2011年 北海道ツーリング 3日目 霧と雨と風と、釧路の夜 

 

 和琴半島の朝

 

 4時30分に眼が覚めた。もっと寝ていようと思うが天候が気になって起きてしまう。天気はくもりで時折雨粒がポツポツと落ちてくる状況だ。ラジオをつけるとやはり今日の予報は悪いとのこと。明日も雨だそうだ。荒天ならばビジネス・ホテルに泊まることも考えているし、なにより今雨が降りだすと濡れたテントをたたまなくてはならなくなるので、急いで荷物をまとめることにした。

 テントを撤収しつつカップめんで朝食とする。昨夜露天風呂でいっしょになったらしき男女がいる。暗くて顔も見えなかったから判然としないがたぶんそうだろう。女は背中に『遊び人』と文字の入ったTシャツを着ている。ふたりは若いが学生ではない。20代後半だ。彼らは私を見ていたが、私が眼もあわせないでいると近づいてこなかった。

 6時10分に出発した。和琴半島から国道にでてゆくと弱い雨がふっている。今日は終日雨降りとのことで、林道走行は諦めて花咲にカニを食べにいくことにした。北海道の食べもので何が好きかといえば、断然カニ、それも花咲ガニなのだ。北海道に来たらこれだけはどうしても食べたい。それも花咲港で味わいたいと思っていた。

 屈斜路湖周辺の林道も走りたいが、それは後日にすることにしてまず開陽台にいくことにした。昨夜買物にきた摩周をすぎると霧が濃くなって、開陽台にいっても何も見えないだろうがそれでもいきたい。何度もたずねて思い出がつまっているからだ。

 水滴がポツポツとカッパにあたり、シールドにも水がながれるが、雨なのか霧なのか判然としない。霧は深いところでは視界は50メートルもなかった。国道243号線から道道885号線に折れる分岐はとくに霧が深かったのでバイクをとめて写真をとった。カメラをかまえていると霧のかなたから車の音が近づいてきて、やがて大型トラックが白い世界からあらわれ、後ろの白色の空間に消えていった。

 ほとんど交通量のない道道885号線で開陽台にむかう。霧のほかに見えるのは牧場と暴風雪よけの道路脇にある開閉式の鉄の壁、そして防風林だ。防風林の大きな樹木の下だけ路面は濡れていないから、カッパやヘルメットをたたいているのは霧だとわかる。防風林は霧をさえぎっていて、そこだけ視界がひろがるのは不思議な光景だった。

 霧のなかをずいぶんと走った。どのくらい走行したのかわからなくなるほどで、それなのに開陽台につかない。もしかしたら看板を見落としたのではないかと考えるが、そう思ってしまうほど霧は深かった。やがて開陽台の案内があらわれた。その指示にしたがってゆくと開陽台の入口にいたるが、熊が出没しているためキャンプ場は閉鎖中と書いてある。こんなところまで羆がでるのかと驚くが、深い霧のなかで熊と鉢合わせをするといけないから、ホーンを鳴らしながら進んでいった。

 

 霧の開陽台

 

 視界は50メートルもない。熊を警戒してゆっくりと走り、展望台につづく階段の下にバイクをとめた。熊よけに口笛をふきながら階段をのぼってゆく。乳白色の何も見えない夢のなかのような世界を展望台まで歩くが、もちろん誰もいないし店もまだ開店していない。展望台の裏にあるキャンプ場を見にいこうかと思ったが、熊がいては困るのでやめておく。地球が丸くみえる、と書いてあるモニュメントと記念撮影をして駐車場にもどった。

 前回開陽台にきたのは2007年だった。その前日、開陽台に泊まってみたいと私が言うと、macさんはあそこはよいところだが風が強い、と答えたのを思い出す。あの時は土砂降りの雨のなかを走って開陽台についたら誰もキャンプしていなくて、展望台の入口のひさしの下にテントを張ったのだ。その後も台風による雨がつづいた年で、macさんは心配して電話をくれたっけ。しかし雨や風には今回も悩まされることになるのである。

 霧でなにも見えない北19号線で写真をとり中標津にむかう。考えてみると霧を見るのは久しぶりのことで、その中を走るのは日常では体験できないことなのだ。そう考えると霧につつまれていることがとても貴重に感じられてきた。

 中標津の町に入ると霧はうすれた。そして道道8号線に折れると霧は消えてしまう。霧は晴れたが雨は降ったり止んだりの空の下をゆく。国道243号線との合流点にはホクレンがあり、フラッグ完売しました、の看板がでていないので、まだ残っているのかと思って入ってみた。しかしフラッグはなし。元々フラッグにこだわるつもりはなかったから残念でもないのだが、このGSにはオリジナルの「ガンバロウ 日本」と書かれたフラッグがあり、それをいただくことができた。21.7K/L。単価は146円。

 この先は風が強くなった。バイクをあおられるのでハンドルをおさえつけて走るから、速度も60〜70キロしかだせない。気温も低下して耐えがたく寒く、また眠くもなってきた。寒さのためか首と頭も痛くなってくる。我慢して走っていると観光用の大型トイレがあったので、ここでヒートテックの上下を着込み、長袖シャツの上にトレーナーも重ねて、あるだけのものを身につけるとようやく暖かくなった。すると首と頭の痛みも消えたのだった。

 海岸線の国道44号線にはいると風はさらに強くなった。寒さは感じなくなったが気温は10℃くらいだと思われた。突風が吹くとバイクを流されるので、車間距離をあけて走る。対向車とすれちがうときには神経をつかう。後続車が私の遅いペースにイラつかないかと心配したが、私が風にあおられているのを見て、車も私との距離を大きくとっていた。

 

 根室駅

 

 根室駅についた。ここも網走とおなじく寂れている。弱い雨という天候のせいもあるのかもしれないが人も車も少ない。駅にはサイクリング車が2台とまっていたが、サイクリストは駅前の観光案内所のソファで寝ている。この荒天では停滞するほかないのだろう。

 1983年にスズキGSX400Fでこの地に来た私は根室駅で野宿しようと思ったのだが、市街にバス停小屋をみつけてそこに泊まることにした。『1983年の北海道ツーリング』にも書いたのだが、夜半に盗っ人があらわれ、バイクに積んでおいたテントと三脚をもっていかれてしまった。それが根室支庁前というバス停だったので、その場所をさがしてみようと警察や市役所のある官庁街をまわってみるがわからない。30年もたつと街も変わってしまうし、帰ってから調べてみると支庁という制度もなくなってしまったようだ。

 花咲港にむかう。2007年にも利用した、港の入口にある大八食堂にいくつもりだ。走ってゆくと店が見えてきたのでその前にバイクをつけた。ふたつの店舗がくっついているように建っているがそれぞれ別の店で、むかって左が大八食堂だ。

 奥さんが、食べてく? それとも送る? と聞くので、食べて送る、と答える。どれを食べる、とたずねられて、店頭にならべてある茹でガニの中から、ひとりなので小ぶりの600gで1800円の品をえらんだ。

 

 絶品の花咲ガニ

 

 店内は混んでいて席があるかと心配したがなんとか座ることができた。えらんだ花咲ガニがカニバサミといっしょにだされ、サービスの鉄砲汁とサンマの刺身もテーブルにおかれた。鉄砲汁は出汁がきいていてとても滋味深いあじわい。単純な料理なのにこんなに風味がよいのは花咲ガニをつかっているからだろう。サンマはルイベのように氷っていたが、正油につけてたっぷりのネギといっしょに口に入れると、とろけてゆく。脂ものっている。そして花咲ガニは問答無用の美味しさだ。私はこれ以上おいしいものはないと思う。これが1800円とはほんとうに安い。

 カニはまず足をすべて折り、腹についている袴をはずして胴からたべていく。カニ味噌がたまらない。内子は味がないから好きではないのだが、味噌や足の合い間に食べて、すべてを40分で完食した。

 食後にカニを発送する。1800円のカニを2ハイ首都圏におくって5340円だ。店で賞味したカニが1800円だから合計7130円のところ、7000円にまけてくれた。こういうことが嬉しい。前回来たときとご主人が代わっているので聞いてみると、店をついで4年とのこと。お店は近く改装するそうなので盛業のようだ。

 となりには男女4人のキャンパーがいた。天気が悪くてキャンプができないとのこと。今夜も温泉にとまるのだそうだ。彼らは茹でたてのカニを食べようとして待っているところだった。ご主人とキャンパーの皆さんに送られて走りだす。霧多布にむかうが海沿いの太平洋シーサイドラインをいくか、それとも内陸の国道44号線を走るか迷う。晴れていれば考えることもなく太平洋シーサイドラインなのだが、今日は風が強いから強風、突風が予想される。風が怖いが海沿いの道をゆくことにした。国道は楽だが面白くないから。

 風は思っていたほど強くなかった。しかし海は荒れている。白く泡だった海と牧草地を見てすすむと防風林の中をいくようになった。霧多布に近づくとムツゴロウ王国の看板がでている。ムツゴロウのテレビ番組は好きでよく見ていた。案内板がでているということは王国で商売をしているのだろうと思い、立ち寄っていくことにした。

 

 ムツゴロウ王国は左の急坂をゆく

 

 道道から海にむかって砂利道に入ってゆくと、V字に折り返すような分岐があり、その先は急坂のダートである。その坂は林道を走り慣れている私でもいくのをためらうほどの斜度なので、ムツゴロウ王国には進まずに海の方向にいくと広場があり、そこにさしかかると犬がいっせいに吠えだした。犬は5・6頭いて彼らが騒ぐとたいへんな音量だ。犬に吠えられるのは心外だし、急坂をゆくのも億劫になり、ムツゴロウ王国にいくのはやめてしまった。帰ってから調べてみると、犬のブリーディングをしているだけで、一般人は受け入れていないようだ。

 霧多布岬は霧の日が多く、景色が見えないことで有名だから、たぶん何も眼にすることはできないだろうと思っていた。しかし灯台に近づくと、霞んでいるが岬の先端まで見えている。この天候で風景を楽しめるのはツイているとしか思えず、やはり私は晴れ男のようだ。

 灯台の手前に展望台ができていたので、ここから海と岬を眺めることにした。バイクを駐車場のとめるとカラスがやってきて、カーカーカーカーと鳴く。そうすると観光客が餌をくれると学習したのだろうが、私は動物に食物をあたえない主義だ。残念だったな、とカラスに言うが、ツマミに持参したサラミをもてあましていることを思い出した。君たちはツイているぞ。

 サラミをカラスに投げてやる。すると一方のカラスがサラミを独占し、もう一羽はまったく食べられないのだ。強いカラスはサラミを3個も4個もくわえているのに、さらにもらおうとしている。そこでサラミを遠くに投げ、強いカラスを遠ざけておいて、弱いカラスにも食べさせてやった。

 

 霧多布岬

 

 駐車場にはステップ・ワゴンがとまり、中にはリタイヤしたらしいお父さんがいる。その方は食器を持ってでてくると、雨ばかりで面白くないね、と言う。まったくです、と答えるとお父さんはトイレに皿を洗いにいったが、私も定年をすぎたらお父さんのような旅をして、バイクでツーリングをしている男に親しげに話しかけたりしそうだ。それは私たちはおなじ種類の人間だから。放浪をする心をもつ者だからだ。それはこれを読んでくださっているあなたも同じでしょう?

 霧多布キャンプ場が見える。ここはmacさんとcarrotさんご夫妻がよく利用していたところだ。ミッキー君も。いつかここに泊まることもあるだろう。厚岸にむかうがまた国道44号線でいくか海沿いの道道125号線にするかで迷う。国道は楽だが味気ないから、道道にしようと先程とおなじ結論をだして海岸線の道をすすむと、後方からワンボックスカーが追い上げてきた。抜くのかと思ったらついてくるので、その車をしたがえて走り、琵琶瀬展望台に入った。

 バイクをとめているとワンボックスカーからおりた女性が大声をあげて近づいてくる。どうしたのかと思ったら、大八食堂にいたキャンパーの皆さんではないですか。よくお会いしますねぇ。しかしそんなに再会を喜んでいただいて私も嬉しいです。皆さんと展望台にのぼり霧多布湿原と琵琶瀬湾をながめる。湿原と海が霧にかすんでいた。

 キャンパーの皆さんは先に出発した。道道123号線で厚岸にゆき、釧路にすすむ。琵琶瀬で雨はやみかけたのでキャンプは可能かと思ったのだが、また降りだした。そこで今夜は釧路のビジネス・ホテルに泊まることにする。速い車の後ろについて飛ばしていく。正面衝突防止のために2時間毎の休憩を、と道路脇にでている。たしかにハイ・スピードで走っているから長時間運転は危険だろう。しかしmacさん、と思う。どうして、と。分別盛りを疾うにすぎた男が事故にあったのだ。相応の理由があるのだろう。それが聞きたい、どうして、と。しかしかなわない。

 

 釧路駅前のビジネス・ホテル オーシャン

 

 釧路駅に近づくとビジネス・ホテルはたくさんある。東横イン、スーパーホテル、プリンスにルートイン、どれも大手のチェーン店だ。しかしこういうところは私の納得できる料金ではないので、地元の、ネームバリューのない、安値をウリにしたホテルを求めて駅の周辺を物色する。するとあった。『1泊朝食付き3700円』と価格を提示している古いホテルが。この『くしろ駅前ホテル オーシャン』のフロントにいって部屋はあるかとたずねると、4000円の禁煙室がご用意できますとのことで、ここに泊まることにした。

 バイクは専用の駐車場があって200円とのこと。シャッター付きの広いスペースだった。荷物を運ぶことにしてホテルの前にとめたバイクのところにいくと、強風でバックミラーにかけておいたヘルメットが落ちてしまっている。長いことバイクに乗っているがこんなことは初めてだから、風はほんとうに強かった。

 部屋でシャワーをあびる。一日中雨と風、寒さの中を走ってきたから暖かいシャワーが体の強張りと疲れをながしてくれる。その後はテーブルでメモをつけた。椅子にすわり、スタンドの明かりのしたで文字を書くのは快適だ。窓の外の風雨をながめながらペンをはしらせた。

 カニは腹にたまらない。空腹になったので16時40分にホテルをでた。17時に飲み屋が開店するから、この時間になるのを待ちかねていたのである。釧路の繁華街は駅から10分ほど歩いたところにある。その方向をフロントで確認して、まず釧路駅を見にいった。1981年の北海道サイクリングの際に釧路駅で野宿をしたのだ。あれがはじめての北海道だった。大学のサイクリング部のメンバーと別れた私はひとりで釧路まで走ってきた。翌日、釧路から東京にフェリーで帰ったのだがーー当時は釧路ー東京便があった。東京ー苫小牧便もーー駅には何日も前から泊まっている2・3才上のふたりの大学生がいて、彼らは徒歩で日本縦断をしている最中だと語った。しかし8月の半ばを過ぎたというのに、まだ釧路にいる彼らは、九州までいくという彼らの計画がなるのか、ならぬのか、自身でもわからず、それでも気負っていて、歩きとおすのだと話していたっけ。当時はそんな旅人がたくさんいた。

 3人で横になった場所を見てみたい。それは駅のはずれのひさしの下だ。19のときに野宿をした場所を感慨をもってながめ、よい年になったオヤジは釧路の街に飲みにゆく。ずいぶんと時がながれたが、相変わらず私はおなじことをしている。放浪する心はいくつになってもなくならないのだ。それはmacさんもそうだし、あなたも同じはずだ。

 釧路に泊まることがあったら行きたいと思っていた店があった。地元の人が通っているという海鮮居酒屋の『ちゃりんこ』という飲み屋と、つぶ貝の焼き物とつぶ貝ラーメンしかないという頑固な店舗だ。まず『ちゃりんこ』に入った。

 

 ちゃりんこの料理

 

 カウンターに座って生ビールを注文し、今日のおすすめだという大皿料理から牛ホルモンとつぶ貝煮をえらんだ。しかしこれが量が多くてびっくり。ひとりの客には多すぎるのだ。刺身とカスベの煮付けは追加したが、食べたかった厚岸産のカキや鯨、行者にんにくの天ぷらは手がでなかった。

 梯子酒をするつもりだったが腹がいっぱいなのでホテルに帰ることにする。ホテルでは展望風呂に入ったり、ミッキー君にメールを送ったり、メモをつけたりしてすごす。もちろん焼酎の水割りを飲みながら。やがて小腹がへったので蕎麦でも食べようとホテルの外にでた。

 22時くらいだっただろうか。もっと前か。駅に行けば何かしら店があるだろうと思ったのだがない。そうなんだ、何もないんだと驚きながら、それなら飲み屋街の方向にすすめば途中に飲食店があるだろうと思って歩くもやはり営業していなくて、飲み屋街についてしまった。

 

 釧路ラーメン 河むら

 

 飲み屋街には『釧路ラーメン 河むら』という飲食店が1軒だけ営業していた。ここに入っていちばんシンプルな醤油ラーメンを注文する。でてきたのは支那そばのようなラーメンだったが、スープは日本蕎麦のような、焦がし正油風味のような独特のもの。好みのわかれる一杯だった。

                                         326キロ