を張っていたこともあり、脱力してしまった。

 舗装路に入るとすぐに人がいる。こんなものなのだろうが、いたのは本格的な捕虫網を手にした50くらいの男性とその妻で、虫取りの世界も高齢化しているようだ。潰れたホテルが陰気にたつ高瀬峡をぬけて、国道195号線にでたのは13時15分だった。9時35分に魚屋橋をでたから、3時間40分かけてここにたどりついたことになる。通行止めの区間を迂回してこの時間だから、林道をすべて走破したら4時間をこえるだろう。

 国道195号線を東にいく予定なのだが、すぐ西にある四ッ足峠トンネルを通ってみたくて寄り道をしていくことにする。四ッ足という名前には由来があるのだろうが、刺激的で、危険な名に惹かれたのだ。大江健三郎の作品にも通過点として登場するから、名前だけは以前から知っていて、どんなところだろうかと想像力をかきたてられてもいた。

 ところでこのツーリングで大江健三郎の生家のある、何度も小説の舞台となった山奥の村をを訪ねようと考えたときに、未読の長編小説『燃え上がる緑の木』を読んでおくことにした。この小説は、魂のことがしたい、と考えた主人公の青年が、新興宗教をおこしていくようすをえがいたものだが、主人公が死を目前にした少年に説法をする場面がある。若くして死なねばならない我が身の不幸を訴える少年に、短い人生も80年の生涯もあまりかわらない、と説くのだが、1年も一瞬も変わりがないと話す言葉のなかに、一瞬よりも少しだけ長いあいだ、という言葉がでてくる。美しい木をながめているような、一瞬よりも少しだけ長いあいだ、そのような大事な充実した時間は、人生と変わらない価値があるから、人の生きた長さに差はないのだと説法するのだが、私も一瞬よりも少しだけ長いあいだ、美しいもの、すばらしい経験、印象的な風景を心にとめたいと思っていた。 

 

 四ッ足峠トンネル出口 高知県側

 

 雨が降ったばかりのようで、しっとりと濡れた山道をいくと、すぐに四ッ足峠トンネルについた。入口は思ったよりも小さくて、中は暗い。トンネル内に入ってみると靄がかかっていて照明も弱く、車もまったく通っていないために神秘的で、ひとりですすんでいくのが怖いほどだ。トンネルの中央で徳島県から高知県に入り、薄暗くて先のよく見えないトンネルをいくと、不気味で、どこか別の世界にまぎれこんで、戻れなくなってしまうような気がしてくる。その気持ちを押し殺してすすみ、出口にいたった。

 高知県側にでてしまえは明るくて、あけらかんとした山の中である。神秘性は夏の日差しの下で色をなくしてしまった。これから室戸岬にいくつもりなので、トンネルを引き返して、徳島県側から室戸岬にまわりこむ予定だが、それをやめてこのまま高知にすすめば効率的なのである。そうすればこの後で苦労しなくても済んだのである。しかし室戸岬にはどうしても行きたかったので、トンネルが気味が悪いことと非効率なのをこらえて、来た道をもどることにした。

 トンネルの照明のない暗い区間はやはり薄気味が悪い。何もないと思うのだが、ついミラーを見てしまい、何もうつっていないことを確認したりした。その後は対向車がきたので不気味さが半減したトンネルをぬけていく。四ッ足峠トンネルは想像していたような情緒的なところではなかったが、神秘的な印象の土地だった。

 国道195号線を東へいく。舗装路だがここも山また山の地である。県道296号線から国道193号線とつないで霧越峠をこえていくが、国道なので広い道かと思ったらとんでもない。舗装林道のような狭くてカーブの連続する道路で、ガードレールはないし、道の真ん中にはコケがはえているような酷道だ。雨上がりで路面は濡れているから、コケにのると滑りそうなので神経をつかった。

 

 酷道193号線

 

 すぐに海にでられると思っていたのもまったくの間違いだった。深い山のなかを細い道で延々と、グネグネグネグネとカーブしつづけるので、直線距離の何倍もの距離になるし、ペースもあがらないから思うようにすすめない。また昼をすぎて空腹だったので店があれば食事をしたいと思ったいたのだが、まったくなかった。あまりにも何もないから、店はしばらくないものと判断し、川原があれば蕎麦でも茹でようかと思ったほどだ。そんな折にちょうどおあつらいむきの川原が1ヵ所あったのだが、ドライブの人がいたので、後ろ髪を引かれる思いで通過した。

 狭いカーブのつづく濡れた山道を、グルグルグルグルと延々とコーナリングをしていると、嫌になってくる。いつまでも、いつまでも、同じような森のなかのカーブを曲がりつづけていると、迷路からぬけだせずにもがいているような気分になったきた。頭上をおおう木から雨の滴がポツポツと落ちつづけ、道の中央にコケのはえた、どこまでいっても景色の変わらない道をうんざりしながら走っていった。

 小川口にでるとやっと深い山からぬけだして、風景がひらけてきた。道路も2車線になり、頭上の木々もなくなって、路面も乾いている。やがて山は背後にしりぞいて、左右は平野がひろがりだす。道路も直線的になったので速度を80キロに上げるが、四国は距離の稼げないところだと思う。山のなかは国道と言えども狭い舗装林道のような酷道だからペースがあがらず、わずかな距離をいくのに信じられないくらいの時間がかかるのである。山はそれだけ深く、開発されていなくて、人がいないことが魅力だが、思うように移動できないと日程がこなせないから、不満と裏腹なのだ。

 海岸線にぶつかって国道55号線に入って南下しだしたのは15時5分だった。これまで人も車もほとんどいなかったのに、国道55号線に入ったとたんに車はたくさん走っているし、バイクも多く、お遍路さんも歩いている。そして海岸線は日差しが強く暑いのだった。山のなかとあまりに違うから、なんだか別の国にやってきたような、夢を見ているような、妙な感覚になってしまった。

 道の駅『宍喰温泉』があったので昼食のために飛び込んだ。レストランに入ってお薦めとなっている海鮮丼のセットメニュー、竜宮丼1500円を注文する。席で料理がくるのを待っていると、隣のテーブルの年配の夫婦の夫が、大阪の泉州あたりでは、と妻に話している。それを聞いてここは東京文化圏ではなく、大阪をむいて暮らしている土地なのだなと実感された。泉州とは関東では誰も口にしない言葉だが、四国や関西ではまだ使われているようだ。しかし徳島の言葉の響きはやさしいなとまた感じられた。ーー(泉州は大阪の南部、和歌山との県境付近の土地のことだそうです。泉州銀行という上場企業もあるので関西ではよく使われるようです)

 

 竜宮丼

 

 料理が運ばれてきた。海鮮丼に蕎麦のついたセットでいずれも美味しい。旅にでてはじめて旅行中らしい食事をとったが、時間はもう15時49分で、さすがにまいってしまった。山のなかに店がなかったのは誤算だったが、これからはもっと見きわめをよくして、うまく対処しようと思う。

 昼食をとっていると25くらいの白人のお遍路さんが店に入ってきた。彼は185センチはある偉丈夫だったが、白装束に金剛杖という伝統的なスタイルだ。彼はカツカレーをオーダーしたが、お店の人は慣れているのかごく当り前の対応をしていて、私ばかりが彼をジロジロと見てしまった。

 室戸岬に急ぐ。80キロで飛ばしていく。宍喰温泉から室戸岬まで50キロあったが16時40分についた。室戸岬はここが岬だという明確な場所のないところだ。中岡慎太郎の像がある付近が岬だが、看板もないし大型の駐車場もなくて、景色もすばらしいわけでもなく、それらしいところで写真をとってまた走りだした。

 

 室戸岬 

 

 室戸岬灯台があるとのことだが、海岸から5分かかるとのことで立ち寄らずに高知にむかう。そろそろキャンプ場を決めなければならない時間となったが、泊まってみたいキャンプ場があった。それは高知のずっと南、中土佐町から内陸に入った、大野見村にある天満宮キャンプ場である。四万十川の川原がそのままサイトになっている、と地図にコメントされているし、あるバイク誌に紹介されていたのを見たのである。しかしここは遠いから、高知のすぐ西にある、加田キャンプ場も料金100円と低コストが魅力なので候補地だった。また高知の手前の安芸市の山のなかに、ログハウス羽屋大釜荘という施設があり、テントは無料との情報をつかんでいたが、安芸市は近すぎるから、貧乏性の私としては加田か天満宮にいきたいと考えていた。

 海岸線の国道55号線を飛ばしていき安芸市をぬけた。四国は夕刻になると外で夕涼みをしている人がいる。それはもう長いこと見なくなって忘れていた光景だ。海岸の堤防の上で老人ふたりと犬が海を見ていたり、またひとりでビールを飲んでいる人がいたりする。1日の終わりの習慣なのだろう。スローライフという言葉が浮かぶ暮らしだった。

 南国市には四国自動車博物館があって、見学していきたいと思っていたが、閉館時間の17時までもういくらも時間が残っていないから諦めた。その南国市で今夜の宿泊地を決めようと、バイクをとめて地図をひろげる。高知は20年前に訪ねていて、日本3大ガッカリのひとつと言われる『はりまや橋』や桂浜も見ているから、寄るつもりはない。時間を考えれば高知の先にある、加田キャンプ場にいくのが妥当なのだろうが、私の気持ちは天満宮キャンプ場に傾いている。昨日のキャンプ場は結果的にはよいところだったのだが、第一印象が殺伐としていて落ち着かなかったから、今夜は雑誌に紹介されて人気のある、キャンパーも集まっているキャンプ場らしいところに泊まりたいと思うのだ。昨夜は野営地に選択の余地がなかったが今夜は選べる。だから多少無理をしても、行きたいところにむかうべきで、今日は遠くても天満宮キャンプ場に行く、チャレンジの日なのだと結論をだしてしまった。

 天満宮キャンプ場まではまだかなりの距離があるが、地図をみると高知自動車道が須崎まで通っているからなんとかなると思う。高速は夕方のETC通勤割引がきく時間だから、100キロまで半額になる。私の地図は古いから、淡路SAでもらってきた四国の最新の高速道路の開通状況がわかる地図をひろげて、南国ー須崎東間が走れることを確認し、財布にしまっておいたETCカードを、シャキーン!、と仮面ライダーのように取り出して、ETCにセットした。

 南国ICの直前で給油をする。22.44K/L。ガスは179円とバカみたいに高くて2546円。高知はガスの高い土地だ。時刻は18時25分で、すぐに高知自動車道に入り、高知、土佐と通過していく。時速100キロで走行する。高知自動車道はほとんど対面通行の片側1車線の高速道路で、後続の車に追いつかれると圧迫感をおぼえて嫌なのだが、100キロで走っていれば追い上げてくる車はいなくて、ずっと1台で走っていられた。しかも先へ行けばいくほど交通量は減っていく。マイペースで快適に走っていると日は暮れた。

 須崎東ICで高速は尽きていて、一般道におりると料金は半額の500円だった。すぐに須崎の町に入っていくが、ここは鍋焼きラーメンが名物の地で、橋本食堂という有名店があるからそこで試したいと思っていた。しかし残念ながら当日は定休日だった。町には鍋焼きラーメンの看板をだしていてる店もあるが、無名の店よりも『たけざき』というおにぎりと玉子焼きが美味しいと評判の店もあるので、道の駅すさきの前にある店舗にいってみると、こちらは営業していたのでさっそく店内に入った。

 時刻はもう19時をすぎていた。ここでおにぎりを2個と玉子焼きで280円(安い!)のパックと1リットルの水を求めると、水は特別な品で250円もすると言う。高いなと思ったが、水はこれしかないので買うことにしたが、顔色を読んだのだろう、おにぎりを1個サービスしてくれた。

 この先で県道41号線に入って内陸にむかうので、たけざきの駐車場で地図を十二分に確認した。日が落ちてしまったから、この先で地図を見ようとすると明るいところに止まるか、もしくはDRのライトに照らさないとならないからやっかいなのだ。だから地図を頭の叩き込んでおいた。

 国道56号線を南下していく。9.5キロすすんで久礼駅入口から県道41号線に入ったのは19時30分くらいだろうか。この道も舗装林道のような細い山道で、とても県道とは思えない道路だったが、四国の道は主要国道以外は、国道も県道も等しく舗装林道のようなものなのだ。

 誰もいない、交通量も皆無に近い真暗な県道で林と草地をぬけて山に入っていく。この先の夏枯峠ーーなんという嫌な名前だろうかーーを越えて12キロいったところに四万十川(渡川)が流れていて、そこにキャンプ場はあるのだが、このころにはチャレンジなどするんじゃなかったと、すっかり後悔していた。20時近くになったというのにまだ真暗な山道を走っていて、これからキャンプ場をさがしてテントをたてたら、いったい何時になるのかと思う。欲張って遠くのキャンプ場に行こうとせずに、楽な日程にすべきだったと今更ながら考える夜のたどりだった。

 山のなか、闇のなかを1台きりですすんでいく。林が切れた空地にススキが群生していて、その上に月がでているのが見えた。一昨日の出発の夜の月は三日月だったが、今夜の月は半月に近い。その月を右眼の端で一瞬だけとらえて、またすぐに漆黒の山道のカーブの先をにらみつける。半月と三日月のふたつの月の残像を心でまさぐって、できるだけ急いでいくが、ひとりで闇のなかの森をヘッドライトで切り裂いていくのは不気味で恐ろしかった。

 野ウサギが2匹いた。猫も1匹いる。猫は人里からかなり離れた山の中にいたから、どうやって暮らしているのだろうかと考えてしまった。夏枯峠を下っていくと人家があらわれた。県道はその軒先をかすめるようにしてすすんでいく。やがて町の中心らしい広い道にでて、遠くに街灯と店の明かりが見え、近づいてみるとデイリーヤマザキだった。ここでキャンプ場への道をたずねるのがいちばん早いだろうと思い、袋ラーメン1つを105円で買い(高い)、道順を教えてもらったのは19時56分だった。

 キャンプ場はすぐそことのことなのに、その方向に行ってみてもわからない。バイクをとめて周囲をさがすと看板をみつけた。その看板がしめす先を見るが真暗で何も見えず、それでもそちらに行ってみると、明かりのひとつもない、無人のキャンプ場がひろがっていた。

 雑誌に紹介されていたキャンプ場だから、にぎわっているものと思い込んでいたので、嘘だろう、と呟いてしまった。誰も泊まっていない、照明もないキャンプ場に、これからひとりで野営するのは気が重い。それでもここに来てしまって、この時間になって別のキャンプ場にいく選択肢はないから、ここに幕営するほかない。覚悟を決めてここでキャンプすることにして、入口にある管理棟の前を通って奥のサイトにいくことにした。

 行く手は真暗で明かりは我がDRのヘッドライトだけである。管理棟の横には草地のサイトがあるようだが、バイクで近づけないから照明がとどかずようすがわからない。バイクを横付けできるサイトで、ヘッドライトの光の中にテントをたてたいから、そんな場所をもとめてキャンプ場の奥にすすむ。道はダートですぐに道路をおおう大きな水溜りがあらわれた。水溜りは通過できるが、その先は下っているので、道がぬかるんでいると厄介だ。真暗な中でスタックしたり、転倒したりしたくはない。数瞬考えたが、奥にいくことはやめて、管理棟の横の草地にテントを設営することにした。

 

 天満宮キャンプ場 明るくなった翌日の写真 管理棟に東屋 その先にテント

 

 管理棟の下には炊事場があるようだ。バイクのヘッドライトが届かないので、ヘッドランプを持って草地のサイトともどもようすを見にいくことにする。バイクのエンジンはかけたまま、ライトもつけたままにして管理棟にいく。何度も書くが真暗な中にひとりである。管理棟に隣接して、ベンチが置いてある東屋のような建物があり、そのベンチのあいだを歩いていると、突然床から人が起き上がったから、魂消てしまった。

 床で人が寝ていたのだ。私も飛び上がるほど驚いたが、彼も寝込みを起こされてびっくりしていた。彼は若いサイクリストだった。彼が夕方ここに着いたときには、ファミリーが2組デイ・キャンプをしていたそうだが、その人たちは18時くらいに帰ってしまい、それからひとりでいたそうだ。ベンチのある東屋は明かりがつくそうで、暗くなってからつけてみると、虫がものすごい勢いで集まってくるから、電気を消してふて寝をしていたとのこと。私はここをバイク誌で見てやってきたのだが、彼はTMを利用していて、そこにはロケーションのよいキャンプ場と紹介されているそうだ。

 彼は虫が集まってくるのを承知の上で、明かりをつけましょうか、と言ってくれたのだが、寝ているところを起こしてしまって申し訳ないから遠慮した。草地のサイトをヘッドランプで下見をした後で、DRのライトがそこを照らすようにしてテントをたてた。ひとりでないということは何より心強い。テントもいつものように5分もかからずに張り、マットとシュラフをひろげて荷物を運び込めば落ち着いた。

 

 たけざきのおにぎりと玉子焼き

 

 テントに入ってたけざきのおにぎりを食べてみるとじつに美味しい。玉子焼きも出汁がきいていてやさしい味だ。評判になるのがうなずける一品で、また須崎を訪ねることがあったらかならず買い求めると思う。おにぎりと玉子焼きを口にはこびつつ、焼酎の水割りを飲み、メモをつけていく。ヘッドランプの光の中で老眼鏡をかけて文字を書いていくが、今日も書きとめることが多い。メモをつけ終えたのは21時55分で、その後でシャワーを浴びにいく。シャワーはトイレに併設されていて24時間利用することができる。100円で2分間温水がでるのだ。

 日の暮れた山道を走っていたときには、今夜はどうなることかと思ったが、快適に酒を飲んで、いつものような野営の夜を過ごすことができた。チャレンジしたことを後悔したり、無人のキャンプ場を見てショックを受けたりしたが、このハラハラドキドキが予定のない放浪の醍醐味だろうか。しかし毎年のように出かけていた北海道のように土地勘と距離感がないし、キャンプ場情報の蓄積がないから、チャレンジしすぎるのは考えものだと思う。

 テントに入って飲み直すがヘッドランプの電球が切れてしまった。それでスクリーンにしたテントの側面を閉じることができず、朝方寒い思いをすることになった。

                                                           425.3キロ