9月6日 林さんと再会

 

 東名高速 由比PA

 

 東名高速の東京インターチェンジに午前3時5分についた。ETCレーンで東名に入り四国・九州への長い旅が始まる。天候は快晴で気温は荻窪で28℃だった。今日中に四国にわたるつもりである。うまくいけば徳島を通過して、四国でいちばんの目的である、全国一長い林道として有名な剣山林道まで行けるかもしれないと欲張っていた。

 東京ICは世田谷にある。四国ではノーベル賞作家の大江健三郎の生家を訪ねたいと思っているが、作家の自宅は成城にあるのだ。作品の舞台として何度も本の中に登場した、四国の山の中の村は見てみたいが、成城には興味はない。作家が作りあげた虚構の世界が、実際にはどんなものなのか見てみたいが、作家の現実や日常は知りたくはないからである。

 未明の東名高速を100キロから110キロで巡航する。この時間に高速に入ったのはETCの深夜割引を受けるためだ。午前0時から4時までのあいだにETCで高速に入るか出るかすると、料金が4割引きとなるのである。長い距離を走れば走るほど割引額は大きくなるから、この制度を使わない手はなく、今年のツーリングでこの割引を利用するためにETCを取り付けたのだった。

 通行料は少なくてトラックばかりが走っている。乗用車が走っていないのはガソリン高のせいだろうか。またバイクは1台もいないことが寂しかった。横浜で雨がパラパラと落ちてくるがすぐにやんだ。東名はこの先で右コースと左コースに分かれる。右コースを通ったことがなかったので右で行くが、こちらのほうがペースが速い。追い越し車線の車両が右コースにすすむからである。

 御殿場にのぼっていくとカーブが連続するようになる。コーナーの入口にはRの大きさが示されている。500Rのカーブはゆるく、350Rになるときつい。カーブの連続する道をトラックをぬきながら走っていくが、トラックは大人しく走行している。北海道の狩勝峠などを時速100キロで爆走するトラックを見慣れているから、本州のトラックドライバーはマナーがよいなと感じられるが、これも燃料高のせいかもしれないと考えたりした。

 御殿場は24℃だった。ここまでは片側3車線の道路で外灯も多くて明るいが、この先は2車線となり暗くなってしまう。それを見て昔の東名はこうだったと思う。闇の濃い高速を走っていると、左上方に月がでていることに気づく。三日月だ。暗い東名に月がよく似合っている。その月にチラリと視線をくれて、また前方を見据えた。

 静岡県の由比PAで休憩をした。東京ICから140キロ走っている。時刻は4時35分でまだ暗いが、PAから走りだすと明けてきた。昔は夜でも必ずライダーはいたものたが、バイク乗りはオヤジばかりになったせいか深夜早朝に高速をかけるライダーはいなくなったようだ。しかし夜のしじまの中を突き抜けていくのは、気持ちのよいものである。

 100キロから110キロで走行していく。大型3輪バイクのトライクが路肩にとまり、トレーラーに積み込まれている横を走りぬけた。トライクにのっていたのは熟年の夫婦で、バイクは動かなくなったのだろう、これでは楽しいツーリングが台無しだが、それでも後になればよい思い出になるのだろうか。私は思い出になるようなトラブルに会いたくないと思いつつ先にすすんだ。

 牧の原でまた雨が落ちてくるがすぐにやんでくれた。その先で浜名湖にさしかかったので、湖を見るために浜名湖SAに入ることにする。SAの直前で遅いトラックに追いついたので、追い越し車線にでてトラックをぬこうとしてアクセルを開けた瞬間、「バンッ!」とバックファイヤーがでて、エンジンがストップしてしまった。

「なんだ! どうした?」
エンジンが止まってしまったバイクを惰性で走らせて、追い越し車線から路肩に移動して停止した。高速道路上で止まったのは初めてのことである。症状はガス欠のようだったが、通常350キロくらいでリザーブになるのに、まだ270キロしか走行していないから、そうではないと思う。連続走行でエンジンがヒートしたのかと考えて、相棒の老体をいたわりつつーーなにしろ1990年型なのでーー問いかけるようにキックをするとすぐにかかったから、1キロ先の浜名湖SAに入った。 

 

  浜名湖

 

 浜名湖SAに着いたのは5時40分だった。走りだせばいつもの通りDRで、エンジン・ストールは車体の古さとヒートのせいかと思う。2輪用の駐車スペースにいくとV−maxのライダーがいたが、こちらを見ないので挨拶をすることもなく浜名湖を見にいく。ここはきれいなSAで店がたくさんあり、スタバまであって驚いたが、湖を見おろす展望台も整備されていた。早朝なので店舗はまだ開店していなかったが人はたくさんいる。観光客は湖をながめたり、写真をとったりしていて、私も浜名湖の風景を何枚かカメラで切りとったりした。

 浜名湖を見るのは何年振りだろうか。2003年に車の旅で山口・広島にでかけたときは、往きも帰りも夜のうちにここを通過しているから、いつ湖を眼にしているのかもう思い出せないほど前のことだ。浜名湖は大きくて美しく、茫洋としている。しばらく湖をながめてからバイクのもとにもどった。

 バイクの駐車スペースにはV−maxの仲間のRZV500とハーレーがやってきていた。ここで待ち合わせをしていたのだ。V−max氏と眼があうと会釈を送ってきたので私もかえす。3人はキャンプ・ツーリングにいく用意をしていたが、レーシーなRZVにキャンプ道具が積まれているのをはじめて見た。3人は木曽方向にいくようだ。

 地図を見ると四国はまだ遠い。ここは神戸までの中間点くらいだろうか。東京から248キロである。心配だったエンジンはキック一発で始動した。やはり先ほどのエンジン・ストップはヒートしたためだろうと考えて出発すると、数キロ走っただけでまたエンジンがギクシャクしだし、止まりそうになってしまう。リザーブにすると調子を取り戻すから、ガス欠なのだ。オドメーターは277キロで、いつも予備タンになる距離に50キロ以上足りないから、記憶にないほど燃費が悪いが、100キロ以上の速度で走るとこうなるようだ。高速道路は料金が高いため、これまでほとんど利用したことがなかったから、燃費がこれほど変わるとは思いもよらず、これは誤算だった。ガス欠とわかっていれば今までいた浜名湖SAで給油をしたのである。それでも49キロ先に上郷SAがあり、GSもあると表示されているから、残りのガスで100キロはいけるはずなので、上郷SAにむかうことにした。

 しかし、わずか20キロ走っただけの、岡崎ICの5キロ手前、上郷SAまで17キロの地点でまたしてもエンジン・ストップしてしまい、路肩にバイクをとめる破目になった。リザーブで100キロ走れるはずなのに、20キロしか走行できなかったのは初めてのことで、なにしろ古いバイクだから、ガソリン・タンク内に錆がでて、それが流されてガソリン・コックを詰まらせたのかと想像されて、ものすごく不安になった。

 旅は始まったばかりである。ここで幕引きなど絶対に嫌だと思いつつ、トラックなどがガンガンと走っている本線横の路肩で、バイクを揺すってタンク内にガソリンが残っていないか音を聞こうとすると、チャポンチャポンという音がした気がした。その時、
「どうしましたか?」と背後から声をかけられた。「故障ですか?」と。降り返ると道路公団の黄色いパトロールカーが止まり、係員がおりてきていた。
「ガス欠なんです」と答え、キックするとエンジンはかかってくれた。
「なんとかなりそうです。次のICまで何キロくらいですか?」と聞くと、
「5キロくらいです」
「では、行ってみます。ダメならJAFを呼びますから」と告げると、
「私たちは後ろをついていきます」と言い、私が本線にもどろうとするのを、赤旗を振って後方の車に合図をおくり、助けてくれる。では、と係員に会釈して走りだした。

 5キロ先の岡崎ICで高速をおりて、ガスを入れてまた東名にもどろうと思うが、一度高速から出てしまうと、ETCの深夜割引がそこで終わってしまうから悩んでしまった。今日は鳴門まで高速を利用する予定だから、この先の高速料金の割引がきかなくなることが嫌なのである。そこですぐ先にある見合PAに入り、JAFにガスを持ってきてもらおうかと考える。私はJAFの会員なので出張料金はかからないから、少々割高のガスをJAFから買えばよいわけである。しかし今は割高になる高速料金よりもJAFを待つ時間のほうが惜しい。年に一度だけの限られた休暇だから、1時間も無駄にしたくないのである。また岡崎ICで高速をおりずに、上郷SAまで行けそうな感触もあったのだが、ガス欠になった場合は路肩でJAFを待つことになり、それこそ時間をロスすることになるし、なにより路肩で停止しているのは危険なので、大人しく岡崎ICをでることにした。

 7時前に岡崎ICをでた。高速料金は40%引きの3150円と格安で、これではETC割引を使わなければ損だと思う。そして割引がきかなくなって、余計に払うことになる差額はいかばかりかと考えると、誠に無念だった。

 高速をでて国道1号線に入り、豊川方向(東京方向)に走っていくと、GSはあるがまだ開店していない。ガスがなくなったから高速をおりたというのに、GSが営業していないのではどうなってしまうのかと不安になる。しかも豊川方向にいくとだんだんと田舎になっていくのだ。この先に24時間営業のGSはあるのか、まさかそれがみつかる前にガス欠になるのではあるまいな、もしもそうなったら高速をおりた意味がなくなるから、それだけはなってほしくないと思って7・8キロいくと、7時になり、GSの開店時間となってようやく給油をすることができた。燃費は18.09K/Lと非常に悪く、169円の単価で3035円。

 スピードをだすと燃費が極端に悪くなってしまう。ガスも高いからなるべく90キロくらいで走ろうと思う。またガスはまだ2リッターほど残っていたから、リザーブとガソリン・コックの信頼性がゆらぐ。やはりガソリン・コックは詰まっているのだろうか。いずれにしてもこの先給油に神経をつかっていくことになった。

 岡崎ICにもどっていくと、この付近のGSは7時開店のようで、さっきは閉まっていた店が営業をはじめている。岡崎ICをでたタイミングがこの時間だったのは幸運だったのだ。もっと早い時間だったらガス欠となり、立ち往生してしまったかもしれない。

 東名にもどったが深夜割引は使えなくなってしまったので、今度は通勤割引を利用することにした。これは朝と夕方の2回、100キロ以内に限って料金が半額になる制度である。ところでこの旅の最大の目的に、2006年の北海道ツーリングでお世話になった、京都の林さんを訪ねたいということがあった。詳しくは2006年の北海道ツーリングの『大トラブル発生』を読んでいただけたらと思うが、大雪山の旭岳ロープーウェイ駅の下の山道で、パンクして困っているところを林さんに助けていただいたのである。今回のツーリングでは往復とも京都を通るから、当初の予定では帰りに立ち寄らせていただこうと考えていた。往きは早く四国・九州につきたいと気が急くだろうから、旅の締めくくりにお会いしたいと思っていたのたが、ETCの深夜割引がきかなくなってみると、これから伺ってもよいのではないかと思いだしたのである。往きでも帰りでも京都で高速をおりると、ETC割引がそこで切れるから、いずれかの高速代の割引が少なくなるのである。それがはからずもガス欠で割引がきかなくなったから、往きにしてもよいではないかと思ったのだが、まだどうするのかは決めていなくて、これから走りながら考えることにした。

 名古屋を7時40分に通過した。5時くらいから空腹になっていて、朝食をとりたかったのだが、2003年の山口・広島の旅の折に養老SAで食べた、関西風の出汁の透き通ったうどんが美味しかったので、それを朝飯にしたくて我慢していた。その養老SAまでの距離をつかみかねて、直前の羽鳥PAで休憩をとるが眠い。たまらなく眠いのだ。PAには観光バスが何台もとまっていて、乗客たちがひとりしかいないライダーの私を珍しそうに見ているが、物憂い気分で見返す気力もない。それでも走りだすとすぐに養老SAで、件のうどんを探すもなくて、メニューは変わってしまっていた。しかたなく名古屋きしめん500円にしたが味は平凡で、二重に落胆する。高速道路では何年も前のメニューがあるとは限らないから、食べたいときに食事をとるのがいちばんだと今更ながら悟った次第である。

 

 養老SAのきしめん…‥

 

 関ヶ原ICで岡崎からの走行距離が100キロに近づいたので、通勤割引を確定するために一度高速をでた。料金は半額の1100円で、すぐにUターンして名神高速にもどったが、通勤割引は100キロ以上走ってしまうと割引はきかず、通常料金になってしまうから、かならず100キロ以内で高速をおりなければならないのである。。面倒で不合理だと思うがそういう制度なので従うしかない。

 関ヶ原ではパラパラと雨が落ちてきて、ここはいつも天候不順だと思うが、先に行くとやんでくれた。京都の手前の草津PAに入って、これから林さんを訪ねるのか、それとも帰りにするのか決めることにする。林さんは京都で岩盤浴のお店を経営されていて、そこに行くつもりだ。定休日も調べてあって、今日でも旅の最終日であってもお店が開いているのはわかっていた。

 PAのベンチにすわり、地図をひろげてじっくりと考えた。四国に早くいきたいという気持ちもあったし、現地での予定も考えていた。しかしガス欠のトラブルがあったこともなにかの導きかなと思う。いろいろと迷って考えたが、これから林さんを訪ねることに決めた。

 林さんのお店の住所は以前に教えていただいていて、地図も用意してきたのだが、細かいところがよくわからなかった。電話番号もいっしょに知らせていただいていたので、おかけして聞こうと思うが、これから伺いますと言って林さんの負担になってはいけないから、名乗らずに客のフリをしてたずねることにする。電話にでたのは男性で林さんとわかる。でもあくまで客のフリでお店の場所をたずねるようとすると、お店は女性専用なんです、と林さんが言う。それはお店の『HP』を見て知っていたから、わかっています、と答えると、奥様がご利用ですか、と林さん。そんなところです、と返事をすると、ではご予約をされたらいかがですか、と言われてしまい、これはもう名乗ったほうがよいと思い、じつは2006年の北海道でお世話になったローホーです、と打ち明けた。
「これから四国・九州ツーリングに行くのですが、一度林さんにお会いしたいと思いまして」と言うと林さんはものすごく喜んでくださり、お店の場所を詳しく教えてくださった。お店は広隆寺と大映映画村の近くである。

 草津PAから走りだすが私は嬉しくてならなくなった。林さんにお会いすることにしてよかったと思う。私は林さんにお会いしたかったのだとしみじみと感じた。京都東ICを2000円の料金で出て、国道1号線で京都駅前にむかう。五条、四条などの文字が眼に入って、ああ京都だなと感じる。寝具メーカーの『月の友』がある。印象的な、忘れられない社名の会社で、京都に本社があると聞いたことがあったが、ここにあるのかと思う。製品を使ったことはないのだが、『月の友』とはよい名である。国道1号線は国道9号線にかわり、光華女子大の交差点を北にいけば、大映映画村、広隆寺方向となる。その女子大の手前にジャスコがあったのでここで林さんへのお礼の品をもとめた。こうなることがわかっていたのだから、ビール券でも用意しておけばスマートだったのだが、それは今になって気づいたことで、ぶしつけで無作法だがそれらしい品物にし、それをDRに積むと暑くて大汗をかいてしまう。京都はものすごく暑く、そして蒸していた。

 ジャスコから勘で北の方向にすすむが、それで正確な場所にでるほど京都は甘くなかった。林さんのお店は嵯峨野に近い太秦(うずまさ)というところにあるのだが、方向を誤り、ずっと東の、最近独自の技術で世界的に注目されている日本写真印刷の本社前を通り、二条城にでてしまった。これはいけないと方角をあらためてすすむと、ものすごく金のかかった豪華なビルがあらわれて、何かと思ったら立命館大学で、学校法人だからこんな建物をつくれるほど金があるのだと納得したりした。

 立命館大学は目的地の北なので、南下していくと映画村の近くに迷い込んだ。住宅街の細い道にはいって映画村から太秦の駅前にでると、林さんのお店のある大映通り商店街をみつけた。この商店街は一方通行で、入口から入っていくと点滅信号があり、その先の右側にお店はあるとのこと。このあたりと思えるところにバイクを止めて周辺を見ていると、林さんが迎えに来てくださった。

 

 林さんご夫婦 林さんのお店 『ラドン岩盤浴 このは』の前で

 

 2年ぶりの再会である。とにかく挨拶をするが、感無量でなかなか言葉がでてこない。バイクを林さんのお店『岩盤浴 このは』の前にとめて、2006年のお礼を述べる。一度キチンとお会いしてお礼を言いたいと思っていたのだ。林さんはとても喜んでくださり、お礼の品も気持ちよく受け取ってくださった。

 お店に入れてもらい中を案内していただく。ほかの岩盤浴の店よりも高級な石をつかったので、設備投資に費用がかさんだそうだ。そのぶん発汗作用に優れているそうだが、当初は口コミだけで商売をしようとして客数が伸びず、思うようにならなかったそうだが、現在は会員も多くなって、経営も安定しているそうなのでなによりだった。

 話題は2006年のあのときのこととになり、そして林さんは今年も(2008年)原付スクーターで北海道にいかれたとのこと。2006年のツーリングでお世話になった方のところをまわってきたのだそうだ。2006年と今年の写真を見せていただく。そして様々なことを語り合っていると奥様がいらっしゃった。チャーミングな奥様は、私のことを、あの長い文章を書いている方ですか、と知っていてくださったが、やはりとても喜んでいただけたようだ。

 いろいろとお話をさせていただいたが、お店は営業中だからお邪魔はできない。最後に写真をとって林さんのお店を辞した。短い時間だったがお会いできてほんとうによかった。林さんは2006年当時よりも15キロも痩せたそうでーー岩盤浴の効果であるーー精悍になり、お店を経営していることで重みもでていた。お店は手軽なお試しコースもあるそうなので、興味のある方は是非林さんのお店をお訪ねください。と言っても、この文章を読んでくださっているのは男性ばかりだと思われるので、奥様か恋人、ご家族にご紹介ください。

 林さんご夫婦に見送られて大映通り商店街を出発した。広隆寺の弥勒菩薩は大好きなので見ていきたいが、先を急ぐ身ゆえ通過して、京都の街を国道162号線で南下していく。暑くて汗がにじむ。京都南ICにむかってまたしても勘で走っていると、1リッター170円の看板をだしているGSがあったので、高速や四国のGSよりは安いだろうと思って給油をした。19.47K/Lとやはり20キロ走らない。ここは九条通西大路角で12時27分だった。

 時間を節約するために簡単な昼食をとって高速にのろうと思っていると、先日の長野ツーリングでも利用した、牛丼のすき家を運営するゼンショー・グループの焼き肉店、『いちばん』があった。ここでランチを食べることにして店に入ったが、ジャケットが肌にはりついてしまうほど、汗をしとどにかいていた。

 

 いちばんの焼き肉ランチ

 

 なにはともあれドリンクバーのついているものをと思い、焼き肉ランチ930円を注文する。ウエイトレスの女の子がご飯の大盛りは無料ですが、と言うのでそうしてもらった。ドリンクを何度もお替りしていると料理がはこばれてきて、さっそく肉を焼いて食事をはじめるが、あまり腹は空いていない。旅の空の下にいることと、林さんにお会いした高揚感からそう感じるのだろう。13時になろうとしているから昼食をとっておこうと考えたのだが、当初の予定では徳島県の北部の海岸沿いにある評判の海鮮料理店、『びんびや』で昼飯を食べたいと思っていた。これから『びんびや』にむかっても着くのは15時をすぎてしまうだろうから、夕食に利用しようかと考えたりした。

 ところで、私のとなりの席の55くらいの夫婦は金の話ばかりしているのだ。
「あなたの会社の主任手当てはいくらなの?」と妻。
「1万円」と夫。
「それじゃあ、係長は?」
「2万円」
「2万円かぁ、あなたは主任だから1万円、〇〇さんはこのあいだ係長になったのよね?」
「うん」
「〇〇さんは2万円か、2万円は大きいよね」
 じっさいは京都弁で会話されている。ふたりはボリュームランチにライス大盛りだった。
「とにかくあなたは定年まで我慢して働いてね。私もパートしているんだから、私だって稼いでいるんだから、…‥でも、2万円は大きいよね。△△さんは主任なの?」
 ずっとこの調子だった。

 京都南ICには13時30分について名神高速に復帰した。しかし暑い。京都の暑気はむせかえるようでたまらない不快さだ。ジャケットの下のTシャツがじっとりと濡れてしまっていた。

 名神高速を西にすすみ、吹田JCTで中国自動車道に入って神戸をめざす。神戸JCTから山陽自動車道にすすんで、三木JCTで神戸淡路鳴門自動車道に入った。次々にJCTがあらわれるので方向を間違えないように神経をつかう。神戸あたりから徳島の案内がでているからわかりやすいが、名神→中国→山陽とすすむにつれて車は少なくなり、神戸淡路鳴門自動車道に入るとさらに減って、数えるほどになってしまった。

 やがて倉庫などがならぶ港湾地帯となり海が見えてきた。景色がひらけて、明石海峡、明石海峡大橋にさしかかる。高速道路から大橋に入ると、橋は高い位置にかかっているので、これから渡っていく淡路島と足下の海峡、そこに浮かぶ船などがよく見える。海峡と大橋と淡路島。思わず、おおっ!、と声をだしてしまうほどすばらしい絶景だ。路肩にバイクをとめて写真をとったり風景をながめたりしたいが、それはできない。しかし瀬戸大橋ができた20年ほど前に四国を車で旅行した折には、この先の大鳴門橋と瀬戸大橋の路肩に車をとめて写真をとったのだし、そんな車がまわりにもたくさんいたものだ。もちろん当時も高速道路の路肩に停止することなどもってのほかだったのだが、それを無視させるほど瀬戸大橋の完成はすばらしい快挙だったし、また橋からの光景も美しかった。

 明石海峡をわたっていきながら、本州を離れていっているのだと思う。橋の上は風が強い。あおられないようにハンドルをおさえつけて景色に見入る。この風景をじっくりとながめずにこの地を去りたくないので、明石海峡大橋をわたったところにある、淡路SAに入った。

 

 明石海峡と明石海峡大橋

 

 SAから今わたってきた明石海峡を見ると、大橋と対岸の神戸の都市、そして海の融合した、都会的で美しい遠景がひろがっている。とくにパールブリッジと呼ばれる明石海峡大橋と神戸の都市のビル群が白く映えていた。都会と海と空のコントラストが眼を通して旅情となって胸にしみる。本州をでて淡路に来たのだなとあらためて感慨がわくのだった。

 高速道路は空いていたがSAは混雑していた。ここは設備の整ったSAで観覧車もあって人気を集めている。レストランやみやげもの店が入っている大きな建物があり、ここで持参の四国・中国地方の地図が古いので、四国の高速道路の最新情報がわかる地図をもらい、無料のお茶を飲んだり、店を見てまわったりする。SAにとまっているバイクは私のDRだけで、ライダーがほかにいないことが寂しい。北海道ではこんなことはないのだが、四国はバイク乗りに人気がないのだろうか。

 淡路SAから走りだすと左手に大きな観音像が見える。世界平和観音像で高さは100メートルもあるそうだ。その観音像を左に、右に海を、播磨灘をながめつつ淡路を走る。高速道路は上下左右にゆるやかにうねっている。通行量が少ないので経済速度の90キロでゆっくりと走るが、たまに車がぬいていくだけだ。やがて右も左も海が見えるようになり、道の先には逃げ水がゆらめいて、私をぬいていった車が、その逃げ水の上に浮かんでいるように見えた。

 

 鳴門海峡 大鳴門橋 橋の下に渦潮と遊覧船

 

 淡路島を一気に走りぬけて大鳴門橋に入った。大鳴門橋と鳴門海峡の景色を眼にした瞬間、あまりの絶景に、キターッ!、と叫んでしまった。明石海峡よりも距離が短いため、凝縮されたダイナミックな海峡で、神戸のようにビル群がないから、自然の豊かなながめである。そして何よりもここには、橋の下に渦潮が見えているのだ。走行しているのでジッと見つめるわけにはいかないが、激しい渦が巻いていて、遊覧船がそのまわりに浮かんでいた。

 大鳴門橋をわたった最初のIC、鳴門北ICで高速をおりた。料金は京都ー神戸間が2100円、神戸から鳴門の本四架橋区間はETC通行割引の5%引きで3969円だった。ICを出て県道11号線に入り鳴門海峡をのぞむ鳴門公園にむかう。鳴門公園は先に行くほど高いところに登っていく。海峡を見おろす丘の上にすすんでいくと、いちばん奥の駐車場は有料で、バイクは100円とのこと。坂の途中に無料の駐車場はいくらでもあったのだが、歩くのが嫌なので料金を払うことにした。

 

 鳴門公園にて

 

 バイクを駐車場にとめるがここからのながめもすばらしい。海峡の裏側が内海のようなおだやかな湾になっていて、緑の濃い陸地も見えるのだ。じっくりと見たいところだが、海峡を先にながめたいから、駐車場のさらに上にある展望台にいってみることにした。展望台はエスカヒルパノラマ展望台という施設で、東洋一の長さだというエスカレーターで丘にのぼっていく。料金は300円である。エスカレーター+ヒルでエスカヒルと単純な命名で微笑してしまうが、サービスでもらえる名物のビワゼリーがなかなか美味しかった。

 屋外展望台にでるとすばらしい眺望がひろがっていた。360度の風景が楽しめるが、なんといっても大鳴門橋のかかる鳴門海峡にひきつけられる。白くて美しい吊橋の大鳴門橋も印象的だが、ここでの主役はその橋の下にある渦潮である。吊橋の橋脚付近などに激しく渦が巻いているのが見え、周囲には遊覧船が走っている。20年前に車で来たときには潮流の関係か、渦潮はまったく見られなかったから、これを眼にするのは初めてのことだ。その渦潮と大鳴門橋、海峡を見ていると、いつまでも見つくせないほど美しいのに、せっかちな私はすぐに先にすすみそうになる。それではいけないから、一瞬よりも少しだけ長いあいだ、この景色を愛でることにして、強いて時間をかけるようにした。

 明石海峡といい、鳴門海峡といい、海峡をわたるとついにここに来たなという高揚を感じる。そこが旅の目的の地であり、区切りのポイントだからだろう。また海峡という言葉の響きとイメージが、風景と共振して旅情を高めるのだろう。しかし今夜のキャンプ地がどんなところで、首尾よく泊まることができるのかわからないことが不安だ。徳島市の周辺にキャンプ場は少なくて、消去法でえらんだ野営場にいくつもりなのだが、マイナーだし、場所もわかりづらくて地図を調べてみてものっていないから、そこに着いて自分の眼で見ないことには落ち着かないのだった。

 展望台は風が強かった。高いところだからいつもそうなのだろう。若くはない、35くらいの夫婦かカップルに写真をとってくれと頼まれてシャッターを押すが、男は照れ臭いのだろう無表情だが、女性は幸福であること全身であらわしていて微笑ましかった。

 鳴門公園をでて県道183号線の鳴門スカイラインをいく。激しく流れる潮流や、湖のように静かな内海もあり、変化に富んだ景色が展開する。展望所があったので寄ってみるとバイクの走り屋たちがたまっていたから、コーナーを攻める名所でもあるようだ。スカイラインは高いところを通っているから眺望がきいて気分がよい。入江と岬、小島と海がつづいている、ずっと先まで見通せるのだ。深い谷にかかっている長い橋の途中でバイクをとめて風景をながめ、写真をとる。ふと視線を感じて降り返ると、橋をわたろうとして歩道をすすんできた犬が、高さにすくんで動けなくなっているのに気がついた。犬の視線からは、歩道のガードレールのすき間から深い谷が見えているのだ。犬は首輪をつけていない。首輪のない犬を見るのは久しぶりだ。犬は荒い呼吸をして、前足をだしかけては引っ込めているが、少しずつ前進しているから何もしないことにする。パニックに陥っているとしたら、手をだした途端に噛まれるだろうし、旅先の私には何もしてやれないから。ここをすすめば町にでるから、犬もエサの豊富な土地をめざしていたのだろうか。

 スカイラインをぬけて国道11号線に入り『びんびや』を見にいく。海鮮料理の店は何軒もあるがすぐにみつかった。昼時をすぎた中途半端な時間だが、それでも客は何人もいて食事をしている。店先では鮮魚の販売もしていた。ここを利用してみたいので後で夕食に来ようと思って先へいく。国道の行く手に見えるのは山また山の連なりで、四国は山の国なのだなと思う。この山々の先には香川の高松があるのだが、ここは都会の香りのしない辺境の地だった。

 海岸線をいくと彫刻広場の案内があり、何年か前に流政之という芸術家が、鳴門海峡を見おろす丘の上に作品を設置したと読んだ気がしたので、それかと思っていってみると、まったく別のものだった。ここはトンネルができて廃道となった海岸線の道に作品をならべたところで、もう忘れられて、作品も朽ちかけていた。流政之は石の彫刻家で、都会やあちこちの辺土に作品を展示しているのからどこかと混同したのだ。帰ってからキチンと調べようと思ったがそのままとなっている。ところでこの彫刻広場は2009年になってたまたまテレビに取り上げられているのを見てびっくりしてしまった。それは『ナニコレ珍百景』という番組で、ここは廃道に作品をならべたところなのだが、道路に突然芸術作品があらわれる珍百景だと紹介されていた。

 

 県道一号線の遍路道の案内

 

 今夜のキャンプ地の藍住町にむかうために県道1号線に入って南にむかう。海岸線から一気に山にのぼっていくと、すぐに舗装林道のような細い山道となった。これが県道なのかと不安になるような道だが、こんなところにも遍路道の案内があって、四国に来ているのだなと実感するが、お寺が近くにあることが信じられないような山奥だった。後で地図を見てみると、周辺に1,2,3番札所が点在していた。

 峠をこえて山をくだっていくと立ち寄り湯があった。『やすらぎの郷』という施設で心にとめておく。県道14号線に入って藍住町の役場をめざす。役場のすぐ近くにグリーン・スポーツ施設というものがあり、そこに緑の広場という名のキャンプ場があるのだ。前にも書いたがその正確な場所はわからなくて、役場の近くで川のほとりだということだけがわかっている。役場はすぐにみつかったのだが、周辺にキャンプ場もそれらしい施設も見あたらない。小さな川はあるのでそこへ行き、犬の散歩をしている人に聞いてやっとみつけることができたが、そこはキャンプ場にはとても見えないところだった。役場のむかいに体育館などが建っている敷地があるのだが、そこの川沿いの公園の一画、アスレチックがある小山のようなところがそうなのである。そこが緑の広場という名のキャンプ場なのだが、キャンパーはひとりもいなかった。

 

 藍住町の緑の広場キャンプ場

 

 こんなところなのか、というのが第一印象だった。屋根つきのテント床がいくつもあるのだが、古くて痛んでいて、全体に荒れた感じである。テント床には木の葉や枝が散らばり、手入れもされていなくて、盗んできたものを放置したような自転車があり、近くには不良ではなさそうだが中学生の男の子たちが群れていて、最近公園の器物損壊が多く巡回を強めています、という看板がたち、殺伐とした雰囲気で、治安に不安を感じる。無料のキャンプ場にはずいぶん泊まってきたが、ここはその中でもいちばん宿泊したくないところだと思うが、時間はもう日が暮れる18時で、他にいく当てもないからここに野営することにした。

 まずテントを張ってしまうことにする。なるべくきれいなテント床をえらんで荷物をはこび、テントをたてる。屋根があるからインナーテントだけでフライは不要だが、防犯のためにとりつけることにした。シュラフとマットをひろげて荷物をテントに入れるが蚊がいる。暑くて汗をかいているから蚊が寄ってくるのだろうが、京都から汗をたくさんかいているから、とにかく風呂に入りたい。なにはともあれ汗を流しにいくことにした。

 ツーリングGOGO誌の付録についていた0円マップには、吉野川温泉が紹介されているが、さっき前を通ったやすらぎの郷のほうが近いからそこへいくことにした。やすらぎの郷は大きくて清潔な施設でたくさんの人でにぎわっていた。駐車場は満車となっていたが、車上狙い注意の看板がでているからいずこも同じだ。料金は500円でよい湯だった。

 やすらぎの郷の先の細い山道をいけば『びんびや』につく。しかし昼間でさえ走りづらい狭い道を真暗な夜に往復するのは億劫だし、キャンプ場の治安が不安で残してきた荷物も心配だから、今回は諦めることにした。食材を買ってキャンプ場に帰ろうと思うが、何も手に入らなくとも蕎麦や缶詰があるから困らない。走っていくと酒屋があったので、のどごし生500を168円、水2リットルを99円で買ったのは19時過ぎだった。

 県道をすすんでいくが一帯は住宅街で様々な店舗がならんでいる。四国には経済格差があると新聞で読んだことがあるが、そうは感じられない。格差なら北海道のほうがよほどあるだろう。役場の近くまでもどると『ママの店』というスーパーがあり、ここで半額の刺身の盛り合わせを462円で手に入れた。近くにはガイドブックにも紹介されている、『王王軒』という徳島ラーメンの店もあり、そこで夕食をとってもよいと思っていたのだが、みつけることはできなかった。

 キャンプ場にもどりテントに入るが、元から蒸し暑いのに風呂上りで体が火照っているから、汗が吹きだしてくる。テントの側面を網戸状のスクリーンにして風を入れるが効果はない。しかし暑いからといってテントから外にでては蚊に囲まれてしまうから、汗を流して暑いのに耐えるしかなく、こんなキャンプもはじめてだが、四国・九州のネックは暑いことである。

 

 今宵の夕食

 

 大汗をかきつつビールを飲み、刺身をつまんでメモをつける。刺身の盛り合わせにはわさびがついていないが、四国ではこれが普通なのだろうか。関東ではかならずついているから買わなかったのだ。わさびがなくて物足りない刺身を口にはこびつつ文字を書きつけていく。ところで今年からメモをつけるのに老眼鏡がいるようになってしまった。だから眼鏡をかけてすごすキャンプもはじめてのことである。今日もいろいろなことがあったからメモに時間がかかる。ビールを飲み干すといつものように焼酎の水割りに切り替えてペンを動かしていった。

 ここに泊まった人のなかに警官の職務質問を受けた方がいたから、おまわりさんが来るかもしれないと思っていたが、やってこない。同じ敷地にある体育館にはたくさんの人が集まって剣道の練習をしていた。「メーン!」という男の悲鳴のような高い声と、「胴!!」という図太い気迫のこもった声が伝わってくる。何十人もの人たちが鍛錬をしているから、ここは治安が悪いということはなく、きわめて健全な町だった。

 ラジオの声を聞きながら焼酎の水割りを飲みつつメモをつけ、1日の出来事の整理がつくとヘッドライトを消し、剣道の気合とラジオを聞いているうちに、いつの間にか眠っていた。

                                                   本日の走行距離 810キロ