静かな大地 池澤夏樹 朝日新聞社 2003年 2300円+税

 明治維新直後に北海道の静内に入植し、アイヌとともに開拓に尽力した人物の一代記。力作大長編小説である。

 淡路の侍の息子だった宗形三郎は、家族とともに藩をあげての北海道開拓に参加し、静内に集団移住した。船で静内についた三郎はそこで出会ったアイヌに魅せられるのだ。当時のアイヌは差別されており、対等の人間とみなされていなかった。しかし三郎は弟の志郎とともにアイヌの子供と親友となり、アイヌの家庭に出入して、アイヌの言葉を解し話すようになっていく。

 長じて札幌官園農業現術という学校で学んだ三郎は、アイヌの人々とともに静内の未開の大地を拓いて、大牧場を経営し、差別されているアイヌの人々の砦になろうとするのだ。

 前半のストーリーはダイナミックで力強く希望にあふれている。しかし後半に入っていくと結末を予感させるかのように、人々に影がさしていく。

 構成は技巧派の池澤らしくじつに凝っている。物語は志郎が語りだし、志郎の娘の由良、三郎自身の手紙、三郎と志郎の親友のアイヌ、志郎の妻、砂金掘りの男、由良の書く記録、などそれぞれが自分の立場で三郎を語り、物語をつむいでいく。

 印象深いのは北海道開拓の困難さと、アイヌへの苛烈な差別である。和人はアイヌを人としてあつかっていない。こんににもひどい搾取、迫害をされたら消えることのない深い恨みが子々孫々に残るだろう。

 三郎の若き日、札幌から静内にもどる途中で、『日本奥地紀行』の著者、英国人女性旅行家のバードと出会い、語り合うシーンがある。『日本奥地紀行』にそのような記述があったような気がするが、作者はここからこの物語の着想を得たのだろうか。バードと三郎はアイヌへの差別について怒りを共有する。バードはアイヌを気高い民族だと言う。

 アイヌは言葉の民族だという。豊かな物語を持ち、何事も言葉であらわし、言葉で解決する。和人のように暴力、戦争に訴えない。アイヌの物語、静かな暮らし、習俗、気高い美意識など、それらが失われているだけに、ことさらに美しい。

 アイヌはあまり小説のモチーフとして取り上げられてこなかったと思うが、ここには文学の豊かな鉱床がある。ここからはいくつもの大長編、名作が掘り出せるのではなかろうか。神話や神の物語は沖縄を舞台としたものが多いが、北海道のアイヌの物語ももっと書かれるべきだろう。まさか被差別民族だったからえがかれないという時代ではあるまい。

 現在の静内は、サラブレッド銀座と呼ばれる。三郎たちがはじめた馬の牧場はこの地域に広がり、新冠、日高などをたずねると広大な牧場とたくさんの駿馬がみられる。この悲しい物語などなかったかのように、豊かな大地となっている。

 

 

                       文学の旅・トップ