9月20日 剣山林道走破、そしてしまなみへ

 

 月ヶ谷温泉キャンプ場の朝

 

 4時30分に寒くて眼が覚めた。冷えているのにシュラフに入っていなかったのだ。まだ寝ていようと思うが、トイレに行きたくてテントをでると、いつの間にかセローがやってきていて、サイトにテントが張られていた。セロー氏が来てテントを設営したことはまったく気がつかなかったが、たぶん夜中について、物音をたてないようにしたのだろう。シュラフに入ってまた眠り、5時30分に起床した。

 キャンプの朝の常食、インスタントラーメンを食べて出発の準備をととのえる。管理人さんがやってきて、この人夜中に来たんだね、うるさくなかった?、と聞く。いや、まったくわからないで寝てましたよ、と答えた私だった。

 キャンプ場の奥がライダー・サイトになっている。ソロのライダーやサイクリストがいて、そこに何なのかわからない大型のオフロード・バイクがとまっているのに眼を惹かれた。真っ黒で銀のアクセントのついた斬新なデザインのビッグ・オフだ。このキャンプ場は剣山林道の入口という場所柄、オフロード・バイクの比率が高い。90パーセント以上だろうか。グループでやって来ているオフロード・バイクの人たちもいれば、4輪バギーを持ち込んでいる人もいた。

 7時に準備が終わって出発しようとすると、ライダー・サイトにいた車種のわからないビッグ・オフが動きだした。ライダーはオフローダーのスタイルをばっちり決めた方で、バイクは最新のBMWR1200GSだった。これは私と同じく剣山林道にゆくのに違いないと思う。GS氏はテントを張ったままで空荷だった。

 GS氏が前を通過するときに軽く会釈をかわす。そして私もすぐに出立した。県道にでてみると300メートルほど先を走るGS氏の姿が見える。追いつこうとはせずにマイペースで走行するが、GS氏もおだやかなペースで走っていた。道は勝浦川沿いをゆく。川にはたくさんに釣人が入っている。釣師は老人ばかりだし、乗ってきているのは軽トラだから、地元の人ばかりのようだ。アメゴを狙っているようだが、今日は日曜日だったなと思い出したりした。

 

 スーパー林道の起点 魚屋橋

 

 剣山林道の基点の案内がある魚屋橋にはすぐに着いた。GSがとまっているのはもちろんだが、バイクがもう1台いる。これまたビッグ・オフのホンダ・バラデロだ。DR650もビッグ・オフの範疇に入るが、BMWのR1200GSとバラデロの2台とならぶと小さく見える。DRがビッグ・オフだとは口幅ったくていえない気分だ。ヘルメットをとった顔を見て、GS氏は同年くらい、バラデロ氏は少し下の方とお見受けした。

 3人ともここで写真をとるために止まったので、たがいにシャッターを押しあった。そして当然のごとく林道の話となる。GS氏は昨日も剣山林道を走破しているとのこと。林道は一部ガレているが、おおむねきれいに整備されていると教えてくれた。GS氏はGWにもここに来ているそうだから、相当な剣山林道マニアだ。私は昨年の9月に来たが、通行止めで3分の1しか走ることができなかったと言いーー詳しくは『2008年の四国・九州ツーリング』をどうぞーーバラデロ氏は初めてなのだそうだ。

 空荷で昨日につづいて林道を走るGSはモトクロス・タイヤをはいている。バラデロは私と同じくらいのキャンプ道具を積んでいて、ナビまでついているし、タイヤも私のミシュラン・シラックよりもオン寄りのものだ。バイクが軽い分だけ私が有利だから、オフロードの走破性能はGS、DR、バラデロの順だろうと勝手に考えていた。

 気温は21℃と表示されていた。GSを先頭に走りだす。2番目を私がゆくが、砂の浮いたタイト・コーナーをぬけてゆくとGSには離されがちになり、バラデロには追い上げられる。バラデロ氏は巨大なバイクを軽やかに操っていて、狭い低速コーナーをヒラヒラとぬけていた。これはダートもバラデロのほうが上かもしれないと思いつつすすむと、7時25分に砂利道に突入した。

 ダートに入るとGS氏はスタンディングで走りだす。私はいつもと変わらぬ殿様乗りだ。だってスタンディングは疲れてしまうし、足がつっちゃうから。ただ出だしなので慎重に走る。バラデロはとミラーを見ると、すぐに大幅に遅れてゆき、少し進むと姿は見えなくなってしまったから、たぶんオフはほとんど走らない人なのだと思われた。 

 

 剣山林道 おだやかな部分

 

 林道は始まりはおだやかでフラットだ。GSは吹っ飛んでいくのかと思ったらさにあらず、ゆっくりと安全運転だから私とペースは同じである。そこで2・3キロいっしょに行くが、林道の写真をとるために止まると、GSは先行していった。2・3回停止して画像を撮影したがバラデロ氏はまったく姿を見せなかったから、彼は林道に入ってすぐに引き返したのだと思う。

 去年は距離があったと感じられた旭松峠には思ったよりも早くついた。たぶん昨年はひとりで初めての林道だったから長く感じられたのだろう。路面は去年よりも荒れていた。コブシ大の石がゴロゴロしていたり、急坂があるのは変わらないが、ガレが今年のほうがひどかった。

 険しいところはギヤをローに落としてゆっくりと走るが、やがて前方にGSが見えてきた。だんだんと距離が縮まってゆくから私のほうが速いことがわかる。これは画期的なことなので嬉しくなった。林道で抜かれることはあっても、ぬくことはまずないからだ。しかし私もGS氏もそもそも速く走ろうと思っていないから、自分のペースで走り続けることになり、この先も自然体の走行となった。

 また写真をとるために停車するとGSは先行し、雲走山登山口の先、一時舗装路にでるところでGS氏がメモをとっていたので私が先にいった。そしてそのすぐ先、フォガスの森へと入ってゆく国道193号線との分岐点、ゲートがある地点で写真をとっていると、またGSに抜かれた。

 このゲートから7キロでフォガスの森にいたるが、昨年はここから通行止めになっていたのだ。ここで休憩して8時12分にまた走りだす。ここの路面は整備されていてフラットだった。ダートにも慣れてきたのでこれまでよりもペースアップして走る。コーナーの出口で早目にアクセルを開け、リヤ・タイヤがスライドするのをコントロールしてゆく。舗装路では味わうことのできない挙動を示すバイクを、操ることがダート走行の楽しみだ。調子に乗って直線でもこれまでよりも一段上のギヤを使用して速度を上げるが、コーナーの入口で慌ててブレーキをかけることも度々となった。

 

  フォガスの森 FTRの横にある青いものが柴犬 ご主人はごろ寝

 

 8時25分にフォガスの森についた。ここはバンガローとキャンプ場のある施設で、ロッジ風の管理棟があり、テントは3・4張りあって、オフロード・バイクのキャンパーが4人いた。GSもとまっているからトイレにでも行っているようだ。ほかに犬連れのライダーが管理棟の屋根の下でごろ寝をしていてびっくりする。犬は小型の柴犬だがご主人様の青いGジャンをかけてもらっている。飼い主はTシャツ一枚で寝ているが、ここは冷えているから相当寒かったのではなかろうか。バイクはコンパクトなホンダFTRだから、どこに犬を乗せているのだろうかと考えてしまった。

 キャンプは1泊500円だそうだから、ここで野営するのもいいかもしれない。ゴミは持ち帰りだが、途中で捨てようと思っている人はフロントに持ってきてくださいとあり、それを見て微笑した。やがてGS氏がやってきた。GS氏は昨日、今日と林道を走り、とくに今日はこの長い林道を往復するそうだが、明日には帰るとのこと。この剣山林道が目的のツーリングなのだ。私はこれからしまなみ海道をわたり、山口県から島根県と山陰の海岸線を旅してゆく予定を話した。

 

 徳島のヘソ

 

 GS氏が先に出発した。すぐに私も走りだすが、ほどなく徳島のヘソにつく。ここは切り立った崖の上の眺望のひらけたところで、深い谷の先に山また山の連なりが、見晴るかすつづいている。GS氏はここに座って景色をながめていた。林道を走るだけで休日をすごし、そして山なみを見つめているGS氏はロマンチストなのだろう。GS氏は私のカメラのシャッターを押してくれたが、ここと風の広場がいいんですよね、と呟いていた。私もロマンチストだが、せっかちの貧乏性でもある。気持ちのよい遠景も数瞬ながめるともう先を急ぎたくなるのだ。山を見つめるGS氏をのこしてまた走りだした。

 空は快晴で気温は低く寒いくらいだった。外気はフォガスの森あたりから一段と下がったのだ。ダートの路面を睨み付けてアクセルを開け閉めしてゆく。リヤ・タイヤのスライドとフロント・タイヤが暴れるのをおさえつけて林道走行をつづけていった。

 川成峠には9時3分についた。ここは眺望のひらけない、峠とは言えないようなところなので、写真を1枚とっただけで通過する。この先にGS氏が話していた風の広場があった。ここは登山口の駐車場のようだが、険しい山の中にここだけ平らかな土地が広がっているのだ。広場というだけあって何もない。広大な草っ原があるだけだ。それがロマンチストの心情に訴えるのだと思う。その風の広場にバイクを乗り入れて、一段高くなっている端のほうまでいってみるが、山また山の景色はあるがほかには何もないので、そのまま止まらずに林道にもどった。フォガスの森から山の家までの間は、この風の広場にかぎらず野営できそうな草地が多数あった。深山でただひとりキャンプするのもいいかもしれない。

 川成峠から先が長く感じられた。走っていて嫌になるくらいダートがつづく。川成峠から山の家まで25キロもあって、深い山の中の狭い砂利道を、1時間以上かけてひとりきりで走行したが、ダートに飽いてしまってホトホト嫌気がさしてしまった。川成峠まではここに来てよかった、最高だと思っていたのだが、オフロード走行に倦んでしまい、集中力もなくしてしまう。リヤ・タイヤをスライドさせるのも億劫になり、ただダラダラと距離をこなしていったが、ここが剣山林道の核心ではあるだろう。

 

 ガードレールのない林道の路肩から崖下を見る この谷はあまり深くない

 

 林道にガードレールはあまりなく、道の下は断崖絶壁のところが多い。林道の端を走ると崖下に吸い込まれそうな気がするので、道の真ん中を走行した。もしもここから落ちたとしたら、バイクを引き上げるのは無理だろうし、生命だって危ない。そして山側にはくずれてきた土石が不気味に積みあがっているところが多く、そんなところは足早に通過してゆくのだった。

 林道には山からくずれてきた土砂を敷いているようだった。元々林道には補修のために砂利を入れることが多いから、その代用になっていて、崩落した土石の有効利用にもなるのだろうが、そのバラスを敷いたばかりの路面は深砂利のようで走りづらい。当然石の大きさもまちまちだから、林道の表情を荒々しくしていた。

 険しい坂もおだやかな道もあったが、ここには林道のあらゆる路面のバリエーションが揃っていた。石ゴロゴロの道、岩盤の路面、土の道、そして大小様々な石の敷きつめられたところ。土砂を一時ためておくためか、路面を一部だけマウンドのように盛り上げているところもあった。そしてこんなところにも車がやってきてびっくりするが、それはこの山の下にある四季美谷温泉のマイクロバスで、登山者を運んでいるのだろうか。バスには客が何人も乗っていて、旅先で開放的な表情になった人たちと眼があったりした。疾走するバイクとは2台とだけすれちがった。

 四季美谷温泉からのぼってくる舗装林道との合流点に到着した。昨年はフォガスの森への入口からここまで通行止めで走ることができなかったのだ。ここは山の家まで4.2キロ、フォガスの森まで34.9キロ、四季実谷温泉まで20キロの地点である。合流点で一息入れてからまた走りだす。山の家までは昨年よりもはるかに荒れていた。去年は砂利が入れてあってきれいに整地されていたが、今年は雨が路面の左端を削りとっていて、深いクレバスができていた。

 

 山の家にて

 

 山の家についたのは10時10分だった。山の家は剣山の登山口になっていて、食事のとれる山の家と広い駐車場がある。その山の家は閉まっていて、若いサイクリストがひとりだけ休んでおり、彼とは会釈をかわした。山の家が営業していたら剣山林道のステッカーを探そうと思っていたので残念だった。

 やがてバイクのエンジン音が聞こえてきた。かなり攻撃的な走りをしている音で、モトクロッサーのような鋭い排気音が響く。すぐに2台のオフロード・バイクがやってきて、私の隣りに停車した。ホンダCRMとカワサキの2台で、ヘルメット姿の彼らと会釈をかわすが、ヘルメットをとったCRMのライダーは50を越えている初老の方だ。カワサキのライダーは25くらいの青年だったが、ふたりは競い合って走ってきたばかりだから、熱くなって走りの話をしている。それを見ていると年配のCRM氏がバイクが大好きで、オフロード好き、そして何より飛ばすのがたまらなく好きだということが伝わってきて、頬がゆるんでしまった。

 つづいてGS氏もやってきた。自然と4人で話すことになったが、初対面なのにとてもフレンドリーに会話ができるのは、同じ趣味をもった人間同士の特権で、たがいに皮膚感覚でわかりあえるから、とても愉快だった。CRM氏とカワサキ氏は地元の方で剣山林道を知りぬいていた。よく走りに来るそうだが、新品のモトクロス・タイヤもここを全力で走ると1日でダメになってしまうとのこと。
「たしかにそんな凄い走りでしたね」とGS氏が言う。「あっという間にぬかれてしまって、レベルがまるで違ってましたよ」
「しかし、崖から落ちたらたいへんでしょう?」と私。
「そう、麓まで歩くのに1時間はかかる」とCRM氏。なんだか歩いたことがあるし、落ちたバイクを引き上げたこともあるような口ぶりだった。CRM氏はGSも所有しているそうで、GSではここを走らないよ、と言っている。バイクが重くて言うことを聞いてくれないし、跳ねた石がマフラーにあたって、キズだらけになってしまうから、と。GSで飛ばせばそうなるだろう。

「これは珍しいバイクですね」とカワサキ氏がDRを見て言う。
「そう、滅多にないバイクなんですよ」と答えると、「はじめて見ました」とのこと。GS氏が、逆輸入なんですか?、と聞くのでうなずくと、車重どのくらい?、と重ねて問われた。150キロくらいですよ、と言うと、軽いな、と呟いている。250ccなみの車重に650のパワーがあるのがこのバイクのミソなんですよ、と答える私だった。だって大きいのがいいからと言って、GSクラスで林道走行は苦しいでしょう?、と。GS氏はうーんと呻っているが同意はしていない。街乗りや高速、そして押し出しを重視するならBMWやKTMのビッグオフ。全体的なバランスやコスト・パフォーマンス、林道の走破性はDR650やXR650に分があるのではなかろうか。どちらを選ぶのかは好みの問題である。 

 CRM氏がズボンの裾をはたいているが、かなりの埃がでている。まさかと思って私もやってみると、Gパンからたくさんの埃がたった。GS氏に、林道を往復するんですか?、とたずねた。私はもう長すぎて、ホトホト嫌になりましたよ、と。GS氏は、終点まで行ってから考えます、と言っていたが、ロマンチストはやはり往復しそうな眼をしていた。先に出ることにするが、CRM氏とカワサキ氏には抜かれることが確実なので、土佐方向に行くのかたずねた。するとそちらには向かわずにここから引き返すとのこと。ならば追いぬかれることもないわけで、背後に注意をはらう必要もなくなり、3人に手をあげてスタートした。

 山の家のすぐ横には剣山トンネルがあり、ここをぬけると下りである。そのダートを下ってゆくとさっき山の家で休んでいたサイクリストが走っていたので、手を上げてぬいた。山の家から国道195号線の合流点まで19キロである。1キロごとに案内がでているのでそれを見ながら走ってゆく。途中には険しい坂、ガードレールのない断崖沿いの道、山肌がくずれて路上に土砂が堆積している箇所がつづく。しかし去年もここを走っているからどんな状態なのかわかっていて、すでに剣山林道を征服したような気分だった。

 この区間は交通量が多く、車3台にバイク3台とすれちがった。バイクは3台とも疾走していたので、カーブでは出会い頭の衝突もありえる状況だったが、フォーンを鳴らしながら走ってきたので回避できた。しかし警笛を鳴らしながら林道をかっ飛ばすというのは、自分勝手で無責任な行為である。

 やがて唐突に舗装路にでた。ダートは終わったのだ。そこは高の瀬峡の入口で時刻は11時だった。7時25分にダートに入ったから、3時間30分で剣山林道を走りぬけたことになる。思っていたよりも早く走破することができた。2年がかりになったがこれで日本一長い剣山林道を制覇したのである。いささかの達成感を覚えつつ国道195号線との合流点でしばし休む。DRはタイヤ、チェーン、リムにうっすらと埃がつもり、私も靴だけでなくGパンの膝から下が埃だらけになっている。その埃をひとしきりたたいて、落としておいた。

 剣山林道の特徴はただ長いだけでなく、途中に人の気配があることである。フォガスの森や山の家などの施設だけでなく、登山口や舗装路にでることもあり、徳島のヘソや風の広場などが散らばっている。一般に林道は原生林のただなかを行くので、誰にも会うこともなく深山を走りぬけることになるが、ここにはその孤独感がない。また剣山林道は山側が壁のようにそそりたち、谷側が崖になっている険しいところが多いが、明るく開けている。多くの林道は頭上を木々が生い茂っていて太陽の光をさえぎっているが、ここにはそれがないのである。

 刀やGT750(ご存知だろうか、スズキの2ストナナハンのウォーター・バッファロー)、VF750と懐かしいトリオが通りすぎた後で出発した。西にむかい四ッ足峠トンネルをぬけて高知道をめざすのだ。進みたい方向は北なのだが、そちらに行く道はないので、土佐の手前の南国市までいって、高知道にのり北の新居浜にむかうつもりだった。

 土佐まで65キロと表示されている。走りやすい国道195号線をゆく。コーナーがつづくが1.5車線の酷道ではないので、70キロの速度で巡航していった。交通量もほとんどなく、前を走る車に追いつけば追い越して、自分のペースで走ってゆく。すれちがうバイクはBMWのR1200GSがやけに多い。次々にやってくるし、3台いっしょに走ってくるGS乗りもいた。皆剣山林道に行くのだろうが、GSだけでなくビッグオフが考えられないくらい走っていて、それ以外にもオフロード・バイクばかりが目立った。

 カーブの連続する山道を行くが自分で乗れていると思う。ダートを走るといつもそうなのだが、バイク・コントロール力が格段に向上するのだ。不安定な林道を走行すると、アスファルトの上でバイクを旋回させることがたやすくなるのである。

 物部村には奥物部ライダースインがあった。ここは高知県に4ヵ所あるライダーのための宿泊施設でーーライダー以外も歓迎だそうだーー写真で見たとおりのかまぼこ型のシンプルな建物だが、この時間に人の姿のない。低料金で利用できるので、悪天候のときなどはライダースインに泊まるのもよさそうだ。

 

 アンパンマン・ミュージアム

 

 そろそろ昼時なので昼食をとりたいが山の中で何もない。何かないかと店を物色してゆくと、山の中に突然駐車場があらわれて、車がたくさん集まっているところにでた。これは何なのだろうと思っていると、この先にアンパンマン・ミュージアムがあって、そこに人々がやってきているのだった。こんなところにアンパンマンの施設があるとは知らなかった。なにしろ私の地図は古くて、2003年版なのでそれが記されていないのだ。ミュージアムの入口にとまって施設をながめてみるとバイキンマンらしき大きな像がある。珍しいので写真をとったが、ここには道の駅も併設されていた。レストランもあるが、小さな子供連れの多いここに、バイクに乗ったひとり旅のチョイ悪オヤジ(?)が入ったら、浮いてしまうのは必定なので、空きっ腹をかかえて先にすすんだ。

 店をみつけられないまま南国市に入ると高知道の南国ICの看板があらわれた。その案内にしたがって行くとすぐに南国ICについてしまう。その近くには道の駅南国があるが、道の駅や高速のSAのレストランで食事をするのは味気ないので、国道を土佐方向に南下して食堂をさがしにいってみた。するとすぐに地産地消、自然派レストランなどの幟をたてているレストランがある。大きな店舗だし駐車場に車がたくさんとまっているから、この『レストラン岡豊城』を利用することにした。

 12時30分に店に入ると順番待ちとなっていた。受付に名前を書いて席に案内されるのを待つが、入口にはみやげものを売っていたり、豊富なメニューが写真入りで紹介されていたりするので飽きることはない。料理はラーメンやハンバーグからミニ会席まであるが、土佐名物のカツオのたたきのついている黒潮御膳2100円にすることに決めた。因みにこれがいちばん高い料理である。

 

 黒潮御膳 漬物がふたつあるのは天ぷら用の塩と間違えたため 

 

  混んでいたが10分待たずに席に通された。時間を無駄にしたくないため、水を持ってきてくれた女性にすかさず注文する。メモをつけたり地図を見たりしていると、これまた10分かからずに黒潮御膳がはこばれてきた。日曜日の昼時だから作り置きしているのだろう。早いほうがよいからそれはまったく気にならない。さっそくカツオをたたきから食べ始めた。カツオは厚く切ってあり、オニオン・スライスにわけぎ、きゅうりにわかめ、にんにくとたっぷりの薬味が添えられていて美味しかった。天ぷらやエビフライなどは普通だったが、観光客の食べたいものが盛り込んであるので満足感はあった。

 13時15分に、お気をつけて、と声をかけられてレストランをでた。すぐに南国ICから高知道に入り北上してゆく。高知道は四国の中心部の山岳地帯を貫いているのでトンネルが多い。そして高所を行くので気温が低く、風が強かった。トンネルを出て吹きっさらしの谷をわたる橋の上を行くと、風にあおられるので90キロ以上だせない。そんな橋を何本もわたっていった。

 この先のJCTがどう接続しているのかわからなかったので、PAに入って地図をひらいた。すると川之江東JCTで徳島道に合流して西にすすみ、そのすぐ先の川之江JCTで松山道に入るのだった。また次の目的地の別子銅山跡は新居浜ICでおりることも確認しておいた。

 トンネルで山々を突き抜けて北上し、JCTをふたつ通過すると瀬戸内海に面した川之江市にいたった。四国は山の国で平地が少ない。山が海のすぐ近くまで迫っていて、狭い平地に工場と住宅がいっしょになって密集している。その過密ぶりが特異な工業都市風景を形成していた。工場の煙突からは煙が吐き出されているのだが、かなり離れた高速道路上を走行していても薬品臭い異臭がする。川之江は紙の町だそうだからこれはパルプ工場の臭いだろうか。工場が住宅の隣りにあるのも珍しいが、こんなに薬品臭いのもほかの土地ではないことで、余所者の私には耐えられないものだった。

 川之江を通過して山間をゆくと、豚の臭いがするが、こちらのほうが自然でマシだと思っていると新居浜についた。松山道をおりると料金は900円と表示されている。1800円の正規料金が半額になったということなのだが、この先どこまで行っても1000円だから、なんだか高く感じられてしまった。

 国道11号線で新居浜の町をゆくと、全国展開している外食チェーン店がたくさんあって、四国に来ている感じがしない。狭くて混んでいる国道をすりぬけてゆきながら、昔ながらの新居浜はのこっていないのかと探しつつ、郊外にある別子銅山跡にむかった。

 国道から県道47号線に入って山にのぼってゆき、銅山跡にある道の駅『マイントピア別子』に行こうとしていると、別子銅山記念館があった。せっかくなのでここにも寄っていくことにしたが、こちらは鉱石や精銅過程、鉱山の歴史や道具、人々の生活のようすなどを展示した無料の施設だった。別子銅山は昭和48年に閉山されているが、事業体の住友金属鉱山は株式市場でいまだに「別子(べっし)」の通称で呼ばれている。この銅山がそれだけ巨大な存在だったわけだが、江戸時代から昭和までの長きにわたって掘られ続けてきた、世界を代表する大鉱山をこの眼で見たくてやってきたのである。

 記念館の展示物で眼についたのは、昭和30年くらいの人々の日常を撮影した写真だった。鉱夫たちとその妻や子、学校、遊び、正月などの平凡な日々が切りとられていて、鉱山の生活は辛くて暗いイメージを持っていたのだが、じっさいにはそうではなくて、明るく健康的であり、人々が幸せそうな笑顔であることが印象的だった。貧しかったが充実していた日々、濃密な人と人との関わりあい、格差と犯罪の少ない社会がそこにあったのだと見てとれた。

 

 マイントピア別子の砂金採り体験施設

 

 記念館をでて道の駅マイントピア別子にいった。ここは道の駅に銅山見学施設が併設されていて、温泉もある。私は銅山見学だけがしたいのだが、それは1200円で、入浴や砂金採り体験がセットになったお得な1500円のセット券もあった。この「お得」という言葉に弱いので、300円のちがいならと、つい砂金採りのセット券を購入してしまった。しかし考えてみれば砂金採りなど子供騙しだろうし、なにより御ひとり様のチョイ悪オヤジがやるようなことでもない。買ってしまったものは仕方がないから、2・3分やってやめてしまえばよいかと思っていると、砂金採りは15時30分までなので、まず砂金採り体験にいってくれと言われる。そうなの?、どうでもよいと思っていたのだが、と思うが、金は払ったんだからと、貧乏性のチョイ悪オヤジは砂金採りの体験施設に歩くのだった。

 

 砂金採りの盆と砂金を入れるカプセル

 

 砂金採り体験は30分とのこと。専用のお盆と砂金を入れるカプセルを受け取って14時59分に砂金採りの施設に入った。そこは細長いコンクリートの水槽がならんだところで、水槽の中には砂が敷いてあり、観光客の老若男女がお盆にとった砂を一心にゆすって金をさがしている。私も端に入れてもらって砂をゆすってみるが、砂金はまったく見当たらなかった。

「どうだい?」と向かいのお父さんが話しかけてくる。60くらいの人だ。
「まったくダメですね。ほんとうに金が入っているんですかね」と答えると、
「ほんとうにダメだ」と言う。お父さんは係りの男性に、全然取れないよ、と声をかけた。するとコツがあり、まず底のほうの砂をとることーー上にある砂はゆすって落とされた金のない砂ばかりなのだーー、そしてお盆には3本の線が走っているのだが、砂をこの上を通して落としてゆくのが肝要とのこと。その通りにやってみると私は金を2粒、お父さんは銀を3粒みつけることができた。 

 砂金採りなんて子供騙しだと思っていたのだが、やってみると面白くて夢中になる。お父さんと友達のように話しながら熱中してしまった。特にお父さんは集合時間も忘れてしまっていたようで、仲間に携帯電話で注意されてバスに飛んで帰っていった。

 

 銅山見学にむかうマイントピア別子号

 

 砂金採りを堪能したので銅山見学にゆくことにする。銅山には蒸気機関車のマイントピア別子号で行くので、その出発を待って山の上の銅山にむかうが、ここは機関車に乗るほどの距離はなく、歩いたほうが速いくらいなので、機関車の発車をまった時間がムダになってしまった。

 銅山跡の坑道に入ってみてもまったく期待はずれの内容で、足を止めて見たい展示物はない。ただ施設内を通りすぎただけになってしまったが、これで1200円の料金をとるのは客を馬鹿にしている。これこそ子供騙しで、帰りは機関車に乗らずに歩いてもどるが、日本の近代化を担った産業遺産が見たくてやってきたのに、誠に残念だった。ただ砂金採りを楽しんだことと、無料の別子銅山記念館を見学できたことが救いであった。

 次はしまなみ海道に行く予定だが、この時間では島めぐりはもう無理だ。となるとキャンプ地が気になってくるが候補地はふたつあった。今治の手前の東予市にある休暇村瀬戸内東予のキャンプ場1000円か、今治の北の岬、大角鼻にある大角海浜公園キャンプ場の無料かである。

 もちろんより先にある大角鼻に行きたいが、日が暮れてしまうかもしれないから、手前の東予で手堅く泊まるという考えもある。しかし貧乏性でせっかちな私は少しでも先に進みたいし、わずかな時間もムダにしたくないのだ。そこでとりあえず東予を通り過ぎて今治までゆき、見たいと思っていた今治城を見学してから、どこに泊まるのか決めることにしたが、昨夕も徳島の眉山で同じようなことをしていたことはこの時点では忘れていた。

 新居浜から今治まで35キロとでている。国道11号線で西へすすみ、国道196号線に入って今治方向に北上してゆく。海が見えると干潟がずっと続いていたり、島がたくさんあったりする。休暇村東予の手前にはカブトガニ生息地の浜があり、よほど見学してゆこうかと思ったが、日没の時間が気になってそうしなかった。休暇村東予の入口でも、ここで泊まってしまおうかと悩んだが、とにかく今治城を見てからにしようと考えて先にすすんだのだ。

 

 今治城

 

 今治城には17時10分についた。城は広い堀にかこまれた水城で、天守閣が小さく見えている。その城を背景にして記念撮影をした。堀の水は海水なのだそうだ。すぐそこが海なのだから当然のことなのだが、堀の水は真水と思っているので、それが珍しく感じられる。その堀の広さが印象的な今治城だった。

 東予市から10キロ進んできてしまっていて、もどるのは嫌だし、この時間ならば日のあるうちに大角鼻に行けるだろうと判断して、大角海浜公園でキャンプをすることにした。となると気は焦る。なるたけ早くキャンプ場に入りたいし、未知の野営場だからどんなところなのかと不安も高じる。しかしいつもの夕刻の習慣、明日に備えてガスを満タンにしておくことにしてGSに入った。

 21.1K/L。124円で1940円。17時25分だった。ガスを入れていると、GSのご主人がDRのナンバーを見て話しかけてきた。ご主人はGSの跡を継ぐまでは転勤族で、池袋や埼玉県の浦和市(現在はさいたま市浦和区)に住んでいたそうだ。池袋や浦和の話をする。そして私がこれから大角鼻でキャンプをすると言うと、あそこにキャンプ場なんてないんじゃなかろうかと心配してくれた。ネットで調べてきたからあるはずだと答えると、店の中にいた友人に聞いてくれて、あると確認してくれた。しかしその友人が、
「でも、あそこには何もないよ。海水浴場があるだけで。それにシーズン・オフだから、誰もいないんじゃないかな」と言う。
 無人の広場が眼に浮かぶ。剣山林道にあった草地のようなイメージが。また不安が高まるが、ふたりに礼を述べて出発した。

 ローソンで水2リットルを179円で買ったのは17時39分だった。日が暮れてしまうことが心配で、シーズン・オフの無料のキャンプ場がどんなところなのか不安で、焦ってしまうがまだ日没までには時間があると自分に言い聞かせる。都内では18時には暮れてしまっていたが、こちらは少し日が長いようだから、18時10分くらいまではーーわずか10分だがこれが大きいーー明るいのではなかろうかと考えたりした。そしてもしも大角鼻でキャンプできなかったとしたら、東予にもどればよいだけだと、気持ちを落ち着かせたのだった。

 

 大角海浜公園キャンプ場 

 

 しまなみ海道の来島海峡大橋の美しい姿が見えてきた。この大橋のさらに北へゆくのだ。愛媛県の北のはずれの大角鼻に近づくと、浜に張られたテントが見えた。海岸にテントがふたつ立ち、その奥が公園キャンプ場になっていて、かなりの数のテントがならんでいる。シーズン・オフで誰もいないなどということはなく、テントを張る場所がないほど混んでいた。

 キャンプ場についたのは17時55分だった。キャンプをしない人の言うことなんて気にすることもなかったと思いつつ、テントの設営をする。ここはロケーションのよい絶景のキャンプ場だ。眼の前にはおだやかな瀬戸内の海がひろがり、その先には明日わたる来島海峡大橋が見える。海峡には大小さまざまな船が走り、しまなみ海道の島々が浮かんでいた。ここには何にもないというのはとんでもない間違いである。

 キャンパーは子供連れのファミリーが6割、グループが2割で、それに夫婦や私のようなひとり旅の人間が2割といったところだ。18時10分にテントの設営と野営の準備はととのったが、まだ日は暮れず、しばらくは明るかった。

 となりの夫婦のキャンパーに風呂は近くにあるのか聞いてみると、わからないとのこと。しかしここは海水浴場なので、トイレにシャワーが併設されていると教えてくれるが、水のシャワーじゃねえ。夫婦の奥には若者のグループがいて、そこには流暢な日本語を喋っている白人もいた。

 ビールと風呂をなんとかしたくて出かけることにする。このキャンプ場はバイクの乗り入れはできないので駐車場にとめておくのだが、そこに行くとスクーターのソロ・ライダーがいたので、彼にも銭湯がないのか聞いてみた。しかし彼もわからないとのこと。そこで念のためトイレに設置されているシャワー室を見にゆき、水がでることをたしかめておいた。

 波方町方向に行って風呂をさがしてみるが見あたらない。しかたがないのでシャワーを利用することにして、のどごし生500mlを190円で買ってキャンプ場にもどった。シャワー室には明かりがないのでカンテラを持ってゆく。今日は剣山林道を走って埃をかぶり、その後はマイントピア別子でずいぶんと汗もかいたのだ。水で冷たいとはいえ汗を流せるのは誠に気持ちがよく、ありがたい。なにより無料であることが嬉しかった。

 石けんとシャンプーは常に持参している。真っ暗なシャワー室でひとり体をあらうのは少し恐いのだが、サッパリできて助かった。服を着ているとキャンパーの方がようすを見に来たので、明かりはつかないが使えるよ、と教えてあげた。

 

  大角鼻での夕食 

 

 テントにもどってビールを飲みつつ夕食の準備をはじめる。今夜はスパゲティー・カルボナーラである。と言ってもスパゲティーとレトルトのソースを煮るだけなのだが。それに昨夜食べられなかったパン。テントの横で椅子にすわり、ビールを飲みつつスパゲティーとレトルトのソースを茹でていく。学齢前の3人の男の子がいるファミリーのテントでは、子供たちが大声をあげて暴れまわっている。ありあまるエネルギーにまかせて、兄弟でテントの中を転げまわっているようだ。子供ってエネルギッシュだよね、と息子が小さかった頃のことを思い出したりする。その3人の子の両親はテントの隣りのスクリーン・テントの中にいて、ふたりで静かに飲んでいた。子供をつれて家族でキャンプ、これが幸せというものだよね。

 スパゲティーが茹であがったのでソースをかけて食べはじめる。外人のいる若者グループは仲間がどんどんやって来て、団体にふくれあがっていた。20人以上いるだろうか。若い男女のグループだから盛り上がっていて、酔った男が関西弁(愛媛弁?)で漫才師のように喋りまくっていたが、やがて日本人2人と外人がウクレレにマラカス、それにシンプルなパーカッションで歌いはじめた。ボーカルは日本人で白人はマラカスだ。ボーカルは甘ったるい声なのだが、やさしい人柄がにじんだ歌なので聞き入ってしまう。それは私だけでなく、キャンプ場中がそうで、1曲終わるたびにキャンプ場全体から拍手がおこる。するとボーカルの男性は素人臭く恐縮し、ああ、ありがとうございます、と声を裏返して挨拶するが、また次の曲を歌いだす。決して声を張ることなく、静かな曲を小さな声で誠実に歌うのだが、その歌はキャンプ場の夜によく合っていた。曲はイマジンなど。

 テントに入って焼酎の水割りを飲みつつ今日のメモをとる。大騒ぎをしていた3人兄弟の男の子たちは眠くなってぐずっている。いちばん下の子は泣いているからもう寝るのだろう。母親がやさしくあやしている低い声が伝わってくる。時刻は8時過ぎ。テントの外には星がでて、来島海峡大橋にはライトがともっていた。

 

                                                           311.9キロ