9月13日(土) 旅する野十郎

 

 東屋でキャンプ 女性や警備員がいたのは東屋の奥

 

 6時に起床した。もっと早く起きるつもりだったのだが、飲みすぎてしまい目覚めるのが遅れたのだ。4時にトイレに起きたときにはまだかなり酔っていたから、6時の段階でもまだ寝ていようと思っていた。しかし6時にサイレンが鳴ったのだ。それに起こされたのだが、早朝のサイレンは都市部では考えられないことだ。しかも今日は土曜日だから休日の人もいると思われ、苦情は来ないのだろうかと思う。ところでサイレンは昨夜の22時にも鳴ったから、ここでは寝る時間と起きる時刻を行政が指示してくるのだ。誠に片腹痛いと思うが、好意的に考えれば、昔の山寺の鐘のような感覚なのだろうか。いずれにしても九州にはこういう古いところがある。

 

 霊台橋

 

 

 ラーメンの朝食をすませて7時13分に出発した。まず石のアーチ橋の霊台橋を見学する。単一アーチ橋としては全長が日本一とTMにある。豊後大野の轟橋はアーチふたつの石橋で、ひとつのアーチ径が日本一だったから、石橋にはいろいろな日本一があるものだ。先にすすみエブリワンでゴミを捨て、袋ラーメンを買おうと思うが、地元の品はないのかと見てみると五木うどんがあったので、これを66円で購入した。

 熊本にある宮本武蔵が『五輪の書』(ご興味のある方は読書日記をどうぞ)を著した霊巌洞(れいがんどう)にむかう。松橋ー熊本間は近いので高速を使うまでもないし、朝のETC割引は熊本から北上していくときに利用したいから、国道218号線から国道443号線とつないでいく。九州自動車道の御船ICからは国道445号線で熊本市街に機首をむけた。朝のETC割引は9時までなので早く行きたいと思うのだが、熊本まで意外に時間がかかるし、熊本市街で道に迷ってしまい、時間はどんどん過ぎてしまった。

 熊本駅のすぐ横の踏切をわたっていく。おりしも九州新幹線の高架の線路の建設中だったが、在来線は鹿児島本線の上下2本の線路しかなくて驚いてしまった。日頃何十本もの線路が集まる都内のターミナル駅を見慣れた眼には、いかにも貧弱に見えてしまうが、これが熊本駅を通っている線路なのだ。

  県道1号線で霊巌洞のある霊巌寺にいきたいが、南にある県道28号線に入ってしまい、南にずれた場所で島原湾にでた。なぜこんなミスをしたのかと地図を見直すと、県道1号線は上熊本駅の横を行くのが正解なのだが、地図の小さな文字が見えなくて、熊本駅の横と間違えたのである。老眼のなせる業だが、こんなことも初めてのことで、ガッカリしてしまった。

 海沿いの国道501号線を北上し、五百羅漢と霊巌洞の案内にみちびかれて山をのぼっていく。果樹畑の中をぬっていく細い山道をすすむと、武蔵の巨大な像のある駐車場についた。ところでTMには五百羅漢の紹介はあるが霊巌洞はない。武蔵の墓の武蔵塚は記載しているのだから霊巌洞も記すべきだろう。

 さて駐車場で霊巌洞はどこにあるのかと周囲を見ると、駐車場の下にあるとのこと。車上狙いが心配なのでザックをかついで坂道を歩くが、ここも暑い。100メートルもいかないうちに汗がでてきた。坂を下っていくと霊巌洞は宗教法人が管理しているので、入場料がかかると案内がでている。洞窟は自然物だし、宮本武蔵が五輪の書をあらわした場所は万人の宝で、宗教法人が私有して金をとるなどふさわしくないと思われるから、非常な違和感をおぼえた。しかしここまで来て霊巌洞を見ずに帰るわけにはいかないから、不本意ながら金を払うことにした。

 『霊巌洞訪問記』ーー本の話にリンクしています

 霊巌寺についたのは9時だった。寺の入口には駐車場があって、数台の車が置けるようになっているから、ここまでバイクで来ればよかったと思う。なにしろ坂を下っただけで汗をかいてしまっているので。こじんまりとしているが手入れの行き届いた境内をぬけていくと、霊巌洞と五百羅漢の入口があり、ここに作務衣の僧がいて200円の料金を払った。

 入口から霊巌洞まで200メートルとのこと。まず武蔵ののこした水墨画や書などの複製がならぶ。時間があれば市内にある島田美術館で本物の武蔵の書や画を見ていきたいが、今回は時間がないからそれはいつ来られるのかわからない次回の楽しみにすることにした。すすんでいくと登り下りがはじまり、まず山肌に五百羅漢があらわれる。これは武蔵よりも160年後の商人が奉納したものだそうだ。

 

 霊巌洞

 

 五百羅漢には興味はないので横目で見ただけで通過する。その先に霊巌洞はあった。岩山に大穴があいていて、そこが洞になっている。逸る気持ちをおさえて洞内に入ってみた。洞内は想像していた以上に広い。そして暗い。これでは昼でも文字を書くのに明かりが必要だろう。武蔵はここに端座して、精神を集中し、対面する山や木々をながめて、長年にわたってつきつめて考えに考えぬいた闘いの法則を、書いていったのだろう。五輪の書は闘いの書であると同時に危機管理の書でもある。負けないために、戦前にあらゆる要素を検討しつくした後に闘い、勝つべくして勝利するのである。ここはそれをしたためるのにふさわしい場所である。

 

 洞内からの景色

 

 ついに霊巌洞にやってきたなと思う。ここに来たいと長いあいだ願っていた。霊巌洞には階段でのぼるようになっている。洞内を見てまわり、一度外にでて、あらためて洞の全体の姿をながめ、ふたたび洞に入って洞内から見える外の景色を凝視した。振り返って洞の奥の暗闇も見てみるが、執筆に疲れた武蔵もきっとこうしたはずだ。机はこのあたりに置いて、外をむいて座り、蝋燭の灯をつけて筆を走らせたのだろうかと想像する。一瞬よりも少しだけ長いあいだ霊巌洞にとどまり、やがて洞からでて、少しずつ、すこしずつ後ずさりして洞から離れ、距離をとるにしたがって変わっていく洞の姿を心に刻みつつ、霊巌洞を後にした。

 霊巌洞の奥には岩戸観音も祀られているそうだが、暗くて気づかなかった。霊巌寺をでて駐車場にもどると、地元の中年夫婦がボランティアの掃除をしている。そのご主人と会釈をかわして走りだすが、暑くて汗が引かない。風にあたって体を冷やし、熊本市街にある武蔵の墓、武蔵塚にむかう。ふたたび熊本駅近くの踏切をわたり、2本だけのレールを見る。鉄道は南北に走っているだけで東西にはないのだ。採算が合わないからだろう。高速道路も新幹線も欲しいという地方の人の気持ちは、こうしてその地を踏めばわかる気がする。一般の国道だけでは九州はあまりにも広く、山は深くて移動するのに時間がかかってしまうのだ。高速道路も新幹線も採算はとれないと思うが、それでもその地の人が望むなら、都会で集めた税金をつかって作ってもよいと思う(地方が何分の一かの負担金を引き受けることは承知している。ここで言っているのはそれ以外にかかる国費のことである)。しかし赤字は地元で負担してほしい。赤字になることがわかっているものを、高速道路が既にあるのにそれは自動車専用道路だと詭弁を弄してまで作りたいと言うのだから、赤字を引き受けるのが義務だし道理のはずである。

 熊本城、水前寺公園は15年前に見ているから立ち寄らない。水前寺公園と言えば熊本出身の歌手の水前寺清子がいるが、昔はたいへんなスターだったのだろうなと思う。私もリアルタイムで『ありがとう』(大人気だったテレビドラマ)を見ていたから、水前寺清子が大スターだったことは知っているが、今よりも東京がずっと遠くて、列車で何日もかけていくような時代のスターは、現代のアイドルとはくらべものにならないほどのスターだったのだろうなと思うのだった。

 国道3号線に入って北上し武蔵塚にむかう。J2のサッカー・チームのロッソ熊本のステッカーを貼ったタクシーを1台だけ見た。雨がパラパラと落ちてくるが天気雨で、すぐにやんでくれた。熊本市街は混雑していて久しぶりに渋滞にあう。165円の看板を出しているセルフのGSがあったので、すかさず入店し給油をした。22.9K/Lで2519円。また国道3号線をいくとカブに乗った坊さんがいる。四国にもひとりいたが、昔は都内でもよく見かけたのに、ここ最近はこの光景を何年も見ていないことに気づいたりした。

 

 武蔵塚

 

 11時に武蔵塚についた。駐車場と茶屋が整備されていて大きな公園になっている。武蔵は肥後藩主にまねかれて熊本に来たそうだが、その藩主が死去して代が変わってしまったため、不遇の2年の後に亡くなったとのこと。それにしては墓が立派だから後年になって整えられたのだろうか。近くには2本の刀をかまえる武蔵の像と『獨行道』という武蔵の遺訓が展示してあった。ここにもついにやって来たのだなと思う。武蔵の墓の前に立ち、遺訓だという獨行道を読んでみる。硬い、ゆるぎのない心がある。武蔵塚のとなりはこの場にふさわしく剣道場になっていた。

 

 獨行道

                                          本の話にもどる  五輪の書にもどる

  

 熊本ICから高速にのるので、暑くて汗をかいているのだがジャケットを着た。気温は28℃と表示されている。ETCの通勤割引のきかない11時25分に九州自動車道に入り、北にある八女ICにむかうが、ひとつ手前の南関ICに目的地の柳川の文字がでていたので、少しでも高速代が安いほうがよいのでここでおりることにした。料金は割引無しの900円。45キロくらいの高速利用だった。

 柳川にはウナギを食べにいくのである。15年前の九州旅行でいちばん美味しかったのが柳川のウナギで、今回もこれだけは食べたいと思っていた。柳川のウナギはふつうの蒲焼きではなく、『せいろむし』と呼ばれる独特の作りかたをしている。うな重を蒸籠にいれて蒸すので、ウナギの脂がほどよく落ちてサッパリし、落ちたウナギのエキスはご飯にしみこんで、格別な美味しさとなるのである。私はあまり食べ物には執着しないが、これだけはどうしても食べたいと思っていた。

 30℃と表示されている道をいく。南関ICから県道10号線で西へいき、国道209号線で柳川に北上しようと思っていたが、この分岐につくと柳川は国道に右折せずに、そのまま直進せよと案内がでている。これまで道路標識は合理的な案内ばかりだったので、素直にこれにしたがったのが間違いだった。

 この標識は建設中の有料道路に誘導しようとするもので、遠回りをさせられた上に、有料道路はまだ柳川に通じていないから、時間ばかりがかかる最悪のルートだった。今回のツーリングでこんなにひどい目にあったのはこの福岡県だけだがーー四国の宇和島でも建設中の有料道路の案内がでていたが、大江健三郎似の方にお聞きして事無きをえたーー有料道路とは明示せずに車を誘い込もうとする意図が姑息だし、まだ道ができていないのに案内板を先に設置するのもお役所仕事がすぎてお話にならない。なかなか柳川につかなくて苛々させられるし、大牟田に入ってしまったから軌道修正しようと思うも、海岸近くの道をグルグルと回らされてきてどこを走っているのかわからなくなっており、頭にきてよほど柳川のウナギを諦めてしまおうかと思った。目的の店があったのだが、街道筋のウナギ屋に入ってしまうか、もしくは高速にのればSAのレストランに名物としてあるかもしれないから、そこにすればよいかとも考える。さらにはウナギを食べるためだけに、時間と労力をつかうことが、なんだか浅ましく感じられだす始末である。しかし柳川のウナギのせいろむしは、どうしても食べたかったものなので、怒りをこらえてすすんでいった。

 建設中の高架の道の下や埋立地のようなところを走らされて、やがて車の混雑している市街に入り、ようやく西鉄柳川駅の前にでた。目的の店は本吉屋という老舗で駅から近い京町交差点を入ったところにある。地図を見ながらいくとすぐに見つけることができた。

 

 本吉屋

 

 凄い構えの店である。茅葺屋根の大きな日本家屋で、格式があり、敷居も高い。車はたくさんとまっているがバイクは皆無でライダーは私だけだが、これでひるむような年ではないから店内に入った。少し待つがすぐに席に通される。入ったのは廊下をすすんだ先の大広間で、テーブルがいくつもあり、たくさんの人が食事をしたり、料理がくるのを待っていて、私は4人席にひとりで座ったが、おひとり様は私だけだった。

 メニューを見ると特せいろ定食3700円、せいろ定食3200円とあり、定食は酢の物がつくそうだが私はいらない。せいろむしだけでよいのだ。特せいろは3100円、せいろは2800円で300円が惜しくてふつうのせいろむしを頼んだが、300円の差なら特せいろにしておけばよかったとすぐに後悔した。

 大広間には卓子が散らばり、人々は座布団の上で食べたり談笑したりしている。となりは小さな子どもをふたり連れた若い夫婦で、後ろの席には中年の男女が4人いて、そのうちのひとりの男が食後の一服を吸いたいと言いだす。こんなところで嘘だろうと思っていると、男は立ち上がって灰皿をもらいにいったが手ぶらで帰ってきた。タバコはご遠慮くださいと言われたとのこと。当然である。

 土瓶にお茶をたっぷりといれてだしてくれるので、それを飲みつつメモをつけたり、これからのことを考えたりしてすごす。この後は高速で福岡市街に入るので、複雑な高速道路の接続地図を見ていると、20分ほどでせいろむしが運ばれてきた。ここに勤めているのは中年以上の落ち着いた女性ばかりで、それが好ましい。料理を運んできた女性が、
「どちらからいらっしゃったんですか?」と聞く。
「〇〇から」と答え、「四国と九州をまわってきたんですよ」とつづけると、
「何か目的があって?」と重ねて聞く。
「もちろん、いろいろと。ここも目的のひとつなんですけどね」と答えると、
「それは、それは、ありがとうございます」と言って下がっていった。

 

 むいろむし

 

 さて旅の目的のせいろむしだ。蓋をあけてみると濃い色のウナギの上に錦糸玉子がのっていて、湯気がたっている。15年前にこれを食べたときに、こんなに美味しいウナギは初めてだと思ったのだ。今ではせいろむしは一般的になって、メニューにのせている店が多くなってきたが、あれ以来口にする機会がなくて、今回味わえるのを楽しみにしていた。そしてどうせならとこの老舗をえらんだのだ。その念願のウナギを一口食べてみると、じつに美味しい。問答無用の美味しさで、この旅でのNO.1であり、私の好きな食べ物のNO.1でもある。つい先刻はまわり道をさせられて、頭に血がのぼり、たかがウナギのために時間と労力をつかうことが馬鹿げたことではないかと考えてしまったが、そんなことはまったくなく、それだけのエネルギーをつかっても食べる価値のある一品だった。

 来てよかったと思いつつ箸をすすめる。肝吸いにも湯葉が入っているから、凝っていて高いだけのことはある。すごく美味しいのだが量もたくさん入っていて、途中で食べきれないのではなかろうかと危ぶんだが、なんとか完食することができた。しかし黒豚の館でもとんかつを食べ始めたときは、ご飯をおかわりしようと思ったのだが、けっきょくそんなに食べられないから年をとったものだ。老眼にもなったし、髪も薄くなって、年齢を身にしみて感ずるところありだ。

 上にも書いたばかりだが、せいろむしが今回のツーリングのダントツのナンバーワンで、NO.2が黒豚とんかつ、NO.3が小鯛の山椒油、NO.4が土佐清水のサバ丼である。ビリは大分のとり天で、ビリ2は関アジであった。

 

 柳川の水路

 

 大満足して本吉屋をでた。また柳川に来ることがあったら、間違いなくここで食事をすると思う。私だけでなく家内や息子も連れてきたい店だ。せいろむしを満喫したが、店の外にでるとまた暑くて、食後ということもあり汗をかいてしまう。風にあたって汗をとめようとTシャツ1枚で走りだせば柳川の水路にでて、素通りするわけには行かず、どんこ船や水路をながめたり写真をとったりした。15年前に来たときには船で水路をめぐり、柳川城跡の日本庭園が見事なお花にいった。その庭をまた見たいと思うが、ここも次の機会にとっておくことにして、九州自動車道の八女ICにむかった。

 標識は信用せずに地図を見てICにむかう。高速に入る前に潰れてしまった工場にバイクをとめ、ジャケットを着て身支度をととのえ、荷物も固定されていることを確認して、そしてこれからの経路が複雑なので、九州自動車道から大宰府JCTで福岡市街にいく都市高速に入り、福岡市街で高速をおりる場所と周辺の地図を頭に刻んでから走りだした。

 九州自動車道を高速道路快適走行速度の90キロで北上し、久留米、鳥栖と通過していく。サッカーJ2のサガン鳥栖があるのはここなのかと思いつつ走っていると、鳥栖JCTで宮崎ナンバーのセダンが大分方向にいくのを間違えて分岐をすぎ、路肩に止まっている。ここから側道をバックしてもどるのかと思ったら、本線上で大きくUターンして逆走していったから驚いてしまった。逆走禁止と高速には書いてあるが、そんなことをするのはよほどの高齢者だけだと思っていた。それがこのドライバーは50代の男性だった。

 50キロほどで大宰府JCTについて、九州自動車道と別れて都市高速に入った。都市高速は首都高のように福岡の外周を環状線でまわるようになっている。福岡、と進行方向に看板がでていないので少々不安に思ってすすむと、右手に福岡空港が見えてきて、やがて大都市の福岡のただなかを走るようになった。都市高速をいくバイクは私の1台だけだ。福岡のビルのつづく街並みを見て、遠くまで来たものだと思う。九州一の大都市の上を走る高速道路から福岡の街を見ているのだ。今、この時間に旅の空の下にいることを噛みしめた。

 都市高速の環状線を時計と反対回りに走っていく。千鳥橋JCTで西へいって、すぐの築港ICでおりるはずが、東にすすんでしまった。すぐに間違いに気づいて東浜ICで高速をおりるが、目的地は近くなので大丈夫だ。料金は八女ー大宰府間が通常料金の950円。大宰府から東浜までの福岡高速がETCの時間帯割引がきいて600円のところが570円だった。

 バイクだと走りながら地図を見ることができないから失敗してしまった。車ならば運転しながら地図やカーナビを見たり、周囲を観察したりして、正確な判断をすることができるが、バイクは頭に入れておいた地図の記憶をたよりに走るし、まわりを見る余裕がないから間違えてしまったのだ。

 東浜ICの出口で地図を見て、これからむかう福岡県立美術館の場所を確認する。福岡県立美術館には10年以上前から見たいと思っていた、高島野十郎という画家の作品があり(興味のある方は『高島野十郎のページ』をどうぞ)、それを見ることが今回のツーリングで最大の目的となっていた。

 

  福岡県立美術館訪問記ーー『異端の画家高島野十郎』にリンクしています

 

 福岡県立美術館

 

 美術館にはすぐに着いたが、古くて飾り気のない役所のような外観の建物だった。駐車場にバイクをとめて館内に入っていくがライダーは私だけだ。当日は県展が開催されていてにぎわっていた。高島野十郎の作品は4階にあると表示されていて、入場料は3階で払うようになっているから、3階にいって受付のお嬢さんに300円を支払い、高島野十郎の絵は4階ですか?、と問うた。すると、
「お客さんは、野十郎さんの絵を見にいらっしゃったのですか?」と聞かれる。野十郎さんだって。
「そうです」と答えると、現在は県展の開催中で常設作品はかたしてしまっているとのこと。それでも野十郎の作品は3点だけ4階に展示してあり、それだけを見るのであれば無料なので、4階の受付にそう言ってくれとのこと。楽しみにしてきた絵が3点しか鑑賞できないことは残念だが、急いで階段をのぼって、4階の受付のお嬢さんに野十郎の絵だけを見に来たと告げて、無料で通してもらい、展示場所をたずねると、奥にあるとのことで足早に歩いていった。

 県展の入選作品がならんでいる展示室の片隅の、ガラス張りの展示コーナーに野十郎の3点の作品があった。蝋燭ーー1本の燃える蝋燭だけを描いたもの、さくらんぼーー静物、絡子(らくす)をかけたる自画像ーー絡子は修行用の僧衣、の3点がガラスのむこうにかけてあり、その前に立ちつくして絵に見入った。テレビや画集で見ていたが、やはり独特の引力と魅力を持つ作風である。しばらく立って見続けた後で、作品の前においてあるソファにかけてまた絵を見た。

 県展を見にきた人たちはふだん美術館に来ることはなく、たまたま知人が入選したからやってきたような人が多くて、芸術的好奇心はないようで、高島野十郎の絵は見ようともしない。野十郎の作品を見ていたのは私だけで、このコーナーは私ひとりの貸し切りだった。通常県展が開かれているあいだは、常設作品はすべて仕舞われてしまうとのこと。しかしその間も野十郎の絵が見たいという要望が多いため、特別に3点だけ残してあるそうだ。

 一瞬よりも少しだけ長いあいだ、高島野十郎の絵を見つめる。絡子をかけたる自画像の、ひたひたと迫ってくるような真摯な芸術への追求の眼差しが、私を胸苦しくさせる。社会的な成功を求めずに、修行僧のように自分の芸術観を追い求めて、無名のまま死んだ画家の生き方が、そうとしか生きられなかったのだろう画家の人となりが、作品を通して伝わり、圧力となって私を厳粛な気持ちにさせる。あまりにも生真面目で深すぎる画風が、私はたまらなく好きだが、ファンを限定するのだろう。世間は明るくて、軽く楽しいものが好みなのだ。現実を直視した、重く厳しい作品は本物だが受け入れられない。しかし本物だけが時間を越えてのこっていくのだ。

 希望者には福岡県立美術館が編集・作成した、高島野十郎の小冊子を進呈するとある。4階の受付にもどり、お嬢さんに、あの、と言っただけでその小冊子が差し出された。高島野十郎の絵を見に来る人間には共通の雰囲気か匂いのようなものがあるのだろうか。お嬢さんの迷いのない好意的な表情と動作がそんなことを感じさせた。受け取った小冊子のタイトルは、

 

  

 『旅する野十郎』
 これはよい題名だ。 画家にあっているし、放浪のページというHPを運営している私にこれ以上ふさわしいタイトルの本があるだろうか。

 旅する野十郎。本を手に微笑を浮かべて美術館をでていく。今回は3点しか作品を見ることはできなかったが、また必ずやってきて、ほかの作品も見ようと心に決めた。高島野十郎は地元の久留米出身である。福岡県立美術館は郷土の無名の画家だった野十郎を死後に発見し、世に知らしめた。福岡には深い文化がある。 

                                             異端の画家 高島野十郎にもどる

 鹿児島を走っていたころはTMの九州版のずっと後ろのほうのページを見ていたのに、北上してここまで来ると、4ページをひらいているのだ。もう九州を去る時となった。これから高速にのり、九州をでて、中国地方にむかうつもりだが、今夜もどこで泊まるのか決めていないから、どこかのSAに入って、九州みやげを買うついでに今夜の野営地を考えようと思う。

 九州自動車道の福岡ICにむかうが、福岡高速を使うまでもないから、さっき来た国道を北上していく。東浜ICをすぎると道路は大渋滞しだし、すりぬけていくが人がたくさんでている。なんだろうと思っていると筥崎宮のお祭りで、参道に露天がびっしりとならび、そこに人々が詰めかけている。すごい熱気でさすがに福岡は九州一の都市だと実感された。

 コンビニがあれば水が買いたいのだがなくて、15時40分に福岡ICから九州自動車道に入った。90キロのDR安定巡航速度で走っていくが、今夜どこに泊まるのか決まっていないし、キャンプ地の当てもないからまた不安がきざす。しかし今は高速を移動中だから、どこまで進めるのか行ってみなければわからず、野営地は定めようがない。もう少し時間がたってから考えるほかないのである。

 遠賀川をわたっていく。田川の地名もあらわれる。ここは五木寛之の青春の門という作品の舞台となった地だ。山崎ハコがその歌をうたっていて、その曲も好きだから特別な思いをもっていた。青春の門の舞台やボタ山も見てみたかったがそれはかなわず先へいく。小倉をぬけても適当なSAがなくて、北九州JCTも通過してしまい、ようやくあったのは九州のはずれ、関門橋の下にある『めかりPA』だった。

 

 関門橋

 

 関門橋を見るとやはり興奮する。本州と九州を結ぶ橋だし、旅人の心を揺さぶる特別な場所であり、旅の大きな基点でもあるからだ。その関門橋を見ながら『めかりPA』に入ったのは16時48分だった。まずみやげを買いにいき適当な品を2・3もとめた。これで義理を果たすことができる。暑いので水を買って飲み、関門橋の写真をとった後で、地図をひろげてこれからのことを思案した。

 前にも書いたが当初の予定では山口県の響灘沿いを北上して、日本海にでるつもりだった。『2003年の広島・山口の旅』でこの海岸線を走った際に、最果ての雰囲気のある風景と、響灘という名がとても気に入ったからである。しかしここには高速が通っていないから、夕方のこの時間から距離が稼げないし、なによりこの地域にはキャンプ場がないのだ。これからすぐに暗くなるというのに、公園や道端、山の中の空地をさがしてゲリラ・キャンプをするのは嫌なので、この先の中国自動車道のIC近くにキャンプ場はないかと見てみると、秋吉台に家族旅行村があり、ここにキャンプ場があって、通年開設されていると地図にコメントがあった。数年前に読んだバイク誌のツーリングGOGOにもここに泊まった人のツーレポがでていたことを思い出し、ここに行くことに決めた。

 『めかりPA』から走りだす。これで九州とはお別れだ。つぎはいつ来られるだろうか。来年か、それとも10年後か。関門橋に入って本州にわたっていく。北海道とちがって橋がかかっているというのは大きい。フェリーに制約されずに済むから、経済的にもたいへんな違いがあるだろう。北海道へは鉄道のように海底トンネルを掘ればよいと思うのだが、事故や火災を考えると難しいのだろうか。無駄な道路を何本も作るよりもはるかに経済に資すると思うのだが。

 海峡を駆けぬける風となって関門橋をわたっていく。橋は高所にあるので見晴らしがよくて気持ちがよい。右も左もすばらしい絶景だ。壇之浦をわたり、九州の門司と山口の下関の街をながめながら走り、去りがたい九州と海峡から離れて、山口県の内陸にはいっていく。小月ICで一度高速をおりて、夕方のETC通勤割引の条件である100キロ以内の走行を完結させ、料金は半額の1150円で、ICの出口の先でUターンしてまた高速にもどる。まわりにはそんな車がたくさんいて、Uターンできるように中央分離帯のガードレールが切ってあるのだ。私が見たかぎりでは高速はETC利用の車ばかりだった。

 この先雨、50キロ制限とでていて路面が濡れているが、雨にはあわずに中国自動車道をすすみ、美祢ICで高速をおりた。料金は通常料金の700円だが、ETC割引に慣れてしまったので、もはや割引がないと損をしたような気分だ。数年前に読んだツーリングGOGO誌のツーレポでは、秋吉台キャンプ場は山の中にあり、周囲には何もなくて、食料を用意しなかったその方は夕食をとることができなかったと書いてあった。今夜の食材はあるが、明日の朝食がないため、美祢ICをでたところにあったセブンイレブンに入り、水2リットルとサンドイッチを368円で買ったのは17時53分だった。明日の朝は早立ちするつもりなのでガスも満タンにしておく。21.55K/Lと高速ばかりだったので燃費はよくない。157円と単価は安くなり2142円。

 GSの店員に秋吉台までの時間をたずねると20分くらいとのこと。家族旅行村も行けばすぐにわかるとのことだった。雨が降ったばかりのようで路面の濡れた国道435号線で秋芳町にいき、夕刻になって人気のなくなった秋芳洞の駐車場やみやげもの店が立ちならんでいるところを通過していくと、家族旅行村の入口についた。案内にしたがって山の中に入っていくと、広々とした家族旅行村の駐車場に到着した。

 時刻は18時10分で薄暗くなってきた。管理棟にいって今夜泊まりたいと告げると問題なくキャンプすることができてホッとする。宿泊できないことはないと思っているのだが、それでも確認がとれるまでは宿無し状態なので、毎日この時間がいちばん緊張するのだ。

 料金はリーズナブルで大人ひとり500円、それにバイクの駐車料金が150円の合計650円だった。キャンプはこのくらいの料金が妥当だと思う。公共施設らしく抑制のきいた言動の3人の職員を相手に宿泊者名簿に記入して、利用料金を払う。シャワーがあり、今夜はまだ誰も利用していないからボイラーの火が入っていないが、100円で5分間お湯がでるそうなので、後で使わせてもらうことにした。

 キャンプ場利用者はファミリーが3組、それに私と、もう1組予約が入っているとのこと。サイトはファミリーのとなりと言われたが、家族連れ3組のならびによい年をしたオヤジがひとりというのはいかにもやりにくいから、ひとりだけ離れたサイトにしてもらった。

 まだ日が落ちていないので、暗くなる前にテントを張り、荷物を運び込んでしまうことにする。ひとりだけ離れた位置にしてもらったサイトは谷底のようなところで、ここだけ完全に孤立している。谷底におりてみるとなんだか墓場のようにも感じられるが、男ひとりならこれもいいだろう。それに明日は早立ちしようと考えていたから、なおのこと好都合だ。明日は高速道路を島根県の安来まで走る予定なので、できれば朝の4時までに高速に入ってETCの早朝割引の40%引きにしたい。4時に高速にのるとしたら、ここを3時には出ないとならないから、それならばとなりにファミリーのいるサイトではなく、孤立したサイトのほうが撤収の物音で迷惑をかけないし、気をつかわなくて済むというものだった。

 野営の準備を終えたのでシャワーを浴びにいくことにする。谷底のサイトからキャンプ場の入口に歩いていくと、若いライダーがやってきていた。彼が予約をしているというもう1組のキャンパーなのだ。軽く挨拶をして管理棟にいき、100円で5分間湯をあびた。当り前だがお湯のシャワーは心地よく、水でないことが誠にありがたい。汗をながしてサッパリしてテントにもどっていくが、ここは設備の整った施設で、利用者も多く、ほとんどの人はロッヂかバンガローに泊まっている。その人たちが楽しそうに夕食をとり、宴会をしていて、そのにぎやかなざわめきの中をキャンプ場にもどり、私も夕食の準備をはじめた。

 今夜のディナーは朝コンビニで買った五木うどんである。これだけでは足りないから、余っていたひやむぎ100グラムを投入して、増量するつもりだ。まことにお粗末で手抜きの夕食だが、手軽だから私としてはこれで十分だ。水道のある炊事場にいってこの粗食を作ろうとしていると、バイクの若者がやってきた。彼は新潟の大学生で19才なのだそうだ。息子が大学1年生の18だから、子供と同じようなものである。彼はキャンプ場や安宿を利用して西日本一周ツーリングの途中とのこと。
「もう長くバイクに乗っているんですか?」と彼は聞く。うなずくと、
「北海道には行かれましたか?」と重ねてたずねてきた。
「北海道には4年連続で行って、飽きたから今年は四国・九州ツーリングに来たんですよ」と答えると、
「北海道が飽きたなんてうらやましいです。僕はまだ行ったことがないんです」とのこと。
 北海道に飽きたというのは正確ではなかった。北海道にいこうと思ってもドキドキしなくなったというのがほんとうだ。ワクワクしなくなった北海道に惰性で行き続けるよりも、出かけようと考えるとときめきを感じる四国・九州を放浪すべきだと思ったのだ。また何年か後に北海道に行きたくなるときが来ると思う。北海道にわたるのは、その気持ちになるまで待つべきだと思うから南にやってきたのだが、四国・九州は北海道とは別の味わいがあってすばらしく、来てほんとうによかったと思う。大学生の彼には行く価値のある北海道の魅力を、少しだけ語っておいた。長くなるといけないから短か目にね。

 息子が大学1年生だと言うと、息子さんとのツーリングもよいのではないですか、と彼は言う。
「うーん、もう少し大人になればね(息子は私といると息苦しそうだから)」と答えたが、これは彼も子供だと言ったに等しいことに気づく。それはその通りではあるのだが。
「今夜の夕食はなんですか?」と彼。
「インスタントで簡単にすませようと思っているんですよ。あなたは?」とたずねると、
「肉を焼こうと思っています」とのこと。
「キャンプは長くやっているんですか?」と聞くので、
「ええ、もう何十年も(30年以上だ)」と答えると会話は続きようがなくなり、彼は礼儀正しく挨拶をして去っていった。彼は好青年だったが年がちがいすぎた。彼はバイクやツーリング、キャンプの話をしたかったようだが、どうしても息子と話しているような感じになってしまう。なにしろこちらは老眼のよい年をしたオヤジだからね。

 

 五木うどんにひやむぎを投入の粗食

 

 五木うどんを食べると暑くなり汗をかいてしまった。しかしここは秋吉台だ。すぐに体は冷える。食器を洗って片づけると、明日の早立ちに備えてバイクを家族旅行村のゲートの外に出しておく。ゲートは7時まで封鎖されるので、夜のうちにバイクを出し、明朝早立ちすると管理の人たちにも伝えてあった。しかし3時に起きて3時30分にここを出発する自信はあまりないのだが。

 テントに入って芋焼酎の水割りを飲みつつメモをつける。ラジオによると台風はまだ沖縄に停滞しているのだそうだ。よほど動きの遅い台風だが、それが私には幸いした。台風が動かなかったお蔭でほとんど雨にあわずにすんだのだから。今回のツーリングで雨に降られたのは阿蘇の草千里と九州自動車道の熊本ー人吉間、人吉のキャンプ場だけだった。明日は島根県の安来に寄った後は一気に東進して帰宅するつもりだ。全国の天気予報を聞いてみると、名古屋は暑くなって32℃まで気温は上昇し、関東は不安定で雷雨もあるとのこと。

 今夜のラジオはNHKのふるさと自慢コンサートだ。美川憲一がさそり座の女を歌っている。それにすぐ近くにあるロッヂから酔った女の神経質な笑い声がとどく。笑っているようで、ヒステリックに怒っているような、むせび泣いているようにも聞こえる、耳障りな声だ。いっしょにいる人たちが笑い声をたてているから女も笑っているとわかる、なんとも気になる声だった。

 テントの横ではコオロギも泣いている。コオロギはテントの周囲を歩きまわってカサコソと音をたて、テントにのぼってみたりもする。ラジオとコオロギの声を聞いているうちに眠っていた。

                                                            384.9キロ