9月21日 しまなみ海道めぐり

 

 朝焼けの大角鼻のキャンプ場 来島海峡大橋が見える

 

 5時30分に起床した。テントの外にでてみるとまだ朝焼けがのこっている。海と空とキャンプ場が茜色に染まっていて、旅情を刺激される風景がひろがっていた。朝食のラーメンを食べて出発の準備をしていると茜色は消えてゆくが、朝焼けの終わった景色もすばらしい。海水浴場となっている砂浜の先に海峡と島々、船と来島海峡大橋があるのだ。その眺望に見ほれながらバイクに荷をはこんだ。

 昨日は剣山林道を走行したのでチェーンの汚れが気になっていた。点検してみると埃がついているだけで泥は付着していない。それでもクリーナーで掃除をすることにし、オイルも注しておいた。

 バイクの整備を終えて荷物を積んでいると、朝の散歩にやってきたふたりのおばあちゃんに話しかけられた。おばあちゃんたちはバイクのナンバーを見て声をかけてきたのだが、若い頃に東京に住んだことがあり、今も友人がいるのだそうだ。埼玉県の川口市にいたこともあるとか。そこで板橋区や北区、川口の話をする。そしてこの大角鼻はカメラマンに大人気のスポットだそうで、都内や埼玉、千葉あたりからも大勢の人がやってくるとのこと。たしかに日の出や夕日のシーンではすばらしい写真がとれそうだ。潮の関係と太陽の角度で、年に何度か絶好のシャッター・チャンスも来るのだそうだ。

 しまなみ海道に橋がなかったころは、しまなみの島々に行くのは手漕ぎの船だったとのこと。海は内海のようにおだやかに見えるが、この海峡は潮流がはげしいため、行きと帰りの潮の満ち引きを計算して船で往復したそうだ。それはそんなに昔のことではなく、つい何十年か前のことなのである。

 おばあちゃんたちと話し込んでしまい、私としてはゆっくりの7時5分に出発した。まず来島海峡大橋のビュー・スポットである糸山公園にむかう。休日だが道路は混んでいる。仕事に行く人がたくさんいて、とくに近くにある造船所にむかう人が多い。またサイクリングの人も大勢いた。しまなみ海道には自転車、原付、徒歩の人専用の歩道のようなところがあり、島々をわたってゆくのは大人気のサイクリング・コースなのである。

 

 糸山公園から来島海峡大橋を見る

 

 糸山公園の駐車場にバイクをとめて展望台の階段をのぼってゆく。急な階段で息が切れて汗がでる。キツイと思いつつ展望台に登りつめると、ものすごい絶景がまっていた。眼の前には来島海峡大橋がある。橋は途中の島をつたいながら一直線に大島へとわたっていっている。その左右には海原がひろがり、島々が点在している。大きな空の下のブルーの海に、緑の島が散らばる光景は、私の心をつかんで離さない。瀬戸内の海には大小さまざまな船が浮かび、振り返れば来島海峡大橋にのぼってゆく巨大なJCTと造船所が見えるのだ。

 島々の散らばる海峡が見たくてここにやってきた。絶勝を眼にしたくてやってきたのだが、ここにあるのは私が望み、想像した以上の光景だった。その景色にしばし魅入られた後に、いよいよ来島海峡大橋をわたることにする。糸山公園をでて、今治北ICから西瀬戸自動車道に入り、たった今見下ろしていたJCTを通って来島海峡大橋にでた。

 橋をゆくと海峡と島を見下ろす視点となる。それはすばらしい景観で、左右の海を見ても心がわきたつ。風景を楽しみたいので70キロでゆっくりと走るが、まわりの車は地元の人のようで前だけを見て急いでゆく。まだ朝早いから観光客はいないようだ。明石海峡や鳴門海峡よりもこの来島海峡のほうが景色がよいと思う。島々をつたいわたってゆく、海の道であることが、ここを別格の存在にしていると思う。

 また年甲斐もなく、キターッ!、と叫びつつ橋をわたってゆく。車道のすぐ横には自転車・原付・徒歩専用の通行帯があり、サイクリングの人が連なって走っている。サイクリストたちは皆よい顔をしている。たぶん私も彼らと同じように笑っていたことだろう。

 大島南ICで自動車道をおりると料金は675円だった。西瀬戸自動車道を走りつづければ、尾道まで行っても1000円だから割高に感じられる。しかし、しまなみ海道をただ走り抜けるのはもったいないから、じっくりと島めぐりをしていくつもりだ。大島ではすばらしい景色が見られるという、亀老山にむかった。

 

 亀老山から今治方向を見る

 

 亀老山にのぼってゆく道はできたばかりのようだ。林道が横にあるから、橋がかかる前はこの道しかなかったのだろう。高度を上げてゆくと景色がひらけてくる。今わたってきた来島海峡大橋が見えてきたので、バイクをとめて写真をとった。島をわたってゆく白亜の大吊り橋が海原を走っているのは、ほかでは見られない光景で、この風景を眼にしたら、止まらずにはいられなかったのである。その橋と海峡を声もなく見つめた。

 亀老山の山頂につくが見える景観は先程と同じである。大島を囲む海と来島海峡大橋、そして空。来てよかったと思いつつ景色をながめた。この後は島の北にある村上水軍資料館を見学したいが、時間はまだ8時30分で、この時刻ではまだ開館していないだろうから、諦めることにする。大島北ICに向かってゆくが、大島は貧しい印象で、四国や本州と経済格差を感じる。島には人口もビジネス・チャンスもあまりないのだろう。仕事をするなら今治か松山、もしくは尾道まで行ったほうがよいのだろうが、そうするならば転居したほうが合理的なのかもしれない。

 サークルKがあったのでゴミを捨てさせてもらう。お礼に袋ラーメン100円、水2リットル178円、いいちこ1リットル847円を買った。次の島は伯方島だが見たいところはないので、その先の大三島に行くことにする。大島北ICからしまなみ海道にもどり、普通の橋で伯方島にゆき、さらに短い橋で大三島にわたって大三島ICで島におりた。この間の料金は350円で、橋が大吊り橋でないと通行料金も安いようだ。

 

 鼻栗展望台に向かう道 後方の橋は多々羅大橋

 

 大三島ではなんと言っても大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)に行きたいが、展望台づいているので、大三島と伯方島を結ぶ橋のたもとにある、鼻栗展望台にむかうことにした。島の南にすすむが、こちらに観光客はほとんどいなくて、いるのはここを通らなければならないサイクリングの人たちばかりで、そこをバイクを走らせてゆく。国道は途中から湾のように静かな海の横を行くようになり、その景色がすばらしいのでバイクをとめて写真をとっていると、自転車の人たちもつられて止まり、記念撮影をしていた。

 道は途中から狭くなり車1台分になってしまう。その道路をすすんで島の東南端にある鼻栗展望台の入口についた。県道からコンクリートの道が展望台につづいているのだが、人の気配がないのでバイクを乗り入れてしまうことにする。車は軽でないと入れない狭い道だが、バイクなら問題ない。一気に行き止まりの展望台までのぼり、東屋があったのでその中にバイクをとめた。

 

 鼻栗展望台から見える大三島橋

 

 展望台の前には伯方島にわたる大三島橋がかかっているが、短い普通の橋で、海峡の距離もないから眺望は大したことはない。それでも写真をとったり、風景をながめたりしていると、MTBの青年がひとりだけやってきた。ここは穴場だがわざわざ行くようなところでもなかった。

 大山祇神社に行くことにする。ICまで来た道をもどって島の西へゆく。神社にはすぐに着いたが駐車場がみやげ物店のものしかなく、神社から離れている。歩くのは嫌なので、いささか不敬かと思ったが、神社の正面入口の横にバイクをとめさせてもらった。こんなことをしている者はほかにいないから、冷や冷やしながらの駐車である。

 

 大山祇神社の本殿

 

 大山祇神社は入口から見ただけではわからないが中は広かった。伊予の国の一の宮だそうで、武門の守護神として崇拝されてきたそうだ。大木があり、桧皮葺の建物があって荘厳である。本殿に詣でて拍手を打ち、無心で大山祇神社を拝す。その本殿の回廊の梁の部分には、軍人の写真が多数かけてあった。戦前の海軍大将たちや軍艦の艦長たちが神社の権禰宜と写真におさまっている。海上自衛隊の幹部たちの写真もあり、武門の守護神であることがよくわかる。戦争や軍事的なことはタブー視されることが多いが、もっと大事にされるべきだと思う。

 神社の正面にとめてきたバイクが気になるが、国宝のある宝物殿を見学したいと思っていたので、1000円の料金を払って入場した。こちらには鎧、兜、刀剣が多数あるとのことだが、入るとまず大刀がならんでいる。大刀は儀式用なのだそうだが、中には薙刀に転用されて生々しく刃こぼれしているものもあった。つづいて刀、鎧、兜がたくさん展示されている。装飾をほどこした美麗な刀や、平安・鎌倉時代の反りの大きな刀などはよさがわかりやすい。しかし鎧はわからない。国宝の鎧があるが、素人目にはどこが国宝に値するのかわからなかった。

 国宝と重文が多数ある宝物殿は見る価値があった。つづいて海事博物館に入るが、ここは昭和天皇が海洋生物の研究のために使った船を展示した施設で、海洋生物の標本がたくさんあるが、わざわざ見ることもない内容だ。ただ大山祇神社が皇室に近しい神社であることはよくわかった。

 神社の入口にとめてあるバイクが気にかかるので急いでもどった。すると私のバイク1台しかなかったところに、自転車やバイクがたくさん止まっているではないか。どうやら私の駐車が呼び水となったようで、神社の入口はさながら2輪置き場と化しており、またそれが自然に見えるから、気にすることもなかった。しかしずっと心配していたので脱力してしまった。

 魚貝類でよいものがあればみやげに発送したいと思っていたので、神社のまわりのみやげ物店をのぞいてゆく。しかし海産物は干物くらいしかない。生口島にわたる多々羅大橋のたもとにある道の駅にも寄ってみたが、ここにもめぼしいものはないので、次の島に行くことにした。

 秀麗な多々羅大橋で生口島にわたるが、ここで見たいものはないのでその先の因島にすすんだ。因島ICで島におりると料金は475円と半端な額だった。ところで生口島から広島県に入ったのだが、前月におこなわれた民主党と自民党との政権交代がなされた衆院選のポスターがまだ残っていた。国民新党の亀井代表のポスターがあり、ここが地盤なのかと思う。そのポスターには、自公じゃダメだ、国民新党だ、の文字が踊っていて笑ってしまった。

 因島にはほかの島にはなかった家電販売店のデオデオがあったり、ほかの店舗もたくさんあるので、これまでの島の中でいちばん豊かな印象だ。本州や四国との経済格差も感じられない。すぐそこが尾道だし広島も近いからだろう。しまなみの島々は四国から本州に近づくにつれて豊かになっていく感じだった。

 因島では水軍城が見たいと思っていたのでまずそこに向かった。城についてみるとそこは寺の施設で、寺院の敷地の山の上にあり、城というよりも櫓のような大きさだ。大したものではないことは一目でわかったが、せっかくここまで来たのだからと暑いなか階段をのぼって見にいってみた。しかし、下から見たとおりの建物でわざわざ見学するようなものではない。暑さに文句を言いながら坂を下り、因島と向島を結ぶ因島大橋を見るために、因島大橋記念公園に転進することにした。

 島めぐりも朝から続けていると飽きてくる。橋や展望台、絶景もだ。それでも次の向島には立ち寄るつもりはないから、これが最後の橋見物だと思ってすすんでいった。時刻は11時40分、そろそろ昼食をとりたいので店を物色してゆく。せっかく瀬戸内の因島にいるのだから魚が食べたい。それも寿司にしたいと思って行くが、回転寿司はあるが寿司屋がない。ここまで来て回転寿司はないだろうと思うがーー普段なら大好きだがーー、その向かいの食堂が混雑しているのに眼を惹かれる。よく見ると地元の車が集まっていて、尋常な混みかたではない。これは相当な人気店なので、ここで食事をとろうか、それとも尾道まで行ってからにしようかと考えながら、因島大橋記念公園にむかった。

 因島北ICから北の海岸線は交通量が少なくなり、店もなくなってしまう。観光客もサイクリングの人もここまでは足を伸ばさないようだ。人も車もいない道をすすんでゆくと、若い女の子がひとりだけ自転車を走らせていた。一眼レフのカメラを首にかけた颯爽とした女性でとても素敵だ。それを見て、私もカッコいいオヤジになれているかなと思う(ムリだよ)。埃っぽくなっているが、チョイ悪オヤジになれているだろうかと(だからムリだって)。

 

 因島大橋 

 

 因島大橋記念公園についたが、ここは橋を下から見上げることができるだけで、展望台などはない。眺望がよいわけでもなく、地元の人が釣りをしているばかりで、とくに立ち寄るようなところではなかった。

 さて昼食だが尾道では寿司店1件とラーメン屋2件をチェックしていた。しかし尾道の町で店をさがすのも面倒だし、さっきの大繁盛店も気になる。繁盛店は寿司屋ではないことがひっかかるが、因島で食事をしてしまうほうが効率的なので、繁盛店に行くことにした。

 大繁盛店は『海山ーかいざん』という店だった。駐車場は満車なので、バイクを店の横にとめて店内に入ると、意外にも空いている。混雑しているものと思い込んでいたので、どうしてなのかと店内を見渡すと、奥の座敷で法事をやっているのだった。なんだよ、そういうことか、と思ったが、もう店に入ってしまっているから席についてメニューを見る。とんかつやラーメンもあるが瀬戸内らしいものにしたいのでーーなにしろ寿司が食べたかったのだからーー刺身と天ぷらのつく海山定食1500円にした。これがここでいちばん高い料理である。

 あらためて店内を見てみると壁にはサインがたくさんかけてある。因島出身のポルノグラフィティのほかに映画の大林監督と女優の薬師丸ひろ子のサインがあるから、映画の撮影があったようだ。

 

 海山定食

 

 料理はすぐにでてきた。ハマチの刺身はコリコリで、なかなか噛み切れないほどだから天然物だろう。イカもコリッとしている。天ぷらなどは標準的な味だったが、これで1500円ならお得だ。食べきれないほどのボリュームだった。ところでこの店は接客も調理もすべて女性だけでやっている。漁協の婦人部のようなグループなのかなと想像して、支払いのときに、女性だけで運営しているんですか?、と聞いてみた。すると、そうだ、という意味のことが2・3人の方から、仕草と少ない言葉でかえってきた。それも小さな声で。とてもシャイなおばさまたちだった。

 さてこれから高速にのり、一気に山口県の西の果て、下関に行くつもりだ。しまなみ海道の旅は終わり、これからは響灘と山陰路をまわるのである。因島北ICから高速に駆け上がり、因島大橋をわたって向島をかけぬけ、尾道に入ってゆく。料金所があり475円とまた半端な金額が表示された。

 この先で道をまちがえてしまった。山陽道で山口に行きたいのだが、広島、と案内のでている方向にすすむと国道2号線になってしまい、高速から外れてしまったのだ。広島、とでていたらそっちに行っちゃうでしょう。山陽道の方向をもっとわかりやすく表示してもらいたいものだ。10キロほどバックして尾道ICにもどり、山陽道に入りなおしたが、30分ほどロスしてしまった。

 山陽道を西へすすんでゆくと広島まで65キロとでている。これを見て、今更ながら下関までかなりの距離がありそうだと気がついた。じつは尾道から下関まで、調べもせずに100キロくらいだろうと考えていたのだ。すぐ着くだろうと。じっさいには250キロくらいあって愕然としてしまったから、我ながら誠にぬけていた。

 中国道を行くとこの先200キロGSなし、と看板があり、私はずっと山陽道をゆくので関係ないのだが、気になって小谷SAで給油をした。24.17K/Lと燃費はよく、129円で1006円。先が長いので急いですすんでゆく。110キロで巡航する。しかし下関は遠い。思っていたよりも距離があって時間がかかるし、高速は退屈で集中力が切れそうになってしまった。

 気温は28℃、26℃と表示されていた。広島を通過すると宮島で渋滞とでている。その宮島についてみると、ICでおりる車で混雑しているのだった。2キロ車がならんでいたが、宮島は人気があるなと思いつつ先に行くと、隣りのICも宮島に向かう車で1キロ渋滞しているから、大人気である。

 尾道からの走行距離が150キロをこえると、疲れてきて110キロの速度で走れなくなった。100キロ弱で走行しているとホーネットのライダーにあっという間に抜かれた。ホーネットのライダーの着ているジャケットは私と同じもので色ちがいだ。しかし丸っこい体型の人だなと思いつつ見送った。

 走り疲れてしまったので佐波川SAで休憩することにした。バイクの駐車スペースに入ってゆくと、さっき抜かれたホーネットのライダーがいる。男性だとばかり思い込んでいたら女性で、どうりで丸みのある体型だったわけである。若い女性なので会釈するのも失礼かと思い、トイレに歩きかけると、女性が挨拶をしてくれたので返しておいた。

 トイレから帰ってくると女性はまだいた。軽く目礼をして地図をひろげると、
「九州に行かれるんですか?」と聞かれた。
「いや、山口県までの予定で、これからは山陰をまわるんです」と答える。
「ずっと高速で来られたんですか?」とたずねられたので、まず四国に入って日本一長い剣山林道を走り、しまなみ海道をわたってここまで来た、今日で3日目であると説明した。女性はフェリーを使わずにずっと自走なのは凄い、それに荷物も多くてすごい、と言う。キャンプ・ツーリングとしては平均的な荷物の量だと思うが、野営をしない人から見るとそう感じるのかもしれない。女性は荷物らしいものはなかったから。

 女性は広島の方でとても若く、21・2に見えたのだがバイクに10年乗っているそうだ。彼女の予定なども聞かせてもらうが、明日は天気がくずれて雨になるとのこと。それはたまらないので、なんとか晴れてほしいと話し合い、私が先に出発した。しかし若い女性に話しかけられたのは何年ぶりだろうか。私はおばあちゃんにはよく話しかけられるのだが、若い女性は久しぶりだ。私はチョイ悪オヤジのつもりでも、淡白で無害な印象だったからだろうか。たしかに老けてきたからなと考えるが、チョイ悪オヤジぶりが渋かったからだとは、まったく思わないところが、我ながら悲しいところではある。

 下関にむかっているが下関市街に行くつもりはなかった。私が見たいのは下関の北にある豊浦町の楠の大木や、山口県の西北端にある角島なので、下関の手前の小月ICで高速をおりるつもりだが、到着時間が気にかかる。それはこの付近にキャンプ場がないからだ。2003年にPキャンの旅(『広島・山口の旅』)でこの地域に来たときからそれはわかっていて、その時は小月ICの北にある菊川町の道の駅でPキャンをしたのだが、今回はバイクなので道の駅に泊まるわけにはいかない。そこで周辺のキャンプ場を調べてきたのだが、角島付近でキャンプしたいのにそこにはなくて、あるのはそのずっと手前の菊川町の520円のキャンプ場と、その北にある豊田湖の1200円の野営場なのである。角島のずっと手前か、それともその先まで行くか。時間が中止半端になってきていた。その小月ICになかなか行きつけない。しかも雨がパラパラと落ちてきてしまった。空は晴れているので、お願いします、と天に祈ると雨は止んでくれた。

 ようやく小月ICについた。高速をおりて国道491号線を北上し、以前にPキャンをした道の駅きくがわを目指す。そこから楠の大木『クスの森』へ行き、響灘にでるつもりだ。道の駅きくがわに到着すると、以前は狭い駐車場と野菜の直売小屋しかなかったものが、大きな建物ができていて見ちがえるほど立派な施設になっている。これが同じ道の駅かと驚くが、これならばよいみやげがあるかもしれないと思って入店するも、めぼしいものはないのだった。

 高速で雨が落ちてきただけに雲が多くなった。これでは今日の日暮れは早いだろうと思う。これから楠を見に行くつもりだが、もう遠くにはゆけないから、菊川町にある自然活用村キャンプ場に泊まろうと思い、電話をしてみた。電話番号は事前に調べて地図に書き込んできたのである。ここが通年利用可能で料金が520円であることも調査済みだった。

 電話には女性がでた。今夜キャンプしたい旨をつたえると、こっちは雨ですよ、とのこと。同じ町内の道の駅にいるが、こちらは降っていないが、と答えると、広場があるだけで何の施設もありませんよ、とのこと。それはまったくかまわない、と返事をし、受付が20時までということと、シャワーはあるが道の駅の近くにある菊川温泉に入るほうがよいと聞いて電話を切った。しかしキャンプをしたいと申し込んで、雨ですよ、何もありませんよ、と言われたのは初めてのことだった。

 今夜の宿は決まった。ここがいちばん不安な地域だったので正直ホッとした。しかし自然活用村という名前からすると公共施設であり、だから料金が520円と安いのだろうが、20時まで受付をしてくれるのはありがたいことだと思う。

 楠の大木を見てからキャンプ場に行こうと思ったが、雨が降っていると言われたこともあり、大木は明日見ることにして、すぐに野営場にむかうことにした。昨日は日没ギリギリまでキャンプ場選びで勝負したから、今日はゆっくりしたいと思っていたのだ。雨の来る前、明るいうちにキャンプ場に入り、テントを張ってしまいたい。そしてゆったりと夜をすごしたいと思っていた。

 道の駅のむかいにスーパーがあったので、夕食の食材を買って行くことにする。旅にでて刺身ばかりを食べていたので、今夜は肉にしたいと思っていた。しかし珍しい鯨の刺身があったのでこれと、味つきの牛カルビを購入して店をでた。

 

 自然活用村キャンプ場 広場があるだけ

 

 道の駅から県道34号線で北上し、菊川温泉の先にすすむと、自然活用村の看板がでている。県道からそれて田んぼの中の細い道で山にのぼってゆくと、17時20分に自然活用村に到着した。食堂兼宿泊施設が管理事務所になっていて、その前にバイクをとめる。キャンプ場はこの建物の下に見えている。沢沿いの草地の広場だ。建物に入って電話で応対してくれた女性に520円の料金を払い、宿泊者名簿に住所と氏名を記入する。手続きを終えて外にでると野犬が1匹いた。子犬を生んだばかりの乳の張ったメス犬で、子犬は見当たらない。腹が減っているらしく、物欲しそうな顔で食堂の裏口近くに座り込んでいた。

 管理事務所からキャンプ場に下りてゆく道はダートである。しかしどんなバイクでも通れる道だ。キャンプ場は女性の言ったとおり草の広場があるだけで、水場もトイレさえもない。それらは階段をのぼった先の管理事務所にしかないのである。キャンパーはファミリーが3組と不在のテントが2組の5組だった。ソロなのは私だけで、入口にいちばん近い場所にテントをたてた。

 野営の準備を手早く終えて温泉に行くことにする。来た道をもどって菊川温泉にゆくが、習慣にしたがって、明日の早朝から心おきなく走れるようにガスを満タンにした。22.16K/L。122円で1399円。

 菊川温泉は300円の格安料金だが石けんとシャンプーは用意されていない。前述のようにそれらはこんな時のために持参しているので、その用意が役にたったし、無駄な金を使わなくて済んだので、二重の充実感を味わいつつ入浴をした。

 風呂をでるとセブンイレブンでのどごし生500mlを195円で買って、暮れゆく山道をキャンプ場にもどってゆく。雲は多かったが日は思ったよりも長くのこり、雨も落ちてこなかった。

 

  鯨の刺身と牛カルビ

 

 テントにもどって鯨の刺身でビールを飲む。つづいて牛カルビを焼いていると、不在だったテントにハーレーのライダーが4・5人帰ってきた。そのサイトはタープやテーブル、椅子などもあるので、バイクのグループとは思っていなかったから驚いた。ハーレーの人たちは飲んで騒ぐのかと思ったらさにあらず、紳士的な人たちで、盛大に焚き火をしていたが静かな夜をすごしていた。またもうひとつの不在のテントは車のファミリーが帰ってきた。

 食事を終えて食器を洗いに管理事務所に歩いてゆく。このキャンプ場は水場もトイレも管理事務所にしかなくて、そこに行くには坂道と階段を100メートルほど歩かなければならないのだ。これでは文句を言う利用者もいるだろうから、私が電話をしたときに女性が、雨が降っているとか、何もなくて広場があるだけだと言ったのだと合点がゆく。しかしこういうシンプルなキャンプ場は私の好みなのだ。昔の野営場はどこもこんな感じで、設備が充実したのは、キャンプがブームになり一般的になったここ20年ほどのことなのである。そしてシンプルなキャンプ場が好きなのはほかのキャンパーも同じようで、何もないワイルドな環境で、ほとんどのグループが焚き火をしてーー直火ではないーー夜のキャンプを楽しんでいた。

 食器を洗ってテントにもどろうとするとあの野犬がいる。まだいるなら鯨や肉をやればよかったが、もう食べてしまった。しかし野犬を見ていると反対語の『飼い犬』という言葉を思い出す。野犬は腹を空かせていてひもじそうにしているが、自由だ。飼い犬は食べ物には困らないが、つながれていて自由はない。飼い犬の生活はぬるま湯の毎日で、サラリーマンである私も、飼い犬なのだ。

                                                          422.4キロ