異端の画家 高島野十郎

 

 日経新聞2008年8月12日より

 

 8月12日、日経新聞を読んでいると、前から気になっていた『高島野十郎』が紹介されていた。10年くらい前だと思うが、NHKの日曜美術館で紹介されているのを偶然見て野十郎を知ったのだ。衝撃的な作風で、生き方もまた半端ではなく、いつか作品を見てみたいと思い、現在にいたっていた。

 NHKの番組は反響が大きくて、再放送されていたほどだったから、衝撃を受けたのは私だけではなかったと思う。その作風は微細な描写を、写真よりも細かく、執拗に書き込んだもので、作者の情熱を注ぎ込んだかのような迫真的な、生真面目な、それ故に息詰まるようで、作者の不器用な生き方が想像されて辛くもなるようなものだった。

 寺の風景画や、日経の記事にあるろうそくの作品が印象的だったが、高島野十郎は画壇と交わることなく、ただひとりで絵をかき、それを売ることもせず、無名のまま死んだ。生涯独身で、粗末な家に住んだそうだ。番組で紹介された若き日の野十郎の言葉がわすれられない。
「私は科学と芸術にしか、興味はない」

 野十郎は晩年、千葉県柏市に住んだそうだ。そこが終焉の地だが、無名ゆえに柏でもいまだに話題にならないと地元の人に聞いた。作品は故郷の福岡県立美術館に集められているのを昔から知っていた。知ってはいたが九州はあまりに遠く、これまで訪ねる機会がなかったのだが、今年は四国・九州ツーリングに出る予定で、なによりもまず、野十郎の作品を見にいくことを決めたのだ。

 日経のこの記事のタイトルは『異端画家の衝撃力』。野十郎の衝撃力を目の当たりにするのが楽しみだ。

 

灯台下暗し

 

 

 上記のNHKの日曜美術館は15年くらい前のことかもしれない。時間が流れ、その間に野十郎の画集が出ていることを福岡県立美術館のHPで知った。これは是非手に入れたい。しかしツーリング中に福岡県立美術館で購入して、バイクで持ち帰るのは荷物になるから嫌なので、取り寄せてもらおうかと考えていたところ、もしかしてと思いたって、池袋のジュンク堂書店に行ってみた。ここはビル1棟が書店という大型店なのだが、9階の美術コーナーに行ってみると、野十郎の画集があるではないか。それも7冊も。やはりそれなりに人気があるから7冊も在庫があるのだろう。さっそく買い求めたがーー4800円+税ーー、解説・年譜を書いている人物の著した評伝2800円の在庫はなかった。

 

 

 

 年譜を読んでみると誤解のあったことがわかる。野十郎は戦前から個展を開き、作品を販売していた。40を過ぎてからパリに渡り数年間滞在してもいる。銀座や九州で個展を開いて、批評に取り上げられたりもしているから、まったく無名というわけではなく、専門家の中では知られた存在だったのだと思われる。そしてさまざまな土地に取材旅行に出かけ、絵画展はもちろん能や歌舞伎、舞踏や映画もよく鑑賞した。真言密教の哲学に精通して、その世界観を作品に投影したのだ。

 画集にある、闇を描いたという、月、はすばらしい作品で、批評家にアナクロ二ズム(時代錯誤)と言われながらも評価されたそうだ。アナクロニズムというのは、近いがちがうように思える。真言密教の観法のひとつに『月輪観ーがちりんかん』というものがあるそうで、それを念頭にこの絵を描いたと思われるが、深い精神性と、孤独と、達観と、陽性と陰性、なにより作者が投影されていて、そのまなざしを感じさせるのである。だからアナクロニズムではないと思うのだが、だから何だという適切な言葉は浮かばないが、作品にはただアナクロニズムの一言でおさまりきらない、普遍性があると思う。

 野十郎は自身のために、自分が描きたいものを制作したのだと思う。画家は誰でもそうだと思うが、どこかで鑑賞者の眼やその時々の流行、大衆の好みに配慮するのではなかろうか。野十郎はそういう点がまったくないから、また絵画的なものよりも哲学的に側面が強かった故に、理解されずに無名のまま亡くなったのだろうし、アナクロリズムなどと言われたりしたのだと思う。

 残された作品を見てみると、どれもじっさいに眼にしたいと思うし、私にとって大事な作品になりそうで、すでにそうなっているのを感じる。

 

 2008.8.26

 

日曜美術館再び

 

  8月31日、NHKの日曜美術館で野十郎が取り上げられていた。今年は野十郎の見直される年なのだろうか。日経といい、NHKといい、重なると野十郎の時代がやってきたのだろうかと思える。NHKの番組では生い立ちと、生き方と、作品の紹介がなされていたが、印象的なのはひとつの作品を何十年にもわたって手をくわえていることで、自身で直しようがなくなるまで、完成するまで、手元に置いておいたという事である。その作品にかけた時間があまりにも長く、かけた時が堆積して、無言の圧力を鑑賞者に与えるのだとおもう。重苦しいまでの圧力を。しかしこの番組でまたファンが増えるのではなかろうか。

  

                                                         2008.9.2

 

 福岡県立美術館

 

 福岡県立美術館

 

 9月13日(土)に福岡県立美術館を訪ねた。しかし当日は県展が開催されており、常設展示されている野十郎の作品のほとんどは公開されておらず、三点のみしか展示されていなかった。ガラス張りの展示コーナーに並んでいたのは、蝋燭、さくらんぼ、絡子をかけたる自画像、である。本来は県展の開催中は常設コーナーはなくなるものらしい。しかし野十郎の絵が見たいという希望が多いために三点だけ公開し、しかも野十郎作品だけを見るのならば無料であった。

 それぞれは思ったよりも小さな作品であった。蝋燭、はテレビで見ていたので大きさはわかっていたのだが、さくらんぼ、も、自画像、も小品である。ガラス越しに作品を見るのでタッチはわからない。しかし筆のあとなどはまったく見えないものであった。作品の前にはソファが置かれていて、そこに座って作品と対面できるようになっている。しばしそこに座って作品を見つめたが、希望者には福岡県立美術館のまとめた小冊子がもらえるとある。

 

 旅する野十郎

 

 それが『旅する野十郎』という冊子で、野十郎の生涯と作品と、同時代の福岡の作家を紹介したものである。念願の作品と対面して感無量だが、三作品しか見られなかったのはまことに残念であり、また再訪して、是非ほかの作品も眼にしたいと思うのだった。

                                              2008.9.29

 

 福岡県立美術館訪問記はこちらをどうぞ。

 

 過激な隠遁 高島野十郎評伝

 知人が久留米出身と知り、野十郎について聞いてみた。知人は聞いたことがないと言うし、野十郎の生家である高島酒造も知らないとのこと。福岡県立美術館も小学生のときに遠足で行ったきりで、それきり何十年も訪ねていないとのことだった。

 高島野十郎画集で、高島野十郎と親しく交流し、野十郎の生涯と作品について書いていた著者の作品を入手して読んだ。川崎浹の『過激な隠遁 高島野十郎評伝』である。またしても灯台下暗しなのだが、上にも記してある池袋のジュンク堂書店に在庫があったのだ。画集のコーナーではなく、美術館の案内やエッセイなどが並ぶ一画にあったのだが、またしても7冊の在庫があるから、人気があるのだとわかった。価格は2400円+税。画集の野十郎の評伝をより詳しく書いたものと、野十郎が柏市のアトリエを追われる顚末を自身で書いた小説、そして画家が京都から知人に送った私信などが含まれていて、非常に興味深い。ここまで眼を通しているあなたなら、読むべき価値はある。                                                          

 

 2009年 福岡県立美術館 コレクション展 高島野十郎ー至福のであい

 

 福岡県立美術館

 

 2009年10月6日から12月6日まで、高島野十郎の特別展が福岡県立美術館で開かれると聞いた。福岡は遠いがこれは是非とも行って、じっさいの絵を見てみたい。そこで11月の3連休にでかけてみた。

 11月21日の土曜日に福岡県立美術館に入館した。高島野十郎の特別展が開かれていたのは4階で、料金は210円である。50点の作品が展示されているとのことで、このときが来るのを長い間待っていたから、期待に震えながら会場に入った。

 始めにあったのは、傷を負った自画像、だったと思う。この初期の作品から、最後の絶筆となった睡蓮の絵まで、制作年にしたがって展示されていた。

 50点の作品の並ぶ会場をじっくりとまわる。一点一点を見つめながら歩いていく。一巡すると二巡目に入り、三巡する。その後は数点の気に入った絵を何度も集中して見た。それは、御苑の春、さくら、越ヶ谷、春の海、すいれんの池、であった。

 作品には光と影がある。咲き誇るひまわりの後ろにあるのは廃屋で、満開のコスモスの背後には枯れたひまわりが立つ。桜の咲く境内に老婆が孫がいるが、片隅には不自然な大きさの喪服の女性がいる。このように寓話的であるのは、ひとつ間違うと誠にわざとらしい、俗っぽい作品になってしまうものだが、高島野十郎の絵ではそうならず、効果的なものとなっていた。しかしそのことが作品に哲学的、宗教的な物語性を帯びさせることになり、純粋な美術作品とは違った、別の次元を目指した、風変わりな作品となっている原因だと思う。

 哲学的、宗教的な視点を持って、ひたむきに描かれた作品たちは、鑑賞者を無口にし、作者の作品世界に引き込んでしまう。渓流の流れや雨の五重塔、からすうり、菜の花の絵、などが展示されていなかったことが残念だが、それらが見られるときもやがてやってくるだろう。