2009 白川郷・牛首林道ツーリング 1日目
岐阜・富山県境の楢峠 無情の通行止め
生来の貧乏性ゆえ、1000円で高速が走り放題だと利用しないと損なような気がしてならない。そこでETC利用で普段は行かない遠方にツーリングに出かけることにしたが、思いついたのが2007年のゴールデン・ウィークに行こうとして、6月からでないと道が開通しないために行き着けなかった、岐阜県の天生峠である。詳しくは『2007年奥飛騨ツーリング』を読んでいただけたらと思うが、そのときにいっしょに走りたいと思っていたのが、天生峠の北にある牛首林道であった。そのふたつの目的地に加えて、白川郷とひるがの高原、飛騨高山を経由するツーリング・プランを練ってみた。
高速は東名から東海北陸道に入り、北上するルートがいちばん距離が短いようだ。しかし東名は昨年から今年にかけて何度も利用しているから食傷気味である。それに1000円高速といっても、東京圏を利用すると割増金を取られてしまうのが面白くない。そこで首都圏料金がかからないように、往きは関越道の埼玉県東松山ICから入り、帰りは中央道の八王子ICで高速をおりることとし、往復とも完全1000円で行ってみることにした。
まず国道254号線の川越街道で北上し、7時に東松山ICから関越道に入った。天候は晴れだが金沢で一時雨の予報が出ているのが気にかかる。予定では北陸道まわりで北から白川郷に入るつもりだ。計画を逆まわりにすれば雨にあたることもないかとも考えたが、北陸道には目的があるのでそのまま行くこととした。
関越から上信越道にすすみ、山岳地にかかかると冷えてきた。かなり肌寒いが、軽井沢をすぎて山を下っていくと気温は上昇した。東部湯の丸SAで休憩し、長野道との分岐にさしかかると、これから向かう北の空が真っ暗だ。なんとか雨の降る前にこの空の下を通過したいと思ったが、中野で雨粒が落ちてきてしまった。しばらく雨足のようすを見るが、降りやまないので路肩に停止してカッパをつけることにした。
路肩で雨具をつけていると、横をたくさんの車が高速でとおり、誠に怖い。危険なので早々に出発するが雨は激しくなった。雨と霧の妙高を越えていく。ここも冷えていて軽井沢よりも寒い。進んでいくと今年のNHK大河ドラマの天地人の地だと看板がでているから、ここを訪ねてくる人も多いのだろう。
春日山近くの上越JCTで北陸自動車道に入り、名立谷浜SAで給油をした。カッパを持っていなくて、濡れて寒がっているトライクにタンデムの夫婦と会話をするが、白川郷に行くというと、あの道がよい、この道も景色がよいと次々に思いつきを言う。そんなところは何度も走ったことがあるし、林道を走りに行くのだが、あえて口にだすことはしなかった。彼らはこの辺りで昼食をとって帰るそうだから、ほんのチョイ乗りのつもりで来て雨に降られたのだろう。
北陸道を金沢方向にすすむ。雨は止み、親不知で晴れてきて、日本海が見えた。やがて高速は内陸を行くようになると平野が広がりだす。田んぼの中に防風林に囲まれた家が点在し、散居村というのだろうか、独特の風景だ。そこに北陸新幹線が建設中だった。
有磯海SAのバイク置き場の前が喫煙コーナー
北陸道の目的地である有磯海SAにつくと、バイク置き場のすぐ前が喫煙コーナーだった。先日の『浜名湖・鳳来山ツーリング』で利用した東名の駒門PAもそうだったが、喫煙コーナーは車にくらべて利用者の少ない、バイク置き場の前にすればよいとでも考えているのだろうか。これは許せないので、前回と同じく帰宅後にNEXCO中日本に苦情の電話を入れておいた。0120−922−229。あなたもどうぞ。
有磯海での目的は白海老入りかき揚げうどんを食すことだった。このうどんは友人のB級グルメ研究家(通称)が発見・紹介してくれたもので、以前に試して(『Pキャン金沢の旅』)とても気に入ったものだ。それに再会したくて北陸道ルートを選んだのだが、SAの立ち食いコーナーに行ってみるとこのメニューはなくなっていた。ショックである。かなり人気のあったメニューだが、630円と立ち食いにしては高かったから、もっと安い普通のうどんになってしまったようだ。
昼食は白海老入りかき揚げうどんと決めていたので脱力してしまう。時間は11時だった。ここで昼飯を食べてしまうか、それとも白川郷までいってからにするか迷う。レストランに行ってみると、海が近いにもかかわらず刺身や寿司などの海産物の魅力的なメニューがない。眼を惹かれたのは日本海かき揚げ丼の1050円くらいなもので、あまり気に入らなかったが、時間を節約するためにもここで食事をしてしまうことにした。
日本海かき揚げ丼
日本海かき揚げ丼には白海老ではない海老が入っていた。ほかにはホタルイカの天ぷらなど。味は普通であった。食事を終えて、カッパを脱いで出発する。富山ICを通過し、小矢部砺波JCTで東海北陸道に入り南下していく。すぐに五箇山ICにいたると、眼下に合掌造りの集落が見える。これは『五箇山青少年旅行村合掌の里』で、ここに行ってみることにし、ICからおりて来た方向に折り返すように国道156号線をすすむと、眼下に合掌集落を見下ろせる展望台ーー駐車場のようでもあるーーにでた。
合掌の里を見下ろす 集落の先が東海北陸道
展望台から細い道で合掌の里に下りられるようになっているので立ち寄ってみた。ここは駐車場も広く観光バスも止まっているが、閑散としている。合掌住宅を移築した施設のようだが、もう使われていなくて、この先徒歩8分に菅沼合掌集落があると書いてある。せっかくなのでそこに行ってみることにして歩いていくと、左手にキャンプ場や宿泊施設があったが、利用者はいないようだった。
菅沼集落
歩行者用のトンネルをぬけていくと世界遺産の菅沼集落にでた。合掌造りの住宅が狭い土地に集まっていて、まるで映画のセットのようだ。ほんとうここで、まとまって住んでいたの?、と思うほど。住宅は旅館やみやげもの店、喫茶店などになっていて、何もしていない家のほうが少ないくらいだった。しばし菅沼住宅を散策する。ところで菅沼住宅の入口には駐車場があるが、そこは有料で車1台500円だった。また歩行者用トンネルからエレベーターが通っていて、菅沼住宅と展望台の間にも駐車場があったが、そこも料金500円だったから、無料がよい方は合掌の里の駐車場にどうぞ。
南の白川郷にむかう。すぐに山の真っ只中を行くようになり、物凄く山深くなる。道は合掌ラインという名だがトンネルが連続し、この道がなかった昔は、ここは孤立していた地域だとわかる。孤絶しきった離れ小島のような五箇山の更に山奥に、険しい山また山の果てに白川郷があるのだ。その山深さと、隔絶された土地であることを実感して、ここはほんとうに隠れ里なのだと思った。
道の駅白川郷の先から牛首林道にむかった。国道から左折していくのだがーーそば・やまこしの道を行くーー14時にゲートに着いたが閉ざされている。鍵はかかっていないが通行止めと表示されていた。どうしようかと考えていると、林道を軽トラが走ってきた。その人に話を聞いてみると、軽トラで水無湖に釣りに行ってきたそうだ。牛首林道は牛首峠で分岐して、湖に行くルートと牛首林道の続きに分れる。牛首峠から先の牛首林道は荒れているらしいが、軽トラの方は行ったことがないそうで、抜けられるのかどうかわからないとのこと。それでもダメなら引き返せばよいわけで、目的の牛首林道を楽しむべく、ゲートの中に進入した。
牛首林道の登り フラットである
牛首林道のスタート部分はフラットで走りやすい林道だった。しかし次第に荒れてきて拳大の玉石の道になったり、クレバスができていたり、深ジャリがあったりする。それでも総じて走りやすい林道で、やがて牛首峠に出て、水無湖に下っていく道と、牛首林道の続きの大勘場へ向かうルートに分れる。
石を敷きつめた路面
大勘場にすすむと軽トラの方が言っていたように道は急坂となり、荒れてくるし、雪渓が残っているほど山深いが、なんとワゴンRやセレナがやってきたからびっくりした。これはこのルートが抜け道になっているためのようだが、このときはわからなかった。
大勘場付近 路上を沢が流れている
27.5キロのダートを走りきって大勘場につくと、オフロード・バイクのグループが休んでいた。5・6台のグループで、会釈をかわしてすすむが、大勘場から水無湖にむかう県道34号線は通行止めとなっている。このルートを使いたいと思っていたので当てがはずれてしまった。仕方なく北へいって迂回することにし、国道471号線の楢峠を越えて飛騨に入り、目的の地である天生峠を越えて、白川郷にもどってくることにした。そしてキャンプはひるがの高原のつもりだった。
この付近は山また山の中に孤立した、白川郷のすぐ東の地域であるからじつに山深い。そしてこれからむかう天生峠は、泉鏡花の高野聖という怪異小説の舞台となった地である。高野聖は山深い地に迷い込んだ僧が、魔性の女に取り込まれそうになるのだが、九死に一生を得るという夢幻の世界を描いているのだ。その世界が展開したのもこのような山奥だろうと感じて、県道34号線を北上していった。
『利賀そばの郷』のある坂上という土地から、名もなき林道で東にある県道229号線に連絡しようとした。しかしTMにしるされているこの林道がどれなのかわからず、行き止まりの林道に迷い込んだりして、この名もなき林道を行くのは諦め、北にある新楢尾トンネルで県道229号線にでた。この道を南下していくとスキー場やキャンプ場などが点在し、やがて国道471号線の楢峠に通じる名もなき林道についた。林道の入口にはゲートがあり、開いていたが、その横の山小屋に男性がいたので、ここを行けるのか聞いてみた。すると男性は、車はよく出入りしているが、抜けられるのかはわからないとのこと。しかし完抜しているだろうと考えて林道に進入した。
時刻は16時近くになってしまった。この時間ではもうあまり進めないから、楢峠を越えたら飛騨古川の近くにある飛騨市森林公園キャンプ場にいくこととし、天生峠は明日たずねることにした。
林道の分起点 峠
林道は直線の多い幅広のジャリダートでガンガン飛ばせる道だった。たまに車が止まっていたりすれちがったりするが、それは釣人のようだ。やがてストレート・ダートは終わり山を登りだす。しばらくすすむと峠に出て、ここに大勘場にいたオフローダーたちが休んでいた。私が名もなき林道を求めて迷っているうちに先行していたようだ。この先は林道が二股になっていて、どちらにいっても同じ県道34号線にでるのだが、オフローダーたちは私がやってきたほうへ引き返していってしまった。先に行くほうが主要道に近いのに、どうしてだろうかと不思議だった。
今日いちばんハードな林道
先にすすむと凄い急坂となった。路面も荒れていて、雰囲気も荒涼とした林道なので慎重に走っていると、こんなところなのにまたしてもセレナがやってきてびっくりする。この自動車も釣人のものだと思われたが、迷った車だったのかもしれない。
林道で普通車と会うと白ける。林道をくだりきると舗装路に丁字にぶつかり、これが県道34号線だとわかる。左折していくと道は細い未舗装路となり、しかも交通量もあまりないようで荒れていて、ぬかるみも多い走りづらいものとなったが、こんなところでワゴンRとすれ違った。
これが県道34号線?、と疑問に思いつつ走るが、県道がジャリ道のわけがないと思われ、左折した丁字路を右に行けばほんとうの県道があったのではないかと考えてしまった。道は荒れた急坂の林道である。ルートを誤ったのではないかと不安になって地図を見る。このとき地図をよく見ればよかったのだ。しかし、間違っていると疑っていたから丁字から3キロ来ているのに引き返すことにした。
急坂の荒れた林道をもどっていく。ヌタヌタも二度目だと慣れて走れる。林道上を沢が流れていて、ザバァッ、とバイクで突っ込むと靴が濡れる。丁字について先に進むと舗装路が続くが、たまに路上を沢が流れているだけの、深山の道で、この先に県道があるようには思えない。またまた止まり、地図を見てみると、この先は水無湖に通じているが、その先は通行止めなのだ。眼を転じてさっき走った砂利道をよくよく見てみると、水無から楢峠間は1車線ダート、と書いてあるではないか。さっきの砂利道でよかったのだ。
また沢の流れる道を引き返し、丁字を越えて急坂林道に入ってヌタヌタをものともせずに越え、楢峠に向かって登っていくと、なんと通行止めに出た。
夕刻の林道で通行止め
17時15分だった。この時間になって嘘だろう、と思う。この先の山を下ったところのキャンプ場に行くつもりだったのだから。バイクを降りてゲートをよく見てみる。普通ゲートの横にはバイクが通れるくらいの隙間があるものだが、ここはそうはさせじと鉄パイプがガッチリと打ち込まれていた。たぶん私と同じように考えてゲートを越えたバイクがいたからなのだろう。
山の中を迷走し、夕刻を迎えてしまっているから、なんだか高野聖の世界を地でいっているような気になった。天生峠は右手の方向にあるのである。現代の天生峠は舗装路の国道だから、魔性の女や魑魅魍魎は出てきようがない。しかし通行止めの林道の雰囲気は、小説の夢幻の世界に通じているようで、なんだか不気味になった。
もどるしかない。でも戻ったとしてキャンプ場はあるのだろうか。地図を開いてみると、林道の始まる前にあったスキー場、スノーバレー利賀の近くに利賀国際キャンプ場がある。ここに行くしかないかと考えていると、小さな羽虫がたくさん集まってきた。大きなアブとは違うが、まとわりついてくるので早々に退散した。
またしても急坂のヌタヌタ道を下っていく。ぬかるみも荒れた林道もすっかり慣れてしまって飛ばしていく。丁字にもどり、荒涼とした峠道を登りきり、無人の峠を一気に通過するが、こんな時間にすれ違う車が2台いた。たぶん釣人で、目的の釣り場の入口で車中泊し、明日の朝一番で釣りをはじめるつもりなのだろう。
ストレート・ダートにもどり、時間が遅くなったので焦って突っ走る。あまりスピードを出すと何かあったときにコントロールできなくなると思ったが、アクセルは緩めなかった。そしてここでガスがリザーブとなってしまった。大勘場の県道が通行止めと思っていなかったし、楢峠も通行不能だったからこんなところで予備タンとなってしまったのだが、高速と林道走行で思ったよりも燃費が悪かったのもその原因だ。今日の宿泊場所が決まっていないのに、不安が増す。
林道を走りきり、舗装路にもどった。左右を見ながら走るとキャンプ場の看板がある。利賀キャンプ場と表示してあったが、TMにある利賀国際キャンプ場だろうか。そのキャンプ場についたのは17時50分だった。客はひとりもいないが、管理棟には人がいた。泊まれるのかと聞くとOKとのこと。しかし料金は高く1700円なのだそうだ。不満だがここに泊まるしかないと思う。しかしガスをいれたい。そこでGSはあるかとたずねると、すぐ先の農協のGSが18時までやっているとのこと。そこが閉まっていたら、新楢尾トンネルを抜けたところにもう一軒あるとのことで、まず給油をしてからここにもどってくることにした。
すぐに農協のGSはあったが、18時前なのに閉まっている。そこでトンネルを越えてみるも、こちらももう営業していなかった。私は貧乏性である。ツーリングでは朝早くから活動しないと気が済まない。それなのにガスがなければ、明日の行動が制約されてしまう。ガスの残量を気にしながら走るのは嫌だし、農協のGSが開く9時まで、時間を無為につぶさなければならないのは耐えられない。そこで国道471号線を北上し、庄川方向にGSを探しにいくことにした。
利賀キャンプ場は19時まで受付しているとのことなので、ガスを入れたらもどればよいと考えていた。庄川まで20キロと表示されているが、ここも非常に山深いところである。谷は深く、道は狭くて隧道が掘られ、山肌を縫うようにして道がつづく。平地がなくて山また山の連続だ。そこをGSを求めていくが、とてもありそうな気配はなく、時間は過ぎて、こんなことなら利賀キャンプ場に素直に泊まればよかったと後悔した。
リザーブの状態でさらにガスを使っているから、今更もどれない。庄川は大きな町のようだし、砺波ICまでの距離も出ているから、最悪でもICの近くにはGSはあるだろうと思う。ガスは入れられるのだろうが、これから利賀にもどるのは無駄だから、この近くに野営地を求めたいが、そのキャンプ場が見つかるのか心配だった。
夕暮れの深山は暗くなるのが早い。ガスがなくて、宿無しでもある私は焦る心で森の中の暗い道を急いでいった。庄川の町の入っていくとGSがあった。助かったと思い給油をする。18.38K/Lと燃費は非常に悪い。GSのご主人に、この近くにキャンプ場はありますか、と聞いてみると、すぐそこに管理人のいない無料の野営場があるとのこと。それは私の望むタイプのキャンプ場だ。場所は国道から山に入っていく方向で、名前は、かんじょうじこうえん、というのだそうだ。漢字でどう書くのか教えてくれて、閑乗寺、とのこと。礼を述べてGSを出たのは18時35分だった。
後でTMを見てみると、ここは閑乗寺高原夢木香村という名前で紹介されていた。通年営業で料金300円となっているが、バンガローは有料なのだろうが、キャンプは無料のようだった。
国道に閑乗寺高原の小さな案内が出ているのをみつけた。案内にしたがって進むと、周囲でいちばん高い山に登っていく。やがてロープーウェイがあるスキー場のようなところに出て、その周囲にサイトとバンガローが点在しているキャンプ場にでた。キャンプ場は第1キャンプ場とオートキャンプ場があり、第1のサイトは林道沿いに転々とあり、3張りほどのテントが立っているが、オートのほうにはキャンパーはいなかった。
第1キャンプ場に野営することに決め、早速テントを設営した。キャンプの準備を進め、夕食の蕎麦を茹でるが虫が寄ってくる。楢峠でも集まってきた小さな羽虫だ。蚊でもアブでもないと油断していると、こいつが手を噛んできて、潰してやったがものすごく痒い。小さいのにアブのようだが、こいつの噛み痕は膿んでしまい、直るのに時間がかかった。
北海道産の新得蕎麦の夕食
19時に夕食を始めた。風呂に入りたいが面倒なのでやめ、焼酎を飲み始める。食事はすぐに終わってテントの中で今日のメモをつけだすが、結局ガスは満タンになったし、1700円のキャンプ代が無料になったからよかったと思うのだった(利賀キャンプ場の方には悪かったが)。
今日は20℃、22℃、24℃、18℃といった気温の中を走り、走行距離は615キロだった。