8月21日(木) 宮島から下関へ、厳島神社・壇ノ浦・巌流島

 ロープーウェイの山上駅、銅像の横のセレナ、錦帯橋、川の対岸が駐車場

 きょうも家内につつかれて起きた。自分はやはり寝たままである。時刻は5時13分。夜は明けだしたところでまだ暗かった。昨晩はたくさんいた車はすっかりいなくなっていた。セレナのまわりに地元の車7・8台があるのみである。昨夜は100台近くいたと思うのだが皆帰ったのだ。河原の真ん中ではなくて端に移動しておいてよかった。とりいそぎ移動する。錦川の対岸にあるトイレの近くのスペースにうつった。

 朝の錦帯橋をみるとやはりアーチが見事だ。ライトアップされていたとはいえ、夜よりも太陽の光の下のほうが橋は映えていた。パジャマ代わりの甚平から洋服に着替えて、トイレにいって洗顔をする。そして車内で朝食だ。湯をわかして私はカップ焼きうどんと即席味噌汁、家内はスパ王と味噌汁だった。

 岩国で見たかったのは錦帯橋のみである。ロープーウェイで城まで行く気にはなれず、白蛇観覧所という白蛇が見学できる施設は家内の意見で却下された。私も見たくはなかったのだが。

 7時に準備がととのったので岩国を去ることにした。昨夜来た道を宮島口にもどっていく。岩国の町は出勤時間なのか混んでいる。宮島に近づくと車は流れだした。

 宮島口について昨夜見ておいた駐車場にセレナをいれる。料金は一日1000円だがまだひらいたばかりだった。ビデオカメラなどをもってフェリー乗り場に歩く。船会社はJRと宮島松大観光のふたつで、出発時間をずらして交互にでている。すぐに出港するほうに乗りたいのだが、JRは大鳥居のちかくをとおると宣伝しているためこちらに決めた。片道170円、往復切符を買っても340円とかわらないので、帰路も早いほうを選べるように片道しか買わなかった。

 フェリーにのりこむが時間が早くて空いている。乗客も観光客よりも島で働いている人のほうが多い。海には名産のカキの養殖筏がたくさん浮かんでいて、船は大鳥居のちかくを航行して3分で宮島に到着した。

 宮島ではまだみやげ物店も開店していなかった。朝早いが日差しはつよくなって日陰をえらんで歩く。宮島では『神の使い』と呼ばれる鹿がおおい。鹿と記念撮影をしながら進んだ。厳島神社にちかづくと干潮で大鳥居の周辺を観光客が歩いている。これは得がたいチャンスだと思い我々もいってみた。 

 海上から見た大鳥居 千畳閣 水の引いた大鳥居こちらは陸上から見たもの

 水がのこっていてグチャグチャのところもあるが、大鳥居の下までいくことができた。大鳥居は巨大な自然木を丸太に加工することなく、そのまま使っていた。鳥居の下部は根をはるように広がっている。そして大鳥居は自身の重みでたっているという。置いてあるということだが、大きさに圧倒される。どうやって設置したのだろうかと考えてしまった。

 皮底の靴で干潟をあるくので、海水がしみてきそうで気をつかう。参道にもどり厳島神社にはいろうとしたが手前に千畳閣がある。豊臣秀吉が建立した入母屋作りの大経堂だ。工事の途中で秀吉が死んだために天井や壁、入口などの工事が中止されたままになっている。畳をしけば千畳の広さがあるということでこの名がついたとのこと。

 千畳閣をさきに見学することにして石段をのぼり、入場料100円×2人 を支払う。巨木をつかった壮大な建物だが係員の掃除が荒っぽい。モップを水のなかにどっぷりとつけ、しぼらずにドカンと床に落とす。そのままモップを前後左右に動かせば床は嵐で雨漏りしたように濡れてしまう。これでは太閤さんがたてた文化財もいたんでしまう。千畳閣の奥にあるいていくと裏には五重塔がたち、厳島神社も見下ろせた。

 千畳閣をでて厳島神社へいく。昇殿料は300円×2人。干潟を歩いているときも思ったのだが、朱塗りの拝殿も鳥居も朱がはげていたんでいる。近づくとよけいに目立つのだ。厳島神社は国宝であり、世界遺産でもあるわけだが、台風などでたびたび倒壊しているので、歴史的な価値はあるのだろうかと疑問に感じる。もちろん存在自体は日本の守るべき文化、人類の文化遺産といえると思うのだが。

 神社の奥には朱色に塗っていない社殿、能舞台がありこちらは歴史がある。また回廊の桧皮葺の屋根が修理中で、めずらしい作業を見学することができた。

 厳島神社をでると男性が自動販売機で鹿せんべいを買っていた。鹿に餌をやるのも旅の一興という風情である。販売機の周囲には鹿が待機していて、男性がせんべいを買ったのを見ると殺到して取り囲む。その数は6頭で、男性はせんべいをとられないように手を頭のうえに上げた。鹿は前後左右から男性に前足をかけて立ち上がり、男性の頭上のせんべいを食べようとする。人も鹿も無言で行動していた。ただばたばたと歩きまわる音がして、私は唖然としてみていた。ついに男性はパニックに陥り、せんべいを放りだして鹿の囲いを突破した。『神の使い』は食欲旺盛で、傍若無人だった。

 国宝の平家納経がみたくて厳島神社宝物殿にはいった。平家納経は平家一門の繁栄を感謝するために、平家一族の人々が一巻ずつ分担して、豪華絢爛に製作したものだ。一巻には平清盛の願文がそえられている。入場料は300円×2。しかし見たかった平家納経はレプリカだった。尾道の千光寺のゴールドカードのように金メッキである。そうと知っていたら入らなかったので、なにやら詐欺にあった気分だ。大鳥居を設置したときの模型があり、巨大なやぐらを組んで大鳥居を据えたのがわかったのはよかったのだが、これで300円は高い。

 フェリー乗り場にもどっていく。帰路は厳島神社の裏をとおる。日差しが強くて日陰がすくなく、泳ぐように歩いた。蝉がたくさんいる。歩いていくとみやげもの店や食堂がようやく開ききった。桟橋のちかくでも鹿せんべいは売られていて、神の使いは大活躍し、観光客は悲鳴をあげていた。

 家内は売店でカキしょう油を買っていた。10時55分の船に乗るがまだ宮島に来る人のほうが多く、もどる者は少ない。帰りもJRのフェリーで宮島口にもどった。宮島口のみやげもの店で気になっていた名物の焼きガキを注文する。ひとつ210円×2でひとつずつ食す。カキは大粒でジューシー、すこぶる美味だ。しょう油のこげるにおいも香ばしく、十個もたのんでビールを飲めばさぞかし幸せだろうが運転がある。残念だ。

 みやげにもみじ饅頭を買おうかと考えたが、猛暑の車内に保管することになるのでやめておく。家内はお好み焼きソースなども買い求めていた。宮島のもうひとつの名物はあなごで『あなご飯』の看板がでている。しかしあなごはあまり好きではない。あなご飯ではなく回転寿司にしようと岩国方向に出発した。

 昨晩走り、今朝もまた来た国道2号線を三度いく。回転寿司はたくさんあったと家内が言うので注意していくと、玄海丸という店を発見した。一皿百円の店で、地物か不明ながらあなごも一皿食べてふたりで1785円。満腹である。

 11時55分に玄海丸をでてR2を岩国方向にむかう。岩国ICから山陽道にのって下関にすすむと家内はまた眠ってしまった。セカンド・シートで。下松SAで休憩して運転をかわり、下関ICで3750円の料金をはらって高速をでる。運転はまた私に交代した。

 下関では海底トンネルを歩いて九州にわたりたかった。歩行者用のトンネルにむかうが方向を誤り、車専用のトンネルについてしまう。たまたまいたパトカーのお巡りさんに道をきいてUターンする。展望台があるという『火の山公園』入口の標識があるが、壇ノ浦のすぐ前にある『みもすも公園』にいきたいし、地下トンネルのほうが先だ。

 進んでいくと壇ノ浦の海岸線にT字にぶつかり、みもすも公園の横をはしるが駐車場がない。高速道の関門橋の下を行ったりきたりして、みもすも公園のむかいの『関門プラザ』の駐車場にようやくセレナを停めることができた。歩行者用のトンネルにはここからエレベーターでおりるのだが、非常にわかりづらい。しかも駐車場は狭くて運が悪いとなかなか停められないだろう。

 トンネルの通行料は徒歩は無料である。自転車は20円で原付もとおる。エレベーターにのって地下でおりると、広場のような空間があり照明はしぼられていて薄暗い。前方にトンネルが見える。考えていたものよりも小さいが、徒歩の人や自転車中心ではこのくらいの大きさが妥当か。九州にむけて歩きだす。道はくだっている。対岸まで800メートルとのことだったが歩きごたえがあった。地元の人がウォーキングやジョギングをしているが、下関の人ばかりで門司の人間はやっていない。中間点には山口・福岡の県境の線がひいてあり、ビデオで足元をとりながら踏み越えた。

 エレベーターをでたところにある広場と地下トンネル

 トンネルの後半は登りとなり足にきてしまった。あなどれない800メートルだ。九州側についてエレベーターで地上にあがると何もなくさびれた印象。下関側からは門司のにぎやかな街並みが見えたのだが、この周辺は何のない。目の前の海をみると流れがはやくておどろく。下関のすぐ前を壇ノ浦、海峡全体は早鞆ノ瀬戸と呼ぶらしいが、まことに潮流がはやい。強い流れが川の急流のようにはしっている。木片でも流せばたちまち遠ざかっていくだろう。

山口・福岡県境 関門橋 九州から下関を望む 地図 上が下関

 800メートル先にある下関が遠くにみえて不思議だった。トンネルで歩いた以上にはなれて感じられる。潮流と関門橋をながめまた地下トンネルにもどった。本州にかえっていく。九州側からは300メートルくだり500メートルのぼる。さらに足にきてしまい、ついには痛みだした。帰りの800メートルは遠い。なんとか関門プラザにもどり、九州のみやげはないものかとさがした。しかし当然ながらない。みやげを渡すときに、下関よりも九州のもののほうが相手に強い印象をあたえられると思ったのだが、この姑息な考えは実行できなかった。

 関門プラザをでてむかいにある『みもすも公園』にいく。目のまえの海は壇ノ浦である。公園内には幕末に長州藩が外国船に砲撃した大砲のレプリカがあり、安徳天皇入水の碑もある。この海で平家が亡び、幼い天皇が海に沈まれたのだと思うと感慨深い。また長州藩は外国船を砲撃したが逆に報復をうけ、砲台を破壊・占領されて、列強四国に和議を申し入れざるをえなくなった。列強と和議の交渉をしたのは高杉晋作である。潮流ははやい。目をみはる早瀬だ。左手に千珠島がみえ、ぜひとも目にしたい巌流島は右手にあるはずなのだが、のぞむことはできなかった。

 車にもどり平家一門の墓があるという『赤間神宮』にいく。関門プラザからすぐである。赤間神宮は竜宮城のような朱塗りの建物だ。セレナを神宮内の駐車場に停めることができたので空いていた。ここも日差しがつよくて暑い。平家一門の墓だけかと思っていたが安徳天皇陵もここにあった。ご遺体を海からひきあげてここを陵としたとのこと。陵の周囲は厳重に囲まれていてなかをうかがうことはできなかった。しかしあの速い潮流の海でよく御遺骸をみつけられたものだと思う。早瀬は季節や時刻により変化するのだろうか、それとも流れの行き着く場所は決まっているのだろうか。

 赤間神宮は怪談『耳なし芳一』の舞台となった場所でもある。神宮の奥には『耳なし芳一』の木像のある芳一堂があり、その横には芳一が夜な夜な平家物語を語ったという『平家一門の墓』があった。墓は山陰のじめじめとした陰気な一画にあり、一門の墓と呼ぶよりも塚ともいうべき小さなもので、ここに名だたる武将をはじめ、たくさんの人をおしこめるようにして葬ったようだ。そうしなければ、はいりきれないほどたくさんの人の名が刻まれている。敗者の墓の常なのかもしれないが、陰惨な狭さ、湿気、暑さでビデオをまわすこともはばかられる。しばし暑さも忘れた。芳一が琵琶をならしてかたっていた夜は、墓のまわりを鬼火が飛びかっていたといわれているが、さもありなんという雰囲気がただよっている。むろん耳なし芳一の怪談は作り話だが、あの話しを連想させる鬼気と歴史がここにはあった。

 赤間神宮のすぐ先にある新唐戸市場とカモンワーフを観光しようと、新唐戸市場の駐車場に移動した。車をとめたのは15時49分でこの時間では当然のことながら市場に人影はなく、人気のある食堂も閉まっていた。新唐戸市場は1Fが市場で、2Fに食堂や回転寿司店がはいっているのだが、ここにある『市場食堂よし』がガイドブックにのっている有名な店なので、食事をとりたいと思っていたのだ。営業時間は2時! から14時だった。

 新唐戸市場をあきらめて隣接するカモンワーフにながれていく。カモンワーフはレストランや海産物店などが集まる複合ショッピング・ゾーンだ。はなやかな店がつらなり、おおぜいの人がいきかって、目のまえには関門海峡がひろがり、対岸には門司の街がみえる、下関の名所である。

 店がならぶと家内は元気になった。次から次へと見てまわっている。私は巌流島がみたいので先が気になった。カモンワーフの前方に進むが巌流島は見えない。地図ではすぐ近くのはずなのに。巌流島を周遊するクルーズ船もでているが、一人千円の料金を払いたくない。遠くからでもよいから一目見れば気がすむのだ。

 歩いていくと下関市立水族館『海饗館』についた。よく考えたよい名前だが、家族連れなどでたいへんなにぎわいである。一階には日本でここだけにしかないというシロナガスクジラの骨格標本があった。クジラは26メートルもある。このフロアのみ無料であった。水族館のはずれまで行ってみたが巌流島はみえない。足が疲れたのでこれ以上すすむのは断念した。

 来た道をもどり16時51分にセレナを駐車場からだした。料金は360円である。下関でほかに見たいものはないのでこのまま去ろうかとも考えたが、巌流島が心残りだ。国道をそれて下関港方向にいって島影をもとめるがえられない。地図ではすぐ前にあるはずなのだが。(『五輪の書』に興味のある方はこちらへ読書日記へ飛びます)

 目のまえには『海峡ゆめタワー』がたっていた。タワーには展望室があるので、のぼれば巌流島がみえるのは確実である。しかしひとり600円の料金を払うのが惜しい。私は無駄なお金はつかわない性質なのだ。けちとも言う。しかし車を走らせて粘っていると家内に、お金よりも時間がもったいないでしょう、と一喝され、おっしゃるとおりとその言葉にしたがった。

 海峡ゆめタワーの駐車場にセレナをいれ、展望台の受付にいく。ここはJAFの割引がきくので会員証も忘れず持参した。しかし、だれもいない。来場者が少ないので人がいないのだ。4Fのほうへどうぞと書いてある。チケットを自動販売機で買って、と。割引も受けられなかった。

 タワーの展望室は30Fだった。高さは143メートル。エレベーターで上につくと目もくらむほどの高度だ。もともと高いところは苦手なので足がすくむ。足元などは恐くて見ることができないし、床が揺れているような錯覚さえおぼえる。家内は背中を壁におしあてて動かない。口で息をしている。私はなんとか歩けたが、しばらくするとふたりとも慣れた。

 すぐ下には念願の巌流島がみえた。巌流島は埋め立てによってもとの三倍の広さになっているという。芝のはってある平地が広くあってイメージとちがう。巌流島といえば砂浜と岩の島という思い込みがある。芝でなくて松が生えていてほしい。島にはクレーンなどの重機もあって開発のつよい意志がみなぎっている。しかし大河ドラマの『宮本武蔵』が終わってしまえば観光客も激減してしまうだろうから、すでに時を逸していると思うのだが。

 

カモンワーフからみたクルーズ船と門司の街 巌流島 関門橋 彦島 

 巌流島は陸地からかなりの距離があるとイメージしていたが、じっさいには下関側からはごくちかく、門司側からでもたいした隔たりはない。この海峡は地下トンネルを歩いてわたれるくらいだから当然だ。しかしそれもここに来てみなければわからない意外な事実だった。

 巌流島のさきには下関に隣接する彦島がみえた。彦島の歴史は本で読んで知っていたのだが、彦島という名は忘れていて、タワーの観光案内をみて思い出し、実際に目にすることができて感激した。彦島は欧米列強の租借地になりそこねた地なのである。

 幕末に長州藩が外国排斥である攘夷を実行し、アメリカ・フランスなどの船を砲撃する下関事件がおこった。この関門海峡でである。翌年に米英蘭仏は報復にきて四国戦争がおこり、わずか数日で長州藩は砲台を破壊、占領されて、和議を申し入れた。

 四国と長州藩で講和会議がもたれたが、長州藩の代表が高杉晋作であった。四国は下関港の開港や賠償金の支払いをもとめたが、彦島を租借地として提供することも申し入れてきた。江戸幕府の使節の一員として清国にわたったことのあった高杉は、租借地の実体をよく知っていて、この要求を拒むために、古事記(だったと思う。記憶のため間違っている可能性もあり。その場合はメールでご指摘ください。訂正します。)をはじめから暗誦しはじめてやめず、四国が諦めるまでつづけたのだった。彦島は列強四国にとられそうになったところを、高杉の豪胆な腹でまぬかれたのだ。

 四国戦争の敗北により、長州藩は攘夷は不可能であることを悟り、開国へと方針転換し、明治維新への先導役となっていった。歴史の知識だけがあった彦島が眼下にみえる。彦島の先の海には島々が転々と浮かんでいる。海の名は響灘だ。響灘とは、またよい名前である。対岸の門司もよく見えた。門司港レトロと呼ばれる歴史のある赤レンガの建物がある地域だ。高速道路の関門橋から壇ノ浦、ついさっきまでいたカモンワーフもみえる。しかし一番よいのは響灘であった。きのうの尾道のしまなみ街道よりも辺境のムードのある響灘のほうが好みである。いわばこちらは男性向きか。円形の展望台を何周もまわって景色を堪能した。600円を惜しむべきではなかった。それ以上の価値のある下関一のおすすめスポットだった。

 夕食の時間となったので30Fの展望台から29Fにおりて、レストラン『ふくふ倶楽部』にはいった。ここもガイドブックにのっていた店である。ふくの刺身、唐揚げ、雑炊の『海峡セット』2000円をふたつたのむ。窓の外には巌流島、門司、響灘などがひろがっている。窓外の景色だけでも相当の価値があると感じた。とらふぐの刺身は味がしなかった。もみじおろしと薬味の味である。この値段では仕方がないか。しかし唐揚げは美味しいし、雑炊も上品な薄味でよかった。量は物足らないが下関でふくを食べたという事実に満足して店をでる。料金は税込み4200円で、食事をしたのでゆめタワーの駐車場代は無料となった。

 

 海峡ゆめタワー  ガラス張りの壁面

 19時に下関をたった。明日みる予定の日本海側の角島にできるだけ近づいておきたいと考えていた。行けるところまで進んで適地があったらPキャンしようと。しかしこの時間に思案することは風呂である。夕食もすんだので汗をながしたい。下関市街をぬけながら温泉、旅館、ホテルなどを物色するが見あたらない。そこで市街をでたところにあった交番にはいって聞いてみた。しかし下関には銭湯はない、と年配のポリスは断言するのだ。銭湯のない街なんてきいたことがないと言っても、サウナはあるが銭湯はないと言い切る。サウナは市街にあり場所と料金をきかないのに教えてくる。当然高いが、下関にはこれしかないと言う。一軒だけだと。

 納得することも信じることもできなかった私はサウナに行く気はまったくなく、さきに進んだ。2・3キロいくとまた交番があったのでふたたびはいって聞いてみた。銭湯はありませんか、と。するとあっさり、あります、との返事。あまり簡単に言われたのでこちらが拍子抜けしてしまい、戸惑ってしまって、お巡りさんが銭湯でよかったんだよね、と念をおす始末だ。

 前の交番はなんだったのだろうか。答えるのが面倒だったのか、それとも2・3キロ先の地理も知らないのか、なるべく仕事をしたくない怠慢ポリスか、ひまつぶしのための悪質ないたずらなのか、それともサウナに義理でもあるのか。山口県警に電話してたずねようかと考えたほどだ。

 二件目の親切なお巡りさんに教えてもらった銭湯『ダルマ湯』へいく。駐車場はないので路上駐車である。車上狙いに盗まれてはたまらないので家内と私の財布をポーチにいれてもっていく。ポーチは人にあずけたりせず、風呂場まで持参した。私はいつもそうすることにしている。これが一番安全確実だ。

 ダルマ湯は古い建物の小さな湯である。料金は340円×2人。なかにいるのは地元の人ばかり。年配の方が多い。湯上りはパジャマ姿の人が多くて好ましい。汗をながしていると高齢の人に話しかけられた。しかしなまりが強くて何を言っているのかわからない。身振り手振りと視線で類推して応答する。チューブの石鹸がめずらしかったようだ。それは石鹸か、と聞かれたのだった。

 手早く風呂からでて車にもどる。メモをつけたり、今夜のPキャン地について思案した。広島・山口にはPキャンの定宿『道の駅』がすくない。旅行の計画を練った段階で、道の駅の空白地帯はどこでPキャンできるのかインターネットで情報収集していた。昨夜の錦帯橋駐車場がそうであり、またこれから進む響灘沿いのR191は漁港が候補地だった。この地域の漁港にはどこにもトイレがあり、P泊が可能との情報をえていたからだ。

 しかし陽がおちて暗くなった今、漁港を探索してPキャン適地をみつけるのは億劫である。地図をみていると海岸沿いの計画ルートからははずれるが、内陸部の菊川町に道の駅『きくがわ』があった。道の駅ならばまちがいない。遠回りにはなるのだが今夜の宿はここに決めた。例によって長風呂からかえってきた家内に言うと、「そうなの?」と不服そう。効率が悪いのじゃないの、と言いたげだ。昨晩はPキャンするのにやけに力がはいっていたのにもう慣れたのか。しかし家内に否やがあるはずもなく菊川町をめざして出発した。

 県道34号線を北上する。真暗な農道のような道で地元の車もあまり走っていない。水道水源地のある山間部をハイペースで走行し、30分ほどで菊川町に達した。道の駅にはいる前にファミリー・マートにより家内のジュースと私のつまみを買う。しかる後に道の駅に入場した。

 『きくがわ』は小さな道の駅だった。これまで利用したなかで一番小さい。トイレがあってその前に車を7・8台停められるスペースがある。ほかに農産物直売所があるがこちらも小さいし、車は駐車できない。これだけである。小さいとはいってもPキャン派はしっかりいて、首都圏ナンバーの車が二台先着していた。私たちもセレナを停めて車内でくつろいだ。私は焼酎を一杯やり、家内はジュースやお菓子を口にはこんでいる。静かに菊川の夜はすぎていった。

 

 

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