8月20日(水) 尾道・広島から夜の錦帯橋へ

 6時30分に起床した。家内に背中をつつかれたのだ。自分は眠ったままである。昨夜携帯電話の目覚ましを5時にセットして寝たのだが、いつの間にか止めていたらしい。とりあえずトイレにいく。すると演歌がガンガンなりだしておどろいた。男性歌手の歌で一旗あげたかあげないかという内容で、○○なのかい? △△なのか? と呼びかけ調のコテコテ演歌。嫌いではないが、これが関西スタンダードなの? と思ってしまう。SAでは朝に演歌をかけるものなの? これが普通なのか? 不思議だ、関東ではありえない。

 演歌はこの人の一曲だけで終了した。地元出身の歌手なのだろうか。聞いたことのない声だった。SAの人の趣味なのか、それともトラックなどの仮眠をとっている人たちのための、気のきいた起床ラッパのつもりなのか。いろいろと考えてしまうが、謎である。

 また戸惑うのはトイレで煙草がすえること。関東は禁煙だ。私も煙草をすうのだが、いいの? と思ってしまう。いいみたいだけどなんだか悪いことをしているような感じ。しかも床に吸殻が五本、六本と落ちていてマナー悪し。これも関西スタンダードか。吸殻は灰皿に!

 取り急ぎ出発した。道路が空いているうちに京都、大阪の大都市部を通過してしまいたいのだ。徐々に混んできたが渋滞のない京都、大阪をぬけて山陽道にむかう。西宮から分岐して山陽道に進入した。

 中国道は20年ほど前に走ったことがあった。そのとき山陽道は存在しなかったで、今回が初走行である。姫路、岡山と通過していく。倉敷をすぎた道口PAで休憩、朝食とした。小さなPAの建物に歩くと『味自慢うどん』ののぼりがたっている。メニューにもうどんがお薦めとでているので、かき揚げうどん、440円×2、をたのんだ。愛想と元気のよいおばさんが取りだしたのは冷凍うどん! なんだよ、それ。もちろんまずい。めんに腰があるわけはなく、かき揚げもべちゃべちゃ。家内は残してしまう。もったいないから私が家内の分まで平らげたが、記憶にのこるまずさだった。

 道口PAでもトイレにいった。ここも喫煙可だ。床に吸殻が散乱していてマナーが悪い。やはりこれが関西スタンダードのようだ。吸殻は灰皿に捨てましょう。たいした手間ではないのだから。

 ここから運転を交替した。家内がハンドルをにぎる。山陽道を西進していく。昨夜の時点では、5時に出て10時に尾道に着きたいと考えていたのだが、6時30分に出発して10時30分に尾道ICに到着した。高速代は15200円と高い。しかしこの距離で途中PAに一泊しているから元は取っただろうか。

 家内の運転で尾道市内に浸透していく。観光ポイントは山の手の千光寺周辺の坂道にかたまっているとガイドにある。国道184号線を南下していくと、千光寺公園駐車場の看板があったので、素直にしたがうことにした。距離は7キロとあり国道からそれて山をのぼっていく。尾道駅にむかいあって立つ山の方向だ。山の上の駐車場についたので、ここから千光寺までどのくらい歩くのか不明で不安ながらセレナをとめた。

 10時45分だった。一日500円の料金を係員にわたす。尾道市美術館入館割引券がついているが、無論いく余裕はない。公園の案内図があったので見てみると千光寺まで近いようで、不安は消えた。あまり長い距離を歩くのは嫌なのだが、いわばここは尾道の裏口だろうか。家内は裏からではなく表からはいりたかったと言うが、流れでそうなったのだから仕方がない。

 公園を歩いていくと遊園地があった。観覧車などの大型遊具がならんでいるが今日は休みである。夏休みに休園とはもったいないが、お盆休みの振り替えなのだろうか。設備は古く、夏の陽のしたに人も、動くものもなくあると、前世代の遺物めいて見えた。

 ゆるやかな坂道をのぼっていった。ひどく暑くて汗をかく。園内は蝉がおおい。おびただしい数の蝉が合唱しているが、聞きなれない鳴き声の蝉がいる。『シワシワ』と鳴く。姿はミンミンゼミに似ているが、これは『クマゼミ』だろうか。

 すぐに山のピークをこえて下りになった。やがて景色がひろがる。足をとめて見つめてしまう景観だ。足下の山肌には寺や三重塔、民家や階段状の道がはしり、山のふもとには尾道の町がある。その先は川のように見える尾道水道がはしっていて、船が通行していた。尾道水道の対岸は陸地に見えるが、向島である。向島のさきは海で大小の島が転々とうかんでいる。ながめは足元からはじまり、尾道の町まで下ってから、目の高さの海まであがってくるのだ。左手には西瀬戸自動車道がはしり、尾道と向島をむすぶ尾道大橋が遠望できる。これはしまなみ海道とも呼ばれて四国につながっているのだ。「おー!」と声をだしてしまう風景だった。


一列目 足元の山肌 三重塔 二列目 千光寺、手前が尾道で尾道水道をはさんで対岸は向島、 尾道大橋

 山をくだっていくと大岩があった。大林監督の映画に登場したポイントだと看板がたっている。ここからの眺めもよい。しかし大林作品に執着はないので一瞥して通過する。尾道にはほかにも大林作品の撮影場所があり、たずねて歩く熱心なファンもおおいそうだ。私としては小津安二郎の「東京物語」に登場する尾道に愛着を感じるが、そこにいきたいとまでは思わない。

 やがて千光寺である。ここが尾道観光のメインスポットだ。風情はあるが小さな寺である。修学旅行の女子高生のグループがいた。尾道は女性好みの町かもしれない。千光寺では先祖供養のための線香を20円で売っていた。20円ならと買って火をともすと、売店のおばさんがボンボンボンと銅鑼のようなものを鳴らしてくれる。それにあわせて線香をあげて手をあわせ、顔をあげるとゴールドカードのお守りをすすめられた。千光寺の印刷された金ぴかの、ゴールドのお守り1000円である。ひどく俗っぽくて見るのも嫌な代物だ。ありがたい、守ってもらえる、とおばさんは言っていたが断った。

 千光寺は奥行きがあり、すすむと弘法大師のお堂がある。ここにも販売員のおばさんが3人ならんでいた。なんやかんやと声をかけてきて営業してくるがなにも買わない。あまり商売熱心だと寺を落ち着いて見られないし、旅情もしらけてしまう。

 千光寺下の坂道に風情があるとのことで下っていく。尾道の裏口から来てよかった。表からならこの坂道を登らなければならない。ずっと階段である。ガイドブックにのっている喫茶店やポストカード店などがあるが、立ち寄るほどのオーラは発していない。尾道らしい坂道を楽しみながら歩いていった。

 山をのぼるロープーウェイがみえた。表からきてもあれに乗ればよいわけだ。帰りは我々も乗車しようと思う。坂をくだると山陽本線の線路にでる。これをわたって一段下の国道2号線にたてば、海抜ゼロメートルだ。千光寺からの距離は短く、300メートルほどだろうか。

 前方にアーケード街がみえた。尾道のメインストリートだ。散策してみたが田舎のアーケード街である。のぞいてみたい店もないが家内はあちこちに引っかかっていた。行商の魚屋のおばあさんがいて珍しいと思う。大型の乳母車のようなものに魚をいれて売っている。客とのやりとりを聞くともなくきいていると、イナダ(ブリの子、40センチほど)が一匹900円だ。高くておどろく。すぐそこが海だというのに、これでは首都圏よりも高い。それでも客の老人はイナダを買い求めていた。

 尾道は老人と虫の多い町だ。蝉もおおいがここ何年も見なかったギンヤンマを見た。そして何十年、おそらく三十年以上見ていなかったオニヤンマを目撃! 感無量である。オニヤンマはこんなにも大きかった、そうだった、とひとり感慨にひたる。最後に見たのは小学生低学年のときなのだ。オニヤンマがいくらでもいるところに住んでいる人には笑われてしまうだろうが、感激した。

 家内が店をのぞいているのでガイドブックをひらいた。するとすぐ近くに有名なラーメン店『朱華園』があることに気づく。ついさっきまずいうどんを家内の分まで食べたばかりだし、暑くて食欲もないのだが朱華園なら無理にでも食べていきたい。様子を見にいってみるとほんの50メートルのところにあった。しかし、店の前までいった観光客が引き返してくる。休みか? と思いながらいってみると第三水曜日は定休日で、まことに間がわるくて残念だった。

 小さなアーケード街を歩ききりロープーウェイで山頂にもどった。料金は280円×2。歩いて坂をのぼることは我々には不可能だ。暑さで倒れてしまう。平地を歩いているだけで汗だくなのだ。11時45分にロープーウェイにのり3分で山頂につく。女性ガイドの案内がついた。山頂駅には展望台があるのでのぼってみた。家内は暑いから嫌だといってついてこない。見晴らしはよかったが、家内の言うとおり景色はのぼらなくともおなじだ。しかし尾道のメインスポットは千光寺や坂道ではなく、この景色だと思った。

 海上に散らばる島々を遠望し、蝉時雨の公園をあるいて駐車場にもどりセレナをスタートさせた。このまま高速にのると途中で昼食の時間となる。高速の食事は朝で懲りていた。国道を尾道方向にすすんでラーメン屋をさがしにいく。尾道ラーメンを食べてみたいのだ。するとすぐに地元の車でにぎわう店を発見した。駐車場にはいると、ひとつだけ残っていた最後のスペースに車をとめた。

 『味龍』という店だったと思う。450円のラーメンをふたつたのみ、私だけ餃子とライスのつく、+380円のセットにした。味は上の下、ちょっと濃い。家内は薄いという。湯加減が一杯ずつ違うようだ。接客は完璧で気持ちよく、近くなら必ずまたいく店だった。

 13時に尾道ICにもどり広島にむかう。家内は眠ってしまった。助手席ではなくはじめからセカンドシートに乗り込んだので、寝る気満々だ。尾道〜広島の高速料金は2000円で、短い距離を利用すると高速料金は割高に感じられる。ICをでて広島市内にすすみ原爆ドームをめざす。この世界遺産を家内が見たいというので。私は眼にしたくないのだが。

 広島球場が見えてくると近くに原爆ドームもたっていた。となりに平和記念公園もある。手近にあった駐車場に車をいれようとすると、なるべく近くで歩かなくてすむところを探せ、とセカンドシートから指示がとぶ。目についた所にいれてしまうのが一番効率がよいのだがと思いつつすすむと、やはり駐車場はみつけられずに迷走し、はじめに駐車しようとした場所にもどってセレナを入庫した。地下駐車場であとになって知ったが、広島の巨大地下街『シャレオ』の駐車場だった。

 13時53分、車をあずけて原爆ドームに歩いていく。広島の街は原爆の歴史があるために重苦しく感じられて、訪ねたいとは思わなかった。高校の修学旅行で原爆資料館をみていたし、長崎のものも他日見学した。悲惨な戦争の被害、非戦の願いもわかるのだが、現代の国際状況は非情で、過去の戦争の悲劇や感情にひきずられていては、日本の将来や国益の判断をあやまってしまう。とにかく非戦というのでは、世界の常識からかけ離れた滑稽な夢物語だ。

 好戦的な隣国がある今日、日本は軍備と法律をととのえて毅然とした態度をとるべきだと思う。その認識が広島や長崎にくると揺らぐのが嫌なのだ。悲惨さに理性が負けそうになるのが許せないから、広島に近づきたくないのだった。

 厳粛な気持ちで原爆ドームをみる。ビデオはまわさない。写真をとるのも憚られる。死者への冒涜のように感じられるから。原爆ドームの写真を記念にとって、アルバムにはるような神経は持ち合わせていないのだ。外国人、とくに白人の観光客がいると耐えがたく不快だ。米国人かどうかわからないというのに。

 となりにある平和記念公園にうつると気分も落ち着いてきた。夏晴れで暑く蝉が鳴いている。先日こころない大学生が放火した千羽鶴をかけてある施設は、ガラスが割れたままで復旧中だった。原爆の子の像の鐘をならす車椅子の人たちがいる。原爆資料館に出入りするたくさんの人がいた。私はいかない。はいると辛いから。園内を静かに散策してそとにでるとアーケード街がみえる。原爆しか知らない広島はあまりにも重苦しい。印象を変えるためにも街をあるくことにした。

 上左 原爆資料館、上右 下左 原爆の子の像、千羽鶴

 広島は大きな街である。大都市だった。アーケードが何本もはしり商店街が延々とつづいている。たくさんの人が行きかい、人々は豊かそうだ。広島のイメージが変わっていく。重苦しさは消えていった。うだるような暑さのなかを歩きまわる。街を散策しだすと家内が元気になった。

 あの店この店とはしごをしていく。私は退屈だが我慢する。古本屋が救いだ。何件もあり専門性の高い書籍が目につく。古本屋はその町の文化のバロメーターといわれるが広島の文化度はたかい。

 竹製のハンドバッグを売る店や大きな陶器店などを見てまわる。商品に地方色がある。街のなかを歩きまわるが疲れてドトールで休憩した。アイスコーヒーで喉を癒し、すわって足を休めた。

 広島が大都市なのは考えてみれば当たり前の話だ。自動車のマツダがあり、広島カープがあって、サンフレッチェ広島のあるパワーのある土地なのだから。原爆にばかり話題が傾きがちだが、ほかの要素も無数にある。

 ひとつのビルにお好み焼き屋ばかりが入居する『お好み村』がある。この4・5階建てのビルでなかを見学した。混んでいる店もあれば客のいない店舗もある。つぶれた店もあった。名物なので食べたいのだが、尾道ラーメンを食べたばかりでとても手がでない。街上にもどるとこれまた高名なお好み焼き店の『みっちゃん』がある。しかし、食べられないのだった。

 16時をすぎたので今日のうちに宮島をみることは無理となった。駐車場にもどろうと地下におりていくと、巨大地下街の『シャレオ』がひろがっている。ショッピングモールがあると家内が色めきたつ。しかし原爆で焦土と化した街がこれほど復興、発展したのはまさに奇跡だ。日本民族は底知れない力を持つ民族だと実感した。 

 案内がでていたので広島城をみようと地上にでると、六本木ヒルズのような再開発ビルがあった。非常に凝ったデザインの洒落た建物だ。歩道をあるいていくとつい先日まで甲子園で投げていた、広島K校のエースがいる。となりの岩国高校に負けてしまったのだっけ。エースは目があうと下をむく。優勝候補が敗れたからだろうか。がんばった若者を責める者などいない。もしいたらそんな人間はろくでなしだ。エースは当たり前だがいまどきの若者の格好をしていた。Tシャツに膝までの短パン。エースはその後ドラフトで指名されてジャイアンツに入団した。

 広島城に歩いていくと広島市民病院がたっている。これは古くて陰気な建物だ。近づきたくない雰囲気が漂っていた。城跡公園にはいる。広い公園だ。濠をわたって園内にはいると櫓があったが、本丸のほうが先だとすすんでいく。しかし城への入場は17時まででなかにはいることはできなかった。城内にあるのは鎧や兜なので展示品に未練はないのだが、天守閣からの景色がみられずに残念だった。

 本丸の真下から天守閣をあおぎみる。横の広場に城の礎石がおいてあったが予想外に小さくておどろいた。こんな大きさの石で本丸を支えていたのか、と。貧弱でさえある石だった。城跡をでていくと被爆樹木のユーカリに既視感をおぼえる。高校の修学旅行のときに見たのかもしれなかった。

 
 広島城と礎石

 いよいよ腹が減ってきた。疲れてきて足も痛む。いつもそうなのだが欲張って歩きすぎなのだ。せっかちで貧乏性なのがいけない。しかし、とにかく待望のお好み焼きだ。車をとめたシャレオにも『みっちゃん』がはいっているので、食事をすれば駐車場代が割引になる。シャレオで夕食をとらなければ損だ。さっそく『みっちゃん』へはしった。

 みっちゃんにはいってみると、いらっしゃいませ、の一言もない。こっちへ、と妙な感じで席に案内されるが店員の態度が悪い。はっきりしないことを口の中でモゴモゴと言って去ってしまう。無礼な接客だ。注文を取りにきても説明が要領をえず、話を途中で打ち切ってしまう。あとはだんまりである。店員は二十歳くらいの男だったが考えられない対応だった。

 私はねぎスペシャル、家内は野菜スペシャルにしたが、ハイでもなければ、かしこまりましたでもない。無言で行ってしまった。なんと失礼な店員か、こんなのにあたったことはないぞと話しあう。席のまえには鉄板がありお好み焼きをつくっているのが見える。手際はよい。調理されているお好み焼きは関東のものとはまったくの別物だ。クレープに具をはさんだような形状で、食べてみるとまことに美味。広島風お好み焼きの大ファンになった。元来お好み焼きは好きではなかったのだがこれはいける。店員の態度は最悪だが我慢してやる。食べる価値のある一品だった。ふたりで2205円である。

 会計もおなじ店員だった。駐車場の割引をうけるにはどうしたらよいのか尋ねる。知っていて聞いたのだ。またゴニョゴニョと口のなかでつぶやいて、話しを打ち切り逃げようとする。しかし最後なので許さずに何度もただす。3度、4度、5度と。あまりにも無礼なので私も大人気なくなってしまった。話しをしてみてわかったのだが、この店員は極端に口下手でシャイなのだ。それでこんな態度をとっていたのだが、この人間を接客につかい、調理の者は料理だけして客の不満は知らぬふりでは、いくら美味くとも底がぬけているぞ『みっちゃん』。無礼な店員はバイト風、厨房にこもっていたのは社員ではないのか。

 シャリオの駐車場の割引は中央カウンターまでいって手続きしなければならない。みっちゃんは端にあったのでまた歩かなければならない。しかしこれで駐車場代は1000円引きで1540円となった。

 広島を去り宮島口にむかう。Pキャンが可能なところがあれば宮島に泊まりたい。なくとも明日フェリーに乗るので雰囲気をつかんでおきたいのだ。広島市街をでて有料道路のように立派な国道2号線、西広島バイパスをいく。ここで給油した。燃費は11.59K/L。101円の4539円である。帰宅時間にぶつかって渋滞していた。バイパスをぬけた先の国道2号線は地方道のように狭くなり、横を広島市街をはしっていた路面電車が走行している。ふつうの電車のように柵のなかをはしっていて路面電車には見えなかった。

 宮島口についた。駐車場はたくさんあるが宮島観光用のもので夜間は閉鎖され、Pキャンできる場所はない。ここで駄目なら、岩国の錦帯橋の駐車場で泊まれると情報収集していたので、先にすすむことにする。ところでこの時間になると風呂にはいりたい。きょうは尾道からずいぶんと汗をかいている。時刻は20時近くになっていた。

 風呂の所在をきける交番はないかと国道2号線を南下していくがない。しかし進行方向右に『宮浜温泉』の看板を発見して右折した。いってみると大きなホテルがある。宮浜グランドホテルだ。家内はこんなに立派なホテルはどうせいれてくれないよと言うが、そんなこともなかろうと聞きにいく。すると入浴は可能なのだが20時までだった。今終わったところで残念である。そこでほかに立ち寄り湯をうけいれているところはないか尋ねてみると、日本旅館の『かんざき』を親身に教えてくれた。さっそくいってみるとこちらは21時まで。630円×2人で1260円だ。かんざきはどっしりとした数寄屋造りの旅館で庭も見事。入浴料金も良心的だ。家内は今夜は風呂にはいれないと諦めていたと言う。私はそんなこと少しも考えていなかったのだが、こういう旅は慣れが必要なのかもしれない。

 風呂は品のよい岩風呂だった。しかも白人男性がひとりはいっているだけでゆっくりできる。白人はさきにあがっていったので途中から貸切だ。湯からあがっても体がさめず困るほどあたたまった。目つきの悪い女中にやぶにらみされてしまったが、満足してかんざきをでる。セレナのエアコンをいれて涼みつつ、長風呂の家内をまつ。こんなときにやることはいくらでもある。メモの整理をしたり、車内を片付けたり、Pキャンの準備をしたり、地図やガイドブックを読みかえしたり。

 入浴時間終了の21時に家内がかえってきて岩国へ出発する。錦帯橋についたのは21時30分ころだろうか。宮島口から近い。錦帯橋下のひろい河原にセレナをとめて錦帯橋をみると、ライトアップされた橋はたしかに立派だ。山は富士、滝は那智、橋は錦帯といわれるそうだが、五連のアーチをえがいて高い位置で川をわたっている錦帯橋は工芸品の極みだ。

 ライトアップされた錦帯橋と岩国城

 ロープーウェイのかかっている山上にある岩国城もライトアップされている。城は小さいが味があった。駐車場には夜間駐車はご遠慮くださいと書いてあるが、車はたくさんとまり、出入りも激しい。花火に興じる若者も多いがカップルがほとんどのようだ。これなら大丈夫だろうとここでPキャンと決めた。

 24時間わたれる錦帯橋にいってみた。受付に人はいない。ひとり220円、ふたりで440円の料金とでているが、料金箱にふたりで300円をいれて橋をわたりだす。太鼓橋なのでかなりの坂だ。のぼると視野もひろがり、あがりきればくだっていく。橋のしたに急流の錦川がみえた。橋の上流は浅い瀬で、下流は深い淵になっている。鮎の濃そうな川だ。

 ライトアップされているので明るいところと暗い場所があって面白い。しかし、錦帯橋もすすむにつれて慣れてしまい、ついには階段を上り下りしているのと変わらなくなる。五連の往復で十連。暑くなって汗までにじんでくる。ライトアップは22時に終了した。

 セレナにもどっていくと、家内はどうするの、と聞く。わかっていると思っていたのだが、そうではなかったようだ。ここでPキャンする、と答えると、そう、いよいよ決行するのね、だって。そんなに大袈裟なことではないのですけど。車はたくさんとまっているのだが、念のため端に移動した。地元のトラックなどにまぎれて駐車して、焼酎を一杯やって寝てしまう。まわりは恋人同士と、なんだかそれをのぞいているような車ばかりだった。

 

 

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