2010年 東北ツーリング 3日目 雨の夜の迷走

 

 御所の台キャンプ場の前の海

 

 5時に起床した。空はすっきりと晴れている。昨夜は暗くてわからなかったが、キャンプ場の前には美しい海と磯がひろがっていた。昨夜は酔ってしまってメモが途中になっていたので、続きを書きつつ朝食のカップめんを食す。キャンプの朝食は袋ラーメンと決めているのだが、昨夜のスーパーでは5個パックでしか売っていないのでやむなくカップめんにした。この先も同じことになるから、東北では袋ラーメンを1個で売るのは珍しいようだ。

 カッパをたたんだり、濡れたテントの撤収に手間取っていると7時になった。すると公共放送の朝の音楽が流れだす。田舎だなと思うが、こういうものを前回聞いたのは、一昨年の九州ツーリングの熊本の山の中だったと思い出した。

 昨日は雨天走行だったのでチェーンにオイルを注して走りだす。海沿いを北上するとダイナミックな荒磯がつづく。今日の最初の目的地の十二湖にむかうと、駐在所に新車の外車がとまっているのが眼を引く。若い警官のものなのだろうが、わかってないなと思う。軽トラばかりが走っているこの地でこんなものに乗っていたら、地域に溶け込むことなどできないだろうし、仕事もはかどらないであろう。

 十二湖には日本キャニオンという景勝地があり、それを見たいと思っていたのだが、その訳は1983年までさかのぼるのだ。『1983年 北海道ツーリング』にも書いたのだが、北海道の函館から青森まで日本一周に出たばかりのホンダ・ホーク氏といっしょに走った。青森でホーク氏と別れたのだが、彼は日本キャニオンがどんなところなのか見にいくと語っていた。あの時から日本キャニオンが心に残っていたのである。

  国道から県道の十二湖公園線に入って山をのぼっていく。すぐに八景の池につくが、ここが日本キャニオンの入口だ。徒歩で500メートルと案内がでている。登山道を登っていくとはじめは楽々とすすんだ。しかししだいに疲れて、まだか? まだ着かないのか、と思うようになり、バテバテとなって12分後に日本キャニオンの展望台に到着した。

 

 日本キャニオン

 

 日本キャニオンは山の岩肌だった。白い岩肌があるだけで、大峡谷があるわけではない。一見した印象は、なんだこれ、であり、これだけ? これが日本キャニオンなの? だった。この山肌を日本キャニオンとはよくぞ名づけたと思い、微苦笑してしまう。名乗ったもの勝ちの地名だ。

 山道を下って八景の池にもどる。八景の池はまわりの樹木や空が映りこんでいて鏡のようだ。日本キャニオンよりもこちらのほうが遥かにすばらしい。この先にも湖が点在しているのですすんでみると、池のような小さな湖沼が連続してあらわれる。ほとんどが平凡な姿だが、ひとつだけ霧のわいている幻想的な湖があった。

 やがて道路は進入禁止となり、バイクや車は有料駐車場にとめて歩かねばならなくなった。最近自然保護や環境整備のためと称して、このような有料化の動きが顕著だ。でも地元の役人が自分たちのために作った集金システムではないかと考えてしまうひねくれた私は、こういう所は利用したくない。バイクの駐車料金は100円だが、納得のいかない金は払いたくないではないか。利用者に決算報告も監査報告もしないで、小額の金を集めるのは役人のよくやる手口なのだ。それでもこの先がどうなっているのか案内板を見てみると、この先の鶏頭場の池には鬱蒼たるブナやミズナが繁り、その先の青池とともに十二湖のハイライトです、と書かれている。そう言われると気になるし、次にいつここに来られるのかわからないから、100円を払うことにした。ちなみに車は1台400円だから高いと思う。車でひとりならかなり考えただろう。

 バイクをとめて料金を払うと、8分で青池につき、その先にブナの自然林を一周するコースがあるから、そこを是非歩いてほしい、一周には50分かかる、と丁寧で熱心な説明をうけた。この付近は世界遺産の白神山地に隣接しているから、ブナの森の紹介に力を入れているのだろう。人気もあるのであろう。

 十二湖のハイライトだという鶏頭場の池は深い森につつまれていて、ブナの木もたくさんある。まだらな肌をしたブナの木は、見慣れないものだからいかにも深山に来たという感じがした。

 

 青池

 

 ブナの林をぬけると青池にでた。青池は青色というよりももっと濃くて暗い色彩で、ダークブルーというのか、紺か群青か。青い色の池は深い思いをたたえているように見えて印象的だった。その先がブナの自然林だが、階段の上りになっているし50分も歩く気持ちはないから引き返すことにする。駐車場にもどって停まっている車のナンバーを見てみると、横浜、多摩、足立、大宮、野田(千葉)と首都圏のものばかりだった。

 次にむかうのは黄金崎不老不死温泉である。海岸にある黄金色の露天風呂が有名だが、私もその風呂につかってみたいと思っていた。近頃人気の五能線に沿って海岸線を北上していく。黄金崎は看板がでているだろうと思い、よく地図も見ずに走っていった。

 この付近から鯵ヶ沢にかけては、高1の自転車ツーリングでも走っている思い出の地だ。あの日私たちは夕方になったら無人駅に泊まろうと考えていて、夕刻に適当と思える駅を見つけた。国道からはずれて小さな集落をぬけた先にある無人駅で、私たちはその日の宿をここと定めだが、私たちのことを見る集落の人たちの視線が冷たかった。それはそうだろう。どこの馬の骨とも知れない高校生の子供たちが突然村にやってきて、駅に泊まろうとしているのだから。集落の人たちは何も言わなかったが、無言の圧力を感じて私たちはそこに宿泊することをやめ、暮れようとしているころに、当てもなく走りだしたのだった。

 私たちは排他的な村の駅ではなく、少しでも大きな町の駅に泊まろうと考えたのだが、それが鯵ヶ沢で、走っているうちに日は落ちて、街灯などない真っ暗な海沿いの国道を無言でペダルを踏んでいった。私は夢中だったが怖いとか辛いとは思わなかった。しかしそう感じている仲間もいて、それが原因となってグループはバラバラになってしまったのだった。

 

 五能線沿いをゆく

 

 あの時の集落を探しつつ北上する。深浦の町を見下ろす展望台があったので立ち寄ってみた。深浦は思っていたよりも大きな港町で荒磯もあって海は美しい。そして深浦の前にも先にも五能線が道路の右になったり左になったりして続くが、電車には一度も会わない。海は絶景だし五能線は鄙びた味をだしているが、16の時には何も感じなかった。あのころの五能線はよくあるローカル線だったろうし、海も何もない田舎の海岸線を走った記憶しか残っていないのだ。

 とどろき、という駅があの場所のような気がしたが止まらなかった。そのまま走りつづけると千畳敷にでた。パーキングがあったのでバイクをとめるが、千畳敷は広い岩場があるところで格別珍しいものではない。それでも観光バスが立ち寄ったりしていた。

 地図をひらいた。日差しが強くて暑い。日向にいるとジリジリと焼かれるようなので、日陰でTMを見るが黄金崎不老不死温泉を通り越してしまっていた。遠すぎると思っていたが、案内がでていないからわからなかったのだ。黄金崎からかなりの距離を走ってきてしまっているので、露天風呂は諦めることにする。その分時間が節約できたから先にすすめると考えるが、東北は思ったよりも広く、なかなか旅がはかどらないと感じていたから、ちょうどよかったかもしれない。

 走りだすと涼しくなった。快晴で涼やかな空気の中をバイクで走っていると、とても爽快で幸福な気分になる。思わずRCサクセションの「雨上がりの夜空に」を歌いながらゆくが、左手の海はここも絶景で、ついに五能線のディーゼルカーがやって来たが、意外にもモダンな車体なので、イメージと違ってなんだかうっちゃりを食らったような気分になった。しかし口ずさんだ歌が今夜を暗示していたのかもしれない。

 

 鯵ヶ沢駅

 

 鯵ヶ沢の駅についた。新しくてとがった屋根の駅舎が意外だったが、昔の建物もこういうデザインだった気がしてきた。高1の時は駅の入口の庇の下にシュラフをならべて寝たのだが、翌朝起きてみると朝市のおばさんたちが隣りに店を開いていた。おばさんたちにいろいろと話しかけられたのだが、訛が強くて何を言っているのかまったくわからなかった。何度も聞きなおして、どこから来たのかとたずねているようだとわかったが、あれはもうずいぶんと前のことになってしまった。

 30年以上の時をへて再会した鯵ヶ沢駅に別れを告げた。鯵ヶ沢のはずれで給油をして岩木山にむけて南進する。県道3号線をいくと岩木山がよく見える。鳥海山も魅力的な山だったが岩木山も存在感がある。それはふたつの山が独立峰だからだろう。ひとつだけ大きくたっている山は心に強く訴えてくる力がある。

 

 岩木山

 

 帰ってこいよ、という演歌に岩木山がでてくることを思い出し、口ずさんでみる。この歌はこのあたりのことを歌ったものなのだろう。たしかにここから東京は遠い。ところで「帰ってこいよ」では、岩木山のことを「おいわきやま」と呼んでいるが、地元出身の友人はそうは呼ばないと言う。地元では、いわきさん、か、単に、やま、と呼ぶそうで、おいわきやま、とはじめて聞いたときには、岩木山とは思わなかったそうだ。

 途中で県道30号線に入り、岩木山の北側をまわって弘前にゆくつもりだった。しかしその分岐を通りすぎてしまい、岩木山の南を走ることになった。津軽岩木スカイラインの入口でそれに気づいたのだが、走ってみればどちらも同じことだった。

 嶽温泉に近づくと、嶽きみ、という看板がたくさんでている。なんだろうと思っているとトウモロコシのことだった。トウモロコシをトウキビと言うが、この辺りではキミと呼ぶようだ。嶽きみは人気があってたくさんの人が買っていた。

 岩木山の南側は景色のひらけた気持ちのよい高原となる。この高原にもたくさんの人が行楽に来ていたが、ここで人々は梨を買っていた。きみ同様大人気で、地元の年中行事になっているようだ。

 

 弘前市旧図書館

 

 弘前の街に入ってゆくと古い洋館がたくさんある。雰囲気のある建物ばかりなのでバイクでまわって見学した。弘前は城下町だから城跡もあるのだが、こちらはたずねなかった。誰の城とも知らないからだが、ポスターで津軽候の城だったとわかった。津軽氏という大名がいたことさえ知らなかったが、角館の佐竹氏と同様、帰ってから調べてみようと思った。

 昼時となった。弘前は郷土料理のけの汁が有名だし、フレンチ・レストランもある。しかしそういう食べ物は飽きてしまったし、料金も高いから、食べ慣れているものにしたい。東北が地盤のファミレス「まるまつ」か、すき家の牛丼にしたいと思いつつ、黒石にむかうことにした。

 弘前を出ようとするとすき家があった。しかしどちらかというと他の店にしたいから見送ると、黒石にもすき家がある。すき家はどこにでもあるんだなと感心したが、黒石によい店があるかもしれないから、黒石観光の目玉、こみせ通りにいくことにした。

 

 こみせ通り

 

 こみせ通りは商家が自分の店の前に、通行人のために屋根つきの廊下を作っているものだ。土地も商店のもので、買物客の便宜をはかっているのだが、冬の荒天時にはずいぶんと助かると思う。

 こみせ通りは思ったよりも規模が小さかった。例によってバイクでゆっくりと走りながら見学し、ベストポジションにもどってきた。こみせは商家の庇を伸ばして作られている。古い木製のものだから風情があり、そのたたずまいは濃厚で情緒的な人間関係を想像させる。夏の今は取り外してあるが、冬は雪よけの板を柱の下部に取り付けるようだ。こみせと犬にトイレをさせるなと注意書きがある。当り前だから笑ってしまったが、そんな非常識な人間もいるのだろう。

 黒石名物はつゆ焼きそばだがこれは食べたくない。チェックしておいた店や雰囲気のよい食事処はみな混雑しているので、すき家に行くことにした。注文したのはハンバーグ・カレーの530円で、けっきょくこんなものがいちばん口にあうのだった。

 食後は一気に龍飛崎にいくことにする。午前中はとても今日中に龍飛崎まで到達できないだろうと思っていたから、その予想が外れてよかった。不老不死温泉に入らなかったのが大きいと思う。五所川原をめざして北上していくと、太宰治の生家である金木の斜陽館の案内がでている。ここにいきたいと思っていたのだが、それを忘れていた。もちろん立ち寄っていくことにする。

 金木の周辺には何もない。ただ田が広がっているだけで他の産業もないようだから太宰の生家はよほどの大地主なのだろう。米の売り上げだけでーー他にもあったのかもしれないがーー貴族院の議員になれるほどの納税をしていたとすると、どれほど広大な農地を所有していたのか想像もつかない。それに申し訳ないが金木には文化の香りがしない。それなのに太宰が出たということは旧家にはそれがあったということか。それとも五所川原や弘前にあったのだろうか。

 

 斜陽館

 

 斜陽館は大きくて風格はあるが、敷地は思ったほどではなかった。入館料のかかる斜陽館には入らず、むかいのみやげ物店を見ていると、青森県の方にアンケートに答えるように求められた。内容は青森まで新幹線が乗り入れることを知っているかということが主で、青森では大ニュウスのようだ。もちろん私はそれを知らなかったし、興味もなかったのだが、それを聞くとそのうち家族旅行で利用するかもしれないと考えたりした。他に聞かれたのは旅の日程と費用、たずねる予定の青森の観光地など。

 斜陽館から北上していくと風景は一気に鄙びてしまった。この先に町はなく家も少なくなる。十三湖に入ってゆくと、しじみ料理で有名なレストランと道の駅がある。ポツンと人気のない展望台もあって、ここでゲリラ・キャンプができるなと思ったりした。しかし今日の宿は十三湖にある「十三湖中の島ブリッジパーク」にしようと思っていた。そのキャンプ場の看板を見て、場所の見当をつけたがサイトを確認せずに龍飛崎にむかったのだった。

 十三湖の先は原野となった。地図では海沿いを行くのだが、じっさいは山の中のような急カーブと急坂が連続する。その国道399号線をハイペースで飛ばしてゆくと、次々に車に追いつくから、その度に追い越していった。

 

 眺瞰台からの景色 

 

 やがて眺瞰台という展望台にでた。高台になっていて周囲を見下ろすことができるのだが、ここからの眺望がすばらしい。眼の前には日本海と津軽海峡がひろがり、北海道の松前半島と小島が見える。険しい龍飛崎の山や谷の深い緑が、海と空のブルーと鮮やかなコントラストをみせている。いつの間にか頭上をおおっていた雲の間から、一筋の日が差し、その光が海を照らして、そこをフェリーが静かにすすんでいた。海峡はどこも雄弁で説得力があるものだが、ここの絶景は瀬戸内の来島海峡とならんで、私のベスト1だ。

 15時30分になっていた。すぐ先にある龍飛崎にむかう。気温は24℃、25℃と表示されている。雲は濃くなってきているが雨は降りそうにない。今日は五所川原でパラパラと雨粒が落ちてきたが、すぐに止んでくれたのだ。

 龍飛崎の階段国道に到着した。写真をとってその先にある龍飛崎の展望台にすすむ。しかしここの風景は眺瞰台よりも劣るから、少しながめただけで先に行くことにした。雲の色が急に濃くなってきた。バスガイドも雨が降りそうだと客に言っている。津軽半島を一周したいので、海岸線を走り、その後で十三湖にもどって幕営するつもりだった。

 高野崎方向にむかうとホンダ・コールドウイングに追いついた。ゴールドウイングをぬいて更に先にいる車を追い越してゆくと、雨が落ちてきてしまう。様子を見ながら走るが、トンネルに入ったところで激しく降りだしてしまった。雨の当たらないトンネルの中でカッパを着ることにしてバイクをとめると、ゴールドウイングはそのまま走り去った。

 空を見て雨はすぐに止むと予想し、雨具の上下は着たがブーツカバーはつけなかった。しかし走りだすと降雨は強くなってしまう。その烈しい雨降りの中で高野崎にいっても景色は楽しめないから、半島を一周することはやめて、今別で内陸に入り、十三湖にむかうことにした。しかしこの道でついに土砂降りとなり、今更ながらブーツカバーをつけたが、靴は湿ってしまった。

 ザンザン振りの中を十三湖までもどってきた。この雨の下でキャンプをするのは厳しいが、とにかくキャンプ場にむかってみると、十三湖中の島ブリッジパークは、十三湖の浮島にある野営場だった。中の島には歩道橋で渡るのである。だからブリッジパークという名前なのだ。その橋をわたって中の島に行ってみるも誰もいない。バンガローやレストランもあるが、雨の降る月曜の夕刻にのこっている人はいなかった。

 ここのキャンプ場はバイクを駐車場にとめて歩いてサイトにゆく。雨の中で荷物を運ぶのは億劫だし、テントを立てようとしたら強い雨でたちまちびしょ濡れになってしまうだろうから、ここでキャンプするのは断念し、とりあえず橋をわたって県道にもどることにした。

 中の島から県道にもどるとすぐ先に船宿のような旅館がある。1階は食堂になっていて、しじみラーメンの幟がたち、ちょうどビック・スクーターのライダーが宿に入ったところだった。ここに泊まろうか、食事はしじみラーメンとビールで宿泊代は4・5千円?

 時刻は17時30分だった。よほどここに泊まろうかと思ったが、キャンプにこだわっているし、建物がチープだし、金が惜しいし、それに宿に泊まるなら青森のビジネス・ホテルにしたほうが先にすすめて効率的だし、居酒屋で飲めて面白そうだと考えてそうしなかった。しかし後から考えればここに宿泊するのが正解だったのである。

 強い雨の中を走りだすが、日が暮れて視界が悪くなり、前がよく見えない。これならさっきの宿に泊まればよかったと思っていると道の駅までもどってきた。道の駅はまだ営業しているが、建物には庇がついている部分があり、人がいなくなればテントをたてるのによさそうだ。時間は17時40分で営業終了は18時だろうか。道の駅に従業員はいるが客はいない。とりあえず水さえあれば何とかなるからポリタンに汲んでみるが、道の駅が営業終了するのを待つのもなんだかみじめだし、ゲリラ・キャンプもよい年をした男のやることかと考えてしまう。私はケチだがルールやマナーは守るのである。やはり青森のビジネス・ホテルか。でもビジネス・ホテルは怖い思い出がある。

 Pキャンをしようとしている1BOXカーが1台いて、車内で男性が食事をしているのが見える。私も東屋に入って蕎麦でも茹でようか、それともメモでもつけて人がいなくなるのを待とうかと思うが、そうできなくて道の駅を出たのだった。

 無人の展望台までもどるが、ここでのゲリラ・キャンプも見送って、しじみのレストランに至った。とりあえずしじみ尽くしの料理で腹を満たしておこうか、またレストランのむかいがパーキングになっているから、ここでゲリラ・キャンプをしようかと思うが、びしょ濡れのカッパ姿で店に入るのが躊躇われて、また青森にむけて走りだすのだった。

 金木から県道2号線で青森にむかう。この道は霧のかかっている狭い山道で見通しが悪い。ライトをハイビームにして手探りするようにして走るが、青森までの32キロがやけに長かった。たまに対向車が来てくれることが救いで、車が1台もいないようでは相当心細かったと思う。

 青森のビジネス・ホテルに泊まるつもりだが、ビジネス・ホテルが怖かったりもする。それはずいぶんと前のことなのだが、家族旅行で九州のビジネス・ホテルに泊まったのが原因だ。5階のその部屋で寝ていて夢を見た。私は家族で眠っていた寝室の隣りの居間にいて、若い男と対面していた。男は私に、自分はこの窓から飛びおりて自殺した、こんなふうにだ、と言って窓の外に身を投げる。次の瞬間に男は私の前にもどってきて、だからお前たちもそうしろ、と言うのだ。それがエンドレスで延々と繰り返されて、私は半覚醒状態の金縛りになっていたのだが、隣りで寝ていた家内が起きあがってトイレに行ったので、私の金縛りは解けたのだった。

 この時のことは夫婦の間でも話し合うことはなかったのだが、最近になって九州の話題になった折に、私があのホテルではこうだったと言うと、トイレにたった家内は隣りの部屋にいる男を見たと答えたのだ。男は背をむけて座っていたそうだ。そのときの家内は感覚が麻痺していて、ああ男の人がいるなと思っただけで寝室にもどって眠ったそうだが、後になってとても怖かったとのこと。私たち夫婦に霊感はないから、こんなことは後にも先にもこれだけなのだが、だからビジネス・ホテルに泊まるのは躊躇われるのだった。

 山道をぬけて国道に出ると雨は止んでくれた。こうなるとキャンプできるのではないかと欲がでる。デイリーヤマザキがあったのでここの駐車場で地図をひらき、青森周辺のキャンプ場をさがしてみると、青森市街から酸ヶ湯方向に南下したしたところに「モヤヒルズ」という野営場がある。電話をしてみると21時まで受付をしているとのことでここに行くことにしたが、現地は雨が降っているというのが心配だった。

 時刻は19時をすぎていた。これから料理をするのは無理だから、品揃えと料理センスの悪いデイリーヤマザキでポテトサラダ128円と揚げ物のおつまみセット398円を買った。他には焼きそばくらいしかないのだ。

 モヤヒルズにむかうが青森の中心部につくとまた雨が降りだしてしまう。それも強い降雨だ。どうする? やはり青森のビジネス・ホテルにしたほうがよいのではないか、と思いつつ青森の街をゆくとビジネス・ホテルは何軒もある。しかしモヤヒルズに行くと言ってしまったし、いやそれは電話で断ればよいことだが、つまみを買ってしまったし、ホテルは怖いからと迷っていると、酸ヶ湯方向に曲がる国道103号線の分岐についた。その交差点にはスーパーホテルというビジネス・ホテルがあり、1泊朝食つき4980円の看板をだしている。ちょうどバイクのふたりがこのホテルに入ろうとしていて、ここにしようかと思うが、決断できずにモヤヒルズにむかうのだった。

 酸ヶ湯方向に山をのぼりだすと雨は激しくなりザンザン降りである。これではとてもテントは張れないが、設営のときに一時的におさまるか、もしくは炊事場や東屋などの屋根があるところがあればキャンプできると思う。逆に言えばそうでなければ野営はできないということだ。

 モヤヒルズについたが雨は強いままだ。受付に行ってキャンプ場に屋根のあるところはあるかと聞いてみるが、ないとのこと。それではバンガローはあるかとたずねると、ケビンはあるが1泊1万円もする。それは高いね、と言うと、係員は予算はいくらなんですか、と聞く。明日も天気悪いですよ、と言いながら。料金を割引する気があるのかと思ったらそうではない。私が困っているのを面白がっている気配がある。それくらいの金ならあるが、青森までもどれば4・5千円でビジネス・ホテルに泊まれるのに、ここに1万円も出す道理がないだろう、と答えてモヤヒルズを出た。

 青森のビジネス・ホテルに泊まるほかない。怖いなんて言ってられない。青森市街にもどってゆくが、明日に備えて給油をしておくことにする。満タンにして走りだすと漫画喫茶がある。まんきつ、には格安で泊まれるらしく、大学生の息子がたまに利用しているが、勝手がわからないから近寄らなかった。

 

 ホテルのバイク置き場

 

 スーパーホテル4980円までもどってきた。ここで私は最後の粘りをみせる。大きなスーパーホテルのならびにある、小さなビジネス・ホテル「青森グリーン・パーク・ホテル」のほうが安いはずだと思い、こちらに入ってみたのだ。思ったとおりこちらは1泊朝食なしで4400円だった。禁煙室が空いているとのことで、部屋を用意してもらっている間にバイクをホテルの裏口にまわし、屋根の下にとめさせてもらう。チェックインして5階の部屋に通った。

 

 快適な部屋

 

 ビジネス・ホテルはあのことがあったから怖かったのだが、ここはそんな気配はまったくない。カッパとブーツカバーをはずして干し、荷物をはこんだ。居酒屋で飲みながら食事をしようかと思うが、デイリーヤマザキで買ったものが無駄になるのはもったいない。でもこれだけでは物足りないので、コンビニを探しにゆくとミニ・ストップがあった。しかしここも料理の品揃えは貧弱でデイリーヤマザキと変わらない。選びようがなくて、けっきょくソース焼きそば198円とのどごし生196円を買った。

 

 ジャンクな夕食

 

 部屋にもどると20時30分をすぎていた。ビールを飲みつつ食事をとり、メモをつける。ホテルだからテントよりも広くて明るい。デスクでテレビを見ながら文章が書けるから快適だ。そして風呂に入ってさっぱりすればじつに気持ちがよい。しかし今日は夕方から何をしていたのだろうか。もっと早く決断していればこんなに迷走することもなかったのに。優柔不断がいけないのだが、キャンプ慣れして慢心していたのかもしれない。

                                                 419.1キロ